香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第8話 番外編:闇(病み)
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「霖之助さん、居るー?」
 
 との声と共に店にやって来たのは、襟だけが白い袖無しの赤い上衣に黄色いネクタイ。肩から外れた白い袖に下は赤いスカートと、巫女装束と呼ぶには若干異質であるものの、この衣装こそが幻想郷におけるもっともポピュラーな巫女装束を纏った少女。
 
 ともあれ、その正に紅白という言葉がしっくりとくる衣装を身に着けた、博麗・霊夢が香霖堂にやって来た。
 
 普段ならば店の商品を奪いに来たか? 破れた服の修繕か? 夕食をタカリに来たか? のどれかなのだろうが、今日は少し事情が違うようだ。
 
 店の主人、森近・霖之助がそう判断したのは、彼女が背負う風呂敷袋にある。
 
「いらっしゃい。……それで、今日はどんな用だい? その風呂敷の中身を売りにでも来たのかな?」
 
「冗談でしょ? 今やこれこそが、正真正銘、私の全財産よ」
 
 そう前置きし、香霖堂を訪れた理由を話し始めた。
 
 霊夢によると、比那名居・天子という名の天人くずれに神社を崩壊させられたらしい。
 
 当然、その仕返しは30倍返しでフルボッコにしてきた挙げ句、神社の建て直しを命令してきたものの、新しい神社が完成するまで寝泊まりする所が無いという事で、辛うじて無事だった幾ばくかの荷物を持って、こうして香霖堂にやって来たというわけだ。
 
 一通りの説明を受けた霖之助が口を開くよりも早く、いつものように商品である大きな壷に腰掛けた魔理沙が口を開いた。
 
「別にここじゃなくても、他にも色々あるだろ?」
 
 白と黒のエプロンドレスにトンガリ帽子という如何にも魔女ですといった恰好の金髪の少女、霧雨・魔理沙の言葉に対し、霊夢はそこで初めて彼女の存在に気付きましたという風体で、
 
「あら? 居たの。魔理沙」
 
「最初から居たぜ。……それで話を戻すけど、こんなボロい店に泊まるより、紅魔館や永遠亭や白玉楼に泊まった方がよっぽど好待遇が約束されてるんじゃないのか?」
 
 確かに魔理沙の言うとおりだろう。
 
 特に紅魔館の主であるレミリア・スカーレットはいたく霊夢の事を気に入っているので、彼女が頼めば国賓待遇でもてなしてくれる事は間違いない。
 
 しかし霊夢は小さく肩を竦めると、
 
「そう言うわけにもいかないのよ、これが……」
 
 霊夢曰く、幻想郷の秩序を司る博霊の巫女は、人妖どちらかに肩入れする事を禁止されている。
 
 彼女の務めは幻想郷のバランスを保つ事であり、人間と妖怪どちらかの味方をするわけにはいかないのだ。
 
 もし仮に、ここで紅魔館の世話になったとしよう。
 
 すると、紅魔館に借りが出来る事になり、下手をすれば同じ釜の飯を食べた者達へ情が入るかもしれない。
 
 それは、博霊の巫女として絶対にあってはならない感情だ。
 
 逆に人間の里の世話になったとしよう。
 
 博霊の巫女である以上、妖怪退治は彼女の仕事だ。
 
 だが、だからと言って、彼女は無意味な妖怪退治を行ったりはしない。……道すがら、妖怪が居たので退治した挙げ句、その妖怪が読んでいた本を強奪してたりもするが、それはあくまでも人里と神社の道のりを安全を確保して参拝客が安心して神社に来られるようにする為の配慮であり、追い剥ぎとか八つ当たりとか気まぐれとかでは決してない。ないったらない。(ここ重要)
 
 まあ、それは兎も角、人間達が畑を拡張したいので、野山に棲む妖怪達を退治してくれと言ってきたりしても、彼女は断固として断る。──断らなければならない。
 
 妖怪にとって人間が居なくなってしまっては困るように、幻想郷において、人間にとっても妖怪は無くてはならない存在である事は、博霊の巫女である彼女が一番良く知っているし、人間の都合で自らの住処が奪われるという事になれば、妖怪達も黙っていない。
 
 そうなってしまえば、もはやスペルカードルールなど関係無い。血で血を洗う争いがまっているだけだ。
 
 どちらの種族が生き残ろうとも、やがて幻想郷は滅んでしまうだろう。
 
 その為、霊夢は人間でも妖怪でもない、半人半妖の霖之助の元へとやって来た。
 
「それなら別に慧音の所でもいいだろ……」
 
 どこか拗ねたような口調で告げる魔理沙に対し、霊夢はどことなく勝ち誇った表情で、
 
「彼女は人間よりだもの。完全な中立となると、霖之助さんしか居ないし」
 
 そこで言葉を区切り、霊夢は改めて霖之助に向き直ると、
 
「そういうわけで、暫く厄介になるわね。──その代わりに、家事は引き受けるから」
 
 霊夢の申し出に霖之助は暫く思案し、
 
 ……博麗神社に、そんな仕来りはあっただろうか?
 
