香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第3話 外来人+リボン帯+日傘=???
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、今日は久方ぶりに外に出て外の世界から流れてきた道具を探しに霧の湖の方へと足をのばしてみた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 それは一人の少女が視る夢の世界。
 
 彼女の住む世界とは隔絶された世界のお話を少女は夢で視る。
 
 気が付くと、彼女は辺り一面を霧で覆われた湖畔に立っていた。
 
「……また来ちゃったみたいね」
 
 誰にとはなく呟くのは二十歳にも満たない年齢の女性だ。
 
 肩まで伸ばされた金髪に蒼い瞳。濃紺のワンピースに身を包み、頭にはメイドが被るようなボンネットタイプの帽子が乗っている。
 
 既に季節は初夏だというのにも関わらず、寒気すら覚える冷気に身を震わせて周囲に視線を投げ掛けた。
 
 ……最初はただ外から視るだけだったはずなのに、今ではその世界との境界すら越えて、体感出来る程にまで、能力が上がってきてる?
 
 彼女の親友曰く、今では境界を操る程度の能力にパワーアップしているのではないか? との事らしい。
 
 最近は自らの能力に薄ら寒ささえ覚える。
 
 ……このまま能力が成長していった場合、自分はどこまで行ってしまうのか? 否、人間でいる事が出来るのかさえ自信がない。
 
「……まぁ、こうして突っ立っていてもしょうがないし」
 
 誰にとはなく呟き、当て所もなく歩き始め、暫くしてここが湖畔であることに気付いた。
 
 湖岸に立ち周囲を見渡してみると、余り大きく無い湖である事が分かる。
 
「……1週しても、1時間位で廻れそうね。──あらッ?」
 
 霧に覆われていてよく見えないが、向こう岸に大きな館が見えた。
 
「大きなお屋敷ねぇ……」
 
 基本的に好奇心旺盛な彼女としては、とても興味を注がれる。
 
「……ちょっと行ってこうかしら?」
 
 呟き、歩き出そうとしたら、何処からか笑い声が聞こえてきて彼女の歩みを遮った。
 
「あはははは、あの館へ行こうなんて、変わった人間ね? アンタ」
 
 周囲を見渡すが、人影は無い。
 
「どこ見てんのよ? こっちこっち」
 
 上から降ってくる声に仰ぎ見てみれば、そこには青と白のワンピースを着た青い髪の女の子が空に浮いていた。
 
 女の子の背中にはまるで氷で作られたような6枚羽根があり、一目で人間でない事が伺い知れる。
 
 もっとも、女性の方も人外に出会うのは初めてではないらしく、さして驚いた様子もなく、女の子へと話しかけてみた。
 
「はじめまして、妖精さん。
 
 私はマエリベリー・ハーン。──友達はメリーって呼んでくれるわ。よろしくね」
 
「ふふん。人間にしては、随分礼儀正しいわね。
 
 良いわ。あたいも名前を教えてあげるから光栄に思いなさい」
 
 薄い胸を張り、氷の妖精は自らの名を告げる。
 
「あたいの名前はチルノ! 幻想郷最強の氷の妖精よ!」
 
 どうだ参ったか。とばかりに告げるに氷精にメリーは笑みを向けて、
 
「ねえチルノちゃん。あのお屋敷が何なのか? 知ってるの?」
 
 それを聞いてチルノは驚いた。
 
「それ本気で言ってんの? 幻想郷に住んでて紅魔館の事知らないなんてありえないわ」
 
 言い切るチルノに対し、メリーははにかんだ表情で、
 
「私、幻想郷の人間じゃないのよ。貴女達の言う外の世界から迷い込んだの。
 
