香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第31話 本日休業(歌会編)
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 桜の花がようやく綻んできた季節。
 
 霖之助は、残雪の溶けきった博麗神社へと続く道を歩いていた。
 
 先日、魔理沙が店の方にやって来て、博麗神社で歌会をやると言い出した為だ。
 
 花見や宴会ならば、騒がしさを敬遠する霖之助は断っただろうが、歌会となれば話は別だ。
 
 誰かに歌を師事した事などありはしないが、知識人の端くれとしてそれなりの教養はあると自負している。
 
 何よりも、歌会というのは風情があって良い。
 
 騒がしい宴会と違い、落ち着いた雰囲気の中、自然を感じそれを歌にする。
 
 ……魔理沙も、ようやく風情を理解するような落ち着きを持ってきたか。
 
 独りごちながら妹分の成長に、我知らず笑みを零す。
 
 そして、長い石段を登り、やっとの思いで辿り着いた博麗神社の境内では、宴会が佳境に入っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 歌会とは到底思えない有様に、思わず呆然としている霖之助の存在にいち早く気付いたのは大きな杯を持った小鬼、伊吹・萃香だった。
 
「おー!? 珍しい奴が来てるね! 今日は雨でも降るのかい?」
 
 酒臭い息を吐きながら自身に絡んでくる小鬼を引き剥がし、周囲を見渡す。
 
「……暫く顔を見せない内に、随分と見ない顔が増えたね」
 
「そう思うなら、偶には参加したらどうだい?」
 
 そう言って、霖之助の背後から顔を覗かせたのは三途の川の船頭、死神の小野塚・小町だ。
 
 取り敢えず飲みな。と酒を勧めてくる小町を押し留め、
 
「そんな事より歌会はどうした? 僕は風情を楽しむ為にここまで来たというのに」
 
「歌会? あぁ、歌会なら、あっちでやってるよ」
 
 と小町が指さした先、申し訳程度にゴザが敷かれその上に座す数人の女性の姿があった。
 
 その中に意外な少女の姿を見つけ、霖之助は歩み寄り、
 
「まさか君に風情を楽しむだけの余裕があるとは驚いたな」
 
 突如、声を掛けられた少女は、驚きの表情のまま振り返り、そこに霖之助の姿を認めると驚いた表情で、
 
「店主さんこそ、どうしたんですか? こんな場には滅多に顔を見せたりしないのに」
 
 緑色の服を着たおかっぱ頭の少女。半人半霊の庭師、魂魄・妖夢の問い掛けに対し、霖之助は大仰に溜息を吐き出し、
 
「今日は歌会だと聞いてやって来たんだ」
 
 憮然とした表情で、
 
「だというのに、誰一人和歌を詠んでもいない。幻想郷のモラルも落ちたものだ……」
 
「そ、そんな事ありません! 私は唄なんか詠めませんけど、幽々子様なら――」
 
 そこで初めて、霖之助は妖夢の傍らに座る女性の存在に気付いた。
 
 女性は座ったまま霖之助に向けて一礼すると、
 
「初めまして。私、閻魔様より冥界の管理を仰せつかっている西行寺・幽々子と申します」
 
 対する霖之助も幽々子の対面に腰を下ろすと一礼し、
 
「これはご丁寧にどうも。僕は魔法の森の入り口で古道具屋を営んでいる森近・霖之助と申します」
 
 丁寧な物腰で挨拶する霖之助を驚愕の眼差しで見つめる妖夢。
 
 そんな彼女を無視して、店主と主の会話は続く。
 
「まあ、貴方が……。何時ぞやは妖夢がご迷惑をお掛けしたようで」
 
 それ以外にも、紫からも色々と聞き及んでいる(第14話参照)が、その事は伏せておく。
 
「いえいえ、あの時はこちらとしても助かりました」
 
 和やかに談笑を続けていた二人だが、やがて今回の趣旨が歌会である事を思い出し、色紙と筆を手に取った。
 
 互いに、暫く五分咲き程度の桜を眺めつつ考えていたようだが、始めに詠んだのは幽々子の方だ。
 
「では一句。
 
 ほとけには 桜の花をたてまつれ 我が後の世を 人とぶらはば」
 
 その歌を聞き、意味は分からぬが流石幽々子様としたり顔で頷く妖夢と眉根を寄せた表情で腕組みする霖之助。
 
