香霖堂繁盛記
書いた人:U16
第36話 妖怪の鍛えた刀
幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
掲げられている看板には香霖堂の文字。
店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
●
「う……、ここは?」
薄ぼんやりとした妖夢の視界に、薄汚れ年季の入った天井が映る。
……何処?
確か自分は、無縁塚に幽霊達を連れ戻しに行って、そこで初めて見る妖怪と戦闘になり……。
何があったのかを思い出し、勢いよく身体を起こす。
途端、全身に激痛が走りくぐもった悲鳴を挙げた。
「私は……」
勝ったのだろうか? それとも負けたのだろうか?
そんな事を考えながら周囲を見渡してみるも、見覚えの無い室内に少し不安になってくる。
「何処だろう?」
今度はゆっくりと身体を起こしてみる。
布団が妖夢の身体から剥がれ落ち、全身のそこかしこに包帯やガーゼが当てられて、誰かの手によって治療されていた事が分かった。
……裸?
瞬時に顔を赤く染め、何か着る物が無いか? と周囲を見渡すと、枕元に長襦袢が綺麗にたたまれた状態で置かれていたので、それを身に纏う。
「……大きい」
大人用なのだろう。妖夢の体格では袖と裾がかなり余るが、裸でいるよりは良いだろう。
「というか……、治療してくれたのが女の人だと良いなぁ」
相手が男の人だと、全部を見られてしまった以上、お嫁に貰ってもらうしか無い。
……流石に、見ず知らずの男性の元に嫁ぐのは抵抗あるし。
そんな事を考えていると、襖が開き、この家の主がやって来た。
「おや? もう目が覚めたのか」
そこに居た人物を見て、妖夢の動きが止まる。
青と黒の二色で構成された和とも中華とも言えるような服を着た銀髪に眼鏡の青年。
その手に持っていた繕い終わった妖夢の服を彼女に手渡す。
「……もしかして、店主さんが手当してくれたんですか?」
「あぁ、無縁塚に商品を仕入れに行ったら、君が倒れていてね。
かなり疲弊していたんで、仕入れもそこそこに蜻蛉帰りだ」
ヤレヤレと肩を竦め、妖夢に服を手渡す。
礼を告げながら服を受けとり、それに視線を落とすと、一番上には丁寧にたたまれたドロワーズがある。
……ぜ、全部見られた。
その事を確信して気落ちする妖夢。
霖之助は、そんな妖夢に構う事無く、
「動けるようなら、着替えて店の方に来ると良い。少し大切な話があるんでね」
「あ、はい……」
取り敢えずの返事を返し、霖之助が出て行くのを見送ってから妖夢は着替え始めた。
●
「あ、あの……。これは?」
カウンター席の上に置かれた二振りの刀の内、楼観剣であった物に視線を落として問い掛ける。
あった物というのは、刀身の半ばで折れている為だ。
「相打ちだったのだろうね。
相手がどんな妖怪だったか知っているかい?」
もはや霖之助の言葉も届いていないのか? 妖夢は反応すら示さないが、霖之助は構う事無く話し続ける。
「アイアンゴーレムという。西洋魔術による鋼鉄製の傀儡人形だね。誰かが作り出したのか? 外の世界から流れ込んできたのかは分からないが……」
どれ位呆然としていただろうか? 霖之助が何か言っているようだが、今の彼女にそれを聞いているだけの余裕など無かった。
「すみません。色々とご迷惑をお掛けしました。
……また後日、お礼に訪れたいと思います」
蘊蓄の途中で席を立ち、帰ろうとする妖夢は、せめて冥界で弔ってやろうとカウンターの上に置かれた白楼剣と楼観剣に手を伸ばした。
しかし、その手は霖之助によって阻まれてしまう。
「何をしようとしているんだい? 君は」
「何って……、せめて冥界で弔ってやろうと」
霖之助は大仰な溜息を吐いて大袈裟な態度で肩を竦め、
「……君も大概人の話を聞かないね。……持って行かれたら、修復出来ないだろう」
「え? 今、何て……」
……修復?