 だからこっちの世界には疎くてね」
 
 のほほんと告白するメリーが視線を向けると、そこではチルノが瞳を輝かせてメリーを見つめていた。
 
「外から来たの? ……ねぇねぇ! 外の世界ってどんな所!?」
 
 興味津々といった様子でメリーに外の世界の話をせがむチルノ。
 
 彼女の中では既にメリーが紅魔館について尋ねた事など忘れ去ってしまっている。
 
「そうね……、外の世界は幻想郷と違って空を飛べる人達は居ないわ」
 
「え? それじゃあ、遠くに行く時とかどうするのさ? 物凄く時間が掛かるよ?」
 
「えぇ、だから乗り物を使うの。馬なんかよりも速いのよ」
 
「あたいより? いや、あの鴉天狗より速い?」
 
「ふふふ、その鴉天狗さんは知らないけど、とてもと速いわ」
 
 その後も話をせがむチルノに色々と聞かせてやり、チルノからも色々と話を聞いた。
 
 曰く、彼女の趣味はカエルを凍らせて遊ぶ事だとか、よく遊ぶ友達に妖精仲間の他には蟲や化け猫や夜雀や闇夜の妖怪などが居る事。
 
 その夜雀が最近、八目鰻の屋台を始めた事。
 
 化け猫の主人の主人は幻想郷で一番強いらしいが、自分の方が更に強い事。
 
 そんな楽しい時間がどれだけ経過しただろう?
 
 気が付けば、周囲は嫌な空気に支配されていた。
 
「メリー……、アンタはあたいの後ろに下がってて」
 
 林の中から徐々に近づいてくる邪悪な気配。
 
 周囲に乱立する木々の枝をへし折りながら、霧の中に姿を表したのは、角の生えた巨大な双頭のムカデだった。
 
「ヒッ!?」
 
 全長5m以上はあろうかという、おぞましい姿に、メリーは息を呑む。
 
「な、何、あれ?」
 
「多分、見ての通り蟲の化け物だけど。……初めて見る奴ね?」
 
 どうも、リグルの手下とも違うような感じがする。
 
 ムカデの化け物は双頭のそれぞれの口を開閉させ、そこから酸性の強い唾液を垂らしている。
 
 どう見ても友好的な態度に見えない相手を前に、チルノは躊躇いなく術の行使を決断した。
 
「先手必勝(さきてひつかつ)よ!」
 
 冷気を集約してスペルカードを発動させる。
 
「氷符……」
 
 スペルカードルールに則り、術名を宣言。
 
「“アイシクルフォール”!!」
 
 チルノの周囲に冷気が集約され、それらが無数の氷柱となって様々な角度からムカデに襲いかかる。
 
 だが、その攻撃はムカデには届いていなかった。
 
 否、届いてはいるのだ。ただ、余りにも硬いムカデの甲殻は氷柱を身体にまで通さない。
 
「何よそれ!?」
 
 インチキ──ッ!! と抗議の声を挙げながらも、背後のメリーを庇いつつ、今度は敵の攻撃を回避する事に専念する。
 
 彼女の持つスペルカードの内、もっとも貫通力の高い“アイシクルフォール”が通用しないとなると、直接ダメージを与えられそうなものは無いに等しいので、ここは逃げの一手が常套手段だろう。
 
 ……もっとも、チルノはそんな事、微塵も考えていやしないが。
 
「ムッキ──!? 今度こそ喰らいなさいよ! 凍符“パーフェクトフリ……」
 
 スペルカード宣言を最後まで言い切るよりも早く、ムカデの双口から無数の砂礫が吐き出され、チルノとその後ろに居たメリーの姿を呑み込んだ。
 
 
 
   
 
 
  
 
 
 
 ──所変わって、博麗神社。
 
 何時ものように縁側に座って、既に色のかなり薄くなったお茶を啜る巫女、博麗・霊夢と暇潰しに訪れていた霧雨・魔理沙の前に、黒い翼を持った妖怪。鴉天狗の射命丸・文が舞い降りた。
 
