ゼロの使い魔・2回目
 
第15話
 
 ジョゼフ達を退けた翌日。目を覚ました才人が居たのは豪華な装飾の施された一室だった。
 
「……ここは?」
 
 身体を起こすと、背中に突っ張るような違和感を感じるので、確認してみると背中から腹にかけて彼の身体は包帯でグルグル巻きにされていた。
 
「そういや、俺。刺されたんだったっけ?」
 
 現在、才人が身につけているのは下着と包帯のみ。
 
 クローゼットを開けると、柔らかそうなガウンが入っていたので、取り敢えずそれを身につけ部屋の外に出るといきなり衛兵に出くわした。
 
「あぁ、お目覚めになられましたかヒラガ卿」
 
 衛兵は才人に対し礼儀正しく接すると、すぐに着替えを持って来させるのでもう暫く部屋で待っていてもらうように告げられたので、素直に部屋で待つ事にする。
 
 すると10分も待たず着替えを持ったメイド達がやって来たのだが、彼女達が持ってきてくれた服は何時も才人が着ているパーカーではなく、まるで貴族が身につけるような豪華な衣装だった。
 
「あの……、俺の服は?」
 
「申し訳ございません。血汚れに手間取ってしまい、まだ乾いておりませんので、こちらの服をお召し上がりくださいませ」
 
 そう言われ、断る事も出来ず服を着ようとしたのだが、メイド達は才人に服を渡すどころか手ずから彼に着せようとする。
 
 慌ててそれを断ろうとするも、新王であるシャルロットの客人である才人にそんな真似をさせられないと言うので、仕方なく彼女達の手を借りて服を着る事にした。
 
 ……慣れねぇ。つーか恥ずかしいし。
 
 何が恥ずかしいというと、その恰好だ。
 
 靴は革のローファーでまだ良かったのだが、白いタイツの上に膝上の提灯ブルマ、色は濃紺。この時点で才人は死にたくなった。
 
 上はやたらとヒラヒラした襟と裾と袖が特徴的な紺をベースにした分厚い服。ボタンなどの金具は全て純金製で、ビロード製の重厚な造りのマントは長く、才人二人分の長さは優にあった。しかも借り物のマントであるにも関わらずヒラガ家の紋章が刺繍されているではないか。
 
 何というか、如何にも貴族という恰好にどうも落ち着かない。
 
「……そう言えば、俺の剣は?」
 
「ヒラガ公爵様の武具でございましたら、別室にて大切に管理させていただいております」
 
 ……ヘソ曲げてないと良いけどなぁ。
 
 と、益体も無い事を考えていると、まるで才人の準備が終わるのを待っていたかのようなタイミングで部屋のドアがノックされ一人の衛兵が彼を迎えに来た。
 
「シャルロット姫陛下がお待ちです」
 
 頷き返し、部屋を出た才人は衛兵の先導で仮の謁見の間……、後で聞いた話だが、宮殿がジョゼフによって破壊されてしまったので、今は迎賓館を代用に使われているらしく、ここも、才人が寝ていた部屋も迎賓館の一室だったらしい。……に通された。
 
 そこで彼を待っていたのは、広い部屋にただ一人の少女。
 
 豪奢な王族の衣装を着込み、眼鏡を外した蒼い髪の小柄な少女。今は眼鏡を付けていないものの、彼女の顔を見間違う筈もない。
 
 タバサは玉座から手を挙げて衛兵を下がらせると、自ら席を立って才人の元に歩み寄り彼の手を握ると、
 
「……ありがとう。貴方には、それ以外の言葉が見つからない」
 
「ジョゼフに勝てたのは、お前が頑張ったからだろ? 俺は殆ど何もしてないよ。……どっちかって言うとテファが居なかったら勝てなかったかもしれないし」
 
「それでも……。それでも、わたしは貴方にお礼がしたい」
 
 まるで、拒絶されるのを恐れるような声色のタバサに対し、才人は気負いのない笑みを浮かべると、
 
「貰えるってんなら貰うけど、そんなに気にしなくても良いんだぞ。無理して高い物とかはいらないからな」
 
「大丈夫。元手はタダ」
 
「それなら良いけど……」
 
 そう言うとタバサは綻んだような小さな笑みを浮かべた。
 
 久しぶりに見たタバサの笑みに、思わずときめいてしまう才人。
 
 そしてそれを誤魔化すように、
 
「そ、そういえば、他の皆は?」
 
 才人の問い掛けに対し、タバサは表情を真剣なものに戻すと、
 
「テファにはフーケの監視をしてもらっている」
 
「監視?」
 
「見張っておかないと、逃げられるような気がする」
 
 その言葉に何故だか物凄く納得してしまった。
 
 まあ、監視と言っても杖を取り上げてティファニアと一緒に居てもらっている程度で、かなり自由が与えられていて、城から出なければ特に何も言うつもりもないし、戴冠式が終わり、フーケに対し報償を渡す事が出来れば、後は彼女の好きにしてもらうつもりだ。
 
 今回の作戦は、彼女の協力無しには成功は無かっただろう。だから、何としても報償だけは受けとってもらいたい。
 
「それじゃあ、ブリミル達は?」
 
「報告によると、怪我は大した事は無いらしいのだけど疲労が激しい為、到着するのは明日以降になると思う」
 
 戴冠式にはウェールズ国王とアンリエッタ女王。更には教皇であるヴィットーリオも参加する予定であるので、彼らの到着まではここを動けない。
 
 他にはタバサの母親とジョゼットもゲルマニアから連れて来ないといけないし、やることはてんこ盛りである。
 
「忙しいのに、邪魔しちまったか?」
 
「良い。気にしないで……」
 
 むしろ、会えて嬉しかった。喉元まで出掛けた言葉を何とか飲み込む。
 
 その後、タバサと別れた才人はティファニア達の部屋を訪れた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 目の前の扉を三度ノックし、相手の返事を待ってからドアを開ける。
 
