香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第85話 妖夢と雨月物語
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「店主さーん。お店の掃除終わりましたー……、あれ?」
 
 仕事が一段落着いた報告に、妖夢が居間に顔を出したが、そこに霖之助の姿は無かった。
 
「こっちだよ」
 
 勝手場の方から声が聞こえてきたので、そちらの方へ足を運ぶと、そこでは霖之助が蒸籠を前に真剣な表情で料理していた。
 
「……何を作ってるんですか?」
 
 昼食が終わったばかりで、まだ夕飯の準備には早い筈だ。
 
 対する霖之助は窓から外を眺めながら、
 
「今日は中秋の名月だから団子をね」
 
 言われて思い出し、妖夢も窓の外へと視線を向ける。
 
 しかし空は残念な事に曇っており、この分では夜には雨が降っているだろう。
 
「今年も雨月になりそうですね……」
 
 妖夢が何気なくそう言った瞬間、霖之助が手に持っていたお玉を取り落とした。
 
 そして驚愕の表情で少女の顔を見つめ、
 
「馬鹿な……、妖夢が雨月を知っているだと?」
 
「それくらい知ってます! 馬鹿にしないでください!?」
 
 霖之助は深呼吸をして心を落ち着かせると、
 
「なら質問しようか。……雨月とは一体何の事を指す?」
 
「えっと……、確か雨の日のお月見の事ですよね? お団子とかの丸い物を見て名月を想像しながらお月見を楽しむっていう」
 
「ほう」
 
 妖夢の答えに半ば本気で感心しながら霖之助は頷き、
 
「大まかに言えば大体そんな所だ。――しかし良く知っていたね」
 
「はい、以前、幽々子様に教えて頂きました」
 
 ……なるほど。やはり彼女は風流を理解した雅な女性だ。と納得しつつ、霖之助は雨月という単語から、ある物語を連想する。
 
「そう言えば、外の世界の本で雨月物語というものがあってね」
 
「雨月物語ですか?」
 
「あぁ、気になるんなら貸し出しするが、読んでみるかい?」
 
 勿論、貸し出し代金は妖夢のバイト料に加算される。
 
 そんな事は知らない妖夢は、霖之助が本を貸してくれる事など珍しいので、思わず頷いてしまった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 あの読書好きな店主が貸してくれるくらいだから、余程面白い本なのだろう。と期待に胸を膨らませて五冊の本を胸に抱えながら冥界へと帰った妖夢。
 
 白玉楼に帰り着いた妖夢は帰宅の挨拶を幽々子にすると、今日香霖堂で起こった事を報告する。
 
「あら、本をお借りしたの」
 
「はい、雨月物語という本なんですけど」
 
 結構、昔の本だ。大分前に紫が貸してくれた覚えがある。
 
 細かい内容までは覚えていないが、
 
 ……妖夢には向かない話よね。
 
 あの店主の事だから、他意は有りそうだが。
 
 幽々子がそんな事を考えていると、妖夢が借りるに至った経緯を話してくれた。
 
「――というわけで幽々子様に教えていただいただいていたお陰で、店主さんを見返す事が出来ましたし、本も借りる事が出来ました」
 
 今日は良い日です。と言う妖夢に、幽々子は納得しながら、
 
 ……風流の何たるかを理解しないまま形だけの知った風をするからバチが当たったのねぇ。
 
 ならば、妖夢の今後の教育の為にも霖之助が貸してくれた本を使わせてもらうべきか。
 
「そう、なら読み終わったらどんなお話だったか教えてくれるかしら」
 
 そう言うと、妖夢はキョトンとした表情で、
 
「それでしたら、幽々子様が先に読まれますか? 私は寝る前に少しずつ読むだけですので、遅くなると思いますし」
 
「又貸しは駄目よ妖夢。それは貴女が店主さんからお借りした物でしょう?」
 
 ヤンワリと窘めつつも、逃げ場を塞いでいく幽々子。
 
「あ、はい。そうですね、分かりました。じゃあ、なるべく早く読み終わるようにします」
 
 そう告げ、早速今晩から読み始める事にした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  雨月物語序
 
羅子撰水滸。而三世生唖児。紫媛著源語。而一旦堕悪趣者。蓋為業所?耳。然而観其文。各々奮奇態。?哢逼真。低昂宛転。令読者心気洞越也。可見鑑事実于千古焉。余適有鼓腹之閑話。衝口吐出。雉?竜戦。自以為杜撰。則摘読之者。固当不謂信也。豈可求醜脣平鼻之報哉。明和戊子晩春。雨霽月朦朧之夜。窓下編成。以?梓氏。題曰雨月物語。云。剪枝畸人書。 印(子虚後人)印(遊戯三昧)
 
 序文からしてコレだ。未熟な妖夢には何が書いてあるのかサッパリ分からない。
 
 ……よし、このページは無視して読める所から読んでいこう。
 
 そう結論し、本編へのページを捲って愕然とする。
 
 本編は漢文ではなかったものの江戸時代の崩し字だ。
 
 漢文よりは幾らかはマシとはいえ、それでも妖夢には読む事が出来ない。
 
 ……ど、どうしよう。
 
 考えられる方法としては、誰かに教えを請う。又は辞書を借りて自力で調べる。のどちらかだが、妖夢には日中は白玉楼の庭の手入れという仕事があるので誰かに教えを請う時間の余裕は無い。
 
 よって辞書を借りて自力で調べるしかないのだが、問題は古文の翻訳辞書など何処で貸してくれるか、だ。
 
 そんな物を持っていそうな心当たりは四人、稗田・阿求と上白沢・慧音、紅魔舘のパチュリー・ノーレッジに香霖堂店主、森近・霖之助。
 
「明日、人里に行った時に慧音さんに聞いてみよう」
 
 常識人である慧音なら、特にこれといった条件も無く辞書を貸してくれるだろう。
 
 そう算段し、今日の所は眠りに就いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 結論から言おう。
 
 妖夢は結局、霖之助から辞書を借り受ける事になった。
 
 慧音は辞書を持っていたのだが、今は他の者に貸し出し中とのこと。阿求は辞書無しでも読めるので、持っていなかった。パチュリーは貸し出しの為の条件が厳しく断念。
 
 仕方無く霖之助に頼んで借りる事になったのだが、理由を言うと意外な程簡単に貸してくれた。
 
 但し、最後まで読み切る事という条件を付けられたが、これは幽々子との約束があるので何も問題は無い。
 
 ……もっとも、妖夢が知らないだけで、霖之助の帳簿にはちゃんと貸し出し料金が加算されているが。
 
 ともあれ、無事に翻訳辞書を借りられた妖夢はその日の夜から読書を再開させた。
 
「……えーと、逢坂山の関、……関守? に通行を許され」
 
 辿々しくも訳していく妖夢は第一章である白峯の翻訳に、まる一週間を費やした。
 
 その後、改めて最初から読み直し、そこでようやくこの本が怪談の類である事に気付いて顔を青くさせる。
 
「な、な、な……」
 
 魂魄・妖夢。――怪談や肝試しや暗闇が苦手。
 
「――――ッ!?」
 
 声にならない悲鳴を挙げる妖夢。――本当ならば、こんな本、即刻叩き返してやりたいところだが、幽々子と霖之助の約束がある為、それが出来ない。
 
 ……の、残りは明日に。
 
 こうして、嫌な事を先送りにする事で、香霖堂への借金が増加していっている事に彼女が気付くのは、一月を過ぎてからの事だった。
 
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