香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第83話 回想B
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 男が東風谷に結婚を申し込んでから一年後……、二人の間には子供も出来、特にこれといったトラブルも無く安穏とした生活を送っていた。
 
 東風谷は子育ての傍ら風祝としての勤めをこなし、男は神社の雑務の片手間に道具を製作してはそれを売って得たお金で家族を養い、また二柱も過保護なまでに子供を可愛がった。
 
 現在、居間では男が制作した御柱型積み木を積み上げる赤子を一喜一憂しながら二柱が見守っている。
 
 ちなみに、この御柱型積み木。樹齢五百年を超える霊木で制作されている為、赤子が癇癪を起こして二柱に積み木を投げつけるだけで、それなりのダメージを与える事が出来る優れ物だ。
 
 今も、赤子が投げた積み木が、諏訪子によって盾にされた神奈子の鼻っ柱に直撃。
 
 余りの激痛の為、畳の上をのたうち回る神奈子を見て、赤子が手を叩いて喜ぶ横で諏訪子が爆笑しているという状況だ。
 
 ここ最近のパターン通りならば、この後、神奈子と諏訪子が大喧嘩を始めようとするも、険悪な雰囲気を察した赤子が泣き始める為、二人が必死にあやそうとして喧嘩どころではなくなるだろう。
 
 ……平和だな。
 
 と思いながら、傘に傘布を張っていると、諏訪子がこちらにやって来て、
 
「ねぇ、私が頼んどいた鉄輪は?」
 
 どうやら、何時も神奈子の玩具ばかりで遊ぶ為、競争心を刺激されたらしい。
 
 男はやや呆れたような声色で、
 
「まだ掴まり立ちも出来ない子には早すぎるのでは?」
 
「そうかな? でも人間ってすぐ大きくなるでしょ」
 
「鉄輪で遊べるくらいに大きくなるまで、まだ四,五年は掛かりますよ」
 
 とはいえ、神である諏訪子からしてみれば、四,五年などあっという間だろう。
 
「とにかく作っといてよ」
 
 言うだけ言って踵を返し、赤子をあやしに戻ろうとした所で思い出したように振り向き、
 
「……その傘、絶対に売れないと思う」
 
 言われた男は、手元の傘に視線を落とし、手の内の蛇の目傘を開閉してみせ、
 
「いたって普通の傘だと思いますが?」
 
「いや、だって色が茄子みたいだし」
 
 男は再度視線を傘に落とし、その色を確認すると、
 
「紫色は聖徳太子が定めた冠位十二階において、最上位である大徳の冠の色ですよ。
 
 多少なりとも学のある者なら、喜び勇んで買っていくでしょう」
 
 自信満々に男は言うが、彼がそういう時に限って、道具が売れた試しが無い。
 
 無駄な蘊蓄を含ませず、万人受けするような、もしくは流行の物だけを作っていれば、十二分に利益が見込めるであろう程に物作りの技は匠級であるというのに、無駄な事……、今回でいえばいくら偉い色かもしれないが、センスの悪い色にしたりする為、売れなくなるのだ。
 
 言っても無駄だと悟った諏訪子は諦めの溜息を吐き出し、
 
「じゃあ、作っといてね」
 
 言って赤子をあやす為、素早く神奈子の背後に回り込み、彼女の顔を力一杯横に引っ張る。
 
 額に井桁を浮かべつつも赤子の前なので笑顔を絶やさない神奈子を眺めつつ、
 
 ……鉄輪より先に彼女の巫女装束だな。
 
 祭りで行われる神楽舞。
 
 ゆっくりと大きく身体を回す仕草の多い神楽舞の見栄えを良くする為に、新しい巫女装束を現在制作中だ。
 
 袖口を不自然にならない程度に大きくし、更には袖が服から切り離された画期的なデザインの服なのだが、彼女は気に入ってくれるだろうか?
 
 そんな事を考えながら、遂には取っ組み合いの喧嘩を始めた神様達を横目で眺めつつ、男は子供が被害を受けないように己の膝上に保護し傘張りを再開する。
 
「飽きませんねぇ、お二人共」
 
 優しい声色に顔を向けて見ると、そこでは妻となった少女が男にお茶の入った湯飲みを差し出していた。
 
「あぁ、ありがとう」
 
 礼を言って受け取ると、代わりとばかりに赤子を優しい手付きで抱き上げる。
 
 それまでぐずついていた赤ん坊が嘘のように笑い始めるのを見て、東風谷も笑みを浮かべながら男の傍らに腰を下ろした。
 
 彼女と娘が傍らに居る。
 
 それだけの事で自然と心が安らぐのを自覚しながら、男は平穏を噛み締めた。
 
 だが、物事の終演は唐突にやって来る。――その平穏は余りにも短く儚いものだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その年の秋の事だ。
 
