香霖堂繁盛記
書いた人:U16
第23話 鬼と酒と月見
幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
掲げられている看板には香霖堂の文字。
店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
●
「おーい、霖之助居る−?」
そんな声と共に勢いよく香霖堂のドアを開け、来店してきたのは頭に歪んだ角を二本持つ小柄な少女、伊吹・萃香だった。
「ここは僕の店だ。居るに決まっているだろう」
何時ものように淡々と答える霖之助に対し、萃香は機嫌良さげに、手にした酒瓶を掲げると、
「見てコレ! 100年越しの大古酒だよ!! 今夜はコレで一杯やろうや!」
満面の笑みというのは、正しく今の彼女に相応しい表情の事を言うのだろう。
それ程に見事な笑みを浮かべた鬼っ娘に対し、返事をしたのは霖之助ではなく暇潰しに香霖堂を訪れていた博麗の巫女、博麗・霊夢だった。
「何処から持ち出して来たのよ? そんな上等なお酒。
って言うか、アンタ霖之助さんと知り合いだったの?」
立て続けに質問を放つ霊夢に対し、そこで初めて彼女の存在に気付いたらしい萃香は改めて霊夢に視線を向け、
「ありゃ? 居たんだ霊夢」
「居たわよ。ここは香霖堂ですもの。私が居てもおかしくないでしょ?」
「……そうなの?」
問いかける先に居るのは霖之助だ。
彼は大仰に頷くと、
「間違っているから、くれぐれも信じないように」
言って、壁に掛けてある日めくりを眺め、
「……残念ながら、満月は過ぎてるが、少し欠けた月というのもまた乙なものだな」
「でしょ? 霊夢達お子様連中には、この風情が分からないんだろうなぁ」
「いいから質問に答えなさいって」
どことなく不機嫌な霊夢がしつこいので、萃香が折れた。
「えーと、なんだっけ? 酒の出何処? ちゃんとした所だよ。
人里の一番大きな商家で、荷物運ぶのに困ってたみたいだから手伝ってあげたら、コレくれたんだって」
鬼は嘘を吐かないので、この話は信用して構わないだろう。
昔と違い、今は人里に妖怪が立ち入ろうとも、物騒な事にはならない。
というか既に日常的に妖怪達が人里を訪れて買い物をし、人間と共に酒を酌み交わす。
彼ら彼女らも、豆腐屋で油揚げを値切っている妖狐が、よもや幾つもの国を滅ぼしてきた白面金毛九尾の狐だとは夢にも思うまい。
そんな御時世なので、鬼が人里で商家の手伝いをした所で、誰も不審がったりしないどころか、人間には持ち上げる事も不可能な巨大な荷物を軽々と持ち上げる彼女を喝采する声の方が多いくらいだ。
「……その商家ってもしかして」
「間違い無く、魔理沙の実家だろうね」
まあ、あそこなら大古酒の一つや二つあっても驚くには値しない。
「そっちは良いわ。それで? 一体何時の間にアンタ霖之助さんと知り合ったのよ?」
何気に剣呑なものが含まれる声色で霊夢が問い質すと、萃香は眉根を寄せて小首を傾げ、
「……霖之助と初めて知り合ったのって何時だっけ?」
「君が幻想郷に帰って来て、直ぐぐらいの筈だよ」
萃香と霖之助の出会い、それは……。
●
長かった……、本当に異常とも言える程に長かった冬も終わり、ようやく春が訪れた幻想郷。
しかし、長かった冬に引き続き、またも幻想郷を新たなる異変が襲った。
