香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第21話 魔女達の策略
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 霧の湖の畔に建つ屋根に時計台を持った洋館。
 
 ――悪魔の棲む館の異名を持ち、幻想郷に住む者で知らない者は居ないといわれる程に有名な建物。……それがここ紅魔舘だ。
 
 時刻は深夜……、とはいえ吸血鬼を主とする紅魔舘では、これからが一日の始まりと言っても過言ではないだろう。
 
 そんな館の主人の居室。……今は従者を従え優雅にティータイムを楽しむレミリア・スカーレットの部屋を彼女の親友であり、紅魔舘の地下図書館の主が訪れた。
 
「あら? 珍しいわねパチェ。貴女からこっちに来るなんて」
 
 何時もはレミリアの方から会いに行かないと、顔を合わせる事もないというのに。
 
「えぇ、少し大切な話があって来たの」
 
 何時の間にかテーブルに用意された彼女の分の紅茶に口を付け、それを入れてくれた従者に視線を向ける。
 
 それだけで全てを察したのか? 完璧で瀟洒なメイド長は、次の瞬間には既に姿を消していた。
 
 従者である咲夜の消えた事を確認したレミリアが口火を切る。
 
「それで? 咲夜を下がらせてまでするなんて、どんなお話なのかしら? パチェ」
 
 目を細めて問いかけるレミリアに対し、パチュリーはマイペースに紅茶を一口飲み、
 
「その咲夜に関する事よ、レミィ」
 
 その一言でレミリアの表情が真剣なものに変わった。
 
 紅茶によって充分唇を潤したパチュリーが話を続ける。
 
「まず、思い出してもらいたいのだけど、彼女は人間よ」
 
「そうね。……でも咲夜は良くやってくれているわ」
 
 レミリアの言葉を受けてパチュリーも小さく頷く。
 
 別段、彼女としても咲夜が人間である事に不満は無いのだ。
 
 ……ただ、
 
「そうね。……でも、咲夜が人間である以上、いつかは別れなければならない時が来るわ」
 
 人間である咲夜と吸血鬼であるレミリア。咲夜が人間である事を望む以上、それは避けられない運命だ。
 
 そして、レミリアとしてもその事に関しては既に覚悟は出来ている。
 
 ……出来てはいるものの、改めて突き付けられると、どうしても反応してしまう。
 
「……何が言いたいのかしら? パチェ」
 
「単刀直入に言うわ。――咲夜が死んだ後、彼女に代わるメイド長を今から育てておくべきよ」
 
 と言うパチュリーの意見をレミリアは一笑する。
 
「……何を言い出すかと思えば。――良い事パチェ。咲夜の代わりが務まるような人材なんて早々現れるわけが無いじゃない」
 
 彼女のメイドとしての技術に加え、主人に対する気配り、比類無きナイフ捌き、更には時間を操る程度の能力。その全てを彼女に代わり完璧にこなせる人材など現れる筈が無い。
 
 ……そう思うのが普通だし、レミリアもそう思っている。それ程までに十六夜・咲夜という存在は貴重なのだ。
 
「じゃあ、レミィ。咲夜亡き後、今の生活の質を落とす事になっても貴女は耐えられるの?」
 
 その質問に対して答えは否だ。
 
 元々超絶級に我が儘な彼女が、一度知ったこの生活リズムを捨てられる筈も無い。
 
 だが、代わりが居ないのが分かりきっている以上、それはどうしても我慢しなければならない。……のだが、目の前の魔女は不敵な笑みを浮かべて告げる。
 
「もし、咲夜の代わりを任せられるだけの人材に心当たりがあるとしたらどうするかしら?」
 
「まどろっこしいわよパチェ。もっと簡潔に言ってちょうだい」
 
 勿論、レミリアとしては、咲夜の代わりが現れようとも咲夜を解雇するつもりなど毛頭無いが、親友が何を企んでいるのかも非常に気に掛かる所であるし、それが自分に利を成すのであれば止めるつもりもない。
 
