香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第24話 本日休業(買い出し編)
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 博麗・霊夢は貧乏である。……という不名誉な噂がまことしやかに囁かれているが、そんな事は無い。
 
 毎月、神主から結構な額の仕送りが送られてきており、来客に対してお茶請け付きでお茶を振る舞える程度には余裕のある生活を送っている。
 
 いざ異変が起きた時に、肝心要の博麗の巫女が空腹で動けませんでは洒落にならないからだ。
 
 ……とはいえ、香霖堂での買い物は全てツケで済ませているのだが。それは彼女が唯一見せる甘えなのかもしれない。
 
 そんな霊夢は今、人里で買い物を済ませた所だった。
 
「……今月も何とか保ったわね」
 
 がま口の財布に残る僅かな銅貨を見て安堵の吐息を吐き出す。
 
 今月は宴会が多かった為、出費も嵩張った。
 
 皆、酒と肴の材料は持参して来るのだが、最近になって新顔の中に、よりにもよって大酒飲みの鬼が一人追加されたので、持参してくる分だけでは足りなくなってきたのだ。
 
 勿論、足りない分は博麗神社に備蓄してある物から消費されていく。
 
 ブツブツと文句を言いながらも歩く霊夢。
 
 後は神社に帰って、この間香霖堂から貰ってきた新しいお茶葉を試してみよう。と思いながら歩く霊夢の視界に一件の小洒落たカフェーが映った。
 
 そう言えば……、先日、もう一人の巫女である東風谷・早苗が尋ねてきた際、人里に新しいカフェーが出来たとかなんとか言っていたような気がする。
 
 霊夢としては、紅茶やコーヒーに特別な思い入れなどは無い。
 
 むしろ、日本茶の方が好きだし、紅茶が飲みたければ紅魔舘を訪れれば良いだけの話だ。
 
 だが、ガラス越しに見える店内で、華やかに会話する自分と同じ年頃の少女達を見ると自分の生活が殺伐としている事を改めて突き付けられるような気がして、僅かにだが気が滅入る。
 
 ……いや、今の生活も、これはこれで結構楽しいんだけどね。
 
 そうは思うが、彼女も年頃の少女だ。偶にはカフェーでコーヒーを嗜んだりしてみたい。
 
 ……一人で入るのも味気ないし、財布の中身も心許ないしね。
 
 そう思う事で、通り過ぎようとした霊夢だが、不意に背後から声を掛けられて足を止めた。
 
「買い出しかい? 霊夢」
 
 掛けられた声は、聞き慣れた男性のものだ。
 
「……霖之助さん」
 
 そう言う彼も背に大きな風呂敷を背負っている。
 
「霖之助さんも?」
 
「あぁ。先日どこぞの紅白と白黒に色々と強奪されてしまって、少々品不足気味だったからね」
 
「あら、酷い事する人達もいたものね。……ところで白黒は魔理沙として、紅白っていうのは妹紅の事かしら?」
 
 そんな霊夢を半眼で見つめながら小さく肩を竦める霖之助。
 
 元より彼女に、この程度の皮肉が通じるとは思ってもいない。
 
 霊夢といえば、そんな霖之助に構う事なく、何かを思いついたのか? 嬉しそうな笑みを浮かべて霖之助との距離を一歩縮めると、
 
「ところで霖之助さん」
 
「ん? 何だい?」
 
「私、喉が渇いちゃった」
 
 言われた霖之助は周囲を見渡し、右手側に発見した井戸を指さして、
 
「都合の良い事に、あそこに井戸がある。好きなだけ水を飲んでいったらどうだい?」
 
「私、喉が渇いちゃった」
 
 その程度で動じるような霊夢ではなかった。
 
 霖之助は腹のポーチから小型の水筒を取り出すと、
 
「名称は魔法瓶。用途は中に入れた飲み物を保温しておける入れ物だ。
 
 温かいお茶なんかどうだい?」
 
「私、喉が渇いちゃった」
 
 眉一つ動かさずに告げる霊夢に対し、遂に霖之助は大きく息を吐き出し、
 
「分かった。僕の負けだよ。……あそこのカフェーでお茶でもどうだい? 霊夢」
 
「えぇ、喜んで付き合わさせてもらうわ」
 
 満面の笑みを浮かべて、霖之助の提案を了承した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「いらっしゃいませー、二名様ですか? こちらにどうぞー」
 
