香霖堂繁盛記
書いた人:U16
第53話 本日休業(株式勧誘編)
幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
掲げられている看板には香霖堂の文字。
店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
●
……魚が食べたい。
朝、目が覚めた霖之助の最初の思考がそれだった。
シンプルに塩焼き、新鮮な物なら刺身でも良い。小さな雑魚ならば、まとめてフライにしたり、多くとれたのならある程度保存の利く燻製や塩辛にするのもいいだろう。
……甘露煮や田楽なんかも捨てがたいな。
食事を必要としない半妖の霖之助にとって食事とは嗜好品以外の何物でもなく、嗜好品である以上、とことんまで凝る。
折角作るなら美味しい物の方が良いし、その為の手間暇を惜しむつもりは毛頭無い。
着替えながら、調理法を考え、その日は店を休みにして霖之助は釣り竿を片手に霧の湖へと向かった。
●
目的地に到着した霖之助は、適当な場所を確保すると針に餌を付けて湖に向けて投入。
後は魚が掛かるまで、本を読んで待つ事にした。
餌を取られている事にも気付かず、読書に熱中する霖之助。
その時だ。それまで晴れ渡っていた筈の空が急に曇り始め、霖之助の頬に雨粒が落ちてきた。
「おや? 天気が……」
本を閉じ、釣り竿を片付ける。と同時、雨が本降りになってきたので、霖之助はポーチから番傘取り出した。
「さて、どうしたものか……」
この雨の中、空を飛ぶと濡れるのは確実だろう。
周囲を見渡し、雨宿り出来そうな場所を探すと、彼の目に映ったのは大きな洋館。
幻想郷の住人で知らぬ者は居ないであろう、紅魔舘が見えた。
暫く思案した霖之助は、やがて紅魔舘の方へと足を向ける。
……まぁ、雨宿りくらいならさせてもらえるだろう。
雨の中、傘を差して歩いて行くと、やがて大きな洋館が近づいてくる。
その門前に立つ美鈴に、霖之助は片手を上げて気軽に挨拶するが、美鈴の方は何の反応も示さない。
不審に思って近づいてみると、美鈴は器用に立ったままで睡眠を取っていた。
「……器用な娘だ」
半ば呆れながらも、美鈴がこれ以上濡れないよう、彼女の肩に自分が差していた番傘を立て掛けてやり、自分は小走りに紅魔舘の玄関へと向かった。
●
「というわけで、急な雨に降られてしまってね。雨宿りさせてもらいに来たんだ」
出迎えの咲夜が手渡してくれたタオルで頭を拭きつつ、気が付けばテーブルに置いてあった温かいコーヒーを喉に流し込む。
「それで、結局魚は釣れたんですか?」
「いや、全然。というか気が付いたら読書に熱中していて餌だけ取られていたよ」
肩を竦める霖之助に、呆れたような吐息を吐く咲夜。
「店主といいパチェといい、どうして読書好きにはこうも変人が多いのかしらね?」
実際に呆れたように告げるのはこの館の主、レミリア・スカーレットだ。
彼女も咲夜同様、小さく吐息を吐くと、
「咲夜、昼食は魚料理にして頂戴。この店主を唸らせるようなとびきり美味しいやつ」
「かしこまりました、お嬢様」
一礼して姿を消す咲夜。
それを見送った霖之助も立ち上がり、
「じゃあ、僕も図書館の方へ顔を出させてもらうよ」
「駄目よ」
言った瞬間、レミリアによって駄目出しを貰った。
無言のまま、怪訝そうにレミリアを見つめる霖之助。
そんな彼に向け、レミリアは、
