香霖堂繁盛記
書いた人:U16
第63話 ピノッキオの丸太
幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
掲げられている看板には香霖堂の文字。
店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
●
「ふむ、制服か……」
読んでいた本から顔を上げ、霖之助はそんな事を呟いた。
この本によると、制服を導入する事で得られるメリットとしては、
・その会社の社員であるという自覚が高まる。
・外部の人間と区別がつきやすい。
・私服が汚れる事を気にせず作業出来る。
というのが挙げられるだろう。
更に幻想郷限定のメリットとしては、人里に赴いたりした場合、良い宣伝にもなるという事だ。
「……香霖堂に導入するのも有りかもしれないな」
その為に掛かる経費はアリスを使う事でギリギリまで削減するとして……。
手早く計算機を叩き、費用を算出する。
結果、弾き出された金額は一円を少々超える程度。
「うん。……これなら問題無いな」
作る事が決まれば、早速デザインを開始する霖之助。
「……一目で香霖堂の店員だと分かるようなデザインといえば」
頭を捻りつつ紙に鉛筆を走らせていく。
悪戦苦闘する事およそ三刻。
結局、完成したものは、霖之助の服を簡略化したような小袖と右下に香霖堂と書かれた前掛けのセットだった。
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デザインをアリスに渡してから一週間後。
大きな風呂敷包みを複数の人形達に持たせたアリスが香霖堂にやって来た。
「霖之助さん。注文の服、出来たわよ」
ちなみに彼女の役職は香霖堂服飾部門主任となっている。
もっとも、役職はあくまでも霖之助が言っているだけで、アリス自身、香霖堂に就職したつもりなど毛頭無いが。
「急な発注で悪かったね」
「生地とデザインが提供されてるから、これくらい楽なものよ」
言って霖之助に手渡したのは、彼のデザインした小袖そのままの着物。
但し、前掛けの方は彼女の趣味が若干入っているのか、デザインよりもフリルが多用されているようだが、店員の殆どが少女なのでその方が喜ばれるだろうかという考えから、敢えて文句は言わなかった。
「ふむ……、なかなか良いじゃないか」
その内の一着を手に取り広げた霖之助が感想を告げるが、アリスは微苦笑を浮かべながら、
「自画自賛にしか聞こえないわよ」
「いやいや、作りもシッカリしているよ。これなら、このまま売り物として出しても充分元以上は取れるだろうさ」
「褒めても何も出ないわよ」
素っ気無く返すが、褒められたのが純粋に嬉しかったのか、アリスの頬はやや赤い。
と、その時だ。彼らの会話が聞こえたのか、それまで奥の部屋で片付けをやらされていた妖夢が顔を覗かせ、
「制服作ったんですか? ……わぁ、丁度良かった。この服、卸したてなので倉庫の掃除とかどうしようかって思ってたんですよ」
言って、笑みを浮かべて両腕を差し出す。
対する霖之助は、ゆっくりした動作で妖夢の差し出す手を見て、続いて顔を上げて妖夢の顔を見て、もう一度妖夢の手を見て、……首を45°ほど右へ傾けた。
そんな店主につられて、同じように首を傾げる妖夢。
霖之助は心底意味が分からないという表情で、
「この手はどういう意味だい?」
「いえ、……ですから制服」
言われ、己の手の内にある制服に目を落とし、考える事数秒……、
「あぁ、制服か」
頷き、
「君の分は無いよ」
「……え?」
笑みのまま表情を固まらせる妖夢。霖之助は小さく咳払いすると、
「そもそも君は丁稚だからね。制服を着用したいなら、せめて手代まで出世してもらわないと困る」
ちなみに丁稚扱いなのは妖夢と天子の二人。
この二人は他の少女達と違い、手伝いではなく借金の返済という立場なので丁稚扱いだ。
一方、同じように借金の返済の為に香霖堂で働いている美鈴は手に職があり、結構な稼ぎを入れてくれるので丁稚ではなく、他の少女達と同等の手代扱いとなっており、更に魔理沙や霊夢から香霖堂の商品を守ってくれる映姫に関しては一つ上の番頭として見ている。