 春雪異変のおおよその事情は霊夢達から聞き及んで知っている霖之助だが、正直な所、冬の苦手な彼としては、またあのような異変を起こされるのは御免被りたい。
 
 また同じ手段を取ってくるとは限らないが、一応諫めておく必要があるだろう。
 
 そう考え、霖之助も筆を執り返歌を詠む。
 
「紫の 桜の花散る無縁塚 風見の娘ど 手出しは出来ぬ」
 
 霖之助の返歌を聞いた幽々子は、袖で口元を隠し上品な笑みを浮かべると、
 
「ふふふ、怒られちゃったわ」
 
「いえ、賢い貴女なら事の無粋さを悟ってくれると思っていましたよ」
 
 そんなやり取りが行われる中、付いていけない妖夢は首を傾げるばかり。
 
 ……全然意味が分からない。
 
 いや、どういう事を歌っているのかは分かる。が、なぜそれが幽々子を怒る事になるのか? そもそも風見・幽香ならば無縁塚の紫の桜でも自在に操れるのではないだろうか?
 
 声には出していない筈だが、表情には出ていたのだろう。
 
 霖之助は小さく肩を竦めて、歌の書かれた色紙を妖夢に手渡し、
 
「その歌を見せた上で、風見・幽香に直接聞いてみると良い。
 
 おそらく彼女程の大妖怪なら、理解している筈だ」
 
 主人である幽々子の傍らを離れるのは気が引けたが、幽々子自身が困ったような笑みを浮かべ、
 
「良い勉強の機会だからいってらっしゃい」
 
 と送り出してくれたので、妖夢は宴会場の方で酒を飲んでいる幽香の元へ向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ……実は、あの人苦手なんですけど。
 
 密かに溜息を吐きながら妖夢は幽香の元に向かう。
 
「あの……すみません、幽香さん」
 
 周りのドンチャン騒ぎに加わらず、ひっそりと咲きかけの桜を眺めながら酒を楽しんでいた幽香に声を掛ける。
 
「あら、何の用かしら?」
 
 微笑を崩す事無く妖夢に向き直る幽香。
 
 但し、微笑と言っても人を安堵させるようなタイプのものではなく、彼女の微笑は相対する者に恐怖と不安を募らせるタイプの非常に危ういものだ。
 
「これなんですけども」
 
 持ってきた霖之助の歌が書かれた色紙を手渡す。
 
 色紙に視線を落とした幽香は、その歌を黙読し詠み人の所に霖之助の名前を見つけると妖夢に気付かれない程度に口元を綻ばせる。
 
 ……ふふ、分かってるじゃない。
 
 幽々子の歌への返歌である事を知らない幽香からすれば、この歌は霖之助が幽香の事を詠んだ歌として取られても仕方無い。
 
「下手くそな字ね。……それで? これが何なのかしら?」
 
「えぇ、貴女なら無縁塚に咲く妖怪桜でも操れるんじゃないか? と思いまして」
 
 ……なるほど。ご苦労な事ね。
 
「出来るわよ。――決してやらないけど」
 
「どうしてですか?」
 
 問うてくる妖夢を見て、全てを理解した。
 
「貴女……。未熟者だとか、半人前だとかよく言われない?」
 
「う……」
 
 現に先程も、遠回しにそう言われたばかりだ。
 
 無縁塚に咲く紫の桜が散る時は、死者の魂が成仏する時だ。魂が宿る花びらが散るからこそ、紫の桜は幽玄な美しさを持てる。
 
 それを敢えてねじ曲げ、無理矢理開花させたとしても、それは本来の美しさを持たず、また、それこそ無粋というもの。
 
 その事を理解出来ない以上、未だ彼女は半人前なのだ。
 
 とはいえ、幽香としても、その事を態々教えてやるほど優しくは無い。
 
「手ぶらで帰るのもなんでしょ」
 
 手を軽く一振りすると、そこに現れたのは小さな四つ葉のクローバー。
 
 花言葉は私のものになりなさい。
 
 ……まあ、あの朴念仁は気付かないんでしょうけども。
 
 今はそれで良い。だが、その内に向こうの方から求愛してくる程に惚れさせてやる。
 
 ……初めは、紫をからかうだけのつもりだったのに、ね。
 
 自分を恐れない人妖。――それだけならば、何人かは居る。
 
 だが、風見・幽香の本質を理解している人妖など、幻想郷に何人居るというのだろう?
 
