ゼロの使い魔・2回目
 
第8話
 
 ブリミル達がアルビオンを落としてから三日後。
 
 ようやくウインド率いる連合軍がロンディニウム城へ訪れた。
 
 ウインドは人目が有るにも関わらず、出迎えた才人達の前に膝を着き頭を垂れると、
 
「ありがとうサイト殿。……この戦、我らが勝利出来たのは君達が居てくれたからに他ならない」
 
 彼らに最大限の感謝を述べた。
 
 才人は慌てて、彼を立ち上がらせると、
 
「ちょ、ちょっと止して下さいって!? そんな頭を下げられるようなことした覚えはありませんし、今回活躍したのはブリミルとテファですから!!」
 
 言われ、気づいたのかウインドが周囲を見渡すが、ティファニアの姿が見えない。
 
「……そういえば、ミス・ティファニアの姿が見えないが?」
 
 そのことを才人に問い質すと、彼は困ったような笑みを浮かべて、
 
「テファなら、今は自分の村に帰っています。
 
 彼女、孤児達の世話をしているので、長い間村を空けることが出来ないんです」
 
「……そうか」
 
 それを聞いたウインドは神妙に頷き、
 
「君達も暫くはゆっくりと休んでくれ。僕に出来る限りの報償を用意させてもらうよ」
 
 そう言い残して才人達と別れ、戦後処理を開始すべく己の職場へと向かった。
 
「……さてと、俺達はどうする?」
 
 隣のブリミルとルイズに、その事を問うてみると、
 
「……のんびりしたいわね。どうせ、ここに居てもやることなんてないんだし」
 
 そう言って、ブリミルが窓の外に視線を向けると、そこでは兵士達とメイジが協力して破壊された城壁の修繕を行っている最中だ。
 
「……でも、お城の中って何処もこんな感じよ? 落ち着ける場所なんて無いわ」
 
 肩を竦めながら告げるルイズに対し、ブリミルは暫く考えてから、
 
「じゃあ、ウエストウッドの村にでも行きましょうか? あそこなら、のんびり出来るし」
 
 言って、才人達の返事も聞かずに決定しようとするブリミルに対し、才人は待ったを掛けると、
 
「なあ、その前にさ。ちょっと用事があるんだけど」
 
「用事?」
 
 怪訝な表情で問うルイズに対し、才人は小さく頷くと、
 
「――先にカトレアさんの病気を治してあげたい」
 
 その言葉を聞いてルイズは驚愕に目を見開く。
 
「ちい姉さまの病気が治るの!?」
 
「ああ、その為の準備はしてきたからな」
 
 言って、胸元の指輪を確認する。
 
「そうね、じゃあルイズの実家に行きましょうか。諸侯軍のお礼も言わないといけないし」
 
 ウインドにその事を伝えてブリミルの転移魔法で一行はルイズの実家へと向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 戦争に勝利したことによって、いち早く兵役から解放された学生達は、早々に学業へと復帰を果たしていた。
 
 そして、彼らが学業に復帰したということは、学院に仕えるメイドであるシエスタの本業も復帰したということであり、厨房においては実際に現地へ行っていたシエスタに皆の注目が集まっていた。
 
 その中でも最も話題になっているのが、我らが剣である才人の活躍だ。
 
 シエスタ自身は直接見たわけではないが、彼女がルイズ達から聞き及んだ情報を料理長であるマルトー達に話す度に厨房は歓声に包まれた。
 
「ってえ事はなんだ? この戦争は、アルビオンに残った我らが剣とサティーの嬢ちゃん。それに我らが剣の知り合いっていうメイジ二人に、ミス・ヴァリエールのたった五人で終わらせたって事かよ?」
 
 さしものマルトーも信じられないといった風に零すが、実際に才人達だけが残り、そして戦争が終結している以上それは純然たる事実であり、またその事実はラ・ロシェールに風竜でやって来たルイズから直接聞いた話しである。
 
 それを聞いた厨房の一同は、尊敬よりも呆れたような表情で、
 
「……やっぱ、アレか? 凄ぇ奴の周りには、凄ぇ奴が集まってくるもんなのかな?」
 
 料理人の一人がそう告げると、シエスタの表情が曇る。
 
 ……なんの取り柄もない自分では、彼の近くに居ることさえ許されないのだろうか?
 
 それを察したマルトーが、発言したコックの頭を拳骨で小突き、
 
「じゃあ、我らが剣が帰ってきた時の為に、歓迎の準備でもしておくか!!」
 
 一斉に返事の返る中、マルトーは男臭い笑みを浮かべてシエスタの肩を優しく叩き、
 
「俺等は俺等なりのやり方で労ってやろうや」
 
 マルトーの励ましに、シエスタは笑みを持って応え己の仕事に戻っていった。
 
 シエスタの後ろ姿が見えなくなった後、マルトーは大きく溜息を吐き出し、
 
「ったくよー。ちゃんとシエスタの事も考えてやってくれよな我らが剣」
 
 ここには居ない才人に向け、そう愚痴を零した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ルイズの実家に到着した才人達は、ラ・ヴァリエール公爵の元へ赴くと、まずは借り受けた諸侯軍について礼を述べた。
 
 だが、ルイズの帰還は素直に喜んだものの、才人に対しては面白くなさそうに鼻を鳴らし、
 
「ふん、大層な活躍をしたそうではないか」
 
 才人達がロンディニウム城を落としたという話は、既に聞き及んでいる。
 
「しかも、わしの貸してやった兵隊を使わずに……、か」
 
 公爵が面白く無い点がそれだ。
 
 まるで、自分が兵を貸し与えなくても勝てたと、体現されたような気がしたのだ。
 
 才人は頬を引きつらせながら、
 
「いや、まあ成り行きって感じで」
 
 成り行きで勝てる程戦争が甘いものではない事くらい、公爵もよく知っている。
 
「ふん、まあ良い。面白くは無いが、武勲を挙げてきたのも事実だ。一応は歓迎してやる」
 
「は、はあ……」
 
 もう用は済んだとばかりに、才人に手を振って下がれと命じ、しかし共に席を外そうとしたブリミルを呼び止める。
 
「待ちたまえ」
 
「なんでしょう?」
 
「……君は、一体何者なのかね? こういってはなんだが、君の容姿はわしの娘に似すぎている」
 
 公爵のいう娘とは、ルイズのことではなく、その上の姉カトレアのことだ。公爵の言葉にブリミルは薄い笑みを浮かべ、
 
「さあ、ただの偶然だと思われますが?」
 
 スカートの裾を摘み、優雅な仕草で一礼してから部屋を後にした。
 
「……でも、きっとあなた驚くわ」
 
 部屋を出て、カトレアの元へ向かう途中、ルイズがブリミルに向けて口を開いた。
 
「何がかしら?」
 
「お父様も言ってたけれど、ブリミルさんって本当にちい姉さまそっくりだもの」
 
 誇るように告げるルイズに対し、ブリミルは微笑を浮かべ、
 
「それは会うのが楽しみね」
 
 ルイズの先導で向かった先、彼女が部屋のドアを開けると、突如雪崩のように現れた動物達が一斉に才人を押し潰した。
 
「また、このパターンか!?」
 
 下敷きにされた才人が抗議の声を挙げるが、勿論動物達にその抗議は受け入れられることはない。
 
「あら? その声はひょっとしてサイトさんかしら?」
 
「ちい姉さま!!」
 
 ルイズが喜びの声を挙げて部屋に飛び込んでいくと、そこにはベットに伏せたカトレアの弱々しい姿があった。
 
「まあ、ルイズ。よく無事で帰ってきてくれたのね」
 
 それでもカトレアは弱った身体にむち打って、親愛なる妹の帰還に立ち上がり歓迎しようとする。
 
「だ、駄目よ。ちい姉さま、無理しないで!!」
 
 ルイズが駆け寄り、カトレアをベットに押し戻す。
 
「ゴメンなさい。最近身体の調子が良くなくて……」
 
 訪ねてきてくれた客に対する非礼を詫びるカトレアであったが、その視線がブリミルで停まる。
 
「――まあ」
 
「ふふふ、ちい姉さま驚いた?」
 
「ええ、……あなた、お名前はなんていうの?」
 
 問われたブリミルは、僅かに緊張しながら、
 
「ブリミルです。ブリミル・ヴァルトリ」
 
 その名にカトレアは驚いた表情になりつつも、そっとブリミルの頬に手を添えて、
 
「本当。……あなた、ルイズそっくりね」
 
「……ちい姉さま?」
 
 外見はどう見てもルイズよりはカトレアに似ている筈であるブリミルに対し、ルイズは疑問の声を挙げるが、当の本人であるブリミルとしては姉の鋭さに驚異を覚えずにはいられない。
 
「ま、まあとにかく……」
 
 動物達を押しのけ、やっとの思いで脱出してきた才人が話に割り込むように、
 
「約束だった、カトレアさんの病気を治すアイテム。持ってきました」
 
 言って首に下げた鎖から水の先住魔法の込められた指輪を抜き取る。
 
「ルイズ、コップと水取ってくれ」
 
 言われた通りに、ルイズはサイドテーブル上にあった水差しからコップに水を注ぎ、それを才人に手渡す。
 
 コップを受け取った才人は、指輪を握った右手をコップの上に翳す。
 
 目を閉じ、精神を集中させた才人の額のルーンが輝きを放つ。
 
 すると指輪が溶けだし、指輪の雫が一滴コップの中に落ちた。
 
 才人は大きく息を吐き出して、手の中の指輪にまだ宝石が残っていることを確認すると、今度は安堵の吐息を吐き出し、
 
「どうぞ。――これを飲んでもらえば、病気は治ると思います」
 
「……毒じゃないでしょうね?」
 
 ルイズが警戒して問い掛けるが、才人は苦笑を浮かべ、
 
「大丈夫だって、俺が大怪我負って死にかけた時に、この指輪のお陰で助かったんだぜ?」
 
「そうなの?」
 
「ああ、こいつはな先住の魔法が凝縮された物で、強い治癒力を持ってるんだ。本来は翳して使うんだけど、より強い回復力を得るために今回は還元したものを飲んで貰う。
 
 こっちの方が効果としても高いんだよ」
 
 ルイズを安堵させるように告げ、その言葉でルイズも納得したのか、才人からコップを受け取りそれをカトレアに手渡した。
 
「これを飲めば良いのね?」
 
 カトレアは才人の了承を得ると、躊躇い無くその水を飲み干す。
 
 やがて外見的には、さほどの変化は見られなかったが、カトレアは一息を吐くとベットから降りて己の足で立ち上がって才人の手をとり、
 
「凄いわ。嘘みたいに身体が軽くなったの。――今なら全力で走る事も出来そう」
 
 元々色白の為、分かりにくかったが、よく観察してみるとカトレアの顔色は良くなっており、今まで感じた事のない身体の軽さに昂揚しているのか、頬が上気して桜色に染まっている。
 
