香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第66話 船幽霊の柄杓
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 深夜。
 
 霖之助が読書に勤しんでいると、店の方から小さな物音が聞こえた。
 
 ……また、咲夜が尋ねてきたかな?
 
 彼女の営業時間を無視した訪問は、既に一度や二度ではない。
 
 本来ならば営業時間外の客は勘弁してもらいたい所ではあるが、上客である彼女を蔑ろにするほど霖之助も商人として堕ちてはいない。
 
 読んでいた本に栞を挟み、重い腰を持ち上げる。
 
「やれやれ……、相変わらず時間を選ばない客だ」
 
 足を店の方に向け、電灯のスイッチを入れる。
 
 途端、それまで暗闇の支配していた空間に光が満たされた。
 
 ――と、突然の灯りに驚いたのか、来訪者が周囲の商品をひっくり返して慌てふためき静かだった香霖堂が一気に騒がしくなる。
 
 咲夜ならば、この程度の事で驚いたりはしない。霖之助は驚き腰を抜かす来訪者を一瞥すると、深々と溜息を吐き出し、
 
「……何がしたいんだ? 君は」
 
 呆れ声で零す霖之助に対し、倒れたままの妖怪少女は心底不機嫌そうに、
 
「妖怪を驚かそうとは、また質の悪い半妖だね」
 
 上体を起こし、お尻に付いた埃を払うのは、ネズミの変化した妖怪少女、ナズーリンだ。
 
 ナズーリンの愚痴を無視した霖之助は、定位置である勘定台の椅子に腰を下ろすと、
 
「それで? 今日は何の用だい」
 
 背中を椅子の背もたれに預けて椅子を軋ませ、
 
「ちなみに、そのポケットに入れた小物はちゃんと元の場所に戻しておくように」
 
 見抜かれていた事に舌打ちしつつも、霖之助の言う事に素直に従うナズーリン。
 
 一先ずポケットの中の物を全て出した彼女は肩を竦めると、
 
「ここって、柄杓は売ってるかい?」
 
 ナズーリン曰く、彼女の使役するネズミ達が誤って彼女の仲間の所有物である柄杓を囓ってしまったのだという。
 
「柄杓か……、有るには有るんだが」
 
 確かに無縁塚で拾ってきた物が有る。……が、あれは底が抜けている不良品だ。暇を見て直そうと思っていたのだが……、
 
「ん、――コイツだね」
 
 霖之助が断るよりも早く、ナズーリンの使い魔達が柄杓を見つけてきた。
 
「じゃあ、頂いてくよ」
 
 そう言うと、霖之助が値段を提示するよりも早く、五十銭程の小銭をカウンターの上に置き、とっとと店を出て行ってしまった。
 
 彼女としては、値段を聞いてからだと、また吹っ掛けられると思い先手を打ったつもりなのだが、今回はそれが裏目に出た。
 
 残された霖之助は、カウンター上の小銭を見て、次にナズーリンの出て行った名残の残る入り口を見て、再度小銭に視線を落とすと、
 
「毎度あり」
 
 そう零して、小銭を勘定台に仕舞った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その翌日の事。
 
 店を開き、霖之助が何時ものようにカウンターで本を読んでいると、大きな錨を背に手には昨晩ナズーリンに売った底の無い柄杓を持ったセーラー服姿の少女が物凄い形相でやって来た。
 