 今年は収穫前に連続で到来した台風のお陰で、大凶作に見舞われ、更には流行病の為、沢山の死人が出た。
 
 人間というのは弱い生き物だ。――飢えて余裕が無くなれば、自分達の辛い現状を誰かの所為にしようとして生け贄を求める。
 
 そして、生け贄には自分達とは違う者、異形の者が選ばれる事が多い。
 
「まぁ、遅かれ早かれこういう日が来るとは思っていたけれどね……」
 
 どこか諦観した声色で、麓からやって来る幾十。幾百もの松明の明かりを眺めながら男が呟く。
 
 村人達が不満の矛先にと選んだのは、自分達と異なる容姿を持つ男だった。
 
「随分と達観しているようだけど、どうするつもりだい? このままじゃ、神社ごと焼き討ちに遭いかねないよ」
 
 問い掛ける神奈子の傍らには、諏訪子と不安そうな表情をした東風谷の姿がある。
 
「手は有りますよ」
 
 ……余り嬉しく無い事ではあるが、迫害される事には慣れている。
 
 気負い無く告げる男は、東風谷の元まで歩み寄ると、
 
「良いかい。彼らの前で僕を殺すんだ」
 
「……え?」
 
 男の言っている事が理解出来ないと、呆然としている東風谷に対し、男は更に言い募る。
 
「君が僕を倒す所を見せつければ、神社と君達の身柄は保証される。
 
 最悪、村人達に君の力を見せつける事によって、畏怖を与え君に危害を加えようという気を削ぐ事が出来るだろう」
 
「で、でも……!?」
 
「あぁ、勿論、本当に殺したりはしないでくれ」
 
 抗議の声を挙げようとしていた東風谷は、男のその台詞によってそれ以上の言葉を封じられた。
 
「君の力なら、強風か何かで僕の身体を遠くに飛ばす事も出来るだろう?
 
「は、はい……。それくらいなら出来ますけども……」
 
 おそるおそる頷く東風谷に対し、男も頷き返し、
 
「君に遠くまで飛ばされた後、僕はほとぼりが冷めるまで、暫くこの地を離れる事にする。
 
 その間、娘の事は頼めるかい?」
 
 ようは、追儺の儀を見立てれば良い。
 
 男を疫病神(鬼)に見立て、村人達から私刑に遭う前に東風谷の手により退治されたと思わせれば、彼らの気も済むだろう。
 
 ジッと目を見つめて話す男の眼差しから、どのような意思を読み取ったのか……、東風谷は一度深く目を閉じると、数瞬の後には覚悟を決めた表情で力強く頷いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 結論から言おう。
 
 男の作戦は上手くいった。
 
 予め落下地点で待ち構えていた神奈子が男の身体を受け止める事で、あの状況を怪我人一人出す事も無く乗り切ってみせた。
 
「悪いね。アンタ一人を悪役にしちゃってさ」
 
「慣れてますからね。――大丈夫ですよ」
 
 神奈子から背負子と変装用の三度笠と外套を受け取り手早く身に着ける。
 
「では、彼女達の事をよろしくお願いします――」
 
 深々と一礼し、踵を返した男の背中に向け、神奈子が声を放つ。
 
「……もう、戻らないつもりかい?」
 
 思わず歩みを停めた男は、暫く無言でいたが、諦めたように口を開き、
 
「僕の成長は、人間と比べて遙かに遅いですからね。……このまま此所に居着けば、きっと何時の日か今日のような事になっていたでしょう」
 
 ……だから、自分のような疫病神は居ない方が良い。
 
 歩き出し掛けた男は、何かを思い出したように立ち止まり、
 
「最後に三つ程お願いがあるんですが」
 
「微妙に多いね……」
 
 肩を竦める神奈子に構う事無く、男は懐から鉄の輪が組み合わされた玩具を取り出し、
 
「これを諏訪子様に渡しておいてください」
 
「何だい、こりゃ?」
 
 不審げに指先で摘み上げてみる。
 
 妙な力は一切感じないが……、
 
「知恵の輪かい?」
 
「えぇ、本当は鉄の輪を頼まれていたんですが、時間と材料が無かったので。――これで我慢してもらってください」
 
「……アンタ、諏訪子ナメてるね」
 
 ニヤリと笑う神奈子。
 
 男は懐から、蛙と蛇を模した二つの髪飾りを取り出すと慎重な手付きで神奈子に手渡し、
 
「これは、娘が風祝として成長した時に……」
 
 蛇と蛙……。すなわち、自分と諏訪子だ。
 
 二柱の加護が有りますように、と願の込められた髪飾り。
 
「分かった。確かに受け取ったよ」
 
 そして、最後に――、
 
「僕の部屋の押し入れの中に、新しい巫女装束が隠してあります。
 
 それを彼女に渡しておいてください」
 
 本当は、サプライズとして前日に渡すつもりだったのだが……。
 
「あい、分かった。任せておきな」
 
「お願いします」
 
 再度、深々と頭を下げ、今度こそ歩み始める男の後ろ姿に向け、神奈子は軽い調子で声を投げ掛ける。
 
「そうそう、私には何も無いのかい?」
 
「押し入れの中に、僕の秘蔵のお酒が入ってますから、それを差し上げますよ」
 
 止まる事も振り返る事もせず、今度こそ本当に男は守矢神社から姿を消した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 村人達が去っていった境内において、立ち竦む東風谷と、その傍らに立つ諏訪子の姿だけがあった。
 