 そこにはテーブルを挟んで会話するティファニアとフーケの姿があった。
 
 ティファニアはやって来たのが才人である事を知ると、それまで暗かった表情を一変させて満面の笑みを浮かべ、
 
「サイトッ!!」
 
 彼の名を呼んで抱きついた。
 
「良かった……。もう元気になったのね」
 
「あぁ、ホントにテファのお陰で助かったよ。それにフーケ……」
 
 視線を向けるも、彼女は才人から顔を逸らして視線を合わそうともしない。
 
「タバサから聞いたよ。ホントに助かった。ありがとな」
 
「フン。……成り行きで助けただけよ。勘違いしないでちょうだい」
 
 そこで初めて彼女は視線を才人に向け、
 
「……それにしても、なに? その恰好は? 全く似合ってないね」
 
「自慢じゃないが、俺もそう思う。つーか、何で貴族の連中ってこんな恰好して恥ずかしくないんだ?」
 
 苦笑を浮かべながら才人が告げると、ついにフーケも笑みを浮かべて見せた。
 
「アンタはもう貴族様なんだろ? だったら、それくらいは我慢しな」
 
 対する才人は肩を竦めるとマントを脱いで寄ってきたメイドに預け、フーケの隣の席に腰を下ろす。
 
「……それで? アタシは何時までここに監禁されてりゃ良いんだい?」
 
「監禁って、そんなに酷くねぇだろ?」
 
「自由が無いって意味じゃ同じさ」
 
 憮然として告げるフーケに溜息を吐きながら、才人は先程タバサから聞いた事を伝える。
 
「――って、事だから多分後1週間くらいかな? それまで逃げんなよ?」
 
「そうかい」
 
 特に興味を示したようには見えないフーケに対し、才人は語りかけた。
 
「それでお前、これからどうするつもりなんだ?
 
 テファ達は、もうお前が仕送りしなくても食っていく分には困らない。なら、危険な橋を渡るような真似はしなくても良いだろう」
 
「……そうだねぇ。特にやりたい事も無いし……。暫くは旅でも続けながらやりたい事でも探してみるっていうのもありかもねぇ……」
 
 背負う物が無くなり、達観した表情で告げるフーケは、どこか寂しそうな印象を受けた。
 
「マチルダ姉さん。なら、わたしの家に来てちょうだい。わたしも今までの恩返しがしたいし、子供達もきっと喜ぶわ!」
 
 それは確かにありがたい申し出ではあるが、脛に傷を持つフーケが新興貴族のティファニアの元に囲まれている事が知られると彼女にも迷惑が掛かる。
 
 下手をすれば、そこから彼女の身元が知られる可能性もあるだろう。
 
 妹に迷惑を掛ける事だけはしたくないフーケは、それをティファニアに悟られないように、やんわりと彼女の申し出を断った。
 
「それならさ……」
 
 それまで、姉妹の会話を静観していた才人が口を挟む。
 
「家に来ないか? アンタ昔、オスマン学院長の秘書とかもやってたよな?」
 
「秘書? ……そうなの? 姉さん」
 
「うん。……ま、まあね」
 
 以前、とは言ってもこの世界とは違う世界の過去で才人から姉の職業はトレジャーハンターだと聞かされていたティファニアは驚きに目を見開く。
 
「なら、さ。俺の秘書やってくれないか? ……正直、最近忙しくて仕事溜まってきて泣きそうだったりするし」
 
 それならばフーケをティファニアの側に置いておく事が出来ると思った才人の苦肉の策ではあったが、食客として招かれるよりは雇われている方がフーケとしても落ち着ける。
 
「まあ、別に急がなくても、お前がガリアを出てくまでに返事くれればいいから」
 
 言ってメイドの淹れてくれた紅茶を一気に飲み干して席から立ち上がると、
 
「じゃあ俺、デルフ達引き取ってくるから」
 
 踵を返し去ろうとする才人をティファニアが呼び止める。
 
 振り返る彼に向けてティファニアは笑みを向け、
 
「ありがとう、サイト……」
 
「いや、むしろ礼を言うのは俺の方だって」
 
 彼女の笑顔にときめいてしまい、照れ隠しに頭を掻きながら告げる才人。
 
 ……拙い、なんか今日はときめいてばかりだ。
 
 そんな事を考えながら、早足で部屋を後にする。
 
 才人が去った部屋で、何時までも彼の消えたドアを見つめるティファニアに対し、フーケはからかうような笑みを浮かべ、
 
「ティファニアも色恋沙汰に興味を持つようになったかい?」
 
 言われ、見ていて分かりやすい程に反応してみせるティファニア。
 
「ち、違うの姉さん。ううん違わないけど……、そういうのじゃなくて……」
 
 顔を真っ赤に染めて焦るティファニアを見ているのも楽しいが、それでも言っておかなければならない事がある。
 
 フーケは表情を楽から緊に改め、
 
「ティファニア……。アンタのその感情は、本当にアンタのものかい?」
 
 シェフィールドの薬によって植え付けられた偽りの感情である事をフーケは知っている。
 
 ……本来、好きでもない相手を好きになるのは幸せでもなんでもない。
 
 そう考え、何とか彼女を諭そうと思っていたのだが、ティファニアは力強い眼差しで彼女を見つめ返し、
 
「姉さんもわたしの気持ちは薬による偽りのものだって言うの?」
 
 僅かに躊躇い、それでも決心してフーケが口を開くよりも早くティファニアが言葉を続けた。
 
「わたしがの飲まされた薬は惚れ薬なんかじゃないの」
 
「なんだって?」
 
 それには流石のフーケも驚きの声を挙げざるをえない。
 
「わたしが飲まされたのは、自分の心に素直になる薬なの。
 
 飲まされた直後こそ、今まで溜まってた分を晴らすのに、少しはしたない事しちゃったけど、今はもう大丈夫。ううん……、その事に関してはシェフィールドさんに感謝してるくらい」
 
 なるほど、と納得し、フーケは改めてシェフィールドの恐ろしさに背筋が寒くなった。
 
 もし、ティファニアに飲ませたのが惚れ薬であった場合、それは薬の所為だという事である種の諦観が生まれるだろうが、自分の心に素直になる薬だった場合はあくまでもティファニア本人の意志である。
 
 恋愛関係のもつれからゼロ機関の内部崩壊を狙っていたシェフィールドとしてはそこまでの事を考えた……否、ティファニアの心情までも計算した上での恐ろしく高度な作戦だったのだろう。
 
 まあ、それはともかく、当のティファニアが納得している以上、今となってはどうでも良い話だ。
 
 ……さて、わたしはどうしたものかねぇ。
 
 やはり姉らしくティファニアを応援したものか? それとも自分に素直になって、あの少年にアタックしてみるべきか?
 
