香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第30話 夏の雪女
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ある夏の暑い日の事だ。
 
 炎天下の元、霖之助は気怠げな足取りで人間の里を訪れていた。
 
 正直な所、彼とて来たくてこんな暑い中人里まで足を伸ばしたわけではない。
 
 間の悪い事に、行灯の油を切らしてしまったのだ。
 
 これでは夜に本を読むことが出来ない。
 
 食料の備蓄が底を着いたとかならば、食事を必要としない半妖の彼はまだ我慢が利く。
 
 だが、夜に本を読めないのは駄目だ。
 
 いや、別に読書に限った事ではない。拾った道具を弄るのにも、マジックアイテムを製作するのにも、暗い場所で作業する為には光源が絶対に必要不可欠。
 
 如何に、暗い場所の専門家のような事を新聞に書かれていようとも、明かりが無くては生活出来ないのだ。
 
 というわけで、こうして暑い中、人里にまで足を伸ばしたのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 無事、行灯の油を古巣である霧雨道具店で購入し、不良娘の近況を報告して帰路に着いた霖之助だが、再度日の光の下を歩き始めた途端、余りの暑さに心が悲鳴を挙げてギブアップした。
 
 行きはまだ太陽もそれ程高くない時間帯だったので、辛うじて人里まで到着する事が出来た……。とはいえ人里に着く頃には心身共に限界にまで達したが。
 
 霧雨道具店で小休止を取ったとはいえ、未だ体力は万全では無く、太陽も今が最も気合いが入っている時間だ。
 
 一応、日傘は持っているが、女性用である為、おおっぴらに傘を差して歩くのは度胸がいる。
 
 ……もし、阿求にでも見られたら、七代はからかわれ続けるな。
 
 いや、下手をすれば幻想郷縁起に挿絵付きで描かれかねない。
 
 ……そんなことになったら、もう幻想郷で生きてはいけない。
 
 ゲンナリした溜息を吐き、周囲を見渡し日陰を探す。……と、視界の隅に“たちばな”と看板の掲げられた一件の甘味処が見えた。
 
 軒先に吊されているのは、紛う事なき氷の暖簾。
 
 まるで砂漠で遭難した所にオアシスでも発見したような表情で甘味処を目指す霖之助。
 
 立て掛けられた簾を潜り、店に入ってみると満席御礼状態な店内に、思わず二の足を踏んでしまう。
 
 ……まあ、この暑さだ。皆、考えている事は同じか。
 
 とはいえ、再びあの炎天下の中に戻る元気など無い霖之助は溜息を吐いて一歩を踏み出した。
 
「いらっしゃいませ。 何名様でしょうか?」
 
 物静かそうなショートカットの少女が接客してくる。
 
「一人なんだが……」
 
「相席になりますが、よろしいですか?」
 
 淡々と問い掛けてくる少女。
 
 本来ならば、一人で座ってゆっくりと氷を味わいたい所であるが、霖之助としても早く腰を降ろして涼を取りたい為、相席を了承した。
 
「すみませんお客様。相席よろしいですか?」
 
 導かれるままに連れて来られた席の向こう側に座っているのは一人の女性。
 
 色素が薄いのか? 薄茶色のゆるいウェーブの掛かった髪をミドルヘアーにした女性だ。
 
 着ている服は薄青い木綿の小袖。――少しでも涼を得たいのか? 雪の結晶のような模様が染め抜かれている。
 
 それまで美味しそうにかき氷を食べていた女性は小さく顔を上げ、そこに霖之助の存在を認めると慌てて顔を逸らし、
 
「は、はい。どうぞ〜」
 
 そう言ったきり、俯いてしまった。
 
「失礼するよ」
 
 断りを入れて席に腰を降ろし、備え付けのメニューを広げる。
 
 真っ先に開けたのは、当然かき氷のページだ。
 
 いちご、れもん、めろん、宇治金時といった定番の種類から、ぶるーはわいなどという初めて見る新種まである。
 
 暫くメニューとにらめっこした霖之助は、先程の少女とは違う髪の長い店員の女の子に向け、
 
「ぶるーはわいを一つ頼む」
 
「はい、ぶるーはわいですね。少しお待ちください」
 
 快活な笑顔で注文を復唱すると、駆け足にならない程度の早歩きで厨房に向けてオーダーを入れる。
 
 そこでようやく一息を吐いた霖之助がメニューを閉じて顔を上げると、対面に座っていた女性と視線があった。
 
 慌てて視線を逸らす女性だが、自分はこの初対面の女性に何か嫌われるような事をしただろうか? 
 
 と、そこまで考えて、女性の顔に見覚えがあるような気がして記憶を探ってみる。
 
 ……どこで会った?
 
 どうにも思い出せず、遂には唸り始めた霖之助の元に、店員の少女がかき氷を持ってやって来た。
 
「ご注文のぶるーはわいです。ではごゆっくりどうぞ」
 
 店員に向け生返事を返し、スッキリしない気分のままスプーンを手に氷を一掬いして唐突に思い出した。
 
「レティ・ホワイトロック」
 
 ……そうだ。髪色や服装こそ違うものの間違い無い。
 
 小さく呟かれた霖之助の言葉に、女性は目を見開いて立ち上がり、彼の手を取って、
 
「ちょっと来てちょうだい〜」
 
 切羽詰まった声色で、霖之助を連れて店の外に出る。
 
 その際、彼の分まで支払いを忘れなかったのは、香霖堂に来る客ではない少女達も見習うべきだ。と思いつつ、彼女に連れられるまま日当たりの余り良くない路地裏にまでやって来た。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 炎天下の元、走った為か? 荒い呼吸を整えようとするレティに対し、霖之助は憮然とした表情で、
 
「それで? 雪女の君が、夏に人里なんかで一体何をしているんだ?
 