「アンタが図書館に行くと、昼の時間が過ぎても絶対に食堂にやって来ないでしょうが。
――アンタの為に、腕によりを掛けて料理してる咲夜に悪いと思いなさい」
そう言われると、前科があるだけに霖之助としても断りにくい。
「さて……。折角、こうして昼の早くから目が覚めたんだ。昼食の時間まで何か面白い話をしなさい店主」
お得意様の機嫌を損ねるのも得策ではないと判断した霖之助は溜息を一つ零し、
「では、――少し、金の話をしてあげよう」
「……もっと面白くて暇潰しになるような話をしなさいよ」
半眼で霖之助を見つめつつ、呆れ返った声色でそう言った。
●
「失礼します」
ドアが三度ノックされ、咲夜の声が聞こえてきたので、ブツブツと呟きながら考え事をしているレミリアに代わり、霖之助が入室の許可を出した。
扉が開かれ、咲夜が入って来たのに気付いたレミリアは、彼女が口を開くよりも早く、
「咲夜、紅魔舘の経理帳と財産目録を持ってきてちょうだい」
「経理帳と財産目録……、ですか?」
戸惑いながらも、次の瞬間には既に彼女の手元には二冊の冊子が握られていた。
「見ても面白い物でもありませんが」
「良いから、見せなさい」
咲夜から引ったくるようにして冊子を奪い、財産目録と経理帳を見比べる。
「執事をやっていた時に覗いていた程度の事なのでそれほど詳しくは分からないが、このままの生活が続けば、後五百年も経たない内に紅魔舘は没落すると思われる」
通常、貴族の収入というものは、王室からの特権予算と領地からの実入りなのだが、幻想郷においてはその二つは期待出来ない。
つまり、今の紅魔舘の収入は完全に0なのだ。
逆に出て行く分、――支出に関してだが、まず紫から供給されるレミリアやフランドールの食料となる外の世界の人間の代金。
更にその人間を生かしておく為の維持管理費。これは死んだ人間の血液は固まってしまい飲めなくなる為だ。
次に咲夜や妖精メイド達の食費+その他諸々。……本来、妖精メイド達に関しては食事は必要無いのだが、一度味をしめた妖精達は食事を娯楽として求めるようになっていた。
他には、魔理沙が強行突入する際に破壊していく物の修繕費や、パチュリーが香霖堂や人里で買っていく本代など、出費ばかりが嵩んでいく。
「…………」
その事実を改めて確認させられたレミリアは、顔を青ざめさせて霖之助を見つめる。
対する霖之助は冷めた表情で、手指を組んで橋を作り、それで口元を隠すようにして、
「……五百年後」
そう呟いただけで、ビクリと羽根を強張らせるレミリアだが、霖之助は構う事無く話を続ける。
「今のままの生活を続けたとすれば、間違い無く紅魔舘の財政は破綻するだろう。
……没落した貴族が、どんな生活を送っていたか知っているかい?」
問い掛けておきながら、霖之助はレミリアの答えを待たず話を進めていく。
「爵位を持っていながらも、場末の店で名も無き店員となっていたそうだ。子女に至っては娼婦となっていたものも珍しく無いと聞く。
五百年後……、人間のメイド長は既に死んでいるとして、美鈴は意外と何でもこなすから、何処でもやっていけるだろう。
パチュリーほど知識が豊富なら、里の寺子屋を紹介してあげてもいい。小悪魔は良く働いてくれるからね、何だったら香霖堂で正規雇用しても良いだろう。
だが……」
言葉を句切り、視線をレミリアに向ける。
「君と妹様はどうだろう? ……確かに力は強い。それは認めよう。だけど、誰かの下に就く事を是と出来るかい?
