ゼロの使い魔・2回目
 
第6話
 
 夏休みも無事に終了し、トリステイン魔法学院に戻った才人達を待ち受けていたのは、やはり騒動だった。
 
 久方振りに訪れたコルベールの研究室で壁に大穴が空き部屋の主であるコルベールが床に突っ伏して目を回しているのを才人が発見した。
 
「先生! コルベール先生!! 大丈夫ですか!?」
 
 慌てて才人が駆け寄ってコルベールを起こすと、コルベールは咳き込みながら、
 
「あ、……ああ、大丈夫だ」
 
 言って、ふらつきながらもなんとか立ち上がった。
 
「一体、何があったんですか?」
 
 才人の問いに、コルベールは荒れ果てた部屋を見渡し、
 
「実はミス・タバサの制作していたホムンクルスが逃げ出してしまってね」
 
「大変じゃないですか!?」
 
「ああ、皆に見つかる前に、何とかしないといけないんだが、少々問題があってね」
 
「……問題?」
 
 問い返す才人に、コルベールは頷き、
 
「実は、普通ホムンクルスというものは、生まれつき脆弱なものなんだが……、ここで創り出されたホムンクルスは少々特殊でね」
 
 とても言いにくそうに、
 
「精製の際に、幻獣の血を加えた為、身体能力が半端じゃないんだ」
 
「……なんで、そんなものを」
 
 呆れた口調で問う才人に対し、コルベールはしっかりした口調で、
 
「万が一の為と思ってほしい。今の時代、ホムンクルスは禁忌の技術だからね。
 
 見つかり次第、殺されることになる。
 
 その時に、無事逃げられるように、と思ってね。……だが、他人に見つかる前に逃げられてしまっては、話にならないんだが」
 
 乾いた笑みを浮かべながら告げるコルベールに対し、才人は大きく息を吐いて、気持ちを切り替えると、
 
「そのホムンクルスなんですけど、人を襲ったりするんですか?」
 
「いや、そういうことは無い筈だ。基本的に食生活や精神構造は人間と同じだからね。
 
 但し、今は生まれたばかりで、常識なんかは欠如してる状態だから、何か問題を起こす前に捕まえるに越したことはないが……」
 
「分かりました」
 
 言って、両手にグローブを填め、
 
「何とか捕まえてみます。……そのホムンクルスなんですけど、何か特徴とかはありますか?」
 
「ああ、一目見れば分かると思うが、……獣のような耳と尻尾が生えているからね」
 
 ……それ、分かりやす過ぎ!
 
 つーか、普通に生活出来ないし!!
 
 才人は辛うじて頭を抱えるのを我慢すると、大きく開いた大穴から外へ飛び出した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 丁度その頃、人間形態のシルフィードがシエスタから貰ったリンゴを持って歩いていた。
 
 彼女が一番に慕うお姉さまであるタバサは、現在、授業中で身動きがとれない為、二番目に慕うお兄さまこと才人と一緒にリンゴを食べようと思い、彼を探しているのだが……、肝心の彼の姿が一向に見つからない。
 
 そこで誰かに才人の行方を尋ねようと思ったのだが、今は授業中。
 
 周囲に人の姿は無い。……が、元々人ではない彼女は、人以外のものとも会話出来る。
 
 真っ先に思いついた相談相手は、才人の相棒であり暇を持て余しているであろうデルフリンガーかジルフェだった。サティーは雑用があるので忙しいであろうし、地下水は才人が持ち歩いているので、意味は無い。
 
 なので一番近い場所にいるであろう。ジルフェの元へ向かうことにした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 馬小屋の一角。
 
 そこに、一種異様な雰囲気を放つ場所がある。
 
 何というか、他の馬たちとは一線……いや、二線も三線も違う格を有した存在。
 
 グリフォンのジルフェが在所。
 
 トリステイン王宮の魔法衛士隊の中でも、エリート中のエリートのみが入隊出来ると言われているグリフォン隊。
 
 さらに、その愛馬たるグリフォンの中でも最優種の血統を持つグリフォン。それが、このジルフェであり、現在の主人は伝説のルーンを宿した少年。
 
 そんなジルフェであるが、今、彼はとても困っていた。
 
 先程、自分の寝床に侵入してきた少女。
 
 大きな獣耳と、キツネのような大振りの尻尾を生やした全裸の少女なのだが、彼女はフラフラした足取りでジルフェの寝床までやってくると、
 
「……おとーさんの匂い」
 
 と言ったきり、彼に抱き付いて動かなくなってしまったのだ。
 
 ジェントルメンであり、フェミニストを自認する彼としては、ここでこの少女を起こすのは忍びなく、されるがままになっているのだが……、
 
“……どうしたものか”
 
 ジルフェが思案していると、青い髪の女性がやって来た。
 
「ねーねー、ジルフェ」
 
 女性は両手にリンゴを持ったまま、
 
「お兄さま何処に行ったか知らない?」
 
 小首を傾げ、問いかけてくる。
 
 朝にエサを持ってきて以来、才人の姿を見ていないジルフェは、そのことをシルフィードに伝えようとした時、彼にしがみついていた少女が目を開き、シルフィードの方へ顔を向ける。
 
 少女の視線が、自分の持つリンゴに固定されていることに気付いたシルフィードは、視線をリンゴに落とし、少女の顔を見て、再びリンゴを見て、再度少女を見て、……暫く思案した後で、左手のリンゴを少女に差し出して、
 
「きゅい、……ど、どうぞ」
 
 少女は無言のまま、恐る恐るシルフィードからリンゴを受け取ると、手の中に果実をじっと見つめる。
 
 シルフィードは純粋な笑みを浮かべると、リンゴの表面を服で擦りそのまま囓りつく。
 
 少女は始め、きょとんとした表情でそれを見ていたが、シルフィードが美味しそうにリンゴを食べているのを見て、触発されたのか、シルフィードの真似をして、自分のお腹でリンゴを擦り、そのまま囓りつく。
 
 暫くリンゴを咀嚼してから飲み込み、一瞬驚いたような表情を浮かべると、一転して今度は貪るようにリンゴを食べ始める。
 
 するとシルフィードも対抗意識を燃やして、リンゴを口一杯に頬張り、何時しか早食い競争の様相を呈してきた。
 
 やがて、芯まで残さずリンゴを食べきってしまった二人は、共に笑みを浮かべ、
 
「わたしね、シルフィードって言うの。お姉さまがつけてくれた名前。きゅいきゅい♪
 
 あなたのお名前は?」
 
「……名前?」
 
「そう。お名前」
 
 問われた少女は、小首を傾げて考えるが、やがて泣きそうな表情で、
 
「……無い」
 
「ナイちゃん?」
 
“……いや、待てシルフィード。それは、その少女の名前ではなく無いという意味であろう?”
 
 身体は成人でも、精神年齢の幼いシルフィードは、それを名前と捉え、ジルフェの意見を聞かずに一人納得すると、彼女は満面の笑みを浮かべ、
 
「そっか、良い名前ね、ナイちゃん。るーるる♪」
 
「……ナイ? わたし、ナイ?」
 
 やがて少女も、それが自分の名前であると認識し、表情を笑みで彩った。
 
 そんな様子を、ジルフェは苦笑いで見守っていたが、それは一人の乱入者によって打ち砕かれる。
 
「おーい、ジルフェ」
 
 聞こえてきた声に、二人の少女が反応する。
 
 やがて、薄暗がりの中に少年の姿を確認した女性と少女は、同時にその場から駆けだして才人に抱き付き、
 
「お兄さま! きゅいきゅい♪」
 
「ん、おとーさん」
 
 抱き付いてきたのが、シルフィードと件のホムンクルスであることを理解した才人は、少女らの頭を撫でながら、
 
「えーと……」
 
 名前を呼ぼうとして、戸惑う。
 
 ……ホムンクルスって呼ぶわけにもいかねーしなぁ。
 
 すると、シルフィードが元気良く、
 
「ナイちゃんよ! きゅいきゅい! わたしが名付け親、わーたーしーがつけたのー! のーのーのー!!」
 
 妹が出来たみたいで嬉しいのだろう。身体全体で喜びを表現するシルフィードを才人は苦笑いで見つめつつ、
 
「ん、じゃあ、ナイ。どうして、先生の部屋から逃げたりしたんだ?」
 
 その問いかけを、怒られたと勘違いしたナイは、目に涙を溜めながら、
 
「う……、ゴメンなさい。
 
 でも……、あそこにおとーさんいなかったから」
 
 ……おとーさんって、俺のことか? ……ああ、原材料俺の精液だったけ。
 
 才人は小さく溜息を吐き、
 
「じゃあ、取り敢えず部屋に戻ろうか。ここに居てもジルフェの邪魔になりそうだし」
 
 そう説得すると、ナイは才人を見上げ、
 
「おとーさん、一緒にいてくれる?」
 
 恐る恐る告げる少女に、才人は自分のパーカーを脱いで、それを着せると、
 
「ああ、一緒に居るよ」
 
 もう一度、頭を撫でると、ナイを真ん中に挟んで三人で手を繋いぎ、コルベールの部屋へ向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 コルベールの研究室。
 
 才人がナイ達を連れ帰った時には、既に壁に空けられた穴は塞がれており、やっぱ魔法って便利だなー、と才人は改めて感心した。
 
 才人がシルフィードにタバサを呼んできてくれるように頼むと、彼女は授業中であることを無視して教室に乱入し、タバサの手を引いて強引に連れてきたのを才人は苦笑いを浮かべながらも受け入れ、タバサにホムンクルスの完成を告げる。
 
 皆が見守る中、才人は、ナイが怖がらないように抱き締めながら、その指の腹を手にしたダガーで小さく刺し、そこから流れ落ちた一滴の滴を予め調合しておいた薬液の満たされているフラスコで受ける。
 
 すると、薬液の色が薄い赤みがかったものから、目の覚めるような蒼に変わっていった。
 
 それを確認したコルベールは、才人からフラスコを受け取ると、用意してあった蒸留器にセットしていく。
 
 その間、才人は、泣きそうになっているナイの血の滲んだ指を舐めて、応急の止血をすると、その頭を撫でながら、
 
「痛いの痛いの飛んでけー!」
 
「……なに?」
 
 きょとんとした目つきで才人を見つめるナイに対し、才人は苦笑を浮かべると、
 
「いや、俺の国の魔法でな、こうすると痛いのがどっか飛んで行っちまうんだ」
 
「ホント、お兄さま!?」
 
 興味津々といった顔で、シルフィードが顔を近づけてくる。
 
 彼女は視線をナイに向けると、
 
「ナイちゃん、痛いの治った? きゅい」
 
 問われたナイは、未だ少しぐずりながらも、目に溜まった涙を拭い、
 
「うん、治った」
 
 言って、先程才人が舐めたばかりの指をくわえる。
 
 そんな少女達のやりとりを微笑ましげに見つめていたコルベールは、蒸留の準備を終えると、
 
「さて、これで準備は完了です。後は一晩掛けてじっくりと蒸留すれば、解除薬が完成するというわけですな」
 
 言って、火の点いたアルコールランプをフラスコの下に据える。
 
 一通りの準備が完了したのを確認した才人は、安堵の吐息を吐いて椅子に腰を落とし、タバサに一つの提案を持ちかけた。
 
「お前の母ちゃんが治ったらさ、出来るだけ早い内にガリアを出た方が良いと思うんだ。
 
 何時までもガリアに居たら、またジョゼフに妙な薬を飲まされかねないからな」
 
 その提案をタバサは素直に受け入れるが、問題はガリアを出て何処に身を潜めるかだ。
 
「あら、そんなことなら、わたしの実家を提供するわよ」
 
 言葉と共に部屋に入って来たのは、タバサの親友であるキュルケ。
 
 彼女は自慢の赤毛を掻き上げると、
 
「どう、タバサ。ツェルプストーの名において、絶対の安全を保障するわよ?」
 
 告げるキュルケにタバサは僅かに思案した後、頷き、
 
「貸し二つ」
 
「バカね、これは貸しに入らないわよ。
 
 わたしがわたしの意思で、わたしのしたいようにするだけですもの」
 
 言って、慈愛に満ちた笑みを浮かべて、タバサの頭を優しく撫でる。
 
 懸案事項の解決した才人は、安堵の表情で頷き、
 
「じゃあ、俺は身代わり用のスキルニルを学院長から貰ってくるわ」
 
 告げて研究室を出ていこうとすると、タバサが才人の袖を掴み、
 
「一つ持ってる」
 
「持ってるって? スキルニルか?」
 
 無言で頷くタバサ。
 
 才人は頷きで返すと、
 
「じゃあ、必要なのは、後は執事さんの分だけか」
 
 タバサが頷きで答え、才人がそれを了承すると研究室から出ていくと、ナイがそれに続こうとし、シルフィードが彼女の手を取って一緒に付いていく。
 
 背後から付いてくるナイとシルフィードの存在に気付いた才人は、再びナイの手を取って仲良く三人一緒に歩いていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 まるで親子のように歩く三人。
 