 カトレアの快気にルイズは我が事のように喜び、早速この事を両親に伝えようと部屋を飛び出していった。
 
 そのルイズのはしゃぎっぷりが嬉しかったのだろう。カトレアも満面の笑みを浮かべ、
 
「そうだわ。なにかお礼をさせて頂戴」
 
 言って部屋を見渡し、才人にプレゼント出来るような物を探すが、才人はそれをやんわりと断り、
 
「いや、そんなのいいですよ。カトレアさんが元気になってくれただけで充分です」
 
「そんなの悪いわ」
 
 そんな押し問答を繰り返している内に、ルイズが両親を伴って部屋に帰ってきた。
 
 カトレアは才人との話を一旦置き、入室してきた両親に事の次第を打ち明け、彼に何かしらお礼をしたいと告げた。
 
 彼女の話を聞いて、喜んでいたラ・ヴァリエール夫妻は神妙な表情で頷くと才人に向き直り、
 
「なるほど、良くやってくれた」
 
 そう言って執事を呼び、何事かを言付け、
 
「褒美を取らせる。今日はゆっくりとしていくがいい」
 
 それだけを言い残し、再びカトレアとの会話を開始する。
 
 絶えず頬の弛みっぱなしだった公爵を見て、才人は肩を竦めながら、
 
「ホントに嬉しそうだなあ」
 
「そりゃ嬉しいわよ。自分の娘が元気になったんだもの。嬉しくない筈がないじゃない」
 
 ブリミルに急かされカトレアの部屋を後にする。
 
「まあ、親子の団らんに野暮は無しって事でね」
 
「……お前は良いのかよ?」
 
 居心地が悪そうに尋ねる才人に対し、ブリミルは笑みを浮かべると、
 
「大丈夫よ。わたしの世界にもちゃんとちい姉さまは居るもの」
 
 そんな事より、と前置きし、
 
「……これからどうするの?」
 
「どうする? って言われてもな。取り敢えずアルビオンのゴタゴタが片付くまでは、解放されそうにないしなあ」
 
「かと言って、受けに回ればジョゼフに攻められるわよ」
 
 確かに、ジョゼフの戦略眼はかなりのものだ。
 
 今回はジョゼフの予想を大きく外れる程の大戦力が加勢してくれたから、裏をかけたが、次からはブリミル達の戦力さえ折り込み済みで襲撃してくるだろう。
 
「……そうは言ってもな、下手に大事にすると国家間戦争になっちまう。そうなったら、トリステインに勝ち目はねえぞ?」
 
「まあ……、ね。でも、あんたちゃんとその為に動いてたでしょ?」
 
 ブリミルの言葉に、才人の眉が僅かに反応を示す。
 
「――タバサの事か?」
 
「ええ。あの娘を前面に押し出しての争いとなれば、それはあくまでガリア国内での謀反ってことになるわ。
 
 それだと、如何にジョゼフといえどトリステインに手を出すわけにはいかない」
 
「……別にそこまで考えて、タバサに協力してたわけじゃねえよ。――ただ、ジョゼフのやり方が気に入らなかっただけだ」
 
 眉をひそめて不機嫌そうに語る才人に対し、ブリミルは小さく溜息を吐き出すと、
 
「冗談よ。――あんたがそんな計算高い人間じゃないことくらい充分知ってるわ」
 
 そう言われて肩を竦める才人。そして彼は真面目な表情で、
 
「明日はジョゼットを迎えに行かないか? ロマリアが動くのは、多分ジョゼフを倒した後になるだろうから、それよりも先に手を打っておきたい」
 
 それは誘拐や拉致に等しい行為であるが、そんな事を気にしていられる余裕が無い。
 
「分かったわ。家族の対面の為に、汚れ役を引き受けましょう」
 
「……そんな言い方すると、凄く自分を正当化出来るな」
 
「ようは気の持ちようって事よ」
 
 言って、自分に宛われた部屋のドアを開けブリミルは才人に就寝の挨拶をして別れた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 トリステイン魔法学院の正門脇で寂しそうに膝を抱えて、じっと街道を見つめ続ける少女がいた。
 
 タバサによって作り出された才人の娘、ホムンクルスのナイである。
 
 才人の言い付けを守って、シエスタ達と共に魔法学院にまで戻ってきたが、肝心の父親である才人が何時まで経っても帰ってこない。
 
 彼の帰りを待ち侘びたナイは、朝、日が昇ってから夜、日が沈むまで雨の日も風の日も、ずっと才人の帰りを待ち続けていた。
 
 流石にそんなナイの事をいじらしく思ったシエスタを始めとした使用人達や、女子生徒達、そして使い魔達までもが何かとかまってやるのだが、ナイの表情に笑顔は戻らなかった。
 
 そうして一ヶ月も経った頃、遂に見かねたマルトー親父がシエスタに一つの命令を下した。
 
「一ヶ月の休みをやる。……あの娘を我らが剣の所へ連れてってやんな」
 
「え? ……料理長?」
 
「おめえも会いてえんだろ?」
 
 マルトーの思いやりに、感謝しながらシエスタは深々と頭を下げた。
 
 そしてシエスタは厨房を飛び出し、その足で正門前で座り込んでいるナイの元へ赴くと、
 
「ナイちゃん!」
 
 荒い息を整えながら、
 
「一緒にサイトさんを迎えに行きましょう!」
 
「……おとーさん、迎えに?」
 
「ええ、そうよ」
 
 頷き返すシエスタに向け、ナイは強い意志を感じさせる瞳で、
 
「行く」
 
「うん。……じゃあ、早速準備しましょうか」
 
「……うん」
 
 こうして、その日の内に二人は学院を出てアルビオンへ向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 同時刻、セントマルガリタ修道院。
 
 そこに、何の前触れも無く三人の男女が現れた。
 
「……修道院?」
 
 人を迎えに行くと聞いて付いて来たルイズは、やって来た場所が修道院である事に小首を傾げる。
 
 客が珍しいのか、自分達の事を物珍しそうに見てくる修道女達を無遠慮な眼差しで見渡すのはブリミルだ。
 
「……しまったわ」
 
「何だよ」
 
 眉根を寄せて舌打ちするブリミルに対し、才人は胡乱げな眼差しを向けて問い掛ける。
 
「顔忘れた」
 
 なにしろジョゼットの偽りの顔とは短い間の付き合いしか無かったのだ。銀髪であったような覚えはあるが、それ以上の記憶はない。
 
「おい……」
 
「名前、分かってるんだから大丈夫よ」
 
 楽観的に答え、コモンマジックである拡声の魔法を起動。
 
「ジョゼット! 居たら返事をしてちょうだい!」
 
 大声で叫びを挙げる。
 
 まず現れたのは件の少女ではなく、修道女達の世話をする修道院長だった。
 
「いったい何事でしょか?」
 
 不安げな顔つきで現れた修道院長に対し、ブリミルは自信に満ち溢れた表情で、
 
「こちらにいらっしゃるジョゼットという名の少女を、彼女の母君に頼まれ連れ戻しに来ました」
 
「……母さん?」
 
 ブリミルの声を聞いてフラフラとした足取りで姿を見せたのは長い銀髪の小柄なシスターだ。
 
 本人を目の前にして、ようやく顔を思い出したブリミルが彼女に手を差し伸べ、
 
「えぇ、貴女のお母様とお姉様がお待ちになってるわ」
 
「お、お待ちください! ここに居る修道女達を連れていかれるには、それなりの立場のお方達の許可が必要なのです」
 
 そう言われるであろう事は予測済みだ。
 
 ブリミルが一瞬だけ才人に視線を送ると、才人もそれで合点がいったのか一歩前に出て、
 
「えーと、それでしたらこちらの方に書類がですね……」
 
 言って、ポケットを漁る仕草を見せる。
 
 その隙にブリミルが小さく詠唱を開始。
 
 高速言語で唱えるのは忘却の魔法だ。
 
 僅か五秒に満たない時間で詠唱を完成させたブリミルが小さく杖を掲げると、集まっていた者達の頭上に雲のような物が現れ、彼女達の記憶からジョゼットに関する物だけを綺麗に消去してみせた。
 
「はい、じゃあ皆、解散して」
 
 ブリミルの言葉に従い、怪しげな足取りでその場を去って行く修道女達。
 
「じゃあ、行きましょうか。――詳しい話は、向こうで話させてもらうわ」
 
 有無を言わせぬままジョゼットの手を取り、ブリミルは瞬間移動の魔法を発動させた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そして彼らがやって来たのはゲルマニアとトリステインの国境にあるツェルプストー家の領地。
 
 そのすぐ隣は、ルイズの実家があるヴァリエール家の領地だ。
 
「……今度は何処よ?」
 
 何も情報を与えられず、連れ回されるだけのルイズが不機嫌そうな声色で告げる。
 
 その問い掛けに対し、才人は気にした様子もなく、
 
「ん。キュルケの実家」
 
「キュルケの……? そんな所に何の用よ?」
 
 基本的にヴァリエール家とツェルプストー家の仲は悪いのだ。
 
「正確に言うと、タバサの母ちゃんとタバサにだな」
 
 ますます意味が分からない。
 
 困惑しているのはジョゼットも一緒で、今は彼女が逃げ出さないように、とブリミルがジョゼットの手を取り歩いている。
 
「……所で、タバサのお母様の部屋って何処なの?」
 
 取り敢えず適当に進んでは来たが、以前の時と同じ部屋で良いのだろうか?
 
「何でお前、知りもしないのに、自信満々で先頭切って歩いてんだよ……」
 
 才人は呆れたような溜息を吐き出し、屋根裏や床下の鼠達に場所を問うてみる。
 
「こっちだ」
 
 早足でブリミルの前に出て、今度は才人が先陣を切って歩く。
 
 そして辿り着いたドアをノックすると、陽気な返事が返ってきた。
 
「はーい、なのねー♪」
 
 その口調や声色からして間違い無くシルフィールドだろう。
 
 元気にドアが開き、そこに居るのが才人だと知ると、驚きに目を見開き、
 
「きゅいきゅい! お兄様なのね!」
 
 言った瞬間、シルフィードの身体が吹っ飛び、代わりにタバサの小さな姿が才人の目の前にあった。
 
「こ、このチビ助、とんでも無い事をしてくれるのね!?」
 
 抗議の声を挙げるシルフィードを華麗に無視して、才人の手を引き部屋の中に引き入れるタバサだったが、席に着いた所でようやく見た事の無い顔が二人ほど居る事に気が付いた。
 
「……誰?」
 
「あぁ、こっちの桃色の髪の方が俺の前のご主人様でブリミル」
 
 その名を聞いて、タバサは母娘共々僅かに目を見開いて驚きを示す。
 
 ……が、この後に控えた驚きに比べればそのようなもの些細なものだ。
 
 ブリミルと目配せした才人がジョゼットの首に提げられた聖具を模したマジックアイテムの効果を一時的に封印する。
 
 すると、聖具によって顔を変えられていたジョゼットは、タバサそっくりの顔になった。
 
 違うとすれば眼鏡を掛けていない事くらいだろうか。
 
 意味が分からず呆然とするタバサと、おおよその事を理解し言葉を無くすオルレアン夫人。
 
 一人意味の分かっていないジョゼット本人にブリミルは手鏡を渡して彼女の現状について説明する。
 
「さ、サイト様……、もしやこの娘は……」
 
「えぇ、お察しの通り、タバサの双子の妹。……今はジョゼットと名乗っています」
 
「あぁ……!?」
 
 オルレアン夫人は覚束無い足取りで椅子から立ち上がると、名前を付ける事さえ許されずに別れざるをえなかったもう一人も我が子を力一杯抱き締めた。
 
「許してちょうだい。……あなたを救う事の出来なかった無力な母を」
 
「母さん……?」
 
 何もしてあげる事の出来なかった不出来な自分を、それでもなお母と呼んでくれるジョゼットに対し、オルレアン夫人は悔恨の涙を流す。
 
「……わたしの妹?」
 
「そうよ」
 
 呆然と呟いたタバサの声に答えたのはブリミルだ。
 
「ガリア王家の二つの交差した杖の紋章は、かつてその王冠を巡って争い、共に斃れた双子の兄弟を慰めるもの。
 
 それからよ、ガリアの王族にとって双子が禁忌になったのは……」
 
 だからこそ、オルレアン夫人は彼女をセントマルガリタ修道院に預けざるをえなかった。
 
「約束してもらえますか? オルレアン夫人。……二度と彼女達を手放さないと」
 
「はい……。勿論です……」
 
 その答えに満足したブリミルは、暫し親子同士で話し合ってもらおうと未だ混乱の極致にあるシルフィードを引き摺って部屋を辞した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ふーん……。タバサの双子の妹……、ねぇ」
 
 静かな眼差しで紅茶を飲むブリミルを見つめるのは、この屋敷の娘キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーだ。
 
 ここは重傷を負ったコルベールに宛がわれた部屋であり、彼の見舞いに訪れたおり、丁度キュルケも在室していたので、一連の説明を終えた所である。
 
「ねぇ、サイト。一つ質問があるのだけど」
 
「ん?」
 
 取り敢えず才人は食べかけだった口の中のお菓子を飲み込んでキュルケに向き直り、
 
「何だ一体?」
 
「彼女……、何者なの?」
 
 先程施されたブリミルの治癒魔法により、コルベールの怪我は完全に癒えている。
 
 例え、水のスクエアメイジであろうとも、ここまで完全に傷を癒す事は不可能だ。
 
 それを成した上に、ガリア王家の極秘事項を知る女性。
 
 興味本意で聞いたのではなく、用心と警戒の為の問い掛け。
 
 だというのにも関わらず……、
 
 ……どうして無条件で信用出来るって思ってるのかしらね?
 
