香霖堂繁盛記
書いた人:U16
第81話 回想@
幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
掲げられている看板には香霖堂の文字。
店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
●
守矢の神社から香霖堂に戻った霖之助は、店を開けるのではなく家の縁側で一人酒を飲んでいた。
その傍らには、先程諏訪子から譲られた桐箱に収められたままの服がある。
霖之助は無言のまま酒を飲み、視線を巫女装束に落としては、また酒を飲む。
彼が回顧しているのは、この巫女装束を身に着けていた女性、……かつて守矢の風祝との事だ。
●
時は数百年前まで遡る。
――慧音が霖之助と同じ時を歩もうと人であることを捨て、霖之助が慧音を人の道から外してしまった事に後悔して彼女の前から姿を消した十数年後。
幻想郷を出て全国を行脚していた当時の彼は、非常に拙い状況に陥っていた。
……まさか、この時期に熊と遭遇するとは思わなかった。
男が一歩を進む度に、新雪の白の上に紅い斑点がまるで花のように広がっていく。
幾重にも重ね着した分厚い着物の上からでも出血が確認出来る以上、生半可な怪我では無いだろう事は容易に想像出来る。
「……拙いなこれは」
血が流れすぎた為、意識が朦朧としてきた。
近くに民家は見えないし、仮に有ったとしても、銀髪に金色の瞳をした男など不気味がって助けようとはしないだろう。
重くなる足取りを自覚していた男だが、やがて力尽き前のめりに倒れ伏した。
……ここまでか。
死が迫っているというのに、不思議と恐怖は無い。
……未練と言えば、最後に一言慧音に謝りたかったな。……阿七のバカはもう死んだんだろうか? 博麗の巫女に取られた陰陽玉も取り返したい。……そういえば風見・幽香にも傘を取られたままだったな。……いや、いっその事、アレ等よりも良い道具を作って見せびらかせてやるというのも面白そうだ。
もはや立ち上がる事さえも困難な程に疲弊しきっているというのに、そんな想像をするだけで頬がにやけてくる。
とはいえ、それが限界だ。
白の中に大輪の紅い花を咲かせ、男の意識は闇の中に飲まれていった。
●
次に男が目を覚ました時、そこは雪の中でも彼岸でもなく、暖かい布団の中だった。
「…………」
上体を起こそうとするが、腹に鋭い痛みが走り怪我をしている事を思い出し、――次に生きている事を自覚した。
ひとまず生きている事に安堵の吐息を吐き出して、周囲を見渡して見るものの、まったく見覚えの無い場所だ。
「……ここは?」
怪我を刺激しないように、ゆっくりと上体を起こし部屋の中を観察していると、襖が開き、手に盆を持った少女が現れた。
「あ、駄目ですよ、まだ起きちゃ……」
小走りに駆け寄り、男の傍らに膝を着くと彼の身体を労るように優しい手付きで寝かそうとする。
目覚めたばかりの男にそれに逆らえる程の体力は無く、少女に促されるままに横にならざるをえなかった。
「……君が、僕を助けてくれたのか」
「あ、はい。里からの帰りに倒れている貴方を見つけたもので」
改めて少女の姿を観察してみると、白の小袖に水色の袴という巫女さんの恰好をしている事に気付いた。
男は皮肉げな溜息を吐き出し、
「物好きな……、よくこんな容姿の男を拾って帰ろうなどと思ったものだ」
180を越す長身に銀の髪と金の瞳。
どうみても、真っ当な日本人ではない。
当時の日本はまだ鎖国していた時代だ。外国人は非常に珍しい存在であったし、当時の日本人達からすれば言葉も通じず文化も違う彼らは近寄りがたい者の筈だ。
「……その恰好からして、もしかしてここは神社なのか?」
