香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第82話 回想A
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ねぇ、神奈子」
 
「んー……」
 
 余り興味無さげな様子で座敷に座る二人の男女を眺めながら問い掛けるのは、カエルを模した帽子を被った幼い容姿の少女、洩矢・諏訪子だ。
 
 対する神奈子と呼ばれた赤い衣装の女性は、これもまた興味無さげに生返事を返す。
 
「これで何度目の縁談だっけ?」
 
「さぁ? 400から先は数えて無い」
 
「……って言うか、これ見合い?」
 
 二人がやっているのは、歓談ではなく読書だ。
 
 ここ守矢神社にまつわる書物を二人で紐解いているだけで、事情を知らない第三者が見て、これが見合いだと分かる者は居ないだろう。
 
「あの男もいい加減諦めたら良いのにねぇ。余所に良い人でも居るんじゃないのかい?」
 
「それとなく聞いてみたけど、……ありゃ駄目だよ。結構口が固いわ」
 
 そんな益体も無い話をしていると、丁度本を読み終わったのか、二人が同じタイミングで本を閉じ、
 
「そろそろ買い物に出掛けようと思うのですが、荷物持ちを頼めますか?」
 
 問い掛ける東風谷に対し、男は僅かに思案すると、
 
「去年醸造したお酒があっただろう。……あれを晩酌に出してくれるなら、荷物持ちをしてあげても良い」
 
 対する東風谷は呆れた表情で、
 
「あれは神奈子様達に捧げる為の御神酒ですよ?」
 
「その神様も一緒に飲むんだ。問題は無いと思うが」
 
 ……そういう問題なのかしら?
 
 思わず考え込んでしまう東風谷だが、答えは明後日の方向からやって来た。
 
「そう言う事なら全然構わないさ。――先に始めてるから、とっとと買い物済ませといで」
 
「早く帰って来ないと、全部飲んじゃうよー♪」
 
 先程まで二人の様子を覗いていた二柱だ。
 
 というわけで、二柱に追い出される形で二人は近くの里に買い物に出かける事になった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 さて、麓の里についた二人は、米や味噌、醤油といった備蓄品を次々と買い込んでいくのだが、男が逃走しないように、と東風谷が必要以上に近づいている事と、男の外出時には必ず東風谷が付いている事から、里人達からは仲の良い新婚、またはオシドリ夫婦として知れ渡っていた。
 
 その証拠に店で買い物する度に、「今日も仲が良いねぇ」などと冷やかされるのだ。――その度に嬉しそうにする東風谷に対し男は無愛想に肩を竦めるだけなので、旦那の異人さんの方は、まだ日本語が良く分かっていないと思われていた。
 
 ……というか、どう見たらオシドリ夫婦に見えるんだ? どう見ても罪人と看守だろうに。
 
 と内心で溜息を吐く男。
 
 そんな男の心の内など何処吹く風と、東風谷は酒の肴を探し始めた。
 
 東風谷の後ろ姿を眺めながら、男は何気なく思考する。
 
 ……東風谷、谷を抜けば東風、読み方を変えれば東風(とうふう)だ。そして、とうふうを漢字に変換すれば豆腐。
 
「……湯豆腐なんかどうだろう?」
 
「あぁ、良いですねぇそれ。……ただ、何となく失礼な連想から湯豆腐に行き着いたような気がするんですが」
 
「気のせいだろう……」
 
 ……何故この娘はこうも勘が良いのだろう?
 
 男の提案にのって絹ごし豆腐を購入する東風谷。
 
 こうして買い物を終えた二人は神社に帰る事にしたのだが、その途中、先行する東風谷が後ろを振り向かないまま男に質問を投げ掛けてきた。
 
「■■さんは私の事がお嫌いですか?」
 
「突然だね。……何故いきなりそんな事を?」
 
 唐突な質問に僅かに動揺しつつも、男はそれを悟られないように平然を装い、質問を持って応える。
 
「二年近く振られ続けてきたら、誰だって多少は自信を喪失します」
 
「二年近く振られ続けておいて、多少の自信喪失程度で済んでいる君が凄いと思うよ」
 
 肩を竦め、冗談で返してみるも、東風谷からは切り返しの毒舌が返って来ない。
 
「■■さん。……私は、物心付いた時から風祝として育てられてきました。それ故、それ以外の生き方を知りません。
 
 私にとって、子供を成し次代の風祝として育てるのも風祝としての生き方故です」
 
「大した信仰心だ。ある意味尊敬するよ。……見習いたいとは微塵も思わないが」
 
 人と妖怪。双方から忌避されながらも自由奔放に生きてきた男からすれば、信じがたい人生だ。
 
 しかも彼女は現人神とはいえ寿命は人間とさほど変わらない。
 
 さして長いとも言えないような人生を信仰の為だけに費やすなど、男からすれば馬鹿げているとしか思えない。
 
 だが、東風谷は気にする事なく、
 
「ただの義務でしかなかった人生の中に、私、楽しみを見つけられたんです。
 
 普通の女の子みたいに恋愛して、その人と結ばれて子供を成して、その子供を立派な風祝に育てる」
 
 そう言って振り返った彼女の顔は、悲壮感など微塵も無い笑顔だった。
 
「だから……、私の楽しみの為にも意地でも結婚してもらいます!」
 
 ……馬鹿げてる。
 
 男はそう思う。
 
 人生の全てを宿命の為だけに費やしながらも、己の宿命を呪うではなく、むしろ全力で取り組もうとする生き方。
 
 しかも、そんな人生の中でなお楽しみを見つけようと言うのだ。
 
 ……そんな馬鹿、阿七一人で充分だ。
 
「……東風谷」
 
「はい、何ですか? 結婚してくれる気になりました?」
 
「ならないよ。……そんな事よりも、君は風祝という宿命から逃げ出したいと思った事は無いのかい?」
 
「ありませんよ」
 
 即答。
 
「私は充分幸せですし、風祝である事に誇りを持っています。……ただ、私は欲張りなので、もっともっと幸せになる為に■■さんと結婚したいと思いますし、子供も欲しいと思っています」
 
「そうかい……」
 
 完敗だった。
 
 自分の価値観で、彼女の人生を勝手に不幸だと判断してそれに否を出していた。
 
 ……間違っていたのは僕の方か。
 
 意固地になる事を捨て、対等の関係になった以上、彼女には命を救われたという大恩が残る。
 
 ……命を助けてもらった恩を返すには、
 
「どうしました? ……何か考え込んでるみたいですけど」
 
「あぁ、ちょっとね。……何と言って君に結婚を申し込もうか考えていた」
 
 ……新しい命を育む事で返すとしよう。
 
 半妖の寿命は人間と比べると遙かに長い。その内の幾ばくかを彼女の為に費やしても罰は当たらないだろう。
 
 一瞬、泣きそうな表情の慧音が男の脳裏を横切ったが、その感情を無理矢理に飲み込む。
 
 人であることを捨ててでも自分と同じ時を歩こうとしてくれた慧音の想いはありがたいと思う反面、その愛が男には重荷だった。
 
 ……もし愛故に、彼女が人としての人生を放棄したというのであれば、僕は二度と人を愛さない。
 
 そう決意し、男は改めて東風谷に結婚を申し込んだ。
 
 ――それは愛の無い、同情と後悔と義理と恩返しがない交ぜになった非常に危うい結婚だった。
 
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