 その光景を見た人達は、皆微笑ましげな表情で彼らを見送り、通り過ぎていく。
 
 学院長室に向かう途中で、授業が終わって廊下をふらついていたマルコリヌと擦れった時に、
 
「け、獣耳幼女……。はぁはぁ」
 
 とか言い出したので、取り敢えず半殺しにしておいた。
 
 やがて学院長室に到着した才人はノックしてから入室すると、ナイとシルフィードを確認したオスマンが、満足気にうんうんと頷き、
 
「ほほう、何時の間に結婚して、しかも子供までこしらえたんじゃ?」
 
「いや、なんでそうなる!?」
 
「そうよ! お兄さまは結婚するお相手はお姉さまって決めてるんだから! そして、わたしとナイちゃんを娘として認めてもらうの! きゅいきゅい」
 
「いや、お前も反論する所がそこじゃねぇ!!」
 
 オスマンは才人の焦り具合を満足げに眺めた後で、表情を改め、
 
「……で、今日は何の用じゃ?」
 
 対する才人も真面目な顔つきになると、今回の一件についての事情を掻い摘んで説明し、またスキルニルを借り受けたいと頼む。
 
 それを快く了承したオスマンは、立ち上がって才人の肩を叩き、
 
「よく、あの娘の戒めを解き放ってくれたの……、礼を言わせてくれぬかサイト殿」
 
「いや、まだ終わってませんから。……それに、俺はちょっと手伝っただけで、頑張ったのはタバサ本人ですよ」
 
「そう謙遜するもんでもないよ。……もし、君さえ良ければ、今後も彼女を支えてやってくれんかの?」
 
 まるで、孫を想う祖父のような表情で告げるオスマンに対し、才人は真剣な眼差しで、
 
「まだ、タバサとの契約が残ってますから。まずはそれを果たさないと……」
 
「……契約?」
 
 問うオスマンに、才人は曖昧な笑みで誤魔化すとシルフィードとナイを連れて、学院長室を後にした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 翌日、遂に完成した解除薬を持って一向はシルフィードに乗って、ガリアへと向かう。
 
 定員の都合上、今回ルイズ達とは別行動で、ガリアに向かうのは、タバサと才人。そしてキュルケとナイの総勢5名(シルフィード込み)。
 
 ナイは一応、ライカンスロープの変種ということで通しているが、ナイ自身に常識が欠如している為、一人でおいておくとボロを出しかねないという判断から連れて来た次第である。
 
 やがて、タバサの実家へ到着した一向は、執事やウェールズへの挨拶もそこそこにタバサの母親の元へ赴く。
 
 突然の来訪者に暴れるタバサの母親を風の戒めで拘束した後、強引に解除薬を飲ませると、彼女を蝕んでいた呪いがどす黒い影となって顕現し、一気に霧散した。
 
 力無く頽れる母親にタバサが駆け寄り、その身を起こすと彼女はうっすらと目を開き、タバサの姿を確認して小さくではあるがハッキリとその名を告げた。
 
「……シャルロット?」
 
 タバサの瞳から涙がこぼれ落ちる。
 
「……はい、お母様」
 
 止めようとしても止めることが出来ない、否、止める必要のない涙。
 
 その場に居合わせたキュルケや執事も、共に涙を流しながら、その光景を見入っている。
 
 一枚の絵画のように、感動を覚えるシーンだが、何時までもそれを見ているのは無粋というものだ。
 
 才人は自分の目に浮かんだ涙を拭うと、皆を促し部屋を後にした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 才人達が気を利かせて退室してから、小一時間ほど経った後、応接室に母親を伴ったタバサがやって来た。
 
 タバサは母親共々才人に頭を下げると、
 
「ありがとう」
 
「私からも礼を言わせて下さいませ。この度のご助力、誠に感謝致します」
 
 才人は慌てて手を振りながら、
 
「いや、俺は殆ど何もしてませんよ。頑張ったのは、タバサですし」
 
 まだジョゼットの事もある。彼女達一家の問題は完全に解決したわけではない。
 
 それよりも、と今後のことについて説明を始める。
 
 そのことについて、本人達の了承を貰った才人は、安堵の吐息を吐き出すと、
 
「じゃあ、急がせて申し訳ありませんけども、すぐにでも準備を」
 
 急かす才人に対し、キュルケは納得のいかない表情で、
 
「ねえ、ダーリン。幾らなんでも、そんなに焦らなくても良いんじゃない?」
 
「いや、相手がジョゼフとなったら、話は別だ。アイツ相手に騙し通せる可能性はかなり低い」
 
 真剣な才人の表情に、キュルケは息を飲み、タバサも黙ってそれに従う。
 
 タバサ達が準備の為に、再び退室するのを確認してから、キュルケは才人に向かい、
 
「……そんなにヤバイ奴なの? ジョゼフって」
 
 才人は苦虫を噛み潰したような表情で、
 
「今の所、最悪の相手だな。正直、勝てる要素が見当たらねえ」
 
 ジョゼフとシェフィールド……、今の自分ならばミョズニトニルンのシェフィールドを相手にして勝つことは出来るだろうが、未だ初歩までも達していないルイズでは、ジョゼフに勝つことはどう足掻いても不可能だ。
 
 更に厄介なことにジョゼフはガリア軍(+フーケ&ワルド)というとんでも無いオマケまで有している。ガリア軍の中には、タバサに味方してくれる者もいるが、それでも敵は大きすぎる。
 
 才人が重い溜息を吐き出し、なんとか裏を掻く方法を思案していると、タバサと母親が使用人に荷物を持たせて姿を現した。
 
「家財道具などは、全て捨て置きますので、最小限の着替えと幾ばくかの財産のみで」
 
 そう言っても、執事を含めた使用人3人が両手に大きな鞄を持っているのだ。
 
 何だかんだと言った所で、やはり貴族なのだろう。
 
 身一つで準備完了と言い切れる才人とは、えらい違いである。
 
「じゃあ、その荷物は馬車で運ぶとして、タバサの母ちゃんと王子様はシルフィードで一足先に、キュルケの実家へ向かってくれ。
 
 俺は馬車の方へ同行して、トリステインへ抜けるまで護衛していく」
 
 その後、テキパキと指示を飛ばし、夜も更ける頃には、全ての準備は完了していた。
 
 才人達は闇に紛れて出発すると、二日掛けてトリステインに到着。
 
 折り返し帰って来たシルフィードにタバサ達がツェルプストー家へ無事到着した事を聞き、ひとまず安堵の吐息を吐き出した。
 
 才人達は魔法学院で執事達と別れ、タバサとキュルケが1週間ほど休むというシルフィードからの伝言と、経過報告をオスマンに伝え、取り敢えず通常の生活に戻ることとなった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 それからは、特に深刻なトラブルもなく月日が流れ、タバサ達も学院に戻り、いつも通りの生活を送っていたが、その生活は一人の女性によって終演を迎えることになる。
 
 ……女性の名前はエレオノール。ルイズの一番上の姉である。
 
 魔法学院から借り受けてきた馬車にサティーとシエスタ、そしてナイを乗せ、その隣をジルフェに乗った才人が進む。……ちなみにシエスタが付いてきているのは、純粋に巻き込まれたからだ。
 
 そして、その後ろには二頭立ての立派なブルームスタイルの馬車が走っていた。
 
 エレオノールは前を行くグリフォンに視線を向け、訝しげに眉を顰めると、
 
「ねえ、ちびルイズ。あの従者は一体何者なの?」
 
 ジルフェの首に掛けられている金属製のプレートに刻まれているのは、紛れもなくトリステイン王家の紋章だ。
 
「ただの平民が乗っていいものではないわ」
 
 貴族であろうとも、誰でも乗っていいものではない。
 
 才人が褒められると自分も嬉しいルイズは笑みを浮かべて答える。
 
「彼はそういう者なのです。王族の方でさえ一目おかれている存在。わたし達の常識の常に外の人間ですわ」
 
 そう告げるルイズの頬をエレオノールは全力で引っ張った。
 
「な、なにふるの、おでいざば」
 
「その勝ち誇った顔が妙に気に入らないだけよ、ちびルイズ」
 
 そんなルイズの災難も知らず、才人は天気の良さに欠伸を噛み締めつつ、未だ遠い、ラ・ヴァリエール公爵領へ向かっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 魔法学院を出て二日後、才人達は、ようやくラ・ヴァリエール公爵領に到着していた。
 
 だが、屋敷に着くまでには、ここからまださらに半日が必要なのだ。
 
 途中で休憩の為に立ち寄った旅籠で、村人達の手厚い歓迎を受け、更にヴァリエール家次女のカトレアと合流し、才人達は彼女の馬車で一緒に屋敷へと向かうことになった。
 
 ……なったのだが、ここで問題が発生する。
 
 才人はすっぱりと忘れていたが、カトレアの馬車の中は、さながら動物園の如き有様で、現在の才人はヴィンダールヴの力のお陰で、やたらと動物に好かれる傾向にある。
 
 足下に虎がまとわりつき、背後から熊がのし掛かり、首に大蛇を巻いて、頭にデカイ鳥が停まり、犬や猫や狸や狐がじゃれつき、膝の上ではナイがお昼寝中というカオスな状態で、半日を過ごすことになった。
 
 皆が引きつった笑みを浮かべるその状況の中で、何時もと変わらぬ笑みを浮かべ、興味深げに才人を見つめるのはカトレアだ。
 
 彼女は才人に微笑みかけると、
 
「まあ、この子達がこんなに懐くなんて、あなた凄いわ」
 
「あー、……いや、そのちょっと特殊な事情があって、動物の言葉が分かるもんで」
 
 まあ、と目を輝かせるカトレアに対し、エレオノールは一笑に伏すと、
 
「ふん、胡散臭いわね。……なら、その動物達が何と言っているか言ってごらんなさい」
 
 ……やっぱ、信じられねーよなあ。
 
 と苦笑する才人とは対照的に、ルイズは不服そうに頬を膨らませる。
 
 才人は肩に停まった小鳥たちから、何か話を聞き取り、
 
「カトレアさんは、最近つぐみを拾ったとか」
 
 エレオノールがカトレアに視線を向け、真偽を確認すると、カトレアは少し驚いた顔で、
 
「まあ、ホントに動物の言葉が分かるのね、あなた」
 
 言って、才人の手を取り、
 
「後で、わたくしの部屋にいらしてくれるかしら? 皆の声も聞かせてもらいたいの」
 
 無邪気に喜ぶカトレアに対し、エレオノールはフンと、面白くなさそうに鼻を鳴らした後、
 
「だから、どうしたというの? 動物の言葉が分かったからと言って、何の役にたつというわけでもないでしょう?」
 
 それに答えたのはルイズだ。
 
 彼女は胸を張り、苦手とする筈のエレオノールと対峙して告げる。
 
「タルブ村の攻防で、才人はその力を使って、アルビオンの竜騎士から竜を奪い敵戦力を壊滅させましたわ!」
 
 好意を寄せる少年を卑下されたのが耐えられなかったのであろうルイズの発言に、エレオノールは息を飲む。
 
 だが、彼女はすぐに落ち着きを取り戻すと、
 
「ちょっと、待ちなさいルイズ。
 
 わたしはあの戦の勝利は伝説のフェニックスによってもたらされたものと聞き及んでいるわ」
 
「そのフェニックス……、正確には竜の羽衣というマジックアイテムを操っていたのが、彼なのです」
 
 瞳を輝かせながら、誇らしげに告げるルイズに対し、エレオノールは値踏みするような眼差しを才人に向ける。
 
 まるで蛇に睨まれたカエルのような心境の才人の助け船は、意外な所からやって来た。
 
 夜の帳が降りた中を、一羽の巨大な梟がやってきて才人の肩に舞い降り、
 
「おかえりなさいませ。エレオノール様、カトレア様、ルイズ様」
 
 と優雅に一礼する。
 
 それを見たシエスタは驚愕するが、既に才人は動物が喋る事には慣れきっているし、この梟が喋るのは既に知っていたので、さして驚きはしなかった。
 
 馬車の向こうでは、巨大なお城の門番たるゴーレムが跳ね橋を降ろしているのだ見える。
 
 前回同様、また何か面倒事が起こりそうな予感に、イヤな予感がヒシヒシと伝わってくる才人だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 アルビオンの首都、ロンディニウム。そこで開かれた軍議において幾つかの議題が上がっていた。
 
 一つ、トリステインのタルブ地方襲撃の失敗。
 
 これによる艦隊再編の必要性。
 
 一つ、その為の時間稼ぎの為の女王誘拐事件の失敗。
 
 これらが招いた結果は、トリステイン・ゲルマニア連合軍は、新たな艦隊を製造し、アルビオンに攻め込むつもりであるということ。
 
 圧倒的不利な状況にあるアルビオンだが、クロムウェルにはまだ秘策があった。
 
 それは大国ガリアのアルビオン側への参戦。
 
 それが真ならば、これ以上明るい知らせは無い。
 
 意気揚々と退室していく将軍達を見送り、クロムウェルはシェフィールドとようやく傷の癒えたワルド、そしてフーケを引き連れて執務室へ向かった。
 
 そこでクロムウェルはワルドに新たな任務を与える。
 
 任務の内容は、伝説とまで言われたメイジ傭兵のメンヌヴィルをトリステイン魔法学院まで運ぶこと。
 
 運び屋として使われることに不満を覚えはしたが、それでもワルドは唇を軽く歪めて、その任務を了承した。
 
 部屋に戻ったフーケは先程のメンヌヴィルを思い出し身震いする。
 
 ……フーケ自身も、それなりに裏の仕事をこなしてきてはいるが、あのメンヌヴィルとかいう男はそんな彼女とも違う。
 
 言ってみれば、人として越えてはならない一線を越えてしまった感がある。
 
 それに、クロムウェルの戦略も納得いかない。
 
 ……確かに魔法学院の生徒を人質にとるというのは有効な手段ではあるが、如何に戦争といえどもやって良いことと悪いことがある。
 
 これまでクロムウェルが提案してきた全ての作戦が、外道の仕業であり、それら全てがフーケは気に入らなかった。
 
 フーケは一息を吐くと緊張を解き、再度思案する。
 
 だが、クロムウェルの立案してきた計画。……その尽くが一人の少年によって失敗してきた。
 
 ワルドのウェールズ皇太子暗殺に始まり、タルブ村強襲、アンリエッタ王女の誘拐、それら全ての計画を防いできたのは、あの使い魔の少年である。
 
 今回の作戦、恐らく失敗するだろう。
 
 クロムウェルは知らないことだろうが、トリステイン魔法学院には、あの使い魔の少年がいるのだ。無論フーケはその事をクロムウェルに教えるつもりは無い。
 
「……さて、期待を裏切らないでもらいたいもんね」
 
 そう呟き、杖を持って部屋を出た。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ルイズの実家である屋敷、というか城に到着し、夕食を食べ終わった後、夜も更けた時間だというのに、エレオノールがとんでもない事を言いだした。
 