 ……まあ、時間はまだあるしね。のんびり考えるさ。
 
 そんな事を考えながら、ティファニアの惚気を聞き流しつつ紅茶に口を付けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 革命が成り、王様が変わった事で色々と忙しない城内において、何処か居心地の悪さというか、申し訳無さを感じていた才人はタバサに申し出て何か手伝う事は無いか? と問うてみた。
 
 正直な所、今は猫の手も借りたい程に忙しいので、才人の申し出は大変ありがたかったが、新王権誕生の立役者である客人を働かせるというのは常識からして考えられない。
 
 丁寧に断られ、再度やる事を無くした才人はティファニア達の部屋に赴き、フーケ相手にチェスを打っていると、乱暴にドアが開け放たれゼロ機関の面々が傾れ込んできた。
 
「サイト様! 負傷したと聞き及んだのですが、お身体の方は大丈夫なのですか!?」
 
「ちょっと、サイト! ジョゼフを討ち損ねたってどういう事よ!?」
 
「おとーさん……。怪我だいじょうぶ?」
 
 取り敢えず心配そうに覗き込むナイを抱き上げてあやしながら、
 
「テファが治療してくれたんで、怪我の方はもう大丈夫です。
 
 ジョゼフに関してはミョズニトニルンの力を侮ってた」
 
 項垂れる才人を見たブリミルは小さく肩を竦め、
 
「ま、良いわ。王座をタバサに奪還出来ただけで充分としておきましょう。
 
 ……それより」
 
 視線を才人の対面に座るフーケに向け、
 
「貴女には世話になったみたいね。詳細はタバサから聞いたわ」
 
「別に、成り行きで協力しただけさ」
 
 照れくさいのか? それともそういう性分なのか? そっぽを向いて素っ気なく告げるフーケ。
 
 そんな彼女の態度に、ブリミルは別段気を悪くするでもなくメイドの用意してくれた椅子に腰を下ろし、
 
「まあ、これで取り敢えずガリアに関しては問題無くなったわね」
 
「あぁ、……次は何とかしてエルフとの誤解を解かないとな」
 
 その為にも断固として聖戦の発動を停めなくてはならないのだが、向こうにブリミルを名乗るルイズが付いている以上、後は教皇の命令一つでいつでも聖戦が発動出来るような状況なのだ。
 
 それに虚無の担い手とエルフが手を組まなければ、あの強大な敵……、ヴァリヤーグに対抗する事が出来ない。
 
「考える事山積みだな」
 
「えぇ。それに今回の一件も、裏で色々とロマリアが動いてみたいよ」
 
 でないと、これほど簡単にガリアの貴族達が裏切りタバサの側に付いたりはしないだろう。
 
「アイツ等にとっても、ジョゼフは邪魔だったからな。これからもロマリアに対しては用心しないと」
 
「聞いた話では、シャルロット姫殿下の戴冠式は、その教皇自らお見えになって行うそうですわ」
 
「大丈夫。……そう簡単に、彼らの言うとおりに従うつもりはない」
  
 突然割り込んできた聞き慣れた声に振り向いてみると、そこに居たのは渦中の人物、シャルロット姫殿下ことタバサだった。
 
 彼女だけではない。タバサの後ろには、アンリエッタやウェールズの姿まで見える。
 
「もう良いのか?」
 
 気遣う才人に対し、タバサは小さく頷くと、
 
「……今までの王が何もしていなかった分、ガリアの文官はとても優秀」
 
 タバサの言葉に物凄く納得してしまう一同は、揃って苦笑を浮かべた。。
 
「今、ロマリアに敵対するのは得策ではないから、一応の従順を見せる為にも戴冠式の主催を任せる事にしただけ」
 
「あぁ、だけど気を付けろよ? アイツ等どんな搦め手で攻めてくるか分かったものじゃないぞ」
 
 才人の忠告を受け、力強く頷くタバサ。
 
 ロマリアに対抗する為にも、早急にガリア、トリステイン、アルビオン間での同盟を強固にしておく必要があるし、現在進行中の計画が実働段階に移行すれば更に色々な意味で忙しくなるだろうという判断から、戴冠前で少々早いもののブリミルに対し一枚の書状を手渡した。
 
「ガリア女王。シャルロット・エレーヌ・オルレアンの名において、ゼロ機関に国内外への通行の自由、警察権を含む公的機関の使用。そして徴兵の権利を授けます」
 
 恭しく一礼し、タバサから書状を受けとるブリミル。
 
 これでゼロ機関は、トリステイン、アルビオン、ガリアでの自由活動の権利を得た事になる。
 
 勿論それだけではなく、戦闘に参加したゼロ機関の構成員達には個別に褒賞が与えられた。
 
 中でも才人に与えられたのは……、
 
「コレって……」
 
 シェフィールドが使い、才人に怪我を負わせた“マンイーター”と呼ばれる自動で敵に攻撃を仕掛ける剣だ。
 
 但し、彼女が使った時と違うのは、剣の柄本にガリア王家の紋章が刻まれているという所か。
 
 才人自身は、その紋章の存在に気付いていない……、いや、気付いていたとしても装飾の一つ程度にしか思っていないだろうが、王家の紋章が刻まれた物を持つ事が許されるのは、王家に所縁のある者だけだ。
 
 もし、彼がガリア国内で何らかのトラブルに巻き込まれたとしても、この剣を見せるだけで相手は無条件に平伏する。……言ってみれば、水戸黄門の印籠のような価値があるのだが、その事に才人が気付く事は無いだろう。
 
 ……もっとも、タバサがこの剣にガリア王国の紋章を刻んで才人に渡したのは、また別の意味があっての事なのだが、今の所、才人の持つ剣にガリア王国の紋章が刻まれている事に誰も気付いていない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ガリア辺境の土地にある廃れた宿屋。
 
