香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第29話 本日休業(出張編)
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その日は、夏にしては比較的過ごしやすい日だった。
 
 霖之助は読んでいた本を読み終わると、時間を確認。
 
 まだ昼にも達していない事を知ると、徐に立ち上がって外出の準備を始める。
 
 家中の戸締まりを確認し、入り口に本日休業の札を掛け準備完了。
 
 心地よい風が頬を撫でる中、霖之助は背中に荷物の入った風呂敷包みを背負い人間の里へと一歩を踏み出した。
 
 なるべく日陰を選んで歩きながら、特に急ぐでもなく、自分のペースでのんびりと進み、数刻の時間を掛けて人里に到着した霖之助の目的地は、人里一の名家、稗田家の屋敷だ。
 
 稗田家の当主、阿求は何気に香霖堂の常連だったりする。
 
 実は彼女、幻想郷でも珍しい蓄音機なる道具を有しており、その為のレコードや針などを幻想郷で唯一扱っている香霖堂から用立てているのだが、精神年齢はともかく実際の年齢は未だ十を幾ばくか過ぎたばかりの彼女が魔法の森までやって来るのは、かなりの危険が伴う行為であるので、二ヶ月に一度位の割合で、霖之助の方から稗田家に尋ねて来ているわけだ。
 
 勿論、紅魔舘のパチュリーに並び、二つ名に“動かない”と冠する彼がわざわざ人里にまで出向くのにはそれなりの理由がある。
 
 一つは、彼女がこの上ない上客であるという事。
 
 一つは、稗田家にある大量の書物。
 
 そして最後に、……まあ、色々と楽しいのだ。彼女と過ごす時間が。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 女中に案内されて通された部屋に居るのは、黙々と筆を進める幼い少女。
 
 この黄色を基調とした着物に朱色の袴姿、大きな花の髪飾りを差したショートカットの女の子こそが、当代の稗田家当主、稗田・阿求だ。
 
「もう少しで切りの良い所までいきますから、それまで何時も通り本でも読んで待っていてください」
 
 と、入室してきた霖之助に対し、最初に一瞥したきり彼の方を見ようともせずに告げる。
 
 普通であれば憤慨物の態度ではあるものの、霖之助は慣れているのか?
 
「あぁ、そうさせてもらうよ」
 
 特に怒った様子も無く、本棚から迷い無く一冊の本を抜き出してページを開き読み始めた。
 
 一応断っておくが、阿求も誰彼構わずこんな態度を取ったりはしない。
 
 相手が霖之助であるから客としてもてなすのではなく、自分の作業を優先させ、彼の目的の一つである読書の邪魔もしないという、奇妙な信頼関係ともいうべき間柄が成立していた。
 
 黙々と筆を走らせる阿求と黙々と読書を続ける霖之助。
 
 端から見れば珍妙な、当人達にしてみれば当たり前の沈黙も、阿求が筆を置く音により終了する。
 
「ふう……、さてお待たせしました」
 
 改めて霖之助に向き直った阿求に対し、霖之助も読んでいた本に栞を挟んで本棚に戻し、
 
「いや、構わないよ」
 
 言って、風呂敷包みを解いて持ってきたレコードを広げる。
 
「じゃあ、早速商談に入ろうか」
 
「そうですね。では、早速」
 
 色褪せたカバーに収められたレコードを一枚一枚手にとって検分する阿求。
 
 その間、霖之助は彼女が自分で飲む為に淹れた紅茶を勝手に飲んでいる。
 
「あぁ、“びーとるず”の新作があるじゃないですか!? それに、ちゃっく・べりー版“じょにー・びー・グッド”も!」
 
「相変わらず、君。そっち系の音楽が好きだね……」
 
 半ば呆れたように告げる霖之助の視線の先には様々なレコードの収納された戸棚がある。
 
 そこから見えるのはクラッシック等の芸術性の高い音楽ばかりだ。……が、霖之助は知っている。あの戸棚の裏は隠し扉になっていて、その中にはアップテンポな楽曲が多数隠されているのを。
 
「良いじゃないですか別に、――転生しても音楽の趣味とか、そんなに変わったりしませんし」
 
 そう、霖之助の知っている頃の彼女……、いや彼と言った方が正しいか?
 
