香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第50話 魔女の誤算
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……そろそろ頃合いかしら」
 
 薄暗い部屋の中、水晶玉を覗く一人の少女がほくそ笑む。
 
 空色のエプロンドレス姿の彼女は恍惚とした表情で、
 
「待っていてちょうだい魔理沙。もうすぐ……、もうすぐ貴女をあの男の呪縛から解き放ってあげるわ」
 
 黒い笑みを浮かべる魔法使い、アリス・マーガトロイドは糸を手繰り一体の人形を起動させ、地下へと向かわせた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「人間……。じゃないわね」
 
 地下を進むアリスと瓜二つの姿をした人形の先に現れたのは、尖った耳と緑色の瞳が特徴的な橋姫と呼ばれる種族の妖怪で、名を水橋・パルスィという。
 
「まさか、地上の妖怪は地下に侵入してはならないという協定を知らないわけじゃないでしょう?」
 
「勿論、知っているわ。――だから、こうして人形を向かわせたんじゃない」
 
「人形?」
 
 言われたパルスィはマジマジとアリスそっくりの人形を様々な角度から眺め回し、
 
「妬ましい、妬ましいわ。――こんな生きているみたいな人形を持っているなんて妬ましいわ」
 
「欲しいんなら、後で貴女そっくりの人形も作ってあげるわよ」
 
 人形アリスがそう言うと、パルスィは手を振り、
 
「いや、それは別に要らない。……けど、これなら契約違反にはならないのかしら?」
 
「それくらい大目にみなさいよ」
 
 暫し考えたパルスィだが、やがて溜息を吐き出し、
 
「まぁ良いわ。余り騒ぎを起こさないでね」
 
 とっとと行けと手を振ってくる。
 
 だが人形アリスはその場に留まったまま、
 
「旧都にも地霊殿にも用事は無いわ。……私がこんなまどろっこしい事をしてまで地下にやって来た理由は貴女よ」
 
 名指しを受けたパルスィは不審気に眉根を寄せる。
 
 対する人形アリスは、彼女の態度など気にせず、
 
「貴女の力を貸して欲しいの」
 
「嫌だと言ったら?」
 
「別に。――力尽くで来てもらうだけだわ」
 
 対峙する二人の少女。身動ぎもせず睨み合う事数秒。……最初に折れたのは、パルスィの方だった。
 
「……まぁ良いわ。地上がどう変わっているのかにも興味があるし」
 
「そう……。なら、付いて来てちょうだい」
 
 告げると、人形アリスは踵を返し、地上へと向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「あらためて、初めまして。……と言った方が良いかしら?
 
 アリス・マーガトロイドよ」
 
 地上に出たパルスィがやって来たのは、魔法の森にあるアリスの家。
 
 そこで実物のアリスに出会い、改めて彼女の人形作りの腕に感心し、嫉妬する。
 
「名乗る必要は?」
 
「無いわ」
 
 端的に答え、人形達にお茶を用意させる。
 
 ……それにしても、
 
「良い嫉妬心ね」
 
 実際に会ってみれば分かる。彼女は橋姫になりかけている。
 
「褒め言葉には聞こえないわね」
 
 言って、数枚の写真……、恐らく新聞の切り抜きであろうそれを、テーブル上に投げた。
 
 それに映っているのは、どれもこれも少女達ばかりだ。……中には以前、地底に殴り込みに来た巫女の物まである。
 
「彼女達の嫉妬心を煽ってもらいたいの」
 
 複数の少女達から好意を寄せられているあの店主の事だ。嫉妬に駆られた少女達が勢い余って彼を亡き者にしてくれるかもしれない。いや、おそらくしてくれるだろう。
 
 勿論、嫉妬心を煽る少女達のリストの中に、魔理沙は含まれていない。
 
 ……霖之助を喪い傷心する彼女を優しく慰めてやるのが自分の役割なのだ。と、考えを巡らせて密かにほくそ笑むアリス。
 
 嫉妬心を操るパルスィならば、この契約に喜び勇んで協力してくれるとアリスは思っていた。
 
 誤算があったとすれば、パルスィは好き好んでこの能力を手に入れたわけではないという事か。
 
 パルスィとしては、別に橋姫となって後悔した事も、この能力を前に悲観した事も無いが、それでも自分の力には誇りを持って生きていたと言える。その力をそのような事に使うつもりは彼女には微塵も無かった。
 
 むしろ、使うとすれば……、
 
 徐に、カップを降ろし、持っていた手をそのままアリスに向けて突き付ける。
 
 突然の事に対処の遅れたアリスの額。そこに伸ばされたパルスィの指が触れた瞬間、それまでアリスの胸の内に渦巻いていた嫉妬の焔が霧散してしまった。
 
 キョトンとした眼差しで自分を見つめるアリスに構う事なく、パルスィは再度カップを持ち上げると、残っていた紅茶を全て飲み干し、
 
「もう少し地上で足掻いてみたらどう? こっちに来るのはそれからでも遅くはないと思うわよ」
 
 意味が分からないアリスをそのままにパルスィは席を立つ。
 
「あ、ちょっと!?」
 
 引き留めようとする声が聞こえたが、パルスィはそのまま地底に戻る為、飛び立った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ……さて、これからどうしたものかしら?
 