「相変わらず暇そうにしてますねー」
 
 目を輝かせならが降り立つ文を無感動な眼差しで見つめた霊夢は、小さく溜息を吐き出し、
 
「……また賽銭箱に縁の無さそうな奴が来たわ」
 
「まだ諦めてなかったのか? そいつは驚きだぜ」
 
「というか、博麗神社にお賽銭が入っていたら、それだけで充分ニュースになるんですけどね」
 
 肩を竦めながら縁側の霊夢の隣に腰を下ろすと、既に白湯と代わらなくなったお茶を湯飲みに注いで文へと差し出す。
 
 礼を言いながらそれを受け取った文は一口すすって一息吐き、
 
「……最近、外の世界から妖怪が一匹流れ込んだらしいんですが、お二人共ご存じですか?」
 
 目を細め、反応を楽しむように問うてみる。
 
「いや、そいつは初耳だぜ」
 
「私もよ。……で? そいつはどんな奴なの?」
 
 霊夢の問い掛けに対し、文は勿体ぶった仕草でポケットから手帳を取り出してページを捲り、
 
「確か、ムカデの変化でしたよ? 能力は不明ですが、そんなに強くないと思います。
 
 ……まぁ、妖精程度じゃ相手にもならないでしょうけども」
 
 という文の情報に対し、気のない返事を返す霊夢と魔理沙。
 
 まあ調子に乗って、他人の領土に入ろうものなら、妖怪達が黙っていないだろうし、人里を襲おうものなら慧音が黙っていまい。
 
 わざわざ自分が出向いて無駄なカロリーを消費するまでもないだろう。
 
 お茶をすすりながら、そんな事を考えつつ、お茶請けの沢庵を一口囓る。
 
「あー……、言い塩梅に漬かってるわコレ」
 
 そんな霊夢の暢気な呟きをスルーして、文は最新情報を公開する。
 
「そのムカデなんですけどね? 今は紅魔館の方に向かってるらしいんですよ?」
 
「……無謀な奴だな」
 
 呟き、魔理沙もお茶を一口すすって、沢庵を一枚口に入れる。
 
「まあ、私もそう思いますけどね。──多分、門番さんにも勝てないと思いますよ?」
 
 何だつまらん。と日向ぼっこに集中し始めた二人の少女に向け、文は意地の悪い笑みを浮かべて、
 
「実はですね? 私、ここに来る途中に、古道具屋さんが霧の湖に向かってるのを見かけたんですよー」
 
 彼の店主は、身体を鍛えていないため、そんなに強くはないと聞いている。
 
 もし、仮にそのムカデの変化と出会ったりしていれば、命の危険も有り得るだろう。
 
 魔理沙と霊夢があの店主に好意以上のものを寄せている事を知っている文は、こう言っておけば二人が慌てて霧の湖に向かうものだと思っていた。
 
 ……次の文々。新聞のTopは、『恋する乙女達の前に敵は無し! 新参の妖怪、早速幻想郷の洗礼を受ける!?』といった所ですか?
 
 内心でほくそ笑みながら、霊夢と魔理沙の出方を伺うが、二人は別段焦った様子もなく、先程と代わらぬ調子でお茶をすすっている。
 
「……あれ? お二人共、あの店主が心配じゃないんですか?」
 
 期待していたのとは違う二人の態度に、小首を傾げながら不思議そうに問い掛ける文に対し、二人は声を揃えて、
 
「──全然」
 
 断言した。
 
「あの……、失礼ですけど、あの店主って、そんなに強くはないんですよね?」
 
「霖之助さん自身はね」
 
「パチュリー並に動かないからな。運動不足もいい所だぜ」
 
「……もし、件の新参と鉢合わせになったら? とか思わないんですか?」
 
 という問い掛けに対し、二人は視線を合わせた後、文に向き直って意地の悪い笑みを浮かべ、
 
「そんなに気になるんだったら、見てきたら?」
 
「ちなみに私は香霖の勝ちに50銭賭けるぜ」
 
「じゃあ私は1円賭けるから、負けたらアンタが払いなさいよ? 文」
 
 その台詞を聞いた文は取り乱す。
 
「ちょっ!? ちょっと待ってください! 何ですかそれ!? 霊夢さんが1円とかありえない金額じゃないですか!?」
 
 そもそもそんな金があるのなら、新しい茶葉でお茶を淹れているはずだ。
 
「それとも、それくらい絶対に店主が勝つ自信でもあるっていうんですか!?」
 
 必死な表情で文が取りすがるが、二人はまるで聞き入れず、賭けの勝ち金で何を買おうか考えを巡らせていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 チルノとメリーを呑み込んだ砂礫。
 