「俺の前のご主人様。ぶっちゃけ虚無の正当後継者なんだけど」
 
 その言葉で、何故才人が色々と虚無について詳しいのかが理解出来た。
 
 それに、才人の元主人であるならば、それだけで信用に値するだろう。
 
 その後、当たり障りのない雑談をしていると、タバサとジョゼットを連れたオルレアン夫人がコルベールの部屋を訪れた。
 
「この度は、なんとお礼を申し上げていいか……」
 
 深々と頭を下げるオルレアン夫人に対し、才人は焦った様子で、
 
「いや、そんな……。気にしないでください。
 
 こっちとしても、ジョゼフを倒した後で結構無理を言うと思うんで」
 
「兄王様を……」
 
「はい……」
 
 神妙な表情で才人が告げる。
 
 何としてもジョゼフの狂気を止めないとロマリアが聖戦を発動しかねない事。
 
 そうなれば、エルフとの全面戦争が勃発し、ハルケギニア中で甚大な被害が出る事。
 
 そして、ジョゼフが死んだ後、虚無の系統に目覚めるであろう存在がジョゼットである事。
 
「この娘が……、虚無の担い手」
 
 呆然とするオルレアン夫人に対し、ブリミルが小さく頷くと、
 
「あくまで、その可能性がある。というだけの話ですが、まず間違い無いだろうと思います。
 
 ……そして、自らの意に添わないジョゼフよりもロマリアはジョゼットを担い手に担ぎ上げようとするでしょう」
 
 そうならない為にも最大限の努力はするが、万が一の場合は貴女達が彼女の身を守ってあげてほしい。とブリミルは締めくくり、才人とルイズを伴ってツェルプストーの屋敷を後にした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その頃、アルビオンでは彼の国の行く末を決めるべくトリステイン・ゲルマニアの王達が訪れ諸国会議が行われていた。
 
 諸国会議において、まずは連合軍を率いたウインド総司令の正体を明かすことから始まった。
 
 集まった王族達に対し、ウインドはその顔に着けられた仮面を外し、素顔を露わにする。
 
 そこにいたのは、革命時に行方不明となった筈のアルビオン王族、ウェールズ皇太子の姿だった。
 
 これにより、この諸国会議におけるパワーバランスが著しく狂いをみせた。
 
 本来ならば、なんの力も持たなくなったアルビオンを、連合軍として戦争に参加した諸国が、アルビオンの資源を好きに取り分ける予定であったのに対し、その連合軍を指揮していた総司令官がアルビオン王家の皇太子、ウェールズであると打ち明けられたのだ。
 
 最終的にレコン・キスタを崩壊させたのは僅か五人の兵達であったが、それまでにこの戦争でアルビオン軍を相手に勝利目前まで追い詰めたのは間違いなく、ウェールズ率いる連合軍である。
 
 それを否定するということは、自国の軍隊が戦争において特に目立った働きをしなかったと宣言するようなものであり、それを言ってしまったが最後、この会議において役立たずのレッテルを貼られ、ロクな報償を貰い受ける事が出来なくなってしまう。
 
 だというのに、最も活躍してみせたトリステインはアンリエッタとウェールズの関係からさして大きなものを要求することはなかった。精々戦争によって損失した分を補給する程度の要求止まりである。
 
 そうなってしまうと、トリステインほどに活躍をする事が出来なかったゲルマニアとロマリアとしては、トリステイン以上のものを要求することなど出来よう筈もなく、もし実際に要求すれば恥知らずの強突張りして後代まで汚名を着ることなるため、ろくな戦果を得ることが出来なかった。
 
 よってアルビオンは多少の土地を取られはしたものの、本家筋の王族であるウェールズを王としてアルビオン王家を復興させ、従来通りの統治を再開させることで落ち着いた。勿論、敗戦国である以上、他国に賠償金を支払わねばならないが、それらはレコン・キスタに付いた貴族達の財産や領地を没収した分を割り当てる事で解決した。
 
 更に攻め込んできたガリア空軍の生き残った兵士達に関してだが、従順を示す者達はトリステインとアルビオンの軍に配属され、それ以外の者達は強制労働とされることが決定している。
 
 こうして、二週間にも及ぶ諸国会議を終了したロンディニウム城に、才人達は呼び出されていた。
 
 執務室には、この部屋の主人であるウェールズとトリステイン女王のアンリエッタ。そして、才人、ルイズ、ブリミル、テファの六人が集まっていた。
 
 全員が揃ったのを確認すると、ウェールズが深々と才人達に頭を下げ、
 
「此度の尽力、本当に助かった。改めて礼を言わせて欲しい」
 
「いや、だから頭上げて下さいって!?」
 
 言われ頭を上げたウェールズは、懐から一枚の書簡を取り出すと、それを才人に渡す。
 
「これは、僕からの贈り物だ。――どうか、貰ってもらえないだろうか?」
 
 受け取り、才人がその書類を読みとって驚きの声を挙げる。
 
「えーと、……アルビオンの貴族に任命!! しかも、公爵ッ!?」
 
 予想外の出来事に、ルイズとブリミル、そしてティファニアもその紙を覗き込む。
 
 かつて男爵の爵位を貰えそうになった事はあったが、最終的にはシュヴァリエ止まりだった。
 
 とはいえ、貴族の礼節の面倒臭さ、成り上がりに対するやっかみ等を知ってしまった今となっては、この出世を素直に喜べない。
 
「……ホントね。でも、良いんですか? 平民を貴族にするだけでも問題があるのに、いきなり公爵なんて」
 
 そもそも公爵とは王家の血筋でなければ拝領を許されない地位だ。
 
 通常ならば平民から公爵など、天地がひっくり返ろうとも有り得ない。
 
「本当なら、僕の代わりに王様になって貰いたいと思っているんだがね」
 
 苦笑を浮かべ、
 
「レコン・キスタの反乱と、この戦争でアルビオンにいる殆どの貴族が居なくなってしまってね、優秀な人材を一人でも多く欲しいと思っているんだ」
 
 その為にも古い慣習を打破する切欠が必要だ。それが才人の公爵の爵位であり、今後は平民や下級貴族であろうとも優秀な人材であるのならばドンドン貴族として任命していくつもりである。
 
 何しろそうでもしないと、立て直せないほどにアルビオンという国は疲弊しているのだ。
 
 続いてウェールズはティファニアにも書簡を手渡す。
 
 そこには階級こそ違うものの、侯爵の階級を授けると明言されていた。
 
 ルイズはトリステインの貴族なので、アルビオンの爵位を授けるわけにはいかないため、代わりにアンリエッタから勲章が贈られることになった。
 
 そしてブリミルに関してだが、一国に虚無の担い手が集中しすぎると良くないという観点から彼女には勲章や爵位などが与えられる代わりに、結構な額の報償を与えられた。
 
 これによって、当初城の方でウエストウッドの村の孤児達を預かって貰う予定だったものが、使用人付きの屋敷と年金を貰えるということで一気に解決することになった。
 
 ルイズにしても、これは嬉しい事だった。自分の事ではなく、才人が貴族になったことが、だ。
 
 これで、彼がハルケギニアに未練が出来てくれれば、自分の世界に帰らずに、こちらの世界に居着いてくれるのではないかという期待がある。
 
 そんな複数の思惑が絡み合う中、ブリミルが口を開いた。
 
「ウェールズ皇太子とアンリエッタ王女。――お二人にお願いが御座います」
 
 片膝を着き、頭を垂れて告げるブリミルに、二人は一瞬だけ視線を交差させると同時に頷き話の続きを促した。
 
「現在、ハルケギニア大陸において始祖の遺産を巡る争いが表面化しつつあります」
 
「始祖の遺産?」
 
「はい。……それがどのような物かは言えません。――あれは本来、人が手にするような物ではないのです。
 
 ですが、それを狙う虚無の担い手があります」
 
「……虚無の担い手が、貴女達以外にもいると仰るのですか?」
 
 神妙な顔つきで尋ねるアンリエッタに対し、ブリミルは首肯すると、
 
「ミス・ヴァリエールとテファを除き、今の所、後二人……。更に、その素質を持つ者が一人」
 
「まあ、なんて事!?」
 
 驚きの声を挙げるアンリエッタを制し、ブリミルは更に話を進める。
 
「その二人は共に野心を持ち、始祖の遺産を欲しようとしております」
 
「……もし、それをそのどちらかが手に入れれば、どうなると予測する?」
 
 ウェールズの問い掛けに対し、答えたのはブリミルではなく才人だ。
 
「片方は世界を滅ぼそうとするだろうし、もう片方はエルフに全面戦争を仕掛けようとするでしょうね。
 
 どちらの手に渡ったとしても、多くの犠牲が出ることになります」
 
「……その二人の担い手の正体は分かっているのですか?」
 
 アンリエッタとウェールズが息を呑む中、ブリミルの唇が開く。
 
「一人はガリアの無能王ジョゼフ。もう一人はロマリアの新教皇ヴィットーリオ・セレヴァレ」
 
 二人共、恐ろしいまでの権力者だ。
 
 例え虚無の力が無かったにしても、今の疲弊したトリステインとアルビオンに勝てる相手ではない。
 
「始祖の後継者として二人の野望を停める為、組織を設立したいのですが、その為の許可を頂きたいのです」
 
「……組織ですか?」
 
「はい。国家間での争いとなれば、不利となります。ですから少数精鋭による隠密行動隊の組織を」
 
 ブリミルの言葉にアンリエッタが周囲を見渡すと、才人、ティファニア共に強い眼差しでアンリエッタに視線を向けていた。
 
 そこに込められた意思を読みとり、アンリエッタは深々と頷くと、
 
「分かりました。では、ブリミル様を主導者とした組織の設立を許可します」
 
 言って、アンリエッタは杖を振るい羊皮紙に筆を走らせる。
 
「トリステイン女王、アンリエッタの名において、あなたに国内外へのあらゆる場所への通行と、警察権を含む公的機関の使用、そして必要とあらば徴兵の権利を授けます」
 
 続いてウェールズが、
 
「アルビオン国王、ウェールズの名において、同様の権利をあなたに授けよう」
 
 二通の書簡がブリミルに手渡された。
 
 彼女はそれを受け取ると、深々と一礼し、
 
「必ずや、ハルケギニアに平和をもたらすことを、始祖ブリミルの名の下に誓います」
 
 彼女の言う始祖ブリミルとは、あくまでも初代の虚無の担い手である始祖ブリミルに対して誓うのであって、ブリミル教の教えの元、彼の教義に誓うのではない。彼女の求めるものは、ブリミル教の求めるものとは対極に位置するものだ。
 