誰一人として気付けなかいままに続けられる三日おきの宴会騒ぎ。
酒豪の天狗でさえも音を上げるドンチャン騒ぎだったものの、それには参加せず一人、何時もと変わらぬ日常を過ごす人妖が居た。
宴の真の首謀者、伊吹・萃香が彼の存在に気付いたのは、宴会も都合8回目を過ぎた頃だ。
最初こそ、下戸だから宴会に参加して来ないのだと思っていたのだが、ふと覗き見てみると、一人酒を飲んでいる事もあるので、それはないと判断し少し観察してみる。……が、その後何度か宴会を繰り返してみるも、彼が参加してくる様子は微塵も見えない。
どれだけ彼女が能力を強くしても、寄ってくるのは足取りも怪しい飲兵衛か? 新参の妖怪や妖精達ばかり。
いい加減業を煮やした萃香は、ついに香霖堂に直接乗り込んだ。
「ちょっと、アンタ!!」
乱暴に扉を開け放ち……、否、扉を吹き飛ばして侵入して来た小鬼に対し、冷めた眼差しを送りつつ、
「いらっしゃい。……それと、扉は開いて入るものだ。壊すものじゃない」
言うだけ言って霖之助は視線を再び本へと戻す。
それが気に入らなかったのか? 萃香はカウンターへと歩み寄ると霖之助の頭を鷲掴みにして強引に引き上げ、
「人の話を聞くときは、ちゃんと話してる者の方を向いて話しを聞け!」
殺気すら含んだ萃香の言葉に対し、霖之助は怯む事無く彼女の視線を睨み返し、
「原因が分からないまま初めから喧嘩腰でやって来る相手に向けるような礼儀なんて持っていないだけだ。
客として扱ってもらいたければ、それなりの行動を心掛けたらどうだい?」
睨み合う事数秒……、先に折れたのは萃香の方だ。
霖之助から手を離すと、歯噛みしながらも睨み付けるのを忘れずに、
「まずは非礼を詫びさせてもらう。
――私の名は伊吹・萃香。見ての通り鬼よ」
言葉こそ謝罪してはいるものの、全く誠意というものを感じられない萃香に対し、霖之助も同じように無愛想な態度で、
「僕は森近・霖之助。ここ、古道具屋“香霖堂”の店主だ。
……それで? 幻想郷に居ない筈の鬼が僕に一体何の用だい?」
「そうね……。アンタ、ここ最近、博麗神社の宴会に行こうと思った事は無い?」
萃香の問い掛け。
霖之助は僅かに眉を顰め、
「もしかして、アレは君の仕業かい? 確かに最近は理由も無く神社へ行きたくなる時があったり、魔理沙が誘いに来たりするが」
「それで? どうしてアンタは宴会に参加しようとしないわけ?」
再度の問い掛けに対し、霖之助は特に気負う事もなく、
「理由なんて、特には無いよ。……しいて言えば、面倒だからか」
一息、
「――僕は彼女達と違って空を飛べないからね。神社まで行くのに、それなりの労力と時間が必要になってくる。
そんな事するくらいなら、ここで温和しく本でも読んでいた方がマシだよ」
それに……、
「酒というのは馬鹿みたいに量を飲んで騒げば楽しいというものでもないだろう。むしろそんな飲み方は酒に対して失礼だ。
僕としては、変わりゆく季節を楽しみながらヒッソリと酒の味を楽しむのが、酒本来の飲み方だと思っている」
確かに、そんな飲み方もありだろうとは思う。……が、正面から自分の飲み方は間違っていると指摘された萃香としては、面白く無い。
「喧嘩売ってんなら、幾らでも買うよ。古道具屋」
「……最近の鬼は随分と短気で、それでいてプライドも低いようだね?
