ゼロの使い魔・2回目
 
第11話
 
 険悪な雰囲気の満ちる部屋。
 
 ――火の塔の最上階、ゼロ機関の本拠地。
 
 一触即発ともいえる空気の原因は一人の少年だ。
 
 彼女達の想い人たる少年、名を平賀・才人。その彼の姿が見えないのだ……、昨晩から。
 
「……何処に行かれましたか? サイト様は」
 
 蛇のような視線で舐めまわすように周囲の者達を見渡すのは最年長のエレオノールだ。
 
 彼女はまず、妹のルイズに視線を固定すると、
 
「……ちびルイズ。まさかと思いますが、あなたサイト様を監禁していませんわよね?」
 
「か、監禁って、そんな……、見損ないました! ミス・ヴァリエール。いくらサイトさんがミス・ヴァリエールに見向きもしてくれないからって、そんな非道に走るなんて!?」
 
 エレオノールの言葉に同調するように、才人付きのメイドとなった少女、シエスタが即座に反応する。
 
 対するルイズは椅子を蹴倒して立ち上がると、
 
「してないわよ!! 大体、そんな事言ったら、テファの方が怪しさ抜群じゃない! きっとあの異様な胸もどきで、サイトを誑かして籠絡したに違いないんだから!?」
 
「そ、そんな……、酷いですルイズさん。いくら自分の胸が貧相で将来的にも成長の兆しが見えないからって、あんまりです……!」
 
 両手で顔を覆い、深く悲しみにくれるのはハーフエルフの少女、ティファニア。
 
 悲しみに嘆く彼女。そんなティファニアの背後にいた人影が彼女の肩を優しく叩く。
 
「……それは私に対する宣戦布告とみていいわけね? テファ」
 
 ……否、全然優しくなんてなかった。
 
 鬼のような形相のブリミルが、骨よ砕けよとばかりに、ティファニアの華奢な肩を握り潰しにかかる。
 
 ティファニアは、なんとか悲鳴を堪えながら周囲の人達に助けを求めるように見渡すが、視線が会うたびに彼女達は皆、視線を逸らすか、もしくは初めから視線を会わせようとしないかのどちらかしかいなかった。
 
 そんな中、ただ一人だけ違う反応を示したのは、ルイズのすぐ上の姉でブリミルとよく似た女性、カトレアだ。
 
 彼女は困ったような表情で頬に手を添えると、
 
「あらあら、どうしましょう?」
 
 誰にとはなく言ってみるが、返事はない。
 
 というか、他の少女達にしてみれば、ここでティファニアを亡き者にしてもらった方が色々と有利に物事を進める事が出来るのだ。
 
 そんな水面下……、というか既に水面上で繰り広げられつつある女の戦いを他人事のように眺めつつキュルケは傍らで読書に勤しむ親友に声を掛ける。
 
「ねえ、タバサ。うかうかしてると、サイト盗られちゃうわよ?」
 
 対するタバサは眉一つ動かさずに視線をキュルケに向けると、無言のままで右手を上げてサムズアップ。
 
「……もう手は打ってあるって事?」
 
 タバサが頷くと同時、ドアを開けて一人の少女が入室してくる。
 
 少女はタバサの元に駆け寄ると、手にした一枚のカードを彼女に差し出し、
 
「……おかーさん、おつかい行ってきた」
 
 タバサは少女、……才人の娘であるホムンクルスのナイからカードを受け取り、その日付の欄に今日の日付が書き込まれている事を確認すると、ナイの頭を優しく撫で、
 
「……ごくろうさま」
 
 そう告げて、ポケットからあめ玉を取り出してナイに手渡した。
 
 そんな微笑ましい光景にエレオノールが待ったを掛ける。
 
「少しよろしいでしょうか?」
 
 立ち上がり、タバサの元へ歩み寄ると、
 
「……何故、この娘があなたの事を母と呼ぶのですか?」
 
 ナイは才人の娘であり、その娘に母と呼ばれるということは……、
 
「……わたしが、この娘の母親だから。――そして、それは彼の妻という意味」
 
 しれっと答えるタバサ。
 
 ナイを作り出したのはタバサ(正確にはコルベール)であるのだから、母親という認識はそれほど間違ってはいないが、これまでナイはタバサの事をお姉ちゃんと呼んでいた筈だ。
 
 ……まさか、こうなる事を見越して昨晩の内に仕込んでおいたというの? ――タバサ、恐ろしい娘!
 
 タバサの策士振りにキュルケが戦く中、タバサの使い魔であるシルフィードだけは全く空気を読んだ様子もなく小躍りしながら、
 
「お姉さまとお兄さまが夫婦♪ ということは、わたしとナイちゃんは姉妹〜♪ きゅいきゅい♪」
 
 ナイの手を取ってはしゃぐシルフィード。
 
 その喜びようと比例するように、他の女性達の怒りメーターが上昇していった。
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 その頃、渦中の才人はといえば……。
 
「なあ……、我らが剣よ」
 
「な、何!? おやっさん!? どんな仕事でもやるよ俺!!」
 
 ここは厨房の隅。それも死角になっているので、パッと見ではまず気付かれる事のないような場所だ。
 
 そのような場所で、ジャガイモの皮剥きをしていた才人に、コック長を務めるマルトーのオヤジが声を掛けた。
 
「あのな? 我らが剣。……手伝ってくれるのは正直助かるんだけどよ。
 
 仮にもアルビオンの公爵様が、何でそんな隅っこでイモの皮剥きなんぞしてんだよ?」
 
 心底不思議そうに問い掛けるマルトーに対し、才人は不審な仕草で周囲を見渡し、
 
「……部屋に帰るのが怖いんだ」
 
「……怖いって何が? つーか、お前が怖がるようなもんがこの世にあったりすんのかよ?」
 
 興味深そうに問い掛けるマルトーに対し、才人は小刻みに震えながら、
 
「修羅場っつーか、女の嫉妬はマジで洒落になってねえよ」
 
 それを聞いたマルトーは、しみじみと頷きながら、
 
「まーなぁー。女の本性が怖ぇっていうのは理解出来るけどよお――」
 
 そう告げた所で、厨房のドアが勢いよく開け放たれた。
 
「サイトさん!!」
 
 と、主人の名を叫びながら入ってくるのはシエスタだ。
 
 シエスタは周囲を見渡し才人の姿が見当たらないのを確認すると、部屋の隅で突っ立っているマルトーの姿を発見して彼に歩み寄り、
 
「コック長、サイトさんの居場所を知りませんか!?」
 
 問われ、足下に視線を移すと、先程までそこに居た筈の才人の姿は既にそこにはなかった。
 
 マルトーは呆れたように肩を竦め、
 
「さっきまで、そこに居たんだけどな。どっか行っちまった」
 
「チッ!?」
 
 短く舌打ちし、シエスタは勝手口から外へ飛び出す。
 
 それを見送ったマルトーは、ヤレヤレと溜息を吐き出すと、
 
「貴族になるってーのも、楽じゃねえみてぇだなぁ」
 
 誰にとはなく呟きを残し、仕事に戻っていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「きゅいきゅい♪ ジルフェー♪」
 
 陽気なリズムをとりながら馬小屋を訪れたのはシルフィードとその主人のタバサだ。
 
 シルフィードはジルフェに近づくと、
 
「ねーねー、ここにお兄さま来なかった? きゅいきゅい♪」
 
 対するジルフェは見るからに不審な動作で、
 
“さ、サイト殿か? いいや、朝に食事を置いていって以来姿を見てはいないが?”
 