「ちびルイズ、あなたの言ったことが本当か、試させてもらうわ」
 
 杖を引き抜き、才人に突き付けながら告げる。
 
「……はい?」
 
「待ってお姉さま!」
 
 止めようとするルイズに対し、エレオノールは勝ち誇った顔でルイズを制しようとするが、それよりも早くルイズの口が開いた。
 
「無理よお姉さま! スクウェアのワルドでさえサイトに勝てなかったのに、お姉さまが勝てるわけがないわ!!」
 
 それを聞いたエレオノールの顔が怒りで朱に染まる。
 
「……いいわ、表に出なさい。どの程度の実力か見せてもらうわ」
 
 言い放ち、才人達を残して部屋を出ていった。
 
 残された才人はルイズと顔を見合わせ、盛大に溜息を吐き出すと、
 
「ねえ、サイト……」
 
 ルイズは心配そうに、
 
「あのね、お姉さまに怪我させないようにしてほしいの」
 
 才人は溜息を吐きつつ、自分の頭を掻きながら、
 
「まあ多分、大丈夫だって、取り敢えず任せとけよ」
 
「……うん」
 
 返事を返すルイズの瞳には、彼への絶対の信頼が満ちている。
 
 才人も頷き返すと、ルイズと共にエレオノールの後を追った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 手入れの行き届いた庭園において、対峙するエレオノールと才人。
 
 杖を手に、準備万端というエレオノールに対して、才人の方は両手にグローブを装着してはいるものの、背のデルフリンガーには手を掛けてもいない。
 
 それに業を煮やしたエレオノールは、才人に杖を突き付けると、
 
「どうしたの!? その背の剣は飾りというわけでもないんでしょう? さあ、お抜きなさい! ……それとも平民が、貴族であるわたしを相手に、全力を出すまでもないと侮るか!?」
 
 憤りを露わにするエレオノールに対して、才人は深々と溜息を吐き出すと、余り気乗りのしない表情で長剣を抜き放つ。
 
「えーと、……じゃあ、どうぞ?」
 
 やる気の感じられない才人に対し、エレオノールは杖を振って魔法を発動する。
 
 土の魔法。
 
 大地が隆起し才人を飲み込もうとするが、才人は大地にデルフリンガーを突き立て、一瞬で霧散させる。
 
 その事に驚き、動きの停まったエレオノールに、才人はデルフリンガーを捨て置き一瞬で彼女との間合いを詰めると、下から突き上げるような裳底を放つ。
 
 狙う先は、エレオノールの握る右手の杖。
 
 狙い違わず杖を弾いた才人は、別の手でエレオノールの服の襟を掴み、足を払った。
 
 エレオノールの視界が回る。
 
 視界に二つの月が映り、そこでようやく自分が回っていることを自覚した彼女は、次に訪れるであろう衝撃に備えて堅く目を閉じるが、……それは何時まで待ってもやって来なかった。
 
 恐る恐る目蓋を開いたエレオノールの視界に最初に映ったのは、心配そうに見下ろす才人の眼差し。
 
 そして、エレオノールは、自分が才人に抱きかかえられていることに気付き、顔を朱に染める。
 
 ……怒りによるものではない。
 
 羞恥と照れによるものだ。
 
 ルイズの拡大発展型であるエレオノールは、今までどんな男性が相手であろうとも主導権を握られたことは無い。
 
 ラ・ヴァリエール家の長女の名に相応しく、全てを威圧し制圧するように振る舞ってきた。今回の婚約解消も、そのような振る舞いが原因といえる。
 
 そんなエレオノールだからこそ男性に抱きかかえられたことなど幼少時に父親にやってもらって以来、記憶に無い出来事だ。
 
 才人はエレオノールをゆっくりと地面に降ろし転がっていた彼女の杖を拾い上げてエレオノールに差し出すと、
 
「えーと、……こんなもんで良いですか?」
 
 明らかに実力の半分は疎か1/10も出してない彼に、……否、出させることが出来なかった自分自身に憤りを感じるが、それ以上に彼女の中で燃え上がる熱い感情があった。
 
 ……重ねていうが、エレオノールはルイズの拡大発展型ともいえる女性である。
 
 ルイズ同様、彼女もツンとデレの両属性を有しているが、これまで本気で惚れられる男性が現れなかった為、ツン系統ばかりが拡大していったのだが、仮に彼女が本気で惚れるような相手が現れた場合、彼女の内に眠るデレ系統は覚醒するだろう。
 
 そして、長い封印から解き放たれたデレは、ツン時の反動も手伝って、ルイズでさえ足下にも及ばないほどの甘えを見せることになるだろうと予測される。
 
 というか、事実そうなった。
 
「あ、……あの」
 
 それまでとは一転して、まるで恋する乙女のような眼差しで才人を見つめながら問いかける。
 
「もし、よろしければ、お名前を教えて下さいませんか?」
 
 常日頃ならば、まったく気にも留めない筈の平民の名前を聞く。
 
 その異常性に気付いたルイズ、カトレア、そして彼女達の母親であるラ・ヴァリエール公爵夫人は驚愕に目を見開き、その態度にラヴ臭を感じ取ったシエスタが目を細める中、才人もエレオノールの突然の豹変振りに驚きながらも、己の名前を告げてしまう。
 
「才人です。……平賀・才人」
 
 エレオノールはうっとりとした表情のまま、口の中で、小さく才人の名前を呟くと、
 
「まあ、……素敵な響きのお名前ね」
 
 ……デレった!?
 
 真っ先に危機を感じ取ったルイズとシエスタが、才人の腕を取って素早くその場を離脱。
 
 名残惜しそうに才人に手を伸ばすエレオノールを速度任せに強引に振り切ると、才人に宛われた部屋へと逃げ込んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 普段は納屋として使われているであろう、掃除道具が収められた部屋で人心地吐いた才人達は、額の汗を拭い、
 
「……まさか、お姉さまがあんな行動に出るとは、予想外だったわ」
 
 ……でも、お姉さまを味方に付けることが出来れば……。
 
 ルイズは予測する。……あの姉の事だ、ヴァリエール家の財産、人脈、権力を余すことなく用いて才人の日本帰還を阻む事が出来るかもしれない。
 
 そう思いほくそ笑むルイズに対し、才人は何か物足りないと背中に手を伸ばし、デルフリンガーを忘れてきたことに気付き、何事かを相談しているルイズとシエスタに黙って部屋を出ていった。
 
 向かう先は、先程エレオノールと戦った庭。
 
 絶対、デルフの奴に文句言われるんだろうなあ。と考えながら歩く才人の前に現れたのは、その可憐な容姿に似つかわしくない長剣を抱えるようにして持ち、フラフラと歩くカトレアの姿だった。
 
「あら? 丁度良かったわ。はい、忘れ物よ」
 
 危なっかしい手つきでデルフを差し出してくるカトレアに、才人は礼を述べて受け取ると、デルフの苦情を黙殺して鞘に収める。
 
 カトレアは微笑みながら才人の手を取り、
 
「ねえ、馬車でした約束を覚えてるかしら?」
 
 そう告げて、才人を自分の部屋へ案内した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 カトレアの部屋へ案内された才人は、そこで動物達の声を聞いてくれるようにせがまれるが、部屋へ入った途端に大量の動物達によって、もみくちゃにされて、押し潰された。
 
「いや、ちょっと待てお前ら! いいから、ちょっと落ち着け。つーか頼むから退いてくれ。特に、そこの熊!!」
 
 まさに渋々といった風体で才人の上から退いていく動物達に対し、才人はカトレアの事も忘れて、彼らに懇々と説教を始める。
 
 曰わく、もし女の子が相手だった場合、下手をすれば怪我で済まないとか。
 
 曰わく、世の中には爬虫類の苦手な者もいるので、首に巻き付くのは禁止とか。
 
 曰わく、お前らの牙は甘噛みでも軽く骨まで達するので、噛み付き禁止とか。
 
 才人に説教され、しゅんと項垂れる動物達を見て、カトレアはコロコロと笑い、
 
「うふふ、本当に楽しいわあなた。わたくしこんなに楽しいのって、久しぶり」
 
 言って、手近に居た虎の頭を優しく撫でる。
 
 対する才人もはにかんだ笑いを浮かべるが、カトレアが突然激しく咳き込むのを見て、表情を一辺し、彼女の背中を撫でながら、
 
「……大丈夫ですか!?」
 
 カトレアは、荒い息を吐きながらも懸命に頷き、
 
「だ、大丈夫よ……。いつものことだから」
 
「いつものことって!?」
 
 本人よりも顔を青ざめさせる才人に、カトレアは安心させるように微笑みを向けると、
 
「国中からお医者様をお呼びして、強力な水の魔法を何度も試したけれど……。
 
 魔法でもどうにもならない病ってあるようね。
 
 なんでも、身体の芯から良くないみたい。多少、水の流れをいじったところで、どうにもならないんですって」
 
 カトレアの言葉に、才人は愕然とする。
 
 そんなのは、初耳だった。以前会った時には、そんなこと微塵も見せなかったのに。
 
「……そんな」
 
 そんな事実でさえ、笑顔で語るカトレアに対し、才人は悲愴な表情になるが、それを慰めるようにカトレアが才人の頬に手を添える。
 
「そんなに悲しい顔をしないで、結構楽しい毎日なんだから、……ほら」
 
 カトレアは鳥籠を見せた。
 
 中には羽根に小さな包帯を巻かれたつぐみがいた。
 
「この子、通り掛かったわたしに一生懸命訴えていたの。羽根が痛いよ、痛いよって。
 
 わたしすぐにこの子の声に気付いて馬車を止めて拾ってあげたの」
 
 ……動物の声が分かる。……それは、ヴィンダールヴの能力ではないのか?
 
 カトレアは微笑みながら、
 
「あなたと同じね」
 
 と告げ、更に才人に近づき、その瞳を凝視する。
 
「ねえ、あなた、たしかヒラガ・サイトさんだったかしら?」
 
「ええ」
 
「あなた何者? ハルケギニアの人間じゃないわね。
 
 なんだか根っこから違う人間のような気がするの? 違って?」
 
 ……相変わらず鋭い。
 
 苦笑するしかない才人は、もはや完全にカトレアのペースに乗せられていた。
 
 才人は小さく深呼吸すると、気を取り直し表情を真剣なものに改め、
 
「カトレアさん。あなたの病気のことなんですけども」
 
「あら、気にしなくていいのよ?」
 
「しますって! いや、その……えーとですね、ひょっとしたら治せるかもしれません」
 
 心当たりはある。
 
 ティファニアの持っていた先住の魔法が込められた指輪。……あれならカトレアの病を治せるのではないか?
 