 対するパチュリーは、笑みを崩さないままで爆弾を投下した。
 
「咲夜の子供を次のメイド長として仕込めば良いだけの話よ」
 
 ――沈黙。
 
 そして僅かな間を置いて眼前の魔女が言った言葉の意味を理解したレミリアは思案し、
 
「……つまり、咲夜の子供なら、彼女の素質を受け継いでいる可能性もあると言いたいわけね?」
 
「えぇ、出来れば相手の男は寿命の長い妖怪かそれに類する存在が良いわね」
 
 ……なるほど。それならば確かに寿命は長いだろうし、身体も頑丈な子供が生まれるだろう。
 
「それなら問題は相手だけね。……誰か心当たりはあるのかしら?」
 
「えぇ、――というか一人しか知らないのだけど」
 
 ここに至り、ようやくレミリアはパチュリーの企みを理解した。
 
 だが、それによって彼女が、否、紅魔舘が利を得るのも確か。
 
 ……なので、ここは敢えてパチュリーの企みに乗る事にする。
 
「良いわ。咲夜には暫く休暇を与えましょう」
 
 ――話は数時間前に遡る。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「随分と、役に立たない使い魔を飼ってるみたいね」
 
 そう言って話を切り出したのは、七色の人形遣いアリス・マーガトロイドだ。
 
 ここは紅魔舘の地下大図書館の一室。
 
 アリスの言葉を受けたパチュリーは眉一つ動かさずに自ら淹れた紅茶に口を付け、
 
「貴女の人形程ではないから安心してもらってかまわないわ」
 
 告げ、そこで初めてアリスと視線を合わせる。
 
「――貴女、私が何も知らないとでも思っているの?」
 
 その表情は嘲笑で満たされていた。
 
「随分と苦労した割に、アッサリと見破られたようじゃない」
 
 パチュリーの隠そうともしない嘲りに歯噛みするアリス。
 
 実はアリス、小悪魔が失敗したと見るや即座に作戦を切り替え、一体の人形の制作を開始した。
 
 これでもか、と思われる程に古今東西の美の要素を凝縮して制作された等身大の人形で、これを使って霖之助を籠絡して、魔理沙へのアタック優先権をせしめようという魂胆だ。
 
 そして10日以上もの時間とかなり貴重な材料を掛けて完成された人形は、種族、性別、年齢にに関わらず通り過ぎただけで全ての者が振り返る程の美しさをもっていた。
 
 絶対の自信を持っていざ香霖堂に向かわせたアリスだが、霖之助の能力は一目見ただけでそれが人形である事を見抜いてしまうという唯一にして致命的なミスを犯して、この作戦は終わる事になったのだ。
 
「――無様ね」
 
 パチュリーの言葉を受け、奥歯が砕けんばかりに歯を噛み締めるアリス。
 
 だが彼女は耐えた。耐え抜いてみせた。次に彼女が失敗した時、思いっきり侮蔑してやる為に。
 
 元より彼女達は同じ目的の上で同盟関係にはあるものの、仲良し集団というわけでもないのだ。
 
「そ、そんな事を言う以上、何か良い作戦があるんでしょうね?」
 
 血走った目でパチュリーを睨みながら告げるアリスに対しパチュリーは余裕の態度で立ち上がり、
 
「えぇ、これからそれを実行に移させてもらうわ」
 
 そう言って向かった先がレミリアの居室だったわけだが、予想以上にレミリアが乗り気だった為、彼女としては助かった。
 
 ……後は咲夜次第というわけね。
 
 あの完璧で瀟洒な従者ならば、小悪魔のような失態は演じまいと密かにほくそ笑みながらパチュリーは図書館へと向かった。
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……さて、どうしたものかしら?」
 
 主人の命令を受けた咲夜は、取り敢えず香霖堂にまで来てみたものの途方に暮れていた。
 
「それにしても、今回は無茶な命令をしてくれたものだわ……」
 
 ……香霖堂に行って店主と子供を作ってこいだなんて。
 
 正直な話、霖之助の事は別に嫌いではない。――が、好きか? と聞かれて「はい」と答えられる程好意を寄せているわけではない。
 
「こればかりは、出た所勝負で行くしかないわね。……もしくは力尽くとか」
 
 そんな事を考えながら扉を開く。
 
 カウベルが鳴り来店を知らせると、いつものようにカウンターに座って本を読んでいた霖之助が本から顔を上げ、
 
「やあ、いらっしゃい。――今日は何をお探しかな?」
 
 支払いの良い常連客に対し、とびきりの愛想を浮かべて告げる。
 
 とはいえ、それでも人里の店と比べれば、普通の挨拶程度のものでしかないのだが。
 
 ……さて、どうやって説明したものかしら?
 
