香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第54話 門番と傘
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「君はどう思う?」
 
 薄暗く埃っぽい図書館で、霖之助が机を挟んだ向かいに居る七曜の魔女に問い掛ける。
 
「貴方の店一軒では、株式投資は成立しないわ。市場として成立させるには、どうしても複数の企業が欲しいところね」
 
 昼食後、霖之助はパチュリーの元を訪れ幻想郷における株式市場の普及について意見を求めていた。
 
 株式投資の概念に関しては近世以降に発達した概念なので、パチュリーもそれに関する知識は持ち合わせていてくれた。そのお陰で、説明の手間が省けたのは幸いだろう。
 
「一応、人里の霧雨道具店、それに永遠亭には話を通そうとは思っているけどね」
 
 霧雨道具店は幻想郷最大手の道具屋で、永遠亭の置き薬は幻想郷中の家にはほぼ必ずと言っていい確立で置かれている。知名度という点から言えばこれ程の面子は無いだろう。
 
「それに幻想郷で唯一外の世界の道具を扱う香霖堂を加えた三軒で暫く様子を見ようと思ってる。
 
 噂が広がれば、他の店も市場に名乗りを挙げるだろう」
 
 とはいえ、噂を広めるにも実績が必要だ。
 
「パトロンに心当たりは?」
 
「紅魔舘、それに阿求辺りにも声を掛けてみようと思う。それで一通りの利益が見込まれれば、文々。新聞に号外という形で知らせてもらおうと思ってる」
 
 確かに射命丸ならば、この新しい制度には興味を示して食いついてくるだろう。
 
「それでもリスクは高いわね。……下手すれば、貴方のお店が潰れかねないわよ」
 
「その時は行商からやり直すさ」
 
 肩を竦めて告げる霖之助だが、パチュリーにしても香霖堂という空間はこの図書館と同じくらいに居心地が良い場所なのだ。……それが失われるのは少し困る。
 
「レミィの方は私が言いくるめておくわ。後は貴方がなんとかしなさい」
 
「あぁ、恩に着るよ。……所で、この間無縁塚に行った時に面白い本を見つけたんだが……」
 
 その後、ヴォーカロイドについて一昼夜に渡り熱く意見を交換しあう二人だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 霖之助が図書館で熱く語り合っている時、外では既に雨も止み、門前の美鈴も目を覚ましていた。
 
「ん……。ふぁ――!!」
 
 大きく伸びをすると、彼女の肩に立て掛けられていた番傘が地面に落ちた。
 
「あれ?」
 
 落ちた傘を広い、地面が濡れている事で雨が降っていた事に気付いた美鈴は、自分がこの傘によって雨から守られていた事を悟り、誰とも知らない傘の持ち主に感謝する。
 
 ……と、その時だ。美鈴の視界の遙か彼方に箒に乗った白黒の姿が見えた。
 
 もはや見慣れた人影だ。見間違う事などありはしない。
 
 僅かに身構える美鈴だが、まだ距離がある。――そこに僅かな油断があった。
 
 何の前触れも無く、超長距離からのマスタースパークが、紅魔舘の門に向けて一直線に放たれる。
 
「嘘!?」
 
 流石に威力減衰はあるものの、それでも美鈴を吹っ飛ばし、門を破壊するには充分過ぎる破壊力は残っているであろう一撃。
 
 咄嗟に傘を盾にする美鈴だが、
 
 ……これ、借り物だった。
 
 頭の隅でそう思考する。しかも、誰に借りたのかすら分からないのだ。
 
 ……後で新しい傘買って返さないと。
 
 傘を引っ込めようとするが、もう遅い。熱を伴った衝撃波は眼前にまで迫っていた。
 
 ――直撃。
 
 しかし、衝撃は腕に伝わってくるものの、いつも全身で受けるそれに比べれば本当に些細なものだ。
 
 やがて衝撃と光が収まり、恐る恐る傘から顔を覗かせてみると、箒に跨った魔理沙がすぐ近くにまで来ていた。
 
 唖然という言葉を表情にすると、今の魔理沙そのものだろう。
 
「おいおい、何で無傷なんだ?」
 
「え、……さあ? ……もしかして、この傘のお陰ですか?」
 
 言って美鈴が掲げて見せた見覚えのある番傘を前に魔理沙は渋面を作り、
 
「げ、香霖の奴、店の方に居ないと思ったら紅魔舘に来てたのか」
 
 このまま乗り込むと、間違い無く説教を受けるな、と判断した魔理沙はそのまま空中で反転し、
 
「今日の所は帰るぜ」
 
 そう言い残し、飛び立って行ってしまった。
 
 残された美鈴は、手にした傘に視線を落とし、魔理沙の残した言葉からこの傘が霖之助の作である事を知り、
 
「……ありがとうございます」
 
 傘を眼前に掲げ、深々と一礼してから丁寧に畳んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 雲も晴れ渡り、空には太陽が顔を覗かせる頃になって、ようやく霖之助が紅魔舘から出てきた。
 