 ……だが、その指輪をカトレアに為に使うには、自分が指輪の力の世話にならないようにしなければならない。
 
「えーと、確率的にかなり厳しいですけども、心当たりはありますから、何とかしてみます。
 
 ……だから、それまで待っていてもらえますか?」
 
 真剣な眼差しで見つめると、カトレアは頬を桜色に染めながらも、しっかりと頷いてくれた。
 
「詳しいことは、よく分からないけども、あなたのこと信じるわ。
 
 だって、ルイズが信じているのですもの。わたしも無条件で信じられるわ」
 
 才人は照れて頭を掻きながら、
 
「絶対とは言い切る自信はありませんけども、……最大限の努力はしてみます」
 
 そう約束をし、暫く話をしてからカトレアの部屋を後にした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 翌朝、ルイズの父親であるラ・ヴァリエール公爵が城に戻り、朝食の席でルイズが戦争への参加を申し出るが、すげなく却下された。
 
 だが、ルイズへの助っ人は意外な所から現れた。
 
「あら? わたしは賛成ですわよ。ルイズ自身の活躍はともかく、サイト様でしたら、その実力を偉観無く発揮して必ずや、トリステインの勝利に貢献してくださるに違いないわ」
 
 そう告げたのは、長女のエレオノールだ。
 
 彼女の発言に、ラ・ヴァリエール公爵は眉根を寄せて、
 
「そのサイトというのは、誰だ?」
 
「わ、わたしの使い魔です」
 
「……使い魔?」
 
 公爵は更に訝しげな表情で、
 
「ならば、その使い魔だけを戦場に送り込めばよかろう?」
 
「あら? 使い魔とメイジは一心同体。使い魔が戦場に出ているというのに、その主人が自分の領地で温々と過ごしていては、ただの笑い者ですわ」
 
「……エレオノール。お前は、自分の妹を戦場に送り込もうというのだぞ?」
 
「勿論、そのことに関しては、わたしも反対です。……ですが、サイト様が同行してくださる以上、ルイズの安全は保障されているようなもの。
 
 なにを恐れる心配がありましょう」
 
 有り得ない程に自分のことを擁護してくれる姉に、ルイズは訝しげな視線を向けるが、エレオノールは視線で任せておけと告げると、再び公爵に視線を移し、
 
「タルブでの攻防戦において、サイト様は竜の羽衣と呼ばれるマジックアイテムを操り、アルビオン軍を壊滅に追いやったとか。
 
 アンリエッタ女王もその事を御存じとのこと。
 
 もし、此度の戦争において、サイト様の参加を断ればトリステインが負けてしまう可能性もございますわ。
 
 お父様は、その時何と言って責任を取るつもりでしょうか?」
 
 その言動に、母親がエレオノールを窘めようとするが、公爵がそれを手で制し、
 
「一人が戦争の行方を左右することなど、有り得ないのだエレオノール。
 
 お前は戦を知らな過ぎる。チェスとは違い、戦とは言ってみれば数の多い方が勝つ。しかも攻める方は守る方の3倍の数が必要となる。
 
 ただ単純に、それだけなのだよ」
 
「ですが、サイト様は現に単騎でアルビオンの竜騎士隊を屠り、艦隊を沈められましたが?」
 
「何事も偶然や奇跡というものが存在する。
 
 ……だが、二度と続くようなものではないのだ」
 
 やんわりと窘めようとする公爵に対し、エレオノールは挑発的な笑みを浮かべると、
 
「ならば、お父様が直々にサイト様の実力を確かめては如何?
 
 お父様が勝てばルイズは塔に監禁、勿論わたくしも同様で結構。
 
 但し、サイト様が勝てば、ルイズの戦への参加を許可すると」
 
「バカバカしい。何故わしが使い魔如きと戦わねばならん」
 
 エレオノールは嘲笑を浮かべると、
 
「ふふ、流石のお父様も、寄る年波には勝てませんか?」
 
 その言葉に公爵はエレオノールを睨み付けた。
 
 幾多の戦場を経験した者だけが放つことの出来る気迫を前に、エレオノールが息を飲む。
 
「良いだろう。その使い魔が居なくなれば、ルイズも二度とそのような事を考えまい」
 
 告げて、執事に自分の杖と戦装束を用意するように告げて、退室した。
 
 ルイズは慌ててエレオノールの元へ駆け寄ると、
 
「お姉さま。……どうして、あのような真似を?」
 
 心配そうに告げるルイズに対し、エレオノールは緊張を解いて安堵の吐息を吐き出すと、
 
「別に、あなたの為ではないわ、ちびルイズ。
 
 わたしはわたしの考えがあって、お父様に進言したまでよ」
 
「考え?」
 
「ええ、最近、王宮の方で、手柄を挙げた平民が、シュヴァリエの称号を得て、陛下直属の銃士隊の隊長となったらしいわ」
 
 ……アニエスのことだと思い、ルイズは頷く。
 
「ならばサイト様もこの戦争で大きな手柄を挙げれば、貴族に引き上げられることもあるのではなくて?」
 
 戦で挙げた手柄でなれる貴族といえば最下層のシュバリエであるが、如何に身分が低いとはいえ貴族は貴族。後は戦ごとに手柄を立てていけば良い。
 
 こちらの世界で相応の身分が出来れば、未練が出てきて才人も帰るのを躊躇うかもしれない。
                          
「素晴らしい考えだわ、お姉さま!」
 
 それに才人が貴族となれば、自分と結ばれる為の最大の難点である身分の壁も若干は低くなるだろう。
 
 全く同じ結論に到達するヴァリエール家の長女と末女。
 
 ただそれは、才人の相手が自分であるということが大前提であり、眼前の姉妹が恋敵になろうとは、……互いに、結構予想していたりもするが、今現在はお互いに同じ目的を突き進む同士である。
 
 まあ、その内決着を着けねばならない時が来るであろうが、ルイズはルイズで付き合いの長さと主従の絆という強い結びつきがあるために、昨日今日知り合ったばかりのエレオノールよりは自分になびくだろうという自信があるし、エレオノールはエレオノールで大人の魅力という武器があると自認している。……ちなみに、この大人の魅力は胸の大きさとは一切関係はない。と本人は豪語している。
 
 こうして、才人とラ・ヴァリエール公爵との決闘が本人の預かり知らぬ所で決定された。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 才人の部屋として宛われた納屋。
 
 才人がシエスタと共にナイに読み書きの勉強を教えていると、乱暴にドアが開かれルイズとエレオノールが入ってきた。
 
「サイト! お父様との決闘が決まったわ! 頑張って!」
 
「このエレオノール身内との絆よりも、サイト様への愛を優先させていただきますわ」
 
 僅かに遅れ、カトレアも到着し、
 
「あら……。なら、わたくしもサイトさんの応援をさせてもらいますね。
 
 ですが、出来ればお二方ともに、お怪我がないように決着が着いてくれるとありがたいのですけど」
 
 振って沸いた決闘に、才人は目を白黒させて驚くが、事情を聞いて溜息を吐き出すと、
 
「えーとですね、エレオノールさん。お気持ちはとても嬉しいんですけども、親と仲違いするのは駄目ですよ」
 
 本来はもっと穏便な方法が良かったのだが、仕方ない。
 
「決闘は受けますけど、それが終わったら、ちゃんと謝って仲直りして下さいよ?
 
 ……もう、父親と会いたくても会えない人もいるんですから」
 
 自らの父親とは会いたくても、もう二度と会えないタバサの事を知っている才人としては、未だ両親が健在のヴァリエール姉妹には出来るだけ親とは仲良くしてもらいたいと切実に思う。
 
 それを理解したエレオノールは深く頷き、才人の言葉に同意した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 才人が決闘場である庭に赴いた時、すでに公爵は到着しており、その装束を見た才人は顔に縦線を走らせた。
 
 完全武装なのだ。
 
 楔帷子の上に全身を覆う豪奢な鎧に身を固め、その上から威圧感漂う重厚な真紅のマントを羽織り、ルイズ達が使うような短い杖ではなく、タバサが用いるような自分の身の丈はあろうかという巨杖を携え、やって来た才人を睨み付ける。
 
 そこに纏われる殺気は、戦場での命のやり取りを経験している者のみが放てる本物の殺気だった。
 
 ……殺る気満々じゃねーか。一体、何て言って挑発したんだ?
 
 公爵は杖の先端を才人に突き付け、
 
「……貴様か? わしの娘達を誑かした平民は」
 
 対する才人は、露骨に嫌そうな顔で公爵を指差し、顔をルイズ達に向けるが、当のルイズ達は応援に夢中で父親の態度はスルー。
 
「来い下郎。打ち首にした挙げ句、その首1ヶ月は曝してやる」
 
 杖を構えた途端、周囲の空気が戦場のそれに変わる。
 
 それに気付いた才人は、気を改めると、背中の長剣をゆっくりと引き抜く。
 
「よう相棒。久しぶりに歯ごたえのありそうな敵じゃねえか。
 
 これだけの殺気を放てる相手は、あのワルドっていう貴族以来か?」
 
「まあ、あの母ちゃんを相手にすること考えたら、まだマシだけどな。……とはいえ手加減する余裕なんかなさそうだからな、全力で行くぞ」
 
「良し来た」
 
 久々に全力が出せるのが嬉しいのか、デルフの声が弾んでいる。
 
 公爵が小さく短く詠唱し、魔法を解放すると、無数の礫が才人を襲う。
 
 才人がそれを飛んで回避すると、空中で身動きのとれない彼に向け、巨大な尖柱が突き立つ。
 
 石の尖柱を長剣の一撃で両断し、大地に着地した才人は、風のような速度で、公爵との間合いを一気に詰める。
 
 その人間離れした速度に驚いた公爵が、僅かに攻撃の手を遅らせてしまう。
 
 一瞬ともいえる些細な時間であるが、才人にとってはそれだけで充分な時間だ。
 
 才人が公爵の懐に入り、その杖を弾く。
 
 だが、公爵はその一撃を耐えてみせた。
 
 腕こそ弾かれたものの、その手には未だしっかりと杖を握っている。
 
 そして公爵は呪文を解放する。距離が近すぎる為、自らも巻き込むのを覚悟しての一撃だ。
 
 だが、その一撃もデルフリンガーによって吸収された。
 
 信じられない出来事に、目を見開く公爵の眼前に長剣の切っ先が突き付けられ、
 
「……まだ、やりますか?」
 
 公爵は才人の勧告に答えず、彼の視線を正面から受け止め、
 
「一つ……いや、二つ質問に答えろ」
 
「…………?」
 
「もし、ルイズが戦場で負傷した場合、どうやって償うつもりだ?」
 
 償うも何も、元々戦争への参加を望んでいるのはルイズの方なのだが……。
 
「イヤ……、別に何も」
 
「……何だと?」
 
「元から、怪我させるつもりは微塵もないですし」
 
 ルイズには、怪我をさせないので、負傷した場合の責任など取りようがないと告げる才人に対し、公爵は小さく舌打ちし、
 
「次の質問だ。……貴様、一体何者だ?」
 
 それに対しては、すんなりと答が出た。
 
「ゼロのルイズの使い魔」
 
 公爵は面白くなさそうに鼻を鳴らすと、デルフリンガーの切っ先を杖で強引に逸らして踵を返し、
 
「一個軍団、貴様に預ける。……良いな? ルイズに毛ほどの傷でも負わせてみろ、我が全軍を持って貴様を括り殺してやる」
 
 それだけを言い残して、婦人を伴い庭園から去っていった。
 
 安堵の吐息を吐き出しながら、デルフリンガーを鞘に収めた才人は、心配そうに彼らの決着を見守っていたルイズ達に視線を向け、肩を竦めてみせた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 庭園に生える一本の大きな木。
 
 その枝に腰掛け、決闘の一部始終を眺めていた女性は呆れた口調で、
 
「……何やってんのかしら? あのバカ。
 
 それにしても、ちょっと歴史が変わり過ぎじゃない?」
 
 言って、視線を才人に抱き付くエレオノールに向ける。
 
「……初めて見たわ、あんなにはしゃぐ姉さまの姿」
 
 そして溜息を吐き、視線を才人に向け照れながら頭を掻く彼の姿を確認すると、目尻を下げ、
 
「でも、ま……、元気そうで安心したわ」
 
 女性が呪文を唱えると、その身体が光の粒子となってその場から消えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その日の午後、ヴァリエール家を後にしたルイズ達は三日掛けて魔法学院に戻り、魔法学院を目前にして才人が忘れ物をしたと言って、ルイズ達を置き去りにしてトリスタニアの武器屋へジルフェと共に駆けていったのだ。
 
 ルイズ達と別れた才人は、1時間程でトリスタニアの城下町まで来ていた。
 
 目的地はデルフを買った武器屋だ。
 
 才人は勢い良くドアを開けると、カウンターに座る店主に向け、
 
「悪い、おっちゃん! ディフェンダー引き取りに来るの忘れてた!」
 
 対する店主は呆れた顔で、
 
「剣士が剣忘れて、どうするっていうんだよ? 我らが剣」
 
 そう言いながらもカウンターの下から、才人のディフェンダーを取り出す。
 
 才人は受け取った剣を腰に差し、武器棚を眺めると、投げナイフを新たに5組程購入し、更に何か使えそうな武器がないかと辺りを見渡す。
 
「どうしたい? 我らが剣。まるで、戦争にでも行くみてえじゃねえか?」
 
「いや、行くみてえじゃなくて、実際に行くことになったから」
 
「何だって!?」
 
 店主は驚いてカウンターに身を乗り出すと、
 
「本気かよ?」
 
「ご主人様が姫様から期待されてんだから、その付き合いだよ」
 
 それを聞いた親父は、暫く何かを考えていたが、やがて決断すると才人にちょっと待ってろと言い残してその場を後にする。
 
 5分程待って、再び現れた親父の手には、長さ1.5メイル、幅50サント程の箱が握られていた。
 
 親父は箱を開くと、中からまったく同じ造りの長剣二振りを取り出し、
 
「持ってってくれ。あんたなら、コイツを使いこなせる筈だ」
 
 才人が剣に触れると、ガンダールヴのルーンが剣の情報を読みとる。
 
「……メーネ。騎馬戦で振るうために開発された双身剣か」
 
 店主は感心した表情で、
 
「ああ、馬上じゃ弱手側からの攻防は馬の首が邪魔して剣を振れねえからな。
 
 その弱点を克服する為に作られたのが、コイツだ。
 
 しかも、使い手次第じゃあ、馬上でなくとも恐ろしい迄の攻撃力を発揮する」
 
 だが、才人は苦笑を浮かべ、
 
「でも俺、今日はそんなにお金持ってきてねーよ」
 
 対する店主は快活に笑うと、
 
「持ってってくれと言った筈だぜ? 我らが剣よ。おめえが戦場で活躍すりゃあ、店の看板に我らが剣御用達って掲げさせてもらわあ!
 