 高圧力で放たれた破壊の渦をまともに喰らえば、小さな妖精や脆弱な人間など一溜まりもないはずであった。
 
 ……にも関わらず、砂塵が収まった後には二人は顕在。
 
 しかも、これといって怪我らしい怪我も見当たらない。
 
「い、今のは……」
 
 メリーの背中に嫌な汗が流れ落ちる。
 
 今、ムカデの攻撃を相殺したのは、間違いなく自分だ。
 
 ……その事を自覚していながらも、必死に否定しようと務める。
 
 今、その事実を認めてしまうと、自分が人間でなくなってしまうようで怖かったからだ。
 
 そんなメリーの葛藤など知らず、敵の攻撃を無傷で乗り越えたのが、自分の力だと思ったチルノが胸を反らし、
 
「さ、さすがはアタイね……。無意識の内にあんな事が出来るようになってたなんて、自分の才能が怖いくらいだわ」
 
 その脳天気さに、少し救われたような気がした。
 
 とはいえ、問題の全てが解決したわけではない。
 
 未だムカデの化け物は顕在だし、さっきのヤツをもう一度やれと言われても出来るかどうか分からない。
 
 逃げようにも、先程の相殺で気を良くしたチルノは戦う気満々だ。
 
 どうしたものか? と思案していると、傍らの藪の中から一人の青年が姿を現した。
 
 意外と背は高く、白銀の髪に眼鏡を掛けた彼は、メリーとチルノそしてムカデの化け物を交互に見ると小さく頷き、
 
「……また面倒な場面に出会してしまったなぁ」
 
 諦めたように、溜息混じりに告げた。
 
「ちょっと、これからアタイが戦うんだから、邪魔しないでよね!」
 
「……出来ればそうしたいんだが、……ほら、余所見をしてると危ないよ?」
 
 言った瞬間、チルノがムカデの体当たりを受けて吹っ飛ばされた。
 
「あ、危ない!? チルノちゃん!」
 
 弾き飛ばされたチルノの着地地点に先回りし、辛うじて受け止めるも衝撃までは殺しきれずチルノを抱えたまま転がるメリー。
 
「痛たた……。ち、チルノちゃん大丈夫!?」
 
「う──! もう、頭ッ来た!?」
 
 腕まくりし、再度突撃を敢行しようとするチルノだが、力の差は明白。
 
 絶対に勝てそうにはない。
 
 そんな彼女を制するように腕を割り込ませたのは、先程の青年。香霖堂店主、森近・霖之助だ。
 
「君はさっきやられたから1回お休みだよ。……今度は僕の番だ」
 
 チルノは不満そうにしながらも、吹き飛ばされた時の怪我が痛むのか? そのまま大人しく引き下がった。
 
「……さて、じゃあ、そういう事だからよろしく頼むよ?
 
