香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第27話 薬師の不養生
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 人間の里で、“いんふるえんざ”と呼ばれる病気が流行しだした。
 
 身体の弱い者にとっては、正に生死に関わるような質の悪い病気ではあるものの、永遠亭の藥師、八意・永琳の活躍により、里中に蔓延する前に特効薬が開発される。
 
 とはいえ、既に感染者は数十人にも及び、薬の材料を調達する為、永淋の弟子である鈴仙は数匹の妖怪兎を率いて薬草の採取に向かい、その日永琳は、取り敢えず手元にあるだけの薬を持って人里に診察に訪れていたその帰り道。
 
「ふう……。流石にちょっと疲れが溜まってきてるわね」
 
 ここ数日、いんふるえんざの薬を作成する為、徹夜続きだったので少し頭が重く感じる。
 
 処方箋は既に完成しているので、後は鈴仙一人でも薬を調薬する事は出来るだろうから、今日は帰ったら少し休ませてもらおう。と思った時に、不意に永琳の頬を小さな雨粒が打った。
 
「あら、雨ね。……永遠亭に着くまで保ってくれると良いんだけども」
 
 呟き、やや歩く足を速めた途端、雨は本降りとなり、彼女の全身を余すことなく濡らし始める。
 
「……ついてないわ」
 
 とはいえ、これだけ濡れてしまえば多少急いだ所で意味などあるまい。と半ば諦めの境地に達した永琳は歩く速度を緩め雨の中を進み続けると、森の入り口にポツリと建つ一件のゴミ屋敷……、もとい古道具屋が見えてきた。
 
 ……暫く雨宿りさせてもらいましょう。
 
 幸い、診察の帰りなので財布の中には若干の余裕がある。文句を言うようなら小物の一つでも買ってやれば上機嫌になるだろう。
 
 そう考え、店の扉を開ける。
 
「いらっしゃい」
 
 来客に対し、読んでいた本から視線を上げた霖之助は、やって来た永琳の様相を見るなり大きく溜息を吐き出し、
 
「今、タオルを持ってくるから、そこから動かないでくれ。店の中を水浸しにされたら堪ったものじゃない」
 
 商売人として客に向けて掛ける言葉ではないが、幻想郷において常識に捕らわれていてはやっていけない。
 
 対する永琳も大して気にした様子も無く、
 
「あら、お客に対して酷い言いようね」
 
「いいから……って、オイ!?」
 
 霖之助の見ている前で永琳の身体が大きく傾げ、そのまま崩れ落ちる。
 
 勿論、永琳の意識した上での行動ではない。視界が回ったと思ったら次の瞬間には意識が飛んでいた。
 
 慌てて駆け寄り、床に倒れ伏す直前に抱き留める事に成功するものの、直接触れる事で、彼女の身体が高熱に侵されている事を知り大仰に溜息を一つ。
 
「まったく……、体調が悪いなら先に言ってくれ」
 
 面倒臭そうに呟き、永琳の身体を抱き上げた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 次に永琳が目を覚ました時、自分のものとは違う匂いのする布団の中だった。
 
 毛布や布団を幾重にも重ねた上で、額には氷嚢が乗せられている事から、自分が寝かされている事を自覚し、ここが何処なのかをゆっくりと思い出す。
 
「……ここは、香霖堂?」
 
「正解だ」
 
 掛けられた声は永琳のすぐ傍らからだ。
 
 ゆっくりと視線を向けると、そこにはこの店の主人が座布団の上に座り、文庫本片手にこちらの様子を覗き見ていた。
 
「君は医者の不養生という言葉を知ってるかい?」
 
「私は医者じゃなくて薬師よ。……まあ、医者の真似事なんかもしたりするけど」
 
 身体を起こそうとする永琳を止め、
 
「無理はしない方が良いな。まだ起き上がれるほど体調も回復してないだろう」
 
「大丈夫よ。一度死ねば、身体の状態も元通りに戻るわ。――そうね、流石にここを血で汚すのは悪いから、何か刃物と……、お風呂でも貸してもらえるかしら?」
 
 気軽に、……まるで煙草の火を借りるような調子で告げる永琳。
 
 対する霖之助は憮然とした表情で彼女を見つめたまま微動だにしない。
 
 その事を不審に思った永琳は小首を傾げて暫く考え、
 
「ちゃんと後始末は自分でするから大丈夫よ」
 
 そう告げた永琳に対し、霖之助は呆れた眼差しを向け、
 
「バカか? 君は」
 
 明確にそう言い切った。
 
 僅かな沈黙……、永琳としても何を言われたのか理解していない。――否、理解はしているのだが、生まれてこの方初めて言われた言葉に困惑している。
 
 天才と、言われた事は数多くあるものの、その正反対……、バカなどと自分に対して面と向かい告げた人物など億単位の年月の中でも一人も居はしない。
 
 永琳が困惑しているのを良いことに霖之助は続けざまに言葉を放つ。
 
「仮にも人の命を扱うべき薬師である君が、そんなに自分の命を軽々しく扱ってどうする?
 