 だから彼女が誓うものは、己の内にある始祖の血脈に対して。
 
 その事を理解している才人とティファニアは彼女と同じように、この場で誓いを立てた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ウェールズの執務室を後にした才人達は、食事の為に城下町の食堂を訪れていた。
 
「取り敢えず、これで孤児達の問題に関しては一段落したわけだけど――」
 
 ブリミルは視線を才人に移し、
 
「……あんたね、そんなに簡単に爵位を受けて帰る時にどうするつもりよ?」
 
「いや、つい流れ的に……」
 
 まるで非難するような物言いに、ルイズは立ち上がってブリミルに抗議の声を挙げた。
 
「何よ!? 別に才人が貴族になったって良いじゃない!!」
 
 ブリミルは驚きに目を見開き、
 
「……あんた、本気で言ってんの? 爵位なんて貰ったら、才人が自分の世界に帰る時に未練が出来ちゃうかもしれないじゃない。
 
 それにね、そういう成り上がりは古い貴族達に目の敵にされやすいのよ。
 
 ……命狙われた事もあるでしょ?」
 
「……根は良い奴らだったんだけどな」
 
「ボロ剣砕かれて、大泣きしたでしょ?」
 
「先生って凄ぇよな。直ったと思ったらパワーアップしてんだぜ」
 
 余り堪えた様子も無く気軽に返す才人に、溜息を吐き出し、矛先をルイズに変える。
 
「それに、才人が居なくなった後で、その領地は誰が責任を持って管理するのよ?」
 
「ずっと、この世界に居てもらえば良いじゃない!」
 
 その言葉にブリミルがキレた。
 
 彼女も椅子を蹴倒して立ち上がり、
 
「ふざけたこと言わないで!! 才人の世界には彼の両親も友達も居るのよ!? 彼に全てを捨てろっていうの?」
 
「こっちの世界にも友達は居るじゃない! それにハルケギニアにとって才人は無くてはならない人材だわ!」
 
 激しい口論に、店内の客達の視線が才人達のテーブルに集まるが、ヒートアップしている二人は一向に気にしない。
 
「異世界の人に頼ろうとするのが間違いなのよ! 自分の世界の事くらい自分達で解決出来ないようじゃ、才人が何時まで経っても安心して自分の世界に帰ることなんて出来やしないわ!
 
 彼は絶対に、自分の平和な世界で幸せに暮らすべきなのよ!」
 
「こっちの世界でだって、幸せになれる! わたしがしてみせる!!」
 
 言い切ったルイズに対し、ブリミルは悲しげな表情で力無く首を振ると、
 
「……あなたには無理よ」
 
 ……そう。自分と一緒にいれば、才人を戦いの人生へと導いてしまう。そんなのは、決して彼の幸せとはいうまい。
 
 その諦めきったような表情に何を見たのか、ルイズは全力でブリミルの想いを否定した。
 
「勝手に決めつけないで!!」
 
 ルイズは憎しみさえ籠もったような眼差してブリミルを睨み付け、
 
「――わたし、絶対、あなただけには負けない!!」
 
 そう言い残し、ルイズは店を出ていってしまった。
 
 ルイズの出ていった扉と眼前のブリミルとを見比べていた才人だが、ティファニアと視線が合うと彼女が頷いてくれたので、この場を彼女に任せて才人はルイズの後を追った。
 
「……参ったわ。自分に敵意を向けられるとは思いもしなかった」
 
 少なからず、ショックを受けた様子のブリミルを慰めるようにティファニアが口を開く。
 
「でも、どちらの言い分も正しいと思います」
 
「……うん。それは分かってる。――けど」
 
 躊躇い、
 
「やっぱり羨ましいのね、あの娘のことが」
 
 あの迷いのない眼差しを思い出す。
 
 自分が才人を幸せにすると言い切った、かつての自分を……。
 
 あの娘は強い。単純な強さということであれば、自分は強くなったと思うし精神的にもかなり鍛えられたと思う。
 
 だが、今のルイズ程の真っ直ぐな強さは無い。
 
 未来を知ってしまっている自分は、どこかで出来ることと出来ないことの句切りをつけてしまっているのかもしれないのに対し、ルイズにはそれが無い。
 
 あの娘は、もう選択したのだろう。この世界で才人と共に幸せになるということを。
 
 ――だが、ブリミルでさえ気付いていない。
 
 今のルイズにあるのは純粋な強さではなく、才人への依存からくる固執であるということを。
 
 才人をこの世界に留める為ならば、彼を他の女性達と共有することでさえ、やぶさかではないという程の決意さえある。
 
 そんなことは知らず、ブリミルは窓の外に視線を移しルイズを追った才人がどのような選択をするのか、その答を思い悩んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 店を出たルイズを追いかけた才人は、街の中央にある噴水の前で膝を抱えるルイズの姿を発見した。
 
 憤りながらも、今にも泣きそうに目尻に涙を溜めたルイズを見て、才人は溜息を吐き出し、
 
「何やってんだよ?」
 
「……だって」
 
 才人はルイズの隣に腰を降ろすと、
 
「まあ、あいつの言い分も分かってやってくれ」
 
「……分かんないわよ。そんなの」
 
 才人は遠くを見つめつつ、
 
「ブリミルはな、責任感じてんだよ」
 
「……責任?」
 
「ああ。俺をハルケギニアに召還しちまった責任をな。
 
 だから、何としても俺を元居た世界に帰そうとしてくれてる。――あいつだって、本当は別れるのは辛い筈なんだ」
 
 才人の言葉に、暫く考えていたルイズだが、やがて頭を上げて彼の目を見つめると、
 
「……あんたはどうしたいの?」
 
「……俺は」
 
 言葉に詰まりながらも、
 
「……俺は帰るよ。それが泣きながら俺を帰そうとしてくれたブリミルへの答えだと思うから」
 
「違う!」
 
 才人の出した答に納得のいかなかったルイズが叫ぶ。
 
「違うの! それは才人の意思じゃないでしょ!? それはあの人の意思を尊重してるだけよ! 確かにそれは優しい事だと思うけど、才人自身はどう思っているか、わたしは知りたいの!?」
 
「……俺自身の答え?」
 
 言われ、考える。
 
 ルイズの言うとおり、地球に帰りたいという思いは自身のものではなくブリミルへの想いを形にしたものかもしれない。
 
 ……ならば、自分はどうしたいのか?
 
 両親や友人達にもう一度会いたいとは思う。……だけど、
 
「…………」
 
 長い黙考の末、才人よりも先に口を開いたのはルイズだった。
 
「ゴメンね。……わたしの我が侭かもしれないけれど、でもわたし――、才人と一緒に居たいの」
 
 そう言って、才人の胸元に自分の額を押し当ててくる。
 
 才人はそんなルイズが堪らなく愛しく思い抱き締めようとするが、その脳裏にブリミルの寂しそうな表情が過ぎり、手を停めてしまう。
 
 そのままの体勢で暫く思案した後、才人はルイズの肩を掴んで己の胸元から引き離すと、
 
「……悪い。俺、まだ答えを出せそうにない」
 
 辛そうな表情で告げる才人に、ルイズも同じような顔になるが、それでも気を取り直すと、
 
「……良いよ。一生のことだもん。良く考えて答え出さないと」
 
 そう告げるが、まだ諦めたわけではない。
 
 これで、才人の決断に迷いが出来たことは事実だ。
 
 幸い自分には、多くの同士とも言うべき少女達が居る。彼女達の協力を取り付け何としても才人にはハルケギニアには残ってもらわなければならない。
 
 ……最悪の場合、最大の障害であるブリミルを殺すことになろうとも。
 
 そこまでルイズが思い詰めていることは、まだ誰も知らない……。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ティファニアとウエストウッドの子供達が、彼女に与えられた領地へ引っ越す事が決まった日、才人も引っ越しの手伝いをしようと思っていたのだが、それはブリミルによって却下された。
 
「……何でだよ? 男手があった方が、良いに決まってるだろ?」
 
 そう告げる才人に対し、ブリミルは呆れた表情で、
 
「使用人付きで領地と屋敷貰ってるんだから、人手なんか有り余ってるわよ」
 
 溜息を吐き出し、
 
「それよりも、あんた自身、今まで一度も自分の収める領地に行ってないでしょうが!?」
 
「い、いや、何て言うか行った所で、何にもすることがないんじゃないかなー……、とか思って」
 
 ド・オルニエールの領主となった時は、散歩くらいしかやる事が無かった。
 
 だが、今回はあの時とは規模が違う。
 
「大有りよ! 税率の調整とか領民の苦情処理とか、やること山盛りでしょうが!」
 
 まるで貴族の自覚が無い才人に、うんざりとした溜息を吐き出し、
 
「……ルイズ、悪いけどこいつの世話お願いね」
 
「……え?」
 
 突然、話を振られて驚くルイズを尻目に、
 
「わたし、組織設立の根回しで忙しいもの。――ちなみに、あんた達も組織の一員だから」
 
「まあ、それは良いけどな」
 
「……わたしも含まれてるの?」
 
「当然でしょ? あんたも担い手なんだから、しっかり働いてもらうわよ」
 
 ブリミルの放つ妙な迫力に気圧され、頷いてしまうルイズ。
 
 そして二人と別れ、ウェールズに借り受けた馬にサティーとルイズが跨り、才人がジルフェに乗ってロンディニウム城を後にしようとしたその時、上空から四匹立ての竜籠が舞い降りた。
 
 竜籠に刻まれた家紋を見てルイズが驚愕に目を見開く。
 
 そこから降り立ったのは二人。
 
 一人は先日実家に帰った時にあったルイズの上の姉、カトレア。
 
 もう一人はルイズの一番上の姉、エレオノール。
 
 エレオノールは才人の元に赴くと優雅に一礼し、
 
「サイト様、此度の活躍まことにおめでとうございます。
 
 それだけではなく、ルイズの守護とカトレアの病まで治していただいたと聞き及び、不承このエレオノール、ラ・ヴァリエール家長女として遅ればせながらも祝辞とお礼に参りましたしだいです」
 