「そう残念ね、きゅい♪」
 
 そう言うとシルフィードはタバサに向き直り、
 
「お姉さま、来てないらしいわよ。きゅいきゅい♪」
 
 タバサは僅かにジルフェに視線を向けた後、
 
「……そう。ならここにはこれ以上用はない」
 
 踵を返し、もう興味は無いとばかりに馬小屋を後にするタバサ。
 
 シルフィードもそれに続き馬小屋を出ていき、完全に人気が途絶えたのを見計らってジルフェの翼の下から才人が姿を現した。
 
「マジで助かったよ、ありがとなジルフェ」
 
“それは別にかまわんが、一体何があったのだ? サイト殿”
 
「……頼む、聞かないでくれ。つーか、思い出させないでくれ」
 
“ふむ、貴公がそう言うならば追求はせぬがな”
 
 言って何かを見つけたのか、ジルフェは全身を硬直させて汗を流しながら、
 
“さ、サイト殿……、すまぬ”
 
「…………?」
 
 突然のジルフェの謝罪に小首を傾げるが、背後から伝わってくる冷気で才人は全てを悟る。
 
 ……バレてた!!
 
 直後、才人は振り返ることもなくグローブを填めた拳で馬小屋の壁を殴って粉砕し、そこから脱出した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 馬小屋からの脱出に成功した才人は、追跡者がいないことを確認すると安堵の吐息を吐き出し、
 
「よし、……取り敢えずは一安心だな」
 
 そう呟きを零すと、足をコルベールの研究室に向けた。
 
「おや? サイト君。どうしたのかね?」
 
 何時もと同じように問い掛けてくるコルベールに、心底癒される才人。
 
 コルベールは丁度、サティーを解体しつつ、その構造を図面に書き写している所だったが、才人の来室を快く迎え入れてくれた。
 
 才人は掻い摘んだ事情をコルベールに説明すると、コルベールは首を捻りながら、
 
「うーむ、見ての通り私は女性にモテた事などないから、どう助言していいのか分からないが、サイト君が誰とも付き合うつもりがないというのはあれかね? やはり、元の世界に帰るから、この世界には落ち着けないということかね?」
 
 いきなり確信を突くコルベールの言葉に才人は苦笑いを浮かべる事しか出来ず、
 
「はい、その通りです。ルイズとかは、俺をこの世界に引き留めておきたいみたいですけど、やっぱりそれはルイズの為にならないと思うんです」
 
 それを聞いたコルベールは神妙に頷きながら、
 
「そうか……。それで君は元の世界に帰る算段はついているのかね?」
 
「ええ、虚無魔法の世界扉を使ってもらえれば、問題無い筈なんですけども、それはもう少し先になりそうです。
 
 先に、虚無関係のゴタゴタを先に片づけておかないと後味悪いですし」
 
 と苦笑いのまま告げる。
 
 対するコルベールは非常に言いにくそうに、
 
「……しかし、だ。……その、なんだ、君。
 
 君はそれで本当に良いのかね? その女性達の中には、君の好きな女性もいるだろうに……」
 
 才人は一瞬だけ辛そうな表情を浮かべるが、すぐに笑顔を……、しかし誰が見ても一目で分かるような無理をしている作り笑いを浮かべると、
 
「いいんです。……元々、俺がこの世界にいる事自体が不自然なことなんですから」
 
 そこにどれだけの決意が込められているのかを見抜いたコルベールはそれ以上何も聞かなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ――そんな会話をドアの外で聞いていた人物がいた。
 
 桃色の髪をした小柄な人影は、その場を離れると脇目も振らずに図書室を目指す。
 
 ……いやッ! いやなんだからッ! 絶対に、元の世界になんか帰さないんだから!!
 
 ルイズは図書室に飛び込むと、始祖ブリミルそして虚無の魔法に関して書かれた本を開き片っ端から調べ始める。
 
 目的は才人の言っていた世界扉。
 
 何時か来るであろう才人が帰ってしまうその日の前に、何らかの対策をとらねばならない。
 
 そんな半ば脅迫じみた衝動に突き動かされつつ、ルイズはページを捲り続けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 翌日……、未だ険悪な雰囲気の漂うゼロ機関本拠地。
 
 そこに、小さな香水の瓶を携えた少女が息せき切ってやって来た。
 
「で、出来ました!!」
 
 やって来たのは、モンモランシー。彼女の手にあるのは惚れ薬の解除薬。
 
「でかしたわ、モンモランシー!」
 
 ブリミルはモンモランシーの手から引ったくるようにして小瓶を奪い取ると、子供が見たら泣き出すような形相でティファニアに躙り寄る。
 
 その表情に恐れをなしたティファニアが椅子から立ち上がって後ずさるが、そんな彼女の身体を風が拘束した。
 
「え? な、なんですか?」
 
 この部屋にいる風系統のメイジは一人しかいないので、誰がやったなど問う必要もない。
 
「怖くないわよー。ちょっと、元のテファに戻るだけだからおとなしくしてねー」
 
 怯えるティファニアを無視してブリミルが近づき、鼻を摘んで強引に口を開けさせると、そこに惚れ薬の解除薬を流し込む。
 
 縛めを解かれたティファニアは僅かに咳き込んだ後、左右を見渡し、
 
「あ、あの……」
 
「どう? テファ。……呪いは解けた?」
 
 満面の笑みで問い掛けるブリミル。自身の経験上、効果はすぐに現れる筈だ。
 
 対するティファニアは目尻に涙を浮かべると、
 
「そ、そんな……、呪いなんて酷いです! わたしは純粋にサイトの事が好きなのに……」
 
 ブリミルは笑顔のまま反転、その表情を維持したままモンモランシーに歩み寄って小瓶を突き返すと、
 
「やり直しね♪」
 
 笑みのままで背後にドス黒いオーラを纏いモンモランシーに厳命した。
 
 恐怖の余り、周囲に助けを求めて視線を彷徨わせるが、返ってくるのは“役たたずめ”と見下すような視線か、もしくは侮蔑するような舌打ちのみ。
 
 味方がいない事を悟ったモンモランシーはただ首を高速で上下させることしか出来なかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そんな中、一羽のフクロウが書簡を携えてやって来た。
 
 見覚えのあるフクロウ。……トリステイン王家御用達のフクロウだ。
 
 ブリミルはフクロウから書簡を受け取ると、それを読み眉を顰める。
 
「……どうかなさいました?」
 
 エレオノールの問い掛けに対し、ブリミルは神妙な表情で、
 
「三日後、ウェールズ王がトリステインにおいでになられるので、それに合わせてわたしとサイト、テファとルイズに王城に来るようにとのお達しです」
 
「まあ、一体どのような御下命でしょう?」
 
 小首を傾げて問い掛けてくるのはカトレアだ。
 
 だがそこまでは書簡には記しておらず、ブリミルも首を傾げざるをえない。
 
 ともあれ、現時点で出来ることはただ一つ。
 
「……何としても、サイトを捕まえて、この事を教えないとね」
 
 少女達が互いに頷き合う。
 
 こうして久しぶりに一致団結したゼロ機関の女性達の手により、才人はあっけなく捕縛される事となった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その頃、1本の木と20メイルの距離をおいて対峙する四枚翼の翼人の少女がいた。
 
