香霖堂繁盛記
書いた人:U16
第41話 本日休業(外界編)
幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
掲げられている看板には香霖堂の文字。
店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
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無縁塚。……という場所がある。
再思の道の行き止まりにある木に囲まれた小さな空間だが、危険度は幻想郷の中でも屈指の場所だ。
それというのも、この場所は縁者の居ない者達。……端的に言ってしまうと、迷い込んでしまった外来人達の墓地があるのだが、その為、この場所の比率が外の世界に傾き始め、結界にも歪みが生じ始める事になった。
こんな危険な場所にわざわざ近づこうとするような奇特な者など滅多に居らず、今日も無縁塚には香霖堂の店主以外に人影は見当たらなかった。
「ふむ……。今日は不作だな」
どうも、めぼしい物が見つからず、溜息を吐き出す霖之助。
こんな時は焦っても仕方がない。
手頃な場所に腰を下ろし、懐から煙管を取り出して刻み煙草を火皿に詰め、マッチで火を付けたら、紫煙を肺まで深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
家でのんびりと読書でもしながら水煙草を味わうのも良いが、煙管は煙管の良さがある。
満足げに煙を吐く霖之助だったが、不意に背後に違和感を憶えて振り返る。……瞬間、彼の存在が幻想郷から消え、後には煙管だけが残された。
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「……何処だ? ここは」
先程までは無縁塚に居た筈なのに、気が付けば見知らぬ場所に立っていた。
周囲に緑は一切無く、人工物で構成された騒がしいのに寂しい世界だけが広がっている。
……ここは、もしかして外の世界か?
そう仮定した場合、自分は結界の歪みから外の世界に飛ばされた事になる。
……まあ、来てしまったからには仕方無いか。
店もある。――何とかして、帰る方法を考えなければならないが、それまでは外の世界で出来うる限りの事を勉強していこう。
そう結論し、歩き始めた霖之助だが、三歩程歩を進めた辺りで名前を呼ばれ、思わず歩みを停める事になる。
「……香霖堂さん? ですよね」
ゆっくりと振り返る。そこに居たのは黒い帽子を被った見覚えのある少女だ。……確か名を、
「蓮子君だったかな?」
直接、彼女から名前を聞いたわけではないが、確かあの時(第25話参照)、紫が彼女の事をそう呼んでいた筈だ。
「はい、蓮子です。宇佐見・蓮子」
外来人である彼女が居るという事は、ここは間違い無く外の世界なのだろう。
「香霖堂さんは、どうしてここに?」
問われた霖之助は一旦、思考を止め、
「どうやら、結界の歪みから飛ばされてしまったらしくてね。取り敢えずこれから、帰る方法を探そうかと思っているんだが。
――後、僕の名前は森近・霖之助という」
「霖之助さんだから、香霖堂? ……じゃあ、香ってどういう意味ですか?」
「香は神……、すなわち神社を示している」
「神社って、博麗神社ですか?」
「あぁ。あの神社の巫女とは、不本意ながら代々縁があってね」
……それというのも、全て阿七の所為だ。
と愚痴を零し、何とはなしに世間話をしていたのだが、道行く人達がジロジロと不躾な眼差しを霖之助に向けてくる。
「はて? 僕は何か目立つような事をしてるだろうか?」
意味が分からず小首を傾げる霖之助だが、その理由は一目瞭然で、彼の恰好は蓮子達の世界においては奇抜過ぎるのだ。
流石にこのままの恰好で彼を連れ回すのは拙いと判断した蓮子は、取り敢えず近くのブティックに彼を詰め込み、適当な服を買い与えてみた。
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「……以前、紅魔舘でタキシードを着て執事をしていた事もあるが、どうも洋装というのは肩がこるね」
「着替え終わりました?」
返事と同時に、試着室のカーテンが開き、中からスーツ姿の霖之助が姿を現した。
「うわぁ」
長身銀髪の彼には、和装よりも洋装……、しかもタキシードやスーツなどのフォーマルな恰好の方が似合うのだ。
但し、本人的にはその自覚は無いし、何時もの服の方が動きやすいと思っているので、誰かに着せられない限り、彼が洋装を身に纏う事などありはしないが。
「似合いすぎ。何処かのホストクラブで働いてても違和感無いかも」
……ホストクラブなんて行ったこと無いけど。
「ホストクラブ?」
3ピースの濃紺のスーツを身に纏った霖之助が、聞き慣れない単語に首を傾けるが、蓮子は気にしないでと言って会計を済ませる。
「悪いね。後で何かしらの礼はさせてもらうよ」
セット価格、一万五千円程のスーツにしては安物だが、学生の蓮子にしてみれば、結構な出費だ。
霖之助の申し出は正直ありがたい。
……もっとも、外の世界の常識に疎い霖之助に金銭的な物を期待はしていないが。
「私、これから待ち合わせあるから、付いて来てもらるかしら?