 と思い返しつつも、……断っても無駄だろうな。と結論した。
 
「分かった。じゃあ、家事は頼むよ」
 
 霖之助の言葉を聞いた霊夢は顔を綻ばせ、
 
「えぇ、任せておいて」
 
 じゃあ、早速と、店にあった適当な着物を手に取る。
 
「……霊夢、何を?」
 
「え? だって、着物これ一着しか残って無いもの。霖之助さんの着物を借りても良いけど、サイズが合ってないから家事とかには不向きでしょ?」
 
 お風呂も借りるわよ。と、だけ告げると、霖之助の返事も聞かずに着物を持って奥の部屋へと行ってしまった。
 
 そうなってくると面白くないのが魔理沙だ。
 
 今まで二人で香霖堂に泊まった経験は何度かあるが、霖之助と二人きりで……、しかもちょっとしたお泊まりではなく、長期滞在ともなれば、幾らあの霖之助が相手とはいえ間違いが起こらないとは限らない。
 
 そして恐らく霊夢は霖之助を拒まないだろう。──彼女が霖之助に気がある事は、他の誰よりも魔理沙が一番良く知っているのだ。
 
 だが、だからと言って、このまま手を拱いて見ているほど、霧雨・魔理沙という少女は殊勝ではない。
 
「さてと……、ちょっと用事を思い出したから失礼するぜ」
 
 平坦な表情を帽子を目深に被る事で隠し、香霖堂を後にする魔理沙。
 
 彼女と入れ違いに奥の部屋から出てきた霊夢は、淡いグラデーションの掛かった桜色の小袖に、フリル付きの白いエプロンを身に着け、
 
「偶には着物も良い物ね」
 
 そう言って、霖之助に見せるように、その場で一回転して見せる。
 
「ウチで一番高い着物だからね。汚さないでおくれよ」
 
 読んでいる本から視線も上げずに告げる霖之助。そんな彼に不満を覚えつつも、霊夢は気合いを入れ直し、
 
「じゃあ、早速昼食に取りかかるけども、何かリクエストはある? 霖之助さん」
 
「お任せするよ。……とは言っても、ロクな材料が無かったと思うんだが」
 
 何が残っていただろうか? と霖之助が思案しかけると、店のドアが勢い良く開かれた。
 
「霊夢、昼食は三人分頼むぜ!」
 
「……まり……さ?」
 
 そこに居たのは、先程出ていったはずの魔理沙だ。その背中には風呂敷包みを背負い、身体は何故か全体的に埃っぽくなっている。
 
 僅かな時間に何があったのか? それを尋ねるよりも早く、魔理沙の方から語ってくれた。
 
「いやー、参ったぜ。家に帰って、研究の続きでも始めようとしたら、蒐集品の重さに耐えきれず二階の床が抜けちまったぜ♪」
 
 ロクでもない出来事のはずなのに、何故か満面の笑顔で報告する魔理沙。
 
「それで、悪いんだがな香霖。私も家が直るまでの間、泊めてもらえないか?」
 
 勿論、彼の返答が何であれ居着く気だ。
 
 その証拠に、既に着替えの服を商品の中から選んでいる。
 
 彼女の性格を熟知している霖之助は、敢えて無駄な交渉など試みず、
 
「そんなナリで商品に手を出すのは止めてくれ。
 
 さっき霊夢が出たばかりだからまだ暖かいはずだ。魔理沙も先に風呂を済ましてくるといい」
 
 言って席を立ち、
 
「じゃあ、僕は裏の畑から何か採ってくるよ。それから昼食にしよう」
 
 霖之助の姿が視界から消えるのを待ち、少女達が険しい視線を交差させる。
 
「──随分と、形振り構ってないのね? アリスでもパチュリーでも言えば泊めてくれるでしょうに」
 
「そうもいかないぜ。……何せ、家の床が抜けたのが知られたら、借りた物を返さないからそうなるんだ、とか言って、奪い返されないからな」
 
「……でも、部屋はもう空いてないわよ?」
 
 霊夢の借りた客間は六畳しかない。そこに二人が居候するのは、流石に厳しいだろう。
 
「全然平気だぜ。──私は香霖の部屋にお邪魔するからな」
 
