香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第89話 牡丹鍋
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ある日の香霖堂。
 
「霖之助さん、居……る?」
 
 やって来た霊夢が思わず口ごもったのもわけがある。
 
 カウンターの上に、ドンと鎮座するのは巨大な猪。
 
 その向こうに居る筈の霖之助が、隠れてしまう程の大きさだ。
 
「あぁ、居るよ」
 
 半ばウンザリした声色で返事が返ってきた。
 
 カウンターの向こうに回り込んでみると、そこには何時もの席に、この店の店主が陣取っている。
 
「どうしたの、これ?」
 
 霊夢が指さすのは、カウンターの上の猪だ。
 
 霖之助は肩を竦め、
 
「商品の代金さ」
 
 置いていったのは風見・幽香。
 
 この哀れな猪は、不覚にも彼女の花畑を荒らしてしまったらしい。
 
 彼女の怒りを買った猪は、数秒後には絶命させられていたわけだが、問題はその死体の処理だ。
 
 放置して、花々の肥料にしてやっても良かったのだが、腐敗してくると臭いが酷い。
 
 かと言って、汗水垂らして穴を掘って埋めるのも馬鹿らしい。……というわけで、香霖堂に持ち込み、代わりにありったけの化学肥料を持って行った。
 
「とはいえ、流石に食べきれる量じゃなくてね……」
 
 幸いにも、今日の手伝いは星だったので、今は命蓮寺に人を呼びに行ってもらっている所だ。
 
「と言う事は、運が良かったって事ね」
 
 事情を聞いた霊夢が笑みを浮かべながら言うと、霖之助も肩を竦めて、
 
「そういう事だね。じゃあ、捌くのを手伝ってくれるかい?」
 
「はいはい。それで、どう料理するの?」
 
 これは重要な問題だ。
 
 猪肉は独特の臭みと固さがあるので、調理法次第で好き嫌いが別れる傾向がある。
 
 対する霖之助は、予め決めていたのか迷う事無く、
 
「やっぱり、牡丹鍋だろう」
 
 小傘に魔理沙へ伝言を頼んだ所だ。
 
 暫くしたら、大量のキノコと共にやって来るだろう。
 
 霖之助は椅子から立ち上がると、カウンターの上の猪を背負い、店の入り口から出て裏口へと回る。
 
 一方霊夢は、勝手場で包丁を二本取り出すと、それを持って裏口で霖之助と合流。
 
 さて、猪の捌き方だが、まず腹を縦に割いて内臓を取り出す。
 
 取り出した内臓は、取り敢えずバケツに入れておいて、後で水洗いしてから塩漬けにして冬の保存食として取っておく。
 
 まあ、霖之助は本来食事を必要としないので、これは酒の肴に回される事になる。
 
 本当は、二,三日程何も食べさせず、宿便を出してからの方が良いのだが、まあ今回はそこまで言うのは贅沢だろう。
 
 内臓を取り出したら、水で血を洗い流す。
 
 そしたら次は皮剥だ。
 
 正直、この作業が一番手間が掛かる。
 
 毛皮は後ほど利用出来るので、傷を付けないよう慎重に剥いでいく。
 
 皮が剥ぎ終わった所で、魔理沙と命蓮寺組が到着。丁度良いので、彼女達にも手伝ってもらう。
 
 後ろ足を縄で縛って木から逆さ吊りにしてもらっている間に、霖之助は店に戻り刃物を持ち出してきた。
 
「おいおい、随分と懐かしい物が出てきたな。まだ持ってたのかそれ」
 
 魔理沙の言うそれとは古びた刀。霖之助が魔理沙からミニ八卦炉修復の報酬として譲り受け、霧雨の剣と名付けた刀だ。
 
「良い物だと言ったろう?」
 
「猪を捌くのに使うような物がか?」
 
 そう言って魔理沙は笑うが、道具というのは偶には使ってやらないと劣化するばかりである。
 
 神器を猪の解体に使用するのは多少気が引けるものの、草刈りにも使われているような剣だ。今更食肉を捌くのに使われたくらいで機嫌を損ねたりはしないだろう。
 