 東風谷は男が飛んで行った山の方を向いたまま、
 
「……あの人はきっと、帰ってこないでしょうね」
 
「そう思う?」
 
「はい……。私と娘のことを大切にはしてくださいましたけど……」
 
 愛してると言ってくれた事は一度も無かった。
 
 だが、それでも間違い無く、
 
「私は幸せでした……」
 
 必死に感情を見せまいとして告げる声は、むしろ痛々しい。
 
「……泣きたい時は、思い切り泣けば良いよ。泣いた所で現実は何も変わらないけど、気持ちの整理だけは着くからさ」
 
 今の諏訪子に出来る事は、そんな助言が精々だった……。
 
「はい……。少し、部屋に戻りますね。――赤ん坊の事、よろしくお願いします」
 
「うん……」
 
 力無い足取りで部屋に向かう東風谷を見送った諏訪子は、己の不甲斐なさに奥歯を強く噛み締めた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そして、時代は現代へと戻る。
 
 守矢神社の縁側で、知恵の輪を弄ぶ諏訪子の隣に、一升瓶を片手に持った神奈子が腰を下ろす。
 
 神奈子は半眼で諏訪子の手にある知恵の輪を見ながら、
 
「……まだそれ解けてなかったのかい?」
 
「これ、絶対解けない呪いが掛けられてんのよ!?」
 
 無愛想な制作者の顔を思い出し歯噛みする諏訪子。
 
「解けない呪いって……、私や早苗は普通に解けたじゃないか」
 
 彼女達だけではない、歴代の風祝達も皆解いている。
 
「あーうーッ!?」
 
 諏訪子が霖之助に対し、不機嫌だった理由がこれだ。
 
 この知恵の輪を貰ってから、今まで一度たりとも解けた事が無い。
 
 皆も解けないというのであれば、まだ諦めもつくが、解けないのは自分一人だけ。
 
 あの男が妙な呪いを掛けているのでは? と疑いたくもなる。
 
 ちなみに、霖之助がかつての風祝との約束を守らなかった事に関しては、村人達を抑えきれなかった自分の力不足として認識している上に、神奈子からも事情を聞き及んでいるので、彼に対する怒りは無い。
 
「あーもー……、解けない!?」
 
 諦め、寝転がる諏訪子が何となく視線を向けた先では、神奈子が一升瓶からコップに酒を注いでいるところだった。
 
「……何それ? 共食い?」
 
 神奈子の手にある一升瓶の中、そこには既に息絶えている蛇……、正確にはマムシが漂っている。
 
 霖之助の置き土産だった酒がマムシ酒だったわけだが、試しに飲んでみると、これが結構美味かった。
 
「飲むかい?」
 
「絶対、嫌ッ!」
 
 しかめっ面の諏訪子を肴に、神奈子は酒を呷った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 是非曲直庁における閻魔の執務室の一つ、四季・映姫・ヤマザナドゥの部屋。
 
 無言のまま、堆く積まれた書類に目を通していく映姫。
 
 時折書類に筆を走らせ、判子を押していくという作業を行う彼女の手にある書類は転生者の住所移転の報告書だ。
 
 日付が一年以上前のものなので、また何処かで書類が停滞していた事に溜息を吐きつつも目を通す。
 
 ……横の繋がりが、余りにも疎か過ぎますね。一度、全面的に改訂した方が良いとも思うのですが。
 
 それをやると、混乱を招き仕事が停滞する可能性も出てくるので、一概に良いともいえないのだが……。
 
「おや?」
 
 書類に添付された顔写真と前世と現世を見比べ、小さく驚きの声を挙げる映姫。
 
「これは珍しいケースですね」
 
 転生前と転生後で同じ血縁を選ぶとは……。
 
 御阿礼の子のように、転生を繰り返えしてきたわけではなく、また限定的とはいえ記憶を継承しているわけでもないので、寿命自体は普通と変わりないようだが、
 
 ……まぁ、なんの問題も無いでしょう。
 
 そう考えて判子を押した書類には、かつて霖之助の妻だった女性の名前と、東風谷・早苗の名前が書かれていた。
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