香霖堂繁盛記
書いた人:U16
第46話 正しい式神の使い方
幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
掲げられている看板には香霖堂の文字。
店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
●
「うーむ……」
電気が供給されるようになってから1週間。
今日も霖之助は、カウンターの上に置かれたパソコンの本体を前に唸っていた。
「なぜ動かない?」
……まだ、僕を主人として認めていないとでもいうのか?
理由が分からず唸り、そしてまた考え込む。――それの繰り返しだ。
機械に耳を当ててみると、なにやら音はするので動いてはいるようなのだ。……だが目立った動きはする様子は無い。
「む……、むむ……。むむむ」
「あの……、香霖堂さん」
おそるおそると言った態度で、店にやって来た客が霖之助に声を掛けるが、本人は気付いた様子も無くコンピューターとにらめっこを続けている。
「あの……」
何時まで経っても反応する様子の見えない霖之助に対し、客は暫く思案した後、手に持っていたお祓い棒を高々と掲げ、
「えい!」
可愛らしい掛け声と共に、彼の頭に向けて振り下ろした。
……鈍い音を発てて、カウンターに沈む霖之助の頭。
「や、やり過ぎたかしら?」
身じろぎ一つしない霖之助を見て、少し不安になってきた客……、東風谷・早苗はスカートの隠しポケットからハンカチを取り出し、勝手場に赴いて水で濡らすとそれを霖之助の頭のコブになっている箇所に、そっと押し当てた。
●
「うう……」
「大丈夫ですか?」
一刻後……、ようやく意識を取り戻した霖之助に、早苗が心配そうに声を掛ける。
「あぁ、まだ少し頭がズキズキするが……、一体何が起こったんだ?」
……まさか、僕の才能を妬んだ誰がか亡き者にしようと!?
「分かりません。……私が来た時には、香霖堂さんがカウンターの上で伸びてましたから」
……えぇ、幻想郷では常識にとらわれてはいけないのですね。
そう自らに言い聞かせ、誤魔化す事にした。
「ひょっとしたら、物取りの仕業かも……」
「あぁ……、後で確認しておくとするよ」
霖之助は疲れたような溜息を吐き出し、改めて早苗を向き合う。
「それで? 本日は何をお探しで?」
「あ、いえ。今日は買い物じゃなくて、お礼を言いに来たんです」
「お礼?」
客じゃないと知り、少し落胆した表情になる霖之助だが、それでも首を傾げ、
……何か、彼女に感謝されるような事をしただろうか? と考える。
「はい。……実は、今日初めて、弾幕ごっこで霊夢さんに勝てたんです!」
余程嬉しいのだろう。カウンターに身を乗り出して報告する早苗の表情は満面の笑みだ。
「それと言うのも、香霖堂さんに作って頂いた、この巫女装束とお祓い棒のお陰です。
――本当に、ありがとうございました」
言って、深々と頭を下げる早苗。
とはいえ、服を作ってもらってすぐに霊夢に勝てたわけではない。
何度も何度も勝負を挑み続け、ようやく拾えた勝利だ。
「それは全て、君の努力の成果だろう? 僕に礼を言うべき事は何一つ無い。
それに礼なら、代金として既に受け取っているからね。
商人としては、それで充分だ」
……もっとも、その代金すらまともに払わないのが基本というのが幻想郷なのだが。
だが、早苗としてはそれで納得いかない。
幻想郷に来てからは、周りの者達に感化されてはきているものの、基本的に良い娘なのである。
何か恩返しが出来ないものか? と周囲を見渡す早苗の視界に、カウンターに鎮座するコンピューターの本体が入った。
「……あれ? このパソコン動いてるんですか?」
「あぁ、先日、遂に電気の供給に成功してね。……文々。新聞でも号外で取り上げられた筈なんだが、読んでないかい?」
「すみません。読んでないです」
文々。新聞の知名度の低さに、心の中で同情してやる霖之助。
早苗は懐かしげにパソコンを眺めると、
「使わないんですか? これ」
「使いたいんだが、ウンともスンとも言ってくれなくて……」
言いかけ、ふと言葉を途切れさせ、
「もしかして、君は使い方を知っているのかい?」
……なんという事だ。この少女は巫女の秘術だけではなく、外の世界の式神にも精通しているというのか!? ……なるほど、それでは霊夢に勝ち目などある筈も無い。
「もし良かったら、使い方を教えてもらえないだろうか?」
頭を下げ、頼み込む。
年端もいかない少女に頭を下げるのは屈辱だが、それで外の世界の式神を自在に操れるようになるのであれば安いものである。
――頭を下げる程度で、相手を動かせるのならな安いもの。自分が上位に立った時に見返してやれば良い。by因幡・てゐ
師の教えに従い、甘んじて屈辱を受け入れるが、早苗としてはそんな事をされなくても出来る限りの事をするつもりではいた。
慌てて霖之助に頭を上げさせ、
「で、出来る限るの事はやってみます!」
と緊張した面持ちで言い切った。
なにしろ彼女とて、パソコンの配線などは初めて行うのだ。