 それが何よりの代金だぜ!」
 
 と才人の肩をバンバン叩く店主に礼を言って店を出て、ジルフェに乗って魔法学院への道を急いだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 急いで魔法学院に戻った才人は、ルイズの部屋に帰ると、予定の打ち合わせを始め、何時でも出発出来るようにと、荷造りを始める。
 
 と言っても荷物など武器と着替え程度しかない才人は、ものの10分程で準備が終わってしまい、その後でルイズの準備を手伝わされた。
 
「えーとだな、サティー」
 
「はい。何でしょう? サイト様」
 
「うん。俺達が出かけた後はさ、この学校とシエスタ達を守ってやってもらえないか?」
 
 その言葉に、ルイズは訝しげに眉を顰める。
 
「ねえ、男子生徒や男子教職員が殆ど出払ってる学院なんか狙ってきたりするの?」
 
「ああ、多分来ると思う。貴族の子供を人質に取るとなるとかなり有利に戦争を進めることが出来るからな」
 
 才人の脳裏に過ぎるのは、戦場から帰還した際に聞かされた魔法学院襲撃とコルベールの死亡。
 
 実際は、キュルケの機転によりコルベールは生きていたが、まともな戦力がキュルケとタバサ、コルベールだけでは不利な事実に変わりはない。
 
 才人はサティーに視線を向けると、
 
「お前が学院を護ってくれるなら、俺は戦争の方に集中出来るからな」
 
 サティーは暫く思案した後、才人に一礼すると、
 
「了承いたしました。……それがサイト様のお望みならば、必ずや成し遂げてご覧に入れましょう」
 
 と告げ、戦闘に備えて自らの装備を確認する。
 
 才人は続いて、ナイの頭に手を添えると、
 
「ナイもお留守番な?」
 
「……おとーさん、ナイとお別れ?」
 
 泣きそうな顔で、才人にしがみついてくる。
 
 才人はそのまま優しくナイの頭を撫でてやると、
 
「大丈夫だ。戦争が終わったら、すぐに帰ってくるよ」
 
 優しい笑みを浮かべて告げた。
 
 暫くはぐずっていたナイだが、やがて涙を拭うと小さく頷き、
 
「……約束」
 
 言って小指を差し出す。
 
「……何それ?」
 
 問うルイズに対し、才人はナイと小指を絡めながら、
 
「俺の国の約束の時の儀式……みたいなもんかな?」
 
 言って小さく手を上下させながら、
 
「指切りげんまん、嘘吐いたら針千本飲ーます。指切った♪」
 
 それを聞いたルイズが、不思議そうな顔で才人に問いかける。
 
「変わった歌ね? どんな意味があるの?」
 
「ああ、約束破ったら、針千本飲ませるっていう意味」
 
「何よそれ!? 死んじゃうじゃない!!」
 
 必死な顔で告げるルイズに対し、才人は笑みのままで、
 
「だから、約束を破らなけりゃ良いんだよ」
 
「……それはそうだけど」
 
 尚も不満そうに渋るルイズ。才人は軽く溜息を吐き出すと、
 
「大丈夫だって」
 
 そう告げて部屋を出ていく。
 
「……何処行くの?」
 
「ジルフェん所。……あいつにも頼んどかないとな」
 
 手を振り、才人は馬小屋へと足を向けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 馬小屋でジルフェに学院のことを頼んだ才人は、続いてコルベールの研究室へ向かう。
 
 今までの礼と、学院を賊が襲う可能性がある為にその警告をしに、だ。
 
 そこで才人はコルベールに話を聞いた。
 
 火の系統の使い手であるにもかかわらず、火が司るのが破壊だけでは寂しいと告げ、その力を何か人の役に立つことに使いたいと語る。
 
 そして、異世界から来たと告げた才人に、自分も彼の世界に連れていって欲しいと。
 
 才人の世界で走る自動車や飛行機を実際に、その目で見てみたいと告げ。その為にも絶対に生きて帰ってくれと。どんなにみっともなくとも、卑怯者と罵られようとも、絶対に生きて帰ってこいと語る。
 
 才人はコルベールの言葉に力強く頷き、
 
「勿論です。……俺、貴族の連中が言ってるような名誉とかに拘って死ぬくらいなら、逃げ出してでも生き残る方を選択します」
 
 前回からの流れの中で、多少は名誉や家名というものについて貴族がどう考えているかは分かってきてはいるが、それでも才人としてはそんなものよりは、自分や仲間達の命の方が万倍大切であるという考え方には変わりはない。
 
 コルベールも才人の考え方に同意し僅かな沈黙の後、口を開きかけ、それでも暫し逡巡してから、決意したように語り始める。
 
「その……、何だ、君。
 
 ……つまらない話になるが、少し聞いてもらえないかね?」
 
 と前置きし、
 
「……かつてわたしは罪を犯した。
 
 大きすぎる罪だ。
 
 騙されたとはいえ、女性も子供も全てを焼き殺した。
 
 大きすぎて、決して許される事のない罪だ。
 
 その罪を贖う為に研究に勤しんできたのだが……、最近、思うようになったことがある。
 
 それはだな、……どのような発明をしても、罪は贖えないということだ。
 
 どれほど、人の役にたつような発明をしても、……わたしの罪は決して赦されることはない」
 
 コルベールは才人の肩に手を置き、真摯な眼差しで彼を見つめ告げる。
 
「だから、君には一つ約束してほしい。
 
 ……人の死に慣れるな。
 
 それを当たり前だと思うな。
 
 思った瞬間、何かが壊れる。
 
 わたしは君に、わたしのようになってほしくはない。
 
 だから重ねて申し上げる。
 
 戦に慣れるな。
 
 殺し合いに慣れるな。
 
 人の死に慣れるな。
 
 ……これだけは、どうか約束して欲しい」
 
 コルベールの言葉に、才人は頷き自らの手を差し出す。
 
「……この手は、今まで何人もの命を奪っています」
 
 殺したくは無かったが、主人を、仲間達を護る為に幾人と殺した。
 
 かつての世界で宝探しの時の亜人、タルブ上空での戦いの際は竜諸共兵達にも死人が出ているだろう。
 
 どのような理由があろうとも、殺しは殺し、決して褒められるような行為ではない。
 
「後悔はしています。……今でも夢に見ることもあります。でも、大事な人を護る為なら……、例え間違っていても、それをやり通そうと決めました」
 
 伝説の使い魔といえど出来ないこともある。
 
 ……それはアルビオンへウェールズ救出に向かった際に、叩きつけられた現実だ。
 
 殺さずを掲げて、仲間が死ぬようなことになれば、才人はきっと自分が許せない。
 
「だから先生の言うとおり、殺すという行為に慣れるつもりはありませんけれど……」
 
 差し出した手で拳を握る。
 
「大事な人を護る為に、剣を振るうことに躊躇いはありません」
 
 言い切った。
 
「……強いな君は」
 
 そう告げるコルベールに才人は首を振り、
 
「そんな……、全然強くないですよ。
 
 それに、俺は信じています……。
 
 確かに先生の言った通り、今は犯した罪を誰も赦してくれないかもしれない。
 
 それでも、何か償う方法がある筈だって! 先生なら、それが出来ると信じています!! だから、俺と約束して下さい!」
 
 一息、
 
「……絶対に死なないと! 例え先生の前に、復讐者が現れたとしても、罪の意識から、安易に死を望まないで下さい。
 
 それは救いなんかじゃない。そんなことをしたって先生も相手も救われやしない!」
 
 コルベールだけではなく、アニエスのことも思っての言葉だ。
 
 復讐を成し遂げた後のアニエスは、どこかその感情を持て余しているように見えた。
 
 才人の言葉を聞いたコルベールは、しっかり頷くと、首から下げた鍵を使って、机の引き出しを開け、そこから小さな箱を取り出す。
 
「……これは、わたしの罪の証ともいうべき物だが。
 
 どうか受け取ってもらえないだろうか?」
 
 きょとんとした顔で、コルベールを見つめる才人に対し、コルベール本人は、苦笑を浮かべ、
 
「いや、君にわたしの罪を継いでほしいと言っているわけではない。
 
 罪はわたしが償う。
 
 ……君に継いでほしいのは、わたしの意思だ」
 
 笑い、
 
「君の言葉を聞いて確信した。……君ならば大丈夫だ。
 
 だからこそ、わたしは、罪を背負う為に生きるのではなく、罪を償う為に生きていこうと思う」
 
 才人は力強く頷くと、その小箱を受け取った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 コルベールの部屋を辞退した才人が次に向かった先は、裏庭のベンチだ。
 
 そこで呼び出されていたシエスタと落ち合う。
 
 シエスタは才人の姿を確認すると、ベンチから立ち上がり彼に抱き付いた。
 
「し、シエスタ!?」
 
 慌てふためく才人に対して、シエスタは彼の身体をしっかりと抱き締め、押し殺したような声で告げる。 
 
「……戦争、行くんですよね」
 
「うん」
 
「……わたし、本当は反対です。人が一杯死ぬ戦になります。
 
 才人さんには、そんな所に行ってほしくありません」
 
 胸に顔を埋めて、決して才人の方を見ないようにして告げるシエスタの頭を優しく撫で、
 
「……俺も戦争は嫌いだよ。
 
 貴族の人達は、名誉だ何だって言ってるけど、この戦の裏に隠れてるのは、そんなもんじゃないんだ」
 
 この戦争は一人の男が楽しむ為のゲームだ。
 
 クロムウェルもウェールズもアンリエッタも、そいつが楽しむ為に手の上で踊らされているのに過ぎない。
 
「終わらせなきゃならない。これ以上、虚無の犠牲者を増やさない為にも……」
 
 シエスタは才人の背中に回す腕に力を入れる。
 
「……わたし、馬鹿だからサイトさんの考えとかは、良く分かりませんけども、……死んじゃ嫌です。
 
 絶対、生きて帰って来て下さい」
 
「うん、約束する」
 
 言って、才人は小指を差し出す。
 
 曾祖父から教わっていたのだろうか? それだけでシエスタは才人のやりたいことを理解すると、才人の小指に自分の小指を絡め、
 
「指切りげんまん、嘘吐いたら針千本飲ーます。指切った」
 
 約束を交わした己の小指を見つめ、
 
「……約束ですよ?」
 
 言って、頷いた才人の一瞬の隙をついて唇を奪い、踵を返してそのまま去っていった。
 
 残された才人は、ただその場に呆然と立ち尽くし、未だシエスタの感触が残る唇にそっと手を添える。
 
“ふむ、なかなか面白いものを見せて貰ったぞサイト君”
 
 突如掛けられた声に慌てて才人が振り返ると、そこに居たのは毒々しい色のカエル。
 
 モンモランシーの使い魔のロビンがいた。
 
 ロビンはしたり顔で頷き、
 
“いや、なかなかに大胆なお嬢さんだね?”
 
「……何が言いたい?」
 
“ははは、なに知れたことだ。……このことをヴァリエール嬢にバラされたくなければ、次回の使い魔議会において……、みなまで言わずとも分かっているね?”
 
 才人は二度頷くと、
 
「いいか? ロビン。三つほど言いたい事がある」
 
“なんだね? 言ってみたまえ”
 
 才人は指を一本立て、
 
「一つ目、ルイズはカエルが苦手だから、お前の話をマトモに聞かない事」
 
 二本目の指を立て、
 
「二つ目、ルイズはお前の言葉を理解出来ない事」
 
 最後に三本目の指を立て、
 
「三つ目、ここでお前を始末すれば、全てが丸く収まる事」
 
 才人が無表情のままで腰のダガーを引き抜くのを見たロビンは慌てて、
 
“ははは、なに軽いジョークだよサイト君! そう本気にするとは大人気ないね!! そうだ君に良い物をあげよう”
 
 言って、口から香水の瓶を吐き出し、
 
“魔法の眠り薬だ。これで、今回は手打ちにしようじゃないか!?”
 
