香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第9話 魔女達の罠
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 薄暗く、カビ臭い場所がある。
 
 数多の本に囲まれた、紅魔館自慢の地下大図書館。
 
 その場に二人の魔女が集い何やら良からぬ企みを企てていた。
 
「……あの古道具屋が邪魔ね」
 
 冒頭からいきなり結論を放ったのは、この図書館の主、パチュリー・ノーレッジ。
 
 ゆったりしたネグリジェ風のローブに三日月型のブローチが添えられたナイトキャップがトレードマークの魔女だ。
 
 対面に座る青と白のワンピースドレス姿の少女、七色の人形遣いアリス・マーガトロイドは紅茶を一口飲んでから大仰に頷くと、
 
「その意見には概ね賛成するわ」
 
 今、彼女達が議論している内容は、如何にして霧雨・魔理沙を自分達に振り向かせるか? だ。
 
 女にしておくには勿体ない程に男前な彼女だが、心根は立派な恋する乙女であり、そんな彼女が惚れている男性こそが件の古道具屋の主人、森近・霖之助である。
 
「それで、どうするの? ……直接殺るのが一番後腐れの無い方法だと思うけど」
 
 物騒な事を平然と言ってのけるアリスに対し、パチュリーは渋面で首を振り、
 
「確かにそれが一番手っ取り早いし、心情的にもお勧めだけど難しいわね……」
 
 話に聞く所によると、彼の主人は戦闘行為は苦手としているという。
 
 七色の人形遣いである自分と、七曜の魔女が組めば、余程の敵でもない限り不覚を取るとは思えない。
 
 そう告げるアリスに対し、パチュリーは渋面を崩さず、
 
「……以前、あの店主に妹様を差し向けた事があったのだけど」
 
「……妹様って、もしかして──フランドール・スカーレット?」
 
 指で下を……、この地下図書館よりも更に地下層。紅魔館最下層に半ば幽閉されている赤い悪魔の妹を指すと、パチュリーは小さく頷いた。
 
 伝え聞くだけでもその危険さが分かる“全てを破壊する程度の能力”。
 
 そんな危険な能力を持った吸血鬼を差し向けるとは……。
 
 ……随分とえげつないわね。
 
 自分の意見を棚上げして、そう思う。
 
 しかし、そこで疑問が浮上してくる。……あのフランドール・スカーレットと相対しておいて、何故あの店主は五体満足で生きているのだろう?
 
 普通に考えれば、霖之助が勝ったと考えるのが常識だろうが、心の何処かでそれはないと否定する。
 
 自分一人でフランドールと戦って、勝つ自信は正直余り無いのに、あの店主が勝ったなど信じたくない。
 
 ちなみにフランドール・スカーレットという人物は、壊し合いと弾幕ごっこの違いがイマイチ分かっていない節がある。そんな人物にあの店主が勝てる可能性は……、否、あの店主が生き残る可能性は、ほぼ0%の筈だ。
 