 少女……、エールは弓に矢をつがえ弦を引き絞ると狙いを定めて放つ。
 
 しかし、矢は彼女の狙いとは別の場所へと飛んでいき、オマケとばかりに弓も半ばから折れてしまった。
 
 否、折れたというのは適切ではない。……元から折れていたのを、縄で縛って強引に直していたに過ぎない。
 
 先のエルフとの戦いの際、弓を折られていたのだ。
 
 通常、翼人は生活していく上で親や周囲の大人達から弓の作り方から使い方。先住魔法の契約の仕方などを学ぶものなのだが、忌み子として生まれたエールはそのようなものを教わる事はなかった。
 
 先住魔法にしても、他の子供達が教わっているのを盗み聞きして覚えたのであるし、今まで使っていた弓は大人が棄てた物を拾ってきて使っていたに過ぎない。
 
 別段、才人の為に戦おうとは微塵も思わないが、それでも衣食住を世話になっている身の上としては何とかして借りを返さないと、どうも落ち着かない。
 
 そう思い、こうして無理矢理弓を直してみたものの、やはりかなり無理があったらしい。
 
「……おねーちゃん」
 
 呼ばれて振り向くと、そこでは彼女の妹分であるナイが先程あさっての方向に飛んでいった矢を拾ってエールに差し出していた。
 
「……ん」
 
「お、おう、悪いな」
 
 ナイから矢を受け取り、礼にその頭を撫でてやる。
 
 目を細めて喜ぶナイ。エールもナイの表情が微笑ましくて自然と頬が弛むのを自覚していた。
 
 そんな彼女達の元へ一人の男が訪れる。
 
「おや? ナイ君と……、確かエール君だったかな?」
 
 ここトリステイン魔法学院で教職につく男性、コルベールだ。
 
 彼は別に彼女達に会いにきたわけではなく、サティーの分解整備が一段落したので休憩がてら散歩に出てきたら、偶然ナイ達に会ったに過ぎない。
 
「どうしたのかね? こんな所で?」
 
「なんでもねーよ」
 
 コルベールの問い掛けに素っ気ない返事を返すエールだが、傍らにいたナイが落ちていた弓を拾い上げコルベールに差し出す。
 
「……せんせー、コレ直してあげて」
 
「バカ、勝手なことすんな!」
 
 怒鳴られ、頭の上の耳を伏せるナイ。
 
 だが彼女は涙目になりながらも、エールに向き直り、
 
「……でも、コレがないとおねーちゃん困る」
 
 ……妹分にそう言われて、それでもなお怒れるような姉など、この世にはいない。
 
 そんな光景を微笑ましげに見つめていたコルベールだが、ナイの差し出していた弓を受け取ると小さく頷き、
 
「少し、ここで待っていてもらえるかね?」
 
 そう言い残して、自らの研究室へ戻って行く。
 
 その隙に、その場から離れようとするエールだったが、その行為はナイの説得により阻まれ、結局はコルベールの到着までその場で待つことになった。
 
 さして待つことなく現れたコルベールの左手に握られているのはT字型の物体。
 
 突起の部分がグリップとなっており、更にトリガーまで付いているので銃と思われるが、銃口も撃鉄も付いていない。その代わりに複数の鉄板が重ねられている。
 
 それを見たエールが訝しげな眼差しでコルベールに問い掛ける。
 
「……何だよ、それ? 言っとくがあたしは鉄砲なんて使えねえぞ」
 
「いやいや、これはれっきとした弓でね」
 
 言ってトリガーを引く。
 
 すると板バネが作動し、手の中の物体が一瞬で弓の形状をとった。
 
「うお!? 何だソレ!!」
 
「……スゴイ」
 
 驚きに目を見開くエールと、初めて見る機構に感動して目を輝かせるナイ。
 
 弓となったそれをコルベールはエールに手渡そうとするが、彼女は一向に受け取ろうとしない。
 
「受け取って貰えないのかね?」
 
 エールはそっぽを向き、
 
「そんなモン貰っても、あたしはアンタに何にも返してやれねえぞ」
 
 そう言って、一向に受け取ろうとしてくれない。
 
 対するコルベールは口元を小さく綻ばせ、
 
「いや、君にはもう充分なものを貰っているよ。……これは、わたしからのお礼と思ってほしい」
 
 エールは訝しげに眉を顰めてコルベールを見つめ、
 
「何言ってんだ? アンタ。あたしはアンタに何かやった覚えなんてねえぞ?」
 
 対するコルベールは笑顔。膝を折ってエールと視線の高さを合わせると、
 
「わたしは以前、ナイ君に命を救われた事があってね。彼女には常々何かお礼をしたいと思っていたんだ……」
 
 眩しいものを見るような眼差しでナイを見つめて彼女の頭を優しく撫で、
 
「君が来てくれてから、ナイ君は本当によく笑うようになった。
 
 わたしがどんな物をプレゼントしたとしても、あれほどの笑みを彼女から引き出すことは出来なかっただろう。
 
 だから、コレはその事に対する礼として受け取ってほしい」
 
 言って、エールの手を取り、弓を手渡す。
 
 新しい弓を貰ったということよりも、自分がナイの姉として役立っているという事を知らされた事が嬉しくて、エールの頬は我知らずに弛んでしまう。
 
「し、仕方ねえな。……そんなに言うんだったら、貰ってやるよ」
 
 そっぽを向きながら告げ、極力コルベールと視線を会わさないまま小さな声で、
 
「……あ、ありがとよ」
 
「ん? 何か言ったかね?」
 
「何でもねえーよ!!」
 
 そう告げ、早速弓の練習を開始する為に矢をつがえるエールをコルベールが押し留める。
 
「何だよ?」
 
「その弓にはね、矢は必要ないのだよ」
 
「はあ?」
 
 わけが分からないと首を傾げるエールに対し、コルベールは胸を反らして自慢げに、
 
「その弓の中には風石が仕込んであってね。
 
 この風石という石は風の魔力を溜めておくだけではなく、カッティングの仕方によってその放出に指向性を持たせることが出来ることを、このコルベールが発見したわけですな」
 
 などと説明しているが、既にエールもナイも聞いていない。
 
 取り敢えず、矢は要らないというで、矢をつがえたつもりで弦を引き狙いを適当な壁に定めて弦を離してみる。
 
 瞬間、突風が飛び壁に大穴を穿ってみせた。
 
「……な、何だよコレ」
 
 驚愕に戦くエールとは対照的にコルベールは満足げに二度ほど頷き、
 
「ちなみに、その手元のシリンダーを回転させる事で、中に仕込んだ風石の種類が変わって、先程の風の塊と鎌鼬の二種類が選べますぞ」
 
 そう告げるコルベールの胸ぐらをエールは掴みかかり、
 
「ば、馬鹿野郎! そんな危なっかしい機能なんて付けんじゃねえよ!? 今すぐ外せ、普通の弓にしろ!」
 
「おや? 不服ですかな?」
 
 不思議そうに問い返すコルベール。
 
 対するエールは憤懣やるせないという表情で、
 
「当たり前だ馬鹿野郎! あんなの喰らったら、獲物が跡形も残らねえだろうが!?」
 
 あくまでも狩人としてのエールの言葉にコルベールは笑みを浮かべてシリンダーを1/3回転さる。
 
「これで普通の弓として使えます」
 
「……何、笑ってんだよ? 気持ち悪ぃ」
 
「ははは、いやこれは失礼。
 
 しかし、私は嬉しいのですよ……。私の作った道具を、戦闘の為の武器ではなく、あくまで生活の為の道具として使ってくれる君が」
 
 木々の生い茂った森の中では弓は木の枝が引っ掛かって持ち運びに不便という難点があるが、この弓ならば、そのような事を心配する必要はない。
 
「先程の機能は、あくまでも自衛用と思って下さい」
 
 先日のエルフ襲来の際に、サティーと共にエールも怪我をしたという事はコルベールの聞き及んでいる。
 
 再度、同じ事が起こらないとも限らない以上、何らかの防衛策は必要だろう。
 
 コルベールは踵を返すと、再度ナイの頭を撫で、
 
「いいお姉さんをもったね」
 
「……ん」
 
 ナイは気持ちよさそうに目を細め、しかし、力強く頷いた。
 
 
 