 告げ、荷物を霖之助の部屋に持っていこうとする魔理沙を霊夢が肩を掴んで引き留める。
 
「まだ暖かいから、お店の方に茣蓙でもひいて寝たらどう?」
 
「おいおい霊夢。乙女にその扱いは余りだと思うぜ」
 
 冗談めかして告げる魔理沙に対し、霊夢は平坦な声色で返す。
 
 魔理沙は気付いていないが、霊夢の手には符が握られており、小さな切欠があるだけで彼女はそれを魔理沙に向けて躊躇い無く放つだろう。
 
 この場に乱入出来る者が居るとすれば、空気を読む程度の能力者か、相当な朴念仁くらいのものだ。
 
 そしてこの店の店主は、間違いなく後者に分類される。
 
「……まだ、風呂に行ってなかったのか、魔理沙。君たちの仲が良いのは知っているが、早く行かないと湯が冷めてしまうよ?」
 
 手に大根を持ち、魔理沙を窘める霖之助。
 
 対する魔理沙は霊夢よりも自分の事を気に掛けてくれた喜びから、霖之助に見えない角度で勝ち誇った顔を霊夢に向け、
 
「お、おう。今から行くところだぜ」
 
 急ぎ足で浴場へと向かった。
 
 そんな彼女を見送った霊夢は、僅かに歯噛みし、
 
「じゃあ、私はお風呂の追い炊きしてくるわ。流石に冷めちゃってるだろうし。
 
 食事の方はよろしくね、霖之助さん」
 
 そう言い残して霊夢は裏へと回った。
 
 それを見送った霖之助は小さく肩を竦め、……仲の良い二人だな。と真相を知らぬままに笑みを零した。──霊夢が店に置いてあった石炭とストーブの燃料に使う灯油を持って裏に回った事も知らずに。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 一糸纏わぬ姿で風呂場に姿を現した魔理沙。
 
 彼女は手桶で浴槽のお湯を一掬いすると、それを頭からかぶる。
 
「ありゃ、ちょっと冷めちゃってるぜ」
 
 風邪をひく程でも無いが、身体が暖まるという程でもない。
 
 ……まぁ、汚れだけ落とせれば良いか。
 
 楽観して備え付けの石鹸で身体を洗い、湯船の中に身体を沈めると、予想よりも大分暖かかった。
 
「湯加減はどう? 魔理沙」
 
 小窓の外から聞こえてくる霊夢の声に、気を利かせて追い炊きしてくれたのか、と感謝の念を送る。
 
「おう、丁度良い湯加減だぜ」
 
「……そう。それは良かったわ」
 
 だが、魔理沙が鼻歌気分で湯船に浸かれていたのも、最初の5分だけだ。
 
 時間が経つ毎にお湯の温度は上昇を続け、ついには入っていられない程の熱湯となり、慌てて湯船を飛び出した。
 
「お、おい霊夢! 一体、何のつもりだ!?」
 
 小窓から外を見てみても、そこに霊夢の姿は無い。
 
 轟々と燃え盛る炎が、風呂釜の口から見えるだけだ。
 
 ついには風呂のお湯は沸騰を始め、熱湯から煮え湯へとランクアップを果たし、これ以上はここに居られないと判断した魔理沙は入浴を諦めて脱衣場へと出る。
 
 しかし、そこにきて彼女は更なる嫌がらせを受けた。
 
 ちゃんと持ってきたはずの着替えに手拭い。更には脱いだ筈の服までも見当たらないのだ。
 
 ……アイツ!?
 
 思わず逆上し、濡れたままの姿で脱衣場の外に飛び出す。
 
「おい、霊夢ッ!!」
 
 勢い良く居間に飛び込んだものの、そこには霊夢の姿はなく、彼女の代わりにそこに居たのは、この店の主である霖之助だった。
 
 霖之助は全裸に濡れたままの魔理沙の姿を確認すると、右手で顔を覆うようにして大きく項垂れ、
 
「……魔理沙、風呂上がりで暑いのは分かるけど、その姿は正直、どうかと思うぞ」
 
 溜息混じりに告げられ、そこでようやく自分が生まれたままの姿である事を思い出すと、今度は怒りとは違う感情で顔を真っ赤に染めて、慌てて身体を腕で隠して脱衣場に引き返した。
 
