ゼロの使い魔・2回目
 
第6話(前編)
 
 夏休みも無事に終了し、トリステイン魔法学院に戻った才人達を待ち受けていたのは、やはり騒動だった。
 
 久方振りに訪れたコルベールの研究室で壁に大穴が空き部屋の主であるコルベールが床に突っ伏して目を回しているのを才人が発見した。
 
「先生! コルベール先生!! 大丈夫ですか!?」
 
 慌てて才人が駆け寄ってコルベールを起こすと、コルベールは咳き込みながら、
 
「あ、……ああ、大丈夫だ」
 
 言って、ふらつきながらもなんとか立ち上がった。
 
「一体、何があったんですか?」
 
 才人の問いに、コルベールは荒れ果てた部屋を見渡し、
 
「実はミス・タバサの制作していたホムンクルスが逃げ出してしまってね」
 
「大変じゃないですか!?」
 
「ああ、皆に見つかる前に、何とかしないといけないんだが、少々問題があってね」
 
「……問題?」
 
 問い返す才人に、コルベールは頷き、
 
「実は、普通ホムンクルスというものは、生まれつき脆弱なものなんだが……、ここで創り出されたホムンクルスは少々特殊でね」
 
 とても言いにくそうに、
 
「精製の際に、幻獣の血を加えた為、身体能力が半端じゃないんだ」
 
「……なんで、そんなものを」
 
 呆れた口調で問う才人に対し、コルベールはしっかりした口調で、
 
「万が一の為と思ってほしい。今の時代、ホムンクルスは禁忌の技術だからね。
 
 見つかり次第、殺されることになる。
 
 その時に、無事逃げられるように、と思ってね。……だが、他人に見つかる前に逃げられてしまっては、話にならないんだが」
 
 乾いた笑みを浮かべながら告げるコルベールに対し、才人は大きく息を吐いて、気持ちを切り替えると、
 
「そのホムンクルスなんですけど、人を襲ったりするんですか?」
 
「いや、そういうことは無い筈だ。基本的に食生活や精神構造は人間と同じだからね。
 
 但し、今は生まれたばかりで、常識なんかは欠如してる状態だから、何か問題を起こす前に捕まえるに越したことはないが……」
 
「分かりました」
 
 言って、両手にグローブを填め、
 
「何とか捕まえてみます。……そのホムンクルスなんですけど、何か特徴とかはありますか?」
 
「ああ、一目見れば分かると思うが、……獣のような耳と尻尾が生えているからね」
 
 ……それ、分かりやす過ぎ!
 
 つーか、普通に生活出来ないし!!
 
 才人は辛うじて頭を抱えるのを我慢すると、大きく開いた大穴から外へ飛び出した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 丁度その頃、人間形態のシルフィードがシエスタから貰ったリンゴを持って歩いていた。
 
 彼女が一番に慕うお姉さまであるタバサは、現在、授業中で身動きがとれない為、二番目に慕うお兄さまこと才人と一緒にリンゴを食べようと思い、彼を探しているのだが……、肝心の彼の姿が一向に見つからない。
 
 そこで誰かに才人の行方を尋ねようと思ったのだが、今は授業中。
 
 周囲に人の姿は無い。……が、元々人ではない彼女は、人以外のものとも会話出来る。
 
 真っ先に思いついた相談相手は、才人の相棒であり暇を持て余しているであろうデルフリンガーかジルフェだった。サティーは雑用があるので忙しいであろうし、地下水は才人が持ち歩いているので、意味は無い。
 
 なので一番近い場所にいるであろう。ジルフェの元へ向かうことにした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 馬小屋の一角。
 
 そこに、一種異様な雰囲気を放つ場所がある。
 
 何というか、他の馬たちとは一線……いや、二線も三線も違う格を有した存在。
 
 グリフォンのジルフェが在所。
 
 トリステイン王宮の魔法衛士隊の中でも、エリート中のエリートのみが入隊出来ると言われているグリフォン隊。
 
 さらに、その愛馬たるグリフォンの中でも最優種の血統を持つグリフォン。それが、このジルフェであり、現在の主人は伝説のルーンを宿した少年。
 
 そんなジルフェであるが、今、彼はとても困っていた。
 
 先程、自分の寝床に侵入してきた少女。
 
 大きな獣耳と、キツネのような大振りの尻尾を生やした全裸の少女なのだが、彼女はフラフラした足取りでジルフェの寝床までやってくると、
 
「……おとーさんの匂い」
 
 と言ったきり、彼に抱き付いて動かなくなってしまったのだ。
 
 ジェントルメンであり、フェミニストを自認する彼としては、ここでこの少女を起こすのは忍びなく、されるがままになっているのだが……、
 
“……どうしたものか”
 
 ジルフェが思案していると、青い髪の女性がやって来た。
 
「ねーねー、ジルフェ」
 
 女性は両手にリンゴを持ったまま、
 
「お兄さま何処に行ったか知らない?」
 
 小首を傾げ、問いかけてくる。
 
 朝にエサを持ってきて以来、才人の姿を見ていないジルフェは、そのことをシルフィードに伝えようとした時、彼にしがみついていた少女が目を開き、シルフィードの方へ顔を向ける。
 
 少女の視線が、自分の持つリンゴに固定されていることに気付いたシルフィードは、視線をリンゴに落とし、少女の顔を見て、再びリンゴを見て、再度少女を見て、……暫く思案した後で、左手のリンゴを少女に差し出して、
 
「きゅい、……ど、どうぞ」
 
 少女は無言のまま、恐る恐るシルフィードからリンゴを受け取ると、手の中に果実をじっと見つめる。
 
 シルフィードは純粋な笑みを浮かべると、リンゴの表面を服で擦りそのまま囓りつく。
 
 少女は始め、きょとんとした表情でそれを見ていたが、シルフィードが美味しそうにリンゴを食べているのを見て、触発されたのか、シルフィードの真似をして、自分のお腹でリンゴを擦り、そのまま囓りつく。
 
 暫くリンゴを咀嚼してから飲み込み、一瞬驚いたような表情を浮かべると、一転して今度は貪るようにリンゴを食べ始める。
 
 するとシルフィードも対抗意識を燃やして、リンゴを口一杯に頬張り、何時しか早食い競争の様相を呈してきた。
 
 やがて、芯まで残さずリンゴを食べきってしまった二人は、共に笑みを浮かべ、
 
「わたしね、シルフィードって言うの。お姉さまがつけてくれた名前。きゅいきゅい♪
 
 あなたのお名前は?」
 
「……名前?」
 
「そう。お名前」
 
 問われた少女は、小首を傾げて考えるが、やがて泣きそうな表情で、
 
「……無い」
 
「ナイちゃん?」
 
“……いや、待てシルフィード。それは、その少女の名前ではなく無いという意味であろう?”
 