 そう言い残して、素早くその場から去っていった。
 
「……ちょっと、脅し過ぎたかな?」
 
 少し反省しながら足下に置かれた小瓶を取り、それを懐に収めた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 翌月、遂に参戦準備が整ったとの知らせを受けたルイズが才人と共に早朝から出発の準備をしている。
 
 零戦に乗り込む才人の胸元には二つの指輪、……ウェールズから受け取った風のルビーと、昨日コルベールから受け取った火のルビーの二つが通された細い鎖と、先日シエスタから貰ったマフラー。
 
 そして、もう一つシエスタから貰った、彼女の曾祖父の形見であるゴーグルが掛けられていた。
 
 才人は見送りに現れたキュルケ達やコルベール、シエスタを始めとした厨房の皆に手を振ると、ルイズと共に零戦に乗り込みエンジンを始動させ魔法学院を飛び立った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その後、事前に聞いていた方向へ2時間ほど飛び、連合軍艦隊と合流する。
 
 無事、着艦を果たした才人とルイズは、将校にルイズ達の使う部屋へと案内されて、そこに荷物を置いた後、総司令部に案内された。
 
「アルビオン侵攻軍総司令部にようこそ、ミス・虚無(ゼロ)」
 
 そう告げる将軍を前にして、才人は眉を顰める。
 
 以前、総司令官を務めていた将軍は、40過ぎの男だった筈だが、今回ルイズ達に声を掛けたのは、仮面で顔の半分を隠した20代の若い青年だったのだ。
 
「総司令官のウインドだ。アンリエッタ陛下から、直々に連合軍の指揮を任されてね」
 
 言って、仮面の下でウインクする。
 
 そこに込められた親しみに気付いた才人が、ウインドの正体を見抜いた。
 
 才人は気軽に挨拶すると、
 
「ゲルマニアの方では、良くしてもらえました?」
 
「ああ、格別な対応だったよ。戦争が終わったら、彼女達にも礼を言わせてもらわねばならないね」
 
「そりゃ、なにより」
 
 笑いながら語り合う二人に訝しげな視線が向けられ、それを代表するようにルイズが肘で才人を突つき、
 
「……知り合い?」
 
 と尋ねるが、才人は後でな、と言ったきり彼の正体を教えてくれない。
 
 実は、他の将校達も、このウインドと名乗る総司令官に関しての情報が一切無いのだ。
 
 突如、アンリエッタの口添えで総司令官に抜擢された存在。
 
 経歴は疎か、どこの国の者なのかも分からない謎の総司令。そして、その彼と顔見知りである平民の使い魔。
 
 謎は深まるばかりである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そして始まった軍議において、二つの議題が取り立たされた。
 
 一つは、未だ有力な敵空軍艦隊。もう一つは、上陸地点の選定。
 
「強襲で兵を消耗したら、ロンディニウムの城をおとすことは叶いません」
 
 そう告げる参謀長に対し、総司令官は躊躇せずに才人に意見を求めた。
 
 その事で、議場の喧噪が一気に膨らむ。
 
「ウインド殿! 如何に総司令官といえど、我らの意見を聞く前に、どこの馬の骨とも知らぬ平民に意見を仰ぐとは何事か!?」
 
 憤りの声を挙げる将校に対し、ウインドは落ち着いた声で、
 
「彼は、かのラ・ヴァリエール公爵より一個軍団を預かっておられるのですよ? この場にて発言する権利は十二分にある。
 
 そして、彼ならば通常では思いつかぬ方法で、敵を出し抜く事が出来ると信じています」
 
 その言葉に、場が静寂に包まれる。
 
 ラ・ヴァリエール公爵と言えば、トリステインにおいては幾多の戦歴を残した英傑であり、ゲルマニアにとっても国境を接する領地を持つため目の上のたんこぶ的存在として有名であった。
 
 その公爵より一軍を預けられるということは、即ちラ・ヴァリエールの後継者候補と言っても過言ではない。
 
 ……実際の所、公爵としては、才人の実力は評価するが、娘との結婚を認めるつもりなど微塵も無いのだが、そんなことを知らぬ面々は、皆一様に押し黙ってしまった。
 
「……してサイト殿。何か妙案はありますか?」
 
 才人は照れて頭を掻きながら、
 
「……俺、もしかして過大評価されてます?」
 
「ぼくとしては、正当な評価だと思うがね。……君は自分の事を何時も過小評価過ぎる」
 
 才人はヤレヤレと溜息を吐き出すと、前回の出来事を思い出し、
 
「まあ、伝説って言っても所詮は人間ですからね、出来る事と出来ないことがありますから、出来ることをやらせてもらいます」
 
 感嘆の声が漏れる中、才人が告げる。
 
「俺とルイズで陽動を引き受けます。ロサイスではなく、ダータルネスに上陸するように敵を欺きますから、皆さんは艦隊の方をお願いします」
 
 たった二人で陽動を受け持つと宣言する才人の発言に、場がざわめきに包まれる中、ただ一人平然とした声で、総司令が口を開く。
 
 彼にしてみれば、この程度の非常識、才人達であるならば常識であるのだろうという考えだ。
 
「承知した。では、護衛に竜騎士中隊を付けよう」
 
 そう告げるウインドの言葉を才人は断った。
 
「護衛は要りません。その分を敵艦隊の攻撃に回して下さい」
 
「……しかし」
 
「大丈夫ですよ。俺には竜騎士は近づいてこれませんから」
 
 言って下手なウインクをしてみせる。
 
 その自信に溢れる才人の態度に、再び場が感嘆の声で包まれた。
 
 実際の所、才人が竜騎士の護衛を断ったのは、テファの持つ先住の力を宿した指輪を無駄に消費したくなかったからだ。
 
 あれはカトレアの病を治す可能性がある唯一のアイテムであり、自分が大怪我を負うのがほぼ確定している以上、他の負担を取り除く位しか指輪の消耗を防ぐ方法が思いつかなかった。
 
 部屋を出たルイズは、才人に向け、
 
「あんな約束してどうすんのよ?」
 
「大丈夫だって、虚無の魔法の中に都合の良い魔法があるから、それを使えば良いさ」
 
 ルイズは訝しげな眼差しで才人を睨み、
 
「……何であんたがそんな事知ってるのよ?」
 
 そう問い掛けてくる。
 
 それは予測済みの質問だ。だから才人は予め決めておいた答をルイズに告げた。
 
「この額のルーンはなミョズニトニルンって言って、別名、神の頭脳とまで言われた使い魔でだな、始祖ブリミルに助言をするほど知識を貯め込んでたそうだ。
 
 そのルーンが色々教えてくれてるんだよ」
 
 その説明で一応の納得を示したルイズだが、まだ疑問が残っている。
 
「ねえ、あのウインド総司令官と知り合いなの?」
 
 不安そうに尋ねる。
 
 なにせ良く考えてみたら、自分は未だに才人の事を詳しく知らないのだ。
 
 どこでどんな人生を送ってきたのか? 偶に才人の話で出てくる、彼の師匠や、知り合いの貴族との関係は?
 
 ウインド総司令との関係が、才人の過去に何かしらの繋がりがあるのかもしれないと予想するルイズだったが、その予想はあっさりと裏切られた。
 
 才人はルイズの耳元に顔を寄せると、
 
「あれな、……ウェールズ王子だ」
 
「嘘ッ!?」
 
 驚きの声を挙げるルイズに対し、才人は半眼で彼女を見つめたまま、
 
「……気付よ」
 
 呆れ顔の才人に、ルイズは頬を膨らませて、拗ねた表情で、
 
「あんな仮面付けてたら、普通気付かないわよ!?」
 
「いや、声で判断出来るだろ?」
 
「む――」
 
 そっぽを向いてしまったルイズに苦笑を浮かべていると、横から貴族の少年達に声を掛けられた。
 
「おい、お前」
 
 才人が視線を向け、問いかけると、リーダー格の少年が顎をしゃくって付いて来いと才人を促す。
 
 苦笑いを濃くした才人は、肩を竦めながらその後を追い、ルイズも才人とに追従する。
 
 そして、連れて来られたのは、零戦の係留された上艦板。
 
 彼らの内の一人が零戦を指し、
 
「これは、生き物か?」
 
 と問うてきた。
 
 才人が肩を竦めて、苦笑いを浮かべながら、飛行機について説明してやると、零戦が何なのか? で賭をしていた彼らは、それが生物でないと知りと落胆するものと驚喜するものに別れワイワイと騒ぎ出す。
 
 そんな彼らを懐かしいものを見るような眼差しで見つめ、
 
 ……やっぱ、こいつらには、無理してほしくねーなあ。
 
 と思う才人だった。
 
 その後、竜騎士の少年達に煽られ風竜に跨った才人は、ヴィンダールヴの力を発揮して空を縦横無尽に飛び回る。
 
 専門家である自分達でさえ不可能な挙動を繰り広げる才人と風竜を見ていた竜騎士達は、言葉を失い、ただ呆然と空を見上げるのみ。
 
 否、少年達だけではない。その竜の飛翔に気付いた者達が皆一様に艦板で空を見上げ竜の飛行を見守っていた。
 
 そんな中、1匹の風竜が才人の方へ近づいてくる。否、正確には旗艦であるヴュセンタール号に着艦するつもりなのだろう。
 
 その風竜の背に乗った人物が誰なのかを悟った才人は、デモンストレーションとでも言いたげに、風竜を操って背後を取ろうとするが、相手も然る者、才人と同レベルの挙動を行い、付かず離れずのドッグファイトを繰り広げ、何時しか仕事の無い者達は皆、手に汗握りながらその光景を眺め、一部では賭けも成立するほどの賑わいを見せた。
 
 ……やがて、勝者不在のままで艦に降り立った二匹の風竜に、艦板上の兵士達が集まってくる。
 
 才人はもみくちゃにされながらも、もう一匹の風竜を操っていた少年の前に辿り着くと、まずは情報戦とばかりに気軽に挨拶した。
 
「よう、ヴィンダールヴ」
 
 対する少年は、笑みを浮かべると、
 
「ははは、人違いじゃないのかい?」
 
「ん? ああ、悪い、これ渾名だったな。
 
 ……たしか、ジュリオ・チェザーレだっけか?」
 
「ああ、久しぶりだね。ガンダールヴ。あれ? ミョズニトニルンだったかな? それとも今は君がヴィンダールヴかい?」
 
 数年ぶりに再開した旧友とでもいうように、二人は笑顔で握手を交わす。
 
 瞬間、才人の視界が闇に包まれた。
 
 暗闇の中、何が起きたのか分からず周囲を確認しようとする才人の脳裏に声が聞こえてくる。
 
“……殺せ”
 
「何だ?」
 
“……喰らえ”
 
「誰だ!?」
 
“……この世に同じ存在は二人と要らぬ。眼前の使い魔を喰らいて、己が力となせ”
 
「……何を言って」
 
“さすれば、汝……”
 
 声はそこで途切れ、才人の視界も元に戻る。
 
 そして視線を前に移せば、手を握っているジェリオが青ざめた顔でこちらを見ていた。
 
 周囲では、二人ともさぞかし名のある竜騎士で、二人で若い時から切磋琢磨して腕を磨いてきたのだろうという推測が飛び交っていたのだが、喧噪も収まり皆一様に恐怖におののいた顔つきで才人の方を見つめている。
 
「……どうしたんだ? 皆」
 
「い、いや、何でもないんだ。気にしないでくれ。
 
 そ、それよりも、僕は到着の報告に行かないといけないからね。……そろそろ手を離してくれないかな?」
 
「ん? ああ、悪い」
 
 二人が別れ、周囲を囲っていた者達も才人と視線を会わさないように三々五々己の持ち場に帰っていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 周囲に人影が無くなると、ルイズが才人に恐る恐る声を掛けた。
 
「ね、ねえ、サイト……」
 
「ん? なんだよ?」
 
「……サイト、だよね?」
 
 そういう質問をされても困る。
 
 才人はどういう意味かをルイズに問い質すと、彼女は才人の服の裾を掴みながら、
 
「さっきのサイト、凄く怖かった」
 
 ……思い当たるのは、先程の声だ。
 
 何が原因かは分からない。だが、あの声は正直かなりヤバイ感じがした。
 
 才人は努めて笑顔で、
 
「まあ、気のせいだろ」
 
 だが、そんな彼の作り笑いを見抜いたルイズが心配そうに気遣う。
 
「……無理してない?」
 
「大丈夫だって」
 
 ルイズを促し部屋へ戻る。
 
 そこで気を取り直したルイズは、話題を変えようとしてジュリオとの関係を才人に聞き質した。
 
 才人は困った笑みを浮かべると、
 
「えーとな、昔の戦友っていったとこ?」
 
「……何? あんた何処かで傭兵でもやってたの?」
 
「いや、傭兵とかじゃなくて、護衛って感じかな? で、あいつが運転手」
 
 まあ、ずっと前の事だし、俺達本人の事じゃないけどな……、と言葉を濁す。
 
 ルイズはルイズで勝手に、以前才人が言っていた知り合いの貴族とやらの護衛と運転手だったのかしら? と納得してしまい。
 
「ふーん、じゃあ、挨拶しとかないと」
 
 そう言って部屋を出ていこうとするルイズに対し、才人は慌てて彼女を押し留めると、
 
「そんなことよりも、ほら、陽動に使う魔法を選ばねーと」
 
 言われて思い出したのか、ルイズは始祖の祈祷書の前で祈りを捧げるように精神集中した後、ページを捲っていく。
 
 そして見つけた新しい魔法。
 
 初歩の初歩。イリュージョン。
 
 安堵の吐息を吐き出すルイズ。
 
 才人は頷きをルイズに送り、
 
「うし、じゃあ、それを参謀本部に伝えて、細かい作戦を詰めてもらおうぜ」
 
 と言って、ルイズを促して参謀本部へ向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そして参謀本部からの帰り、才人達はジュリオと再び出会った。
 
 ジュリオは軽く手を挙げると、気軽に声を掛け、
 
「やあ、また会ったね」
 
「……俺としては、会いたくなかったけどな」
 
 互いに苦笑を浮かべる。
 
「一つ聞き忘れた事があってね」
 
「何だよ?」
 
「……今の君の名前は?」
 
 その質問にルイズは眉を顰めるが、才人はそれに気付くことなくジュリオの質問に答える。
 
「才人、……平賀・才人だ」
 
「……変わった名前だね?」
 
「お前なんて、偽名じゃねーか」
 
 ……確か、大昔のどこぞの偉いさんの名前とか言っていたとルイズに聞いた気がした。
 
「博識だね、君は」
 
「ミョズニトニルンだぜ?」
 
 両手のルーンなら手袋で隠せるが、額のルーンばかりはどうしようもない。……せめてバンダナでもしてくるんだったかな?
 