 才人は慌ててジルフェから降りると、
 
「あ、……いや、そんな大した事してませんから、そんなに畏まらないで下さい」
 
 そう告げる才人に対し、エレオノールは潤んだ瞳で彼を見つめ、
 
「そんな謙遜する事は御座いませんわサイト様」
 
「あ、あの……、お姉さま? どうしてこのような場所まで?」
 
 横から問い掛けるルイズを一瞥すると、エレオノールは手を叩いて従者を招き、背負っていた大振りな箱を才人に差し出させる。
 
「えっと……、これは?」
 
 戸惑う才人に対し、エレオノールは再び一礼すると、
 
「我が妹を病より助けていただいたお礼とお思い下さいませ」
 
 そう言えば、そのような事を公爵が言っていたような気がする。
 
 エレオノールが慎重に箱の封を解くと、そこから現れたのは白銀に輝く軽装鎧だった。
 
 才人の武器の一つであるスピードを殺さぬよう、全身鎧ではなく軽装鎧をチョイスし、尚かつ幾重にも軽量化と硬化の魔法を重ね掛けした代物だ。
 
 実用一辺倒の代物ではなく、各部に金細工によって意匠が施されており芸術品としても価値があることが伺い知れる。
 
「どうぞ、お受け取り下さいますよう」
 
 カトレアとエレオノール。二人が同時に頭を垂れる。
 
 ルイズは才人の脇を突つき、
 
「丁度良かったじゃない。領民の初顔見せに威厳が出来るわよ」
 
「……そりゃ、そうだけどさ」
 
「どういうことかしら? ちびルイズ」
 
 怪訝な眼差しで問い掛けるエレオノールに対し、ルイズは満面の笑みを浮かべると、
 
「サイトがね、ウェールズ王から直々に爵位と領地を頂戴したの!」
 
 その言葉を聞いたエレオノールは驚きに、しかし喜びに満ちあふれた表情で、
 
「まあ、爵位ですって!? それでどのような位を?」
 
「公爵なの! これでお父様もサイトの事をお認めになってくださるわ!!」
 
「まあ、まあ、まあ。それは素晴らしいことですわサイト様!」
 
 まるで我がことのように喜ぶルイズとエレオノールに、むしろ才人は困ったような表情で相づちを打つ。
 
「……は、はあ」
 
「では、早速お着替えになって下さいまし」
 
 言って、エレオノールの指し示す方向。
 
 そこには何時の間に建てたのか、小型の天幕が用意されていた。
 
「……何時の間に」
 
「一流の従者なら、これくらい普通に用意しましてよ?」
 
 断るのも悪いので、天幕の中に入りサティーに手伝って貰って鎧を装着していく。
 
「思ったより、全然軽いもんだな」
 
「軽量化の魔法が掛けられております。恐らくはサイト様の為に実戦用に手配された代物であると推測します」
 
 全ての部位を装着し、デルフリンガーを背負った才人にサティーが恭しい手つきでマントを差し出す。
 
 ルイズが普段身に着けているようなものではなく、ビロード製の身分ある者のみが着用を許される重厚なマントだ。
 
 背にはウェールズから才人に贈ったヒラガ公爵家の家紋ともいうべき、長剣(デルフリンガー)と短剣(地下水)が交差し十字架を形取った紋章が刺繍されている。
 
 姿見を持ち、才人の全身を映すサティーはしっかりと頷くと、
 
「ご立派だと判断します」
 
「な、なんかコスプレみたいで恥ずかしいんだけどな」
 
 照れ笑いを浮かべる才人が天幕を潜り、皆の前に姿を現す。
 
「まあ……!」
 
 真っ先に驚きの声を挙げたのはエレオノールだ。
 
 彼女はまるで憧れのアイドルでも眺めるような眼差しで、
 
「素敵ですわ、サイト様」
 
「ええ、とてもお似合いだわ」
 
 とは、カトレアの言葉だ。
 
 そしてルイズは……、
 
「…………」
 
 その姿に見惚れていた。
 
「おーい、ルイズ?」
 
「え? う、うん」
 
「……どうしたんだ? 調子悪いのか?」
 
「ち、違うわよ!?」
 
 慌てて否定し、才人に称賛を贈ろうとするが、才人は既にエレオノールに捕まって色々と世話を焼かれていた。
 
「さ、さあ早く行きましょう!」
 
 姉から主導権を奪う為、声を張り上げる。
 
 するとエレオノールもそれを肯定し、
 
「そうね、早くしないといけないわ」
 
 言って、従者の一人に才人の爵位受勲と自分達も暫くは才人の元に世話になる旨をラ・ヴァリエール公爵に伝えるように命令する。
 
「さあ、参りましょうサイト様」
 
「いや、参りましょうって言っても、エレオノールさん達の足が無……」
 
 才人が言い終わる前に、城下町の方から馬車が二台やって来た。
 
 一台は四頭立ての立派な馬車。もう一台は使用人用の馬車である。
 
 才人は半ば呆れた表情で、
 
「……もしかして、買ったんですか?」
 
「…………?」
 
 何を当然の事を? とでも言いたげな眼差しで問い掛けてくるエレオノール。
 
 竜籠で先に行っていようとか、レンタルで借りようとかいう概念は、彼女には無いらしい。
 
 そう想像する才人とは別に、ルイズは才人の屋敷に住み着くつもりで購入したか、と邪推するが、……実はそれが一番正しい認識だった。
 
 才人は疲れたような笑みを浮かべると、
 
「えっと……、二日程掛かるらしいんですけど、かまいませんか?」
 
「ええ、全然平気ですわ」
 
「わたし長期旅行は初めてだから、わくわくするわ」
 
 身体が弱い為、幼少時より長時間の移動を伴うような旅行などには行ったことがないカトレアが心底嬉しそうに告げるのを見て、ルイズは一気に毒気を抜かれた。
 
 当初は早駆けで行くつもりだったが、カトレアの嬉しそうな顔を見て才人も唇を綻ばせ、
 
「そうですね、のんびり行きましょうか」
 
 言って、エレオノールの手を取って馬車までエスコートした。
 
 無論、これは彼女が長女ということを考慮したからであり、続いてカトレア、ルイズと手を取って馬車へと案内する。
 
「……あら? サイト様はお乗りにならないのですか?」
 
 残念そうに告げるエレオノールに、才人はマントを拡げてその下に着込んだ鎧を見せるようにして、
 
「ええ、折角こんな立派な鎧を貰ったんですから、ジルフェに乗っていた方が映えると思いまして」
 
「確かにそうですわね」
 
 今回は領民への顔見せの意味があるので、馬車で赴くよりはその方が良いだろうと納得したエレオノールは、御者に才人の後を追うように命令した。
 
 使用人達が馬車に乗り込むのを確認した才人は、ジルフェに跨り傍らにサティーを従えて前進を開始した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 才人達がロンディニウム城を出た頃、戦後の混乱によって通常の倍以上の時間を掛けてシエスタとナイがアルビオンに到着していた。
 
 混雑するロサイスから、やっとのことで抜け出した二人は途方に暮れていた。
 
 取り敢えずはシティー・オブ・サウスゴータを目指してみてはものの、才人の行方に心当たりなどない。
 
 悩みながらも歩を進める二人の横を荷物を満載した数台連れの馬車が通り過ぎ、……そして、先頭の馬車が停止した。
 
 何事かと思っていると、馬車のドアが開き一人の女性が降り立つ。
 
 豪華な馬車から降り立った見知った顔に、シエスタが驚愕に目を見開く。
 
「あ……、え? て……、ティファニアさん?」
 
 ティファニアはシエスタに一礼し、
 
「あの……、シエスタさん。どうして、アルビオンに?」
 
「は、はい。実は、サイトさんがなかなか帰ってこないので、ナイちゃんと一緒に迎えに来たんですけども……」
 
「……サイトさんですか?」
 
 言って考え、
 
「――でしたら途中まで送ります。どうぞ、乗って下さい」
 
 シエスタの手を引いて、馬車へと案内する。
 
 ティファニアに先導されやって来た馬車の中には先客が居た。
 
 複数人の少年少女達。
 
 その様々な髪色を見れば、彼らが兄妹でないという事は容易に想像出来る。
 
「あ、あの……、この子達は?」
 
 一斉に集まった視線に、たじろぎながらティファニアに問い掛けると、彼女は笑みを浮かべて、
 
「わたしが世話をしてる子供達です。今度、引っ越すことになったので、今はその引っ越し先に向かってる途中で」
 
 ファーストコンタクトの済んだ子供達の興味は、俄然シエスタよりも同年代のナイへと向いた。
 
 しかも、見たこともないようなアクセサリーを着けているのだ。
 
 好奇心の塊である子供達が興味を持たない筈がない。
 
 ナイの隣に座った男の子が、興味深げに彼女の尻尾を引っ張った。
 
「ひにゃ!」
 
 可愛らしい声を出してシートから飛び上がり、慌てて尻尾を手で隠すが、その反応に尚のこと興味を引かれた子供達がナイに殺到する。
 
 大型の馬車とはいえ、これだけの大人数がいれば当然狭くなる。
 
 そんな中で子供達がナイに群がり、ナイはそんな子供達から逃げようとするのだが、如何せん逃げ場など無く、すぐに捕まりそうになり、シエスタの膝の上へと逃げ込んだ。
 
 涙目で怯えるナイを、シエスタは優しく抱き留めながら、
 
「こら、駄目でしょ? 女の子に、そんなお痛しちゃ」
 
 男の子の頭に、軽く拳骨を落とす。
 
 怒られた男の子は拗ねた口調で、
 
「だって、そいつ変な耳と尻尾付いてんだもん」
 
 その言葉に目尻の涙を濃くするナイを抱き上げ、男の子に向き合わせると、
 
「確かにナイちゃんの耳は皆と違う形をしてるし、尻尾も生えてるけど……、とっても可愛いでしょ?」
 
 言われ、男の子はナイをジッと観察すると、ナイは怯えたようにシエスタにしがみつく。
 
 その保護欲をくすぐる仕草に刺激されたのか、男の子は罰が悪そうにそっぽを向きながらもしっかりと頷き、
 
「でしょう? なら、何か問題があるの?」
 
「う……、いや……、無いけど」
 
 照れる男の子に対し、他の男の子達が囃し立てたが、男の子はナイに歩み寄ると手を差し出し、
 
「……その、悪かったよ。ゴメンな」
 
 頭を下げて謝り、仲直りの握手を求める。
 
 ナイは怯えた表情のまま、差し出された手とシエスタの顔を交互に見やり、怖ず怖ずとした態度で、
 
「……いぢめない?」
 
「い、いじめないよう!!」
 
 必死な表情で弁解を始める少年に、ティファニアとシエスタは笑みを交わし会う。
 
 そして三十分にも及ぶ説得の末、ようやく機嫌の治ったナイに許しを得た男の子は、グッタリとした表情のまま己の席に戻っていった。
 
 それからの道中、シエスタは別れてからの才人達の活躍を聞きつつ、ティファニア達の現状を知らされる。
 
「……サイトさんが公爵様で、ティファニアさんが侯爵様?」
 
「ええ……、成り行きでそうなってしまって」
 
 かつて司教の肩書きを貰った事はあるが、爵位を貰ったのは始めてだ。
 
 困ったような笑みを浮かべつつ告げるティファニアに対し、シエスタは未だその事実を理解出来ていないような表情で呆けている。
 
 貴族……、それも最下層のシュヴァリエと平民でさえ身分の差は絶対的なのだ。それが最上級の爵位である公爵とただの使用人ともなれば天と地以上の開きがある。
 
 そんな状況では、才人との間に恋愛など成立しよう筈もない。
 
 シエスタはそんな心境を押し隠して立ち上がると、ティファニアに対して深々と一礼し、
 
「この度は爵位拝命、おめでとうございます」
 
 祝辞を述べる。
 
 ティファニアは慌ててシエスタを押し止めて、
 
「そ、そんな! 止めて下さいシエスタさん! 貴族だなんて言っても、全然偉い事なんてありませんから! これまでと同じように接して下さい!」
 
「ですが貴族様相手に、そんな失礼な……」
 
「お願いします。……そんな他人行儀な態度は取らないで下さい」
 
 深々と頭を下げ、懇願するティファニア。
 
「あ、頭を上げてくださいティファニアさん!」
 
 今度はシエスタが慌てる番だ。頼み込んでティファニアに頭を上げてもらい、ようやく一息を吐く。
 
 ティファニアはそう言ってくれるが、シエスタとしては胸の奥底から沸き上がってくる劣等感は押さえようがない。
 
 ただでさえ、才人の命の恩人というアドバンテージを誇るティファニアが、彼と同じように爵位を拝命したのだ。
 
 否、彼女だけではない。
 
 才人の周囲に居る女性。
 
 貴族の息女であるヴァリエール姉妹を始めとして、才人の過去を知り目に見えない確かな絆を持つブリミルやティファニア。
 
 彼女らはすべからくメイジであり、貴族である。
 
 何の取り柄も無い自分は、やはり才人の傍に居てはいけないのであろうか? という思いさえ込み上げてくる。
 
 そうこうしている内に、ティファニアに与えられた領地に到着した馬車は、そのままティファニア一家の新しい家となる大きな屋敷に入っていく。
 
 停車した馬車から飛び降りた子供達が、我先にと屋敷の中に突入し探検ごっこを始めようとするのを、ティファニアが停めようとするが、子供達は構わずに屋敷の中へ突撃していった。
 