 身体は成人でも、精神年齢の幼いシルフィードは、それを名前と捉え、ジルフェの意見を聞かずに一人納得すると、彼女は満面の笑みを浮かべ、
 
「そっか、良い名前ね、ナイちゃん。るーるる♪」
 
「……ナイ? わたし、ナイ?」
 
 やがて少女も、それが自分の名前であると認識し、表情を笑みで彩った。
 
 そんな様子を、ジルフェは苦笑いで見守っていたが、それは一人の乱入者によって打ち砕かれる。
 
「おーい、ジルフェ」
 
 聞こえてきた声に、二人の少女が反応する。
 
 やがて、薄暗がりの中に少年の姿を確認した女性と少女は、同時にその場から駆けだして才人に抱き付き、
 
「お兄さま! きゅいきゅい♪」
 
「ん、おとーさん」
 
 抱き付いてきたのが、シルフィードと件のホムンクルスであることを理解した才人は、少女らの頭を撫でながら、
 
「えーと……」
 
 名前を呼ぼうとして、戸惑う。
 
 ……ホムンクルスって呼ぶわけにもいかねーしなぁ。
 
 すると、シルフィードが元気良く、
 
「ナイちゃんよ! きゅいきゅい! わたしが名付け親、わーたーしーがつけたのー! のーのーのー!!」
 
 妹が出来たみたいで嬉しいのだろう。身体全体で喜びを表現するシルフィードを才人は苦笑いで見つめつつ、
 
「ん、じゃあ、ナイ。どうして、先生の部屋から逃げたりしたんだ?」
 
 その問いかけを、怒られたと勘違いしたナイは、目に涙を溜めながら、
 
「う……、ゴメンなさい。
 
 でも……、あそこにおとーさんいなかったから」
 
 ……おとーさんって、俺のことか? ……ああ、原材料俺の精液だったけ。
 
 才人は小さく溜息を吐き、
 
「じゃあ、取り敢えず部屋に戻ろうか。ここに居てもジルフェの邪魔になりそうだし」
 
 そう説得すると、ナイは才人を見上げ、
 
「おとーさん、一緒にいてくれる?」
 
 恐る恐る告げる少女に、才人は自分のパーカーを脱いで、それを着せると、
 
「ああ、一緒に居るよ」
 
 もう一度、頭を撫でると、ナイを真ん中に挟んで三人で手を繋いぎ、コルベールの部屋へ向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 コルベールの研究室。
 
 才人がナイ達を連れ帰った時には、既に壁に空けられた穴は塞がれており、やっぱ魔法って便利だなー、と才人は改めて感心した。
 
 才人がシルフィードにタバサを呼んできてくれるように頼むと、彼女は授業中であることを無視して教室に乱入し、タバサの手を引いて強引に連れてきたのを才人は苦笑いを浮かべながらも受け入れ、タバサにホムンクルスの完成を告げる。
 
 皆が見守る中、才人は、ナイが怖がらないように抱き締めながら、その指の腹を手にしたダガーで小さく刺し、そこから流れ落ちた一滴の滴を予め調合しておいた薬液の満たされているフラスコで受ける。
 
 すると、薬液の色が薄い赤みがかったものから、目の覚めるような蒼に変わっていった。
 
 それを確認したコルベールは、才人からフラスコを受け取ると、用意してあった蒸留器にセットしていく。
 
 その間、才人は、泣きそうになっているナイの血の滲んだ指を舐めて、応急の止血をすると、その頭を撫でながら、
 
「痛いの痛いの飛んでけー!」
 
「……なに?」
 
 きょとんとした目つきで才人を見つめるナイに対し、才人は苦笑を浮かべると、
 
「いや、俺の国の魔法でな、こうすると痛いのがどっか飛んで行っちまうんだ」
 
「ホント、お兄さま!?」
 
 興味津々といった顔で、シルフィードが顔を近づけてくる。
 
 彼女は視線をナイに向けると、
 
「ナイちゃん、痛いの治った? きゅい」
 
 問われたナイは、未だ少しぐずりながらも、目に溜まった涙を拭い、
 
「うん、治った」
 
 言って、先程才人が舐めたばかりの指をくわえる。
 
 そんな少女達のやりとりを微笑ましげに見つめていたコルベールは、蒸留の準備を終えると、
 
「さて、これで準備は完了です。後は一晩掛けてじっくりと蒸留すれば、解除薬が完成するというわけですな」
 
 言って、火の点いたアルコールランプをフラスコの下に据える。
 
 一通りの準備が完了したのを確認した才人は、安堵の吐息を吐いて椅子に腰を落とし、タバサに一つの提案を持ちかけた。
 
「お前の母ちゃんが治ったらさ、出来るだけ早い内にガリアを出た方が良いと思うんだ。
 
 何時までもガリアに居たら、またジョゼフに妙な薬を飲まされかねないからな」
 
 その提案をタバサは素直に受け入れるが、問題はガリアを出て何処に身を潜めるかだ。
 
「あら、そんなことなら、わたしの実家を提供するわよ」
 
 言葉と共に部屋に入って来たのは、タバサの親友であるキュルケ。
 
 彼女は自慢の赤毛を掻き上げると、
 
「どう、タバサ。ツェルプストーの名において、絶対の安全を保障するわよ?」
 
 告げるキュルケにタバサは僅かに思案した後、頷き、
 
「貸し二つ」
 
「バカね、これは貸しに入らないわよ。
 
 わたしがわたしの意思で、わたしのしたいようにするだけですもの」
 
 言って、慈愛に満ちた笑みを浮かべて、タバサの頭を優しく撫でる。
 
 懸案事項の解決した才人は、安堵の表情で頷き、
 
「じゃあ、俺は身代わり用のスキルニルを学院長から貰ってくるわ」
 
 告げて研究室を出ていこうとすると、タバサが才人の袖を掴み、
 
「一つ持ってる」
 
「持ってるって? スキルニルか?」
 
 無言で頷くタバサ。
 
 才人は頷きで返すと、
 
「じゃあ、必要なのは、後は執事さんの分だけか」
 
 タバサが頷きで答え、才人がそれを了承すると研究室から出ていくと、ナイがそれに続こうとし、シルフィードが彼女の手を取って一緒に付いていく。
 
 背後から付いてくるナイとシルフィードの存在に気付いた才人は、再びナイの手を取って仲良く三人一緒に歩いていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 まるで親子のように歩く三人。
 
