香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第47話 霊夢のアルバイト
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その日、霊夢がいつものように暇潰しにと香霖堂でお茶をたかっていると、何の前触れも無く空間に亀裂が入り隙間から紫が姿を現した。
 
「……紫。何度も言うようだが」
 
「やって来る時は、扉から……。えぇ、分かってますわ」
 
 妖艶な笑みを浮かべて告げるが、それを守った事は、最初に香霖堂を訪れた時だけだ。
 
 言っても無駄と思った霖之助は溜息を吐き出し、
 
「それで? 今日は何の用かな?」
 
 そう言うと、紫は悪戯っぽい笑みを浮かべ、
 
「あら、用が無いと来ちゃいけません?」
 
 ……出来ればそうしてくれると助かるね。
 
 そう思うが、一応、彼女には色々と借りがあるので、面と向かっては言わないでおく。
 
 ――代わりに紫に見えるよう、……否、むしろ見せつけるように箒を逆さに立て掛け、その上に手拭いを被せ、更には満面の笑みを浮かべて、
 
「ぶぶ漬けでもどうだい?」
 
 と問い掛けるも紫は笑みを崩さず、
 
「お茶だけで結構ですわ」
 
 微塵も動揺する事無く、そう返してきた。
 
 仕方無く、霖之助は諦めの溜息を吐きながら紫にお茶を淹れてやると、紫は懐から封筒を取り出し、
 
「霊夢。神主から今月の分を預かってきたわよ」
 
「ん。ありがと」
 
 適当に礼を言いながら、霊夢が紫から封筒を受け取る。
 
「今月、色々と物入りでヤバかったのよね」
 
 言いながら、封筒の口を開ける。……おそらく、彼女の物言いからして神主からの仕送りだろう。
 
「霊夢。全額とは言わないが、せめて幾らかでもツケを払うつもりはあるかい?」
 
 無駄だと思いつつも、一応提案してみるが、霊夢は霖之助の言葉など完全に無視し、封筒の中身を確認する作業に忙しいらしい。
 
 やれやれと溜息を吐きながら、読みかけの本へと視線を落とした瞬間、
 
「なによコレ――ッ!?」
 
 いきなり、霊夢が絶叫を挙げた。
 
 何事か、と紫と視線を合わせ、続いて霊夢の手にある紙片を覗き込む霖之助と紫。
 
 そこに書かれていた文字は……、
 
「今月は飲み過ぎて財政的にキツイので、仕送りは無しで……。博麗神社神主」
 
 短い文章を紫が読み終えると同時、霊夢がその手紙を握り潰した。
 
「……全財産、十二銭で、どうやって一月過ごせっていうのよ!?」
 
 思わず泣き崩れる霊夢を尻目に、紫と霖之助は我関せずと読みかけの本に視線を落とし、
 
「あら、ヴィクトリア朝期の英吉利に興味がお有りで?」
 
「……あぁ、産業革命と言うのかい。これは幻想郷でも見習える事だと思う」
 
 興味深げにページを捲る霖之助に対し、紫は僅かに寂しげな表情で、
 
「――思いを寄せるのは結構ですが、手を出すのは控えるべきですわ」
 
 ……そう。その辺りからだ。人間が急速に力を持ち始め、妖怪が徐々に追いやられるようになってきたのは。
 
 もし、仮に幻想郷の中でも同じような事が起こりえるというのならば、彼女は妖怪の賢者としてその原因を排除しなくてはならない。
 
 遠回しに、その事を伝える紫に対し、霖之助は小さく頷くと、
 
「大丈夫。……分かっているさ。人が歴史を知る事で、自らを戒める事が出来るように、文明というものが妖怪にとってどのような効果をもたらすかくらいは弁えているつもりだよ」
 
 だからこそ、霖之助は電気の供給に成功しても、それを人里にまで引こうとはしない。
 
 まかり間違っても、こんな便利な物を人に分けるなんてとんでもない。とか、珍しいからこそ見物客が集まってくるのだし、彼らから色々とふんだくれる。等とは微塵も思っていない。……無いったらないのだ。
 
 その内情はどうあれ、霖之助が自分の意を汲んでくれている事に、いつもの胡散臭い笑みではなく、穏やかな微笑みを浮かべる紫。
 
 ――ともあれ、今の霊夢にとっては、そんな幻想郷の未来など知った事ではない。目先の生活、それが一番大事なのだ。
 
「知り合いの所を転々として食事を賄うか……」
 
 幸い、財政的に余裕のありそうな所は何件か候補がある。
 
「……というわけで、暫く厄介になるわね霖之助さん」
 
「待て。もっと他にも財政的に余裕のある所はあるだろう。紅魔舘とか永遠亭とか」
 
 霖之助がそう言うと、霊夢はしたり顔で、
 
「看板娘が居た方が、お客も喜ぶってもんでしょう?」
 
 確かに、最近は物珍しい電気と、それで動く道具を見に人里や妖怪の山から観光客がやって来るようにはなったが、
 
「妖怪相手の取引は、物々交換が基本だし、人里の人間は阿求のお陰で見るだけで何も買っていってくれないよ」
 
 電気の話を聞いて、真っ先に駆けつけた阿求だが、電気が無いと外の世界の道具が使えない事、また電気が人里に供給される予定は無いとの事を知ると、それを里中に触れ回ってくれたのだ。
 