 思考の海に陥り始めたアリスをパチュリーの声が引き上げる。
 
「それで、別の作戦を考えたのだけど……」
 
 そうだった。……今は魔理沙を手中に収める為、この作戦会議に集中しないといけない。
 
 気を取り直してパチュリーの言葉に耳を傾ける。
 
「いっその事、あの古道具屋に恋人が出来たら、魔理沙も愛想を尽かせるんじゃないかしら?」
 
「……確かに、その可能性はあるでしょうけど、誰とくっつけるの? 霊夢? スキマ妖怪?」
 
 他には、人里の守護者なども怪しいが……。
 
「出来れば、こちらで主導権を握れる相手の方が都合が良いのよね」
 
 思案するパチュリーは、何かを思いついたように手を打ち合わせ、
 
「そうだわ。貴女が陥落してくるというのはどうかしら?」
 
 ……そして自分が魔理沙と添い遂げる。
 
 何て完璧な計画なのだろう。邪魔な二人を同時に処分する事も出来る上に、自分と魔理沙も幸せになれるなんて……。
 
 思わず自画自賛するパチュリーだが、速攻でその考えを見抜いたアリスに却下された。
 
「なら、貴女が行きなさいよ。読書好き同士、気が合うんじゃない?」
 
 と、半眼で告げられる。
 
 確かに、本を大切に扱う彼とは良い関係を築けそうではあるが、悲しいかなパチュリーにとっては霖之助と魔理沙では、その価値観は比べ物にならない。
 
 それに、自分と霖之助が恋人関係になれば、アリスは嬉々として魔理沙にアタックを掛けるだろう。
 
 そんな事を許容出来るほど、パチュリー・ノーレッジという少女はお人好しではない。
 
 睨み合う事暫し、図書館の司書を務めるパチュリーの使い魔が新しい紅茶を手に彼女達の元を訪れた。
 
「二人して、何の悪巧みをしてるんですかー?」
 
 問い掛けながら空になったカップへ紅茶を注いでいく。
 
 対するアリスとパチュリーは妙案を思いついたとばかりに、視線を合わせて同時に頷くと、
 
「良いところに来たわ、小悪魔」
 
「そうね、この上ない程に適任だわ」
 
「……へ? へ? ──へッ?」
 
 こうして小悪魔は魔女達の企みに巻き込まれる事となった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 幻想郷で最も湿度が高い原生林。──魔法の森と呼ばれる場所の入り口にひっそりと建つ古道具屋。
 
 この店こそが、問題の古道具屋であり、その名を香霖堂と言う。
 
 紅魔館への商品の納入や、以前、執事のアルバイトをしていた事などで既に店の主人である森近・霖之助と小悪魔は知己の仲ではあるものの、小悪魔が香霖堂を訪れるのはこれが初めての事だった。
 