 その光景を見た人達は、皆微笑ましげな表情で彼らを見送り、通り過ぎていく。
 
 学院長室に向かう途中で、授業が終わって廊下をふらついていたマルコリヌと擦れった時に、
 
「け、獣耳幼女……。はぁはぁ」
 
 とか言い出したので、取り敢えず半殺しにしておいた。
 
 やがて学院長室に到着した才人はノックしてから入室すると、ナイとシルフィードを確認したオスマンが、満足気にうんうんと頷き、
 
「ほほう、何時の間に結婚して、しかも子供までこしらえたんじゃ?」
 
「いや、なんでそうなる!?」
 
「そうよ! お兄さまは結婚するお相手はお姉さまって決めてるんだから! そして、わたしとナイちゃんを娘として認めてもらうの! きゅいきゅい」
 
「いや、お前も反論する所がそこじゃねぇ!!」
 
 オスマンは才人の焦り具合を満足げに眺めた後で、表情を改め、
 
「……で、今日は何の用じゃ?」
 
 対する才人も真面目な顔つきになると、今回の一件についての事情を掻い摘んで説明し、またスキルニルを借り受けたいと頼む。
 
 それを快く了承したオスマンは、立ち上がって才人の肩を叩き、
 
「よく、あの娘の戒めを解き放ってくれたの……、礼を言わせてくれぬかサイト殿」
 
「いや、まだ終わってませんから。……それに、俺はちょっと手伝っただけで、頑張ったのはタバサ本人ですよ」
 
「そう謙遜するもんでもないよ。……もし、君さえ良ければ、今後も彼女を支えてやってくれんかの?」
 
 まるで、孫を想う祖父のような表情で告げるオスマンに対し、才人は真剣な眼差しで、
 
「まだ、タバサとの契約が残ってますから。まずはそれを果たさないと……」
 
「……契約?」
 
 問うオスマンに、才人は曖昧な笑みで誤魔化すとシルフィードとナイを連れて、学院長室を後にした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 翌日、遂に完成した解除薬を持って一向はシルフィードに乗って、ガリアへと向かう。
 
 定員の都合上、今回ルイズ達とは別行動で、ガリアに向かうのは、タバサと才人。そしてキュルケとナイの総勢5名(シルフィード込み)。
 
 ナイは一応、ライカンスロープの変種ということで通しているが、ナイ自身に常識が欠如している為、一人でおいておくとボロを出しかねないという判断から連れて来た次第である。
 
 やがて、タバサの実家へ到着した一向は、執事やウェールズへの挨拶もそこそこにタバサの母親の元へ赴く。
 
 突然の来訪者に暴れるタバサの母親を風の戒めで拘束した後、強引に解除薬を飲ませると、彼女を蝕んでいた呪いがどす黒い影となって顕現し、一気に霧散した。
 
 力無く頽れる母親にタバサが駆け寄り、その身を起こすと彼女はうっすらと目を開き、タバサの姿を確認して小さくではあるがハッキリとその名を告げた。
 
「……シャルロット?」
 
 タバサの瞳から涙がこぼれ落ちる。
 
「……はい、お母様」
 
 止めようとしても止めることが出来ない、否、止める必要のない涙。
 
 その場に居合わせたキュルケや執事も、共に涙を流しながら、その光景を見入っている。
 
 一枚の絵画のように、感動を覚えるシーンだが、何時までもそれを見ているのは無粋というものだ。
 
 才人は自分の目に浮かんだ涙を拭うと、皆を促し部屋を後にした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 才人達が気を利かせて退室してから、小一時間ほど経った後、応接室に母親を伴ったタバサがやって来た。
 
 タバサは母親共々才人に頭を下げると、
 
「ありがとう」
 
「私からも礼を言わせて下さいませ。この度のご助力、誠に感謝致します」
 
 才人は慌てて手を振りながら、
 
「いや、俺は殆ど何もしてませんよ。頑張ったのは、タバサですし」
 
 それよりも、と今後のことについて説明を始める。
 
 そのことについて、本人達の了承を貰った才人は、安堵の吐息を吐き出すと、
 
「じゃあ、急がせて申し訳ありませんけども、すぐにでも準備を」
 
 急かす才人に対し、キュルケは納得のいかない表情で、
 
「ねえ、ダーリン。幾らなんでも、そんなに焦らなくても良いんじゃない?」
 
「いや、相手がジョゼフとなったら、話は別だ。アイツ相手に騙し通せる可能性はかなり低い」
 
 真剣な才人の表情に、キュルケは息を飲み、タバサも黙ってそれに従う。
 
 タバサ達が準備の為に、再び退室するのを確認してから、キュルケは才人に向かい、
 
「……そんなにヤバイ奴なの? ジョゼフって」
 
 才人は苦虫を噛み潰したような表情で、
 
「今の所、最悪の相手だな。正直、勝てる要素が見当たらねえ」
 
 ジョゼフとシェフィールド……、今の自分ならばミョズニトニルンのシェフィールドを相手にして勝つことは出来るだろうが、未だ初歩までも達していないルイズでは、ジョゼフに勝つことはどう足掻いても不可能だ。
 
 更に厄介なことにジョゼフはガリア軍(+フーケ&ワルド)というとんでも無いオマケまで有している。ガリア軍の中には、タバサに味方してくれる者もいるが、それでも敵は大きすぎる。
 
 才人が重い溜息を吐き出し、なんとか裏を掻く方法を思案していると、タバサと母親が使用人に荷物を持たせて姿を現した。
 
「家財道具などは、全て捨て置きますので、最小限の着替えと幾ばくかの財産のみで」
 
 そう言っても、執事を含めた使用人3人が両手に大きな鞄を持っているのだ。
 
 何だかんだと言った所で、やはり貴族なのだろう。
 
 身一つで準備完了と言い切れる才人とは、えらい違いである。
 
「じゃあ、その荷物は馬車で運ぶとして、タバサの母ちゃんと王子様はシルフィードで一足先に、キュルケの実家へ向かってくれ。
 
 俺は馬車の方へ同行して、トリステインへ抜けるまで護衛していく」
 
 その後、テキパキと指示を飛ばし、夜も更ける頃には、全ての準備は完了していた。
 
 才人達は闇に紛れて出発すると、二日掛けてトリステインに到着。
 
 折り返し帰って来たシルフィードにタバサ達がツェルプストー家へ無事到着した事を聞き、ひとまず安堵の吐息を吐き出した。
 
 才人達は魔法学院で執事達と別れ、タバサとキュルケが1週間ほど休むというシルフィードからの伝言と、経過報告をオスマンに伝え、取り敢えず通常の生活に戻ることとなった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 それからは、特に深刻なトラブルもなく月日が流れ、タバサ達も学院に戻り、いつも通りの生活を送っていたが、その生活は一人の女性によって終演を迎えることになる。
 
 ……女性の名前はエレオノール。ルイズの一番上の姉である。
 
 魔法学院から借り受けてきた馬車にサティーとシエスタ、そしてナイを乗せ、その隣をジルフェに乗った才人が進む。……ちなみにシエスタが付いてきているのは、純粋に巻き込まれたからだ。
 