何の力も持たない半妖相手に、力尽くかい?」
鼻白むように告げる霖之助に対し萃香は鼻息も荒く、
「確かに、アンタ程度の相手に力で勝ったところで私には何の自慢にもならないし、むしろそんな事をすれば鬼の名に泥を塗るだけだね」
言って、臆すことなく胸を張り、実質的には見上げる程の身長差がありながらも精神的には見下ろすように、
「勝負方法はアンタが選びなよ。その上で私が勝ってみせるから」
絶対の自信を持って告げる萃香に対し、霖之助は僅かに思案すると、
「それで? 僕が勝った場合はどうするんだい?」
「随分な自信だね。……まあ、それくらいじゃなければこっちも面白く無い」
萃香は口元を吊り上げると不敵な笑みを見せ、
「アンタが勝ったら、何でも言う事を聞いてやるさ。……但し、私が勝った場合はアンタを攫わせてもらうよ」
古くから鬼は人攫いの常習犯だ。そして、鬼に攫われて帰って来た人間は居ない。
だが、敢えて霖之助はその誘いに乗る。
「そうだね。なら勝負は事の原因でもある酒で勝負しようじゃないか。
……とはいえ、鬼の君と飲み比べするつもりは毛頭無い。
だから、こんなのはどうだい?」
霖之助の提示した勝負方法とは、霖之助が香霖堂にある酒を提供し、それを全て飲み干したなら萃香の勝ち。酔い潰れてしまったら霖之助の勝ちというものだ。勿論、霖之助が勝った場合は、萃香が飲んだ酒代も請求させてもらう。
その条件を受けた萃香は目を弓なりに細め、
「面白そうじゃないか。――その勝負、乗った」
絶対の自信の元、そう告げた。
●
まず最初に霖之助は井戸で冷やしておいた茶色の瓶を数本持ち出して来た。
「博麗神社の神主に頂いた“地びーる”と言うお酒だ。麦を原料に造られた酒でアルコール分も低く飲みやすいらしい」
「……あの神社、神主なんて居たの!?」
驚く所が少々違うような気もするが、仕方あるまい。
というか、彼の存在を知っているのが霊夢の他には紫と霖之助だけという方が問題だろう。
その霊夢にしても、未だ数度しか会った事が無いらしい。
……うちでも年に一、二度、幻想郷の近況を聞きにくる程度だけどね。
とはいえ、一通り驚いて満足したのか? 萃香はビール瓶を手にすると、栓抜きを使わず手刀で瓶の口を切り落とし、ラッパ飲みを開始。
瞬く間に一本を空け、
「けぷッ」
小さく可愛らしいゲップ吐き出すと、
「美味いし、飲みやすいけど……、腹に溜まるねこりゃ」
続いて霖之助が持ち出して来たのはワインだ。
「紅魔舘のメイド長がお裾分けしてくれた物だ。能力を使って短時間で熟成されたビンテージ物だそうだよ」
コルクを歯で引き抜き、またもラッパ飲みする萃香。
霖之助もそんな彼女の作法をわざわざ咎める事無く次の酒瓶を差し出す。
「老酒。――これも紅魔舘からの頂き物だね。こちらは門番の彼女からだが」
アルコール度数は日本酒よりも高いが、そんなものお構いなしに萃香はそれを一気に飲み干した。
「次ィ!!」
萃香促され霖之助が次に取り出したのは陶製の徳利だ。そこに書かれている文字は“どぶろく36”。
「人里の知人から貰ったものでね。知っての通り……、ってせめて説明くらいはさせてくれ」
「次!」
溜息を吐きつつ取り出したのはウイスキーだ。
「これは日本酒に比べるとかなりアルコール度数が高い。日本酒が平均で15%程度なのに対し、ウイスキーは40%を越える物が殆どなんだが、……君には余り関係は無さそうだね」
既に飲み終えていた萃香は満面の笑みで、
「次!」
「ウォッカ。これは露西亜の方のお酒で……」
「次!」
「ラム酒。サトウキビを原料に……」
「次!」
「テキーラ。南米……、地図で見るとここら辺……、説明を聞く気はあるかい?」
「当然無い! ――次!!」
珍しい酒を次々に飲めてご機嫌の萃香ではあるが、流石にこのハイペース、更にはアルコール度数高めの酒も随所に混ざっている事もあり、かなり早い段階であるにも関わらず既に酔いが回ってきた。……とはいえ鬼にしてみればまだまだ序の口。漸くエンジンが掛かってきた程度に思っているだろう。
……そろそろかな?
