香霖堂繁盛記
書いた人:U16
第4話 姫様の嫁入り?
幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
掲げられている看板には香霖堂の文字。
店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
●
いつものように、霖之助が店番という名の読書に勤しんでいると、珍しい事にマトモな部類の客が訪れた。
「やあ、いらっしゃい」
そう声を掛けただけで霖之助は再び視線を手元の本に移す。
彼にとって客とはあくまで客であり、それ以上でもそれ以下でもない。
霖之助の態度にさして気を悪くした様子もなく訪れた客、……蓬莱山・輝夜は自慢の長い黒髪を翻しながら適当に店内を見て歩く。
外から流れ着いた服を眺め、イナバに似合いそうね。と思いつつも手を伸ばす事無く、健康食品と書かれた携帯食を見て、因幡が喜びそうね。と思いつつも手を伸ばす事無く、外の世界の薬が置かれた棚を見て、永琳が喜びそうね。と思いつつも手を伸ばす事無く、ただただ暇潰しに見て回る。
どれもこれも、永遠を生きる彼女から見れば、取るに足らない物ばかりだ。
……暇潰しにもならないわね。
例え外の世界の物であろうと、彼女の心を満たす事は出来ない。
永遠の時の中、彼女の心を満たせたものは、今も昔もただ一人だけ。
溜息を吐き、最後に撫で回すように乱雑に置かれた棚の上の商品を眺め、何も買わずに帰ろうとした輝夜は、適当に置かれた商品の中に埋もれる手の平サイズの桐箱を見つけた。
妙な胸騒ぎを覚え手に取り蓋を開けてみる。
……そこに収められていたのは小さな貝殻だ。
何も知らない者から見れば、何の変哲も無いただ綺麗なだけの貝殻。
綺麗と言ったところで、価値として比べれば凡俗な宝石の方が圧倒的に魅力的だろう。
それでも輝夜はその貝殻から目を離せないでいた。
……何故、コレがこんな所に?
そのアイテムの名は“燕の子安貝”。かつて彼女が求婚を断る為に出した5つの難題の一つだ。
「それが気に入ったのかな?」
唐突に掛けられた声に、慌てて振り返る。
そこでは、それまで無関心に本を読んでいた店主がカウンターの向こうからこちらに視線を向けていた。
霖之助は読んでいた本に栞を挟んで閉じると、僅かにズレていた眼鏡の位置を右手の中指で戻し、
「それは随分と珍しい貝殻でね。燕が産んだと言われてる一品なんだ」
……どうやらこの店主はこの貝殻が何なのかを知った上で、乱雑に扱っているらしい。
「本物なのかしら? 随分とぞんざいに扱っていたようだけど?」
試すような物言いの輝夜に対し、霖之助は敢えて不貞不貞しい態度で、
「間違いなく本物だよ、それは。
僕の力、“未知の道具の名称と用途が分かる程度の能力”に賭けてもいい。
それに、ぞんざいに扱っていようと丁寧に扱っていようと、道具は仕えるべき主を見つけた時は自らを見つけて貰えるようにと頑張るものさ」
──紅魔館の主人に言わせれば、それは運命と言うらしい。
「ならば、……君が、それを見つけたのはその貝殻が君を仕えるべき主と認めたからだろう。
まぁ、それが商品である以上、それなりの代価は頂く事になるけどね」
相手の少女が永遠亭の主人、蓬莱山・輝夜である事は定期購読している新聞、“文々。新聞”で知っている。
ならば多少は吹っ掛けた所で問題あるまい。
だが、輝夜の提示した代価は霖之助の予想を大きく逸れていた。
「そうね……。ならば、代価として私自身は如何かしら?」
「……は?」
意味が分からないと小首を傾げる霖之助。
対する輝夜は堂々とした態度で、
「5つの難題を私に献上した以上、私を娶る権利があるということよ」
それとも婿養子に入る?