 そして、その後ろには二頭立ての立派なブルームスタイルの馬車が走っていた。
 
 エレオノールは前を行くグリフォンに視線を向け、訝しげに眉を顰めると、
 
「ねえ、ちびルイズ。あの従者は一体何者なの?」
 
 ジルフェの首に掛けられている金属製のプレートに刻まれているのは、紛れもなくトリステイン王家の紋章だ。
 
「ただの平民が乗っていいものではないわ」
 
 貴族であろうとも、誰でも乗っていいものではない。
 
 才人が褒められると自分も嬉しいルイズは笑みを浮かべて答える。
 
「彼はそういう者なのです。王族の方でさえ一目おかれている存在。わたし達の常識の常に外の人間ですわ」
 
 そう告げるルイズの頬をエレオノールは全力で引っ張った。
 
「な、なにふるの、おでいざば」
 
「その勝ち誇った顔が妙に気に入らないだけよ、ちびルイズ」
 
 そんなルイズの災難も知らず、才人は天気の良さに欠伸を噛み締めつつ、未だ遠い、ラ・ヴァリエール公爵領へ向かっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 魔法学院を出て二日後、才人達は、ようやくラ・ヴァリエール公爵領に到着していた。
 
 だが、屋敷に着くまでには、ここからまださらに半日が必要なのだ。
 
 途中で休憩の為に立ち寄った旅籠で、村人達の手厚い歓迎を受け、更にヴァリエール家次女のカトレアと合流し、才人達は彼女の馬車で一緒に屋敷へと向かうことになった。
 
 ……なったのだが、ここで問題が発生する。
 
 才人はすっぱりと忘れていたが、カトレアの馬車の中は、さながら動物園の如き有様で、現在の才人はヴィンダールヴの力のお陰で、やたらと動物に好かれる傾向にある。
 
 足下に虎がまとわりつき、背後から熊がのし掛かり、首に大蛇を巻いて、頭にデカイ鳥が停まり、犬や猫や狸や狐がじゃれつき、膝の上ではナイがお昼寝中というカオスな状態で、半日を過ごすことになった。
 
 皆が引きつった笑みを浮かべるその状況の中で、何時もと変わらぬ笑みを浮かべ、興味深げに才人を見つめるのはカトレアだ。
 
 彼女は才人に微笑みかけると、
 
「まあ、この子達がこんなに懐くなんて、あなた凄いわ」
 
「あー、……いや、そのちょっと特殊な事情があって、動物の言葉が分かるもんで」
 
 まあ、と目を輝かせるカトレアに対し、エレオノールは一笑に伏すと、
 
「ふん、胡散臭いわね。……なら、その動物達が何と言っているか言ってごらんなさい」
 
 ……やっぱ、信じられねーよなあ。
 
 と苦笑する才人とは対照的に、ルイズは不服そうに頬を膨らませる。
 
 才人は肩に停まった小鳥たちから、何か話を聞き取り、
 
「カトレアさんは、最近つぐみを拾ったとか」
 
 エレオノールがカトレアに視線を向け、真偽を確認すると、カトレアは少し驚いた顔で、
 
「まあ、ホントに動物の言葉が分かるのね、あなた」
 
 言って、才人の手を取り、
 
「後で、わたくしの部屋にいらしてくれるかしら? 皆の声も聞かせてもらいたいの」
 
 無邪気に喜ぶカトレアに対し、エレオノールはフンと、面白くなさそうに鼻を鳴らした後、
 
「だから、どうしたというの? 動物の言葉が分かったからと言って、何の役にたつというわけでもないでしょう?」
 
 それに答えたのはルイズだ。
 
 彼女は胸を張り、苦手とする筈のエレオノールと対峙して告げる。
 
「タルブ村の攻防で、才人はその力を使って、アルビオンの竜騎士から竜を奪い敵戦力を壊滅させましたわ!」
 
 好意を寄せる少年を卑下されたのが耐えられなかったのであろうルイズの発言に、エレオノールは息を飲む。
 
 だが、彼女はすぐに落ち着きを取り戻すと、
 
「ちょっと、待ちなさいルイズ。
 
 わたしはあの戦の勝利は伝説のフェニックスによってもたらされたものと聞き及んでいるわ」
 
「そのフェニックス……、正確には竜の羽衣というマジックアイテムを操っていたのが、彼なのです」
 
 瞳を輝かせながら、誇らしげに告げるルイズに対し、エレオノールは値踏みするような眼差しを才人に向ける。
 
 まるで蛇に睨まれたカエルのような心境の才人の助け船は、意外な所からやって来た。
 
 夜の帳が降りた中を、一羽の巨大な梟がやってきて才人の肩に舞い降り、
 
「おかえりなさいませ。エレオノール様、カトレア様、ルイズ様」
 
 と優雅に一礼する。
 
 それを見たシエスタは驚愕するが、既に才人は動物が喋る事には慣れきっているし、この梟が喋るのは既に知っていたので、さして驚きはしなかった。
 
 馬車の向こうでは、巨大なお城の門番たるゴーレムが跳ね橋を降ろしているのだ見える。
 
 前回同様、また何か面倒事が起こりそうな予感に、イヤな予感がヒシヒシと伝わってくる才人だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 アルビオンの首都、ロンディニウム。そこで開かれた軍議において幾つかの議題が上がっていた。
 