 出来たら手加減とかしてくれるとありがたいんだけど」
 
 言い終わるよりも早く、霖之助に向かって砂礫が吐き出される。
 
 対する霖之助は腹に据えているポーチから細長い何かを引き出す。
 
 ──それは見た目は何の変哲もないただの日傘だった。
 
 30cmにも満たないサイズのポーチには絶対に入りきらない大きさの日傘を取り出すと、一呼吸もしない間に傘を展開し砂礫を受け止めた。
 
 30秒以上もの間続けられた砂礫の放出を受けきった霖之助は日傘を振って布に付いた砂を払うと、不満そうに眉を寄せて、
 
「……やはり、男の僕には日傘なんて似合わないねぇ」
 
 溜息を吐きながら傘をたたみ、踵を返してメリーに視線を合わせ、
 
「というわけで、これは君に進呈しよう。太陽の光だけでなく、雨や弾幕さえ防げる特注品だよ?」
 
 そう言って、日傘を渡すと、再度踵を返してムカデと対峙する。
 
 元々は隙間妖怪に頼まれて作ったものだが、1度使用したものを売った事がバレると、後で何と言われるか分かったものではない。
 
「さて……、どうしたものか……、なッ!」
 
 ポーチから取り出したのは針、苦無、符、そして銀のナイフ。
 
 合計で20以上もの数になるソレらを一斉に投擲するが、全てムカデの甲殻によって弾かれてしまう。
 
「うーん、厄介だなぁ。……本職の人達なら、甲殻の隙間にねじ込むくらいの精密投射くらいは出来るんだろうけど、生憎とそこまでの技能は僕には無いし」
 
 全然困っていないように呟き、再度手をポーチの中に突っ込む。
 
 勿論、ムカデも見ているだけではなく、双頭の体当たりによって霖之助に攻撃を仕掛けようとしてくる。
 
「……僕は運動が苦手なんだけどねぇ」
 
 ポーチから取り出したのは紅白二色のビー玉のようなものだ。
 
 二色の珠は霖之助の手から放れると、彼の妖気を吸って巨大化する。
 
 その大きさは半径1mは下らないだろう。
 
「……宝具“陰陽鬼神玉”」
 
 本来は博麗の巫女の武器であるそれは、元々彼が霊夢用に制作した物だ。複製を作ることなど造作もない。
 
 人間の大人よりも大きく成長したそれを操り、何の工夫も無く直接ムカデに対してぶつける力業。
 
 唾液を撒き散らしながら吹き飛ぶムカデに対し、霖之助は更に追撃を加えるべくポーチから新たに木製の板と筆を取り出した。
 
「この筆は筆ペンと言ってね、いちいち墨に浸けなくても文字が書ける優れ物なんだよ」
 
 蒐集家としてのサガか? 聞かれてもいないのに拾い物を自慢しつつ、手にした板に素早く筆を走らせようとして僅かに悩む。
 
 ……さて、何と書こうか?
 