 2代前の阿礼男である稗田・阿七の頃と外見はともかく趣味は全然変わっていない。
 
 思えば、あの頃は二人で連んでよく無茶をしたものだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 当時、霖之助は己の非力を補う為、様々なマジックアイテムの開発を行い、道具を製作しては適当な妖怪を相手にそれを試すという行為を繰り返していた。
 
 同じく、当時は七代目となる御阿礼の子であった阿七も幻想郷縁起執筆のおり、妖怪の生態を調査する為、霖之助と行動を共にしており、互いにボディーガードとアドバイザーという奇妙な信頼関係を築いていた。
 
 無愛想な霖之助と軽薄な阿七。
 
 いつしか二人は仕事以外でも連むようになっており、阿七が暇を見ては霖之助を連れ回して遊ぶという光景が人里でもよく目撃されていた。
 
 夏祭りの最中、調子に乗った阿七がナンパした相手が当時の博麗の巫女で、二人揃ってボコボコにされた。
 
 その怪我を治療してくれたのが、当時まだ人間だった慧音であり、それが縁で霖之助は慧音と付き合い始めるようになる。
 
 また、その時の縁で博麗の巫女に完成したばかりの陰陽玉を強奪され、いつの間にやら博麗神社の秘宝として扱われていた。
 
 ある時は、完成したあらゆる弾幕を防ぐ傘の実験と称して風見・幽香に喧嘩を売った事があった。
 
 結果としては、弾幕を防ぐ事には成功したものの、絶対的な戦闘力の差で敗北し、殺されそうになった所を、阿七が機転を利かせて傘と命を交換するという交渉で何とか一命を取り留めた。
 
 ……が、その後の復讐として風見・幽香の名前は幻想郷縁起において危険度:極高、人間友好度:最悪と書かれ続ける事になる。
 
「そう言えば前から聞きたかったんですが」
 
「ん? 何だい?」
 
 女中に用意させた酒と肴を嗜みながら思い出話に花を咲かせつつ会話する二人。
 
「どうして阿弥の時に幻想郷に居なかったんですか? それと名前も変わっていたので、貴方が尋ねて来るまで全然気付きませんでしたよ」
 
「それは……」
 
 思わず答えに詰まる。
 
 これは彼と慧音の問題であり、如何に親友であろうとも気軽に教えて良いようなものではないような気がしたのだ。
 
 答えあぐねる霖之助に対し、阿求は「まったく……」、と仕方無いような溜息を吐き、一枚の紙を霖之助の前に差し出す。
 
「折角、阿弥に転生して真っ先に貴方の分を書いたのに、無駄になってしまったじゃないですか」
 
 阿求に渡された紙。
 
 そこにはかつての自分の名前と詳細が書かれていた。
 
 ■■・■■
 種族:半人半妖
 能力:道具の名前と用途が分かる程度の能力
 危険度:極高(蘊蓄的な意味で)
 人間友好度:最悪(極限的に無愛想)
 主な活動場所:人里。
 
 人里の郊外に住む半人半妖。
 
 まるで殺人常習者のような目つきで、常に無愛想な雰囲気を漂わせてはいるが、根は……やっぱり、無愛想で騒がしいのが嫌いという救いようの無い変わり者。というよりは変人。
 
 魔法道具の製作能力は極めて高く妖怪相手にもかなりの有用が確認されているのだが、それを売り物にするつもりは無いらしい。彼から道具を譲り受けようとしたら、腕っ節で彼から強引に奪い取るしかない。……確認されているだけで、博麗の巫女と風見・幽香が成功している。
 
 というか、近年になって風見・幽香の凶暴化が増したのは間違い無くこいつのせい。
 
 目撃報告例
 
・女性関係に関しては、端から見ていて笑えるくらいに鈍感なくせに何故かもてる。なんでだ?(七代目御阿礼の子)
 まあ、私の前世からの伝言なわけですが。
 
・最近、まったく姿を見せないので心配だ。せめて手紙くらいは寄越してくれても良いだろうに……。(元恋人の半人半獣)
 どこほっつき歩いてるんでしょうね? あのバカは。
 