 その一室に前ガリア王ジョゼフとその使い魔、神の頭脳ことミョズニトニルンのシェフィールドの姿があった。
 
 それまで死んだように眠っていたジョゼフの瞼がうっすらと開く。
 
「……ここは? 俺は生きているのか?」
 
 周囲を見渡し、まず気付いたのは自分の腹に掛かる僅かな重み。
 
 視線を下げていくと、椅子に座ったままジョゼフの眠る布団に俯せて眠りについているのは自身の使い魔だ。
 
 恐らく、ジョゼフを看病していて疲れ果て眠ってしまったのだろう。
 
「気が付いたか」
 
 入り口の方から声を掛けられ、視線をそちらに向けると、そこにはビダーシャルの姿があった。
 
 だが、その姿に僅かな違和感を感じたジョゼフは眉根を寄せて暫し考え、ようやく違和感の原因に思い至る。
 
「貴様、耳はどうした?」
 
「精霊の力を借りて、少し姿を変えているだけだ。我らの耳は蛮人の中では目立つからな」
 
 逃亡中の彼らにとって、目立つ事は命取りになる。
 
「それと、お前も変装の為に髭を剃り、髪は染めさせてもらったぞ。服は路銀の足しにする為に売った」
 
 別にそれは構わない。問題があるとするならば……、
 
「何故、俺を逃がした?」
 
 まるで攻め問うようなジョゼフの物言いに、今度はビダーシャルが眉根を寄せ、
 
「妙な事を聞くな。貴様は、あそこで死ぬつもりだったのか?」
 
 その問い掛けには、呆気ないほど簡単に答えが返ってきた。
 
「あぁ、そのつもりだった。奴らのお陰で、俺の憂いも晴れた。
 
 もはや、この身に出来る事といえば、この首を差し出してシャルロットにこの国を明け渡してやることくらいだ」
 
 清々しい表情で、躊躇い無く告げるジョゼフ。だがビダーシャルは難しい表情で、
 
「貴様が納得して死ぬのは勝手だが、我々としては貴様に死んでもらうわけにはいかん」
 
「……どういう事だ?」
 
「貴様が死んだところで、新たな悪魔が生まれる。――そういう事だ」
 
 ジョゼフが死ねば、別の誰かが虚無の系統に目覚めるだろう。
 
 それが誰なのかは分からない。彼らの知り合いかもしれないし、顔はおろか名前すら知らない者かもしれない。
 
 今の所一番可能性が高いと思われているのは、ジョゼフの娘イザベラだ。
 
 王女である事のプライドの高さと、能力の低さからくる反発心からの我が儘。
 
 当然、人望のようなものは彼女には無い。
 
 そんな彼女が虚無の力を手に入れればどうなるか? 今までの鬱憤を晴らすかの如く無差別に力を振るい、恐怖と暴力を持って人心を掌握しようとする事は想像に難しくない。
 
 ビダーシャルとしては、別にガリアがどうなっても構わないのだが、小心者の彼女ではエルフと手を組むような真似は絶対に出来ないだろう。それならばまだ、同じ虚無の担い手でもエルフを恐れぬこの男の方がまだ都合が良いのだ。
 
 そう告げるビダーシャルにジョゼフは待ったを掛け、
 
「イザベラは弱いが水系統の魔法を使える。あの娘が虚無という事は無いだろう」
 
 それは初耳だったのか、ビダーシャルは僅かに驚いた表情で、
 
「そうなのか? あの娘が魔法を使えるという話しは初めて聞いたが」
 
「俺に似て、才能の乏しい娘だ。わざわざ人前で披露出来るほどの腕前も無い」
 
 それを聞いて納得するビダーシャル。
 
 とはいえ、彼の話の本命はまだ終わっていない。
 
「まあ、それはともかくとして、だ。
 
 ……ロマリアの坊主共は、間違い無く、あのシャルロットとかいう娘を傀儡とする為に狙ってくるぞ。
 
 あの娘自身を含め、周りには腕の立つ者も居るようだが、陰謀と奸計に長けたあの国を相手にしてはどうかな?」
 
 確かに、正面からぶつかり合えば心強いことこの上ない面子を誇るゼロ機関ではあるが、搦め手からの攻撃となると、正直心許ない。良い意味でも悪い意味でも、真っ直ぐな者達ばかりなのだ。
 
 もし、それを助けてやれる者が居るとすれば……、
 
「…………」
 
 ジョゼフは面白くなさそうに鼻を鳴らしつつも、その表情に活気を漲らせ、
 
「良いだろう。今更、誰にどう思われようと、この手が泥に塗れようと構わぬ。
 
 汚れ役は、全て俺が引き受けようではないか」
 
「……ジョゼフ様」
 
 そんな彼を哀れむような眼差しで見つめるのは、何時の間にか目を覚ましていたシェフィールドだ。
 
「目が覚めたかミューズ。お前にも色々と世話になったな。何も報いてやる事が出来なかったが許せ」
 
 これからは、虚無の使い魔としてではなく、一人の女として故郷に帰って暮らせ。と告げるジョゼフに対し、シェフィールドは真剣な眼差しを彼に向けたまま、
 
「……一つだけ、お尋ねしたい事がございます」
 
「何だ?」
 
「……あの時、どうしてわたしを庇うような事をなさったのですか?」
 
 問われ、思い出すのは才人の剣とタバサの魔法が迫る瞬間。
 
 あの時、自分は何を見て、何を考えたのか……。
 
「……分からぬ。ただ死に場所を求めたのか? それとも……」
 
「――それとも?」
 
 一息、
 
「いや、お前に何かしてやりたかった。……などという考えは傲慢も良いところだな」
 
 言って、寂しく笑うジョゼフ。
 
 対するシェフィールドは、弾かれたようにジョゼフの唇に己の唇を重ねていた。
 
 時間にして僅かに10秒。
 
 ゆっくりと二人の距離が離れる。
 
「ここに、再度の契約を……。虚無の使い魔の一、神の頭脳ミョズニトニルン。
 
 ――貴方様に永遠の忠誠を捧げましょう」
 
「……本気か?」
 
「当然でございます」
 
 そこにあるのは、ただただ真摯なだけの眼差しだ。
 
「物好きな女だ……」
 
 言って、視線をビダーシャルに向け、
 
「貴様にも世話になったな。……もう、俺に従う義理も理由もあるまい? 自分の国に帰ると良い」
 
 だが、ビダーシャルは怪訝な眼差しでジョゼフを見つめ、
 
「言わなかったか? 我々としても貴様に死なれると困るのだ。……だから、わたしが貴様を護衛してやろう」
 
「……正気か? 俺を守った所で、貴様等エルフにはもはやなんのメリットも無いのだぞ?」
 
 対するビダーシャルは鼻を鳴らし、
 
「わたしがわたしの意志で決めた事だ。貴様にどうこう言われる筋合いは無い」
 
 それを聞いて思わずジョゼフの口元に笑みが浮かぶ。
 
 以前、ビダーシャルを部下にする際、本国の意向もあるので自分の一存では決められないと言った彼に対し、ジョゼフは「バカが、自分で決めろ」と言い放ち、その言葉のままに今、彼は自分の意志でジョゼフの共をする事を決めたのだ。
 
「まったく……、どいつもこいつも度し難いバカばかりだな」
 
「その筆頭が紛れもなく貴様だろう」
 
 確かにビダーシャルの言う通り、つい先日まで世界を滅ぼそうとしていた人間が、何をトチ狂ったのか? 今度は世界を守ろうとする者達を影ながら守ろうと言うのだ。これがバカでなければ、狂気の沙汰としか言いようがあるまい。
 
「違いないな」
 
 ビダーシャルの皮肉に対し、吹っ切れたような笑みで返すジョゼフ。
 
 ともあれ、やる事が決まれば後は行動に移すのみ……、の前に、
 
「まずは腹拵えだな。血を流しすぎたのか腹が減ってたまらん」
 
 二人の仲間を従え、階下の食堂に向かうジョゼフ。
 
 ……その一時間後、食べ過ぎたお陰でお金が足りず、食器洗いに励む元国王の姿があったとか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ゼロ機関のメンバー達が合流してから数日後。
 