 
 
  
 
 
 
  
 同時刻、女子寮の一室で図書館から借りてきた本を食い入るように本を読む少女がいた。
 
 桃色の髪の少女、才人の主人であるルイズだ。
 
 彼女は血走った目でページを捲り……、
 
「……ない」
 
 ルイズは才人を帰したくない為、世界扉の魔法を使えない。
 
 彼女の欲する魔法は、世界扉の効力さえ打ち消すような、そんな魔法。
 
 そんな中、彼女は使い魔の送還魔法についての記述を見つけた。
 
「えっと……、使い魔の送還魔法は使い魔の持つルーンを触媒として元の居場所への門を開く為、その門を通れるのは触媒としてルーンを失った使い魔だけ……」
 
 つまり、送還魔法では才人と共に彼の世界へ付いていくことは出来ない。
 
 ……だけど、世界扉の魔法を使えば才人に会う事が出来る?
 
 そう思い至った時、何処からともなく謎の声が聞こえてきた。
 
“確かに、世界扉は異世界への道を開く。……だが、それが何処なのかは指定できない”
 
「だ、誰!?」
 
 聞こえてきた声に最大限の警戒を示しながら周囲を見渡すが、何処にも人影は見あたらない。
 
“異世界は、ハルケギニアの数倍は広大と聞く。そんな世界で誰の助けも無く、たった一人の者を探し出せると本気で思っているのか?”
 
「…………」
 
 謎の声に気圧され、ルイズは声が出ない。
 
“ならば、話は簡単だ。……ようは、あの使い魔をこの世界に留めておけばいいだけの話”
 
 ……それが出来ないから、苦労しているのだ。
 
“何を躊躇う? お前とて、分かっているのだろう? ……あの二人の担い手が居なくなれば、あの使い魔は帰れなくなると”
 
 ……確かにその通りだ。……だが、どうやって?
 
“妾に良い考えがある”
 
 そして、謎の声の言う作戦に耳を傾けた。……が、その作戦というのが、
 
「サイトとの契約を破棄するですって!?」
 
“左様。それをあの者達の前で行えば、流石に隙を見せるであろうよ”
 
 更に、才人の邪魔を防ぐ事にもなる。
 
「だ、駄目よ! 絶対!!」
 
 使い魔と主人。……それはブリミルの登場により色々と距離が離れつつある自分と才人とを繋ぐ最後の絆だ。
 
 それを自ら棄てることなど……。
 
“ならば、あの使い魔は汝の元を去っていくだけであろうな”
 
 その声の仕業であろうか? ルイズの脳裏に自分の前から去る才人の姿が鮮明に映る。
 
「いや、……いやぁ」
 
 涙を流して、頭を抱え首を振り回すルイズ。
 
“それが嫌ならば、汝のなすべき事は決まっておろう? その為に必要な呪文は妾が教えてしんぜよう……”
 
「…………」
 
 ルイズは虚ろな目つきで謎の声の囁きに小さく頷くと、引き出しを開けてそこから一振りのダガーを取り出す。
 
 アルビオン戦役、シティー・オブ・サウスゴータでの戦闘の際に拾った自分が才人に送ったダガー。
 
 色々とゴタゴタが重なり、才人に返せないままに今まで自分が預かっていたそれを握りしめた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そして、アンリエッタとの約束の日。
 
 ルイズ、ブリミル、才人、ティファニアの4人はトリステイン城を訪れていた。
 
「あんた何かやらかした?」
 
 そう才人に問うブリミルに対し、才人は半眼で彼女を見つめ、
 
「お前が何かとんでない物、破壊したんじゃないのか?」
 
「失礼ね。――わたしはまた、あんたが女王陛下をナンパでもしたんじゃないかって気が気じゃないわよ」
 
「ちょっと、幾らなんでも、姫さまをナンパしようなんて不届きな真似するはずないじゃない!」
 
 拙いとはいえ、騎士としての礼節を知っていた才人がそのような真似をするはずがないと信じきっているルイズはそう断言するが、ブリミルは呆れた眼差しを才人に送った後、
 
「前科持ちよ、コイツ」
 
 その冷たい声に、才人の身体に緊張が走る。
 
「……え?」
 
「某国の女王陛下が来ていた舞踏会で、カーテンの影に隠れるようにしてキスしてた事があったわね」
 
「うっ!?」
 
「家の隠し部屋で、キスしてた事もあったわね」
 
「ううッ!?」
 
 ジワジワと嬲るようなブリミルの物言いに、才人は背中に嫌な汗が流れるのを自覚した。
 
「嘘!?」
 
 ルイズが真偽を問い質そうとするが、才人は彼女と視線を会わそうとしない。
 
「そ、それでどうしたの?」
 
 緊張した面持ちで尋ねるルイズに対し、ブリミルは意地の悪い笑みを浮かべて、
 
「勿論、ひっぱたいてやったわよ」
 
「……サイトを?」
 
「ううん。女王様」
 
 ……あんた、何やってんのよ?
 
 という視線をブリミルに向けるルイズ。
 
「けどね、ホントに厄介なのは女王様なんかじゃなかったの」
 
「……へ?」
 
 女王様をひっぱたくような女が厄介という存在。
 
 ルイズは戦慄と緊張から生唾を呑み込んだ。
 
「言っとくけど、テファじゃないわよ? あの当時は、この娘、猫被っていてくれたから」
 
「そ、そんな……、酷いですブリミルさん……」
 
 涙目で抗議するティファニアに対し、ブリミルは心地よい笑みを向けると、
 
「冗談よ。むしろ、今みたいに積極的に攻めてきてくれた方が良かったかもしれない……」
 
 しみじみと語り、少し話が脱線している事に気づいて一度咳払いする。
 
「まあ、アレね。厄介な敵なんだけど……」
 
 一息、
 
「メイドよ」
 
 その一言に、才人がビクリと反応を示す。
 
「メイド?」
 
 メイジの彼女と平民とでは、勝負にならないのではないか? とルイズは小首を傾げるが、ブリミルは苦笑を浮かべ、
 
「信じられる? そのメイドはね、貴族に対して雑草のお茶出すは、紅茶を人の頭からぶっ掛けるは、人の事洗濯板呼ばわりするは、妙な本を聞かせては人の心配を助長させるは、媚薬を盛ろうとするわ、最後には掴み合いの喧嘩までしたわよ」
 
 それを聞いたルイズは流石に呆気にとられた表情で、
 
「……何それ?」
 
 と呟くことしか出来ない。
 
 なにせルイズの知る限り、このブリミルという女性は虚無を極め、ガリアの大艦隊を一撃で殲滅するほどの力量を持ち合わせているのだ。
 
 そんな女性に対して正面から喧嘩を売るようなメイドがこの世に存在しようなど……。
 
「……俺はその二人にタッグで襲われた事があったけどな。破壊力は相乗効果で4倍だっつーの」
 
 ルイズの脳裏に展開されるのは、街一つを軽く灰燼と化すような魔法を悪魔のような笑みを浮かべながら放つブリミルと、鬼のような形相で才人を追いかけ回すマッチョなメイド。
 