 遠回しなアプローチではこの朴念仁に効果が無い事は周囲の反応を見ていれば分かる。
 
 ……なら、
 
「単刀直入に言うわ」
 
「なんだい?」
 
「私と子供を作ってくださらないかしら?」
 
 一瞬、彼女が何を言っているのか理解出来なかった。
 
 勿論、霖之助としても、子供の作り方を知らないわけではない。否、むしろ知っているからこそ、その言葉に戸惑い悩み、そして一つの結論に到達する。
 
「……もしかして、またお嬢様の我が儘かい?」
 
 常連客と古道具屋の店主という関係はあれ、それ以上でもそれ以下でもない相手に、いきなり肉体関係を求める理由とすれば、それ以外には考えつかない。
 
 彼とて短い間だったとはいえ、執事としてあのお嬢様の我が儘に付き合わされた事もあったのだ。
 
 それにあのお嬢様の事だ。子供を成すという行為がどのような意味を持つのか? 正確な所を理解しているか怪しい。
 
「まあ、そんな所です。……それで? 返事は“はい”それとも“Yes”かしら?」
 
「どちらでもないよ」
 
 溜息を吐きながら肩を竦める霖之助。
 
「それにしても……、そんな命令をする方もする方だが、素直に受ける方も受ける方だ。
 
 ――断るという選択肢は無かったのかい?」
 
「ありませんわ」
 
 即答で断言してみせる咲夜。
 
「お嬢様が望まれるのならば、私の貞操だろうが命だろうが差し出す事に躊躇いなんてございません」
 
 その言葉を受けた霖之助は鼻白んだ表情で、
 
「そうかい。それは大変結構な話だが、それに僕を巻き込むのは正直止めてもらいたい」
 
 言うだけ言って視線を読みかけの本へと戻す。
 
「それはもしかして、遠回しに私には魅力が無いと言っているのかしら?」
 
「……君も霊夢達と一緒で、大概人の話を聞かない……ね」
 
 再度咲夜へと霖之助が視線を向けると、何時の間に脱いだのか? そこには一糸纏わぬ姿の少女が立っていた。
 
「如何かしら? これでもまだご不満?」
 
 それには流石の霖之助も息を飲まざるを得ない。
 
 シミ一つ無い肌。鎖骨から決して大きくはないものの形の良い乳房、腰のくびれをを通って尻までの曲線は見事なまでに女性的なラインを描いている。
 
 薄めの陰毛は髪と同じ銀髪で、淫靡さよりも儚さを感じさせた。
 
 そんな身体を咲夜は余すことなく霖之助の前に曝しだしているのだが、その彼女を前にして一つの事に気付いた。
 
 ……震えている?
 
 僅かではあるが、彼女の手指や膝が震えている。
 
 季節は初夏だ。過ごしやすさこそあれ、寒さを感じる事など有り得ない。
 
 ……ならば、恐怖か緊張といった所か。
 
「……咲夜」
 
「あら? やっとその気になってくださいまして?」
 
 誘うように、妖艶な笑みを浮かべる少女に対し、霖之助はカウンターを立つ。
 
 ゆっくりとした足取りで近づいてくる彼を迎え入れるように、両腕を広げる咲夜。
 
 だが、霖之助は彼女の元ではなく、衣服を陳列している棚から適当な着物を一着手に取るとそれを咲夜の肩に掛けた。
 
「……君はまだ処女だろう? 何故、そこまで無理をしてまで主人の我が儘に尽くそうとするんだい?」
 
 真剣な表情で問う霖之助に対し、一瞬だけ咲夜は表情を崩すもすぐに何時ものような瀟洒な笑みを浮かべ、
 
「随分と優しいのね……」
 
 よもや、ここまでフェミニストだとは思わなかった。
 
「こう見えても、それなりに長く生きてきたからね。それなりに色々な経験はしてきたよ」
 
 ……本当かしら?
 
 眼鏡のブリッジを押し上げながら告げる霖之助を怪しみながらも、彼の厚意に甘え、肩から掛けられた着物に袖を通し前を重ね、肌だけ隠せれば帯は無くても良いだろうと判断した咲夜は霖之助の質問に答える為に口を開く。
 
「質問は、私がレミリアお嬢様に忠誠を尽くす理由だったかしら?
 