 正直な話、そんな安い相手に僕なら命を預けるつもりは無いね」
 
 小馬鹿にするように告げる霖之助。対する永琳としても、そこまで言われると流石に少しは頭に来る。
 
「あら、だったら私が寝込んでいる間に急患が来た場合はどうするのかしら? 私としては一番合理的で効率の良い方法を選んだつもりなのだけど」
 
「君は何か勘違いしているようだが……、幻想郷の薬師は君一人しか居ないわけじゃない」
 
 薬師としての腕前は、君には遠く及ばないだろうが、と前置き、
 
「君の弟子は、いつまでも君の命令を言われた通りにこなすだけの子供でもないだろう?
 
 人里にも藪ではあるが医者は居るし、薬に関する知識を持つ妖怪や魔法使いも居る。霧雨魔法店の方でも薬くらいは扱っているよ。――もっとも、これは絶対にお勧めしないがね」
 
 一息を吐き、
 
「もっと気楽に構えたらどうだい? 薬師の仕事も、どうせ暇潰しがてらに始めた程度の事なんだろう?」
 
「失礼ね。ちゃんと永遠亭の収益の為でもあるのよ」
 
 憮然として告げる永琳だが、そこには先程までの刺々しさは無い。
 
 一人で幻想郷中の病人全てを背負い込むつもりなど更々無いが、永遠亭を頼ってくる患者の内、幾人かを鈴仙に任せてみても良いかもしれない。
 
 その程度の信頼を寄せるくらいには、彼女も薬師として成長していっている。
 
 永琳の表情から険の消えた事を確認した霖之助は立ち上がり、
 
「じゃあ僕は食事の支度でもしてこよう」
 
 言って、永琳の枕元にたたんである服を指さし、
 
「その間に着替えておいてくれ」
 
 その言葉で、初めて布団の中の自分の姿が一糸纏わないものである事に気付く。
 
 誰が脱がせたのか? などと尋ねるまでもないだろう。ズブ濡れだった自分を看病する為には必要な行為だ。その辺りは医者として理解はしているし、もし立場が逆だった場合、自分も躊躇い無く同じ事をする。……のだが、
 
「異性にされると、流石に恥ずかしいものがあるわね……」
 
「別に見られて恥ずかしがるような粗末なものでもないだろう? 十二分に幻想郷の女性の平均胸囲を上回っていると思うけどね」
 
「……そういう事じゃないわよ」
 
 深々と溜息を吐き出し、半ば霖之助を部屋から追い出すように勝手場へと追いやってから立ち上がる。
 
 少しふらつきながらも、霖之助が用意してくれた長襦袢に着替え終え、再度布団の中に潜り込んだ。
 
 ……そう言えば、誰かに看病してもらうなんて、何時以来かしら?
 