 ようやく主な参加者達が集った為、戴冠式が行われる事になった。
 
 ヴェルサルテイル宮殿の礼拝堂に集まったのは、ハルケギニア大陸中の名だたる王家や上級貴族の者達。
 
 トリステインからはアンリエッタ女王を筆頭に、ラ・ヴァリエール公爵の名代としてエレオノールとカトレアが。
 
 アルビオンからはウェールズ国王とヒラガ公爵、そして次期アルビオン女王ともっぱらの噂であるウエストウッド侯爵が。
 
 ロマリアからは聖エイジス三二世こと、教皇ヴィットーリオが。
 
 ゲルマニアからはシャルロット女王陛下の個人的な親友であるフォン・ツェルプストー家の息女が。……ちなみに、ゲルマニアの皇帝であるアルブレヒト三世は最初から呼ばれてもいない。
 
 今、ここを爆破しようものならハルケギニアの歴史が変わると言っても過言ではないだろう。
 
 ……もっとも生半可な戦力では、彼らに一矢報いる事さえ難しいだろうが。
 
 緊迫した雰囲気の中、厳かに進む戴冠式の行われている礼拝堂。
 
 それとは別に城下町の方は新しい王の誕生に、活気が満ちていた。
 
 彼方此方で、「シャルロット女王陛下万歳!!」の声と共に乾杯が繰り返され、ドンチャン騒ぎへと発達していく。
 
 そんな喧噪の中を自動人形の従者を従えた少女達が歩いて行く。
 
 一人は肩に小さな人形を乗せた頭から大きな耳とお尻から狐のような大きい尻尾を生やした赤毛の少女。
 
 その傍らを歩くのは背に四枚の大翼を持つ深紅の髪をした翼人の少女。
 
 彼女達を先導するように歩くのはコロコロと表情の変わる蒼い髪の女性だ。
 
「キュイキュイ♪ 今日はおめでたいから思い切り遊ぶのね!!」
 
「そうだな! サイトからいっぱい軍資金もブン盗ってきたから色々出来るぜ」
 
「うん。いっぱい遊んで、後でいっぱいおとーさんにお話する」
 
 ナイが真剣な表情で告げると、彼女の肩に乗ったアルヴィーのアルは意味が分かっているのか? 力強くコクコクと頷いて返した。
 
「遊ぶのは大変結構ですが、余り羽目を外しすぎないように」
 
 お目付役のサティーが告げるものの聞いているかどうか、正直かなり怪しい。
 
「まあ、今日くらいは良いんじゃない? でも、最近はガリアの方でも亜人の誘拐が増えてるって言うから、ちゃんとわたし達の言う事聞いてはぐれないようにしなさい」
 
 とは、戴冠式に出席しなかったブリミルの言葉だ。
 
 タバサからは是非にもと言われたのだが、彼女の立場上、その存在は出来るだけ極秘にしておきたい為、叙勲すらも丁重にお断りした。
 
 ……まあ、その代わりに結構な額の報奨金貰ったけど。
 
 具体的に言うと、トリステインの郊外に庭付きの城が建つ程度の貯金はある。……とはいえ、そのお金の大半はゼロ機関の運用資金に回していく事になる。
 
 勿論、トリステイン、アルビオン、ガリアの三国から運用資金が出てはいるのだが、義勇軍や傭兵隊への報奨金でかなりの額が飛んでいく上に、零戦、タイガー戦車といった整備に金の掛かる物があるので、ゼロ機関には金があって困るという事は無いのだ。
 
「……あれ? ナイ達は?」
 
 気付けば少女達の姿が何処にもなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「へへへ、上手くいったろ?」
 
「きゅいきゅい♪ 凄いのねエールちゃん!」
 
「……ん。でも、おねーちゃん達困ってるかも」
 
 気まずそうな顔をするナイに対し、エールは小さく肩を竦めて、
 
「人混みではぐれたって言っとけば良いんだよ。そんな事より、折角の祭りなんだからお目付役なんか居たら、絶対つまんねぇって」
 
「きゅいきゅい、それは確かに言えてるのね。いつもいつもお姉さま達ったら、あれ食べちゃ駄目これ食べちゃ駄目って言ってお腹いっぱいになるまで食べさせてくれないのね!」
 
「いや……、そりゃイルククゥが食い過ぎるからだろ」
 
 呆れ顔でエールが告げ、
 
「アタシはどっちかって言うと、マナー云々とか五月蠅い方が嫌だな。
 
 何で手掴みだと文句言われるんだよ?」
 
 元々は森で狩猟生活を送っていたエールとしては、口にさえ入ってしまえばどんな食べ物であろうとも、どんな食べ方であろうとも同じという考えがある。……というか、そもそも食べられる時に食べておかないと、翌日も食事にありつけるのか分からないような生活をしてきたのだ。その日を生きるのに必死で、マナーなど気にしている余裕は無かった。
 
 そんな感じで、お目付役が居なくなった事でこれ幸いと、日頃の不満をブチ撒けながら歩くシルフィードとエール。
 
 その後を付いて歩くナイとしてみれば、正直な話彼女達の不満が余り理解出来ないでいた。
 
 生まれた時から今の生活が当たり前のようにあったナイは、空腹でひもじい思いをした事も、寒さで凍え眠れぬ夜を過ごした事も、自分より強い獣に食料として狙われた事も無い。
 
 だからと言って、エール達に負い目を感じたり、無理に共感しようとしたり、サティー達の陰口を言ったりするような娘ではないが……。
 
 愚痴を言いながら路地裏を歩く少女達を見つめる複数の視線があったが、まだ彼女達はその存在に気付かない。
 
 ――亜人。と一括りで言っても、様々な種類が存在する。
 
 オーク鬼のような知性の欠片も無いような種族から、エルフのように人間達とはまた別の文明を持つ高度な種族まで。
 
 その中で獣の特性を併せ持つ獣人。更に細かく分類すると、ライシアンと呼ばれる種族の雌は、その美しい外見と力の弱さもあってブローカー達の間では高値で取引されていた。
 
 彼女達が売られる先は、見せ物小屋か、貴族の愛玩用かは、その時次第だが取引が成立した時点で彼女達の人生がこの先終わったも同然となる事に違いは無い。
 
 ……さて、そのライシアンと呼ばれる種族の特徴として頭の上に飛び出た大きな耳と狐のような大きな尻尾が挙げられる。
 
 そして、それらは奇しくもナイの持つ耳と尻尾に酷似していた……。
 
 先導するエールとシルフィードの一瞬の隙を付いて、複数の男達がナイに襲いかかり、口に猿ぐつわを填めて大きめの麻袋に放り込み、それを抱えてその場から姿を消した。――この間、僅かに数秒。
 