「あら? ひょっとして、魔理沙ってばもう出ちゃった?」
 
 背後から声を掛けられ、振り向いた霖之助の視界に飛び込んできたのは、魔理沙が持っていった筈の着物を持った霊夢の姿だった。
 
「魔理沙の服もついでに洗おうと思って持っていったら、間違って手拭いと着替えも一緒に持ってちゃったのよね」
 
 霖之助は疲れたような溜息を吐き出し、
 
「それでか……。悪いけど、早急に届けてやってくれるかい? 早くしないと、魔理沙が風邪をひいてしまうからね」
 
「ふふふ、霖之助さんってば、魔理沙には優しいのね?」
 
 一瞬だけ、霊夢の笑みにほの暗いものを感じた霖之助だったが、見返して見ても彼女の笑みは何時もと変わりがない。
 
「……どうしたの?」
 
 不思議そうに尋ねる霊夢に対し、霖之助は慌てて首を振り、
 
「いや、何でもないよ」
 
 霖之助に見送られ脱衣場に向かう霊夢。
 
 脱衣場では怒りと羞恥の狭間で悩む魔理沙が彼女を出迎えてくれた。
 
「ごめんね魔理沙。ウッカリしてて洗濯物と一緒に着替えまで持っていっちゃったわ」
 
 そう先手を打って謝られてしまうと、魔理沙としても余り強く出られない。
 
 取り敢えず霊夢から着替えと手拭いを受け取り、手拭いで身体に付着した水分を吸い取っていく。
 
「……まったく、今日のお前はどうかしてるぜ。お陰で、香霖に裸見られちまったじゃねぇか。
 
 ──こうなったら、責任取ってお嫁に貰ってもらうしかないな」
 
 皮肉を込め冗談めかして告げるものの、霊夢からの返答は無い。
 
 不審に思いつつも、着替えを手に取った魔理沙だが、嫌な予感がして着物を広げて振ってみる。
 
 ……縫い針とか仕込んでないだろな?
 
 どうやら縫い針は仕込まれてはいないようであったが、別の物が仕込まれていた。
 
 ボトリと魔理沙の足下に落ちたのは細長い物体。
 
 それはまるで生きているかの如く不気味に蠢く。……否、正に生きているのだ。
 
 ……蛇? 
 
 否、頭の形状や胴体の模様がアオダイショウとは異なる。
 
 ……マムシか!?
 
 流石にコレに噛まれたら洒落にならない。
 
 今にも魔理沙に飛びかからんとしているマムシを足で踏みつけて動きを封じてから捕まえると、未だに煮えたぎっている湯船に放り込んで絶命させて、ようやく人心地吐く。
 
 今度こそ、落ち着いて着替えながら、魔理沙は霊夢の行動の異常性について考える。
 
 ……彼女が可笑しくなったのは、自分も香霖堂に泊まると言い出してからだ。
 
 それからの彼女は、邪魔者を排除するように、嫌がらせを開始し、ついには殺そうとするまでに至った。
 
 これではもう恋する少女の嫉妬などという言葉では済まされない。
 
 ──独占欲。……しかも、歪に狂っている。
 
 もはや、正気の沙汰ではない。このままここに居続ければ、自分はいずれ霊夢に殺されるだろう。
 
 霊夢の狂った原因が何かは分からない。だが、それが何であれ、これ以上嫌がらせを受けるのは御免被りたい。
 
 ……冗談じゃないぜ。
 
 霖之助の事は心配だが、彼と共に暮らしたいと思っている霊夢が彼を傷つけるとは思えない。
 
 ……正直、このまま引き下がるのは癪だが、今のままで霊夢とやりあうのは得策じゃないからな。キチンと対策を練ってから出直してくるぜ。
 
 そう結論すると、まずは腹ごしらえとばかりに魔理沙は居間に向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 既に居間では昼食の準備は整っており、二人は魔理沙の到着を待ち構えていた。
 