 年月にして、軽く6桁は憶えが無い出来事だ。
 
 そんな事を考えていると、ドタバタと騒がしい足音がして乱暴に戸が開け放たれ、黒いトンガリ帽子の魔女がやって来た。
 
「よう、医者が風邪ひいて寝込んでるって聞いたんで、冷やかしがてら見舞いに来てやったぜ」
 
「医者じゃなくて薬師よ。……まあ、医者の真似事もしたりするけど」
 
 似たようなやり取りをつい先程したような気もするが、まあ良い。
 
「そんな事よりも丁度良いわ。貴女に頼みがあるのよ」
 
「うん?」
 
 永琳が自分に頼み事とは珍しいという事で、魔理沙は興味深そうに話を聞く体勢に入った。
 
「永遠亭に行って、病気が治るまで香霖堂に厄介になるって伝えてきてもらえるかしら?」
 
「何だそりゃ? 迎えに来てもらって、帰った方が良いんじゃないか?」
 
 まあ、普通はそう思うだろう、が問題は今永琳が患っている病だ。
 
「今、私が患っているのは“いんふるえんざ”という流行病よ。
 
 下手に永遠亭に帰りでもしたら、今度は姫様や兎達が感染しかねないわ」
 
 その点、香霖堂でなら滅多に客は来ないし、店主は半妖の為、人間の病気には掛かりにくい。
 
「ご自慢の薬はどうした?」
 
「私の身体ね、毒にも薬にも耐性があって、効果が無いのよ」
 
 それを聞いた魔理沙は呆れたような表情で永琳を見つめ、
 
「難儀な身体だな。……まあ、良いや。暇だからちょっと行ってくるぜ」
 
 踵を返し、部屋から出て行こうとする魔理沙の背中に向けて永琳が声を投げ掛ける。
 
「貴女にも感染るかもしれないから、永遠亭に着いたらうがいと手洗いはキチンとしなさい。
 
 それから、鈴仙に言って薬を調合してもらって飲んでおいた方が良い……ゴホゴホッ!?」
 
「治ってもいないのに、何をそんなに声を張り上げているんだい?」
 
 魔理沙と入れ替わりに部屋へ入って来たのは霖之助だ。
 
 彼は未だに苦しそうに咳き込む永琳の傍らに座り、手に持ったお盆を畳の上に置くと、優しい手付きで永琳の背中を撫でてやる。
 
 大声を出した為に咳き込んだだけだったので、1分も経たない内に永琳の咳は収まった。
 
「おじやを持ってきたよ。食欲はあるかい?」
 
「余り無いけど、無理してでも食べるわ」
 
 ただ寝ているだけでも高熱時は結構体力を消耗するものだ。少しでも体力を回復させておいた方が良い。
 
「それは結構」
 
 一人用の小さな土鍋の蓋を開けると湯気が上がった。
 
 寒い時に食べたら、さぞかし身体が温まる事だろう。とは思うが、今はそんな食欲は皆無だ。
 
 それでも体力を蓄える為、霖之助から器を受けとろうと手を伸ばすのだが、肝心の彼が土鍋を渡してくれない。それどころか、レンゲでおじやを一掬いし、息を吹きかけて適温にまで冷ますと、永琳に向けて差し出し、
 
「ほら、あーん」
 
 そこまでされて、ようやく彼の目的を察する事が出来た。
 
「あ、貴方ね……」
 
 おそらく彼は、以前永琳によって行われた看病フルコースをそのまま彼女にお返しするつもりなのだ。
 
「安心すると良い。デザートにリンゴもちゃんと用意してある。永遠亭に住む君にちなんで、ウサギ型にカットしてやろう。
 
 その後は、君が暇をしないよう本を読んで聞かせてあげよう。題目は、竹取物語なんてどうだい?
 
 そうそう、勿論眠くなったら子守歌も歌ってあげるから心ゆくまで眠ると良い」
 
 勝ち誇った笑みを浮かべながら告げる霖之助に、永琳は屈辱と羞恥に震えながら布団を握りしめた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 数日後。
 
 霖之助の献身的な看病により、すっかり完治した永琳が永遠亭に帰ってきた。
 
「お帰りなさいお師匠様」
 
 満面の笑みで迎えてくれた鈴仙を無視して永琳が向かう先は、己の部屋だ。
 
 大股で廊下を進み、勢いよく自分の部屋の襖を開け放つと後を付いて来た鈴仙に誰も通すなとだけ告げ乱暴に閉じる。
 
 そのままベッドに俯せに飛び込み、動かない事数秒。
 
 ここ数日の羞恥プレイを思い出したのか? 髪が乱れるのも構わず、両手で乱暴に頭を掻き毟り足をバタつかせる。
 
 ……わ、私とした事が、何て真似を!?
 
 思い出すだけで恥ずかしい記憶なのだが、その行為一つ一つに心地よさを感じてしまったのもまた事実だ。
 
 永琳自身、既に忘れてしまった感情だが、看病する霖之助からは確かに父性というものを感じており、彼女は霖之助の父性に対し、無意識の内に甘えてしまっていた。
 
 香霖堂を出る時、後日、お礼の品を持って訪れると言ってしまったが、一体どんな顔で会えば良いのだろう?
 
 否、それ以前にどんな物が喜ばれるだろうか?
 
 ……珍しい物なら、何でも喜ばれそうだけど。
 
 それならば、既に型遅れとなってはいるが、ここ永遠亭には数々の月の道具がある。
 
 ……いえ、そんな物よりも。
 
 “蓬莱の薬”。
 
 服用者を永遠に縛り付ける禁忌の薬。それを彼に与えた場合、どんな反応を見せるだろうか?
 
 半妖といえど長寿ではあれ不老不死ではない。ならば喜び勇んで服用するか? それとも蒐集物の一つとするか?
 
 何となく後者のような気がして、思わず苦笑いが零れた。
 
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