 それを呆れ顔で見守るティファニアと、苦笑を浮かべて荷物の運び先を新たな主人に問い掛ける使用人達。
 
 ティファニアは恐縮しきった顔で、彼らに指示を出すと、自らも荷物の運び出しを手伝おうとして慌てて使用人達に停められる。
 
 ここまで乗せて貰ったお礼にと、シエスタも引っ越しの手伝いを申し出るが、主人の客人に手伝って貰うわけにはいかないと、断固手伝いを拒否され仕方なく応接間で休憩を取ることにしたティファニアとシエスタであるが、基本的に働き者である二人は周りの人達が働いているのに自分が休んでいるという状況が落ち着かないらしく、揃って厨房に赴くとティーセットを借りて使用人達にお茶を振る舞うという、凡そ貴族らしからぬ振る舞いを見せて使用人達を恐縮させた。
 
 その日はティファニアの好意に甘え一泊させてもらったシエスタは、翌日ティファニアの勧めで才人の治めることになった街まで馬車を出してもらうことになり、別れ際に礼を述べ、ナイと共にティファニアの屋敷を後にした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 朝、ティファニアの屋敷を出たシエスタ達が、才人が治める事となる街へ到着した時、時刻は既に夕方を過ぎていたのだが、街には人がごった返していた。
 
 これ以上は馬車で進むことは困難と判断したシエスタは、馬車を降りて御者に礼を述べ、ナイを伴って街の外れにある城。……才人の家となるべく場所を目指して歩き始めた。
 
 途中すれ違った街の人達の話を聞くところによると、どうやらこの騒ぎは、新しい領主がやって来る為の歓迎を意味しているそうだ。
 
 その新しい領主というのは、無論才人の事であるのだが、どうも実感の涌かないシエスタは、まるで他人事のように聞き流していた。
 
 そんなシエスタ達が街の中心部辺りまで到達した時、不意に周囲のざわめきが歓声へと変わる。
 
 何事か? と視線を向けてみれば、そこには威風堂々とした姿でグリフォンに跨り、白銀の鎧を身に着けて真紅のマントの翻した見知った顔の少年の姿があった。
 
 彼の背後には数台の馬車が続き、中でも一番豪華な馬車には、ルイズを始めとしたヴァリエール三姉妹が乗っているのが見える。
 
 もはや、自分と違う世界の住人となった才人の姿を改めて確認させられたシエスタの心に、黒く重いものがのし掛かるような気がした。
 
「……おとーさん!」
 
 才人の姿を確認したナイはその場から駆け出し、小柄な身体を利用して観客達の間をすり抜け最前列から才人の眼前に飛び出す。
 
 本来、領主の行進を遮るような真似をすれば、子供といえども罰則は免れることは出来ない。
 
 領民達が新しい領主の怒りが小さな子供に向かうのではないかと、戦々恐々として見守る中、才人は軽やかにグリフォンから飛び降りると少女の元まで歩み寄って片膝を着き、視線の高さを合わせる。
 
「……おとーさん」
 
 ナイが才人に飛びつき、才人は困惑の表情を浮かべながらも、ナイをしっかりと抱き締める。
 
「な、……なんで、ナイがここに居るんだ?」
 
 泣きながら才人にしがみつくナイは、それでも懸命に才人の質問に答えようと、
 
「……おとーさん、帰ってこないから、シエスタおねーちゃんと一緒に迎えに来た」
 
「……シエスタも来てるのか?」
 
 涙を拭いながら才人の質問に頷き、シエスタがいるであろう方向を指差す。
 
 才人が振り向いた先、そこにいたシエスタと才人の視線が交わるが、シエスタは深々と一礼すると、その場で踵を返し走り去ってしまった。
 
「シエスタ……!!」
 
 才人は馬から降りて近づいてきたサティーにナイを託し、腰の地下水に手を添えてガンダールヴのルーンを発動させると、一気に人混みを飛び越えシエスタの走り去った路地へと身を躍らせる。
 
 着地と同時に風のような速度で疾走を開始した才人を、領民達は呆気に取られたような瞳で見つめ、次の瞬間には「新しい領主様は風の妖精の使いだ!」とか「伝説の勇者の再来だ!」などといった憶測が飛び交い始めた。
 
 そんな街人達の喧噪も知らず、才人はシエスタを追いかけて細い路地を走り抜ける。
 
 元より身体能力に差がある為、すぐに追いつきシエスタの手を取って強引に引き留め、
 
「シエスタ!!」
 
「ご、ゴメンなさい!? もう、……もう二度とサイトさんの前には姿を現しませんから……。
 
 お願いします……。このまま、行かせて下さい」
 
「わけ分かんねえよ! 何でシエスタが俺の前から、消えなきゃならないんだよ!!」
 
 才人はシエスタの肩を掴んで、無理矢理振り向かせるが、彼女は才人と視線を会わせようとしないまま、
 
「だ、だって、仕方ないじゃないですか……。才人さんは公爵様になられたのに、わたしはただのメイドなんですよ? 傍になんて居られるわけ……」
 
「関係ねえよ! 何で貴族だ平民だってだけで、会えなくなるんだよ!?」
 
「…………」
 
 ついには口を閉ざしてしまったシエスタに対し、才人は僅かな沈黙の後、何かを決めたように頷き、
 
「――分かった。シエスタがそう言うんなら、俺、貴族の地位を返上してくる」
 
 その言葉にシエスタは顔を上げて叫んだ。
 
「な、なんでそうなるんですか!?」
 
 だが、才人はシエスタと視線を会わせず、何処か遠い所を見たままで、
 
「貴族だから会えないっていうんなら、俺が貴族を辞めれば全部丸く収まるんじゃねえか」
 
「ぜ、全然収まりません! 平民が貴族になるなんて、……なろうとしてなれるものじゃないんですよ!?」
 
「知ったこっちゃねえよ。――俺はそんなもんより、シエスタと会えなくなる方が嫌だ」
 
「あ……」
 
 才人の言葉が、シエスタの心の内にあった重りを一瞬で打ち砕いた。
 
 この人は、本当に身分なんかに囚われず、わたし自身を見てくれてるんだ……。
 
 それまでシエスタが才人に抱いていた感情。それは確かに好意だったのだろう。
 
 だが、その好意の内の大半を占めていたのは、憧れに近い感情だった。
 
 その感情は今、才人の言葉によって憧れから愛情へと昇華され再びシエスタの心を満たしてくれた。
 
「……サイトさん。――わたし、あなたの傍に居ても良いですか?」
 
 涙を流しながら、才人にしなだれかかり呟くように告げた言葉に、才人は躊躇いなく一言をもって返す。
 
「当たり前だろ」
 
「……ありがとうございます」
 
 そこで初めて才人と視線を会わせ、 
 
「――わたし、あなたを好きになって、本当に良かった」
 
 泣きながら、……しかし、笑みを浮かべて告げるシエスタの顔は、今まで見てきた彼女のどの表情よりも美しかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 落ち着きを取り戻したシエスタと共に帰る途中、立ち止まったシエスタが才人に話し掛けてきた。
 
「あ、……あの、サイトさん!?」
 
「ん?」
 
「一つ、お願いがあるんですけども……」
 
「ん? 何? ……俺に出来ることなら力になるけど?」
 
 言いにくそうに告げるシエスタを促す。
 
「は、はい。……実はですね」
 
 一息、
 
「わたしを、サイトさんのメイドとして雇ってもらえないでしょうか!?」
 
「……へ? いや、雇うも何も、俺貴族辞めるつもり――」
 
「辞めちゃ駄目です! 折角貴族様になれたのに、辞めるなんて勿体ないです!」
 
「いや、でも……、貴族だとシエスタと会えなくなるんじゃ?」
 
「一時の気の迷いですから、その事はもう忘れて下さい。――それに、サイトさんのメイドになれば、ずっと傍に居られます」
 
 言われて考え、そうなると、また余計なトラブルを呼び込みそうな気がするのだが……、
 
「――まあ、良いか」
 
 シエスタが元気になってくれるのであれば、なんの問題も無いだろう。
 
「じゃあ、詳しい話は家に行ってからって事で」
 
「は、はい!」
 
 こうして、シエスタの転職が決定した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 シエスタを連れ帰ったサイトを待ち構えていたのは、険しい表情をしたルイズだった。
 
「……何処行ってたのよ?」
 
「いや、……ちょっと、シエスタの説得に手間取って」
 
 言われて初めてシエスタの存在に気が付いたのか、僅かに目を見開き、
 
「……何で、シエスタがここに居んのよ?」
 
「あー……、と、それはだなあ」
 
 言い淀む才人に代わり、シエスタが割り込むように、
 
「サイトさんの帰りが遅いので、ナイちゃんと一緒に迎えに来たんです」
 
 笑みで告げるシエスタに対し、ルイズは僅かに不機嫌そうな表情で、
 
「……大人しく待ってなさいよ」
 
「そうはいきません。……ナイちゃん、サイトさんが帰ってくるのを、ずっと正門前で待ち続けていたんです。
 
 あんな健気な姿見せられたら、どうしてもサイトさんに会わせたくなっちゃいます」
 
 健気なナイの事だ。本当に雨の日も風の日も、ずっと才人を待ち続けていたのだろう。
 
 才人は改めてナイの元へ歩み寄り、その赤毛を優しく撫でてやると、
 
「……ゴメンな、ナイ。ずっと待たせたみたいで」
 
 ナイは気持ちよさそうに目を細め、
 
「……ん」
 
 と一言を漏らし、それが全てと言わんばかりの態度で才人にしがみついた。
 
 流石のルイズも、そんなナイには嫉妬を抱くわけにもいかず、大袈裟に溜息を吐き出すと、
 
「まあ、良いわ。ほら、早く行きましょう。……目立つったらありゃしないわ」
 
 ルイズの言葉に従うように周囲を見回してみると、確かに領民達が才人達の様子を見守っている。流石に恥ずかしくなった才人がナイと共にジルフェに跨ると、シエスタはサティーに促されて共に馬に乗り、才人の治める事となる城へと向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 城に到着した才人達を迎えてくれたのは、百を越える数の使用人達。
 