 店の中に入りきらないのか? 用途不明の道具が堆く積み上げられている外観にたじろぎつつも、勇気を出して店内に突入。
 
 カウベルが来客を知らせ、カウンターで本を読んでいた霖之助が本から視線を上げて来客を迎える。
 
「いらっしゃい……。おや、珍しいね。君がここまでやって来るなんて。ひょっとして初めてじゃないか?」
 
 物珍しそうに霖之助が挨拶するも、小悪魔はそれを聞いていない。
 
 彼女は乱雑に積まれた商品棚を見回して眉を顰め、更に商品や棚のそこかしこに埃が溜まっているのを確認すると険しい表情でカウンターの霖之助の元に歩み寄り、
 
「何ですか? このお店は」
 
「……何? と言われても。──普通の古道具屋だが?」
 
 図書館の司書を務める小悪魔としては整理整頓のなっていない物の並べ方は落ち着かず、また喘息を患っているパチュリーの為にも徹底した掃除を心掛けるようにしている。
 
 小悪魔は再度、周囲を見渡して、売り物の中にエプロンを見つけるとそれを身に着け、
 
「ハタキと箒。それとバケツと雑巾もお借りしますね」
 
 言うが早いか、霖之助の断りもなく掃除を開始した。
 
 一応、映姫が休日ごとに手伝いに来てくれる時に掃除はしてくれているのだが、前に彼女が訪れたのが1週間ほど前であった為、店内にはうっすらと埃が積もっている状態だ。
 
 全ての窓を開け放ち、棚の上に乗っている商品を全て外に運び出す。
 
 普通にハタキを掛けて雑巾掛けする程度ならば霖之助も手伝おうとは思わなかったのだが、万が一にでも商品を壊されてはかなわないと思わず席を立ってしまった。
 
「待ってくれ、流石にお客さんにそこまでしてもらうわけには……」
 
 止めようとして一歩を踏み出した所で、小悪魔に一抱えもありそうな壷を渡され、
 
「外に運び出しておいて下さい。……あ、暇なら外に出した商品の埃も払っておいてくださいね」
 
 命令され、反論しようとするものの小悪魔は取り合わずに手際良く掃除を続けていく。
 
 この時点で既に、小悪魔は香霖堂を訪れた本来の目的を見失っていた。
 
 ──全ての商品を外に運び出し、ハタキを掛けて埃を落とし箒で集めてゴミ箱に捨てる。
 
 それだけで時間は昼を大きく回っていた。
 
 久しぶりに力仕事をさせられた事により、これから昼食の準備をする気には到底なれそうもない。……とはいえ、空腹なのも紛れもない事実だ。
 
 どうしたものか? と霖之助が悩んでいると、勝手場の方から良い匂いが漂ってきた。
 
 周囲に小悪魔の姿が見えない事から、もしかして? と思い、疲れた身体を引きずって勝手場の方へ向かう。
 
 そこでは予想通り、小悪魔が昼食の準備をしている最中だった。
 
「あ、台所借りてますよー」
 
 本来ならば、余り好ましい事ではないのだが、この空腹が紛れるのならばそれくらいで一々目くじらを立てたりはしない。
 
「いや、それは構わないが、余り食材も無かったと思ってね」
 
「えぇ、お櫃に残っていたお米と、裏の畑からトマトとタマネギとニンニクを一欠け頂きました」
 
 ……なるほど、この甘酸っぱい香りはトマトの物かと納得し、それと同時に、そんな材料で何を作るつもりなのだろう? と困惑する霖之助。
 
「もう少しで出来ますから、待っていて下さいねー」
 
 会話の間も小悪魔は手を休めないで調理を続ける。
 
 手持ちぶさたになった霖之助は仕方なく居間に戻って、ちゃぶ台の準備を始めた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「出来ましたよー♪」
 
 5分後、笑みを浮かべながら深皿に二人分の料理を盛って居間にやって来た小悪魔。
 
「じゃーん! トマトリゾットでーす」
 
 紅魔館に務める者らしく、洋風の料理らしい。
 
 初めて見る料理に、霖之助は恐る恐るスプーンを差し込み一口を掬って口に運ぶ。
 
「……うん。洋風のお粥みたいな物か。なかなか美味い」
 
「本当ですか? ──良かったぁ」
 
 霖之助の口にもあったようで、安堵の吐息を吐き出す小悪魔。
 
「本当はこれに牛乳とチーズを入れるんですけど、無かったので」
 
「いや、これで充分だよ。──むしろ、このトマトの酸味が個人的には好きだね」
 
 更に一口を食べ、
 
「掃除も出来るし、料理も美味い。
 
 ……これなら、何時お嫁に行っても困らないな」
 
「お、お嫁だなんて、そんな!? 大体、相手が居ませんよー!?」
 
 彼女が此処を訪れた理由。──森近・霖之助を堕とすという事を考えれば、嘘でもここで「なら、お嫁に貰ってくれます?」くらいは言っておくべきだっただろうが、悲しいかな小悪魔も恋愛経験は0なので、彼女にそこまでを求めるのも酷というものだろう。
 