と見た目の年齢とは裏腹に妖艶な仕草で霖之助にしなだれかかる輝夜。
暫く何かを考えていた霖之助だが、考えが纏まったのか? 小さく頷き、
「……では、君は竹取物語のなよ竹のかぐや姫だと?」
「えぇ、その通りよ」
躊躇い無く肯定する輝夜に対し、霖之助は小さく溜息を吐き出してしなだれかかる彼女を引き剥がすと、
「事情は理解した。
……だが、残念ながらそれは僕にとって代価とは言えない。
……よって、この“燕の子安貝”は君には渡すことが出来ない」
そう言う霖之助の手にはいつの間に取り返したのか? それまで輝夜が持っていた桐箱が握られている。
「あら? 私では妻にするのに不満というのかしら?」
「……そういうわけじゃないさ」
肩を竦め、輝夜に言い聞かせるよう言葉を選びながら告げる。
「僕は君の事を殆ど知らない。君も僕の事なんて全然知らないだろ? そんな知り合い以下の二人がいきなり夫婦関係なんて築ける筈がない」
言われ、霖之助の言うことにも一理あると理解したのか? 輝夜も頷き。
「分かったわ。なら今日の所は一度引きますけど、私が買い取る日まで出来たら取っておいてくださるかしら?」
「その程度の事ならお安い御用さ」
おそらく、彼女以外にこの品物に価値を見出せる者は居まい。精々が安産祈願のお守り程度の御利益しか無い。
そんなお守り程度に莫大な金額を注ぎ込むくらいなら、守矢神社でお守りを買った方が遙かに御利益がある。……ちなみに、博麗神社のお守りは御利益を期待する方が間違っている。
その日は素直に引き下がった輝夜だが、翌日大量の荷物と共に再度香霖堂を訪れた。
●
ウサ耳ブレザー少女、鈴仙を筆頭に、その後ろに続くの十人にも及ぶ妖怪兎達。
彼女達は背中には、大きな竹を編んで作られた葛籠が背負われている。
輝夜は彼女達の先頭に立ち勝ち誇った顔でカウンターの向こうの椅子に座る霖之助を見下ろす。
対する霖之助は、その大荷物を見て、
……中身が何かは知らないが、このお姫様が安い物を持ってきて交換しろとは言わないだろう。と判断。
「良いだろう。それで商談成立としようじゃないか」
「あら? 話が早いわね。まあ、こちらとしてもその方が良いのだけども」
持ってきた荷物を店内に運び入れるよう、鈴仙達に命令する。
霖之助はカウンターの下に入れておいた桐箱を取り出して輝夜に渡すと、
「それであの荷物の中身は何だい?」
兎たちが荷物を店ではなく、その奥……、生活スペースの方へと運んで行くのを霖之助は少し不審げに眺めながら問い掛ける。
「服とか、薬とか、生活用品とか色々ね」
……服というと、十二単とかだろうか? それなら、高く売れるかな?
と考えていると、荷物を置いた兎たちが戻って来た。その瞳には皆揃って涙を浮かべている。
「…………?」
兎の苦手な物でも置いてあったかな? と小首を傾げる霖之助を無視して兎たちは輝夜の前に整列すると、涙ながらに輝夜の手を取り、
「それじゃあ、私達は行きますけど、頑張ってください姫様!」
「えぇ、大丈夫よイナバ」
「辛くなったら、何時でも帰ってきても良いんですから、無理だけはしないでくださいね!」
事ここに至り、何か様子がおかしいとようやく察した霖之助が会話に割り込んだ。
「ちょっと待ってくれ。……すまないが状況が理解出来ない。申し訳無いが説明をお願い出来ないだろうか?」
慌てふためいた霖之助に、輝夜が口を開く。
「だから、先日の約束通り、まずはお互いを良く知ってから結婚しようという事になったのでしょう?