 その中でも執事長ともいうべき初老の男が前に出て頭を垂れる。
 
「ようこそおいで下さいました。ヒラガ・サイト様。
 
 わたくし、執事長を務めるスティーブンスと申します。――以後、お見知り置きを」
 
「あ、いや、はい……、平賀・才人です。よろしく……」
 
 言って手を差し伸べる才人に対し、スティーブンスは困惑しながらも、その手を握り返した。
 
 通常、主従の間柄で握手を交わすなど考えられない行為だ。
 
 そんな事を気にもしない才人は、使用人に案内されて通された部屋で彼らを待ち受けていたのは、優雅に紅茶を楽しむブリミルだった。
 
「遅かったわね」
 
「な、……なんで、あんたがここにいるのよ!?」
 
 食ってかかるルイズに対し、才人は肩を竦めるだけで、
 
「まあ、予想の範囲内だけどな」
 
 そんな才人に視線を向けたブリミルは、彼の晴れ姿を確認すると微笑を浮かべ、
 
「……へー、結構似合ってるじゃない」
 
「ありがとよ」
 
 はにかみながら礼を述べる才人に対し、彼の後ろに控えていたエレオノールが訝しげな顔で問い掛けた。
 
「……サイト様、彼女を紹介してくれると助かるのですが?」
 
 彼女が怪訝な表情で問い掛けるのは当然だ。
 
 身に纏う雰囲気と胸の大きさこそ違えど、その姿は自らの妹であるカトレアとよく似ているからだ。よもや、父の隠し子ではあるまいか? と疑ってしまうのも無理はない。
 
 才人がブリミルの紹介をするよりも早く、ブリミルはスカートを摘んで恭しく一礼すると、
 
「初めまして、ミス・ヴァリエール。わたくし、サイトの先の主人でブリミル・ヴァルトリと申します。
 
 ――以後、お見知り置きを」
 
 そのあからさまな偽名に、エレオノールは眉を顰めつつ、
 
「本当の名を名乗るつもりは無い。……ということ?」
 
「……本名は捨てましたので」
 
 見るからに険悪な雰囲気となった両者の仲裁に入るように才人が声を掛ける。
 
「まあ、ブリミルの名前は、一応、虚無の正統継承者って事で名乗ってるってことなんで見逃してやって下さい」
 
「……虚無の正統継承者? いやですわサイト様。そんな伝説の系統など、今時誰も信じていませんのよ?」
 
 ほほほ、と笑うエレオノールに愛想笑いを浮かべつつ、才人は視線をブリミルに向け、
 
「それで、根回しの方は終わったのか?」
 
「ええ、取り敢えず本拠地と組織名が決定したわ」
 
 言って、数枚の書類をテーブルに放る。
 
 サティーの手を借りながら、鎧を外していた才人はテーブル上の書類を手に取るとそれを一瞥し、
 
「本拠地はトリステイン魔法学院。……火の塔のワンフロアを借りたのか」
 
「ええ、そこがわたし達のアジトになるわ。
 
 ちなみに建前としては、特別授業の為の教室って事になってるから。
 
 わたしは、その授業の専属教師ってことになってるわ」
 
 それで、才人はブリミルの粗方のシナリオを悟った。
 
「組織の構成員の殆どを、学院の生徒で構成するつもりか?」
 
「ええ、本当に必要なのは優秀な人材じゃなく、何処の派閥にも属していない若手。
 
 ……まあ、それなりに実力が無いと困るのも事実だけどね」
 
 隠密組織にとって、一番の天敵はスパイによる情報漏洩。
 
 その事を考慮した選択であろう。
 
「……随分と、面白そうな事を計画しているようですが、詳しくお聞かせ願えますか? サイト様、ブリミル様」
 
 口を挟んできたのは、エレオノールだ。
 
 邪な計画ならば許しはしない、と断固たる決意を持った表情で問い掛けてくる。
 
 才人がしくじったという表情で頭を掻くのに対して、ブリミルは平然とした態度で懐からアンリエッタとウェールズに与えられた書状を取り出して、それをエレオノールに見せ、
 
「ご心配は無用。――女王陛下公認の組織です。
 
 そして、これ以上は機密に関わる事なのでご退室を……、もし好奇心により先が気になると仰るのならば、こちらとしても不本意な手段を使わせて頂くことになりますが?」
 
 そう言われて、すんなりと引き下がるような性格をしていないのが、ヴァリエール家長女のエレオノールである。
 
「一つ、伺いたいのですが?」
 
「……なんでしょう?」
 
「その組織とやら、……サイト様も所属しておられるのですか?」
 
 問い掛けに対して、ブリミルは薄い笑みを浮かべると、
 
「ええ、勿論です。それとあなたの妹様も……」
 
 答えを聞いたエレオノールの態度は決まった。
 
 テーブルに置かれているベルを鳴らしてメイドを呼びつけると、人数分のお茶を用意するように命令する。
 
 そうして、完全に腰を落ち着かせると、射抜くような目つきでブリミルに視線を向け、
 
「さあ、聞かせて貰いましょうか?」
 
「……よい決断です」
 
 言ってブリミルが杖を振るい、懐から取り出した羊皮紙に筆を走らせる。
 
 そこに書かれている文章は、エレオノールとカトレアに対する徴兵令状。
 
「秘密を知る以上、今後、我らが組織の一員として働いて頂きます」
 
 エレオノールは唇を吊り上げ、挑戦的な笑みを浮かべると、
 
「良いでしょう。――もし、その組織とやらが、トリステインに害をなすようなものだった場合は、わたくしが獅子身中の虫となって内部からその組織を崩壊させてみせましょう」
 
「――結構。……カトレア様も、それで宜しいでしょうか?」
 
「ええ、お姉さまがお決めになったこと。――わたくしもヴァリエールの子女として、全力で助力致しましょう」
 
 流石はヴァリエール家の子女。とも言うべき芯の強さを見せるカトレアに才人が感心する中、ブリミルは本題に入るために口を開く。
 
「さて、この組織……、名を“ゼロ機関”と申しますが」
 
 本来はアルビオン戦役の時、ルイズの正体のカモフラージュの為に作られたアンリエッタ考案の架空組織であったが、なんの因果か、それが現実になってしまった為、そのままその名前を譲り受けた。
 
「ゼロ機関の目的は、始祖の遺産を悪しき担い手から護ること」
 
「……悪しき担い手?」
 
 要領を得ないと小首を傾げるエレオノールに、ブリミルは虚無の担い手の復活を語る。
 
 自分以外の四人の虚無の担い手……。
 
 ガリア、ロマリア、トリステイン、アルビオン。
 
 ガリアの無能王ジョゼフ。ロマリアの新教皇ヴィットーリオ。アルビオンのティファニア。そして……、
 
「では、あなたはトリステインの虚無の担い手だと?」
 
「いいえ、確かにわたしはトリステインの出身ですが、トリステインの虚無の担い手は他にいます」
 
 視線をルイズに向け、
 
「あなたの妹、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
 
 彼女こそが、虚無の担い手の一人です」
 
 そう告げるブリミルに対し、エレオノールは信じられないといった表情で、
 
「……それは本当ですの? はっきり言って、この娘、系統魔法の初歩すら使えない娘なのですのよ?」
 
「では、彼女が虚無魔法に特化したメイジであった為、系統魔法が使えなかったとしたら?」
 
「…………」
 
 ブリミルの台詞に、エレオノールは言葉を無くす。
 
 そんな彼女の葛藤を無視するように、ブリミルはルイズに向けて、
 
「論より証拠ね。……ルイズ、表に出ましょうか?」
 
「え? ……ええ」
 
 当惑するエレオノールとカトレアを伴い、一向は中庭に出るとブリミルの指示の元ルイズの虚無のお披露目となった。
 
「じゃあ、まずはエクスプロージョンから」
 
 言って、一抱えほどある岩を指し、
 
「あれを吹っ飛ばす程度の威力で」
 
 ルイズはブリミルの言葉に頷くと、杖を掲げ詠唱を開始する。
 
 大き過ぎず、小さ過ぎず、丁度良い破壊力を見立てて詠唱を句切り杖を振り下ろすと、ブリミルの指定した岩が粉々に砕け散った。
 
 安堵の吐息を吐き出すルイズに対し、ブリミルは小さく頷くと、
 
「うん、上出来。じゃあ次はイリュージョンね。……もう一人の自分を作り出してみて」
 
 言われて頷き、呪文を唱える。
 
 人一人分で良いため、それほど長い詠唱は必要としない。
 
 ルイズが呪文を唱え終わると、彼女の眼前にルイズと瓜二つの虚像が現れた。
 
 ――が、ブリミルは引きつった笑顔でルイズの頭を長杖で軽く叩き、
 
「全然駄目ね、理想を反映し過ぎよ」
 
「……ちょっとくらい良いじゃない!」
 
 抗議の声を挙げるルイズに対し、ブリミルは彼女の作り出した虚像を指し、
 
「二回り以上大きいでしょうが、――胸のサイズが! どんなに期待しても、それ以上育ちゃぁしないのよ!!」
 
「まだ成長期のわたしには、未来があるの!? あなたと一緒にしないで頂戴!!」
 
「下手な期待は止めなさい! ハッキリ言って絶望するだけだから!!」
 
「ハッ!? 何よ? 自分に未来が無いからって、人に八つ当たりするのは止めて下さる?」
 
 見下した目でブリミルを見つめるルイズ。
 
 そのやり取りを聞いていた才人は、ある意味自虐ともいうべき罵り合いに憐憫の涙を浮かべた。
 
 そんな低レベルな争いを収めるべく動き出したのは、エレオノールだ。
 
 彼女はルイズの頬を引っ張って、罵り合いに強制的に終止符を打つと、
 
「ルイズが虚無魔法の使い手であることは理解しました。
 
 では次に、あなたの実力を見せて頂きたいのですが?」
 
 己よりも格下の人間には従うつもりはない、とでも言いたげなエレオノールの態度にブリミルは頷き、杖を構えた所で才人の待ったが入った。
 
「地形を変えるような派手なのは無しな。撃つなら空に向かって撃ってくれ」
 
 溜息混じりながらも、一応、領主らしいことを言う。
 
 そんな才人にブリミルは微笑を送ると天に向けて長杖を構え、呪文の詠唱を開始。
 
 高速詠唱によって紡がれたルーンは、周囲の最も小さき粒を純破壊力として集約、それを一気に解き放った。
 
 光が雲を穿ち、純白の光柱が天に立つ。
 
 100リーグ先からでも観測出来るその威力に、その場に居た者達が息を呑む。
 
 ブリミルは余裕の笑みを浮かべて振り返り、
 
「どうでしょう?」
 
 エレオノールに問い掛けた。
 
 余裕のある態度で振る舞ってはいるが、未だエレオノールに対する苦手意識の取れないブリミルとしては冷や汗ものだ。
 
 事実、彼女の膝は先程から小刻みな震えが停まらない。
 
 だが、ここでハッタリをかましてでも優位性を示さなければ、後々厄介な事になる。
 
 そういう考えもあって、多少無理してでもハッタリをかましているブリミルだった。
 
 そんな彼女の後ろに、何の前触れもなく人影が現れる。
 
「ブリミルさん!」
 
 光を織り編んだような美しい金髪を持つ美少女、もう一人の虚無の担い手ティファニアだ。
 
 彼女は焦ったような表情で、
 
「一体、何があったんですか!? 敵襲ですか!?」
 
 恐らく先程の砲撃を見て、転移してきたのだろう。
 
 緊張した眼差しで問い掛けるティファニアをやんわりと言い聞かせるブリミル。
 
 そんな彼女達を尻目に、エレオノールは呆然とした表情で才人に問い掛ける。
 
「……サイト様」
 
「あー……、はい」
 
「……あの金髪の女性は、何処から現れたのですか?」
 
 その問いに才人は苦笑を浮かべて、
 
「彼女が、もう一人の虚無の担い手、ティファニアです。
 
 えーと、虚無の魔法には転移というものがあるらしくて、彼女は遠くの街からここまで瞬間移動してきました」
 
 もはや、何でもありの虚無の前に唖然とするしかないエレオノール。
 
 そんな彼女とカトレアに対して才人は表情を真剣なものに改めると、
 
「敵も同じ虚無の担い手です。……ハッキリ言って、楽な戦いになるとは絶対に言えませんが、どうかお願いします」
 
 深々と頭を下げ、
 
「力を貸して貰えないでしょうか?」
 
 自分一人の力で皆を守ることが出来ないということは、これまでの戦いで重々承知している。
 
 ならば、エレオノール達が、何の気構えもなく唐突に争いに巻き込まれてしまうよりは、組織の一員として迎え入れ不測の事態にも対処出来るような心構えを持って貰った方が良いだろうという才人の苦渋の選択だった。
 
