香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第55話 按摩師 紅・美鈴
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「こんにちわー」
 
 明るい声と共に香霖堂のドアを開けてやって来たのは、紅魔舘の門番、紅・美鈴だ。
 
「やぁ、いらっしゃい」
 
 今日は約束していた日傘の受け取り日。
 
 出迎えた霖之助は席から立ち上がると、奥の部屋に用意しておいた日傘を取り、美鈴に手渡す。
 
 緊張した面持ちでそれを受け取った美鈴は、恐る恐る傘を開いた。
 
 それは蛇の目傘にも似た形状の中華風傘。
 
 美鈴の衣装に合わせたのか、淡い緑を基調とし、金色の龍の模様が施された一品。
 
「元来、傘とは笠の事を指し、笠とは漢字で書くと竹が立つとなる。
 
 竹は古来より、青々として真っ直ぐに伸びる様子から、榊と共に清浄な植物とされていたんだ」
 
 その証拠に、美鈴の傘の材料は竹が使用されていた。
 
「勿論ただの竹じゃない。とある筋から入手した高草郡の光る竹を使用している。気を使う程度の能力を持つ君が扱えば、その強度は鋼さえ砕くだろう」
 
 言われた通り傘に気を通してみると、意外な程にすんなりと気が流れていくのを知覚した。
 
 ……確かに、これなら鋼でも砕けそう。
 
「凄いです、店主さん!」
 
「なに、商人としては当然の事だよ」
 
 口ではそう言うものの、実は褒められた事が嬉しかった霖之助は口元を僅かに綻ばせる。
 
「さて……、それじゃあ、そろそろ人里の方に行ってみようか」
 
「はい!」
 
 元気良く返事を返す美鈴を伴って、霖之助は人間の里へ向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ご無沙汰しています」
 
 霖之助がやって来たのは人里一の大手道具屋であり、魔理沙の実家でもある霧雨道具店。
 
「おぉ、霖之助じゃないか。……どうした?」
 
 霖之助を出迎えてくれた霧雨の親父さんは、問うてから彼の後ろに立つ美鈴の存在に気付き、
 
「そうか……」
 
 一人納得してウンウンと頷いて、
 
「お前も遂に身を固める事にしたか……」
 
「……親父さん?」
 
 遠い目をして、感慨深げに零す親父さんを不審な目で見つめる霖之助と美鈴。
 
「あぁ、言わなくても分かる。仲人を頼みに来たんだろう。それで式は何時だ? 和式か? 洋式か? ……それともそちらのお嬢さんの恰好からして、中国式か? それは流石に経験は無いが、……何、大丈夫だ心配するな。全て私に任せておくといい」
 