「遅かったね、魔理沙」
 
「ちょっと、トラブルがあってな。一応、無事解決したぜ」
 
 霊夢の方を一瞥もせずに告げ、座布団の上に腰を下ろし、「いただきます」の挨拶と共に三人が揃って箸を手に取る。
 
 メニューは風呂吹き大根と豆腐のみそ汁。梅干しに白米だ。
 
 最初の内は何事もなく食事を続けていた三人だったが、突如、魔理沙が口を押さえて勝手場に向けて駆け出した。
 
「……どうしたんだ?」
 
 不思議そうに告げる霖之助に対し、霊夢は心配そうな表情を取り繕い、
 
「さあ? 何かあたったのかしら? ……ちょっと様子を見てくるわね」
 
 立ち上がり、彼女も勝手場へと姿を消した。
 
 残された霖之助は、不審げに白米の匂いを嗅いでみたが、悪くなっているような匂いはしない。
 
 ……そう言えば魔理沙の様子が、今日は何時もと違うな。
 
 男の自分には言いにくい事なのだろうか? もしそうなら、霊夢が居てくれて良かったと思い、二人が帰ってくるのを待つ霖之助。
 
 ──そんな霖之助の心配を余所に、勝手場に駆け込んだ魔理沙は口の中の物を流しに吐き出した。
 
 本来ならば、白であるはずのご飯が赤く染まっており、恐る恐る口の中に手を突っ込んで、その原因を抜き出す。
 
「…………」
 
 魔理沙が口内から引き抜いた物。……それは、裁縫で使う縫い針だ。
 
「どうしたの? ……大丈夫? 魔理沙」
 
 心配そうな問い掛け。だがその聞き慣れた声が今は途轍もなく恐ろしく感じ、魔理沙はゆっくりと背後を振り返った。
 
 ……そこに居たのは、予想通り霊夢だ。
 
 しかし、その表情は心配そうな声色とは裏腹にゾッとするような残忍な笑みを浮かべている。
 
 思わず鉄の味のする唾を呑み込む魔理沙。
 
 そんな彼女に向け、霊夢は今の霖之助に聞こえないように囁く。
 
「出ていくんなら、今の内よ……。今なら、命までは取らないわ」
 
 恐ろしく冷たい声で言い放つ霊夢に、魔理沙は恐怖から膝が振るえるのを自覚する。
 
「怖がらないでよ魔理沙。──だって、私達……トモダチデショ?」
 
 言外に、霖之助に余計な事を言わず、さっさと失せろと告げる霊夢。
 
 霊夢の浮かべる無感情な笑みに一歩、二歩と後ずさる魔理沙。
 
 彼女の放つ雰囲気に呑まれた魔理沙はもはや一言も発する事が出来ず、そのまま霊夢と視線を合わせずに、荷物も持たず裏口から勝手場を出て行った。
 
 それを見送った霊夢は、魔理沙の気配がある程度離れたのを見計らうと、柏手を一つ拍ち、周囲に仕掛けた結界を発動させる。
 
 何人であろうとも、決して破れない程の強力な結界。
 
 ……力の弱い小妖ならば、触れただけで消滅し、あのスキマの大妖、八雲・紫でさえも、破れるかどうか? という程の代物だ。
 
「ふふ……、ふふふ」
 
 結界を完成させた霊夢は暗い笑みを浮かべる。
 
 ……これで誰もここにはやって来ないわ。……ずっと、……ずっと二人きりよ、霖之助さん。
 
 笑みの質が変わる。
 
 博麗・霊夢は博麗の巫女ではなく、これより一人の恋する少女として生きる。
 
 異変の解決も、幻想郷の秩序も、妖怪退治も、博麗大結界の維持も、もう知った事ではない。
 
 ……もう沢山だった。博麗の巫女というだけで、異変がある度に飛び回り、痛い思いをしてまで異変を解決したとしても、人里の誰からも感謝されないどころか賽銭すら入れに来ようとしない。
 
 否、むしろ人里の者達は、巫女が異変を解決するのは当然とも思っている。
 
 色々と不満が溜まっていた所に、今度は巫女だというだけの理由で住む所まで奪われた。
 
 巫女は巫女として生き、巫女として死ぬ。……そんな人生はもう真っ平だ。
 
 これからは、好きになった男性と二人、誰にも邪魔されずに生きていく。
 
 ……そうよ、絶対に誰にも邪魔させない。
 
 例えそれが親友である魔理沙であろうとも。
 
 その想いを胸に、霊夢は霖之助の元へ向かう。
 
 ……霖之助さん。
 
 物心着いた時から博麗の巫女として生きてきた彼女が、唯一博麗・霊夢として甘える事が出来た男性。
 
 兄や父親に対するものと同じだと思っていた彼への感情は、いつの間にか愛情へと昇華されていた。
 
 もし断られたら。などとは微塵も考えない。その時は、誠心誠意話せば分かってくれると信じている。
 
 ……大丈夫。霖之助さんも半分は妖怪だもの。20本くらいなら死ぬような事はないわ。
 
 霊夢の着物の懐。
 
 そこには鈍く輝く、妖怪退治用の針が収められていた。
 
「ねえ、霖之助さん……」
 
 ──その後、二人の姿を見た者は居ない。
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