――例えば永遠亭の門番として就職したとする。
師しょ……、因幡・てゐなどは、ここぞとばかりに君をからかい倒すだろうし、鈴仙は元軍人だそうだから、上下関係には厳しいだろう。
永琳女史は、吸血鬼用の薬の実験台に君を使おうとするだろうし、輝夜に関しては対妹紅用の捨て駒として君を利用するだろう。……そんな生活に君は耐えられるかい?」
答えは否だ。そんな事、分かりきっている。
「とはいえ、君は今の生活を捨てられないだろうし、汗水垂らして働く事も出来ないだろう」
――そこで、
「外の世界には株式投資という資金運営の方法がるのを知っているかい?」
「……かぶしきとうし?」
初めて聞く言葉に小首を傾げるレミリア。
「そう。言ってみれば店に資金を提供する事で、儲けの何割かを還元してもらうというシステムだ」
例を挙げるとすれば、
「君が香霖堂に対して十円の資金提供をするとしよう。
そこで僕は、その十円分(一枚一円)の株券を君に渡す。勿論、紅魔舘だけでなく白玉楼や地霊殿などからもそれぞれに援助を受けるとしよう。
それを元手に事業を拡張して五円の儲けが出た場合、その五円を融資してくれた者達に分けて配るわけなんだが、当然、均等分配ではなく、多く融資してくれた者に多くお金を還元する事になる。
分かるかい? つまり、多く融資する程に多額のお金が戻ってくるという事だ。
そして、ここからが本番なんだが、この話が幻想郷中に広まったとしよう。
そうすると、株券に付く配当を目当てに君に交渉を持ち掛けて来る者も居る。
例えば八雲・紫が君の持っている株券を一枚二円で買い取ろうと言ってきた。
その場合、どうする?」
「う、売るわ!」
畳み掛けるように話し始めた霖之助に飲まれたのか、もしもの話である筈なのに、何故か切羽詰まったレミリアが緊張した面持ちで答えると、霖之助は僅かな間を置き、
「だが、翌年には香霖堂の利益が更に増して、もっと多くの配当金が得られるかもしれない。
そうすると、一枚二円で売るよりも多くの利益があるだろう」
「ううう……」
混乱の局地に達したレミリアが頭を抱えて蹲るが、そんな彼女に霖之助は優しく諭すように声を掛けた。
「だが君はツイている」
「え……?」
「君の能力があれば、株価の変動など火を見るよりも明らかだろう」
言われてみれば、確かにそうだ。
自身の能力を確認し、二度三度と頷き、そして頷く度にその眼差しに力が取り戻されていく。
やがて、完全にカリスマを取り戻した吸血鬼は、威厳のある態度で椅子から立ち上がると、
「香霖堂。この話、他の者には?」
「まだ喋っておりません」
レミリアの態度に合わせるように、慇懃な態度で応える霖之助。
そんな彼の態度に気を良くしたのか、レミリアは大仰に頷き、
「詳しい話をパチェに通しておきなさい」
その後は、紅魔舘の知識人と相談し、香霖堂の全株を買い占める。
……ふふふ、これで近い将来、経済的にも紅魔舘が幻想郷を支配する事になるわ。
高笑いを残して自室に引き上げるレミリアを見送る咲夜と霖之助。
残された二人は、互いに視線を合わせると、
「……こんな感じで良かったのかい?」
そもそもメリットばかりを語って、デメリットには一切触れていないのだが。
「えぇ、ありがとうございます。これで少しはお嬢様も紅魔舘の経済状態を気にしてくれると思うのですけど」
何しろ家計簿が赤一色なのだ。紅魔舘の財政までも管理するメイド長としては気が気ではない。
幾らここが紅魔舘で、門番の苗字が紅で、主人の姓がスカーレットだからといっても、そこまで赤に拘ってもらいたくないというのが本音だ。
「……そうなると、良いんだがねぇ」
一体、何時から仕込みだったのか、それは咲夜と霖之助にしか分からないが、全ては咲夜が自分亡き後、レミリアを思っての事。
霖之助としては、咲夜の考えに感銘して、……というわけではないが、レミリアに語った株式投資の話もあながち出鱈目な事ではなく興味事態はある。
……上手くいけば、香霖堂が幻想郷の経済を牛耳るのも夢ではないかもしれないな。
その為にも、パチュリーとてゐ。そして霧雨の親父さんの協力は絶対に必要となってくるだろう。
……今の内に懐柔しておくか。
「何か仰いました?」
「いや、何でもない」
「そうですか。――でしたら、お食事の準備が出来てますので食堂の方へどうぞ」
その日の昼食は鯉の香草蒸しで、和食を期待していた霖之助としてはちょっと当てが外れてしまったが、これはこれで中々に美味だった。