 ……余計な事を言うんじゃなかった。
 
 と思うが後の祭りだ。
 
 どさくさ紛れに在庫一掃処分でもしようと思っていたのだが、当てが外れてしまった。
 
 深々と溜息を吐き、暫し思案した霖之助だが、やがて霊夢に視線を向けると、
 
「ちゃんと仕事はしてもらうからな」
 
「えぇ、任せといて。――掃き掃除とお茶を淹れるのは得意なのよ」
 
 こうして、霊夢のアルバイトが決定した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 霊夢が接客するようになって1週間。
 
 意外な事に、彼女の接客は好評だった。
 
 彼女の淹れるお茶を飲みに、わざわざ人里からやって来るような者まで出る程に、だ。
 
 今では店先を改良し、茶店のように落ち着いてお茶を飲めるようになっている。
 
 騒がしいのは嫌いな霖之助であるが、お茶を楽しみに来る者達は落ち着いた態度で、静かに霊夢の淹れてくれたお茶を飲んでいってくれる。
 
 そのついでにと、お守り代わりに外の世界の小物を買っていってくれるので、霖之助としてはありがたいことこの上ない。
 
 これならば、霊夢が店に持ち込んだ素敵な賽銭箱の存在も許せようというものだ。
 
「しかし……」
 
 霊夢の淹れてくれたお茶を一口飲み、
 
「同じ茶葉を使っていても、どうしてこうも味が変わるのかね」
 
 窓の外を眺めながら告げる霖之助に対し、霊夢は肩を竦めながら溜息を吐き出し、
 
「気持ちは分かるけど、いい加減現実を直視したら?」
 
 霊夢の視線の先、評判を聞いて訪れていた霧雨夫妻と、いつものように特に理由も無くひょっこりと顔を出した魔理沙が鉢合わせしていた。
 
 霧雨の親父さんは親父さんで、勘当した娘は赤の他人。というように振る舞っているし、魔理沙は魔理沙でここで帰ったら負けを認めたようなものとでも思っているのか、いつもの壺の上に腰を下ろし、商品棚から適当にチョイスした本を開いている。
 
 険悪な雰囲気の漂う中、ただ一人魔理沙の母親だけは、久し振り娘の顔を見られたのが嬉しいのか微笑みを絶やさない。
 
「霖之助――」
 
 先に口を開いたのは霧雨の親父さんだった。
 
 恩師に呼ばれて無視するわけにもいかず、霖之助が返事を返すと、親父さんは仏頂面のまま、
 
「魔法の森には質の悪い魔法使いが住み着いているそうだが……、色々と、その……なんだ。大丈夫か?」
 
 一体、誰を心配しているのか、と思わず零れそうになる笑みを必死に堪えながら、霖之助は一度咳払いし、
 
「えぇ。大丈夫ですよ、親父さん。――その質の悪い魔法使いは、大きな病気や怪我も無く元気にやっているようですから」
 
 そう言ってやると、親父さんは小さく、本当に小さな声で、
 
「……そうか」
 
 と告げ、一度咳払いすると、
 
「違う。私が心配しているのは、お前の方だ」
 
「それは失礼しました。――まぁ、僕は見ての通り元気ですが」
 
 苦笑を浮かべながら告げる。
 
 親父さんは満足げに頷くと、湯飲みを置いて立ち上がり、
 
「邪魔をしたな。お茶の方も評判通りの美味さだった。……今度、家の方で取り扱っている茶葉を持ってこさせよう」
 
 人里一番の大手道具屋、霧雨店で取り扱っている茶葉と言えば、香霖堂で使っている一番良いお茶葉よりも5ランクほど上の物だ。
 
 その言葉を聞いて、瞳を輝かせる霊夢を霖之助は手で制しつつ、
 
「非常にありがたい申し出なのですが、財政的に厳しくて」
 
 良い茶葉ともなれば、値段もそれなりにする。客に出しているお茶はサービスなので収入は見込めないのだ。
 
 それを聞いた親父さんは、苦笑しながら魔理沙の母親を伴って店を出て行ってしまった。
 
 二人が出て行くのを見送った後、それまで黙っていた魔理沙は徐に立ち上がると、
 
「なんだか興醒めしたから、今日は帰るぜ」
 
 そう言って箒に跨り飛んで行くが、魔理沙の向かう方向は魔法の森ではなく、人里の方だ。
 
 ――おそらく、二人が無事に人里に辿り着くまで見送っていくつもりなのだろう。
 
「……親ね」
 
 しみじみと呟く霊夢は霖之助に視線を向け、
 
「ねぇ、霖之助さんの両親ってどんな人だったの?」
 
「さあね。物心付いた時から一人だったと思うよ」
 
 別に、それが寂しいと思った事も、両親を恨んだり憎んだりした事はない。
 
「そう……」
 
 短く呟く霊夢もまた、両親の温もりを知らずに育った少女だ。
 
 霖之助は霊夢の頭に優しく手を乗せ、
 
「今は家族が居なくても、……家族というものは増やす事が出来るんだよ」
 
 ……まぁ、戯れ言だがね。
 
「――だから、とっとと良い男でも見つけて嫁に行ったらどうだい?」
 
 と言うと、霊夢は歳不相応な妖艶な笑みを浮かべ、
 
「あら、……霖之助さんは貰ってくれないの?」
 
 まるで紫のような表情で告げる。
 
 対する霖之助は無遠慮な視線で、霊夢の頭から爪先までをじっくりと見つめ、
 
「3……、いや5年は早いな」
 
「言ったわね――」
 
 なら、5年後に、もう一度同じ台詞を言ってやる。
 
 そう決意し、それまでは、何人たりとも霖之助には近づけさせないと固く決意した。
   
inserted by FC2 system