「……よく生きていられたわね?」
 
 心底、同情するようにルイズはそう告げた。
 
 そして盗み見るようにして見た才人の横顔。
 
 憮然とした表情を取り繕ってはいるが、その薄皮一枚下にあるのは過去を懐かしむ笑みだ。
 
 それを見抜いたルイズの心の奥底で燻り続けるドス黒いものが広がる。
 
 先程の話を聞いても純粋に楽しめない自分がいるのを自覚する。代わりに彼女の胸に溜まっていくのは嫉妬の感情だ。
 
 自分の知らない才人。その才人を知っているブリミル。
 
 言いようのない敗北感に打ちのめされるルイズ。
 
 丁度そこに侍女が訪れ、才人達をアンリエッタの執務室へと案内した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 やって来たアンリエッタの執務室。
 
 そこで彼らを待ち受けていたのは、この部屋の主であるトリステインの女王アンリエッタともう一人。
 
 アルビオンの王様、ウェールズ王がそこに居た。
 
「やあ、久しぶりだね、サイト殿」
 
「どうも、お久しぶりです」
 
 気軽に手を挙げて挨拶してくるウェールズに対し、才人も同じように軽く挨拶を返して隣のブリミルに頭を叩かれた。
 
「何しやがる!?」
 
「何、友達感覚で挨拶返してんのよ!? 相手は王様よ、王様!」
 
 いきなり説教を始めるブリミルに苦笑を浮かべるウェールズとアンリエッタ。
 
 暫くは才人とブリミルの漫才を笑いながら見ていた二人だが、互いに目配せすると本題を切り出した。
 
「皆は今、トリステインの貴族の間で流れている噂話をご存知かな?」
 
「……噂話?」
 
 首を傾げる才人達。そんな中ブリミルは神妙な表情で頷くと、
 
「トリステインはアルビオンの属国に成り下がった。というものですか?」
 
「何だよ、それ?」
 
 眉を顰めて問い掛ける才人に、ブリミルが説明口調で、
 
「先の戦争で、トリステインがアルビオンに対し、戦後補償をたいして求めなかった事に不満を持ってる貴族が多くいるみたいなのよ」
 
 戦後補償が少ないということは、戦争に参加した貴族に回ってくる分け前も減るという事である。
 
 結果、さして活躍出来ず報酬も少なかった事に納得出来なかった貴族達がそのような心ない噂話を流し始めた。
 
「まあ、それで終わるんなら聞き流してれば済む問題なんでしょうけど、この手の話に乗せられるバカが連んで、第2、第3のレコンキスタにならないとも限らないしね……」
 
「……えらく詳しいな」
 
 感心半分、呆れ半分な表情で告げる才人に対し、ブリミルは肩を竦めて、
 
「アンタが稽古やナイ達と遊んでる間に、わたしが何もしてないとでも思っているの?」
 
「……そういえば、何してんだ?」
 
 思いつかないと、素直に問い返す才人に、ブリミルは内心で怒りながら、
 
「仕事してるわよ! 仕事!! アンタも稽古ばっかりじゃなくて、偶には情報収集部門から回ってきた報告書にも目を通しなさいって」
 
「……情報収集部門? ああ、魅惑の妖精亭か!」
 
 相づちを拍ち納得した才人は、ブリミルに話を続けるように促す。
 
「んー、まあ、アレね。だからって、力づくで何とかしようとすれば、貴族達から余計な恨みを買うことになるし……」
 
「その通りだ。だから、その事について、一つの対策を講じることにした」
 
 そう告げるウェールズは、アンリエッタと視線を交わし、
 
「わたしは、アンリエッタと結婚する事にした」
 
 僅かな間。……そして、
 
「えェ――!!!」
 
 ゼロ機関が4人は一斉に絶叫を挙げた。
 
「わぁ、おめでとうございます♪ って、いや、そうじゃなくて、何でそうなるんですか!?」
 
 皆を代表して、ブリミルが質問を投げ掛ける。
 
 対してアンリエッタから返ってきた答えは、
 
「トリステインの内乱を防止するにはアルビオンとの関係を明確に示しておく必要がありますから」
 
「え? じゃあ、ウェールズ王がトリステインに婿入りするって事ですか?」
 
「うん。そうなるね」
 
「いや、でも……、そんな政略結婚みたいな……」
 
 ルイズが口を挟もうとするが、それを遮るようにウェールズが口を開いた。
 
「勿論、政略だけではない。――わたしは純粋にアンリエッタの事を愛している」
 
 断言したウェールズに女性陣が感嘆の声を挙げ、アンリエッタが頬を染める。
 
「姫さま、おめでとうございます」
 
「ありがとうルイズ。……わたし、あなたに一番に知ってほしかったの。
 
 そして、サイト様もありがとうございます」
 
 深々と才人に向けて頭を下げ、
 
「あなたがウェールズ様を救い出してくれなければ、わたくし女としての幸せを掴むことが出来ませんでした」
 
「い、いや……、そんな!?」 
 
 アンリエッタに頭を下げられて恐縮する才人だが、何かを思いついたのかウェールズに向き直り、
 
「でも、ウェールズ王が居なくなったら、アルビオンの王様は誰が務めるんですか?」
 
 才人の質問に女性陣の動きも停まり、自然と視線もウェールズに集中する。
 
「ああ、今回、皆を呼んだのは、その事についてなんだ」
 
 ウェールズの真剣な眼差しに、ゼロ機関の一同は姿勢を正す。
 
「虚無の担い手というのは、王家の血縁に現れると言われている。……つまり、ティファニア殿には少なからずアルビオン王家の血が流れているということだね?」
 
 その言葉にルイズを除くゼロ機関の面子に動揺が走る。ティファニアの出生の秘密が知られれば拙いことになるかもしれない。
 
 ――だが、彼らの心配は杞憂に終わる。まあ、少し考えてみれば分かる事だが、ルイズのように親が王家ではなく遠い祖先に王家の血筋が流れている可能性もあるのだ。
 
 なので、ウェールズはティファニアの出生に構うことなく、
 
「そこでティファニア殿。わたしの後を継いでアルビオンを治めてはもらえないだろうか?」
 
 予想外の提案に開いた口が塞がらないゼロ機関の面々。
 
 暫くの間を置いて、ようやく正気に戻ったティファニアは取り乱した様子で、
 
「そ、そんな! わたしにそんな大役務まりません」
 
 だが、ウェールズはそれでも引くことなく、
 
「確かに、何の後ろ盾も無いティファニア殿一人ではキツイと思う。……そこでサイト殿」
 
 才人と正面から向き直り、
 
「夫として、彼女を、――アルビオンを支えてもらえないだろうか?」
 
 言われた事が理解出来ないと、暫く呆けていた才人だが、きっちり1分後……、
 
「なんじゃ、そらぁ――!?」
 
 絶叫した。
 
「いや、なんスか? それ? 俺、テファと結婚?」
 
 チラリと横目でティファニアを見ると、彼女は恥ずかしそうに頬を染めながらもはにかんだ笑みを浮かべる。
 
 ……嫌がってない。って事はOK.ですか? あの乳、俺のもんですか?
 