彼女も幻想郷の話は、興味あると思うし」
「僕もこちらの世界にはとても興味があるから、色々と教えてもらえると助かるが、迷惑じゃないのかい?」
問い掛ける霖之助に対し、蓮子は笑みを浮かべ、
「気にしないで。私も好きでやってるだけだから」
言って、霖之助の腕に自分の腕を絡ませる。
「迷子にならないようにね」
悪戯っぽい笑みを浮かべて蓮子が言うが、霖之助は憮然とした表情で、
「バカにしないでくれ。……そこまでお子様じゃない」
そう言った1分後、道の傍らに設置されている自動販売機に興味を示したり、街頭テレビに興味を示したりと、蓮子を引っ張り回す霖之助だった。
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「お待たせメリー」
待ち合わせの場所に待っていた相方に声を掛ける蓮子だが、メリーが振り返る様子は無い。
「……メリー?」
確かに、今日は30分程遅刻したが、その程度で無視するような大人気ない性格の彼女でも無い筈だ。
「メ……」
再度、声を掛けようとする蓮子を霖之助が制し、
「随分とお早いお迎えだね、……八雲・紫」
「ふふふ、……ちょっと探してしまいましたわ」
ゆっくりと振り向く少女の姿は、蓮子の親友であるマエリベリー・ハーンに違いない。
だが、そこから放たれる雰囲気はメリーとは似てもにつかない別人のものだ。
「…………」
思わず息を飲む蓮子に対し、霖之助は丁寧な仕草で礼をすると、
「色々と済まなかったね。どうやら無事に帰る事が出来そうだ」
言って、懐から一枚の紙切れを取り出し、
「つまらない物だが、良かったら貰ってくれないだろうか」
やや強引に、蓮子に手渡す。
「短い間だったが、勉強になったよ。ありがとう」
次の瞬間、空間の切れ目が霖之助とメリーの身体を飲み込んだ。
後に残されたのは、蓮子と彼女の手に握られた一枚の紙切れだけ……。
「……霖之助さん?」
名前を呼んでみるが、答える声は無い。
……先程までの全ては夢だったのではないだろうか?
という想いが蓮子の脳裏を掠めるが、手の内にある一枚の紙が、全てが現実であったと告げている。
……そういえば、何をくれたんだろ?
ゆっくりと手にした紙を眼前に掲げ、それが何なのかを確認する。
「――香霖堂特別割引券。お買い上げの商品からお一つ5%割引します」
……どうやって使えっていうのよ!?
ガックリと気落ちする蓮子。
いきなり項垂れだした彼女を通行人達は不審な目で見つめるが、
「……ふ、ふふふふ。良いわ。そっちがその気なら、もう一度幻想郷に行ってみせる!」
そして、この割引券を絶対に使ってやるのだ。
いきなり笑い出した彼女に、通行人達はドン引きするが構わない。
取り敢えずはメリーだ。彼女が居なければ話にならない。
そう結論した蓮子は、姿を消した親友を捜す為、メリーの家に向けて駆け出した。
●
同時刻。――日本の何処か。
「……ここは? まだ外の世界だと思うんだが」
問い掛ける霖之助に対し、メリーは彼と腕を組んだ体勢で、
「えぇ……。偶には邪魔の入らない所でデートでも。と思いまして」
……以前は連れ戻そうとしたくせに。
内心で溜息を吐く。
どんな姿をしていようと紫は紫。
霖之助にとって苦手なのは変わりないのだが、少しでも外の世界が見えるとなれば多少の我慢はしよう。
「じゃあ、エスコートしてもらえるかな?」
「えぇ、喜んで」
そうして二人は喧噪の中へ姿を消した。