 というか、その時点で人選のミスに気付くべきだったのだろうが、悲しいかなパチュリーやアリスも一方的な恋愛しかした事が無い。
 
「そうなのかい? まあ、君ほどの器量好しなら、すぐに相手の一人や二人くらい見つかると思うけどね」
 
 素でそう返され、言葉に詰まる小悪魔。
 
 器量好しとはまた古めかしい表現ではあるが、女性ばかりの紅魔館において、そんな事などと言われた事の無い彼女は一気に真っ赤になってしまった。
 
 そんな小悪魔の様子に気付いた風も無く、霖之助は今度、紅魔館の図書館で料理の本でも探してみようと考えながらトマトリゾットを消費していく。
 
 そして昼食も終わり、30分程休憩を取った後、今度は外に出した商品を店に運ぶ作業と共に店内の模様替えも行う事になり、霖之助は再び苦行にさらされる事となる。
 
「その壷は、こっちの方が良いんじゃないですか?」
 
 と、小悪魔が店の端の方を指さすと、霖之助は否と首を振り、
 
「アレは魔理沙の指定席だからね。視界に入る所に置いておかないと」
 
 その言葉を聞いて、何故だか小悪魔の胸は痛んだ。
 
「──視界に入る所に置いておかないと、何を盗まれるか分かったものじゃない」
 
「あはは……」
 
 図書館の本をよく盗まれる小悪魔としても他人事ではなく、苦笑を浮かべるが、霖之助が溜息混じりに続けた言葉に、先程までの痛みが随分和らいでいくのを自覚した。
 
「それならその壷はそっちの方が良いですね」
 
「あぁ、そうだね」
 
 言って壷を持ち上げて場所を移動させようとした霖之助だが、
 
「──グッ!?」
 
 度重なる重労働に遂に腰が限界を超えてしまい、その場に蹲ってしまう。
 
「こ、香霖堂さん!?」
 
 慌てて駆け寄る小悪魔。
 
 対する霖之助は苦しそうな表情で、
 
「こ、腰が……」
 
 日頃の運動不足が祟り、ぎっくり腰になったようだ。
 
 取り敢えず小悪魔は彼を寝室にまで運び、彼の指示に従い救急箱から湿布薬を取り出して霖之助の腰に貼っていく。
 
 一応の落ち着きを取り戻した霖之助であるが、これでは暫く仕事にはならない。
 
「……ごめんなさい」
 
 深く項垂れる小悪魔。
 
 そもそも、自分が片づけなどを始めなければこんな事にはならなかったのだ。
 
 悪魔らしくない自戒の念に捕らわれる彼女に対し、霖之助は俯せに寝転んだまま、
 
「なに、君が気にする事もない。……元々は僕の運動不足が原因なんだしね。
 
 ぎっくり腰くらいなら、1週間もあれば完治するだろうし」
 
 余り居座られるのも、霖之助としては正直勘弁してもらいたい。
 
 彼は変わり映えのしない穏やかな日常を望んでいるのだ。
 
 ──なので、ここはやんわりと小悪魔にお帰り願う事にした。
 
「……分かりました」
 
 だが霖之助の思惑とは逆に、何かを決意した眼差しで小悪魔は立ち上がり、
 
「香霖堂さんが治るまで、責任を持って私が介護と店番を務めさせて頂きます!」
 
 ムン、と気合いを入れて、早速まだ外に残っている商品の搬入を始める為に店へと戻って行く小悪魔。
 
 そんな彼女の後ろ姿を見送った霖之助だが、病中の家事の面倒を考えたのか?
 
 ……まぁ、楽が出来るなら、それに越したことはないか。
 
 という結論に至り、結局何も言うことは無かった。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 明けて翌日。
 
「じゃあ、行ってきますねパチュリー様」
 
 妙に爽やかな笑みを浮かべ、手には食材の入れられた鞄を持った小悪魔が主人であるパチュリーに告げる。
 
「え、えぇ……、行ってらっしゃい」
 
 霖之助を堕とせ、とは命令したが、これでは彼女の方が彼に惚れているようではないか。
 
 意気揚々と出かける小悪魔を見送り、今日から暫くの間は自分で本を探すのか、と微妙に憂鬱な気分になって図書館に戻って行った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 香霖堂に到着した小悪魔は、早速エプロンを身に着け、霖之助の看病の為、寝室を訪れる。
 
 そこでは俯せの体勢のまま、本を読んでいて力尽きた霖之助が寝息を発てていた。
 
 小悪魔は僅かな時間だけ霖之助の寝顔を観賞して小さく笑みを浮かべると、彼の顔から眼鏡を外し、本に栞を挟んで閉じると、彼の腕を布団の中に戻しておく。
 
 そして、鞄の中からサンドイッチの乗せられた皿を枕元において寝室を後にして店の方へと戻った。
 
「さて、と……。まずは、お店の前のお掃除から始めましょうか」
 
 竹箒を手に取り、鼻歌混じりに掃除を開始する小悪魔。
 
 ……んー。古道具屋の店員、何ていう人生も良いかも知れませんねー。
 
 そんな事を考えながら、掃除を続ける彼女は、この後、休日で手伝いに訪れた閻魔様と一悶着ある事など、予想だにしていなかったが、……それはまた別のお話。
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