 霖之助が手にしている板の名は、“悔悟の棒”。
 
 閻魔が法廷で罪人を叩くための物で、表面に罪状を書き込み、その罪の重さによって一撃の重さが変わるという魔導具だ。
 
 元々は使い捨てだったのだが、これは新素材を使用しているので何度でも書き換える事が出来るという優れ物。
 
 とはいえ、今の問題はコレに何と書き連ねるか? だ。
 
 妖怪にとって殺人はそれほど大きな罪にはならない。食人は妖怪の正常な欲求だからだ。妖精への傷害もしかり。
 
 ……うーん。
 
 悩んだ霖之助は周囲を見渡し、板にこう書いた。
 
 ──自然破壊。
 
 襲いかかる頭を跳躍して躱わし、板を叩き付ける。
 
 瞬間、ムカデの片頭がクレーターを作って地面に沈んだ。
 
 その一撃の破壊力にメリーとチルノが目を見開いて驚くが、誰よりも驚いたのは霖之助自身だろう。
 
 手の中の板をマジマジと見つめながら、これからは自然を大切にしようと心に誓い、悔悟の棒をポーチの中にしまって次なる魔導具を取り出す。
 
「あ──! 何でアンタがそれを持ってんのよ!?」
 
 恐らくコレに嫌な記憶でもあるのだろう。チルノが心底嫌そうな声を挙げる。
 
 元々コレは、霖之助が魔理沙に作ってやった物だ。設計図がある以上、後は材料さえあれば幾らでも複製出来る。
 
 取り敢えず、心の中でチルノに謝罪しようとして、何故僕が魔理沙のやった事に対して謝らなければならないんだろう? と葛藤しつつ、手にした小型の火炉に妖気を流し込む。
 
 人間の魔理沙と半妖の霖之助では、その身に宿す力の総量に大きな違いがあり、それは明確に術の威力となって現れる。
 
「後で博麗の巫女に、幻想郷でのルールを教えて貰うといい」
 
 その幻想郷のルールに則り、スペルカード名を宣言、
 
「──恋符」
 
 火炉が霖之助の妖気を増幅し、砲撃として解放される。
 
「……“マスタースパーク”!」
 
 ミニ八卦炉から放たれる黄色に近い白い光の奔流がムカデの変化を呑み込んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 大ムカデが完全に沈黙している事を確認した霖之助は、そのまま本来の用事である漂着物探しに向かおうとして、背後から聞こえてきたチルノの悲鳴じみた叫びに思わず振り向いた。
 
