香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第6話 本日休業・執事編
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その日、霖之助はカウンターに台帳を拡げながら計算機を叩いていた。
 
 この計算機、用途は計算する為の機械だが、何度かボタンを押している内にすぐ使い方は理解できたし、霖之助は知らない事ではあるが、この計算機が太陽電池で動いていることも幸いし、今ではストーブ並ぶ香霖堂の実用品の一つとして活躍してもらっている。
 
 霖之助が計算機を叩きながら台帳に数字を赤のボールペンで記入していく。
 
 やがて計算が終わり、台帳が真っ赤に染まった所で深々と溜息を吐いた。
 
「……これは少し拙いな」
 
 否、本当は少しばかりではない。風通しの良くなった店内を眺め、もう一度溜息を吐く霖之助。
 
 ……先日、とある珍しいアイテムが香霖堂にあることを鴉天狗の射命丸・文が数少ない文々。新聞の定期購読者である霖之助に対する日頃のお礼にと、宣伝も兼ねて報じてくれたのだが、それを巡って二人の少女の間で諍いが起きた。
 
 二人の少女の名は蓬莱山・輝夜と藤原・妹紅。
 
 諍いが起きた程度ならば何の問題も無かったのだが、問題はそれを香霖堂の店内で行ったという事だ。
 
 しかも、彼女達の弾幕合戦は、既に弾幕合戦という域を超えており殺し合いのレベルにまで発展していた。──お陰で店は半壊。今はあり合わせの材料で補修してはいるが、嵐にでも遭遇すれば間違いなく店は飛んでいくだろう。
 
 翌日、二人の保護者を務める二人の女性……、八意・永琳と上白沢・慧音が当事者達を連れて謝罪に訪れ、店が直るまでは自分の家に泊まってくれと言ってくれはしたものの、丁重にお断りした。……というか、彼女達は店が直るまでと言ってくれたものの、店の修繕費用は出してくれないし、霖之助にもそのような蓄えはない。
 
 それに何というか、慧音の家に行くと、そのまま人里に永住させられるような予感がしたし、永遠亭に行くと妙に霖之助の事を気に入っている輝夜(4話参照)に蓬莱の薬を飲まされかねない。
 
 とはいえ、このままでは店の補修がままならないのも事実だ。
 
 物を売ってお金を稼ごうにも、輝夜と妹紅の喧嘩で店の商品の大半は破壊し尽くされている。……まぁ、店に出ているものは、使い方も分からないガラクタばかりなので、霖之助にしてみれば、そこは大した痛手ではないのだが。
 
「随分と、お困りのようね」
 
 何時からそこに居たのか? 侍女服の少女、十六夜・咲夜が店内に居た。
 
 ……もっとも、今はドアすら無いので、侵入しようと思えば誰でも簡単に入る事が出来るのだが。
 
「やあ、いらっしゃい。……とはいえ、今は見ての通りでね。お望みの物が見つかるかどうかは分からないけど」
 
 苦笑を浮かべて告げる霖之助に対し、咲夜は小さく肩を竦めると、
 
「見た所、お金が必要なようだけど? 貴方さえ、よければ働き口を紹介しても良いわよ?」
 
「……働き口?」
 
 彼女の言う働き口とは、彼女の勤め先、紅魔館で執事をしないか? というものだった。
 
 咲夜にしても霖之助には色々と貸し(口止め)はあるし、何よりも……、偶には役に立つ部下が欲しい。
 
 紅魔館では幾人もの妖精メイドが居るが、彼女達は精々自分の身の回りの事だけで手一杯なので、実質咲夜一人で紅魔館の全てを切り盛りしているようなものだ。
 
 咲夜が聞いた話によると、今でこそ霖之助は悠々自適な生活を送っているものの、以前は人里で一番大きい商家、霧雨商店に奉公していたともいう。ならば、妖精メイド達よりは戦力として期待出来るだろう。
 
 彼女の提案を受け、霖之助は暫く悩んだ後、
 
「……そうだね。なら暫く厄介になろうかな」
 
 霖之助の返事を受けた咲夜は彼に気取られないように小さく安堵の吐息を吐き出すと、
 
「なら、すぐに泊まり込みの準備をしてちょうだい」
 
「……泊まり込み?」
 
「そうよ。まさかここから紅魔館まで毎日歩いて来るわけにもいかないでしょう?」
 
 確かに、咲夜の言う事は正しい。流石に毎朝毎晩、香霖堂・紅魔館の往復は堪える。
 
 霖之助は立ち上がると手早く荷物を纏めてそれを持って咲夜と共に外へ出、開いたままの入り口にベニア板を打ち付け、『暫く閉店します』と書かれた張り紙を張り付け、咲夜に連れられて紅魔館へと向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 紅魔館での人事権に関しては、咲夜が握っているらしく、霖之助の雇用に関して館の主人である吸血鬼、レミリア・スカーレットは特に何も言うことは無かった。
 
 否、運命を知る彼女からしてみれば、咲夜が霖之助を連れて帰ってくるのは分かり切っていた事なのだろうか?
 