 吊された肉塊の前に立った霖之助は、まず刀を横一文字に一閃して頭を切り落とすと、間髪入れず上段から振り下ろし両断してみせた。
 
 哺乳類の骨というのは意外と硬い物で、如何に切れ味鋭い日本刀を用いたとしても、刃筋が通っていなければ刃の方が欠ける事がある。
 
 だからと言って鉈を使って骨を割っていては、夕食には間に合わない。
 
 そこで、欠ける事も錆びる事も無い緋々色金製の霧雨の剣の出番というわけだ。
 
 見事に両断された切り口を見て、感嘆の声を挙げる面々。
 
「へー……、何だ本当に良い刀だったんだな」
 
 獲物を狙う猛禽類のような眼差しで霖之助の手にある剣を見つめる魔理沙。
 
 対する店主は浅く胸を張り、
 
「これは刀じゃなくて、腕の賜物だよ」
 
「紫並に胡散臭いぜ」
 
 それで刀への興味を無くしたのか、早速包丁を片手に肉塊から骨を外しに掛かる魔理沙。
 
 そんな少女達の姿を横目に、霖之助は刀の脂を拭うと早速手入れを開始する。
 
 まぁ、手入れと言っても刃毀れ一つ無いし、鎬が歪んだ様子も無いので、拭紙で丁寧に刀身を拭った後は、錆止めの為の丁子油を引いていくだけだ。
 
 その間にも、少女達はテキパキと肉塊を解体し、鍋の準備を整えていく。
 
 刀の手入れも終わり、臓物を洗って塩漬けにでもしておこうと霖之助が立ち上がったところで、勝手場の方から霊夢が声を掛けてきた。
 
「霖之助さーん。味付けはどうするの? 赤? 白? 赤で良いわね」
 
 一応、主催者である霖之助に形だけ意見を求めるも、自分の好みで勝手に赤味噌に決める霊夢。
 
 そして、そんな彼女に反論する者が居た。
 
「おいおい、牡丹鍋と言ったら白味噌だろ」
 
 白味噌派の魔理沙だ。
 
 このままでは、何時ぞやの時のように弾幕ごっこで決めようとしかねない。
 
 別に、やりたいのならやらせておいても問題は無いのだが、今回は人数も多い為、鍋は二つ用意してあるのだ。赤と白、両方作れば良い。
 
 そう提案すると、二人共温和しく引き下がった。
 
 ちなみに霖之助は赤味噌派だ。
 
 その事に対し、魔理沙が抗議し、霊夢が何故か勝ち誇ったような表情をしていたが、無視する事にする。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 塩漬けの仕込みも終わり、霖之助が食卓に向かうと、既に準備は完了していた。
 
 霖之助が席に着くと、酌をしてくれたのは隣に座った白蓮だ。
 
 彼女は小さく頭を下げ、
 
「本日は、このような場にお招きいただき、命蓮寺を代表してお礼を言わせて頂きます」
 
「一人では到底食べきれない量だったから呼んだだけだよ。偶々、今日の手伝いが星だっただけであって、他意は無いから、運が良かった程度に思って食べると良いさ」
 
 これは霖之助の本心だ。
 
 彼としては、この贅沢な夕飯と保存用の内臓の塩漬けが得られただけで、十二分満足しているので、それ以上の物は新鮮な内に皆で食べてしまった方が猪の供養にもなると考えている。
 
 そもそも、大量に残ったところで腐らせるのがオチだし、毎日食べていればどうしても飽きが来る物だ。
 
「そうね。運が良かったと思う前に私に感謝して、酌の一つでもしなさい」
 
 そんな言葉と共に傍らから差し出された御猪口。
 
 視線を上げていくと、そこには何時の間にやら風見・幽香が陣取っていた。
 
 ちなみに、先程までそこに座っていた筈の小傘は、半泣きになりながら隅っこの席で野菜を食べている。
 
 ……風見・幽香レベルが相手だと、まだ相手にもならないか。
 
 霖之助は内心で肩を竦めつつ、目の前の徳利を手に取ると、今回の立役者である幽香の御猪口に酒を注いだ。
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