「そんなぁ……」
「丁稚奉公なんて、得てしてそういうものだよ」
かくいう霖之助も、霧雨店での修業時代は霧雨の親父さんに叱られながら仕事を覚えていったものだ。
……もっとも、その時の教えがキチンと活かされているか? と問われれば、小首を傾げざるをえないが。
ともあれ、自分の制服が無い事に気落ちした妖夢が諦めて項垂れたまま倉庫の掃除に行こうとすると、彼女の頭に白い布が被せられた。
「…………?」
何事か? と頭に被せられた布を手に取る妖夢。
それを成した霖之助は仏頂面で、
「まぁ、丁稚にはその位が丁度良いだろう」
白の布を広げてみると、それは制服とセットになっていた前掛けだった。
霖之助なりの気遣いに気付いた妖夢が、再び彼の顔を見ようとするが、霖之助はそっぽを向いたまま手を振ってとっとと倉庫の掃除に行けと急かすのみ。
なので妖夢は小さく黙礼し、手早く前掛けを身につけると倉庫へ足を向けた。
●
「ふーん。なんだかんだ言っても、お優しい事で」
一連のやり取りを見ていたアリスがからかうように告げるが、霖之助はポーカーフェイスを保ったまま、
「効率的に従業員を使う為の飴と鞭だよ。――僕を無条件な善人に仕立て上げようとするのだけは勘弁してくれ。
正直、自分だけでなく、知人にもそんな奴が居ると思うとゾッとするね」
言って、自分の周りの人間関係を思い浮かべ、2秒で結論。
……見事に善人が居ないな。
それはそれで問題だが、まぁ良い。今はそんな事よりも……、
「ところで君は人形遣いだそうだが、マリオネットも扱ったりするのかい?」
いきなりの質問に僅かに驚きを見せるアリスだが、その質問には人形遣いとして誇りを持って答える事が出来る。
「えぇ。それが人形であるなら、マリオネットだろうがパペットだろうがぬいぐるみだろうが操ってみせるわ」
――ならば話が早い。
「良い商品があるんだが、買うかい?」
そう告げる霖之助に対し、アリスは小さく肩を竦め、
「買うか買わないかは、見てから決めるわ」
ならば取り敢えずは見てもらおう。……という事で霖之助が奥の部屋から持ち出してきたのは御札が貼られた全長1m程の丸太だった。
「……丸太、……ね」
見た目はごく普通の丸太だ。
念の為に叩いてみるとかなり堅い。外皮の色や形状からして、おそらくは樫の木だろう。
「……それで? この丸太がどうしたの?」
「君はピノッキオという童話を知っているかい?」
有名な童話だ。記憶を掘り返すまでもなく答える事が出来る。
「えぇ。嘘を吐く度に鼻が伸びる人形が最後に人間になる童話よね」
「そう、その通り。そして、この丸太こそが、ピノッキオを作る為に用いられた意思を持って喋る丸太だ。
正直、五月蠅いんで、今は御札で封印してあるが」
その話を聞いてアリスは考え込んだ。
霖之助の話が本当だった場合、この丸太から人形を作れば、彼女の目標としている完全な自動人形の完成に大きく前進する事になるだろう。
……だけど、それって私の実力じゃなくて、この丸太のお陰よね。
そんな事で満足したくないと、アリスの向上心が訴える。
「うん。……折角だけど、遠慮しておくわ」
「そうかい。折角のレア物だったんだけどね」
惜しそうに告げる霖之助に対し、アリスは苦笑を浮かべ、
「まぁ、惜しいとは思うけど……、実は私、ピノッキオって嫌いなのよね」
特にあの学習能力の無さが。
「奇遇だね。実は僕もそうなんだ」
実は厄介払いしようと思い、アリスに話を持ち掛けたのだが、興味が無いのならば仕方が無い。
霖之助は溜息を一つ吐き、
「そういう事なら仕方無いな。この丸太は青い髪の妖精に託す事にするよ」
確かに、ピノッキオを導いたのは青い髪の妖精であったが、幻想郷において青い髪の妖精と言うと即座に連想されるのが……、
「まあ、下手に身体を持って悪戯されるよりは、氷精の玩具にでもなっていてくれた方が損害は無さそうね」
「僕もそう思うよ」
言って、二人同時に肩を竦めた。