 人間とは比べものにならない程に優れた五感を有するシルフィードだが、喧噪の中ではナイの捕らわれる音までは聞き入れる事が出来なかった。
 
 彼女達がナイの不在に気付いたのは、それから一分後の事。
 
 その後、必死に辺りを捜索したがナイの姿は何処にも見当たらなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 光源が蝋燭の明かりのみという薄暗い部屋。
 
 日頃から光が届かないのか? 更には換気も不十分な上に清掃も行き届いていない為、非常にカビ臭い部屋の片隅に、鋼鉄製の手枷と首輪を填められ、その上、魔法で眠らされたナイが転がされていた。
 
 そんな彼女を見下ろしているのは数人の男達だ。
 
「おいおい、こんなガキ売れるのかよ?」
 
「ガキつってもライシアンだからな、買い手はつくさ。いや、むしろ貴族の中にはガキの方が良いっていう変態が多いからな」
 
「ロリコンだろうが、ホモだろうが、変態だろうが、売れれば良い」
 
 口々に好き勝手な事を言いながら、笑い合う男達。
 
「しかしツイてたな。オークションのある日に、ライシアンのガキが王都をホイホイ歩いてるなんてよ」
 
 そもそも、人間以外の異族が街中を歩いていること自体が異常なのだ。
 
「連れの翼人は攫わなくて良かったのか? アイツ等もそこそこの額で売れるだろう?」
 
「やめとけ、アイツ等は先住の魔法を使う。反撃されたら、商売どころかこちらの命の方が危うい。
 
 ――それよりも、そろそろオークションが始まるぞ」
 
 用心棒として雇われたメイジの男が告げると、他の男達は肩を竦めて順番に部屋を出て行った。
 
 残されたのは未だ眠り続けるナイとその傍らに転がる彼女の持っていた人形のみ。
 
 その人形……、アルヴィーのアルが暗闇の中、ゆっくりと身を起こす。
 
 アルはナイの頬を叩いて彼女に意識が無い事を確認すると、意を決して部屋の上方に設置されている換気用の通風口を目指す。
 
 子供の身体でさえ出入り出来そうにない小さな隙間だが、小柄な人形であるアルが通るには充分な大きさである。
 
 シエスタが拵えてくれたドレスを埃で汚しながら外に出ると、そこは丁度路地裏の通りに面していた。恐らく、ナイが閉じ込められていた部屋は地下室だったのだろう。
 
 アルが取れる手段は三つ。
 
 一つはナイを探しているであろうシルフィード達を探してナイの居所を教える事。
 
 一つはシルフィード達を捜索しているであろうブリミルを探してこの事を伝える事。
 
 一つはヴェルサルテイル宮殿で戴冠式を行っている才人に知らせナイを助けてもらう事。
 
 そしてアルがその中から選択したのは、三つ目の才人の助けを得るというものだった。
 
 何処に居るか分からないシルフィード達やブリミル達を探すより、居所の判明している才人の元に向かった方が早いと判断した為だ。
 
 勿論、途中で誰か知り合いに出会ったならば、それに越した事は無いが……。
 
 とはいえ、人間とは比べものにならない程に小さなアルの身体では一生懸命に走ったとしてもその速度は知れているし、何よりもこの雑踏の中、人々は足下を気にする事無く歩く。
 