 少女の身に纏う雰囲気から、面倒そうな客だと分かったが、そんな事はおくびにも出さず営業用の笑顔を浮かべて、
 
「いらっしゃい。香霖堂にようこそ」
 
 言った途端に胸ぐらを掴み上げられた。
 
「貴方ですか!? ナズーリンにこの柄杓を売りつけたのは!?」
 
 対する霖之助は平然とした態度で、
 
「その通りだが、それがどうかしたかい?」
 
「どうかしたかいじゃありませんよ! こんな物渡されたら、思わず色々と諦めて湖に飛び込みかけたじゃないですか!?」
 
 彼女の仲間達が慌てて止めなければ、そのまま霧の湖に飛び込んでいただろう。
 
 だが霖之助は意味が分からないと小首を傾げ、
 
「いまいち事情が分からないな。申し訳ないが、一から事情を説明してもらえるかい?」
 
 言って、来客用の湯飲みにお茶を注ぐと少女に差し出した。
 
「これはどうも……」
 
 出されたお茶を飲んで落ち着いたのか、少女も先程までとは打って変わったリラックスした表情で、
 
「失礼しました。――私、船幽霊の村沙・水蜜と申します。今は聖船という空飛ぶ船で船長を務めています」
 
「船幽霊……。なるほど、そういう事か」
 
 古来より、底の抜けた柄杓は船幽霊対策として用いられるアイテムだ。
 
 それを渡された彼女が本能に従い水に帰ろうとしたのも頷ける。
 
「それは悪い事をしたね。事情を知ってさえいれば、ナズーリンが持って行くのも阻止したんだが――」
 
 言って水蜜に手を差し出し、
 
「お詫びと言ってはなんだが、その柄杓を修理させてもらうよ」
 
 商品を買ってくれたお客様に対するアフターケアは万全にする。
 
 それが霖之助が霧雨道具店で学んだ、商人としての鉄則の一つ。
 
 勿論、お買い上げ一週間以内ならば、お代は受け取らず無償で直してやる。
 
 ……そうしておくと、客も店を気に入り繰り返し足を運んでくれるようになる。とは霧雨の親父さんの弁だ。
 
 水蜜から受け取った柄杓の先端の器部分を取り外すと、適当な大きさの竹から切り出し新たな器部分を用意する。
 
 それを丁寧に形を整え削り出し、柄杓の柄を差し込んで完成。
 
 ものの十分程で作業は完了した。
 
「随分と器用ですね……」
 
「商売柄、どうしても必要な技術だからね。
 
 良かったら、他の商品も見ていってくれ」
 
 言って、完成した柄杓を水蜜に手渡す。
 
 柄杓を受け取った水蜜は一礼し、言われた通り店内を見渡した。
 
 つい最近まで地底に封印されていた水蜜にとっては、見た事も無いような用途不明な道具ばかりだ。
 
 全てが珍しく目移りするが、逆に用途も使い方も思いつかない為、購買意欲が湧いてこない。
 
 そんな彼女の視界に映ったのが羅針盤……、所謂、方位磁石だった。
 
 透明なプラスチック製の板に填め込まれた簡易型の方位磁石。
 
 プラスチック板の方には、定規や分度器、ルーペといった物も付属しているような十徳キットだ。
 
「こ、これは……」
 
 それは大昔の航海用具しかしらない水蜜からしてみれば、かなり画期的な航海用具に見えた。
 
「す、すみません、コレ! ――コレ、ください!」
 
 商品をカウンターに持ち寄り、子供のように目を輝かせて告げる水蜜。
 
「あぁ、これなら百銭(約千円)で良いよ」
 
 彼女の持って来た品物は、霖之助からすれば子供騙しの玩具のような物だ。価格としてもこれだけ貰えれば十二分に元は取れる。
 
 だが、長年封印されてきた為、世間知らずな水蜜はそんな事は知らず、香霖堂を良心的な良い店だと勘違いした。
 
 それこそ、ナズーリンや妖夢が聞けば失笑物の勘違いだ。
 
「なんと!? コレがたったの百銭ですか」
 
 感動に打ち震えていた水蜜は、尊敬するような眼差しを霖之助に送り、
 
「素晴らしいお店ですね。……また、何かあった時にも是非このお店を尋ねさせていただきます」
 
「それはありがたい。香霖堂では日用雑貨だけに留まらず、外の世界の道具やマジックアイテムの制作まで承っているからね。是非ともご利用して頂きたいものだ」
 
「……マジックアイテム? という事は店主は魔法使いなのですか?」
 
 興味深そうな表情で問い掛ける水蜜に対し、霖之助は首を横に振ると、
 
「幾つか魔法の基礎は学んだが、生憎と専門家ではないよ。本物の魔法使いから見れば、児戯程度の物しか使えない」
 
 霖之助の本分はあくまでもマジックアイテムの制作にあり、その分野に関しては幻想郷でもトップレベルの実力を持っている。
 
 ……もっとも、霖之助にしてみれば、自分の本分はあくまでも商人であり、マジックアイテムの制作などは商売の一つに過ぎないと考えているのだが。
 
「それがどうかしたのかい?」
 
 問い掛けると水蜜は神妙な表情で、
 
「いや、私の恩人に魔法使いが居まして。……そうですか、ここではマジックアイテムも扱っているのですか」
 
 したり顔で頷き、聖に良い土産話が出来たと零した水蜜は、来た時とは対照的に満面の笑みを浮かべて去って行った。
 
 残された霖之助は、カウンターの上に置かれた小銭に視線を落とし、
 
「売り上げは微々たる物だが、新しい顧客が出来たと喜ぶべきかな?」
 
 小さく頷き、小銭を勘定台に仕舞い込む。
 
 この時の一件が、後に霖之助が毘沙門天を崇拝するようになる切欠になろうとは、まだ誰も予想していなかった。
   
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