香霖堂繁盛記
書いた人:U16
第35話 琳夜の母娘
幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
掲げられている看板には香霖堂の文字。
店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
●
「あら、珍しいわね。この店にお客さんが来るなんて」
そう言ったのは、主人の命令で買い物に来ていた紅魔舘のメイド長、十六夜・咲夜だ。
彼女の視線の先、香霖堂の入り口に立つのは、赤と青、二色のコントラストが映えるデザインの衣装を纏った永遠亭の藥師、八意・永琳が居る。
咲夜の言葉を受けた永琳は、小さく肩を竦め、
「残念ね……。客ではないのよ」
「出口はそこだよ。歩いてお帰り」
素っ気なく告げる店主だが、永琳は一切気にせず、
「あら、随分な言われようね。……折角、今日はあの時(第27話参照)のお礼を持ってきたのに」
その言葉を聞いた霖之助は僅かに姿勢を正し、
「ほう。流石は音に聞こえた永遠亭の藥師様だ。礼儀というものを心得ているらしい」
言って、永琳にお茶を差し出す霖之助。
対する永琳はそれと引き替えるように懐から小瓶を取り出して霖之助に差し出した。
「……これは」
霖之助の能力は、即座に小瓶の中身を見抜く。
「蓬莱の薬。用途は服用した者を不老不死にする。……か」
予想以上の品物に、露骨に警戒してみせる霖之助。
「へー……。それが蓬莱の薬なの」
横から伸びた咲夜の手が小瓶を摘み上げ、無造作に蓋を開けて中身の匂いを嗅いでみる。
「……無臭ね」
「えぇ。ちなみに味もしないわよ。良かったら飲んでみる?」
……貴女には、効果が無いでしょうけども。
という言葉は飲み込む。
今でこそ十六夜・咲夜と名乗っているこの少女。元々は永琳が蓬莱の薬の被検体として制作した己のクローン体だ。
彼女に投与した薬は、輝夜達が服用した完成版の物と違い、服用者の時間を停止させるという観点から制作された試作品であった為、完全な不老不死というわけではないが、それでも人間から見れば不老不死と変わらぬ寿命が有り、更にはその副作用として彼女は時を操る能力を手に入れた。
……とはいえ、彼女自身その事を自覚していないようだし、その事に気付いているのは今の所、永琳一人だけだが。
「興味無いわ」
言って蓋を閉じ、小瓶をカウンターの上に戻す咲夜。
もし彼女が自分の出生の秘密を知ったら、どんな反応をするだろう?
そんな事を考えていると、今度は霖之助が小瓶を手に取った。
「ふむ……」
開封し、興味深げに中を覗き込む。
「飲むのかしら?」
咲夜が問い掛けると、霖之助は暫し考えた挙げ句、
「保留……かな? 寿命が延びると色々な事を考える時間は得られるというメリットはあるだろうけど、今の僕にそんな度胸は無いな」
一息。
「まあ、その内、死に直面するような事があれば結論するさ」
言って、小瓶をカウンターの上に戻す。
「そうなってからじゃ、既に手遅れな気がしますけど……」
呆れた様子で零す咲夜。
永琳も霖之助が素直に飲むとは思ってもみなかったのだろう。小さく肩を竦め、
「まあ、貴方なら蒐集物に加えるだろうとは思っていたけれども。……それじゃあ、お礼にはならないのよね」
言って、永琳が持っていた鞄から取り出したのは菓子折だ。
「久し振りに作った物だから味は保証しかねるけど……。良かったら食べてちょうだい」
蓋を開けると、中には月餅が収められていた。
「ほう……。これは美味そうだね」
「私も、一つ頂こうかしら」
一口囓り、咀嚼すると、餡子の甘みが口の中いっぱいに広がる。
それも餡子特有のしつこい甘さではなく、サッパリとした清々しい甘さ。
「あら、美味しい」
少し、驚いた顔で咲夜は永琳を見つめ、
「ひょっとしてお料理とか得意なの?」
「別に、得意って程でもないわ。――そもそも料理なんて、容量と手順さえ守って作れば誰でもそこそこの味で作れるものでしょう?」
だが咲夜は納得のいかない表情で、
「確かに貴女の言う通り、レシピ通りに作ればそこそこの味にはなるわ。
……けど、この月餅はそれ以上の味になってる」
恐らくは隠し味に何か加えているのだろうが、その何かが分からない。
思い悩み、考える咲夜を見て楽しそうな笑みを浮かべる永琳だが、咲夜に代わり、口を開いたのは霖之助だ。
「これは……、笹の葉かな?」
見事に言い当てられた永琳は驚きを隠そうともせず、
「正解。……良く分かったわね」
霖之助の場合、半妖である為、本来食事は必要とせず、あくまでも嗜好品として食べる程度だ。
そして嗜好品だからこそ、無駄に凝る傾向がある為、中途半端な美食家などよりも余程舌が肥えている。
「小豆を煮込む時、笹の葉を一緒に煮込むと無駄な甘さを抑え風味を豊かにしてくれるのよ」
「そうなの……。他の料理でも応用出来そうね」
バレてしまった以上、隠す意味は無いので永琳は小さく肩を竦め、
「えぇ、笹の葉を一緒に煮込む他にも、笹の葉で包んで蒸し上げるとか、竹製の器に盛って湯煎で暖める。他には細かく刻んだ笹の葉を生地に練り込むとかいった方法もあるわ」
「そうなの。……それなら、パスタとかにも使えそうだわ。ペペロンチーノの時とかに使えば、後味もサッパリするだろうし」
「……吸血鬼にペペロンチーノとは。鬼か? 君は」
「普通の人間ですわ。それに好き嫌いが多いと、立派な淑女になれませんし」
しれっと答える咲夜だが、好き嫌い所の問題では無いだろうと思いつつも、霖之助は敢えて口出しはしない事にした。
「好き嫌いが多い主人を持つと大変ね」
「えぇ。お嬢様の嫌いなニンニクの場合、摺り下ろしたり細かく刻んだりしても、匂いでバレてしまいますし」
「それなら良い方法があるわ……」
料理談義を始めた二人を横目で眺めていた霖之助だが、楽しそうに歓談する彼女達を見て思った事を口にする。
「……なんだかそうしていると、母娘みたいだね」
霖之助にしてみれば、何の他意も無い言葉だったのだろう。
だが、完全な不意打ちで受けた為、一瞬だけ永琳の動きが止まったのを咲夜は見逃さなかった。
「どうかしたの?」
心配げに問い掛ける彼女に対し、永琳はすぐに柔和な笑みを浮かべると、
「所帯じみてるって言われた気がして、ちょっとショックを受けただけよ」
「あら、良いじゃないお母さん。
そしたら……」
咲夜は視線を霖之助に向け、
「店主さんがお父さんかしら? それで私が娘、と」
「勘弁してくれ……」
こんな妻と娘は心底御免だとばかりに深々と溜息を吐き出す霖之助。
そんな彼を見て、咲夜と永琳は一瞬視線を合わせた後、楽しそうに吹き出した。