香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第26話 本日休業(紅葉狩り編)
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 山の木々も色付き始めた季節。
 
 変わり者の古道具屋として有名な香霖堂の店主、森近・霖之助は二本の一升瓶を携えて妖怪の山を登っていた。
 
「ふむ……。店から見ている限りじゃあ結構色付いてきていると思ったが、麓の方はまだまだ青いな」
 
 生い茂る木々の葉っぱを眺めながら、そう独りごちる霖之助。
 
 動かない古道具屋とまで称される彼が今日妖怪の山にまで出張ったのは訳がある。
 
 目的の人物を捜し求めて妖怪の山の麓に足を踏み入れて数分。
 
「あら? 人間……? なのかしら? 貴方。……まあ、良いわ。
 
 これから先は神々の住む世界よ。力無き人間が行けば必ず後悔するでしょう。……悪い事は言わないわ。すぐに引き返しなさい」
 
 そう言って忠告してくれたのは、裾が紅葉を重ねたような赤いワンピースに紅葉の髪飾りを付けた金色の髪の少女だ。
 
 いや、見た目こそ少女だが、彼女から放たれる気配は人間とも妖怪とも違う、文字通り神々しいもの……、おそらくは八百万の神々の一柱なのだろう。
 
「ご忠告感謝する。……しかし、だね。僕としてもこの山に居るという紅葉神に用事があってね。
 
 彼女と会うまでは帰るわけにはいかないんだ」
 
 霖之助の言葉に少女は眉をフラットにした表情で、
 
「……紅葉神に? 随分と珍しいわね。普通は紅葉神よりも豊穣神や厄神なんかに用があるものなのに」
 
 現に、今日は人里の方で収穫祭という事で、豊穣神である秋・穣子がお呼ばれしている。
 
「僕は半妖だからね。別に食べなくても生きてはいける。
 
 どちらかというと、食べ物よりは風情のある紅葉を見ながら酒を飲む方が個人的にはありがたい」
 
 勿論、豊穣神を蔑ろにするつもりは無いけどね、と前置きしつつも、
 
「豊穣神なら態々僕が崇めなくても、人里の方で奉ってくれるだろうしね。
 
 それよりも僕としては、紅葉神が信仰を失って幻想郷から紅葉が消えてしまう事の方が深刻だよ」
 
 一息、
 
「神様相手に失礼は重々承知なんだが、もし良ければ紅葉神の所まで案内してもらえないだろうか?」
 
 何気に紅葉神に対して失礼な事を言いながらも、風呂敷に包まれた一升瓶を掲げ、
 
「これを彼女に奉納したいんだ」
 
 それを聞いた少女は驚きに目を大きく開き、しかしやがて目を弓なりにしならせると、
 
「……変わった人ね、貴方。……いえ人妖だったかしら?」
 
 どちらでも良い。普段は豊穣神とセットで、まるでついでのように奉られてきた紅葉神を単独で崇めようなどという物好きは初めてだ。
 
 咳払いを一つ。少女は姿勢を正すと真剣な眼差しで霖之助に相対し、
 
「私が紅葉神、秋・静葉です」
 
「君が……?」
 
「えぇ。正真正銘、本物の紅葉神ですよ」
 
 微笑を浮かべて告げる静葉に対し、霖之助も姿勢を正し、
 
「知らぬ事とはいえ、失礼しました」
 
 風呂敷包みを解き、持ってきた二本の一升瓶の内、一本を静葉に差し出す。
 
「どうか、これをお納め下さい」
 
「あら? 一本だけ?」
 
 しかも、霖之助が手元に残した方が良い酒っぽい。
 
 他の神にも奉納しに行くのだろうか? と考え、やはり自分はついで程度の存在なのか……、と僅かに落ち込みそうになるが、霖之助は何の気負いも無く、
 
「あぁ、コレかい? 折角、紅葉が綺麗な妖怪の山にまで足を伸ばすんだ。ならそれを肴に自分で飲もうと思ってね」
 
 この言い分には流石に呆れた。そして呆れたと同時、胸の中に生まれた僅かなモヤモヤも霧散していくのを自覚しながら、静葉は溜息を吐き出す。
 
「店の方から見る限りでは、丁度良いと思ったんだが、やはり中腹くらいまで登らないと見頃ではないのかな?」
 
「えぇ、そうね。……でも」
 
 右腕を大きく振るう。
 
 すると、それまでまだ青かった木々が一斉に色付いていく。
 
「こうすれば、ここでも紅葉が楽しめるでしょ?」
 
「流石は紅葉神だね……」
 
 言って腰を下ろす霖之助。対する静葉もその傍らに腰を下ろし、互いに一升瓶の封を切る。
 
 腹のポーチからぐい呑みを取り出す霖之助と、何処からともなく杯を取り出す静葉。
 
「どうぞ……」
 
「神様にお酌してもらえるとは、……これは光栄な事だね」
 
 静葉が霖之助のぐい呑みに酒を注ぐと、お返しと霖之助が静葉の杯に持参した酒を注ぐ。
 
「では……」
 
「素晴らしき秋の紅葉に……」
 
「乾杯」
 
 軽くぐい呑みと杯を合わせ、一気に酒を飲み干す。
 
 飲み干して霖之助は気付いた。
 
「……この構図だと、僕がそっちの酒を飲む事にならないかい?」
 
 正直な話、今霖之助の手にある酒、……つまり、静葉に酌した方の酒の方が良い酒なのだ。
 
「あら? 神様のお酌じゃお気に召さらないかしら?」
 
 悪戯っぽく笑い、空になった霖之助の器に再度酒を注いだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 特に語り合うような事も無く、静かに酒を飲みながら落ち行く紅葉を楽しんだ後、「また来年」と言い残し、霖之助が去って行った。
 
 残された静葉は、一人酒瓶を抱き、今日のことを思い出す。
 
 特に多くの事を語った訳ではないが、彼の名が森近・霖之助である事、魔法の森の入り口に建つ香霖堂という古道具屋の店主である事が分かった。
 
「……今度、遊びに行ってみようかしら?」
 
 来年、彼が来た時の為に、お揃いのぐい呑みを買うのも良いかもしれない。
 
 そう思いながら、静葉は杯に残った酒を一気に飲み干した。
 
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