 ……さて、これから忙しくなる。
 
 中庭を越え、門の前にまで出ると、そこでは美鈴がゆったりとした動きで太極拳の演舞を行っていた。
 
「やぁ、精が出るね」
 
「あ、店主さん。お帰りですか」
 
 美鈴は、動きを停めると塀に立て掛けてあった番傘を手に取り、
 
「これ、店主さんが掛けてくれたんですよね? ありがとうございます。お陰で助かりました」
 
「まあ、妖怪は雨に濡れた程度で風邪なんかひかないとは思うが、服が濡れたままというのも気分が良いものじゃないと思ってね」
 
 常連とまではいかないが、彼女もちゃんとお金を払ってくれる上客に違いないので、この程度のサービスはしても罰は当たらないだろう。
 
「いえ、そうじゃなくてですね。今日、魔理沙が来たんですけど、彼女の弾幕をこの傘が防いでくれました」
 
 なるほど、と頷き、霖之助は美鈴が差し出した傘を手に取り、そのままポーチに収納した。
 
「形状こそは違うが、この傘は風見・幽香や八雲・紫。それに、ここ紅魔舘のスカーレット姉妹が愛用する日傘と同じ性能を持った物だからね。
 
 品質については、彼女達の保証付きだよ」
 
 余程自信があるのだろう。そう答える霖之助の態度に臆する所は微塵も見られない。
 
「はー……。そうなんですか」
 
 感心する美鈴だが、彼女は僅かに躊躇うように、
 
「あの……、やっぱり、その傘ってお高いんですよね?」
 
 問われた霖之助は指を一本立て、
 
「これくらいはするね」
 
「い、一円ですか!?」
 
 傘としては法外な値段だ。だが霖之助は首を振り、
 
「十円だ」
 
「高ッ!?」
 
 反射的に、そんな言葉が飛び出した。
 
「あうう……、絶対に手が出ません……」
 
 これさえ有れば、魔理沙との弾幕合戦にも勝てるかもしれないという光明が見えていただけに落胆の度合いも大きい。
 
 跪き、ガックリと項垂れる美鈴を前に、霖之助は暫し考え、
 
「そう言えば、君はマッサージとかは得意だったね」
 
 執事のアルバイトをしていた時、偶に美鈴のマッサージにはお世話になったが、彼女のマッサージを受けた翌日の体調の良さは、むしろ異常かと思う程のものだった。
 
 その事を思い出した霖之助は小さく頷き、
 
「僕が仕事を斡旋するから、君は人里の方でマッサージのアルバイトをやってみないか?」
 
「んー……、でも私、持ち場をそうそう離れられませんし」
 
「その辺に関しては、僕からレミリアに交渉してこよう」
 
 何か考えがあるのか、霖之助は美鈴の言葉を待たずに踵を返し、再び紅魔舘へと姿を消した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ――その30分後。
 
「傘の代金分の返済が終わるまで、週休1日の休みをくれるそうだ」
 
「ほ、本当ですか!?」
 
「本当だとも」
 
 意外と簡単だった。
 
 美鈴のマッサージは香霖堂からの派遣事業の一環である事にすれば、その効果の程もあって、一躍、香霖堂の名前は人里に知れ渡るだろう。
 
 そうなれば、香霖堂の株価の値上がりも必至。と説明したらレミリアは運命を覗き見たのか、深々と溜息を吐き出し、
 
「……これも、運命かしらねぇ」
 
 と諦めじみた呟きを零してから、キツイ目つきで霖之助を睨み、
 
「店主。……一つ忠告しておくが、私が他の娘達のように簡単に籠絡されると思っていたら、大間違いだからな」
 
「……君が何を言っているのか、サッパリ分からないんだが?」
 
「簡単に言うと、……私にデレは無いという事だ」
 
「ますます分からないんだが……」
 
 ともあれ、交渉は無事に成立。
 
 部屋を辞した霖之助は、そのまま門前までやって来たという。
 
「そういう事だから、次の休みにでも香霖堂にやって来ると良い。
 
 それまでに、君用の傘を作っておこう」
 
 霖之助の言葉に美鈴は深々と頭を下げ、
 
「あ、ありがとうございます!!」
 
 誠意の籠もった感謝の言葉を吐き出した。
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