 いや、それは別にどうでもいいか。そんな事より、僕はまだ一口も氷を食べてなかったんだぞ? それをこうして連れてくるという事は、それなりに大事な用件なんだろうね?」
 
 かき氷を目の前にしてお預けをくらった霖之助があからさまに不機嫌な様子で告げると、レティは怯えたように、
 
「だ、大事な事よ。だから、そんなに怒らないで話を聞いてちょうだい」
 
 言われ、かき氷一つで少し大人気なかったかな? と思い直した霖之助は深呼吸を一つ。
 
「分かった。取り敢えず、用件を聞こうじゃないか」
 
 霖之助の声から怒気が消えた事に気付いたレティは安堵の息を吐き出し、
 
「そうね……。どこから話せば良いかしら〜?」
 
 レティが言うには、彼女の姿が冬以外に見あたらないのは、冬以外の季節はこうして人間に化け、力の消耗を抑えているからだという。
 
 当然、今の彼女は人並みの力しかなく、弾幕すら放つ事が出来ないので、極力危険の少ない人里で目立たぬようひっそりと暮らしているらしい。
 
「なるほど。それは貴重な発見だ。早速、阿求に教えてくることにしよう」
 
 言った途端、左腕にしがみつかれた。
 
「お、お願い! 後生だから、それだけは勘弁して〜!?」
 
 必死な形相で、涙ながらにレティは語る。
 
 曰く、雪女という種族の都合上、彼女は嫌われやすいという。
 
 なにしろ彼女にそのつもりが無くとも、冬に彼女がそこに居るというだけで、辺り一帯が猛吹雪に見舞われる。
 
 運悪く吹雪に遭遇し、命を落とした人間の数は十人や二十人ではきくまい。
 
 更に、彼女にとっては不運は、幻想郷縁起において夏場に彼女の姿を見かけたならば、鬱憤を晴らす良い機会だろうとまで書かれている事だ。
 
 ……昔から、自分より弱い者には容赦無かったからな。
 
 過去を思い出し、阿求の悪癖を思って密かに溜息を吐き出す霖之助。
 
 今の人間の女性となんら変わらないレティがそんな事をされれば、タダでは済むまい。
 
 それは流石に不憫だなと思った彼は、小さく肩を竦め、
 
「分かった。君が夏場は人間に化けて人里で生活している事は誰にも言わないと約束しよう」
 
「ほ、本当に〜?」
 
 レティとしては、もはや彼を信じるしか方法が無いのだが、彼女からすれば森近・霖之助という人物は余り信用に値しない。
 
 それというのも、彼自身が幻想郷縁起のレティの項目で、彼女の事を嫌っているような発言をしている為だ。
 
「あぁ、勿論だとも」
 
 一先ず、これでこの話は終わりとして、霖之助はレティと別れようとしたが、どうにも今一彼の事が信用出来ない彼女は、彼が店に帰り着くまで付いて行く事にした。
 
 香霖堂までの道中、何とか彼の機嫌を取ろうと話し掛けるレティだが、興味が無いのか? 霖之助は生返事を返すに留まる。
 
 余り和やかとは言えない雰囲気の中、辿り着いた魔法の森の入り口に建つ一件の古道具屋。
 
 ひょっとしたら、何か買ってくれるかもしれないという打算から店にレティを招き入れた霖之助だが、恐る恐る店に足を踏み入れたレティは店内の暗さに思わず目を見張った。
 
 魔法の森の入り口に建つ為か? 香霖堂の店内は、常に木陰で薄暗く、窓を開けて風さえ取り込むようにすれば、人里とは比べものにならない程に快適を得る事が出来る。
 
 しかも、ここなら人間の里から適度に離れている為、人間に正体がバレないように気をつかう必要も無い。
 
 新たな理想郷を発見した事により、我知らずの内に微笑みを浮かべてしまうレティ。
 
「私、ここに住んでも良いかしら〜?」
 
「駄目に来まっているだろう」
 
 即答で返す霖之助だが、レティはめげずに、
 
「力仕事以外なら、炊事洗濯何でもするわよ〜」
 
「間に合ってるよ」
 
 だが、それでもまだレティは諦めない。
 
「客寄せとかも〜」
 
「店の前を通りがかる人は殆どいないな」
 
「しくしく〜」
 
 遂には嘘泣きを始めたレティを無視して、霖之助は読みかけの本を開き、そこでふと思いついたように、
 
「あぁ、そうだ」
 
 何かを思いついたような霖之助の声に、レティは嘘泣きを止めて顔を上げる。
 
「冬は、この辺りに近づかないと約束してくれるんなら、納屋くらいは使わせてやっても良いよ」
 
「ひ、酷い……」
 
 遂に本気で泣き出したレティだが、霖之助は一瞥しただけで慰めようともしない。
 
 ……まあ、彼女が思っているほど、人里の人間達は悪い奴ばかりでもないんだが。
 
 誤解が解けさえすれば、彼女の正体が妖怪だと知れても、そんなに酷い扱いは受けないだろう。……まあ阿求辺りは、嬉々としてイジメに来るだろうが、慧音に言っておけば、ちゃんと対処してくれると信じている。
 
 取り敢えず、慧音に対して手紙を書く為、霖之助は引き出しから便箋を取り出した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 霖之助からの手紙を持った見知らぬ女性が尋ねて来た事により、何かを勘違いした慧音がテンパッた表情で香霖堂にやって来るのは、この1時間後の事。
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