「直るんですか!?」
思わずカウンターに身を乗り出す妖夢に対し、霖之助は若干退きつつ、
「僕を誰だと思ってるんだ? 君は」
霖之助の能力で見れば分かる。
彼の目にはまだこの刀は楼観剣と映っているし、その用途も失われていない。
「元々、この刀を打ち鍛えたのは僕だよ。
若い頃に妖忌翁に助けて貰った事があったから、その礼にこの刀を渡したんだが、……まさか、こんな半人前に渡されていようとは」
当時の事を思い出して苦笑を浮かべる霖之助。
「グッ……、半人前は余計です」
本当なら、もっと大きく抗議したい所であるが、霖之助には楼観剣を修理してもらわなければならないので、強くは出られない。
霖之助は溜息を吐いて立ち上がると、商品の中から一振りの刀を取り出し、
「直るまでは腰が寂しいだろう。これを下げていると良い」
手渡された刀がやけに軽く感じたので、不審に思って鞘から引き抜いてみると、そこには鋼製の刃は無く、代わりに竹の刀身が収められていた。
「竹光じゃないですか!?」
「半人前にはそれで充分だよ。さあ仕事の邪魔だから、帰った帰った」
まるで犬か猫のように追い払われる妖夢だが、彼女が店を出る直前、何かを思い出した霖之助が呼び止め、
「悪いが、幽々子嬢にこれを渡しておいてもらえないかい?」
差し出したのは一通の手紙だ。
特に不審がりもせず、手紙を受けとった妖夢は、そのまま香霖堂を後にした。
●
冥界、白玉楼……。
無事に帰宅した妖夢から事情を聞き、手紙を渡された幽々子は、そこに書かれた内容を読み、そっと溜息を吐き出す。
「ホント……、あの娘ったら何時まで経っても半人前な娘ね」
……まあ、シッカリした妖夢というのも想像出来ないけど。
むしろ、半人前だからこその魂魄・妖夢なのだ。
ともあれ、霖之助に対して返信する為、幽々子は紙と筆を取り出した。
●
数週間後。
幽々子に付き添われ香霖堂を訪れた妖夢は、霖之助の姿を見て思わず後退りしてしまった。
目の下には隈、口周りには無精髭が伸びていて、一目で彼が疲れているのが分かる。しかも、風呂にも入っていないのか? 少し臭う。
断たれた刀身を打ち鍛え直すので無く、一旦溶かして玉鋼の状態から新しい刀を作り直すという製法を取ったが故に、それに掛かる労力、時間等も相応の物となった為の疲労だ。
本来ならば日本刀の制作というのは一人で行うのではなく、幾人もの職人がそれぞれを受け持って作られるのに対し、霖之助は鋼の組み合わせから仕上げまで全て一人でこなす。当然、彼に掛かる負担は相当なものになってくるだろう。
「白楼剣の方も刃毀れが酷かったから、研ぎ直しておいたよ」
言いながら手渡してくる愛刀を、ゆっくりと引き抜いていく。
その刀身の魅入られるような美しさに息を飲み、拵え直された柄は妖夢の小さな手に合わせてくれたのか、良く手に馴染む。
それでいて、重心や重量などは、以前の楼観剣とまるで変わっていない。
……凄い。
もはや、それ以外に言葉が浮かんでこなかった。
呆然と刀に魅入られる妖夢に向け、誇らしげな笑みを浮かべた霖之助は勝ち誇った表情で、
「それで、……感想はどうだい?」
「はい。……凄いです店主さん」
ハッキリ言って見直した。
これまで妖夢は、霖之助に対し余り良い印象は持っていなかったが、職人としての彼の腕前は素直に尊敬に値すると認める事が出来る。
「それは良かった」
制作者として、それは何よりも一番嬉しい褒め言葉だ。
「良かったわね、妖夢」
「はい! 店主さんも、ありがとうございました!」
霖之助としても、妖夢の笑顔とその言葉で報われた気分になるが、これが商売である以上、これで終わりにはならない。
「それでは代金の方を」
「えぇ」
言って、妖夢の背を押し一歩前へ差し出す。
「お約束通り、三年契約で週に一度、妖夢をお貸ししますわ」
「あぁ、助かります。手伝いは居るのですが、それとは別に丁稚が欲しいと思っていたので」
ちなみに、請求書の代金の中には、楼観剣と白楼剣の代金の他にも、無縁塚で商品を仕入れられなかった為の損失補填料、無縁塚から香霖堂までの運搬料、怪我の治療費、服の修繕費とクリーニング代が含まれている。
いきなりの展開に付いていけず、思わず幽々子と霖之助の顔を交互に見渡す事しか出来ない妖夢を尻目に、主人と店主は彼女の扱いについて話を進めていった。