香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第94話 ミシャグジ様の逆襲
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ある日の守矢神社。
 
 日溜まりの縁側で半分うたた寝をしながら、この神社の祭神の一柱である洩矢・諏訪子が古びた知恵の輪を弄っていた。
 
 正確には、もはや弄るだけの余力も残されていないのか、辛うじて手に持っているだけの状態であるが……。
 
 そんな彼女の鼻先に蜻蛉が留まり、
 
「ふ……、へくち」
 
 小さくクシャミした。
 
「あー……」
 
「諏訪子様、そんな所でお昼寝をしてると風邪をひいてしまいますよ。
 
 最近は日が沈むと一気に冷え込んできますから。休むなら、部屋に戻ってからにしてください」
 
「んー……」
 
 洗濯物を取り込んでいた早苗に促されるままに立ち上がった諏訪子は、そこである事に気付き一気に目を覚ました。
 
「…………」
 
 彼女の手に持っている知恵の輪。
 
 それが見事に二つに分かれているのだ。
 
 おそらくは、先程のクシャミ際、偶然外れたのだろうが……。
 
 偶然だろうが何だろうが、諏訪子が自力で外した事に変わりは無い。
 
 諏訪子はその顔に勝ち誇った笑みを浮かべると、
 
「早苗、私ちょっと香霖堂まで行ってくるね!」
 
 ドタドタと騒がしく縁側を走り抜け、玄関から香霖堂目指して、一直線に飛んで行った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 入り口のドアが吹っ飛び、店の棚を薙ぎ倒して壁にぶつかり、ガラガラと商品の崩れ落ちる音が余韻となって店内を満たす。
 
「■■ッ!!」
 
「今は森近・霖之助だと名乗った筈ですが? ……洩矢・諏訪子様」
 
 額に井桁を張り付かせて対応しつつ、手早く電卓を引き寄せて被害総額を計算していく。
 
「それで、本日はどのような御用件で?」
 
 問い掛けると、諏訪子は勝ち誇った表情で胸を反らし、持って来た知恵の輪を霖之助に突き出す。
 
「見なさい!」
 
「ふむ……」
 
 霖之助は知恵の輪を手に取り、
 
「名称は知恵の輪。用途は暇潰しの為の玩具か。
 
 ……それで?」
 
「……え?」
 
「だから、この知恵の輪がどうかしたのかい?」
 
 真顔で問い返された諏訪子は思わずたじろいでしまう。
 
 三百年弱掛かってようやく知恵の輪が解けた事に有頂天になって制作者である霖之助の元までやって来たわけだが、冷静になってみると、それは恥でこそあれ誇るような物では無い。
 
 流石に反省したのか小さくなる諏訪子に対し、霖之助は息を吐き肩を竦めると、帽子越しに諏訪子の頭を軽く叩き、
 
「本当なら、扉の修理代と貴女が壊した道具の修理代を請求する所ですが……」
 
 視線を己の手の中にある知恵の輪に落とし。
 
「この道具に免じて、不問にする事にします」
 
 道具と心を通わせてみれば分かる。
 
 この知恵の輪が、如何に大切に扱われていたか。
 
 それこそ、三百年弱もの長き期間を、本来の用途である暇潰しの為に使われてきたのだ。
 
 知恵の輪にしてみても、道具冥利に尽きるというものだろう。
 
 それに、諏訪子ほどの神ならば、癇癪を起こして知恵の輪を引き千切る程度の事は容易い筈だ。
 
 それを行っていないという時点で、彼女の知恵の輪に対する思い入れを伺い知る事が出来る。
 
 霖之助は徐に立ち上がると、
 
「さて……、扉の修理と散らかった道具を片付けますので、手伝ってください。
 
 今回は、それでチャラという事にしておきましょう」
 
「……うん」
 
 素直に頷き、霖之助の手伝いを始める諏訪子。
 
 幸い、商品は棚から落ちただけで被害は無く、扉の修理も三十分も掛からず完成した。
 
「うん。――まぁ、こんな物か」
 
 扉を開閉し、軋みやガタつきが無い事を確認して満足げに頷く霖之助。
 
「今度から来店する時は、扉を壊さないようにお願いします」
 
「うん。そうする」
 
 直ったばかりの扉を開け、
 
「じゃあ、悪かったね森近」
 
 最後に謝罪を入れる諏訪子に対し、霖之助は苦笑を浮かべると、懐から紙袋を取り出し、
 
「これはサービスです。神社に着いてから開けてください」
 
 諏訪子に紙袋を手渡した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「お帰りなさい諏訪子様。すぐ夕食にしますから、手を洗ってきてくださいね」
 
「うん」
 
 守矢神社に帰り着いた諏訪子を出迎えてくれた早苗の言葉に従い、洗面所に向かう諏訪子。
 
 石鹸で丁寧に手を洗い、タオルで水気を拭き取りながら、ふと霖之助の言っていた事を思い出し、帽子の中に仕舞っておいた紙袋を取り出す。
 
 ……何だろ? ……まぁ、あの男の事だから、くだらない物だろうけども。
 
 小さな金属音を発てて、紙袋から諏訪子の手に落ちてきたのは、金属が組み合わされたパズル。――知恵の輪だった。
 
「アイツ……」
 
 真新しい知恵の輪を前に、諏訪子は我知らずの内に舌なめずりし、
 
「……上等。見てなさい森近、一週間以内に外して叩き返してやるわ!」
 
 拳を握り、まるで自分に言い聞かせるように宣言する諏訪子。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ……それから一週間後。
 
 未だ香霖堂に、諏訪子の姿は無かった。
  
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