香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第70話 ルーミアの服
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 紅魔舘から急ぎの依頼、――メイド服の大量発注があったので、その日霖之助は材料持参でアリスの家に赴き、交渉の結果、無事仕事を受けて貰うことに成功した。
 
 今回の仕事は少々量が多く、アリスが借金返済の為に受け持つべき一月分の仕事量を超えてしまうからだ。
 
 余剰分の仕事量を来月分に繰り越すか、金銭で支払うかを交渉し、大したトラブルも無く契約を成立した事に双方満足し、帰路に着く霖之助。
 
 帰り際、手土産と言って渡されたクッキーを懐に収め、香霖堂に戻る道すがら、霖之助はアリスとの契約を真剣に思案する。
 
 ……買い物の際はちゃんと代金を支払い、仕事は丁寧で確実に納期に間に合わせてくる優良顧客。
 
 今、彼女が毎月香霖堂の仕事を受けてくれているのは、借金の返済からであるが、それが終わった後も契約は更新するべきだろう。
 
 ……うん、彼女の服飾技術は、多少の出費の価値はあるしな。
 
 そうなったら、アリス・マーガトロイドブランドで、独占販売するのも良いかもしれない。
 
 大量生産させるのではなく、量を抑える事で、付加価値を付けるのだ。
 
 そんな事を考えながら香霖堂への道を歩いていると、その途中で倒れ伏している少女を発見した。
 
 小走りに駆け寄り、抱き起こしてみると、それは常闇の妖怪ルーミアだった。
 
 ……なら、放っておいても大丈夫か。
 
 そう判断し、見なかった事にして帰ろうとした霖之助だが、ルーミアは彼の服の裾を握りしめ、
 
「お、お腹減った……」
 
「……行き倒れか」
 
 ここで見捨てても死ぬような事は無いだろうが、見た目の幼い娘を見捨てたとなると後味が悪い。
 
 しかも、何の因果か今自分はアリスから貰ったクッキーを持っている。
 
 ……後でお茶請けにしようと思っていたんだが。
 
 諦めの溜息を吐き出し、ルーミアにクッキーの入った袋を差し出してやる。
 
「量は少ないが、多少は腹の足しになるだろう」
 
 包みを開けると、香ばしい香りにつられて一気に覚醒したのか、クッキーを貪り始めるルーミア。
 
 霖之助はその様子を呆れ混じりに眺めながら、肩を竦め、
 
「じゃあ、僕はこれで失礼するよ」
 
 と言い残し、その場を去ろうとする。……のだが、その足はルーミアの手によって文字通り掴まれる事で止められた。
 
「もう無いの?」
 
「無い」
 
「そーなのかー」
 
「理解してくれたようでなによりだ」
 
 霖之助の足を放し、立ち上がるルーミア。
 
 食べ物を持たない霖之助に用はないと、その場で踵を返し飛び立とうとした所で、今度は先程とは逆に、霖之助がルーミアの押し留めた。
 
「なにー?」
 
「なにー? じゃない。何だ、君のその服は?」
 
 スカートと、その下のドロワーズが裂け、小さなお尻が丸見えになっている。
 
「んー、さっきお腹が空いてフラフラ飛んでたら、青い方の巫女にやられた」
 
「…………」
 
 ……彼女も幻想郷に慣れ親しんできたのは結構だが、余り調子に乗りすぎて、いつか痛い目に遭わなければいいが。
 
 具体的に言うと、太陽の畑の妖怪とか、紅魔舘の妹の方の吸血鬼とか……、幻想郷には洒落で済まないような妖怪も多々居るのだ。
 
 まあ、今は早苗の事よりルーミアの服だ。
 
 正直、このまま放置しておくのは少々忍びない。
 
 霖之助は諦めにも似た溜息を吐き出すと、
 
「付いてくるといい。その服を直してあげよう」
 
「別にいいよ。闇を纏えば見えないだろうし」
 
「僕が気になるんだ。……それに、店に行けば何か食べ物もあるだろう」
 
「じゃあ、行くー」
 
 ふわふわと浮き上がり、霖之助の後を付いてくるルーミア。
 
 香霖堂はもうすぐそこまで見えていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 店に戻った霖之助はルーミアの服を剥ぐと、タオルケットを羽織らせて居間の方に放り込み、自分はいつもの席に腰を下ろすと、せっせと縫い物を始めた。
 
 この程度の繕い物ならば、霖之助の腕をもってすれば十分と掛からず修繕する事が出来る。
 
 とはいえ早苗にやられた所以外にも、古傷が多々あるブラウスとスカートの全てを直していくとなると、それなりの時間が消費したようで、完成した服を持って居間に戻ってみると、そこでは食事を終えたルーミアが満足げな表情で、大の字になって寝転がっていた。
 
 タオルケット一枚を羽織っていただけの彼女は、当然フルオープンな状態だ。
 
 霖之助は溜息を吐き出すと、
 
「ほら、服の修繕は終わったよ。さっさと着替えてくると良い」
 
「おー」
 
 霖之助から手渡された服を広げて眺め、満足げに頷くと、人目を気にする事無くその場で着替え始めるルーミア。
 
 対する霖之助も余り気にしていないのか、床に広がっているタオルケットを手に取ると、それをたたみ始めた。
 
 一分も掛からずに全ての服を身につけたルーミアは、服のあちこちを見渡し、
 
「新品みたいだー」
 
 満面の笑みを霖之助に向ける。
 
「凄いね! 香霖堂」
 
「当然だよ。――僕を誰だと思ってるんだい?」
 
 ルーミアの心からの賞賛に、霖之助は自信に満ち溢れた態度で応えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ルーミアが帰った後、手伝いで訪れていた衣玖が、霖之助に茶を出してくれた。
 
「随分と、お優しいですね」
 
 普段の彼ならば、服の修繕が終わった後で何かしらの要求を突き付けた筈だ。
 
 それが今回、何の要求も請求も出さなかった。
 
 ……もしや、幼女愛好家なのでしょうか?
 
 棘のある衣玖の質問に対し、霖之助はお茶を一口飲むと、
 
「あぁ、余りにも見ていられなかったからね」
 
 瞼を閉じて回想するが、あれは本当に酷かった。
 
「あれでは、服が可哀想というものだ」
 
「……はい?」
 
 思わず小首を傾げてしまう衣玖に対し、霖之助は大仰に頷くと、
 
「服というのは、元々、雨、風、紫外線、寒さなどといった気象条件から身体を保護する目的で身に纏うようになったものだが、それに加えて身につける者の身分や権力、所属する立場などを象徴するのにも一役買っている。
 
 君が今着ている、香霖堂の制服なんかもその一つの例だね。
 
 そして、それ以外に服が持つ役割として重要なのが、ファッション性だ。
 
 これは一見無駄なように見え、実は非常に重要な要素を担っている。
 
 例えば霊夢や魔理沙を例に出してみようか。
 
 彼女達が白黒や紅白と呼ばれるのは、彼女達の本質や性質ではなく、その服装に起因するものだ。
 
 このように、服装が他者に対し――」
 
 話が長くなりそうだと判断した衣玖は、お茶請けに出す予定だった煎餅を囓り、長期戦に備える事にした。
 
 空気を読める大人の女性は、男が楽しそうにしている至福の一時を邪魔したりしないものなのだ。
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