 霖之助には個室が与えられ……、というか他に男が居ないから当然とも言えるのだが、……渡されたタキシード、……これまた疑問なのだが、男性従業員が居ないにも関わらす何故か用意されていた……を着て部屋から出る。
 
 タキシード姿の霖之助を見た咲夜の第一声は、
 
「あら? 意外と似合うんじゃないかしら?」
 
 対する霖之助は、肩の周りを気にしながら、
 
「どうも慣れてない所為か、洋装というのは窮屈な感じがするよ……」
 
 そして早速、咲夜から仕事を言い渡される。
 
 彼の請け負った仕事は、骨董品の手入れや庭掃除などと言った雑用が殆どだ。
 
 とはいえ、重大な仕事をやらされたりするよりは、そちらの方が気楽で良い。
 
 与えられた仕事を適度にこなして仕事を終わらせた霖之助は、夕食後に本を借りようと地下の図書館へと向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そびえ立つ自分の身体の数倍はあろうかという巨大な木製のドアを三度ノックする。
 
 すると、扉の向こうから「はーい」という声が聞こえ、さして待つ事も無く向こう側から扉が開かれた。
 
 ドアの向こうから顔を覗かせたのは黒のタイトスカートに白のワイシャツ。その上からスカートと同色のベストを着た少女。赤い髪をした彼女は、この図書館の司書を務める少女だ。
 
 無論、この館に勤める以上、彼女も普通の人間ではない。その頭と腰から覗く蝙蝠のような皮膜の羽根が、彼女が魔に属する者である事を現している。
 
 霖之助は小さく右手を挙げて、「やあ」と司書である小悪魔に挨拶すると、彼女は霖之助の恰好を見て驚きに目を見開き、
 
「……香霖堂さんですよね? どうしたんですか? その恰好は?」
 
 既に霖之助と面識のある彼女は、目をパチクリさせて興味深そうに問い掛けてきた。
 
 対する霖之助は小さく肩を竦めて、
 
「いや……、少し事情があってね。今はこの邸で働かさせてもらってるんだ」
 
 そして本来の目的である本の貸し出しを切り出してみる。
 
 すると彼女は満面の笑みを浮かべて、扉を開ききり霖之助を迎え入れると、彼と共に本棚の間を歩きながら、
 
「お望みのジャンルがあればどうぞ仰ってください。此処には絵本から魔導書、果ては外の世界の本まで有りとあらゆる知識が収められています」
 
 小悪魔の説明を受けながら本棚を眺める霖之助が一冊の本に目を付けた。
 
「……“幻想郷縁起”の写本まであるのか」
 
「えぇ、今代の阿礼乙女、稗田・阿求さんの所に行って、書き写してきたんですよー」
 
 印刷技術、製本技術の普及していない幻想郷において、本とは手書きの一品物で大変貴重である。……いや、物によっては財産と言い換えてもいい。
 
 如何にここが幻想郷最大の図書館とはいえ、稗田・阿求も“幻想郷縁起”を寄贈するつもりにはなれなかったのだろう。その為の写本である。
 
 その本を本棚から抜き出し、ペラペラとページを捲る。……と、あるページに小悪魔の事が記されているページを見つけた霖之助はその項を指さし、
 
「君も載っているじゃないか」
 
 言った瞬間、後悔した。
 
「──えぇ、原本の方には無かったので、自分で書き足しておきました」
 
 ……イイデスヨネ? 香霖堂サンハ。3ページモ紹介サレテイテ。
 
 笑っているはずなのに、笑っていない。……濁った眼差しの無表情な笑みで淡々と告げる彼女に恐怖を感じる霖之助。
 
 その後、恐る恐るといった手つきで“幻想郷縁起”の 写本を本棚に戻し、極力その話題に触れないようにしつつ本を探しながら見て歩くと、この図書館の主である魔女と遭遇した。
 
