香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第34話 因幡式交渉術の心得
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 時刻は昼前の香霖堂。
 
 そのドアを乱暴に叩く音がする。
 
 店主である霖之助は、ギシギシと軋むドアを見つめ、深々と溜息を吐き出す。
 
「……こんな時は、絶対にロクでも無いのが来るんだ」
 
 しかも、ほぼ100%の確立で客では無い。
 
 誰にとはなく零した愚痴に答える声があった。
 
「出ないの? 正直、煩くて読書に集中出来ないのだけど」
 
 と文句を言うのは、ネグリジェのようなゆったりしたローブを着た少女。
 
 動かない図書館の異名を持つ、パチュリー・ノーレッジだ。
 
 出たくはないが仕方無い。
 
 ……ドアを壊されても困るしね。
 
 再度の溜息を吐きながらも立ち上がり、極力物音を発てないようにしてドアに近づくと、ノブに手を掛け、一気に扉を開いてやった。
 
「キャッ!?」
 
 可愛らしい悲鳴を挙げながら、勢いよく店内に転がり込んできたのは黒を基調としたゴスロリ系のワンピースドレス姿のおそらくは鳥の変化であろう妖怪の少女だ。
 
「い、痛たたたた……」
 
 転んだ時に頭をぶつけたのだろう。目尻に涙を浮かべて頭を押さえる少女を見て、霖之助は三度目の溜息を吐き、
 
「また君か……」
 
 その声に反応した妖怪少女は勢いよく立ち上がると、
 
「今日という今日は私の本、返してもらうわよ、青いの!」
 
 霖之助に向けて指を突き付け、宣言する。
 
 対する店主は面倒臭げに溜息を吐き出し、
  
「パチュリー……。すまないが相手をしてやってくれないか?」
 
「イヤよ」
 
 一秒と考えずに返事が来た。
 
「私、今読書中で忙しいもの」
 
 そう。七曜の魔女にとって読書の時間は何よりも優先される大切な時間なのである。
 
 霖之助は小さく肩を竦めると、
 
「一応、言っておくが、彼女が返せと言っている本は、君が今読んでいる物でね……。
 
 誰かが相手をしてやらないと、彼女の不戦勝という事でその本を奪われる事になる」
 
「奪われるんじゃなくて、返してもらうだけよ! そもそも力尽くで強奪して行ったのはそっちが先じゃない!」
 
 という妖怪少女の抗議を霖之助は華麗にスルー。
 
 パチュリーは読んでいた本に栞を挟んで気怠げに立ち上がると、
 
「流石は魔理沙の保護者ね。今度、本の入手方法について詳しく聞かせてもらうわ」
 
 こんな希少な本が入手出来るのであれば、自分も真似してみようと企みつつ、妖怪少女に視線を向けて、
 
「表に出なさい。この青黒に変わって、私が相手をしてあげるわ」
 
「……アンタ誰?」
 
 問われたパチュリーは暫く考え、
 
「同好の士よ」
 
「……瞳孔熨斗?」
 
 意味が分からず小首を傾げる妖怪少女に構わず、外に出て行こうとするパチュリーに対し、霖之助は思い出したように戸棚からL型に曲がった奇妙な小瓶を取り出してパチュリーに放り投げる。
 
「……何かしら? これ」
 
「外の世界の喘息の薬を改良した物だ。注意書きによると、下のキャップを外して一度吸い込めば良いだけらしい。
 
 万が一という事があるかもしれない。服用しておくといいだろう」
 
 暫く考えたパチュリーは、霖之助の指示通り薬を吸引する。
 
 僅かな間を置いて小さく深呼吸し、気管支の調子を確認すると、
 
「礼を言っておくわ森近。こんなに調子が良いのは、生まれて初めてよ」
 
「それは重畳。わざわざ永遠亭まで行って、魔法使い用に改良した甲斐があったというものだ」
 
 わざわざ自分の為だけに永遠亭にまで足を運んで薬を調合してくれたという事に好意を感じるパチュリーだが、霖之助としては、当然、善意でやったわけでは無い。
 
 パチュリーに貸しを作っておけば、図書館の本を借り受ける時に便利だし、更には紅魔舘とのパイプをより太いものとする事が出来る。
 
 そんな霖之助の下心に気付かず、密やかな喜びを噛み締めながら、小瓶をポケットに仕舞い。
 
「さあ、気合いを入れて掛かっていらっしゃい。今の私は、かなり強いわよ」
 
 数分後、パチュリーの笑い声と妖怪少女の悲鳴がカウンター席に座る霖之助の元まで聞こえてきた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……ここは?」
 
 数刻後……、絶好調なパチュリーにこっぴどくやられて気を失った妖怪少女が目を覚ますと、見慣れない天井がまず目に入った。
 
「あら、気が付いたのね」
 
 聞こえてきた声に全身を使って警戒を示すと、そこに居たのは紛れもなく自分をフルボッコにしてくれた魔法使いだ。
 
「あ、アンタ……!?」
 
「それだけ動けるなら充分ね」
 
 余り、妖怪少女に興味が無いのか? パチュリーは読んでいた本を閉じて立ち上がり、
 
「森近、あの鳥妖怪の目が覚めたわよ。服の方の修理は終わってるの?」
 
 聞こえてきた声によって、初めて自分が下着姿である事を自覚し、慌てて布団の中に戻る。
 
「あぁ、今終わった所だよ」
 
 霖之助から手渡されたのであろう、妖怪少女のワンピースドレスを持ってパチュリーが奥の部屋に戻ってきた。
 
「ほら、さっさと着替えなさい。森近が貴女に何か話があるそうよ」
 
 渡された服を着込みつつ、パチュリーの言葉に小首を傾げながらも、着替え終わった少女は霖之助の待つ店の方へと向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「その様子だと、怪我は大した事が無かったようだね」
 