 一つ、トリステインのタルブ地方襲撃の失敗。
 
 これによる艦隊再編の必要性。
 
 一つ、その為の時間稼ぎの為の女王誘拐事件の失敗。
 
 これらが招いた結果は、トリステイン・ゲルマニア連合軍は、新たな艦隊を製造し、アルビオンに攻め込むつもりであるということ。
 
 圧倒的不利な状況にあるアルビオンだが、クロムウェルにはまだ秘策があった。
 
 それは大国ガリアのアルビオン側への参戦。
 
 それが真ならば、これ以上明るい知らせは無い。
 
 意気揚々と退室していく将軍達を見送り、クロムウェルはシェフィールドとようやく傷の癒えたワルド、そしてフーケを引き連れて執務室へ向かった。
 
 そこでクロムウェルはワルドに新たな任務を与える。
 
 任務の内容は、伝説とまで言われたメイジ傭兵のメンヌヴィルをトリステイン魔法学院まで運ぶこと。
 
 運び屋として使われることに不満を覚えはしたが、それでもワルドは唇を軽く歪めて、その任務を了承した。
 
 部屋に戻ったフーケは先程のメンヌヴィルを思い出し身震いする。
 
 ……フーケ自身も、それなりに裏の仕事をこなしてきてはいるが、あのメンヌヴィルとかいう男はそんな彼女とも違う。
 
 言ってみれば、人として越えてはならない一線を越えてしまった感がある。
 
 それに、クロムウェルの戦略も納得いかない。
 
 ……確かに魔法学院の生徒を人質にとるというのは有効な手段ではあるが、如何に戦争といえどもやって良いことと悪いことがある。
 
 これまでクロムウェルが提案してきた全ての作戦が、外道の仕業であり、それら全てがフーケは気に入らなかった。
 
 フーケは一息を吐くと緊張を解き、再度思案する。
 
 だが、クロムウェルの立案してきた計画。……その尽くが一人の少年によって失敗してきた。
 
 ワルドのウェールズ皇太子暗殺に始まり、タルブ村強襲、アンリエッタ王女の誘拐、それら全ての計画を防いできたのは、あの使い魔の少年である。
 
 今回の作戦、恐らく失敗するだろう。
 
 クロムウェルは知らないことだろうが、トリステイン魔法学院には、あの使い魔の少年がいるのだ。無論フーケはその事をクロムウェルに教えるつもりは無い。
 
「……さて、期待を裏切らないでもらいたいもんね」
 
 そう呟き、杖を持って部屋を出た。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ルイズの実家である屋敷、というか城に到着し、夕食を食べ終わった後、夜も更けた時間だというのに、エレオノールがとんでもない事を言いだした。
 
「ちびルイズ、あなたの言ったことが本当か、試させてもらうわ」
 
 杖を引き抜き、才人に突き付けながら告げる。
 
「……はい?」
 
「待ってお姉さま!」
 
 止めようとするルイズに対し、エレオノールは勝ち誇った顔でルイズを制しようとするが、それよりも早くルイズの口が開いた。
 
「無理よお姉さま! スクウェアのワルドでさえサイトに勝てなかったのに、お姉さまが勝てるわけがないわ!!」
 
 それを聞いたエレオノールの顔が怒りで朱に染まる。
 
「……いいわ、表に出なさい。どの程度の実力か見せてもらうわ」
 
 言い放ち、才人達を残して部屋を出ていった。
 
 残された才人はルイズと顔を見合わせ、盛大に溜息を吐き出すと、
 
「ねえ、サイト……」
 
 ルイズは心配そうに、
 
「あのね、お姉さまに怪我させないようにしてほしいの」
 
 才人は溜息を吐きつつ、自分の頭を掻きながら、
 
「まあ多分、大丈夫だって、取り敢えず任せとけよ」
 
「……うん」
 
 返事を返すルイズの瞳には、彼への絶対の信頼が満ちている。
 
 才人も頷き返すと、ルイズと共にエレオノールの後を追った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 手入れの行き届いた庭園において、対峙するエレオノールと才人。
 
 杖を手に、準備万端というエレオノールに対して、才人の方は両手にグローブを装着してはいるものの、背のデルフリンガーには手を掛けてもいない。
 
 それに業を煮やしたエレオノールは、才人に杖を突き付けると、
 
「どうしたの!? その背の剣は飾りというわけでもないんでしょう? さあ、お抜きなさい! ……それとも平民が、貴族であるわたしを相手に、全力を出すまでもないと侮るか!?」
 
 憤りを露わにするエレオノールに対して、才人は深々と溜息を吐き出すと、余り気乗りのしない表情で長剣を抜き放つ。
 
「えーと、……じゃあ、どうぞ?」
 
 やる気の感じられない才人に対し、エレオノールは杖を振って魔法を発動する。
 
 土の魔法。
 
 大地が隆起し才人を飲み込もうとするが、才人は大地にデルフリンガーを突き立て、一瞬で霧散させる。
 
 その事に驚き、動きの停まったエレオノールに、才人はデルフリンガーを捨て置き一瞬で彼女との間合いを詰めると、下から突き上げるような裳底を放つ。
 
 狙う先は、エレオノールの握る右手の杖。
 
 狙い違わず杖を弾いた才人は、別の手でエレオノールの服の襟を掴み、足を払った。
 
 エレオノールの視界が回る。
 
 視界に二つの月が映り、そこでようやく自分が回っていることを自覚した彼女は、次に訪れるであろう衝撃に備えて堅く目を閉じるが、……それは何時まで待ってもやって来なかった。
 
 恐る恐る目蓋を開いたエレオノールの視界に最初に映ったのは、心配そうに見下ろす才人の眼差し。
 
 そして、エレオノールは、自分が才人に抱きかかえられていることに気付き、顔を朱に染める。
 
 ……怒りによるものではない。
 
 羞恥と照れによるものだ。
 
 ルイズの拡大発展型であるエレオノールは、今までどんな男性が相手であろうとも主導権を握られたことは無い。
 
 ラ・ヴァリエール家の長女の名に相応しく、全てを威圧し制圧するように振る舞ってきた。今回の婚約解消も、そのような振る舞いが原因といえる。
 
 そんなエレオノールだからこそ男性に抱きかかえられたことなど幼少時に父親にやってもらって以来、記憶に無い出来事だ。
 
 才人はエレオノールをゆっくりと地面に降ろし転がっていた彼女の杖を拾い上げてエレオノールに差し出すと、
 
「えーと、……こんなもんで良いですか?」
 
 明らかに実力の半分は疎か1/10も出してない彼に、……否、出させることが出来なかった自分自身に憤りを感じるが、それ以上に彼女の中で燃え上がる熱い感情があった。
 
 ……重ねていうが、エレオノールはルイズの拡大発展型ともいえる女性である。
 
 ルイズ同様、彼女もツンとデレの両属性を有しているが、これまで本気で惚れられる男性が現れなかった為、ツン系統ばかりが拡大していったのだが、仮に彼女が本気で惚れるような相手が現れた場合、彼女の内に眠るデレ系統は目を覚ますだろう。
 
 そして、長い封印から解き放たれたデレは、ツン時の反動も手伝って、ルイズでさえ足下にも及ばないほどの甘えを見せることになるだろうと予測される。
 
 というか、事実そうなった。
 
「あ、……あの」
 
 それまでとは一転して、まるで恋する乙女のような眼差しで才人を見つめながら問いかける。
 
「もし、よろしければ、お名前を教えて下さいませんか?」
 
 常日頃ならば、まったく気にも留めない筈の平民の名前を聞く。
 
 その異常性に気付いたルイズ、カトレア、そして彼女達の母親であるラ・ヴァリエール公爵夫人は驚愕に目を見開き、その態度にラヴ臭を感じ取ったシエスタが目を細める中、才人もエレオノールの突然の豹変振りに驚きながらも、己の名前を告げてしまう。
 
「才人です。……平賀・才人」
 
 エレオノールはうっとりとした表情のまま、口の中で、小さく才人の名前を呟くと、
 
「まあ、……素敵な響きのお名前ね」
 
 ……デレった!!
 