 幾度も蹴られ、泥水を跳ね飛ばされ、また偶に猫に襲われたりしながらもアルは懸命に走る。
 
 大好きなナイのピンチを救えるのは自分だけだと言い聞かせるようにして脇目も振らずにヴェルサルテイル宮殿を目指す。
 
 そんな一途な彼女の行為を神は見捨てる事はしなかった。
 
 もはや何度目か分からない激突により転がったアルはそれでもすぐに立ち上がり、再び走り始めようとするが、その身体が不意に持ち上げられる。
 
「どうしたんだい? モンモランシー」
 
 問い掛ける声は妙にキザったらしい感じがしつつも、どことなく憎めない少年、ギーシュのものだ。
 
 モンモランシーは自分の足にぶつかった人形を持ち上げ、泥で汚れたその顔をポケットから取り出したハンカチで拭いて綺麗にすると、
 
「ねえアナタ、もしかしてサイトの所の獣っ娘と一緒に居るアルヴィーじゃない?」
 
 問われたアルは必死に頷き返す。
 
「……やっぱり。それで? どうしてこんなにボロボロなのよ? 他の子供達は一体どうしたの?」
 
 問い掛けると、アルは宮殿の方を指さし、背中から剣を抜いて振り回すようなジェスチャーをしてみせる。
 
「……もしかして、サイトに知らせたい事があるの?」
 
 再度の問い掛けに頷き返すアル。
 
「それって、アナタが泥だらけだったり、他の子供達が居ない事にも関係があるの?」
 
 四度目の頷き。
 
 モンモランシーは頷き返すと、アルを優しく抱きかかえたままフライの呪文で浮き上がる。
 
「行くわよギーシュ!」
 
「は? 買い物はどうするんだい? モンモランシー」
 
「そんなのは後! 急ぐわよ、何だか嫌な予感がするわ!」
 
 ヴェルサルテイル宮殿に向けて一直線に向かうモンモランシーを追いかけるようにギーシュもその場を飛び立った。
 
 流石に空を飛んだだけあって、宮殿まではものの数分で到着したのだが、問題はここからだ。
 
 各国の重要人物ばかりが集まっている事もあり、現在礼拝堂は厳戒態勢の真っ直中にある為、例え関係者といえど迂闊に近寄る事も出来ない状態にある。
 
 ガリアとしては国の面子を保つ為、猫の子一匹侵入させないつもりで警備にあたっているだろう。
 
 事情を説明したとしても、才人に知らさせるのは戴冠式が終わってからになるであろう可能性が高い。
 
 ……そこで、モンモランシーがとった作戦は、
 
「やぁ、ご苦労さん」
 
 正面切ってギーシュが衛兵達に話しかける。
 
 対する衛兵達は既に彼が新王であるタバサの客人であり、今回の革命においても受勲したトリステインの貴族である事を知っているのか、ガリア騎士の礼で迎えてくれた。
 
「これはこれは、グラモン様にモンモランシ様。如何なさいました?」
 
 丁寧な口調で話掛けてきたのは、衛兵達の中でも一番年上の老衛兵だ。
 
「いや何、親友の晴れの舞台を一目見たいと思ってね。通してもらいたいのだけど、どうかな?」
 
 ギーシュの言葉に衛兵達は感動したような表情をするものの、すぐに申し訳無さそうな表情へと変わり、
 
「すみませぬ。警備上の問題で、戴冠式の間は何人たりとも通してはならぬと仰せつかっておりますので」
 
「そこを曲げて何とか頼めないかな?」
 
 衛兵達がギーシュとの会話に気を取られている隙に、モンモランシーの影に隠れていたアルが二人に小さく礼をすると、そのまま物陰を伝って礼拝堂へと向かう。
 
 それを見送り、彼女の姿が完全に礼拝堂の中に消えたのを確認すると、モンモランシーはギーシュに向けて、
 
「ほら、余り迷惑掛けちゃ駄目でしょギーシュ。タバサには後で祝福してあげましょう」
 
「いや、しかしだね……」
 
「申し訳ありませぬ」
 
 心底すまなそうな顔で頭を下げる老衛兵に対し、モンモランシーは気にしないでと手を振り、ギーシュの手を引いてその場を去って行く。
 
「……どうやら、上手くいったようだね」
 
「今ばかりは、あなたのそのよく回る口に感謝するわ」
 
「酷い言われようだな、僕の口は君に愛を囁く為に付いているというのに」
 
「それが、よく回るっていうのよ!」
 
 言って、ギーシュの脇腹に肘討ちを叩き込む。
 
 思わず唸りながらも、何とかモンモランシーの歩幅に付いて行く程にはギーシュの打たれ強さは成長している。
 
「し、しかし意外だったのは、君があの人形にあぁまで親切にした事だな……」
 
 普段の彼女ならば、自分の足にぶつかった小汚い人形などにかまったりしない。それどころか逆に蹴飛ばしていてもおかしくはないだろう。
 
「……ギーシュ。あなた、わたしの事なんだと思ってるのよ?」
 
 拗ねた表情でそっぽ向き、
 
「わたしだって女の子だもの、人形を大切にしたいって気持ちくらいあるわ」
 
 そう告げるモンモランシーの顔は見えなかったが、ギーシュは彼女の肩を引き寄せると、
 
「よし、なら今からまた街に繰り出して買い物をしようじゃないか! 僕から可愛らしい人形をプレゼントさせてもらうよモンモランシー」
 
「……ホント、アンタって調子良いわね」
 
 呆れたように肩を竦めるモンモランシーだが、その表情にあるのは笑みだ。
 
「でも……、ありがとうギーシュ。嬉しいわ」
 
 そう言って、彼女はギーシュの肩に自分の頭を預けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 一方、モンモランシー達の手引きで何とか礼拝堂に侵入する事の出来たアルは、その小さな身体を最大限に生かして誰にも気付かれる事無く、無事に才人の元まで辿り着いた。
 
 足下でタイツを引っ張られる感覚から、才人が視線を下げてみると、そこに居たのは薄汚れ、着ている服もボロボロになってはいるものの、見覚えがある人形だ。
 
 一目で尋常な事態ではないと察し、思わずしゃがみ込んでアルの身体を抱き上げる。
 
「何があったんだ?」
 
 最近分かった事なのだが、言葉を喋れないアルではあるが、才人がミョズニトニルンの力を発揮すると意思疎通が可能になるらしい。
 
 それにより、おおよその状況を理解した才人は表情を一変させて、慌てて礼拝堂の外へと向かう。
 
「サイト様!?」
 
 思わず呼び止めるエレオノールに対し、才人は一度だけ振り向くと、
 
「すみません! ナイが誘拐されたんで、助けに行って来ます!」
 
 言うなり、扉を開け放ち走り出す。
 
 そんな彼に追走するのは小柄な人影……、戴冠式の主役とも言うべきタバサだ。
 
「ば、バカ。お前まで来たら、戴冠式はどうすんだよ!?」
 
「平気」
 
「いや、全然平気じゃねぇだろ……」
 
 呆れながらも、速度は緩めないまま走り続ける。
 
 タバサにしてみれば、ナイは娘のようなものだ。絶対に失うわけにはいかない。
 
 その気持ちを酌み取った才人は走りながら右手の指を咥え口笛を吹く。
 
 きっちり五秒後、彼らの前までやって来たのはグリフォンのジルフェだ。
 
 才人とタバサの二人は停まることなくジルフェに飛び乗り、そのまま街へ向けて飛び立った。
 
 そのまま飛行する事、僅か数分で街に到着した才人達の姿を発見したのか? 竜の姿になったシルフィードと自身の翼で空を飛ぶエールが合流。
 
「お兄さま! お姉さま! 大変なのね! ナイちゃんが……!?」
 
「悪い……、アタシの所為だ。……アタシの所為でナイが」
 
「大体の事情はアルから聞いた! 後でサティーとブリミルに叱ってもらうから覚悟しとけよ!?
 
 ――そんな事より今はナイだ。これから助けに行くから、自分が悪いと思ってんなら、手伝え!」
 
 才人の叫びに、シルフィードとエールは互いに一瞬だけ視線を交わすと、力強く頷いてジルフェの後に続いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ナイが目を覚ました時、彼女のか細い両手と首には鋼鉄製のゴツイ手枷と首輪が填められ、頑丈そうな檻の中に閉じ込められていた。
 
 その上、周囲には見知らぬ男達が値踏みするような眼差しで自分の事を見下ろしているという状況に、元々気弱な所のある彼女は完全に萎縮してしまう。
 
 ……おとーさん。
 
 自分の置かれた状況は今一理解出来ないものの、近くに知り合いの姿が無いという初めての事態に戸惑い、目尻に涙を溜めるナイ。
 
 薄暗い部屋を良く観察すると、自分の入れられた檻の他にも幾つもの似たような檻が有り、中には様々な種類の亜人達が閉じ込められていた。
 
 ……おとーさん。
 
 恐怖に押し潰されそうになりながらも、縋り付くように心の中で才人に呼びかけ続ける中、周りの檻が一つ、また一つと何処かへ消えていき、遂にナイの入る檻が何処かへ運び出される。
 
 ナイが連れて来られた場所は、先程前の薄暗い所とは違い明るい光に満ちあふれた部屋だった。
 
 そこに居るのは、仮面で顔を隠した貴族達だった。
 
 ナイの姿が壇上に現れると、一斉に感嘆の声が漏れる。
 
「さあさあ、これよりは本日のメインイベント! 見目麗しいライシアンの雌でございます!!
 
 未だ子供でございますが、手元に置いてその成長を楽しむのも良し。幼い花を蹂躙して楽しむのも良し。
 
 全ては落札されたお方の心次第!!
 