 一先ずの用事が終わったパルスィは地底への入り口を目指すが、久し振りの地上なので、何処かに寄り道でもしようかと思って、取り敢えず人里の方へと進路を取った。
 
 その途中、様々なガラクタに囲まれた家を発見。
 
 話の種にでも……、と思って近づいてみる。
 
「香……霖堂?」
 
 周囲には、初めて見る道具がこれでもかと積み上げられている。
 
 それを半眼で見つめつつ、
 
 ……全然、妬ましく無いわ。
 
 まぁ、ゴミで囲まれた家を見て妬むような者も居まい。
 
 取り敢えず窓から店の中を覗いてみると、そこでも用途不明の雑多な道具がひしめき合っていた。
 
 ……何の店なのかしら?
 
 好奇心を刺激され、パルスィは香霖堂の扉を潜った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「いらっしゃい」
 
 カウベルで客の来訪を知った霖之助が読んでいた本から視線を上げて、パルスィを出迎える。
 
「初めて見るお客さんだね。誰かに聞いて来てくれたのかな?」
 
「いいえ。ただ通りがかったら、変わった家が見えたから立ち寄ってみただけよ」
 
 言って、霖之助に視線を向け、
 
「綺麗な銀髪ね。……妬ましい。
 
 黄金の瞳ですって。……妬ましい。
 
 知的そうな眼鏡ね。……妬ましい」
 
 だが、どれだけ妬んでも霖之助は嫌そうな顔一つしない。
 
 それどころか、パルスィが妬む度に、顔が綻んでいくようだ。
 
「……何故?」
 
「ん?」
 
「何故、貴方は妬まれて嫌そうな顔一つしないの?」
 
 問い掛けるパルスィに対し、霖之助は小さく頷くと、
 
「妬まれる。……という事は、その分、僕が優れているという事だ」
 
 自分よりも相手の方が優れている為、嫉妬という感情が発生するのだから、逆説的に言えばそうなる。
 
「褒められているのに、何故嫌な顔をする必要があるんだい?」
 
 そういう発想は無かったのか、驚いたような表情で霖之助を見つめるパルスィ。
 
 そんな彼女に向け、霖之助は更に言葉を投げ掛ける。
 
「それに嫉妬深いという事は、それだけ向上心が高く負けず嫌いというだろう。……そんな人物を嫌う理由は無いな」
 
 逆に褒められてしまい、たじろぐパルスィ。
 
 妖怪となってから長く生きてきたが、そんな事を言われたのは初めてだ。
 
「あ、う……」
 
 何と返したらいいのか。言葉が上手く出てこない。
 
「君は、僕の髪が綺麗だと言ったが、僕に言わせれば君の髪や、その緑色の瞳の方が綺麗だと思うよ」
 
 言って立ち上がり、パルスィの髪に映えそうなイヤリングを選んで商品棚から持ってくる。
 
「うん。やはり思った通り、よく似合う」
 
 耳元に当てられた霖之助の指に握られているのは、小さな青い石を埋め込まれた金のイヤリング。
 
「そ、そんな綺麗なイヤリングを持っているなんて……、妬ましいわ」
 
「そうかい。……なら、このイヤリングは君に譲るとしよう。
 
 ――とはいえ僕も商人だから、流石にタダというわけにもいかないんだが、せめて目一杯マケさせてもらうよ」
 
 はにかんだ笑みを浮かべながら告げると、パルスィは顔を真っ赤に染めて、
 
「……買うわ」
 
 もはや、霖之助の顔を直視する事も出来ない少女は、蚊の鳴くような声でそれだけを告げた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 パルスィの去った後、霖之助は再びカウンターに陣取り、先程まで読んでいたてゐ直筆の指南書に目を落とす。
 
「……うーん。もう少し、褒めた方が良かったんだろうか?
 
 いや、余りやり過ぎると露骨になるからなぁ……。なかなかに加減が難しい」
 
 ブツブツと呟きながら、次に来た客にはまた別の方法を試してみようと企みつつ霖之助はページを捲った。
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