 真っ先に危機を感じ取ったルイズとシエスタが、才人の腕を取って素早くその場を離脱。
 
 名残惜しそうに才人に手を伸ばすエレオノールを速度任せに強引に振り切ると、才人に宛われた部屋へと逃げ込んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 普段は納屋として使われているであろう、掃除道具が収められた部屋で人心地吐いた才人達は、額の汗を拭い、
 
「……まさか、お姉さまがあんな行動に出るとは、予想外だったわ」
 
 ……でも、お姉さまを味方に付けることが出来れば……。
 
 ルイズは予測する。……あの姉の事だ、ヴァリエール家の財産、人脈、権力を余すことなく用いて才人の日本帰還を阻む事が出来るかもしれない。
 
 そう思いほくそ笑むルイズに対し、才人は何か物足りないと背中に手を伸ばし、デルフリンガーを忘れてきたことに気付き、何事かを相談しているルイズとシエスタに黙って部屋を出ていった。
 
 向かう先は、先程エレオノールと戦った庭。
 
 絶対、デルフの奴に文句言われるんだろうなあ。と考えながら歩く才人の前に現れたのは、その可憐な容姿に似つかわしくない長剣を抱えるようにして持ち、フラフラと歩くカトレアの姿だった。
 
「あら? 丁度良かったわ。はい、忘れ物よ」
 
 危なっかしい手つきでデルフを差し出してくるカトレアに、才人は礼を述べて受け取ると、デルフの苦情を黙殺して鞘に収める。
 
 カトレアは微笑みながら才人の手を取り、
 
「ねえ、馬車でした約束を覚えてるかしら?」
 
 そう告げて、才人を自分の部屋へ案内した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 カトレアの部屋へ案内された才人は、そこで動物達の声を聞いてくれるようにせがまれるが、部屋へ入った途端に大量の動物達によって、もみくちゃにされて、押し潰された。
 
「いや、ちょっと待てお前ら! いいから、ちょっと落ち着け。つーか頼むから退いてくれ。特に、そこの熊!!」
 
 まさに渋々といった風体で才人の上から退いていく動物達に対し、才人はカトレアの事も忘れて、彼らに懇々と説教を始める。
 
 曰わく、もし女の子が相手だった場合、下手をすれば怪我で済まないとか。
 
 曰わく、世の中には爬虫類の苦手な者もいるので、首に巻き付くのは禁止とか。
 
 曰わく、お前らの牙は甘噛みでも軽く骨まで達するので、噛み付き禁止とか。
 
 才人に説教され、しゅんと項垂れる動物達を見て、カトレアはコロコロと笑い、
 
「うふふ、本当に楽しいわあなた。わたくしこんなに楽しいのって、久しぶり」
 
 言って、手近に居た虎の頭を優しく撫でる。
 
 対する才人もはにかんだ笑いを浮かべるが、カトレアが突然激しく咳き込むのを見て、表情を一辺し、彼女の背中を撫でながら、
 
「……大丈夫ですか!?」
 
 カトレアは、荒い息を吐きながらも懸命に頷き、
 
「だ、大丈夫よ……。いつものことだから」
 
「いつものことって!?」
 
 本人よりも顔を青ざめさせる才人に、カトレアは安心させるように微笑みを向けると、
 
「国中からお医者様をお呼びして、強力な水の魔法を何度も試したけれど……。
 
 魔法でもどうにもならない病ってあるようね。
 
 なんでも、身体の芯から良くないみたい。多少、水の流れをいじったところで、どうにもならないんですって」
 
 カトレアの言葉に、才人は愕然とする。
 
 そんなのは、初耳だった。以前会った時には、そんなこと微塵も見せなかったのに。
 
「……そんな」
 
 そんな事実でさえ、笑顔で語るカトレアに対し、才人は悲愴な表情になるが、それを慰めるようにカトレアが才人の頬に手を添える。
 
「そんなに悲しい顔をしないで、結構楽しい毎日なんだから、……ほら」
 
 カトレアは鳥籠を見せた。
 
 中には羽根に小さな包帯を巻かれたつぐみがいた。
 
「この子、通り掛かったわたしに一生懸命訴えていたの。羽根が痛いよ、痛いよって。
 
 わたしすぐにこの子の声に気付いて馬車を止めて拾ってあげたの」
 
 ……動物の声が分かる。……それは、ヴィンダールヴの能力ではないのか?
 
 カトレアは微笑みながら、
 
「あなたと同じね」
 
 と告げ、更に才人に近づき、その瞳を凝視する。
 
「ねえ、あなた、たしかヒラガ・サイトさんだったかしら?」
 
「ええ」
 
「あなた何者? ハルケギニアの人間じゃないわね。
 
 なんだか根っこから違う人間のような気がするの? 違って?」
 
 ……相変わらず鋭い。
 
 苦笑するしかない才人は、もはや完全にカトレアのペースに乗せられていた。
 
 才人は小さく深呼吸すると、気を取り直し表情を真剣なものに改め、
 
「カトレアさん。あなたの病気のことなんですけども」
 
「あら、気にしなくていいのよ?」
 
「しますって! いや、その……えーとですね、ひょっとしたら治せるかもしれません」
 
 心当たりはある。
 
 テファの持っていた先住の魔法が込められた指輪。……あれならカトレアの病を治せるのではないか?
 
 ……だが、その指輪をカトレアに為に使うには、自分が指輪の力の世話にならないようにしなければならない。
 
「えーと、確率的にかなり厳しいですけども、心当たりはありますから、何とかしてみます。
 
 ……だから、それまで待っていてもらえますか?」
 
 真剣な眼差しで見つめると、カトレアは頬を桜色に染めながらも、しっかりと頷いてくれた。
 
「詳しいことは、よく分からないけども、あなたのこと信じるわ。
 
 だって、ルイズが信じているのですもの。わたしも無条件で信じられるわ」
 
 才人は照れて頭を掻きながら、
 
「絶対とは言い切る自信はありませんけども、……最大限の努力はしてみます」
 
 そう約束をし、暫く話をしてからカトレアの部屋を後にした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 翌朝、ルイズの父親であるラ・ヴァリエール公爵が城に戻り、朝食の席でルイズが戦争への参加を申し出るが、すげなく却下された。
 
 だが、ルイズへの助っ人は意外な所から現れた。
 
「あら? わたしは賛成ですわよ? ルイズ自身の活躍はともかく、サイト様でしたら、その実力を偉観無く発揮して必ずや、トリステインの勝利に貢献してくださるに違いないわ」
 