 それは私が、お嬢様に非常に大きな恩があるから――」
 
 咲夜は言う。
 
「命を助けられた。……などと言った陳腐なものじゃないわ。
 
 むしろ、命を与えられた。と言った方が良いかもしれない」
 
 死に場所を求めて侵入した館で返り討ちにされた。
 
 だが、彼女は侵入者を殺さず、名を与えて自らの従者としたのだ。
 
「お嬢様は私に名と居場所と生き甲斐と家族を与えてくれたわ。
 
 返せるものがこの身一つしか無い私が、どうしてお嬢様の命令に逆らえるかしら?」
 
 ……馬鹿な娘だ。と、霖之助は思う反面、決して自分には真似の出来ない忠誠心にある種の尊敬を覚える。
 
 だが、そこまでの忠誠心を持つ彼女の考えを崩す事は出来ないだろう。……が、だからといって素直に従うつもりは毛頭無い。
 
「君の言い分は良く分かった。だけどね、わざわざ僕がそれに従う理由は無いはずだ」
 
「……つまり、不能と」
 
「誰もそんな事は言っていない」
 
 憮然としながら告げる霖之助は咳払いをして気持ちを切り替え、
 
「僕は常々、男女の営みに関しては愛情というものが必要不可欠だと思っている。
 
 僕自身を見てもらえば分かるように、人と妖怪という種族の違いがあろうとも、その垣根を越えた愛の結晶ともいえるのが子供だ。
 
 両親の愛を一心に受けて育った子供は、例え半人半妖であろうとも健全にすくすくと育つだろうし、逆に言えば、愛の無い男女の間に生まれた子供は、例え純血な人間の子供であろうとも碌な人生を歩む事は無いだろう」
 
「それは、店主の経験談で?」
 
「まあ、そんな所かな」
 
 ……戯れ言だけどね。
 
 そもそも寿命の違う異種族が上手くいく筈が無い。
 
 人間は年老いていく自分と、変わらない相手を比べて正気を保てる程強くは無いのだ。霖之助としては実際の経験を経てその事を思い知っている。
 
「なら、私が貴方を好きになった以上、後は貴方を私に惚れさせれば何も問題は無いと」
 
「……まだ言っているのかい? そんな命令されたから好きになったようなものは愛とは言わないと――」
 
「むしろ、貴方こそ勘違いしているようだけど……」
 
 霖之助の言葉を遮り、咲夜が告げる。
 
「私、優しい殿方がタイプですのよ?」
 
 これは、嘘ではない。
 
 それに、物心付いた時から両親の居なかった咲夜は、父性というものに焦がれていたという事と、もう一つ。
 
「私も年頃の娘ですから、それなりに恋愛には興味がありますわ」
 
 瀟洒な笑みで告げる。と、霖之助が瞬きした一瞬の後には、何時ものメイド服へと変わっていた咲夜の顔が目の前に迫っていた。
 
 不意を突かれ何も出来ないままに唇を奪われる霖之助。
 
 唇を重ねていた時間は二秒ほどの筈なのだが、妙にゆっくりに感じたのは彼女が時間を操作したからだろうか?
 
 その所は定かではないものの、気が付けば咲夜の姿はドアの前に立っていた。
 
「取り敢えずこれは裸を見られた代金という事で」
 
 それだけを言い残し、ドアを開いて店を後にする。
 
 残された霖之助は、面倒事を背負い込んだ予感に盛大な溜息を吐き出す事しか出来なかった。
     
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 紅魔舘の地下図書館にて、その一部始終を見ていたパチュリーとアリスは難しい表情で水晶玉を覗き込んでいた。
 
「……これは、失敗とみて良いのかしら?」
 
 重要なのは霖之助を陥落する事で、刺客が彼に惚れ込む事ではない。
 
 彼に惚れる少女が増えると、その分競争率が上がり、各々が大胆な手段を講じるようになるからだ。
 
 他の少女達はともかく、魔理沙がそのような行動に出る事は、彼女達としては好ましくない。
 
「えぇ、でもこれであの男の弱点が分かったわ」
 
 不敵な笑みを浮かべて席を立つパチュリーは、アリスに背を向けて本棚の向こうに姿を消す。
 
 ……待っていなさい森近・霖之助。私が貴方に恋愛の真髄というものを教えてあげるわ。
 
 パチュリーを見送ったアリスは一人密かにほくそ笑む。
 
 ……次は自分が出るつもりのようだけど、貴女も店主に堕とされてくるがいいわ。
 
「ふ、ふふふ……、ふふふふふふふふ」
 
 図書館内に、不気味な笑い声が唱和したものの、現在、小悪魔は明日霖之助に届けるお弁当の下ごしらえをするのに厨房に居た為、幸いにもその笑い声を聞かずに済んだ。
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