 まずは、5千エキューから!」
 
 5千エキューと言えば、森付きの屋敷が余裕で買える額だ。
 
 そんな高額であるにも関わらず、オークションの額は次々と上がっていく。
 
「1万エキュー!」
 
「1万2千!!」
 
「1万5千よ!!」
 
「なら2万だ!」
 
「2万エキュー! 他にございませんか? 無ければ2万エキューで落さ……」
 
 司会の男が落札のハンマーを打ち下ろそうとした瞬間、巨大な何かが正面ドアをブチ抜いて突撃してきた。
 
 粉塵の立ちこめる店内。
 
 荒事慣れしていない成金貴族達は一瞬でパニックに陥る。
 
 元々この店のオーナーは、ガリアのお偉いさんである為、どんな違法行為であろうと安全にオークションに参加出来るというのが売りだったのだ。
 
 その前提が一瞬にして根本から覆された。
 
 我先にと、出口に押し寄せる貴族達を一人も逃がさぬと、ジルフェとシルフィードが待ち構える。
 
 客の殆どが貴族であり、メイジであるものの、魔法学校を卒業したというだけで実戦の経験がある者など皆無。
 
 大半の者達はビビッて何も出来ない中、無謀にも杖を振るい攻撃を仕掛けようとした者達は、彼らの爪の前に倒れ伏す事になる。
 
 頼みの綱である用心棒共も、地下水を構えた才人と弓を携えたエール。長杖を持ったタバサを前に僅か5分と持たずに全滅させられた。
 
「おとーさん!!」
 
「今、助けるぞナイ!」
 
 司会の男が隠し持っていた銃を取り出し、才人に向けるものの、男が撃つよりも早く才人が懐まで踏み込み、ブレイドの魔法を展開した地下水を振るって男の持つ銃を両断する。
 
「ヒィ!?」
 
 才人の速さと殺気に驚き、腰を抜かす男に蹴りをくれて意識を刈り取ると、白銀の刃が伸びる地下水を振るい、ナイの閉じ込められた檻を両断。
 
 次いで、彼女を捕らえている戒めを断ち切った。
 
「おとーさん!」
 
 感極まり、泣きながら才人に飛びつくナイだが、そんな彼らの抱擁を邪魔するように貴族達から罵声が飛ぶ。
 
「お、お前等、こんな事をしてタダで済むと思うなよ! 僕の父上は、この国の大臣だぞ!」
 
「そ、そうだ! 何処の田舎貴族か知らんが、ガリアの流儀というものを教えてやろうではないか!?」
 
 そんな幼稚な罵声を冷ややかに聞き流す才人達。
 
 彼らにしてみれば、ナイの身さえ無事であったならば、この客達を特別どうこうしようというつもりは無いのだが、間が悪いというか、ナイスタイミングというか……、才人達の後を追って教皇ヴィットーリオを始めとして、礼拝堂に居た者達が才人達を追ってやって来た。
 
「ようやく見つけましたよ、シャルロット姫殿下。……いや、これからは正式に女王陛下と呼ぶべきでしょうか?」
 
 身に纏う豪華な衣装と、身体から滲み出る威圧感を前に、貴族達の集団が割れ、まるで無人の野を行くが如くヴィットーリオがタバサの前に歩み出る。
 
「さ、忘れ物です」
 
 告げ、恭しい手つきでタバサの頭に王冠を被せた。
 
 事ここに至り、自分達が誰に喧嘩を売ったのか理解した貴族達は顔を青ざめさせる中、才人は小さく肩を竦め、
 
「……何でわざわざ追って来るかな?」
 
「いえ、それは当然でしょう。若きガリアの新王が居なくなっては、戴冠式の意味もありませんし」
 
 才人は溜息を吐き出しながら、視線をジュリオに向け、
 
「お前も停めろよ。余計、騒ぎが大きくなるだろうが」
 
 これだけの面子が揃って才人達を追って来たのだ。当然、その護衛たる衛兵だけでなく、それぞれが連れてきていた銃騎士隊、聖堂騎士団等も一緒に付いてきている。
 
 今度はジュリオが才人に向けて肩を竦めてみせると、
 
「君はいい加減、自分の立場を自覚した方が良いね。君たちが動いたから、皆が動く事になったんだよ」
 
 自分の持つ影響力がどれほどのものなのか? 未だ理解していない才人は不思議そうに小首を傾げるだけだが、「まあ良いや」と割り切り、
 
「それで、この後はどうする? 一応、晩餐会の予定だったと思うけど、このままどっかの店で宴会でもするか?」
 
 何気なく言った才人の言葉に強い関心を示したのは、意外な事に王族のアンリエッタとウェールズだったが、
 
「警備上の観点から言えば、それは避けてもらいたい所です」
 
 とは、アニエスに窘められ諦めた。
 
 そんな会話を交わしながら、もはやここに用は無いとばかりに、ぞろぞろとオークション会場から出て行く面々。
 
 そこに居た貴族達は、出て行く彼らを黙って見送る事しか出来ない。
 
 このまま何事も無く出て行ってくれれば、自分達は何も無かった事にして家に帰れる。
 
 そう思い、息を殺して才人達が帰るのを待っていたのだが、神はそんな彼らを許さなかったようだ。
 
「見ーつーけーたー!!」
 
 髪を振り乱し、肩で息をしながら才人達の前に現れたのはブリミルだ。
 
 彼女は悪鬼のような形相で笑みを浮かべ、シルフィードとエールを睨み付けながら言う。
 
「よくも、このわたしを謀ってくれたわね……!!」
 
 その傍らで、そっと彼女に杖を差し出すサティーの顔には冷笑が浮かんでいる。
 
「ま、待った! 落ち着いて話し合おう! ……な? 話せば分かるから!!」
 
「きゅいきゅい!!」
 
 必死にブリミルを落ち着かせようとするエールと、その横で大きく首を振る風竜。
 
 彼女達は縋るような眼差しで才人とタバサを見つめるが、今のブリミルに進言しようものなら、怒りの矛先が自分に向いてくるのは火を見るよりも明らか。
 
 未だにグズるナイをアルと一緒にあやしている才人としては、彼女を巻き込みたくはない為、ここに至り、最終奥義“目そらし”を発動させた。
 
 援軍が無い事を悟ったエールとシルフィードは即座に反転し建物に逃げ込むが、その程度でどうこう出来る程、虚無というものは優しくない。
 
 高速詠唱を発動し、満面の笑みで愛杖を振り下ろすブリミル。
 
 ……次の瞬間、中にいた貴族達もろとも建物が爆砕した。
 
 それは新たなる女王の誕生を祝う花火にしては、些か大人気ないものであった、と後の歴史家達は語る。
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