香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第28話 虫の引っ越しと洋服
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「はーい。順番にね。急がなくて良いから」
 
 そう言って、香霖堂に巣くっていた害虫達を外に誘導しているのは虫の妖怪リグル・ナイトバグだ。
 
 ゴキブリ、百足、蚊、ダニ、蝿、等々多種多様な虫達がぞろぞろと隊列を作って玄関から出て行く様は圧巻を通り越して、怖気すら憶える。
 
 どれくらい強烈かと言うと、たむろしていた魔理沙と霊夢が悲鳴を挙げて逃げ出し、紫が隙間に閉じこもった程だ。
 
 ……もしかして、幻想郷最強はこの娘なんじゃなかろうか?
 
 そんな事を考えながら、目の前で交通整理よろしく虫達を誘導する小妖怪を見つめる。
 
 彼女が香霖堂で、害虫の駆除……というか、引っ越しをしているのにはわけがある。
 
 店の片隅に掛けられている洋服。
 
 ふんだんにフリルを用いられた桃色の生地と赤いリボンの洋服。
 
 初めて見た時から、その服を気に入り、いつか着てみたいと思っていた。
 
 そこで始めたのが、この害虫引っ越しだ。
 
 以前やっていた蟲の知らせサービスに比べると格段に評判が良い。
 
 とは言っても、客は霖之助一人だけだが……。
 
 人里の方でやれば、繁盛間違い無しといえるだろうが、虫の地位向上を目論むリグルにしてみれば、虫達の住処を奪うような事は極力やりたくはない。
 
 この香霖堂での引っ越しも、涙を飲んで行っている程である。
 
 ともあれ、事が終われば霖之助から代金を貰う。
 
 その代金にしても二束三文程度だ。
 
 以前に聞いた服の代金までは未だ遠い。
 
 財布の中身を確認し、決意を新たにやる気を漲らせると、踵を返して店を出て行こうとするリグルを霖之助が呼び止めた。
 
「君は随分と、その服に関心があるようだけど」
 
「わ、悪い? ……別に汚したりしてないよ」
 
「それは見ていれば分かるから大丈夫だ。そんな事よりも……、だ。
 
 世の中には試着という概念がある事を知っているかい?」
 
「しちゃく?」
 
 意味が分からないらしく、小首を傾げるリグル。
 
「試しに着てみると書く。言葉通り、買う前に一度着てみて、自分に似合うかどうか? またはサイズが合うかどうか? を確認する作業の事だ」
 
 言ってカウンターの席から立ち上がり、件の服を手に取る。
 
「それで試着してみてはどうだい? ……勿論、そのくらいなら代金はいらないよ」
 
 渡された服をジッと見つめ、
 
「良いの?」
 
「僕が勧めているんだが? あぁ、着替えなら奥の部屋を使うといい」
 
「う、うん! ありがと森近さん」
 
 服を持って奥の部屋へと上がっていくリグル。
 
 それを見送った霖之助は再びカウンターに戻り、読みかけだった本を開く。
 
 およそ10分後。
 
 ワンピース姿のリグルが霖之助の前に姿を現した。
 
「ほう、……なかなか似合っているじゃないか」
 
「そ、そう?」
 
 霖之助は、小さく頷くと引き出しの中からブラシを取り出し、リグルを手招きして呼び寄せる。
 
「少し、じっとしてもらえるかい」
 
 言って、優しい手付きで彼女の髪に櫛を通していく。
 
「ん……」
 
 ブラシが髪を梳る度に、気持ちよさそうに目を細めるリグル。
 
「何だか、慣れてるね」
 
「あぁ、昔からよく魔理沙の髪を結ってあげたりしていたからね」
 
 ブラシを置いて、商品の棚から一本のリボンを持ってきて、それでリグルの髪を結わえる。
 
「ほら、出来たよ」
 
 リグルを姿見の前に立たせてやる。
 
 そこに映る、何時ものボーイッシュな自分とは違う印象を受ける自分に思わず戸惑う。
 
 桃色をベースにした服の胸元や袖口などにあしらわれた赤いリボン。彼女の深緑の髪に映えるようにチョイスされたレースをふんだんに用いた白のリボンが良いアクセントになっている。
 
 呆然と姿見の中の自分を見つめるリグルの頭を優しく撫でながら、
 
「その服は、君が買い取りに来る時まで非売品にしておくよ」
 
「え? い、良いの?」
 
「商人にとって約束というものは絶対だよ。憶えておくと良い」
 
 嬉しそうに微笑むリグル。
 
 ……毎度毎度、彼女には感謝しているのだ。
 
 彼女が虫を追い出してくれた後、蜂の巣からは蜂蜜をいただく。
 
 蜂蜜は甘味料として以外にも、調合の触媒等にも使える優れ物だ。……もっとも今回はその蜂蜜を使って、蜂蜜酒でも作るつもりでいるが。
 
 作った蜂蜜酒と引き替えに、萃香に何かしてもらうのも良いだろう。……その事で得られる利益に比べれば、服の1着を保管しておく程度、安い物だ。
 
 再びいつもの普段着に着替え、笑顔で店から出て行ったリグルを見送り、早速霖之助は縁側の下に潜った。
 
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