「はい。八坂・神奈子様と洩矢・諏訪子様を奉る守矢神社。私はこの神社で風祝を勤める東風谷と申します」
人好きのする笑顔で告げる少女に対し、男も小さくお辞儀して、
「僕は■■・■■……。行商人の真似事をして生計を立てている」
一通りの挨拶を済ませた男は吐息を一つ吐くと、
「何かお礼になるような物でもあれば良いんだが……」
言って、周囲を見渡し、自分の荷物を探そうとするが、それよりも早く障子の向こうから声が掛けられた。
「お探しの品はコイツかい?」
やって来たのは赤い装束を身に纏った女性だ。
「八坂様」
八坂と呼ばれた女性の放つ威圧感にも似た神気に気圧されつつも、男は極力平静を装って頷き返し、
「えぇ、それです」
女性から背負子を受け取った男は一息を吐く。
「悪いね。少し、中を検めさせてもらったよ」
助ける為とはいえ、素性も知れない、しかも人間ですらないような者を敷地内に入れたのだ。そのくらいの警戒はしてしかるべきだろう。
その事に関しては、余り気にしていない男であったが、問題は神奈子から受け取った背負子が熊に襲われた際に損傷しており、荷物の大半が失われていた事だ。
「……まいったな、これは」
どうしたものかと溜息を吐く男に対し、神奈子は唇の端を吊り上げて笑みを浮かべると、
「そうだね……。なら、こういうのはどうだい?」
神奈子の持ち掛けた提案は、男の怪我が癒えた後で働いて恩を返してもらおうというものだった。
確かに女所帯の守矢神社では、年中男手が足りていないが、普段の東風谷であれば、流石にそこまでしてもらうわけにはいかないと口を挟む所である。……が、今回、神奈子の真意が男の足止めと怪我の治療にあると見抜き、彼女も特に何も言わずにいる事にした。
男も神奈子の真意に気付いたのか、一度頭を下げると、
「では、お言葉に甘えさせてもらいます」
「ま、ゆっくり養生しな」
対する神奈子は気軽に手を振って、部屋を後にした。
黙礼で神奈子を見送った後、東風谷は男に対し持って来た手桶を引き寄せると、
「では■■様。包帯のお取り替えを」
「いや……、それくらいは自分で」
男が遠慮しようとするが、東風谷の方が早い。
手早く男の着物をはだけさせると、包帯の代わりに巻いていたサラシを解き、傷口に当てていた酢を湿らせた布を外してしまう。
「まぁ……、もう傷が」
既に血は止まり、傷口も塞がりかけている。
「ご覧の通り、僕は真っ当な人間じゃあない」
どこか自虐的に零す男に対し、東風谷は当て布を取り替えながら、
「実は私も、真っ当な人間じゃ無いんですよ」
えへん、と胸を張り、
「こう見えても私、現人神なんです」
一息を吐き、
「私達、似た者同士ですね」
人好きのする笑みでそう言った。
男からすれば、望まれずに生まれてきた自分と、望まれて人から外れようとする彼女では似た者同士どころか、天と地ほども違いがあるのだが、これから暫くは世話になる身だ、わざわざ話をこじらせる事もあるまいと適当な愛想笑いを浮かべて、頷いておいた。
●
それから数日後、男の怪我も癒え守矢神社の手伝いの一環として薪割りをしていると、童のような女の子に声を掛けられた。
「へー……、貴方が神奈子の言ってた半妖?」
一抱え以上もある岩の上に座わり無遠慮に男を観察するような眼差しで見つめる少女は、一目見て分かる程の神気を持ち合わせていた。
「……君、……いや、貴女も神様ですか?」
「そ、洩矢・諏訪子。よろしくね、半妖君」
男は一息を吐いて、薪割りに使っていた鉈を台座に打ち付けると、
「それで? その洩矢様が、何の御用で?」
「何って……、うちの風祝の旦那になる人がどんなのか見に来たんじゃない」
「……は?」
今、彼女は何と言った? 旦那?