・家の秘宝の陰陽玉作ったのもこの人なんでしょ? 結構重宝してるわよ。(博麗の巫女)
 用途不明な機能もついてますけどね。
  
 対策
 
 基本的に人畜無害なので放っておいてかまわない。というか構うと嫌がるが、密かに自らの知識を披露したくて堪らないので、一旦蘊蓄を語り始めると止まらない。
 
 その場合は早めに切り上げるのが吉。放っておくと何時までも喋り続ける。
 
「……何だ? これは」
 
「ですから、見ての通り先代の幻想郷縁起における貴方の項です。
 
 まあ、結局は貴方が幻想郷から居なかった為、お蔵入りしてたわけですが」
 
 対する霖之助は、そうかい。と小さく頷くと、その紙を破り捨てた。
 
 阿求はその行為に対して、特に非難するでもなく酒を飲みながら、
 
「私の能力を忘れてませんか? それを破り捨てた所で幾らでも複製出来ますよ」
 
「夜這いの阿七」
 
 ボソリと呟かれた霖之助の言葉に、阿求の動きが止まる。
 
「憶えているだろうが、阿七の二つ名だ。
 
 なんなら、君の前世がその二つ名に相応しい活躍をしたと有ること無いこと触れ回ってやっても良いが?」
 
 阿求の脳裏に思い出したくも無い記憶が甦る。
 
 阿七が死んだ時、閻魔様に三日三晩その事に関して説教されたのだ。……実際にはそんな事実は無かったというのに。
 
 勝ち誇った笑みを浮かべる霖之助に対し、阿求は悔しそうに歯噛みしつつ、
 
「あ、貴方だって、幻想郷の種馬とか呼ばれてたじゃないですか!?」
 
 対する霖之助も顔を青ざめさせ、
 
「そんな有りもしない不名誉な噂のお陰で慧音に泣かれたんだよ僕は」
 
「まあ、その字名を広げたのは、他ならぬ私ですが」
 
「……それは奇遇だね。もう時効だろうから言うが、君の二つ名を広めたのは実は僕なんだ」
 
 一息。
 
 お互いに、全く同じタイミングで胸ぐらを掴み合った所で、女中が部屋をノックしてやって来た。
 
「阿求様。香霖堂様。閨の準備が整いました」
 
「あぁ、ありがとうございます。……今日はもう遅いので、泊まっていかれるでしょう?」
 
 問われ、窓の外に視線を向けると、既に月が天高く昇っており、時刻も夜半をとうに過ぎていた。
 
「そうだね。……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうか」
 
 その後、女中の案内で二人が向かった部屋では、何故か布団は一組しか敷かれておらず、不思議な事にその布団には枕が二組添えられていた。
 
「では、お楽しみくださいな」
 
 楚々とした笑みを浮かべて去って行く女中。
 
 呆然としていた為、彼女を引き留めるのが遅れて、取り残されてしまった二人。
 
 霖之助は深々と溜息を吐き出し、
 
「君の家の女中は一体何を勘違いしているんだ?」
 
「まあ、この家に尋ねてくるような若い男性は貴方くらいなものですしね」
 
 何よりも稗田家にとっては、跡継ぎ問題は真剣な問題だ。それが早期解決出来るというのであれば、歓迎こそすれ断る理由など無い。
 
 ……そういえば、肴がスッポンだったり、ウナギだったりとヤケに精力がつく物ばかりだったのはこの伏線か。
 
 というか、彼女はまだ生理が来ていないのではないのだろうか?
 
 二人揃って溜息を吐き出し、
 
「私は自分の部屋で寝ますから、貴方はここで寝てください」
 
 言って阿求が襖に手を掛けるが、ビクリとも動かない。
 
 どうやら外から支え棒で固定されているらしい。
 
 ……意地でも逃がさないつもりですか!?  
 
 今度こそ顔を青ざめさせる阿求に対し、霖之助は今晩何度目かになる溜息を吐き出し、
 
「まあ、君となら一緒に寝たとしても、間違いが起こることは無いか」
 
 その言葉を聞いた阿求は、複雑な表情で、
 
「……女性としてはバカにされてるような気がするんですが、まあ、良いでしょう。
 
 ……十年後に後悔させてあげます」
 
「それは無いから安心すると良い」
 
 軽口を叩き合い、二人は着ている物を脱いで寝間着に着替え布団に潜った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 翌朝、早くに目が覚めた霖之助は、阿求が眠っている間に女中に言付けを残して家を出た。
 
 人里を離れ、考え事をしながら歩く霖之助。
 
 ……確か、転生した時には、幻想郷縁起の事以外は、殆ど記憶が残っていないと言っていた筈の彼女が何故霖之助との思い出を憶えていたのか?
 
 そんな事を考えながら歩いていると、何時の間にか店の前まで着いていた。
 
「遅い! 人が手伝いに来たというのに朝帰りとは良い度胸ですね。取り敢えず説教は確実として、まずは何処に行っていたか答えてもらいましょうか」
 
 物凄く不機嫌な私服姿の閻魔様が店の前で待ち構えていた。
 
 彼女の顔を見ると同時、先程までの疑念が一気に解消される。
 
 ようは、この甘くて厳しい閻魔様の粋な計らいというヤツなのだろう。
 
 取り敢えず、説教を受ける前に彼女に礼を言っておこう。
 
 そう考える霖之助の口元には自然な笑みが浮かんでいた。
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