 安堵した様子で告げる霖之助に対し、妖怪少女は霖之助のお株を奪うような無愛想な態度で、
 
「それで? 何の用なのよ?」
 
 助けて貰った事には一応、礼は言うが、霖之助の言うこと等微塵も聞く気はないというあからさまな態度に、ヤレヤレと肩を竦めつつ、店主は冷めてしまったお茶を一口飲み、
 
「まあ、そう警戒しないでくれ。君にとっても悪い話では無いはずだ」
 
「…………」
 
 一向に警戒を解く様子の無い妖怪少女に対し、霖之助は小さく溜息を吐き出し、
 
「まず、霊夢が君から強奪して僕が買い取った本だが、君に返すつもりは無い」
 
 ……これは正当な取引によって僕の所有物になった物だ。譲歩してやる謂われは無い。
 
「そこで、取引といこうか」
 
「……取引?」
 
 訝しげに眉を顰める妖怪少女に対し、霖之助は徐にカウンターの上に置いてあった一冊の本を差し出す。
 
「“非ノイマン型計算機の未来・1巻”……君が読んでいた本の一番最初の巻だ」
 
「3冊と1冊じゃ割に合わないわ!?」
 
 猛然と抗議する少女に対し、霖之助は否定の意を示すと、
 
「交換しようなどとは一言も言うつもりは無いよ」
 
 一息、少女の目を見据えて告げる。
 
「これを差し出したのは、巻の途中から読むよりも、最初から読んだ方が面白いし理解もし易いと思ったからだ。
 
 そして、僕が掲げる取引とは、香霖堂にある本を自由に読めるという権利。
 
 当然、必要最低限の条件として、読書中は静かにするというのが挙げられるがね」
 
 妖怪少女が口を開こうとするよりも早く、霖之助が捲し立てる。
 
「あの時の本に、未だに拘っている所を見ると、君も相当に本が好きなんだろう?」
 
 という問い掛けに頷く事で答えると、霖之助はしたり顔で頷き、
 
「まず君の利点として、ここには結構な冊数の本があるという事。
 
 しかも、全て外の世界の珍しい本ばかりだ。
 
 第二に、この店の中ならば、君の言う赤いのやら黒いのに襲われる心配が無いという事」
 
 霖之助の出す条件に、妖怪少女の心が揺り動く。
 
 彼女にとっては、破格の好条件。ここまでは、何一つ文句など有りはしない。
 
 だが、好条件であるが故に何を要求されるのか? と警戒し、取引の条件を問うてみる。
 
 すると霖之助は小さく頷き、
 
「君が拾った本を香霖堂に提供してくれれば良い。勿論、ここで読む分には君の自由だし、僕はそれを売り物として商品にしたりはしない。
 
 まあ、その代わりに僕も少しは読ませてもらうけどね。
 
 ここならば、誰かに盗まれる事も無いし、本の管理にも僕が万全を期そう。
 
 ……どうかな? 君にとっても悪い話ではないと思うんだが」
 
 暫くは逡巡していた妖怪少女だが、決めかねているのか? 一度、霖之助の表情を覗き見る。
 
 そこには真剣な表情で自分を見つめる店主の姿があるだけで、自分をからかっているようにも、騙そうとしているようにも見えない。
 
「……どうして?」
 
「うん?」
 
「どうして、そこまで良くしてくれるの?」
 
 思えば、怪我の治療にしてもそうだし、服の修繕にしてもそうだ。
 
 本を奪われたという事はあっても、彼が直接自分に危害を加えたという事は一度も無い。
 
 霖之助の返答を待つ妖怪少女に対し、彼は力強く頷くと、
 
「君が本が好きだからだな」
 
「え?」
 
「本という物は、謂わば知識の塊のような物だ。知りたいと思う欲求は尊いものだと僕は考えている。
 
 そして本が好きな君も、尊い人物なのだろうね」
 
 そこまであからさまに褒められたのは初めてだったのか? 妖怪少女は思わず赤面し、黙り込んでしまう。
 
 だが、そんな事に気付かない霖之助の言葉は止まらない。
 
「君もだパチュリー」
 
「……私?」
 
 それまで黙って傍観していたパチュリーはいきなり話を振られた事に若干驚きながらも、それを極力表に出さないように努める。
 
「あの図書館の蔵書量を見れば、君がどれだけ貪欲に知識を求めてきたのか分かるというものだ。それだけで君は尊敬に値する人物だと思う。
 
 そんな賢い女性と知り合えた事に僕は感謝するべきなんだろうね」
 
「ほ、褒めても何も出ないわよ」
 
 だが、褒めるのはタダだ。元手が掛からない。これほど安上がりで、効果の高い方法は他には無いと彼の愛読書に書かれていた。
 
 頬を染め、そっぽを向いてしまうパチュリー。
 
 暫く思案していた妖怪少女だが、霖之助の人柄と自分に利があると判断したのか頷き、霖之助の提案を了承してくれた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「じゃあねー! 青いの」
 
 元気良く手を振りながら香霖堂を後にする妖怪少女。
 
「偶には貴方の方が来なさい。その時は一応歓迎してあげるわ」
 
 照れているのか? 恥ずかしそうに告げるパチュリーを見送る霖之助。
 
 少女達の姿が見えなくなるのを確認した霖之助はヤレヤレと溜息を吐き出し、
 
「――最近憶えたばかりの交渉術だったんだが、なかなかに使えるようだ」
 
 誰にとはなく零した霖之助の手元。
 
 カウンターの上に置かれている真新しい1冊の本。
 
 そのタイトルには“使える取引の交渉術 著:因幡・てゐ”と書かれていた。
 
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