 そう告げたのは、長女のエレオノールだ。
 
 彼女の発言に、ラ・ヴァリエール公爵は眉根を寄せて、
 
「そのサイトというのは、誰だ?」
 
「わ、わたしの使い魔です」
 
「……使い魔?」
 
 公爵は更に訝しげな表情で、
 
「ならば、その使い魔だけを戦場に送り込めばよかろう?」
 
「あら? 使い魔とメイジは一心同体。使い魔が戦場に出ているというのに、その主人が自分の領地で温々と過ごしていては、ただの笑い者ですわ」
 
「……エレオノール。お前は、自分の妹を戦場に送り込もうというのだぞ?」
 
「勿論、そのことに関しては、わたしも反対です。……ですが、サイト様が同行してくださる以上、ルイズの安全は保障されているようなもの。
 
 なにを恐れる心配がありましょう」
 
 有り得ない程に自分のことを擁護してくれる姉に、ルイズは訝しげな視線を向けるが、エレオノールは視線で任せておけと告げると、再び公爵に視線を移し、
 
「タルブでの攻防戦において、サイト様は竜の羽衣と呼ばれるマジックアイテムを操り、アルビオン軍を壊滅に追いやったとか。
 
 アンリエッタ女王もその事を御存じとのこと。
 
 もし、此度の戦争において、サイト様の参加を断ればトリステインが負けてしまう可能性もございますわ。
 
 お父様は、その時何と言って責任を取るつもりでしょうか?」
 
 その言動に、母親がエレオノールを窘めようとするが、公爵がそれを手で制し、
 
「一人が戦争の行方を左右することなど、有り得ないのだエレオノール。
 
 お前は戦を知らな過ぎる。チェスとは違い、戦とは言ってみれば数の多い方が勝つ。しかも攻める方は守る方の3倍の数が必要となる。
 
 ただ単純に、それだけなのだよ」
 
「ですが、サイト様は現に単騎でアルビオンの竜騎士隊を屠り、艦隊を沈められましたが?」
 
「何事も偶然や奇跡というものが存在する。
 
 ……だが、二度と続くようなものではないのだ」
 
 やんわりと窘めようとする公爵に対し、エレオノールは挑発的な笑みを浮かべると、
 
「ならば、お父様が直々にサイト様の実力を確かめては如何?
 
 お父様が勝てばルイズは塔に監禁、勿論わたくしも同様で結構。
 
 但し、サイト様が勝てば、ルイズの戦への参加を許可すると」
 
「バカバカしい。何故わしが使い魔如きと戦わねばならん」
 
 エレオノールは嘲笑を浮かべると、
 
「ふふ、流石のお父様も、寄る年波には勝てませんか?」
 
 その言葉に公爵はエレオノールを睨み付けた。
 
 幾多の戦場を経験した者だけが放つことの出来る気迫を前に、エレオノールが息を飲む。
 
「良いだろう。その使い魔が居なくなれば、ルイズも二度とそのような事を考えまい」
 
 告げて、執事に自分の杖と戦装束を用意するように告げて、退室した。
 
 ルイズは慌ててエレオノールの元へ駆け寄ると、
 
「お姉さま。……どうして、あのような真似を?」
 
 心配そうに告げるルイズに対し、エレオノールは緊張を解いて安堵の吐息を吐き出すと、
 
「別に、あなたの為ではないわ、ちびルイズ。
 
 わたしはわたしの考えがあって、お父様に進言したまでよ」
 
「考え?」
 
「ええ、最近、王宮の方で、手柄を挙げた平民が、シュヴァリエの称号を得て、陛下直属の銃士隊の隊長となったらしいわ」
 
 ……アニエスのことだと思い、ルイズは頷く。
 
「ならばサイト様もこの戦争で大きな手柄を挙げれば、貴族に引き上げられることもあるのではなくて?」
 
 戦で挙げた手柄でなれる貴族といえば最下層のシュバリエであるが、如何に身分が低いとはいえ貴族は貴族。後は戦ごとに手柄を立てていけば良い。
 
 こちらの世界で相応の身分が出来れば、未練が出てきて才人も帰るのを躊躇うかもしれない。
                          
「素晴らしい考えだわ、お姉さま!」
 
 それに才人が貴族となれば、自分と結ばれる為の最大の難点である身分の壁も若干は低くなるだろう。
 
 全く同じ結論に到達するヴァリエール家の長女と末女。
 
 ただそれは、才人の相手が自分であるということが大前提であり、眼前の姉妹が恋敵になろうとは、……互いに、結構予想していたりもするが、今現在はお互いに同じ目的を突き進む同士である。
 
 まあ、その内決着を着けねばならない時が来るであろうが、ルイズはルイズで付き合いの長さと主従の絆という強い結びつきがあるために、昨日今日知り合ったばかりのエレオノールよりは自分になびくだろうという自信があるし、エレオノールはエレオノールでお子様体型のルイズよりは、自分になびくだろうと確信している。
 
 こうして、才人とラ・ヴァリエール公爵との決闘が本人の預かり知らぬ所で決定された。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 才人の部屋として宛われた納屋。
 
 シエスタを教師として、ナイと才人が読み書きの勉強を教わっていると、乱暴にドアが開かれルイズとエレオノールが入ってきた。
 
「サイト! お父様との決闘が決まったわ! 頑張って!」
 
「このエレオノール身内との絆よりも、サイト様への愛を優先させていただきますわ」
 
 僅かに遅れ、カトレアも到着し、
 
「あら……、ならば、わたくしもサイトさんの応援をさせてもらいますね。
 
 ですが、出来ればお二方ともに、お怪我がないように決着が着いてくれるとありがたいのですけど」
 
 振って沸いた決闘に、才人は目を白黒させて驚くが、事情を聞いて溜息を吐き出すと、
 
「えーとですね、エレオノールさん。お気持ちはとても嬉しいんですけども、親と仲違いするのは駄目ですよ」
 
 本来はもっと穏便な方法が良かったのだが、仕方ない。
 
「決闘は受けますけど、それが終わったら、ちゃんと謝って仲直りして下さいよ?
 
 ……もう、父親と会いたくても会えない人もいるんですから」
 
 自らの父親とは会いたくても、もう二度と会えないタバサの事を知っている才人としては、未だ両親が健在のヴァリエール姉妹には出来るだけ親とは仲良くしてもらいたいと切実に思う。
 
 それを理解したエレオノールは深く頷き、才人の言葉に同意した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 才人が決闘場である庭に赴いた時、すでに公爵は到着しており、その装束を見た才人は顔に縦線を走らせた。
 
 完全武装なのだ。
 
 楔帷子の上に全身を覆う豪奢な鎧に身を固め、その上から威圧感漂う重厚な真紅のマントを羽織り、ルイズ達が使うような短い杖ではなく、タバサが用いるような自分の身の丈はあろうかという巨杖を携え、やって来た才人を睨み付ける。
 
 そこに纏われる殺気は、戦場での命のやり取りを経験している者のみが放てる本物の殺気だった。
 
 ……殺る気、満々じゃねーか。一体、何て言って挑発したんだ?
 
