香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第51話 手回し→足踏み
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「あら?」
 
 アリスが新たな人形を作ろうとして困惑の声を挙げる。
 
 愛用の手回しミシンのハンドルを回してみるも、何の反応も得られない。
 
 ……壊れた?
 
 色々と試してみるもミシンが動く気配は無かったので、そう結論を出したアリスは深々と溜息を吐き出し、
 
「……あそこしか無いわよねぇ」
 
 幻想郷広しと言えど、ミシンの修理を請け負ってくれるような店は一軒しかない。
 
 だが、あの店に行くのは少々気が引ける。
 
 ……ちょっと、顔会わせ辛いのよね。
 
 パルスィのお陰で、未然に回避されたものの、一方的な嫉妬心からあの店主を殺そうとした事に、負い目がある。
 
 霖之助は知らない事なので、普段通りに接しさえすれば問題無いのだが、生来生真面目なアリスとしては、そこら辺が妙に気になってしまうのだ。
 
 ――とはいえ、ミシンが無いと作業効率が落ちるのもまた事実。
 
 重い溜息を吐き出して立ち上がると、アリスは人形達にミシンを持って付いてくるように命令して香霖堂へ飛び立った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 香霖堂に到着したアリスは、緊張した面持ちで扉を開けた。
 
「いらっしゃい」
 
 ドアを開けてやって来た客がアリスだと知ると、霖之助は口元を綻ばせ、
 
「あぁ、丁度良かった。君に用事があったんだ」
 
 出鼻を挫かれ、調子が狂うが、何でもないように問い返す。
 
「また、下着類の発注があってね。君に頼もうと思っていたんだよ」
 
 霖之助でも女性物の下着程度は作れるが、発注者も男である霖之助に作られるよりは同性のアリスに作られた方が気持ち的に楽だろうという彼なりの配慮によるものだ。
 
 それを聞いたアリスは暫く考え込んで背後に控えさせていた人形達に持たせたままのミシンをカウンターの上に置かせると、
 
「壊れちゃったのよ。……コレが直ってからで良いかしら?」
 
「ふむ……」
 
 色々と試してみるも手応えが無い。
 
「シャフトが折れているのかな?」
 
 工具を持ち出して分解し、懐中電灯の光を当てながら中の様子を観察。
 
 原因が分かった霖之助は眉を寄せて難しい表情を作ると、
 
「やっぱり、シャフトが折れているようだね」
 
 ミシンを構成する部品はかなりの精度を必要とする。新たに新調しようとしても結構な時間が掛かるだろう。
 
「見た所、他の場所にも結構ガタがきているようだ」
 
 眼鏡を外し、代わりに精密作業用の単眼ルーペを装着してミシンの内部を覗き込みながら告げる霖之助。
 
「仮に、今直したとしても、そう遠くない内に今度は違う箇所が壊れかねないな」
 
 そう言って、再度眼鏡を掛けるとアリスに向き直り、
 
「どうだい? いっその事、この機会に買い換えてみては」
 
「でも、安い買い物でもないしね……」
 
 霖之助は一度頷くと席を立ち、奥から使い込まれた足踏み式のミシンを転がしてきた。
 
「これは、今まで僕が使ってたヤツなんだけどね。中古だから安くしておくよ」
 
 憧れの足踏み式ミシンを前に緊張するアリスは生唾を呑み込みながら、
 
「い、幾らかしら?」
 
「五円でどうだい?」
 
 ……高い!? いや、足踏み式ミシンとしてはそれでも破格の値段だ。だが、現金収入が人里での人形劇しかないアリスにしてみれば、手の届くような値段でもない。
 
「も、もう少し安くならないかしら……」
 
「ならないね」
 
 一蹴され、今にも跪かんばかりに落ち込むアリス。
 
 だが、と霖之助は前置きし、
 
「最近聞いた話なんだが、外の世界の金融取引にローンという制度があるらしい」
 
「……ローン?」
 
 聞き慣れない単語に、小首を傾げるアリス。対する霖之助は自信に満ちあふれた表情で頷き、
 
「言ってみれば、借金の分割支払いだね。
 
 そのミシンを例に例えるなら、まず僕がそのミシンを五円で君に売るとする。……だが、君は一括で支払いが出来ない為、毎月少額づつを僕に返済していくというわけだ。
 
 勿論、一応借金なので利子が付く事になるが、君は上客だからね。月々数%程度の低金利で良いよ」
 
「……月々の支払いって、幾らくらいになるの?」
 
「君に支払える程度の額で良いよ。……勿論、返済期間が長引くと、その分利息の額も増えていく事になるが。
 
 ――なんだったら、僕の方から仕事を回すから、それを仕上げてくれる事で支払いの代わりとしても良い」
 
 霖之助の提案を受けたアリスは暫し考え、やがて結論する。
 
「分かったわ。じゃあ、そうしてくれる」
 
「ふむ。……じゃあ、この書面にサインを貰えるかい? 君の事だから無いとは思うが、売買に関する事だからね、踏み倒しがあったりしたら困る」
 
 霖之助の商人としての一面に感心しつつサインする。
 
「これでこのミシンは君の物だ。……お買い上げ、ありがとうございます」
 
 深々と一礼する霖之助。
 
 そんな彼の大仰な態度にくすぐったいものを感じつつも、アリスは早速入った仕事をこなし、かつ憧れだった足踏み式ミシンの使い心地を試す為、我が家への帰路を急いで帰った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 アリスの姿が遠ざかっていくのを確認した霖之助は、工具を取り出すとアリスが置いていったミシンの内部で外れていたベルトを正規の位置に戻し、ハンドルを回して具合を確認する。
 
「ふむ。……こんなものかな」
 
 各所に油を差してカバーを閉じ、ミシンを奥の倉庫に仕舞う。
 
 アリスは知らなかったようだが、この手回し式ミシン。アンティークミシンの中でもヴィンテージが付くほどに稀少な代物だ。
 
 使い込まれてはいるが、余程丁寧に扱われてきたのか、装飾などにも陰りはみえない。
 
 一般に美術品と言えば、絵画や装飾品、壺や皿といった陶器などを想像するだろうが、歴史ある日用品の中には、実用性を保ちつつも存在自体が美術品の域にまで高められた品もある。
 
 このミシンは、正にそういった稀少品なのだ。
 
 ……付喪神になりかけているようだから、供養してから保管しておくか。
 
 勿論、霖之助にこのミシンを売るつもりは微塵も無い。
 
 また一つ、コレクションが増えた倉庫を眺め、満足げに頷いた霖之助は、ゆっくりと扉を閉じた。
inserted by FC2 system