「メリー! ……何で!? どうなってんのよ、コレ!?」
 
 そこでは先程までチルノと一緒に居た少女の身体が透け始めており、それを見た氷精が取り乱していた。
 
「……これは」
 
 先程の戦闘において、弾幕は1発たりとも背後へは逸らしていないし、例え流れ弾が当たったとしても、人間がこんな死に方をするはずが無い。
 
 少女に取りすがり、彼女の名前を叫び続けるチルノに対し、メリーは優しくチルノの髪を梳ると、
 
「心配しないで、チルノちゃん。今ここに居る私は、夢の中の私。外の世界に居る私の目覚めが近づいているだけだから」
 
「……意味分かんないよ」
 
 一蹴された女性は困ったように苦笑し、少し考えた後、
 
「そうね。じゃあ簡単に言うと、……また会えるわ、きっと」
 
 小指を立てた右手を差し出し、指切りをしようとするも、それよりも早く手が透過してしまいチルノの手が宙を泳ぐ。
 
 慌ててチルノは周囲を見渡して何かないかと探した挙げ句、自分の胸元を飾るリボン帯を解いてメリーの帽子に回して結び付けた。
 
「約束よ! 今度あったら、また外の世界の話を聞かせてくれるって!」
 
「えぇ、約束するわ」
 
 チルノに向けて笑みを浮かべ、続けて霖之助にも視線を向ける。
 
「貴方にも……」
 
 そこで少女の姿は完全に消えて無くなった。
 
「……メリー、……絶対っ、……約束だからね」
 
 泣きながら呟く氷精に対し、霖之助は彼女の背後から優しく頭を撫でると、
 
「……気が向いたら、魔法の森の入り口にある古道具屋を尋ねて来るといい。
 
 彼女の代わりに、そのリボンの代わりをプレゼントさせてもらうよ」
 
 それが今の彼に出来る精一杯だった。
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 明けて翌日の事。
 
 いつものように客が無いので、本を読んでダラダラと過ごしていると、やたら騒がしい来客があった。
 
「たのもー!」
 
 戸をドンドンと叩きながら、必死になって開けるように要求してくる幼い声。
 
 つい昨日聞いたばかりの声に、霖之助は溜息を吐きながら、
 
「鍵は掛かってないし、その扉は引き戸だよ」
 
 言いながら、戸を横に引いて開けてやる。
 
「約束通り、リボンを貰いに来てやったわよ!」
 
 昨日別れたばかりの氷精がそこに居た。
 
 必要以上に偉そうな態度が気になりはしたが、こちらは大人だ。それくらい笑って許すくらいの度量は必要だろうと思い、特に何も言わず店に招き入れてやる。
 
 するとチルノは興味深げに店内を見渡し、
 
「……何か暗い所ね。面白そうなのはいっぱいあるけど」
 
「商売導具だから、勝手に触るのは無しで頼むよ」
 
 言いつつ、チルノをリボンなど服飾品が置いてある棚へと案内してやる。
 
「好きな物を一つ選んでもらって良いよ。……まぁ、出来たら安い物にしてくれるとありがたい」
 
 とは言うが、既にチルノの興味は色とりどりのリボンに注がれており、霖之助の話など聞いていない。
 
「んー……、どれにしようかな?」
 
 悩み続ける事10分弱。不意に背後から伸びた手が1本のリボンを掴み取り、それをチルノの胸元に当てつけ、
 
「コレが良いんじゃないかしら?」
 
 手に取られたリボンは、一番値の張る物だ。
 
 聞き覚えがあるような、それでいてどこか違う声色。
 
 メリーかと思い、勢い良く振り向いたチルノの視界に入ったのは、昨日の少女とは別の女性。
 
 長く伸ばされた金髪は、一房毎にリボンが結ばれ、豪奢な紫のドレスに見覚えのある大きな日傘。
 
 それにメイドが被るようなボンネット型の帽子に括られたリボン帯。
 
 妖怪の大賢者として幻想郷に広く名を知らしめる大妖、八雲・紫だった。
 
 紫は膝を折って自らの視線をチルノの高さに合わせると、手にしたリボンを回して結んでやる。
 
「似合ってるわよ、チルノちゃん」
 
 紫が膝を折る事で、彼女の帽子に結ばれたリボン帯がチルノの視界に入る。
 
 どこかで見た事があるような気がするのだが、悲しいかな妖精の頭では思い出せない。
 
 そんなチルノをもどかしく思い、霖之助が口を開こうとするよりも早く、隙間から現れた手指が彼の唇に押し当てられた。
 
「今日はあの時に言えなかったお礼に来ただけですわ。
 
 他言は無用の方向で、お願いします。森近さん」
 
 対する霖之助は肩を竦め、
 
「……まったく、食えない女性だ、貴女は」
 
 そこで、紫は始めて彼に向けて笑みを見せた。
 
「……それで? 一体、何の用ですか?」
 
「あら、先程言いませんでした? お礼に来た、……と。
 
 あの時の貴方、格好良かったですわよ」
 
 擦り寄ってくる紫からは、魔理沙や霊夢には無い大人の色香が漂ってくる。
 
 あー……、色々と拙いなぁ。
 
 と頭の片隅で自覚してはいるのだが、何らかの術に捕らわれているのか? 身体が言うことを聞いてくれない。
 
 まるで蜘蛛の巣に捕まった蟲のような心境の霖之助だったが、突如として救いの手が舞い降りる。
 
「おーす! 今日は客として来てやったぜ香霖」
 
「さー、何、買おうかしら?」
 
「1品だけ! 1品だけですよ!? 後、高いのは止めて下さい!」
 
 店に乱入してきたのは、魔理沙、霊夢それに文の三人だ。
 
 どうやら昨日の賭けの負け分は、香霖堂での買い物1品という所まで譲歩してもらったらしい。
 
 ……が、カウンターの上の霖之助にしなだれかかる紫という構図を見せられた瞬間、彼女達の時間が停まった。
 
 まず、最初に動いたのは文だ。文字通り、目にも停まらぬ早業で決定的瞬間を激写すると、メモ帳と筆を取り出して距離を詰め、
 
「お二人の関係について、説明していただけますか? 出来れば馴れ初めから詳しくお願いします!」
 
 その文の背後、魔理沙と霊夢は共に懐からミニ八卦炉と大量の符を取り出し、
 
「……魔砲」
 
「……神霊」
 
「ま、待て、二人共! こんな所でそんなスペル使ったら!?」
 
 何とか紫に事情を説明してもらおうと思い、振り返ってみると、隙間を作り出し、そこにチルノを引っ張って逃げ込む所だった。
 
「あ、ちょっと、まだ取材は終わってないんですから、待ってくださいよ!?」
 
 慌てて文も隙間に飛び込む。
 
「──“ファイナルスパーク”!!!」
 
「──“夢想封印”!!!」
 
 その爆発音は、幻想郷中で聞こえたそうな……。
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