 と思うが、後の祭りだ。
 
 対するジュリオは、視線をルイズに、……正確にはルイズの持つ始祖の祈祷書と水のルビーに向け、
 
「秘宝と指輪、担い手と使い魔……、君の所は一通り揃っているようだね。
 
 ……羨ましい限りだよ」
 
「やらねーぞ」
 
 ふざけた物言いだが、そこに込められた絶対意思は伝わる。
 
 ジュリオは肩を竦めると、
 
「そんなつもりは無いよ」
 
「……今の所は、か?」
 
「止してくれ、君と喧嘩して勝つ自信なんか、微塵も無いんだから」
 
 言って踵を返し、
 
「じゃあね、縁があったらまた会おう」
 
「なら、絶対に会うじゃねーか」
 
 そう言い残し、才人もルイズを促してその場を後にした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 翌日、作戦が決定したため、早速それを実行するべく才人は零戦の発進準備をしていた。
 
 流石に何の訓練も受けていない才人では、先導も無しに目印の無い雲上をどっちに進めば良いのか分からないという懸念の声が挙がったが、先導ならば何処にでもいる。
 
 空を飛ぶ鳥に場所を聞けば良いだけの話である。
 
 準備万端整った才人が出撃の命令を待っていると、戦闘開始を告げる鐘が激しく打ち鳴らされた。
 
 何事かと目を凝らす才人の視界に、こちらに突っ込んでくる焼き討ち船の姿が入る。
 
「ヤベッ!?」
 
 衝撃に備え、シートに深く身体を沈める。
 
 なんとか直撃は避けたものの、至近距離での爆発を受けたヴュンセンタール号は大きく傾き、その艦板から零戦の機体が滑り落ちた。
 
 才人は風圧に耐えながらも、落下の風圧で回るプロペラを確認し、エンジンの点火スイッチを押し込み、零戦の心臓に火を入れる。
 
 背後に響く砲撃の音を聞きながら、才人は零戦のスロットルを開け加速した。
 
 襲い来る数多の竜騎士達から、竜の制御を奪い竜達を味方に付けると、竜達に戦闘から離れるように命令して自分達は一気にダータルネスへ向かう。
 
 数時間の飛行の後、辿り着いたダータルネスの港で、ルイズが虚無の詠唱を開始する。
 
 詠まれる呪文は初歩の初歩、イリュージョン。
 
 術者の思い描いた幻影を創り出す魔法。
 
 そして突如、空に現れるトリステイン侵攻艦隊。
 
 その報を受けたホーキンス将軍率いるアルビオン軍は、ロサイスに向けて侵攻していた3万の兵を反転させ、ダータルネスへと向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 だが、戦闘自体はまだ終わっていない。
 
 才人は幻影を確認すると、零戦を反転させ機首をロサイス方面に向ける。
 
「ルイズ! 座席の下にあるレバーを引け!!」
 
 ルイズが才人の命令を忠実に実行し、コルベールの取り付けたロケット推進器に火を入れる。
 
 直後、超加速を得た零戦は、一時間余りで戦場に舞い戻った。
 
 戦場の空気が感じられる中、才人は決意する。
 
 ようは殺して後悔するか、見殺しにして後悔するか、だ。
 
 どちらにしろ後悔はする。……否、しなければならない。伝説の力を手にした自分が人の死に対して後悔しなくなった時、それではただの殺人鬼となってしまう。
 
 竜騎士を奪われたアルビオン軍からの攻撃は、砲撃と艦隊からの魔法をメインとしたものに切り替えられたようだが、それでも未だに戦闘は続行していた。
 
 才人は零戦の機首を上げ上昇すると、上空から敵艦に急降下して、レバーを操作しコルベールの新兵器“空飛ぶヘビくん”を発射。
 
 狙いは自軍の旗艦と同じく空母型の航空船。それを旗艦と見越した上での攻撃だ。放たれた“空飛ぶヘビくん”が艦橋に着火。
 
 艦橋は一気に炎に包まれた。
 
 才人の予測は当たっていたらしく、旗艦を失った艦隊は命令系統が途絶え、混乱に陥り敵味方かまわず闇雲に攻撃を仕掛け、自滅する艦隊も出るほどだった。
 
 才人は零戦を操り、空を縦横無尽に飛び回ると、上空から急降下しながら敵艦の艦橋を狙い両翼の20o機関銃を射撃する。今回はタルブ上空戦で使用していない為、まだ残弾に余裕がある。
 
 木製の船で20o機関銃の弾丸を防ぐことなど出来ず、艦橋は一気に混乱の坩堝と化していく。
 
 艦橋が乱れれば、船は陣形疎か進路を決めることさえままならない。
 
 混乱の伝播した船は、次々と白旗を揚げ降服していった。
 
 やがて全ての戦闘が終わり、連合軍の大勝利となった空を零戦が大きく旋回する。
 
 その姿に無事だった者達が、大きな歓声を送った。
 
 とりわけ、零戦の事を知っているトリステイン魔法学院の生徒達からの歓声は凄かった。
 
 周囲の者達に、アレは僕の友達が操っているんだ。と自慢げに話す。
 
 だがそんな中、渦中の才人の心は重い。先程の戦闘で、何人もの人達が死んだ。否、自分が殺した。
 
 どうしても慣れることの出来ない後悔に手指が震える。
 
 だが、その手をそっと包む柔らかい感触。
 
 視線を上げた先にあるのは、ルイズの顔だ。
 
「……サイト、見て」
 
 彼女の指し示す先、そこでは顔を煤で汚しながらも、零戦に手を振る兵士達の姿があった。
 
「みんなをサイトが守ったの。
 
 あんたが人を殺すのを嫌っているのは知ってる。……だけど、あんたが手を汚したことは、絶対に無駄なんかじゃないってわたしは信じてる」
 
 ルイズの励ましのお陰で才人の手の震えが止まる。……心には未だ重いものが残っているが、もう大丈夫だ。
 
 才人は深呼吸すると、ルイズの手を握り返し、
 
「ありがとなルイズ。もう、大丈夫だ」
 
 操縦桿を倒し、零戦は皆の待つ船へ着艦の準備に入った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その頃、トリステイン魔法学院をアニエス率いる銃士隊が訪れていた。
 
 学院に残った女子生徒達に軍事教練を施し、アルビオンでの戦で士官が消耗すれば、逐次投入する為である。
 
 コルベールの授業に乱入し、生徒達を全員校庭に集結させたが、その中に明らかに場違いな異分子が混じっていることに気付き、初っぱなからアニエスは頭を悩ませた。
 
 彼女は幻痛のする頭を指で押さえながら、
 
「あー……、ナイ。……お前は参加しなくても良いから、向こうでシルフィードと遊んでこい」
 
 既に才人との訓練で顔見知りとなっていたナイに優しく言い聞かせる。
 
「……でも、おとーさんと約束した」
 
「サイトと?」
 
「……おとーさん、サティーお姉ちゃんに何かあったら皆を守れって言ってた。
 
 ……だから、わたしも一緒に戦う」
 
 アニエスは険の無い表情で、健気な少女の頭を優しく撫でると、
 
「だが、戦うのはわたし達の仕事で、お前は本来護られるべき側の人間だ。
 
 だから、大きくなるまでは、わたし達に任せておけ」
 
 言って、ポケットから飴玉を取り出すとナイに握らせ、シルフィードの元へ行っているように告げる。
 
 そしてナイを送り出し再び軍人の表情に戻ると、女子生徒達に対して一喝し、早速校庭10周を命じた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 翌朝早く、タバサは目を覚ました。
 
 中庭から、妙な気配が漂ってくるのを感じたからだ。
 
 同じような気配を感じたのだろう。同じベットで眠っていたシルフィードとお泊まりにきていたナイも眠い目を擦りながら起き出してきた。
 
「……変な感じがする」
 
 頭の上の獣耳をピクピクさせながら告げるナイに、シルフィードも頷きで追従する。
 
 その言葉で決断したタバサは、素早く着替えると階下のキュルケの部屋へ向かう。
 
 そこでキュルケを強引に起こして短く事情を説明し、着替えさせると同時、下の方から扉が破られる音がした。
 
「一旦引く」
 
「賛成」
 
 言って、二人は自分達とシルフィード達にもレビテーションを掛け、窓の外へ身を躍らせた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 同じ頃、アニエス達の宿舎として与えられた火の塔にも賊が4人侵入していたが、それらは全てアニエス達銃士隊の手によって屠られていた。
 
 賊のリーダーでもあるメンヌヴィル達は女子生徒と女子職員達を人質に取ると、食堂に立て篭もり、駆けつけたアニエス達に向けアンリエッタをこの場に呼ぶように交渉を開始する。
 
 勿論、そのような約束を取り付けられよう筈もない。
 
 アニエスが唇を噛み締め、どうするべきかと、悩んでいると背後から声を掛けられた。
 
 振り向く先にいたのは唯一の男性職員、コルベールだ。
 
 何事かと問いかけるコルベールに対し、アニエスは煩わしげに生徒達が賊に捕らえられたことを伝えると、後は邪魔とばかりに彼のことを無視することに決めた。
 
「ねえ、作戦があるんだけど」
 
 更に後ろから掛けられた声に再びアニエスが振り向くと、そこにはナイとシルフィードを従えたキュルケとタバサが立っていた。
 
 キュルケ達の作戦を聞いたコルベールは危険だと言って反対するが、アニエスが強引にそれを採用する。……どちらにしろ、他に手は無いのだ。
 
 予告した時間が過ぎ、それでもアンリエッタが現れない為、メンヌヴィルが警告の意味を込めて、人質の内の一人を殺そうとした所で、小さな紙風船が食堂に飛び込んできた。
 
 全員の視線が紙風船に集まった瞬間、突如紙風船が爆発して激しい音と光を放つ。
 
 中に黄燐を仕込んだ紙風船をタバサが送り込み、キュルケが発火させたものだ。
 
 賊の怯んだ瞬間にタバサとキュルケ、そしてマスケット銃を携えた銃士隊の兵士達が食堂に飛び込み、敵を鎮圧する。
 
 ……予定であったのだが、突入したキュルケ達に対して、無数の火球が降り注いだ。
 
 マスケット銃が暴発し、指を飛ばされて地面をのたうち回る銃士達。
 
 タバサとキュルケは、火球の直撃を受けたのではなく、至近距離で爆発させられた火球によって、衝撃によりダメージを受けた。
 
 キュルケはふらつく頭で、視界に倒れながらもなんとか立ち上がろうとするタバサの姿を確認する。
 
 そして同時に、白煙の中から現れるメンヌヴィルの姿も目に入った。
 
 慌てて呪文を唱えようとするが、杖が無い。
 
 周囲を見渡し、目の前に落ちていた杖に手を伸ばした所で、その杖が何者かの足で踏みにじられた。
 
 ……相手が誰かなど、考えるまでもない。
 
 ゆっくりと視線を上げていくと、メンヌヴィルがキュルケを見下していた。
 
「惜しかったな。光の弾を爆発させて視力を奪うまでは良かったが」
 
 言われ、気付く。
 
 ……この男、目が見えていない。その目に填められているのは義眼だ。
 
「俺は炎を使う内に、随分と温度に敏感になってね。
 
 距離、位置、どんな高い温度でも、低い温度でも数値を正確に当てられる。
 
 温度で人の見分けさえつくのさ」
 
 メンヌヴィルの笑みが、キュルケに恐怖を与える。
 
 後ずさりし、逃げようとするキュルケに対し、メンヌヴィルは更に濃い笑みを浮かべてキュルケを焼き尽くそうと炎を放つ。
 
 恐怖に捕らえられたキュルケは目を閉じて覚悟を決める。……だが、メンヌヴィルが放った炎がキュルケを飲み込もうとしたその瞬間、別の炎がメンヌヴィルの炎を押し返した。
 
 おそるおそる目を開いたキュルケの見たものは……、
 
「……ミスタ?」
 
 杖を構えて立つコルベールの姿だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「わたしの教え子から、離れろ」
 
 堅い表情で告げるコルベールを前に、メンヌヴィルは彼が誰であるのかを看破すると、歓喜の表情に顔を歪め、
 
「お前は! お前はコルベール! 懐かしい! コルベールの声ではないか!
 