その第一歩として、私がこの店に住み込みんで、お互いの事を知ろうと思って」
先程の大荷物は等価交換の品ではなく、彼女の引っ越しの為の荷物という事らしい。
「……勘弁してくれ」
霖之助は深々と溜息を吐き出し、暫く思案した後、再度溜息を……、今度は諦めの溜息を吐いて、
「じゃあ、もうその貝殻は君にあげるから、どうか帰ってくれないか?」
という提案に対し、輝夜は即座に否と答え、
「タダで施しを受けたとあっては、永遠亭が主人、蓬莱山・輝夜の名折れ。それだけは聞き入れる事は出来ないわ」
それに、と前置きし、
「稀代の美女とまで言われ、時の帝までもを魅了した私の魅力に靡かない男は始めてよ……。
私、断然貴方に興味を持ってきたわ」
蠱惑的な微笑を、拡げた扇で隠し、
「絶対、貴方を私のものにしてあげる」
自分に拒否権が無いことを知り、霖之助は改めて溜息を吐いた。
●
とはいえ、輝夜が同居する事になった所で霖之助の生活が変わったかというとそうでもない。
いつもと同じように起床し、朝食を摂って適当に掃除し、滅多に来ない客を待って店で本を読む。
「……ねぇ」
「何だい?」
輝夜の呼びかけに対し、本から目を離さないまま霖之助が問い返す。
「お客……、全然来ないじゃない」
「まぁ、来る方が稀だよ」
「……退屈よ」
「なら、本でも読んでいるといい。識るという事はそれだけで財産になる」
その言葉が不満だったのか? 輝夜は席を立つと入り口の引き戸に手を掛け、
「出かけてくるわ」
「あぁ、いってらっしゃい。……そうそう、森の中には質の悪い魔法使いが二人ほど出没するから、気を付けた方がいいよ」
霖之助の忠告に一言も返さず、輝夜は足を魔法の森へと向けた。
やれやれと肩を竦め、冷めたお茶に口を付ける。
……まぁ、この調子なら三日もすれば飽きて帰るだろう。
と予測を付けていた霖之助だが、その考えを打ち消すように光の柱が魔法の森に立ち、一拍を置いて震動を伴う轟音が香霖堂の窓を振るわせた。
「……あぁ、鉢合わせになったのか」
それだけの事でおおよそ全てを悟り、空になった湯飲みに新しいお茶を注ぐ。
すると暫くして魔理沙がボロボロになった輝夜を抱えてやって来た。
「おーい、香霖居るかぁー?」
白と黒の魔女は、まるで捕まえたネズミを見せびらかしに来た猫のような得意げな表情で入り口から入ってくると、
「珍しい奴を捕まえたぜ」
「……不用意に飛んでいた彼女に向けて、いきなりマスタースパークといった所かい?」
霖之助がそう言うと、魔理沙は感心した様子で、
「流石は香霖だな、良く分かってるぜ」
まあ、何時もの事と言えば何時もの事だ。
小さく肩を竦めて立ち上がると魔理沙から輝夜を受け取り、奥の部屋へ向かう。
「……それで? どうする気だ香霖。身ぐるみ剥がすつもりなら、せめてもの情けで私がやってやるぜ」
「……僕を追い剥ぎに巻き込まないでくれ。
取り敢えず、彼女の部屋に寝かせてくるよ」
「……彼女の部屋?」
霖之助の言葉に、僅かに魔理沙の表情に険が走る。
「どういう意味だ? 香霖」
魔理沙から剣呑な気配を感じた霖之助は、極力彼女を刺激しないよう言葉を選びながら先日からの出来事を彼女に話す。
それを聞くや否や、魔理沙は不敵な表情で、
「人の物に手を出そうとは、不届きな奴だぜ」
……君が言うな。とは思うが、敢えて口にはしない。……というか、僕は君の物でもないんだけどね。
彼にとって魔理沙とは妹のような存在であり、その関係を崩すつもりは無い。
その事はちゃんと彼女には伝えてあるのにも関わらず、魔理沙は一向に諦めようとはしない。