 という店員の案内に従って椅子に腰を下ろした霖之助と霊夢。
 
「ごゆっくりどうぞ」
 
 お品書きを置いて営業用スマイルを浮かべ去って行く店員を見送り、メニューを開く霖之助に対し、カフェー初体験の霊夢は店内をキョロキョロと忙しなく見渡している。
 
「さて、どれにしようか?」
 
 霖之助に声を掛けられ、彼の開いたメニューを覗き込んで、霊夢は初めてみる飲み物の名称に驚いた。
 
「……霖之助さん。“ここあ”って何? こっちの“かるぴす”は?」
 
 瓶入りのカルピス原液に関しては、既に香霖堂でも取り扱っているので霖之助も飲んだ事はあるが、正直甘すぎて飲めたものではなかった。
 
「気になるんだったら、頼んでみたらどうだい?」
 
 好奇心に目を輝かせるという初めて見る霊夢の姿に、思わず苦笑を堪えながら告げると、霊夢はメニューで顔の半分を隠し上目遣いで、
 
「全部頼んでもいい?」
 
「一品だけだ」
 
「チッ」
 
 舌打ちされた。
 
 結局、霊夢はカルピスを、霖之助は無難にコーヒーを注文した。
 
「それで? 一体どういう風の吹き回しだい? いきなりカフェーでコーヒーを飲みたいだなんて」
 
 彼女のお茶好きは、霖之助も良く知る所である。そんな彼女が唐突にカフェーに行きたいなどと言い出したのだ。ひょっとしたら異変ではないか? という一抹の不安を抱えたまま問い掛けてみるが、返ってきた答えは、
 
「え? 別に。……ただ何となく話の種に一度行ってみたなと思っただけよ」
 
 素っ気なく答え、ウエイトレスの持ってきたカルピスとやらをストロー越しに喉へと流し込む。
 
「あら? 美味しい。ほら、霖之助さんも一口飲んでみなさいよ」
 
 言って、氷の浮かぶグラスごと霖之助へと突き出す。
 
 ……僕が飲んだ物と違って、余りドロドロしていないな。……ひょっとして水か何かで薄めてるんだろうか?
 
 そんな事を考えながら、ストローに口を付け一口飲み込んでみる。
 
「……ふむ。なるほど、これは中々美味しいね」
 
「でしょ?」
 
 微笑みを浮かべて再度ストローに口を付ける霊夢だが、そこでようやく自分のしている行為を理解した。
 
 ……え? これってもしかして間接キス?
 
 意識した途端、顔を真っ赤にする霊夢。
 
 彼女自身も、自分の顔が赤くなっているのを自覚しているのか? 必死に手で顔を仰いだり胸元から風を送ったりと冷却しようとするが、視線が霖之助の唇を捉える度に体温が上昇するのを止められない。
 
「……どうしたんだい? 霊夢。何だか随分と暑そうだけど」
 
 季節は既に秋に突入しているので、そんなに暑くはないはずだ。
 
「な、なんでもないわよ!?」
 
 誤魔化すように、カルピスを一気に飲み干す。
 
 そんな霊夢を前に肩を竦める霖之助。
 
「そんなにカルピスが気に入ったのなら、後で原液を分けてあげよう」
 
 霖之助が何かを言っているようだが、テンパリ過ぎた今の霊夢では彼の言っている事の意味が理解出来ず、生返事だけを返しつつ、その後の記憶が曖昧なままその日は霖之助と別れた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 後日、霖之助にカルピスを分けてもらった霊夢だが、カルピスを飲む度にこの日の事を思い出してしまい顔を朱に染める癖が出来たという。
 
 ……余談ではあるが、この時の霊夢と霖之助の行為は、店に居た客達に目撃されており、この後、このカフェーでは女性がジュースを注文し、それを男性に一口飲ませてから自分が口にするという奇妙な風習が生まれたそうな。
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