 オレだ! 忘れたか? メンヌヴィルだよ隊長殿! おお! 久しぶりだ!」
 
 嬉しそうに叫ぶメンヌヴィルに対し、コルベールの表情が、暗い何かに覆われていく。
 
「貴様……」
 
「何年ぶりだ? なあ! 隊長殿! 20年だ! そうだ!」
 
 隊長殿? 何やら関係があるらしいコルベールとメンヌヴィルの間柄に、生徒達の間にも動揺が走る。
 
 そして、心底可笑しそうに笑いながら、メンヌヴィルがコルベールの過去を暴露していく。
 
 対するコルベールは無言。
 
 但し、彼の放つ雰囲気は、今までの彼からは感じたことのない類のものだ。
 
 このような雰囲気を放てる者など、キュルケの知り合いには才人しか居ない。……実際にはタバサも放つことが出来るだけの素養があるが、彼女はキュルケに対してそれを放つことは絶対に有り得ないだろう。
 
 ただメンヌヴィルの笑い声だけが響き渡る庭で、その拮抗を崩したのは、上空から飛来した侍女服姿の自動人形だった。
 
 彼女は上空に待機していたグリフォンから飛び降りると、食堂からコルベールを狙っていたメイジに飛び掛かり、杖を持った腕を自らの隠し刃で斬り裂く。
 
 そしてコルベールを一瞥した後、
 
「この場はお任せを、……自らの贖罪に決着をお着け下さい」
 
「……ありがとう、ミス・サティー」
 
 礼を告げるコルベールに対して、サティーは黙礼で返すと、食堂の中のメイジを屠る為に力を発揮する。
 
 コルベールは感情の無い、冷たい笑みを浮かべると、
 
「なあ、ミス・ツェルプストー。火系統の特徴を、このわたしに開帳してくれないかね?」
 
 突然の質問に戸惑いながらも、キュルケは何時ものように持論を口にした。
 
「……情熱と破壊が火の本領ですわ」
 
「情熱はともかく、火が司どるものが破壊だけでは寂しい。
 
 そう思う。20年間、そう思ってきた」
 
 コルベールはいつもの声で呟いた。
 
「だが、君の言うとおりだ」
 
 雲が月を隠し、周囲を闇で染め上げる。
 
「友人を抱えて、塔の陰に逃げなさい」
 
 コルベールの指示に従い、キュルケはタバサを抱えて走り出す。
 
 その背に食堂に潜んでいたメイジの一人が氷の矢を何本も飛ばすが、それは他方から放たれた疾風と迅雷によって粉々に砕かれた。
 
 ……誰? と思うキュルケの視界の隅、食堂に向けて駆けていく二つの人影が映る。
 
 二つの人影は、全く同じタイミングでジャンプすると、
 
「ダブル!」
 
「……ライダー」
 
「「キッーク!!」」
 
 充分に加速の付いた跳び蹴りを、先程氷の矢を放ったメイジの胸にブチ込んだ。
 
 以前、寝物語として才人に聞かされた、彼の世界の英雄のお話。その英雄達が使っていたという必殺技。
 
 闇夜の為、ハッキリとは見えなかったが、食堂の光で一瞬見えたその姿は、蒼い麗人と紅い淑女のように思えた。
 
 青い髪の麗人はおそらくシルフィードだろうが、先程の鎌鼬は魔法ではないだろうか? それに一緒に居た紅い女性は頭に獣のような大きな耳と、お尻には太くて長い尻尾のようなものがあったように見えた気がした。
 
 抱えたタバサが小さく、後でお仕置きと呟いたような気もするが、気のせいだろう。
 
 本来は変化の魔法を使用中は、他の先住魔法を使用する事は出来ないのだが、現在シルフィードを変化させているのは、先住魔法ではなくマジックアイテムの力によるものである。なので、今のシルフィードは人間形態であっても先住魔法を使用する事が出来る。
 
 しかし普通の風竜は先住魔法など使用しない。……これはシルフィードが絶滅したとされる古代種、風韻竜だからこそ出来る芸当だ。
 
 なのでタバサは様々なトラブルを避ける為、彼女には普段は喋ったり先住魔法の使用を禁止していたりするのだが、今回は非常時とはいえ、その禁を破ってしまった。
 
 そのことに対するお仕置きをタバサが考案しつつ、食堂内で立て篭もっている賊達への襲撃のチャンスを伺っている中、周囲に気を使う必用の無くなったコルベールが反撃を開始する。
 
 だが、元より光を必要としないメンヌヴィルに対して、暗闇で視界の利かないコルベールではハンデが有りすぎる。
 
 コルベールは逃げながらもメンヌヴィルの放つ攻撃を頼りに、自らの炎を撃ち込むが手応えはない。
 
 やがて何の遮蔽物もない広場の真ん中に辿り着いたコルベールは、大きく息を吸い込み闇の中のメンヌヴィルに向けて口を開いた。
 
「なあ、メンヌヴィル君。お願いがある」
 
「なんだ? 苦しまず焼いてほしいのか? なに、あんたは昔馴染みだ。お望み通りの場所から焼いてやるよ」
 
 だが、その声は無視して、コルベールは落ち着き払った声で告げる。
 
「降参してほしい。わたしはもう、魔法で人を殺さぬと決めたのだ」
 
 そんなコルベールに対し、嘲りに満ちた声で返答するメンヌヴィル。
 
 コルベールは更に膝を着いて頭を下げる。
 
 しかし、メンヌヴィルの返答は軽蔑し、怒りに満ちたものだった。
 
「オレは……、貴様のような腑抜けを二十年以上も追ってきたのか……、貴様のような、能なしを……、許せぬ……、自分が許せぬ。
 
 じわじわと炙り焼いてやる。生まれたことを後悔するぐらいの時間を掛けて、指先からローストしてやる」
 
 呪文を唱え始めたメンヌヴィルに対し、それでもしつこくコルベールは嘆願する。
 
「これほどお願いしてもダメかね?」
 
「しつこい奴だな」
 
 それが最後通牒だった。
 
 悲しそうに首を振ったコルベールは上空に向けて杖を振った。
 
 現れ出でたのは、小さな火球。
 
 照明の代わりにすらならないそれは、上空で大爆発を起こす。
 
 上空の水蒸気をコルベールが練金の魔法で気化した燃料油へと変え、空気と攪拌したからだ。
 
 巨大な火球は、周囲の酸素を一瞬で燃やし尽くし、範囲内の生き物を窒息死させる。
 
 その為コルベールは土下座する振りをして、身を低くしていたのだ。
 
 対するメンヌヴィルは、立ったまま、しかも呪文の詠唱をするために口を開いていたので、一瞬で肺の中の酸素を奪い取られ窒息死した。
 
「蛇になりきれなかったな、副長」
 
 苦悶の表情を浮かべて事切れたメンヌヴィルに対し、コルベールはそう呟いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 隊長が倒されたことを知ったメンヌヴィルの部下達は動揺した。
 
 その瞬間を逃さず、タバサとキュルケ、そして負傷を免れた銃士達は一斉に食堂に乗り込んで、サティー達と協力して賊を屠りにかかる。
 
 そんな中、メイジの一人に剣を突き立てトドメを刺したアニエスだが、剣が抜けなくなってしまった。
 
 その隙を逃さず、敵メイジの一人がアニエスに魔法を放つが、何本もあったマジックアローの大半は、シルフィードと謎の女性の放った雷撃と鎌鼬によって消滅させられる。
 
 だが、その内の数本は被弾を免れ、アニエスに向かって飛んでいくが、突如舞い込んできた人影が彼女の前に立ちふさがり、残っていた全てのマジックアローを自らの身体で受けきった。
 
 直後、そのメイジはサティーの手により斬り倒され、残った賊はもはや勝機無しと悟ったのか窓から逃亡を試みるが、それも無駄に終わる。
 
 逃げ場など有りはしないとばかりに、外で待ち受けるのは獣の王グリフォン。
 
 彼らは逃げ切ることさえ許されず。ジルフェの手によって大怪我を負い、駆けつけたマルトー親父達に縛り上げられた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……大丈夫か?」
 
 コルベールの問いかけに、思わず頷いてしまったアニエス。
 
 それを見たコルベールは、安堵の笑みを浮かべると、口から大量の血を吐いた。
 
 受けたマジックアローの数は数本で、いずれも急所を外してはいるが、重傷であることに変わりはない。
 
 モンモランシーを始めとした生徒達が駆け寄ってきて、コルベールに水の魔法を施す。
 
 モンモランシーの使い魔である、カエルのロビンが寄ってきて、口から香水の瓶に入った治療薬を差し出した。……次のトリステイン魔法学院使い魔議会での賄賂にと用意しておいたものだが、背に腹は代えられない。
 
 本来ならば、そのままロビンの追求を始める所であるのだが、事態は急を有する為、追求は後回しだ。
 
 だが、そんな中、我に返ったアニエスがコルベールに剣を突き付けようとして、その剣をサティーによって弾き飛ばされる。
 
「……何のつもりだ?」
 
「それはこちらの台詞だと判断します。
 
 私はサイト様より、この学院の守護を命令されております。
 
 何故、ミスタ・コルベールを攻撃されるのですか?」
 
 アニエスは小さく舌打ちする。
 
 以前、才人との訓練で、余興としてサティーと手合わせをしたことがあったが、この自動人形ガンダールヴの力を発揮した時の才人程ではないにしろ、生身の人間では追随出来ない速度で行動するのだ。
 
 あの時は確かに、この主人にして、この従者有りと納得したのだったと思い出す。
 
 この場で、この自動人形とやりあっても、勝算の少ないことを悟ったアニエスは憮然とした表情で、サティーではなく、その向こうのコルベールに向けて告げる。
 
「貴様が……、魔法研究所実験小隊の隊長か? 王軍資料庫の名簿を破ったのも、貴様だな?」
 
 コルベールは荒い息を吐きながらも頷いた。
 
「教えてやろう。わたしはダングルテールの生き残りだ」
 
「……そうか」
 
 その一言で全てを理解したコルベールは小さく頷き、立ち上がろうとするのを、モンモランシー達が懸命になって押さえようとする。
 
 だが、最終的にコルベールの意思に負け、少しでも負担を減らそうと彼に肩を貸し、立ったままでの治療を選択した。
 
 ちなみに、彼に肩を貸したのはキュルケであり、他の生徒達を差し置いて、彼女がイの一番に名乗り出た。
 
「何故、我が故郷を滅ぼした? 答えろ」
 
「……命令だった」
 
「命令?」
 
「……疫病が発生したと告げられた。焼かねば被害が広がると、そのように告げられた。仕方なく焼いた」
 
「バカな……。それは嘘だ」
 
「……ああ、後になってわたしも知った。要は新教徒狩りだったのだ。
 
 わたしは毎日罪の意識にさいなまれた。
 
 あいつの……メンヌヴィルの言ったとおりのことを、わたしはしたのだ。
 
 女も、子供も、見境無く焼いた。
 
 許されることではない。忘れたことは、ただの一時とてなかった。
 
 わたしはそれで軍をやめた。
 
 二度と炎を……。破壊の為に使うまいと誓った」
 
「……それで、貴様が手にかけた人が帰ってくると思うか?」
 
 コルベールは力無く首を振る。
 
「だが、サイト君に会って考え方が変わったよ」
 
「……何?」
 
「今までのわたしは、罪を背負うことばかりを考えてきた。
 
 しかし、これからは、罪を償う為に生きていこうと思う」
 
 アニエスが怒りの表情で、コルベールを睨みつける。
 
「……償うだと? どのようにして、償おうというのだ!? どんなことをすれば、村の皆が生き返るというんだ! そんな方法があるというなら、今すぐ教えてくれ!!」
 
 慟哭に近いアニエスの叫びに対し、コルベールは首を振り、
 
「どのようにすれば、罪が償えるのか……。それはまだ思案している最中だ。
 
 だが……、ここで、この命を絶ってしまえば、わたしは罪を償うことさえ出来ない。
 
 どうか、その事だけは分かってほしい」
 
 深々と頭を下げるコルベール。
 
 アニエスは憎悪を露わにし、
 
「巫山戯るな! わたしは、あの日から今日まで、貴様を殺すことだけを考えて生きてきたのだ!?」
 
 本来ならば、コルベールを切り伏せたいほどの衝動であろうが、彼女の眼前に立ちふさがるサティーがそれをさせない。
 
 進む事が出来ず、引く事は己が許さず、憤りに振るえるアニエスの拳を、そっと小さな手の平が包み込んだ。
 
 その暖かな感触に我に返ったアニエスが、手の主に顔を向ける。
 
 そこにいたのは、小さな少女だ。
 
 いつの間にかその場にいた、ナイという名の少女が悲しそうに首を振る。
 
「……ダメ。
 
 ……アニエスさん、間違ってる」
 
「……わたしが、間違っている、だと?」
 
 ナイは目尻に涙を溜めながら小さく頷き、
 
「……罪を償おうとしている人を殺すのは、復讐ちがうよ。
 
 ……それは、ただの人殺しだよ」
 
「ッ!?」
 
 ナイの言葉に打ちのめされ、その場に跪くアニエス。
 
「……わたしは」
 
 黙考。
 
 長い葛藤の末、アニエスは奥歯を噛み締め、拳を握り、床に一撃を入れて、再び力ある眼差しでコルベールを睨みつけ、
 
「命を助けて貰った恩と、ナイに免じてこの場は引く……。
 
 だが、貴様のいう償いとやらが気に食わん場合は、その首、即座に斬り落としてやる。……覚えておけ」
 
 告げて、銃士隊の隊員達を促して、撤収作業を始めさせる。
 
 コルベールは、去っていくアニエスに対して、深々と一礼してから、目の前にいたナイの頭を優しく撫でてやり、
 
「ありがとう。君のお陰で命拾いしたよ」
 
「……ううん。せんせーの為じゃないの。
 
 アニエスさんの為に言ったの」
 
「そうか。……でも、礼を言わせてほしい。
 
 ありがとう、ナイ君」
 
 そう告げた直後、疲労と負傷で限界を超えていたコルベールは、意識を失い、倒れ伏した。
 
 一瞬、騒然となるが、傍らで脈拍を確認したキュルケは安堵の吐息を吐き出し、命に別状がないことを告げる。
 
 緊張の糸が緩み、床にへたり込んだ生徒達。
 
 それでも、余裕のある生徒達は、負傷した銃士隊の治療に向かう。
 
 そんな中、安息の寝息を発てるコルベールを、キュルケは慈愛の籠もった眼差しで見つめていた。
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