 公爵は杖の先端を才人に突き付け、
 
「……貴様か? わしの娘達を誑かした平民は」
 
 対する才人は、露骨に嫌そうな顔で公爵を指差し、顔をルイズ達に向けるが、当のルイズ達は応援に夢中で父親の態度はスルー。
 
「来い下郎。打ち首にした挙げ句、その首1ヶ月は曝してやる」
 
 杖を構えた途端、周囲の空気が戦場のそれに変わる。
 
 それに気付いた才人は、気を改めると、背中の長剣をゆっくりと引き抜く。
 
「よう相棒。久しぶりに歯ごたえのありそうな敵じゃねえか。
 
 これだけの殺気を放てる相手は、あのワルドっていう貴族以来か?」
 
「手加減する余裕なんかなさそうだからな、全力で行くぞ」
 
「良し来た」
 
 久々に全力が出せるのが嬉しいのか、デルフの声が弾んでいる。
 
 公爵が小さく短く詠唱し、魔法を解放すると、無数の礫が才人を襲う。
 
 才人がそれを飛んで回避すると、空中で身動きのとれない彼に向け、巨大な尖柱が突き立つ。
 
 石の尖柱を長剣の一撃で両断し、大地に着地した才人は、風のような速度で、公爵との間合いを一気に詰める。
 
 その人間離れした速度に驚いた公爵が、僅かに攻撃の手を遅らせてしまう。
 
 一瞬ともいえる些細な時間であるが、才人にとってはそれだけで充分な時間だ。
 
 才人が公爵の懐に入り、その杖を弾く。
 
 だが、公爵はその一撃を耐えてみせた。
 
 腕こそ弾かれたものの、その手には未だしっかりと杖を握っている。
 
 そして公爵は呪文を解放する。距離が近すぎる為、自らも巻き込むのを覚悟しての一撃だ。
 
 だが、その一撃もデルフリンガーによって吸収された。
 
 信じられない出来事に、目を見開く公爵の眼前に長剣の切っ先が突き付けられる。
 
「……まだ、やりますか?」
 
 公爵は才人の勧告に答えず、彼の視線を正面から受け止め、
 
「一つ……いや、二つ質問に答えろ」
 
「…………?」
 
「もし、ルイズが戦場で負傷した場合、どうやって償うつもりだ?」
 
 償うも何も、元々戦争への参加を望んでいるのはルイズの方なのだが……。
 
「イヤ……、別に何も」
 
「……何だと?」
 
「元から、怪我させるつもりは微塵もないですし」
 
 ルイズには、怪我をさせないので、負傷した場合の責任など取りようがないと告げる才人に対し、公爵は小さく舌打ちし、
 
「次の質問だ。……貴様、一体何者だ?」
 
 それに対しては、すんなりと答が出た。
 
「ゼロのルイズの使い魔」
 
 公爵は面白くなさそうに鼻を鳴らすと、デルフリンガーの切っ先を杖で強引に逸らして踵を返し、
 
「一個軍団、貴様に預ける。……良いな? ルイズに毛ほどの傷でも負わせてみろ、我が全軍を持って貴様を括り殺してやる」
 
 それだけを言い残して、婦人を伴い庭園から去っていった。
 
 安堵の吐息を吐き出しながら、デルフリンガーを鞘に収めた才人は、心配そうに彼らの決着を見守っていたルイズ達に視線を向け、肩を竦めてみせた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 庭園に生える一本の大きな木。
 
 その枝に腰掛け、決闘の一部始終を眺めていた女性は呆れた口調で、
 
「……何やってんのかしら? あのバカ。
 
 それにしても、ちょっと歴史が変わり過ぎじゃない?」
 
 言って、視線を才人に抱き付くエレオノールに向ける。
 
「……初めて見たわ、あんなにはしゃぐ姉さまの姿」
 
 そして溜息を吐き、視線を才人に向け照れながら頭を掻く彼の姿を確認すると、目尻を下げ、
 
「でも、ま……、元気そうで安心したわ」
 
 女性が呪文を唱えると、その身体が光の粒子となってその場から消えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その日の午後、ヴァリエール家を後にしたルイズ達は三日掛けて魔法学院に戻り、魔法学院を目前にして才人が忘れ物をしたと言って、ルイズ達を置き去りにしてトリスタニアの武器屋へジルフェと共に駆けていったのだ。
 
 ルイズ達と別れた才人は、1時間程でトリスタニアの城下町まで来ていた。
 
 目的地はデルフを買った武器屋だ。
 
 才人は勢い良くドアを開けると、カウンターに座る店主に向け、
 
「悪い、おっちゃん! ディフェンダー引き取りに来るの忘れてた!」
 
 対する店主は呆れた顔で、
 
「剣士が剣忘れて、どうするっていうんだよ? 我らが剣」
 
 そう言いながらもカウンターの下から、才人のディフェンダーを取り出す。
 
 才人は受け取った剣を腰に差し、武器棚を眺めると、投げナイフを新たに5組程購入し、更に何か使えそうな武器がないかと辺りを見渡す。
 
「どうしたい? 我らが剣。まるで、戦争にでも行くみてえじゃねえか?」
 
「いや、行くみてえじゃなくて、実際に行くことになったから」
 
「何だって!?」
 
 店主は驚いてカウンターに身を乗り出すと、
 
「本気かよ?」
 
「ご主人様が姫様から期待されてんだから、その付き合いだよ」
 
 それを聞いた親父は、暫く何かを考えていたが、やがて決断すると才人にちょっと待ってろと言い残してその場を後にする。
 
 5分程待って、再び現れた親父の手には、長さ1.5メイル、幅50サント程の箱が握られていた。
 
 親父は箱を開くと、中からまったく同じ造りの長剣二振りを取り出し、
 
「持ってってくれ。あんたなら、コイツを使いこなせる筈だ」
 
 才人が剣に触れると、ガンダールヴのルーンが剣の情報を読みとる。
 
「……メーネ。騎馬戦で振るうために開発された双身剣か」
 
 店主は感心した表情で、
 
「ああ、馬上じゃ弱手側からの攻防は馬の首が邪魔して剣を振れねえからな。
 
 その弱点を克服する為に作られたのが、コイツだ。
 
 しかも、使い手次第じゃあ、馬上でなくとも恐ろしい迄の攻撃力を発揮する」
 
 だが、才人は苦笑を浮かべ、
 
「でも俺、今日はそんなにお金持ってきてねーよ」
 
 対する店主は快活に笑うと、
 
「持ってってくれと言った筈だぜ? 我らが剣よ。おめえが戦場で活躍すりゃあ、店の看板に我らが剣御用達って掲げさせてもらわあ!
 
 それが何よりの代金だぜ!」
 
 と才人の肩をバンバン叩く店主に礼を言って店を出て、ジルフェに乗って魔法学院への道を急いだ。
inserted by FC2 system