 ゆったりとしたネグリジェのようなローブにナイトキャップに酷似した帽子を被った紫色の髪を足下まで伸ばした少女。
 
 七曜を操る魔女にして、紅魔館の主人レミリア・スカーレットの個人的友人、パチュリー・ノーレッジだ。
 
「やあ、お邪魔しているよ」
 
 挨拶する霖之助に対し、パチュリーは興味なさげに彼を一瞥すると早口で、
 
「本を傷つけたり騒いだり盗んだりしない限り好きにしてもらって良いわ」
 
 そう告げて霖之助の前から姿を消した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その後、霖之助が何冊かの本を借りて読んでいるとフラリと1冊の本を持ったパチュリーが彼の元を訪れた。
 
「帰るときで構わないから、この本を妹様の所に届けて貰えないかしら?」
 
 差し出された本を受け取り一度表紙に目を落とすが、それは何の変哲もない学術書である事を彼の能力が知らせてくれる。
 
「それは構わないが、こんな時間にまだ起きて……、あぁ、吸血鬼だったね」
 
 だとしたら、日が沈み夜も深まった今からが、彼女達“夜の眷属”の本当の活動時間だ。
 
 文々。新聞を通して、その存在を知ってはいるが、実際に会うのは初めてだ。
 
 ……これも執事の仕事か。と割り切り、了承の返事を返して渡された本を手元に引き寄せた。
 
 パチュリーは小さく頷いてフランドールへの言づてを伝えると踵を返し、霖之助の前から姿を消す。
 
 そして彼の視界から自分の姿が完全に見えなくなると、その顔に暗い笑みを浮かべ、
 
 ……これで妹様が、あの男を亡き者にしてくれたら、──ふふふ。
 
 愛しい魔法使いの事を想い、思わず笑みが零れるのを慌てて自重する。
 
 ……ふふふ、さあ、落ち込む魔理沙を慰める準備をしないと。
 
 まるでスキップでも踏みそうな自らの主人の後ろ姿を、小悪魔は不思議そうに眺めていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 パチュリーが去ってから、2時間ほどで本を読み終えた霖之助は、借りていた本を元の場所に戻して彼女の用件を果たすべく更に地下へと本を携えて向かう。
 
 紅魔館最下層で彼を迎えてくれたのは鉄拵えの見るからに頑強そうな扉だ。
 
 幾重にも鎖で補強されたドアを三度ノックすると、扉の向こうから「はーい♪」という無邪気そうな返事が返ってきたので、霖之助は鎖を一つずつ解除して入室した。
 
 光の届かない室内で、ランプの光源に揺れるのは七色の歪な翼の影。床に散乱する壊れたぬいぐるみや人形の残骸。
 
 ベッドに腰掛け彼を待ち構えていたのは、紅魔館の主人、レミリア・スカーレットの妹、フランドール・スカーレットだ。
 
 薄い金色の髪の幼い少女は、無邪気な笑みを浮かべたまま興味深そうに霖之助を眺め、
 
「貴方は誰? どんなご用事?」
 
 訪問者が珍しいのだろうか? 楽しそうに問い掛けるフランドールに、霖之助は手にした本を彼女に手渡すと、パチュリーからの伝言を伝える。
 
「僕は森近・霖之助。色々と事情があってね、今はここで執事なんかをやっている。
 
 それで、図書館の魔女からの伝言だけど、明日までにこの本の125ページから130ページまでをやっておく事。だそうだよ」
 
 そう伝えるとフランドールは不服そうな顔で、
 
「えー……、パチェの授業はつまんないからヤー」
 
 頬を膨らませてそっぽ向き、不満そうに告げる。
 
「勉強は嫌いかい?」
 
「キライー! だってどんなに勉強しても、全然使うような事無いんだもん!!」
 
 伝え聞く話によると、彼女はずっとこの部屋に閉じ込められているという。
 
 彼女の姉が、どのような思惑でフランドールを閉じ込めているのかは知り得ないが、せめて彼女の暇潰し程度の話くらいならしてやってもかまわないだろう。
 
 そう思って霖之助が口を開くよりも早く、フランドールがある提案をした。
 
「ね? 弾幕ごっごしよ!」
 
 霖之助の返事を待たず、フランドールは彼から距離を取ると、魔杖を振りかざし、
 
「禁忌“クランベリートラップ”!!」
 
 全方位から襲いかかる弾幕に霖之助は息を呑む。
 
 何時までも呆けている余裕などあるわけもなく、慌てて何とか躱わし続けるが若干の余裕があったのは最初の内だけで、時間が経つごとに弾幕の密度が増していく。
 
 一方向からの攻撃ならば、傘で凌ぐ事も可能だが、こうも間断無く全方位から攻められると、正直成す術が無い。
 
 ……確か、霊夢は全体を見ながら最小限の動きで避けるのがコツとか言っていたような。
 
 とはいえ、コツを聞いたくらいで実践出来るならば、誰も苦労はしない。
 
 それが可能なのは、霊夢のような一部の天才だけであり、普通の人間は何度もやられながら、身体でその感覚を覚えるしかないのだ。……問題は、今、目の前で相対している存在の攻撃は、一度でも喰らうとその時点で人生ゲームオーバーになりかねない破壊力を秘めているという事だ。
 