 突然の事態にテンパる才人。
 
 今はティファニアとの結婚という突然の事態に動揺して、それにより己の立場が国王となる事に気づいてはいない。
 
「まあ、流石に今すぐ結論出来るような話題でもないからね。よく考えて返事をしてほしい。
 
 ……勿論、色好い返答を期待しているよ」
 
 そして別れ際、ブリミルはアンリエッタにロマリアの教皇の甘言には重々気を付けるようにと忠告して王城を後にした。
 
 
 
 
 
 
 
 
     
 
 そして、その帰路。
 
 トリステイン魔法学院まで後2リーグ程にまで迫った所で、ブリミルが切り出した。
 
「……で、分かってると思うけど、ちゃんと断んなさいよサイト」
 
 馬上から傍らをグリフォンに乗って歩く才人に向けて告げる。
 
 対する才人も全て承知していると深く頷き、返答しようとする前にルイズが口を開いた。
 
「何でよ!? サイトが国王になったっていいじゃない!」
 
 そうなれば、才人も元の世界に帰るわけにはいかなくなる。
 
 例え、正妻の座に自分とは違う女性がいたとしても、二度と才人と会えなくなるよりは何倍もマシだ。
 
 側室でもいい。ずっと彼の傍に居たい。
 
 そんな想いが彼女に最後の一歩を踏み出させる。
 
「……前も言ったでしょ。サイトは自分の世界で幸せになるべきだって」
 
「こっちの世界にはサイトが必要なの!」
 
 馬から降り、言い合いを始める二人。
 
 突然の事態に才人とティファニアはオロオロするばかり。
 
「あんた、サイトが元の世界に帰りたくて泣いてる所、見たことあるの!?」
 
「でも、……たとえサイトに恨まれる事になってでも、わたしはサイトにこの世界にいてほしい!」
 
「それはただの我が侭よ! 彼の事を本気で思うんなら、行かせてやりなさい!」
 
「いや! 嫌よ! 絶対にいや――ッ!!」
 
 ヒステリックな叫びを挙げ、ルイズは杖を取り出し詠唱を始める。
 
「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。5つの力を司るペンタゴン。この者との契約を破棄し、我の使い魔から放逐せよ!」
 
 瞬間、才人の身体から強制的にルーンが剥奪される。
 
「ッぁ!?」
 
 魂を引き裂かれるような激痛に叫び声さえ挙げる事が出来ず、才人はのたうち回り、ジルフェの上から落下してしまい、慌ててティファニアが馬から飛び降り、才人の元へ駆け寄った。
 
「サイト!?」
 
 ブリミルの視線が才人に向けられた一瞬の隙、ルイズの脳裏に謎の声が聞こえてくる。
 
“さあ、仕上げといこうか……”
 
「で、でも……」
 
“良いのかえ? このままでは、あの男はこの女の手によって汝の手の届かない所へ連れ去られてしまうぞ?”
 
 躊躇うルイズを嗾けるように、謎の声が後押しする。
 
「い、いや! それだけは絶対に!!」
 
 そして、声に操られるようにルイズは懐からダガーを取り出し、身体ごとブリミルへと突っ込んだ。
 
「……え?」
 
 一瞬、何が起きたのか理解出来なかったブリミルだが、体内の異物感とそれに続く冷たい感触に寒気を覚え、一拍の後に何が起きたのかを自覚した。
 
 ダガーの刺さったままの傷口から血が滲みだし、服を真紅に染めていく。
 
 ブリミルが片膝を着き吐血するのを見て、ルイズがようやく正気に戻った。
 
「……え? わ、わた、し……」
 
 一歩、二歩と後ずさるルイズ。
 
 手に付着したブリミルの血を見て、自分が何をしたのかを自覚したルイズは急激に頭の中が冷えていくのを知覚する。
 
 ……今、わたしは何をしたの?
 
 これは夢だと思い込もうとするが、手に付着するぬめりがこれは現実だと言い聞かせる。
 
 僅かな間を置いて、自分が取り返しもつかない事をしてしまったと理解したルイズは己の頭を抱え絶叫した。
 
「い……、イヤぁ――!!」
 
 そこに生じたルイズの心の隙に謎の声が付け込む。
 
“ふふふ、待っておったぞ、この時を”
 
 壊れかけたルイズの心を謎の声……、ノルンの思念体が取り込み、ルイズの身体を己の支配下においた。
 
「ははははは、六千年ぶりの身体! 虚無の担い手の身体!! ──これで妾の念願も叶う! 存分に有効活用させてもらおうぞ!」
 
「て、めえ……! ルイズに、何しやがった……!!」
 
 デルフリンガーを杖代わりに、何とか立ち上がる才人。
 
 彼の背後ではティファニアがブリミルの元へ駆け寄り治癒の魔法を試みようとしている。
 
 だがルイズ……、否、ノルンは才人の質問に答えることなく、その顔に嘲笑を浮かべ、
 
「さて、この身体どれほどの力を秘めているか試させてもらうか」
 
 杖を構え、呪文の詠唱を開始する。
 
エルオー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……
 
 ルイズの身体を奪ったノルンが詠唱を始めたのはエクスプロージョン。
 
 虚無の担い手ではないノルンだが、ルイズの身体を奪った事により虚無魔法を使いこなす事ができる。
 
 拙いと思い、才人はなんとかルイズの呪文の詠唱を停めようとするが、全身を苛む激痛と妙な倦怠感に包まれ身体が上手く動かない。
 
 辛うじて立っているのが精一杯の身では、彼女の元まで走り寄ることさえままならない才人は、ルイズの詠唱を停める事は諦め、背後で横たわるブリミル達を護ることに専念する。
 