「旦那だって?」
「あれ? 聞いてない?」
諏訪子は意外そうな表情で、
「年代を重ねる度に神の血が薄くなってきてるからね、このままじゃ風祝としての能力も危うくなってくるからさ、ここらで新しい血を入れみようって事になったんだけど。
あぁ、別に神で無くても良いの。妖怪も神も似たようなものだし」
言って、無邪気な笑みを浮かべ、
「それに、これが一番重要なんだけども、あの娘も貴方の事、気に入ってるみたいだし」
諏訪子はそう言うが、対する男は無意識の内に顔が不機嫌なものへと変わっていた。
「そんな嫌そうな顔しないでよ。――あの娘、器量好しだし、家事上手だし、お買い得物件だと思うけど?」
それに、
「自分と同じような人に出会えたって喜んでたし」
あくまでにこやかに告げる諏訪子。対する男は努めて無表情に、
「僕と彼女とでは、全然違いますよ。
彼女は人に望まれるべき現人神で、僕は人からも妖怪からも忌まれる半人半妖だ。
僕と彼女が一緒になろうなんて、おこがましいでしょう」
彼女の生まれに嫉妬しているのか、どうしても男の口調は自虐的なものになってしまう。
だが、諏訪子はそんな男の言う事など余り気にしていないのか軽い口調で、
「まぁまぁ、そんな事言わないで、仲良くしてあげてよ」
言って、岩の上から立ち上がり姿を消した。
●
諏訪子から話を聞いたのか、ここ数日で男の性格を把握していた神奈子の行動は迅速だった。
その日の昼には既に縁談の準備が整っており、気が付けばその席に着かされていた。
「すみません■■様。ご迷惑をお掛けしているようで……」
謝りはするのものの、何処か東風谷の表情は楽しそうだ。
「……何だか、楽しそうだね」
憮然とした表情で男が告げると、東風谷は隠そうともせず、
「えぇ、実は楽しいです」
はにかみ、
「実は、振り袖に憧れてまして」
風祝という役職柄、幼少時の頃から何時も巫女装束だったので、こういう振り袖には憧れていたらしい。
「振り袖にねぇ……」
東風谷の初めて見せる少女のような表情に、男は口元に笑みを浮かべながら立ち上がり、
「なるほど、じゃあこの話は無かった事に」
「ちょっと、ちょっと待って下さい!? 何でそうなるんですか!?」
立ち去ろうとする男を必死に止めようとする東風谷。
対する男は憮然とした表情で、
「気にしないでくれ。今し方振り袖が嫌いになっただけだから」
「凄いですね、屁理屈にすらなってませんよそれ」
呆れつつも、何とか男を再び席に着かせる事に成功した。
「それで、■■様。私と結婚してくれるつもりはありますか?」
「無いよ」
キッパリと断言する男に対し、東風谷は全くと言っていいほど気にした様子も見せず、
「それは奇遇ですね。私は結婚する気満々ですよ。
子供はやはり二人ですかね、一姫二太郎とも言いますし」
「人の話を聞いていたかい?」
「聞いてませんよ。だって、聞くと断ろうとするじゃないですか」
「それはそうだろう。……こんな強制的な縁談。
第一あの二柱が求めているのは風祝となる子供であって、別に僕でなくても――」
「私は好きですよ。■■様の事」
予想だにしなかった言葉に、思わず男の時間が止まる。
だが、男はすぐに気を取り直すと、極力無愛想な感じを演出しつつ、
「何を言っているんだ君は? ……こんな老人みたいな銀色の髪で、暗がりの猫みたいな目をした――」
「綺麗ですよ」
男の言葉を遮るように、東風谷は言葉を紡ぐ。
「……私は初めて会った時から、■■様の事は男前だと思ってました。
まあ、少し目つきが悪いのが難点ですけども、……そうだ、今度眼鏡でも掛けてみたらどうでしょう? 少しは印象が柔らかくなるかも」
そういう経験が無い為か、正面から容姿を褒められると、どうにも照れくさい。
男は照れ隠しにそっぽを向きつつ、
「……容姿を褒められたのは、生まれて二度目だよ」
「一番目じゃなかったんですか」
僅かに残念そうな声色で零すも、咳払い一つで気を取り直し、
「それで、私と結婚してくれるつもりにはなってくれたでしょうか?」
「ならないよ」
「……意外と強情ですよね■■様。――益々好きになっちゃいました」
「君も大概物好きだね。――というか、初対面の時と印象がえらく違うんだが」
東風谷は年相応の笑みを見せ、
「こちらが地ですよ」
言うと、すっかり冷めてしまったお茶を一気に飲み干し、
「じゃあ、今日の縁談はこの辺でお開きにしましょうか。――続きはまた明日という事で」
「……明日?」
「はい。■■様が私の事を好きになってくれるまで、縁談は延々と続きます」
屈託無く告げる東風谷に対し、男は心中で、
……良し、逃げよう。
そう決意する。……が、
「あ、逃げられないように結界張ってありますから」
一息、
「覚悟していてくださいね。――絶対、私の事好きにさせてみせますから」
「むしろ、嫌いになりつつあるんだが……」
それが、男と東風谷の馴れ初めだった。