「し、式って、私と店主さんがですか!?」
 
 霖之助の横顔を一瞥し、慌てふためく美鈴。
 
「いやいや初々しい恋人じゃあないか」
 
 美鈴の様子に顔を綻ばせた親父さんだが、ふと何かを思い出したように、表情を真剣なものに変えると、
 
「だが慧音先生はどうする? お前、彼女と婚約したんじゃなかったのか。いや、お嬢さんが悪いと言っているんじゃない。見た所、愛想も良さそうだし、気立ても申し分ない。
 
 しかしだな、霖之助。新しい恋人が出来たからと言って、一度結んだ婚約を破棄するというのは正直褒められた――」
 
「親父さん」
 
 霖之助の言葉に、親父さんは言葉を止める。
 
「……分かってて、言ってるでしょう?」
 
「まぁな。お前との付き合いも、結構長いんだ。そんな甲斐性が無い事くらい分かってる」
 
 その意見には同意出来るのか、何時の間にか正気に戻っていた美鈴も頷いていた。
 
「……無いですか? 甲斐性」
 
「無いだろ」
 
「有りませんよね」
 
 二人同時に溜息を吐き出されたので、霖之助は慌てて話題を転換する事にした。
 
「今日は、ちょっと親父さんに見てもらいたいものがありまして」
 
 言って、美鈴の方を振り返る。
 
 霖之助からここが魔理沙の実家であると聞き及んでいる美鈴は緊張の為、一度喉を鳴らし、
 
「ほ、紅・美鈴です。よろしくお願いします!」
 
「今度、香霖堂で、按摩の出張サービスを始めようと思いまして、親父さんに宣伝を頼もうかと」
 
「按摩か……」
 
 呟き、視線を霖之助に向け、
 
「霖之助。商売を手広く展開するのは良いが、自分の店が何屋なのかを忘れるなよ?」
 
「ウチは徹頭徹尾一貫した古道具屋ですけど?」
 
 真顔でそう答える霖之助に対し、親父さんは呆れた表情を返した。
 
「まあ、試しに受けてみてください」
 
 と美鈴に肩揉みを指示する霖之助。
 
 小さく頷くと、美鈴は素早く親父さんの後ろに回って肩揉みを開始。
 
 気を操る事の出来る美鈴は、相手の気の澱みを探り清廉な気を流しながら澱んだ気を浄化する。更に彼女は中国四千年の歴史に育まれたツボの位置も全て把握しているので、按摩師としての腕は、人里の本職と比べても数段上をいく。
 
 10分程で終わった肩揉みの後、親父さんは大きく肩を回し、
 
「……驚いたな。最近は五十肩に悩まされていたんだが、嘘みたいに軽いぞ」
 
「応急処置ですから、二、三日もすればまた徐々に肩が重くなってきます。
 
 本格的に治療しようとすると、鍼灸と漢方も交えながら長期に渡って続ける必要がありますけど」
 
「いや、それでも大したものだ」
 
 頻りに感心した親父さんは、美鈴のマッサージの宣伝を確約してくれた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 香霖堂按摩出張サービスのお客第一号として名乗りを挙げた霧雨のおかみさんに早速マッサージを施すべく、美鈴が奥の部屋に行っている間、霖之助は霧雨の親父さんと株式について話を進めていた。
 
「……株式投資か。――話には聞いているが、幻想郷で流行るかと問われると、正直首を傾げるな」
 
「始めの内は皆様子見でしょうね」
 
 何しろリスクが大きい。だが、その分見返りの額も大きい。
 
「誰かが株で儲けたという話しを聞くようになれば、確実に流行っていくと思いますが」
 
「額の大きな博打だと思えば、それなりに楽しめる。……とでも言いたいのか?」
 
「失敗した場合は破産は確実でしょうが、小さな店にしてみれば、株式投資の制度はチャンスでもあります」
 
 前例が出来れば、食いついてくる店も出るだろう。
 
 そして、それは株式市場の活性化に繋がる。
 
 ――霖之助としては、香霖堂をその前例にする気満々である。
 
「ふむ……」
 
 唸り、霧雨の親父さんは逡巡する。――更なる事業拡大を目指すか、現状維持を続けるか……。
 
 ……どうせ、跡取りも居ない事だ。老後の為の最低限の財産だけ残すつもりで、賭に乗ってみるのも良いかもしれない。
 
 ……それにしても、
 
「商売が上手くなった……、いや、人を使うのが上手くなったな霖之助」
 
 褒められた霖之助は、彼にしては珍しい表情……、照れ笑いを浮かべて、
 
「そう。……ですかね。自分では、まだまだだと思っているんですが」
 
 対する親父さんは霖之助とは対照的に苦笑を浮かべ、
 
「今だからこそ言うが、実はお前が自分の店を開いたと聞いた時は、不安だったんだ。
 
 お前は店の売り上げより、自分の趣味を優先させるような所があったからなぁ……」
 
 遠い目をして、感慨深げに告げる親父さん。
 
 自分でも自覚はあったが、恩師に言われてしまうと、霖之助としては苦笑いしか出ない。
 
「まあ、今でも気に入った商品は非売品にしてますが」
 
「それだけは治しようがないか……」
 
「えぇ、止めるつもりもありません」
 
 そう言うと、どちらからともなく心地良い笑いが零れた。
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