 デルフリンガーを盾にするように構え、衝撃に備えた次の瞬間、全てを吹き飛ばさんと爆光が彼らを呑み込んだ。
 
 そして永遠とも思える数秒が経過した後、光が収まったそこに立っている者は一人としていなかった。
 
 ……これが虚無。
 
 しかし、彼女の知っているブリミルが使用していた虚無はもっと威力が高かったような気がする。
 
 ノルンの取り憑いたルイズは周囲を見渡し、未だ才人達に息がある事を確認すると、不満げに己の手を眺め、
 
「ふむ……、やはり、まだ馴染まぬか」
 
 面白くなさそうに告げ、手にした始祖の祈祷書を開き、そこに浮かび上がる新たな呪文を詠唱。
 
 もはや、この場に興味はないと一瞥もすることなくその場から消え去った。
 
 ……だが、彼らの厄災はまだ終わりではない。
 
 辛うじて意識を繋ぎ止めていた才人の顔に影が差す。
 
「……くそ、このタイミングで来るかよ?」
 
「ふふふ、わたしとしては、度重なる恨みを晴らす絶好の機会よ?」
 
 そこにいたのは全長25メイルの巨大な剣士人形、“ヨルムンガント”。そこから聞こえてくるのはミョズニトニルンの女、シェフィールドのものだ。
 
 才人は何とか立ち上がろうとするが、強制契約破棄の後遺症とエクスプロージョンのダメージで、それすら果たせずに俯せに倒れ伏し喀血した。
 
「……チクショウ、身体が動かねぇ」
 
 むしろ、意識があるだけ大したものなのだが、この状況ではさして意味は無い。
 
「使い魔じゃないアンタに用は無いねぇ」
 
 振り上げられたヨルムンガントの足が降ろされる直前、不可視の何かがヨルムンガントの胸部に直撃した。
 
 ヨルムンガントの全身に施された反射の魔法により、ダメージそのものは皆無のようであるが、それでも衝撃により一歩後ずさる。
 
「……何?」
 
 訝しげな声で告げるヨルムンガントの視線の先、2リーグも離れた場所にあるトリステイン魔法学院。
 
 その尖塔の一角、火の塔の頂上で弓を構えるのは赤い髪に4対の翼を持つ少女。
 
 ルイズ=ノルンのエクスプロージョンの光を見て外の状況に気付いた翼人の少女、エールだ。
 
「おお、すげぇ……。この距離届くのかよ?」
 
 射った本人が驚いているが、すぐに気を取り直して第二射を放つ。
 
 その一撃に蹈鞴を踏みながらも、しかしヨルムンガントはしっかり踏みとどまり、
 
「なにを悪あがきをしているか知らないけど、そんなものよくて30秒程度の時間稼ぎにしかならないわよ」
 
 告げ、一歩前に歩を進める。だが、それを押し留める声が上空から聞こえた。
 
「30秒の足止めで充分だと判断します。なぜならば――」
 
 その後を受け継ぐのは風韻竜を使い魔に持つ雪風の二つ名を持つ少女、
 
「……それだけの時間があれば2リーグ程度の距離、すぐに辿り着ける」
 
「わたしの翼、ナメてもらっちゃ困るのね! きゅいきゅい♪」
 
 蒼鱗の風韻竜から空に身を躍らせるのは侍女服姿の女性。
 
 女性の落下には、一つの言葉が付随していた。
 
「――衝撃のファーストブリット……!」
 
 空中で拳を構えると、女性の肘部と肩部にスラスターが展開し内部に仕込まれた風石が発動。拳の一撃に加速を与える。
 
 スラスターの急速噴射によって一瞬バランスを崩すが、女性は身体を大きく旋回させて安定を取り戻すと同時、遠心力を加えた一撃をヨルムンガントの頭部にブチ込んだ。
 
 不意打ちの一撃に避けることさえ適わず、ヨルムンガントは前のめりに倒れ伏し、その眼前に軽やかに着地する侍女姿の女性。
 
「……サティー?」
 
 苦しげな声で尋ねる才人に対し、サティーは深々と一礼し、
 
「ご無事ですか? サイト様」
 
 そして立ち上がろうとしているヨルムンガントに向き直り、
 
「ご覧の通り、現在わたくしの主人はあなたのお相手を出来る状況にございません。
 
 よって、主人に成り代わりわたくしがあなたのお相手をしようと思いますがよろしいでしょうか?
 
 ――答えは聞いておりませんが」
 
「なら最初から、聞くんじゃないよ!?」
 
 言いながら、ヨルムンガントは背中から大剣を抜き、サティーを狙って横薙ぎに薙ぎ払う。
 
 サティーはそれを跳躍して回避すると同時、巨大剣士人形から距離をとり、右拳を引いた構えをとると、彼女の手首から先が高速で回転を始めた。
 
 彼女の右拳に仕込まれた風石と内部に組み込まれた小型風車の組み合わせによる新たなギミックだ。
 
「ブロークン・マグナム……!」
 
 サティーの右拳が飛ぶ。
 
 間合いの外からの予想外の攻撃に回避運動が遅れたヨルムンガントは、その攻撃をモロに喰らってしまい、その胸部装甲に亀裂をいれた。
 
 拳と腕を繋ぐワイヤーを巻き戻すサティーを見ながら才人は呆れ声で告げる。
 
「……なんで、そんな技知ってんだよ?」
 
 実はこのギミック、コルベールがナイから聞かされた才人の世界の英雄談を元に作り出したものだったりする。
 
 ……まあ、それはともかく、サティーがヨルムンガントの気を引いている間に魔法学院から馬に乗って駆けつけたギーシュ達が才人達の傍に駆け寄ってきた。
 
「大丈夫……、そうには見えないな。……何か言い残す事はあるかい? サイト」
 
「まだ、生きてるよ……。俺はいいから、先にブリミル達の方を頼む」
 
「安心したまえ、彼女達の方には既にカトレア様が向かった」
 
 そう告げるギーシュの視線の先、そこにはカトレアに治療されるブリミルの姿が見える。
 
 どうやら、ティファニアの方は意識が無いものの怪我の方は大したことはないらしい。
 
 それを確認したギーシュは立ち上がると、既に戦闘を開始しているサティーやコルベール達に加わるために駆けだして行った。
 
 そして、それと入れ替わりになるようにモンモランシーが才人の傍らに跪き、水の治療薬を才人の頭からぶっかけ、呪文の詠唱を開始する。
 
「冷て……」
 
「我慢しなさい。あんたが一番の重傷なんだから……」
 
 呆れ混じりの溜息を吐き出し、モンモランシーは治療を続けた。
 
 何とか立ち上がれるまでに回復した才人は、デルフリンガーを杖のようにして身体を支えながら戦闘に向かおうとするのをモンモランシーが慌てて押し停めようとする。
 
「ちょ、ちょっと! そんな身体で何処行くつもりよ!?」
 
「アレにゃあ、系統魔法の類は通用しねえんだ。……だから、俺がなんとかしないと」
 
 モンモランシーの静止を振り切って戦場に向かう才人。
 
 だが、如何に数多の戦場を抜け、たゆまぬ稽古を続けてきたとはいえ、今の才人は使い魔のルーンを持たない普通の人間に過ぎない。
 
 デルフリンガーを振るいヨルムンガントに攻撃を仕掛けるが、才人の剣は彼の巨大剣人形の装甲に僅かな傷の残すのみに留まる。
 
 更に、未だダメージの残る身体でヨルムンガントを相手にするには、やはり無理があった。
 
 疲労も限界に達し、本人の意思とは関係無く才人の膝が折れ、その隙をヨルムンガントが逃す筈もなく、才人を踏み潰さんと、その巨大な足を振り上げる。
 
 他のメンバーが救いの手を差し伸べようとするが、その尽くがヨルムンガントに妨害され近づくことさえ許されない。
 
 才人自身も何とかその場を離れようとするが、時既に遅し……、ヨルムンガントの足は才人の眼前に迫っていた。
 
 ……ヤバイ!?
 
 覚悟を決める才人の眼前、突如、光の扉が現れる。
 
「飛び込みなさい! サイトッ!!」
 
 才人の耳に届くよく通る声、振り返らずとも誰か分かる声が彼の背中を後押しした。
 
 躊躇いなく才人が光の扉に飛び込んだ直後、巨大人形の足が全てを押し潰す。
 
 念を押すように、その場を踏みにじり完膚無きまでに才人を亡き者にしよとするが、その場には既に彼の姿はない。
 
 勢い良く飛び込んだ才人は、勢いがつきすぎてブリミルを押し倒すように絡まり合っていた。
 
「いたたたた……、このバカ、何すんのよ」
 
 カトレアの治癒魔法によって辛うじて塞がったお腹の傷を押さえながらブリミルが苦情を告げる。
 
「いてててて……、しかたねえだろ、場合が場合なんだから」
 
 額を付き合わせる程の距離。真剣な表情で才人がブリミルに話し掛けた。
 
「もう一度、俺と契約してくれ」
 
 対するブリミルは眉を顰めて、
 
「……絶対に駄目。虚無の遺産を継いだわたしと契約するって事は――」
 
「ぐだぐだ言ってんじゃねえ! この場を切り抜ける為にも、ルイズを助け出す為にも、今は力が必要なんだ!」
 
 その真剣な眼差しにブリミルは息を呑み込み、しかし挑戦的な笑みを浮かべて、
 
「……後悔するわよ」
 
「お前の使い魔になって、後悔しなかった事は一度もねえよ」
 
 才人の返答にブリミルは笑みの質を変え、周囲に正体がバレる事を回避する為に小声ではあるが、己の本名を使いコントラクト・サーヴァントを行う。
 
「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。5つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」
 
 どの使い魔のルーンが現れるのかさえ分からない状態にも関わらず、二人共、何の不安も無かった。
 
 そして交わされる口付け……。
 
 瞬間、才人の意識が闇に呑み込まれる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ……何だ、これ?
 