取り敢えず商品棚の中から、ブラウン管式のモニターと適当なキーボードとボール式マウスを選び、四苦八苦しながら二時間程掛けて接続し、改めて電源ボタンを押す。
起動音と共にモニターに浮かび上がるWindows95の文字。
「おぉー……」
思わず、霖之助の口から零れた歓声に、安堵の吐息を吐き出す早苗だが、問題はこれからだ。
何しろ彼女は、メールとインターネット。後は付属のゲームくらいしか使い方が分からない。
「それで? このコンピューターは、どんな事が出来るんだい?」
少年のように目をキラキラと輝かせながら問い掛けてくる霖之助に対し、初めて見る彼の一面を微笑ましく思いながら、早苗はちょっとお姉さんぶった態度でマウスに手を乗せ、
「えーとですね、ここでこのボタンを押すとインターネットに繋がって……」
待つ事数十秒。一向にインターネットに接続される様子は見えない。
「あ、あれ?」
このような時、どうやって対処したら良いのか分からずオロオロし始める早苗だが、助けは意外な所からやって来た。
「山の巫女も、まだまだねぇ……」
背後から突然掛けられた声に驚き、慌てて振り向いてみると、そこには何時の間に現れたのか? 霖之助にしなだれ掛かる紫の姿がある。
霖之助は露骨に鬱陶しそうな表情で、
「紫。……いつも言っている事だが、入ってくる時は入り口から来てくれ」
苦言を告げる霖之助を無視し、紫は勝ち誇った表情で、
「モデムから電話回線かLANケーブルが接続されていないのに、インターネットに繋がるわけが無いでしょう」
「……そうなんですか?」
小馬鹿にしたつもりで言ったのだが、真顔で返されると返答に困る。
紫はヤレヤレと溜息を吐き出し、小指の先ほどの小さな隙間を展開してそこから一本のLANケーブルを取り出すと霖之助から離れ、パソコンの本体に接続し、先程の早苗と同じようにマウスをクリックしてインターネットに接続。
「これで、この場に居ながらにして、世界中の情報を仕入れる事が可能ですわ」
告げ、懐から一枚の紙切れを取り出し、
「これが私のメールアドレス。分からない事があったら、いつでも聞いてくださいな」
妖艶な笑みを浮かべ、隙間を介して姿を消した。
紫の消えた後を暫く見つめていた霖之助だが、胡散臭そうな表情で思案し、
……ここまでサービスが良いと何かしら裏が有りそうだな。警戒しておいた方が良そさそうだ。
一方早苗はモニターに映るGoogleの画面を懐かしそうに眺め、
「良いなぁ……。妖怪の山にも電気って引けませんか?」
それだけで、日常の仕事の大半が楽になるのだが、
「一応、紫に電気は安易に広めるな。と釘を刺されているからね。そこら辺は、個人で交渉してもらうしかない」
とはいえ、妖怪の山がこれ以上の力を得れば、幻想郷のパワーバランスが崩れるので、素直に首を縦に振りはしないだろうが。
――ともあれ、
「今回は、色々と助かったよ。……何かお礼をしないといけないな」
「いえ、そんな。――元々、お礼のつもりでやった事ですし」
――借りはなるべく早く返し、返す時には多めに返して差額分を後々に活かせ。
その差額分が、金銭以外であるならば、自分の見積もり以上の物として返してもらう事が可能。
という師の教えを反芻した霖之助は深く頷き、
「君には感謝しているからね。……僕の気持ちだと思って受け取ってもらえると助かる」
そう言って席を立ち、商品棚から適当な装飾品を選ぶ。
僅かに迷って、霖之助が手に取ったのはべっ甲の簪だ。
簪を手に、早苗に近づくと、それをそっと彼女の髪に挿し、
「……うん。やはり、君の翠の髪には、べっ甲の簪が良く映えるね」
間近に迫った霖之助の顔に鼓動が高鳴るが、早苗はそれを知られないよう必死に感情を制御し、
「あ、ありがとうございます……」
辛うじて、礼を言う事に成功した。
勿論、霖之助も適当に簪を選んだわけではない。
簪が似合う服装というのは、着物が一番だ。簪が似合うと褒めておけば、着物や帯を買いに来てくれるかもしれない。……そんな打算があった。
早苗はそんな霖之助の心の内など知る事も無く、簪を大切そうに持って、頬を染めながら守矢神社へ帰って行った。
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その頃の八雲邸。
居間の中央に据えてあるちゃぶ台には、現在一台のノートパソコンが陣取っており、それを前にしてこの家の主人である八雲・紫は、上機嫌でF5キーを連打していた。
鼻歌交じりでキーを16連射する紫にお茶を差し出しつつ、彼女の式である藍は何があったのかを問い掛けてみた。――すると、まるで少女のような笑みを浮かべた紫が、
「ふふふ、実はね、――霖之助さんとメル友になったの♪」
言ってから恥ずかしそうに頬を桜色に染め、身体をくねらせて悶え始める。
そんな主人の姿に若干退きつつも、藍は笑みを取り繕い、
「そ、それは良かったですねぇ、紫様……」
「えぇ、霖之助さんの事ですもの。今頃は躍起になって文章を打ち込んでいるに違いないわ」
その霖之助がメールの使い方どころか存在すら知らず、キーボードの使い方を試行錯誤している事に紫が気付くのは翌日の事だった。