 周囲を包囲する弾幕に溜息を落とした霖之助は、それでもどこか達観した表情で、
 
「……どうか死にませんように」
 
 誰にとはなく、そう呟いた瞬間、無数の弾幕が彼に押し迫った。
 
 まるで時間が停止したような室内。
 
 そこで不思議な事が起こった。直撃を受けると思われた霖之助だが、まるで彼の居る場所が安全地帯であるかのように弾幕が全て避けて通り抜けて行ったのだ。
 
 勿論、彼が何かしたわけではない。何か出来る程の能力なども持ってはいない。しかし、それが運命であるとでもいわんばかりに無傷で彼はそこに立っている。
 
 彼の無事を確認したフランドールの表情が歓喜に彩られ、手にした魔杖を高々と掲げ、
 
「じゃあ、次行くよー♪」
 
 彼女の膨大な魔力が歪んだ鉄杖に流れ込み、杖を触媒として魔力は炎に変換され、炎は全長20mを越える長大な刃となって、霖之助に向けて振り下ろされる。
 
「禁忌──“レーヴァンテイン”!」
 
 流石に2度目の奇跡は起きる事無く、霖之助の身体は一瞬で劫火に呑み込まれた。
 
「……あれー?」
 
 驚くほど呆気なく終わってしまった事に、不思議そうに小首を傾げるフランドール。
 
 しかし次の瞬間、劫火の中から無傷で姿を現した霖之助を前に、今度は驚きに目を見開く事になる。
 
 ……まさか、店が崩壊した原因になったアイテムに助けられるとはね。
 
 霖之助が身に纏うのは獣の革で出来た外套。
 
 それは“なよ竹”のかぐや姫が求婚者達に出した難題の一つ、“火鼠の皮衣”。
 
 輝夜はその服を欲し、火を着けても燃えないというその服を手に入れられては厄介だという事で妹紅はそれを断固阻止しようと香霖堂で喧嘩して店を半壊させた。
 
 そんな曰く付きのアイテムのお陰で命が助かったのは何の皮肉かは知らないが、これ以上弾幕合戦が長引くと、流石に身体が保たない。
 
 そう判断した霖之助はポーチからミニ八卦炉を取り出し勝負に出るものの、突如フランドールの身体が4つに分裂した為、今度は彼の方が驚愕に目を見開く事になる。
 
 ──禁忌“フォーオブアカインド”。
 
「あはははは、たのしーね♪」
 
 ……僕は全然楽しくないんだけどね。
 
 4人に分身したフランドールを倒すにはミニ八卦炉では駄目だと判断した霖之助は、火炉をポーチにしまうと、代わりに一振りの剣を取り出す。
 
 細身の両刃直剣。飾り気の無い柄。特に目立つ所の無い剣だが、これこそが日本における最高峰の霊剣。
 
「……神器“草薙之剣”」
 
 腰溜めに構え、一気に横薙に払う。
 
 霖之助自身に剣術の心得は無いが、それでも神器の力は甚大で、刃が直接届いていないにも関わらず、余波だけで全ての偽りを消滅させ、更にはそれを受け止めた本物のフランドールが持つ魔杖をも断ち斬ってみせた。
 