……それでこそ、魔理沙らしいとは思うのだが、彼女にはもっと真っ当な相手を見つけて幸せになって貰いたいと思う。
ともあれ、魔理沙は何かを思いついたらしく、口元に笑みを浮かべて、
「心配するな香霖。私に任せとけば、全て上手くいくぜ」
「余り、期待しないでおくよ」
そう告げる霖之助に対し、魔理沙は顔を近づけると彼の耳元で小さく作戦を囁く。
それを聞いた霖之助は、本日何度目かになる溜息を吐き出した。
●
蓬莱人の特性を見せつけ、傷一つ無く復活した輝夜は布団を跳ね飛ばして飛び起き、ここが昨日から自分が寝泊まりしている香霖堂の一室である事を理解すると、ボロボロになった着物を脱ぎ捨て、兎たちが持ってきた荷物の中から替えの服を取り出して身に着け始めた。
無事、着替えも終わり、その足で香霖堂の店の方へ向かう。
そこに居たのは、何時ものようにカウンターに座り本を読む霖之助と彼の背中にしなだり掛かって甘える霧雨・魔理沙の姿だった。
「……何をしているのかしら?」
二人の姿を見て、輝夜は己の感情が冷めていくのを自覚する。
声を掛けられた魔理沙は頭を霖之助の肩から離して輝夜の方へ振り返ると、
「よう、起きたのか。流れ弾幕に当たるとはお前も災難だったな」
輝夜の質問に答えず、自分の言いたい事だけを言って再び頭を元の場所に戻して甘え始める。
婚約者たる自分を蔑ろにして、どこの馬の骨とも分からない小娘と戯れる男。
それは輝夜にとっては、この上ない屈辱だった。
かつて、これほど自分を愚弄してくれた男などいただろうか?
魔理沙の目論見では、怒った輝夜がこのまま永遠亭に帰るといった筋書きだったのだが、彼女の予測よりも遙かに輝夜のプライドは高かった。
……いい度胸ね。絶対に、私の前に平服させてやるわ、森近・霖之助!!
取り敢えず、その為の邪魔になりそうな魔理沙を突き飛ばして場所を確保し、彼女の代わりに自分がしなだれかかる。
「ねえ、魔法の森の上を飛んでいたら、みすぼらしい物置小屋を見つけたの。
ひょっとしたら、何か掘り出し物が見つかるかも知れないわ。一緒に見に行きましょう」
瞬間、魔理沙が輝夜の身体を蹴り飛ばした。
「人の家を物置小屋扱いするとは良い度胸だ! 表に出ろ! 弾幕勝負だ!」
「あら、ごめんあそばせ。余りにみすぼらしかったので、つい物置と間違えてしまったわ。
──まぁ、ネズミには丁度良い住処でしょうけども」
いがみ合いながら二人は揃って表に出て行く。
それを見送る霖之助が溜息を一つ吐き出し、「どうか、店の方に弾幕が流れて来ませんように」、と神様、……博麗神社の祟り神ではなく、守矢神社の二柱……に祈願していると、まるでそれを待っていたかのようなタイミングで彼の背後の空間に亀裂が入り、そこから一人の女性が姿を現した。
女性は先程まで、二人の少女がやっていたのと同じように霖之助の背中にしなだれかかり、
「こんにちはー」
「……見ていたなら、止めてくれ」
ウンザリ気に吐き出す霖之助に対し、隙間の大妖、八雲・紫は面倒臭そうに微笑み、
「嫌よ。私も眠いもの」
そして笑みの質をからかうようなものに変えて、
「ねぇ、よろしければ、添い寝してくださる?」
霖之助の背中に、その豊かな双丘を押し付けながら、彼の頬をそのか細い手指で撫でつつ誘う。
「……勘弁してくれ」
心底、困ったように告げる霖之助に向け、まるで童女のように楽しそうな笑いを向ける紫。
そんな店の外では派手な光が瞬き、轟音を撒き散らしている。
その音を聞きながら霖之助は悟ったように溜息を吐き、
……つまり、幻想郷は今日もいつも通り平和だということか。
諦観し、紫の眠気覚ましの為のお茶を用意する為に立ち上がった。