 闇の中を漂う才人の周囲を淡い光を放つ4つの光球が旋回していた。
 
 その内の一つが才人の元へ近寄り、その姿を光球から右手に槍、左手に長剣を携えた全身鎧の剣士へと姿を変える。
 
“我が名はガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾なり……。汝、主を護る為に盾となる事をいとわぬか?”
 
 対する才人は眉を顰め、
 
「ハァ? 厭わぬとかどうこう言う前に、もう盾やってるつーの!」
 
 そう言い切った才人にガンダールヴは深く頷き、再び光球に姿を戻すと才人の左手に吸い込まれるように消えていった。
 
 そして才人の左手に刻まれるガンダールヴのルーン。
 
 そのルーンをマジマジと見つめる才人の元に、新たな光球が近寄ってくる。
 
 光球はつばの広い羽根帽子を被った優男の姿をとり、
 
“我が名はヴィンダールヴ。心優しき神の笛なり……。汝、あらゆる場所へ主を運ぶことを厭わぬか?”
 
「もう、一緒に世界中回ったわッ!!」
 
 即答で返されたヴィンダールヴは面白げに唇を綻ばせるとガンダールヴ同様、姿を光球に変え、才人の右手に吸い込まれて消えた。
 
 そして右手に刻まれるヴィンダールヴのルーン。
 
 三番目は分厚い革表紙の本を持った賢者だ。
 
“我が名はミョズニトニルン。知恵のかたまり神の本なり……。汝、溜め込みし知識を用いて主に助言を果たすことを厭わぬか?”
 
 問われた才人は顎に手を添えて考えるような仕草を見せた後、
 
「まあ、アイツってば、まだまだ世間知らずで危なっかしい所とかあるしな、やっぱ放っておけねえよ」
 
 ミョズニトニルンは大仰に頷き、前の二人と同じように姿を光球に変えて才人の額へと姿を消した。
 
 そして最後に残された光球は、姿をローブを目深に被った人影に変え、
 
「…………」
 
「あー、もういいや! 三人も四人も変わらねえよ!」
 
 手を差し出し、
 
「お前も来い!」
 
「…………」
 
 四人目の人影は暫く佇んでいたが、口元に僅かな笑みを浮かべると姿を光球に変えて才人の胸に吸い込まれていった。
 
 それを確認した才人の左手から声が聞こえる。
 
“随分と優しい子ね。……いや、ただあまいだけかしら?”
 
 才人の周囲に数人の人影達が現れる。
 
「だ、誰だ!?」
 
 エルフの女性が居る。エルフの青年が居る。人間の青年が居る。人間の少年が居る。
 
 それは歴代ガンダールヴ達の記憶。
 
 一歩、前に出たエルフの女性の姿に、才人は思わず彼女の名を叫んだ。
 
「さ、サーシャさん!?」
 
“……あら? 私の事知ってるの?”
 
 女性は僅かに驚きはしたものの、さして気にした様子もなく才人の左手をとり、
 
“ブリミルの遺産を受け継いだ担い手と契約したあなたに、新たな……、いいえ本来の意味でのガンダールヴの力と言った方がいいかしら?
 
 まあ、ともかくそれをを与えましょう”
 
 気負い無く告げると手にした才人の左手の甲に軽く口づけをする。
 
 ──見た目には変化は見られないが、才人の内部で何かの鍵が外れたような。──そんな変化があった。
 
 その力が何なのかを理解した瞬間、
 
“あなたに精霊の加護がありますように──”
 
 サーシャの声が聞こえ、才人の意識はブラックアウトした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 コルベール達の攻撃を振り切り、ヨルムンガントは才人達に押し迫り、手にした大剣を大きく振りかぶった。
 
「さあ、これで本当に最後よ」
 
 振り下ろされる大剣。
 
 だがそれは才人達を両断する寸前、差し出された一本の長剣によって受け止められた。
 
 剣戟が拮抗しヨルムンガントの動きが停まる。
 
 全長25メイルの巨人と少年との有り得ない力比べに皆が言葉を失う中、少年の手の内の剣だけが言葉を放つ。
 
「よう相棒、完全復活って感じかい?」
 
 両手と額、そして胸に刻まれたルーンが輝きを放つ。
 
「まあ、色々と問題は山積みだけどな、取り敢えずは目の前のゴタゴタから片づけることにするさ」
 
 言って、ヨルムンガントの大剣を弾く。
 
 完全に機能した四つのルーンの相乗効果が不可能を可能にする。
 
 ルーンの力によるものか、全身の痛みが引いていくのを自覚しながら才人はヨルムンガントを睨み付け、小さく呟く。
 
「……ちょっと試してみるか」
 
 ブリミルとの契約によって得られた新たな力。
 
 それを試すには眼前の巨人は恰好の獲物だ。
 
 才人はデルフリンガーを地面に突き立てると、代わりに右手に地下水を構え呪文を詠唱する。
 
「……ハッ! 何のつもりだい? このヨルムンガントに魔法は通用しない事がまだ分からないのかい!?」
 
 エアストームの魔法によって巨大な竜巻が発生するが、才人はそれを待機させたまま左手を掲げ、
 
「大気に宿りし雷の精霊達よ、契約の下ここに顕現し彼の敵を討ち滅ぼせ」
 
 才人の左手のルーンが輝きを放ち、周囲に雷光が迸る。
 
 彼の左手に刻まれたルーンの名前はガンダールヴ。“魔法を操る小人”という意味を持つ古代ルーン文字。
 
 始祖の遺産を受け継いだブリミルと契約した事により、ガンダールヴのルーンに施されていた最後の封印が解かれ、才人は精霊の力を行使するに至った。
 
「……右手に系統魔法。……左手に先住魔法」
 
 ──融合!
 
 生まれたのは系統魔法でも、先住魔法でも、虚無魔法でもない第4の魔法。
 
「────ッ!?」
 
 進路上にある、あらゆる存在を呑み込んで、轟雷を纏った荒れ狂う暴風がヨルムンガントを直撃。
 
 相容れる事のない二つの魔法を融合させる事によって拒絶反応を起こさせ、その威力を数倍にまで高めた、破壊力だけならば虚無にも匹敵するであろう極大破壊魔法。
 
 反射の魔法が持つ許容量を圧倒的に越える力量がヨルムンガントを襲う。
 
 荒れ狂う鎌鼬が装甲を切り裂いて剥がし取り、迸る雷が装甲の剥き出しになった箇所の素体を完膚無きまでに破壊していく。
 
 30秒以上に渡る圧倒的な暴力。
 
 指向性を持った大嵐が通過した後には、ヨルムンガントの残骸すら残っていなかった。
 
 その光景を見た者達が余りの破壊力の前に言葉を失う中、それを為した才人も頬を引きつらせながら、
 
「……き、危険過ぎるなコレ」
 
 無理な術の反動で全身に激痛が走り、才人は意識を手放した。
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