 しかし、霖之助はそれで油断するでもなく、次の攻撃にそなえて気を引き締める。……が、彼の予想とは裏腹に何時まで待っても次のスペルカードが来るような気配が無い。
 
 それどころか、なにやらフランドールの方から泣き声が聞こえてきた。
 
「う、うぇ……。わ、わたしの杖……、折れちゃった……ぁ」
 
 涙をボロボロ零しながら泣きじゃくるフランドール。
 
 そこには先程まで圧倒的な暴力で弾幕ごっこに興じていた少女の姿は無い。……否、そうではない。どちらも彼女の本質なのだろう。
 
 ……つまりは、子供という事か。
 
 考えが纏まると、先程までの彼女に抱いていた恐怖は無い。彼女は純粋に霖之助に遊んで欲しかっただけなのだ。
 
 とはいえ、泣いた子供をそのままにしておくというのも後味が悪い。
 
 彼は諦めの溜息を吐き出し、フランドールの元に歩み寄ると、
 
「今回は僕が悪かった。お詫びにその杖は、僕が責任をもって直すから、それで泣き止んでくれないか?」
 
 昔、……まだ幼かった魔理沙をあやしていた時のように、膝を折って視線を合わしフランドールへと話しかける。
 
 まだしゃくり上げながらではあるが、フランドールは涙を拭い視線を霖之助へと向け、
 
「ひぐッ……。直るの? わたしの杖」
 
「勿論、直るとも」
 
 マジックアイテムの修復や制作は、彼の得意とするところだ。
 
 それでもフランドールは涙目で霖之助を見つめながら、
 
「ホント?」
 
「本当だとも」
 
「嘘だったら、キュッってしちゃうよ?」
 
 彼女の言うキュッと言うのは、彼女の能力を使い霖之助を破壊するという意味だ。
 
 それでも霖之助は恐れる事無く、絶対の自信を持って言う。
 
「絶対に直すと約束するから、キュッは止めてくれ」
 
 眼鏡越しに見る真摯な眼差しを前にフランドールは小さく頷いて二つに分かたれた魔杖を霖之助に差し出した。
 
 霖之助はそれを受け取りポーチに収めると、子供をあやすようにフランドールの頭を撫でてやる。
 
「あ……」
 
 生まれ持った力故に、親からも忌まわれてきた彼女は、頭を撫でられた記憶などなく。常に父性や母性というものに餓えていた。
 
「良い子だ」
 
 霖之助に頭を撫でられ、初めての感触に戸惑いながらも、気持ちの良さに目を細めて彼に身を任せる。
 
 やがて霖之助の手が少女の頭から離れ、パチュリーから渡された本へと伸びていくのを名残惜しそうに見つめるフランドール。
 
 霖之助はパチュリーに指定されたページを開き、
 
「じゃあ、勉強を始めようか。……分からない所があれば、僕が教えるから」
 
「えー……」
 
 それでも不満そうにするフランドール。
 
 対する霖之助は小さく肩を竦め、
 
「全部出来たら、後でお菓子を貰ってきてあげよう」
 
 言われ、フランドールは少し考え、
 
「……頭も撫でてくれる?」
 
「全部、出来たらね」
 
「じゃあ、頑張るー♪」
 
 こうして、霖之助の蘊蓄を交えながら行われた勉強会は、通常の倍以上の時間が掛かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
 その頃、紅魔館のとある一室。
 
 この館の主である見かけだけは幼いながらも、500年を生きた吸血鬼は安堵の吐息を吐いて深々とソファーに腰掛けた。
 
「お疲れさまでした。お嬢様」
 
 何時の間にそこに居たのか? 彼女に仕える瀟洒な従者が手にしたカップを主人へと手渡す。
 
「ありがとう咲夜」
 
 礼を述べ、渡された紅茶に口を付け、再度安堵の吐息を吐き出すレミリア。
 
 今回の一件。全ては彼女の能力によるものだ。
 
 香霖堂が半壊したのも、彼が紅魔館へやって来たのも、パチュリーが彼をフランドールに差し向けたのも、フランドールの攻撃から彼が無事だったのも。……全ては、愛しい妹が為に。
 
 ……495年もの長きに渡り、妹を地下に閉じ込めてきた彼女が今更姉面出来ようとは思わない。ならばせめてフランドールには父性や母性を知ってもらいたい。
 
 そんな思いからの行った運命への介入。
 
 上手くいったようで一安心だ。──フランドールも大切だが、もし霖之助を傷つけでもしたら、魔理沙、霊夢、紫に慧音。……下手をすれば永遠亭の姫様も黙っていない。
 
 流石にその戦力を相手に喧嘩を売ろうとは思わないので、彼の身の安全には慎重に慎重を重ね、自身のみならず咲夜にも動いてもらった。
 
「貴女もお疲れさま咲夜。──今日はもうお休みなさい」
 
「はい……。では失礼しますお嬢様」
 
 そう告げると、完璧な従者は音もなく部屋から消えた。
 
 香霖堂が破壊されたそもそも原因は自分の運命操作にあるので、その再建費は出してやってもいいのだが、元を取る分は働いて貰おうと思い密かにほくそ笑む。
 
「……それにしても、フランってば本当に気持ち良さそうだったわね。……私も一度頭を撫でてもらおうかしら?」
 
 そんな事を考えながら、何時まで経っても冷めない紅茶に口を付けた。
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