 エレオノール、カトレアは共に一瞬だけ視線を交わすと力強く頷き、
 
「勿論ですわサイト様。このエレオノール、愛のためならばこの身を戦火に投げ込むことさえ厭いません」
 
「わたしも……、あなたに救われたこの命。あなたの為に使うことに躊躇いはありません」
 
 迷い無く告げられた言葉に、才人は苦笑を浮かべ、……ああ、やっぱりルイズの姉妹なんだなと妙な納得をした後、
 
「よろしくお願いします」
 
 言って手を差し出した。
 
 力強い笑みを返し、二人は才人の手を握り返す。
 
 ……そんな三人の背後では、むやみに力を振るうブリミルに対し、ティファニアの懇々とした説教が行われていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その夜、正式にゼロ機関への参加を言い渡されたルイズは興奮で寝付けず、庭を散策していた。
 
 半年前までは魔法の一つも使えずに、ゼロのルイズと馬鹿にされていた自分が、才人を召還して以来、様々な事件に巻き込まれ伝説の力とやらに目覚め、トリステイン軍の切り札として戦争に駆り出され、ついには世界を護るための組織の一員となったのだ。
 
「……ホント、どうなっちゃうのかしら?」
 
 実は世界を背負う事に関する不安は無い。
 
 エレオノール、カトレア……、彼女を支えてくれる姉妹が共にいる。
 
 そして、誰よりも頼りになる使い魔。
 
 ……きっと、この後どんな事件に巻き込まれてもサイトが助けに来てくれる。
 
 彼がきっと世界を救ってくれる。
 
 確信に近い想いが、ルイズに掛かる負担を軽減していた。
 
 だが、その想いは逆にルイズから向上心を奪い、才人に依存しきっているとも言い換えることが出来る。
 
 かつて、そのプライドの高さ故に人からゼロと小馬鹿にされることを嫌い、人知れず努力してきた彼女であれば、才人に掛かる負担を少しでも軽減しようと、己のレベルアップに励むであろうが、今の彼女には、そのような思いは無い。
 
 無論、才人が危険にさらされる事を良しとするわけではないが、自分が強くならなくとも、才人がきっと護ってくれると信じているし、彼女自身、自分を護ってくれる自分だけの騎士の姿……、才人のそんな姿を見てみたいと思っている節がある。
 
 よって、皮肉な神様は彼女の願いを叶えた。
 
 夜、一人で外を出歩くなどといったルイズを見逃すほど、始祖の秘宝と始祖の指輪を付け狙う者達は甘くない。
 
 ルイズの眼前に、黒いローブをすっぽりと被った人影が現れる。
 
 訝しげに眉を顰めるルイズに対し、人影はフードの隙間から覗く唇を薄く歪めると、
 
「初めまして、ミス・ヴァリエール」
 
「……あなた、一体何者?」
 
 警戒心を露わにするルイズに対し女はフードをズラして、その額に刻まれたルーンをルイズに見せつけると、
 
「この額のルーン。見覚えがあるでしょ?」
 
 イヤというほど知っている。
 
「……サイトと同じルーン?」
 
「ええ、そう。神の頭脳ミョズニトニルン。
 
 ……我が主人の命により、あなたの命と始祖の祈祷書。そして水のルビーを頂きに参りました」
 
 告げると同時、ルイズが短い詠唱の後で魔法を解放。
 
 小規模の爆発がミョズニトニルンを名乗る女を襲った。
 
 だが、爆発後に残されたのは、バラバラになった人形の破片だけであり、女の姿は何処にも見えない。
 
「ひ、卑怯よ! 出てきなさい」
 
 叫ぶルイズに対して、嘲笑を浮かべた幾人もの女が姿を見せる。
 
「せっかちな担い手ね。……こちらはまだ、自己紹介すら済んでないというのに」
 
「お前の名前なんぞ、聞くまでもねえけどな」
 
 背後から声が聞こえてくると同時、女の一人が脳天から両断された。
 
「サイトッ!」
 
 ルイズは喜びの声を挙げるが、才人はそれには答えずに険しい眼差しで眼前の女を無言のまま睨み付ける
 
 そんな使い魔に対し、ミョズニトニルンの女は一切の油断も無く最大限の警戒を露わにして人形達に命令を出す。
 
「随分とお早い起こしね?」
 
「…………」
 
 その問い掛けにさえ才人は答えない。ただ必殺の意を込めた眼差しでミョズニトニルンを睨み続けるのみ。
 
 才人の隠そうともしない、あからさまな殺意に怯み、ミョズニトニルンの女が思わず一歩を後ずさる。
 
 否、女だけではない。
 
 感情を持たない筈のスキルニル達でさえ、今の才人には恐れを成して、包囲の輪を我知らずの間に広げてしまう。
 
 そして、それは殺意の対象ではないルイズでさえ同様だった。
 
 助けに来てくれた筈の才人が、この上なく恐ろしく感じる。
 
 下手に声を掛けようものならば、次の瞬間にはその殺意が向く先は自分になる。そう感じずにはいられない程の恐怖を感じていた。
 
 実際、ミョズニトニルンの女、シェフィールドと対峙した時から、才人の脳裏にはあの時に聞こえた声が、延々とリピートされている。
 
 しかも、以前よりも強力な呪縛が掛かっているらしく、一瞬でも気を抜けば一気に自我を乗っ取られそうな程だ。
 
 会話を交わす余裕は疎か、一度でも剣を振るえば、それで才人の自我は消え失せ周囲一帯の動く者全てを根絶やしにするだろう。
 
“――殺せ、――殺せ、――殺せ、――殺せ、――殺せ、――殺せ”
 
 ……クソッ!? いい加減、黙りやがれ!!
 
“――何を躊躇う? 眼前の女は敵。――ならば、殺しても問題あるまい?”
 
 ……五月蠅せぇ!
 
“殺し、喰らい、ルーンを奪え――。ならば、貴様はもっと強くなれる。
 
 ――こやつは、その為の生け贄ぞ”
 
 ……黙れ。
 
 内心の葛藤で精一杯の才人は自分から攻撃を仕掛ける事も出来ず、その才人の放つ雰囲気に飲まれてしまったシェフィールドも同様に身動きが取れない。
 
 誰一人身動きの出来ない膠着状況を打破しようと、シェフィールドが決死の思いで口を開く。
 
「残念だわ……、そこの半人前一人ならどうこう出来る自信はあったんだけど、あなたが一緒だと流石に厄介そうね」
 
 答えない才人に代わり、別の声が響いた。
 
「分かってるなら、とっとと帰ってジョゼフに伝えなさい。
 
 あんたが何を考えて世界を滅ぼそうとしてるのかは知らないけど、物凄く迷惑だから止めさせてもらうわ。ってね!」
 
 言葉と共に解放された解呪の魔法が、その場にいた三十を越える全ての人影を人形に戻し、後にはシェフィールドの本体だけが残された。
 
「……厄介な女も来たようね」
 
 暗闇から姿を見せるブリミルを確認したシェフィールドは、ここが頃合いと判断。
 
 遠くからはルイズを呼ぶ声と、複数の足音も聞こえてきている。
 
 引き際を悟ったシェフィールドは、懐から拳大の球を取り出し、
 
「今回は、こちらの負けということにしといてあげるわ」
 
 言って、その魔法具を発動。
 
 一瞬にして、その場から姿を消した。
 
 シェフィールドの気配が完全に消えた事を確認した才人は、安堵の溜息と共に、その場に腰を降ろす。
 
「サイトッ!?」 
 
 へたり込む才人を心配するように駆け寄るルイズ。
 
 僅かに遅れて歩み寄ったブリミルが、
 
「……また、暴走しかけたの?」
 
「ああ、段々強力になっていく気がする。……しかも、どうやら俺に他の使い魔達を殺させたいらしい」
 
 ルイズの肩を借りて立ち上がった才人が、そう口にする。
 
「……どういうこと?」
 
 訝しげに眉を顰めるブリミル。
 
 対する才人も、分からないと肩を竦め、
 
「目的なんか分かんねえよ。ただ、声の感じからすると、他の使い魔達の力を吸収させて、俺をもっと強くしたいらしい」
 
「……声って何?」
 
 その事は初めて聞いたとブリミルが問い掛けると、才人は小首を傾げて、
 
「……言ってなかったっけ?」
 
「――聞いてないわよ」
 
 笑みを浮かべて告げるブリミルに対し、才人は恐怖に汗をダラダラ垂らしながら、
 
「えっとな、戦闘中に声が聞こえてきてだな、それが聞こえてくると、意識が乗っ取られるというか、残虐性が増すというか……」
 
「そういう大事な事は、もっと早く言いなさい、このバカ!!」
 
 ブリミルの剣幕に怯え、身体を小さく丸める才人。
 
「色々あって、忘れてたんだよ……」
 
 と弱く反論するが、当然の如くブリミルには取り合って貰えない。
 
 エレオノール達が到着した時には、地面に正座させられてブリミルに懇々と説教を受ける才人という、この場に似つかわしくない光景が展開していた。
 
 それから暫くして、漸くブリミルの気持ちも収まったのか、大きく溜息を吐き出すと、
 
「まあ、いいわ」
 
「いいなら、別に、そんなに全力で怒らなくても良いじゃねえか」
 
「何か言った?」
 
「いえ、別に……」
 
 ブリミルの一睨みで、視線を逸らす才人。
 
「兎も角、その声ってやつが才人の暴走に深く関係していそうというのが分かっただけでも大きな進展ね」
 
 そっちの方はわたしが調べるから、とブリミルが前置きし、才人の両肩をサティーとエレオノールにがっしりと掴まれる。
 
「さあ、サイト様。まだまだ懸案事項の処理書類は大量に残ってましてよ」
 
「エレオノール様の言う通りだと判断します。今日中に、後二十件の懸案事項を処理して頂きます」
 
 ……実はルイズの危機を視覚の共有化で知った時、才人はブリミル、エレオノール、カトレア、サティーによって強制的に領地内の問題処理をやらされていたのだ。
 
 ハルケギニアの文字は読めるとはいえ統治学など学んだことのない才人は、エレオノールに説明を受けながら、サティーの差し出す書類に拙いサインを施し、字が汚いとブリミルに苦情を受け、カトレアに慰められるというサイクルを繰り返していた。
 
「今日の分のノルマを達成した後は統治学、帝王学も学んで貰いますわサイト様」
   
 ……ある意味、ジョゼフや教皇などよりも遙かに厄介な敵が身近に居ることを才人は再認識させられた。
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