 そんな希少な人材を他の誰かに取られるのを黙って見ている程、風見・幽香という妖怪は温和しくも温厚でも無い。
 
 但し、自分から相手に言い寄るというのは彼女のプライドが許さない。だから、向こうから言い寄ってくるよう自分の虜にする。
 
 勿論、術や薬に頼らず、女としての魅力だけで、だ。
 
 幽香は手にした四つ葉のクローバーを妖夢に差しだし、
 
「店主に渡しておいてちょうだい。代わりに、この色紙を貰っておくわ」
 
 告げ、もう用はないと、また酒を飲み始める。
 
 まだ本来の目的は果たして無いが、幽香に話すつもりが無い以上、これ以上留まっても無意味だろうと判断した妖夢は幽々子達の元へと戻って行った。
 
 それを見送った幽香は一度視線を色紙に落とし、
 
「紫の 桜の花散る無縁塚 風見の娘ど 手出しは出来ぬ」
 
 誰にも聞こえぬよう、小さな声で呟いてみる。
 
 ……ふふふ、無縁塚で紫の桜を眺めながら二人で花見というのも乙なものね。
 
 一口で御猪口に残っていた酒を飲み干した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 妖夢の持ち帰ってきた四つ葉のクローバーを手にした霖之助は小さく頷き、
 
「風見・幽香がこれを僕に?」
 
「はい。色紙の代わりに、と」
 
 ふむ、と小さく頷き、
 
「四つ葉のクローバーは、その葉一枚一枚に意味が込められていて、それぞれ、希望、信仰、愛情、幸運を示している」
 
 風見・幽香ほどの妖怪が直々に作り出した一品だ。何かしらの力が込められているかもしれない。否、込められているのだろう。
 
 四枚の葉が示す内の一つ。希望とは既望。すなわち満月を過ぎた夜の事で、別名を十六夜という。ここから連想するのは紅魔舘のメイド長である十六夜・咲夜であり、彼女が何をしてくれるのか? それは次の信仰に掛かってくる。
 
 香霖堂の香は神を示しており、神の居る場所。すなわち神社の事だ。
 
 そして神社とは信仰によってその力を増す。これから連想するに、香霖堂(神社)の常連客(参拝者)と解釈出来、信仰とは売買における代金とみる事が出来る。
 
 次に愛情だが、これは僕の道具に対するものに違いあるまい。
 
 つまり、これら全てが合わさった時に真の幸運が僕に訪れるという事だろう。
 
 すなわち、この四つ葉のクローバーを所持している限り、近いうちに紅魔舘から大口の買い物がある事を約束されているわけだ。
 
 一通りの思考が済み、満足したのか? 霖之助は大事そうに四つ葉のクローバーを懐にしまい込んだ。
 
 ……こうしてはいられない。早く帰って、商品の準備をしなくては。
 
 それから徐に立ち上がり、
 
「では、僕はそろそろお暇させてもらいます」
 
「そうですか……」
 
 僅かに名残惜しそうにする幽々子だが、すぐに何時もの柔和な笑みを取り戻すと、
 
「お約束の方、お願いします」
 
「えぇ。こちらこそ、楽しみにしています」
 
 契約の代わり、とも言うべき握手を交わすと、霖之助は香霖堂へと戻って行った。
 
 霖之助が去るのを見送った幽々子は小さく溜息を吐き出し回想する。
 
 彼との会話は、何故か懐かしさを感じずにはいられなかった。
 
 今ではもう、記憶の片隅にも残っていない男性。
 
 自分が見上げる程に背の高い彼は、心底楽しそうに、幽々子に和歌の心を教えてくれた。
 
 時には楽しく、時には悲しく、また時には恋い焦がれ、様々な感情を僅か数十文字に詠み、相手に思いを届かせる。
 
 霖之助の歌を詠む姿が、一瞬その男性と重なって見えた瞬間、何かを思い出しそうになった。
 
 ……彼と共に居れば、この気持ちの正体が何なのか分かるかしら?
 
 そんな気持ちから提案した歌の交換。所謂、文通だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 それから数日後。
 
 七分咲きとなった冥界の桜を眺めながら幽々子が歌を詠んでいた。
 
「桜花 今ぞ盛りと 人は言へど 我れは寂しも 君としあらねば」
 
 自分で歌っておきながら、思わず笑みが零れる。
 
 あれから数度の歌のやりとりを経てみた上で、彼の風流に対する想いというものはおおよそ理解した。
 
 そして、その上でもう一度直に会って、歌のやり取りをしてみたいと思わずにはいられず、思わずこの歌を詠んでいた事に苦笑いする。
 
「騒がしいのは嫌いなようだから、無縁塚でひっそりと花見がてらに歌を詠むのも良いかもしれないわー」
 
 言いつつ、手紙と色紙を袱紗に包み、妖夢に言付けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 幽々子と幽香が道具を仕入れに来た霖之助と無縁塚で再会するのは、これから数日後の話。
 
 その時、何があったのか? 無縁塚でサボっていて一部始終を目撃した死神は、今でも口を閉ざしている。
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