霖之助は奥の部屋からとっておきの酒を取り出してきて萃香に差し出す。
「やはり、鬼と言えば日本酒が一番かな? 千年越えの大古酒はどうだい?」
それを聞いた萃香は、感動した眼差しで霖之助を見つめ、
「おぉ、良いね! もしかしてアンタ、良い奴?」
何の疑いも持たずに、霖之助の注いだ杯に口をつけた。
●
――数分後。
霖之助の眼下では、大イビキをかいて眠る萃香の姿がある。
それを辟易した眼差しで見下ろしながら霖之助は溜息を吐き出し、
「……しまったな。鬼が一度酔い潰れたら数日は目が覚めないという事をすっかり忘れていた」
ウンザリ気に呟き、手にした徳利に視線を落とす。
「“神便鬼毒酒”……。流石の鬼も、これには勝てなかったか」
とはいえ、最初から飲ませていたなら気付かれていたかもしれないので、ほろ酔いになって思考力が低下するまでは飲ませる必要があった。
「……それにしても」
店中に転がる空き瓶に視線を向け、大きく溜息を吐き出す。
「折角の秘蔵の酒がパーだ」
嘆きながらも萃香の身体を持ち上げ、奥の部屋へと運び、布団に寝かせる。
「取り敢えず、賭の景品とは別に、酒代は別に請求させてもらうか……」
そう呟いて、襖を閉めた。
●
「それで霖之助が私に下した命令ってのが……」
「そのまま保留だね」
思い出したのか? 萃香が地団駄を踏む。
「あー……、もう! 思い出しただけで腹立つわ!! 何が、「君には貸しを作っておいた方が面白そうだ」よ!?
そのくせ、私が飲んだ酒代はちゃっかり請求してくるし!!」
「正当な権利だよ。それとも、鬼ともあろうものが約束を反故にするのかい?」
そう言われると、萃香としては黙らざるをえない。
幸いにも、今の所、萃香は酔い潰れてしまっていて霖之助が神便鬼毒酒を使用した事を気付いていないので、彼としては余りこの事を蒸し返したくないのだ。
……バレたら何を言われるか分かったものじゃない。
霊夢達に気付かれないように小さく肩を竦める。
とはいえ、鬼とはどんな方法であれ、正々堂々とした勝負で自分を負かした相手の事を認め友人として歓迎する傾向があり、萃香も例外ではない。
よって今では彼女も霖之助の事を認め、彼を酒宴に誘う時は博麗神社でやるようなドンチャン騒ぎではなく二人きりで静かに風情を楽しみながら飲むようにしていた。
「じゃあ、月見酒といこうか。霊夢も一緒に飲んでいくだろ?」
「当然よ。――それじゃあ、何か肴造りましょうか?」
腕まくりして告げる霊夢に対し、萃香は小さく右手の人差し指を左右に振り、
「チッチッチッ、まだまだお子様だねぇ霊夢。春は桜、夏は蛍、秋は紅葉、冬は雪。
美味い酒と綺麗な景色さえあれば、肴なんて無粋なだけだよ」
「へえ、随分と雅な事言うようになったじゃない」
「まあ、全部、僕の受け売りだけどね」
「うるさいよ霖之助。それよりもとっととぐい呑みの用意してよ」
「そんなに慌てなくても、月はまだまだ昇り始めたばかりだよ」
言いながらも立ち上がり、勝手場へと向かう最中、視線を窓の外に見える僅かに欠けた満月へと移し、
「そういえば今日は十六夜だったか……」
ふと思い出すのは紅魔舘のメイド長だ。
……彼女もこの月を見ているのだろうか? ――いや、彼女の事だ。そんな暇も無く忙しく働き回っているのかもしれないな。
思わず苦笑を零す霖之助。
「霖之助さん、早く! トロトロしてたら、朝になっちゃうわよ!」
彼を呼ぶ声が縁側の方から聞こえてくる。
霖之助は軽く肩を竦めると、ぐい呑みを三つ手に取り、
「霊夢にもそろそろ風情というものを勉強してもらわないとなぁ……」
そんな事を思いながら、縁側で彼の到着を待つ少女達の元へと歩みを進めた。