香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第99話 罠に掛かった妖精
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 霖之助は獣によって荒らされた裏の畑を見て、重い溜息を吐いた。
 
「ヤレヤレだ……」
 
 ……別に僕は食べなくても平気だが、手伝いの娘達に食べさせる昼食の材料が採れなくなるのは困るな。
 
 彼女達の大半は、給金も無しに善意だけで店を手伝ってくれているのだ。
 
 ならばせめて食事だけでも振る舞ってやるのが店主としての矜持だろう。
 
 ……まぁ、ごく一部の者に関しては、昼食代を差引いているが。
 
「今年は実りが少なかったわけでも無いだろうに……」
 
 長雨や干ばつも無く、例年通りの夏だった。
 
 ……となると、人里の畑で味を占めた獣か。
 
「早めに駆除しておいた方が良いな」
 
 取り敢えず、畑の修繕は丁稚に任せる事にして、霖之助は罠を仕掛ける為、納屋に向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その日の深夜。
 
 霖之助が就寝前の読書に勤しんでいると、裏の畑の方から悲鳴が聞こえてきた。
 
 何事か? と草薙の剣を片手に霖之助が駆け付けると、裏の畑で昼間仕掛けた罠に妖精が引っ掛かっていた。
 
 近くの茂みがざわついているので、仲間の妖精が逃げて行ったのだろう。
 
 霖之助は深々と溜息を吐き出すと、涙目で蹲っている妖精、ルナチャイルドの眼前にしゃがみ込み、
 
「……まったく、妙な悪戯をしようと企むからこんな目に遭うんだ」
 
 言いながら、ルナチャイルドの足を挟むトラバサミを押し開いてやる。
 
 月明かりの元見る限りでは、出血もあるらしくルナチャイルドの靴下が朱に染まっていた。
 
「痛った……」
 
 涙目で訴えるルナチャイルドに対し、霖之助は少女の背中と膝裏に腕を回すと、そのまま一気に持ち上げ、
 
「取り敢えず、治療するから暴れないでくれ」
 
 裏口から店の中へ連れ込んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ほら、足を出して……」
 
 痛がるルナチャイルドの足を強引に掴んで靴と靴下を脱がし、傷口を検分する霖之助。
 
「……思ったより、傷が深いな」
 
 救急箱から消毒液を取り出すと、ルナチャイルドの足を強く押さえ、
 
「少ししみるぞ」
 
 言うなり、傷口に消毒液を掛けた。
 
「――――ッ!?」
 
 声にならない悲鳴を挙げるルナチャイルド。
 
 何とか霖之助の拘束を振り解こうと暴れるものの、所詮は妖精の力だ。半妖である霖之助には及びもしない。
 
 とはいえ、引っ掻かれ、噛み付かれれば流石に傷も付く。
 
 だが霖之助は構う事無くルナチャイルドの痛みが安定し、パニックから脱するまでの間、好きにさせ続けた。
 
 まぁ、痛みでパニックになった時間というのも一分にも満たないような短い時間だ。
 
 ルナチャイルドが落ち着いたのを見計らい、怪我に効く軟膏を塗ってガーゼをあてがい、包帯を巻いてやる。
 
 微かに震えながら痛みに耐えているルナチャイルドを見て、幼い頃の魔理沙を思い出した霖之助は、彼女の頭を優しく撫でてやると、
 
「さぁ、もう大丈夫だ」
 
「あ……」
 
 頭を撫でている手の平越しに、ルナチャイルドの緊張が解けていくのが分かる。
 
「……今日はもう遅いから、泊まっていくと良い。明日になってもまだ傷口が酷く痛むようなら、永遠亭に行って看てもらう事。良いね?」
 
「う、うん」
 
 悪戯のお仕置きをされると思っていたルナチャイルドは戸惑いながら返事を返す。
 
 対する霖之助は、ルナチャイルドの態度など気にする事無く、
 
「部屋はその奥だよ。布団はもう敷いてあるから、そのまま寝てもらってかまわない」
 
 言いながら手鏡を引き寄せ、ルナチャイルドに引っ掻かれた頬の傷跡に絆創膏を貼る霖之助。
 
 店主に言われた通り奥の部屋の襖を開けると、そこは客間ではなく霖之助の部屋である事が一目見て分かった。
 
「ねぇ……」
 
「あぁ、客間は今使用中でね。悪いが、その部屋しか空いてないんだ」
 
「貴方は何処で寝るの?」
 
 遠慮がちに尋ねると、霖之助は肩を竦め、
 
「読みたい本があるんでね。それを読んでいるよ」
 
 素っ気無く答え、もう言う事は言ったと背中を向けて本を手元に引き寄せページを開く。
 
 霖之助の背中に向けて、ルナチャイルドは小さく頬の傷に対し謝罪を入れると、そのまま部屋に入って襖を閉じた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 さて、霖之助が部屋をルナチャイルドに譲ってまで起きているのは、何も善意だけではない。
 
 あの逃げて行った妖精達が、ルナチャイルドを取り返しに来る事を警戒しての事だ。
 
 取り返しに来る事自体は、むしろ願ったり叶ったりだが、その際に商品や店を破壊されるのは御免被る。という理由で、やって来たら懇切丁寧にルナチャイルドを引き渡すつもりで起きているのだ。
 
 ……まぁ結局、霖之助の努力の甲斐もなく、薄情にも妖精達は迎えに来なかったが。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 翌朝、椅子に座ったまま寝入ってしまった霖之助が味噌汁の香りで目が覚めると、勝手場には既に出来上がっている朝食と、ルナチャイルドからのお礼の書き置きがあった。
 
 霖之助はその手紙を一読した後、丁寧にたたんで懐に仕舞い、
 
「ふむ、妖精にしては随分と礼儀正しい……」
 
 というか、料理の出来る妖精なんて初めて聞いた。
 
「まぁ、まずは朝食か」
 
 寝坊助な付喪神を起こす為、霖之助は客間へと向かった。
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