香霖堂繁盛記
書いた人:U16
第76話 ハイカラ尼僧の買い物
幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
掲げられている看板には香霖堂の文字。
店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
●
ある日の命蓮寺。
その一室で、そそくさと着替えをする妖怪少女の姿がある。
頭巾に僧服という尼僧姿の少女の名は雲居・一輪。
ここ命蓮寺の女性住職、聖・白蓮を姐さんと呼んで慕う妖怪少女だ。
彼女は身に着けている服を脱いで下着姿になると、予め用意しておいた矢絣の長着に袴という服装に着替える。
頭巾を取った紫の髪に櫛を入れ、髪型を整えると鏡で己の姿を確認し、
「……変な所は無いわよね?」
あの店には一度行っただけであるから、顔を覚えられてはいない筈だ。
しかも自分は普段から頭巾を被っているので、服装を変えるだけで大分印象も変わる筈。……多分。
――さて、一輪が何をしているかというと、一言で言えば変装である。
実は結構新しい物好きな一輪、先日、香霖堂を訪れた際に見た外の世界の服が欲しいのだが、曲がりなりにも尼僧という立場にある自分が、そのような軽薄な服装をするのは、……何というか、非常に気まずいような気がするのだ。
その為、自分の趣味の事はまだ誰にも言ってはいないし、知られてもいない。
と思っているのだが、実際そう思っているのは一輪だけであり、命蓮寺の皆にはバレバレであった。
ちなみに、彼女の趣味に関して白蓮も星も何も言うつもりは無いし、別に悪い事だとも思っていない。
むしろ、何かあった時には、一輪の秘蔵コレクションから借りようと思っているくらいだったりする。
そんな事は知らない一輪は、雲山に斥候を頼み、移動経路に誰も居ない事を確認すると、素早く行動を開始した。
●
騒がしい音を発ててカウベルが鳴り響き、香霖堂に来客を知らせる。
やって来た昔の女学生のような恰好をした女性客は、ここまで走ってきたのか、呼吸が乱れ息が荒い。
「いらっしゃい。……随分と急いで来たようだけど、妖怪にでも襲われたかい?」
言って、相手が妖怪であることに気付き、
……守矢の風祝にでも遭遇したかな?
と思考を切り替える。
「大丈夫。あの青い方の巫女も、店の中では妖怪退治をしたりはしない筈だから、まずは呼吸を落ち着かせると良い」
「あ、いえ……、そうではないんですけども」
一応、断りを入れるも、霖之助の発言から、……やはり、彼も青い方の巫女から謂われのない仕打ちを受けているのですね。と認識を強める一輪。
「今日は、買い物をしに……」
そう言った瞬間、霖之助は商売用の笑みを浮かべ、
「ようこそ香霖堂へ。何をお探しでしょうか、お客様」
一瞬で商売人モードに切り替わった霖之助に、ちょっと戸惑いながらも一輪は辺りを見渡して、
「服が欲しいのですけども、……出来れば外の世界の物が」
それを聞いた霖之助は、難しそうな表情で唸り声を挙げ、
「外の世界の服は、この前のバーゲンセール……、特売市で殆ど売れてしまったんだ」
言って時計に視線を向け、
「まぁ、もうそろそろ無縁塚に仕入に行っている店員が戻ってくるだろうから、その中に気に入った物があれば買っていくと良い。
補修も洗いもしていない物だから、その分お安くしておくよ」
「あ、ありがとうございます」
やはり良い人ですね。と、礼を述べた一輪だが、次の瞬間、無縁塚に仕入に行っている店員が誰なのかを思い出して冷や汗をかいた。
「す、すみません。ちょっと急用を思い出したので、今日の所は失礼します!?」
早口で言って、踵を返したところでカウベルが鳴り、風呂敷包みを背負ったネズミ妖怪がやって来た。
「やっと着いた……。まったく、ネズミ使いの荒い店だ」
ナズーリンの姿を確認した途端、神速のサイドステップで商品棚の影に姿を隠す一輪。
「ご苦労だったね。奥に小傘が居るから、お茶を淹れて貰うと良い」
「あぁ、そうさせてもらうよ」
ナズーリンから風呂敷包みを受け取り、それをカウンターの上に広げる。
霖之助の脇を抜け、奥の部屋に向かおうとするナズーリンだが、彼女の手を霖之助が掴み引き止めた。
「まだ何か?」
「あぁ、……そのポケットの中の物も置いていってもらおうか」
眼鏡を光らせて告げる霖之助に対し、ナズーリンは小さく舌打ちすると、
「相変わらず鼻が利くね、香霖堂」
「君の行動パターンが読みやすいだけだよ」
ナズーリンがポケットから取り出したのはピンポン球程度の大きさの鉱石。
「……ほう、緋々色金じゃないか」
拾ってきた物の中で、最も高価で希少価値のある物を本能で選ぶ辺り、ナズーリンの嗅覚も侮れない。
「ヒヒイロカネ?」
「あぁ、とても稀少な金属だ。
金よりも軽量で、金剛石よりも硬く、永久不変で絶対に錆びない性質を持つ。
まあ、その分加工が非常に難しいが――」
霖之助の蘊蓄にナズーリンが耳を傾けている隙をついて、一輪はそそくさと店から脱出した。
微かに聞こえたカウベルの音で、一輪が店から出て行ったのを見抜き、ナズーリンは口元を吊り上げ微笑する。
「ん? 今の説明で、何か面白い所でもあったかい?」
「いや、ただの思い出し笑いだよ。気にしてくれなくて結構」
そう告げるナズーリンの笑みは、まるで新しい玩具を手に入れた子供のうよな無邪気なものだ。
……いや、実に面白いものを見つけた。
実はナズーリン。一輪の存在に気付いていた。……気付いた上で、気付いていない振りをしたのだ。
一輪の新しい物好きと、尼僧という立場の為、決して表沙汰にしようとしない彼女の趣味。
それを知った上で、ナズーリンは一つの悪戯を思い付いた。
曰く、
……気付かない振りを装って、一輪の買い物の邪魔をしよう。
知り合いが見ているとなれば、彼女の事だ、今回のように買いたくても買わずに帰らざるをえない。
他人の尻拭いでやらされる事になった筈のアルバイトが、一転、楽しくなってきた。
霖之助の蘊蓄を途中で切り上げて奥の部屋に向かい、出されたお茶に口を付けながらナズーリンはネズミにあるまじきチェシャ猫笑いを浮かべた。