香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第20話 羽衣の修繕代金
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……どうしましょう?」
 
 誰にとはなく呟くのは、一人の少女だ。
 
 白いブラウスに黒のロングスカート。長く赤いリボンの巻かれた帽子を被った彼女の手にあるのは大きく裂けた緋色の羽衣がある。
 
 少女の名は永江・衣玖。龍神に仕え、人間や妖怪達に彼の言葉を伝えて回る竜宮の使いだ。
 
 いつもは雲の中を泳ぐように飛んでいるのだが、ちょっとした気分転換に低空飛行したのが拙かった。
 
 木の枝に羽衣を引っ掛け、裂いてしまったのだ。
 
「困りました……」
 
 眉根を寄せて、途方に暮れたように零す彼女は大きく溜息を吐き出す。
 
 普通ならば、その程度の事で破れる事などないのだが、先日の騒動の所為でかなり傷んでいたのだろう。
 
 別に羽衣が無いと飛べないというわけではないが、無いと困るのもまた事実だ。
 
「とはいえ、普通の方法で直せるものでもないですし」
 
 ……どうしたものでしょう? と溜息を吐き出しながらも、ここでこうしていても始まらないと歩き出す。
 
 薄暗く、ジメジメした空気がまとわりついて非常に気持ち悪いが、どうにも今は空を飛ぶ気にはならなかった。
 
 歩き続ける事暫し、やがて森も開け小さいながらも街道に出る。
 
「人里の方に行けば、何かしらの手段でもあるでしょうか?」
 
 呟いてみるも、そこには余り期待した様子もないままに歩を進めていくと、やがて古ぼけた建物が見えてきた。
 
 狸を模した置物や見た事もないような様々な種類の道具が乱雑に積み上げられ、入り口の上には大きく書かれた“香霖堂”の文字。
 
 ハッキリ言って、初見の者ならば絶対に足を踏み入れようとは思わないような外観の店だ。と言うか店であるのかさえ怪しいし、何の店なのかも分からない。
 
 衣玖は入り口の前で立ち止まり暫く店を眺めていたのだが、何を思ったのか? 引き込まれるようにドアノブに手を掛けて扉を開いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「いらっしゃい」
 
 そう言って入って来た衣玖を出迎えた店の主であろう青年は、それきり彼女には興味なさそうにそれまで読んでいた本へと視線を落とした。
 
 対する衣玖も店主の態度に気を悪くした様子も無く、興味深そうに余り広くない店内を回り、そこに置かれた道具を眺めていたが、一通り回って小さく小首を傾げ、カウンターに座る店主へと身体ごと向き直り、
 
「少し、お尋ねしたい事があるのですが」
 
 店に入って初めて口を開いた衣玖に対し、店主は本から顔を上げると、
 
「商品の説明でもお求めかな?」
 
 どことなく嬉しそうな声色で告げるものの衣玖は小さく首を振り、
 
「いえ、そうではなくて……、ここは何のお店なのですか?」
 
 流石にその質問は予想外だったのか? 店主はキョトンとした表情で彼女を見つめた後、キッチリ20秒後に気を取り直して咳払いし、
 
「この店は香霖堂。言ってみれば古道具屋だね。
 
 但し、ただの古道具屋じゃない。日用品から魔法の道具、冥界、魔界、は言うに及ばず、外の世界の道具まで扱っている」
 
 自信ありげに頷き、
 
「そして僕は店主の森近・霖之助だ」
 
 対する衣玖は納得したと小さく頷き、
 
「そうですか。外の世界の道具……。どうりて見た事もない道具だと思いました。
 
 ――申し遅れましたが、私、永江・衣玖と申します」
 
「納得していただけたようで何よりだ。
 
 僕からも質問があるんだが、良いかい?」
 
「はい。何でしょう?」
 
 頷く衣玖に対し、霖之助は彼女の手にある布を指さし、
 
「それは見たところ力のある羽衣のようだけど、もっとよく見せてもらえないかな?」
 
 一目見ただけで、羽衣が唯の装飾品でないことを見抜いた霖之助に衣玖は僅かな警戒を示すものの、今の状態では使い物にならない上に、これは男性には使用不可能なアイテムな事もあり、この店では魔法の道具を扱っているという事から、ひょっとしたら、直して貰えるかもしれないという打算もあって、差し出した。
 
 それを受けとった霖之助は羽衣を広げて検分し、
 
「なるほど、これは武器としても使えるのか……、おや?」
 
 大きく裂けた箇所を発見する。
 
「これは酷いな」
 
 これでは、折角の一品が台無しだ。
 
「先程、木の枝で引っ掛けてしまいまして……。何とかならないでしょうか?」
 
 対する霖之助は即決すると、カウンターから立ち上がり、
 
「少し、待っていてもらえるかい」
 
 そう言って、奥の部屋へ行ってしまった。
 
 手持ち無沙汰になってしまった衣玖は再び店内の商品を見て暇を潰していると、店主が去ってからきっちり5分後、霖之助は針と糸を持って現れた。
 
 だが、彼女は申し訳なさそうに、
 
「あの……、これは妖怪の道具ですので、普通の針では生地を通らないと思います」
 
 対する霖之助は不敵な笑みを浮かべ、
 
「勿論コレはただの針じゃない。“太陽針”と呼ばれる大陸の方に伝わる力ある道具の一つでね。
 
 妖怪の羽衣であろうが、冥界の着物であろうが、地獄の制服であろうが突き通す事が出来る一品さ」
 
 元々は赤い瓢箪に入れられた49本の針なのだが、霖之助が見つけたのはその内の1本だけだ。
 
 これでは攻撃用の道具としては使えないが、裁縫の為の針としては充分に機能してくれる。
 
「そして、こちらの糸は土蜘蛛から分けて貰った物だから、妖怪の羽衣を修繕する程度は容易に出来るよ」
 
 言って、早速修繕を開始する。
 
 淀みなく針を進め、見る見るうちに羽衣を修繕していく霖之助を見て衣玖は感心したように、
 
「――お上手ですね」
 
「まあ、繕い物も仕事の内に入っているからね」
 
 話しながらも霖之助の手は停まる事無く、ものの10分もしない内に綺麗に縫い終わってしまった。
 
「さあ、出来た」
 
 糸を切って完成させると、羽衣を広げて具合を確かめてみる。
 
 今の所、修繕箇所に僅かな違和感を感じるものの、
 
「暫くすれば、土蜘蛛の糸が羽衣に同化して違和感も無くなる筈だ。
 
 出来れば、それまでは余り酷使しないように」
 
 言って、営業用の笑顔を浮かべると、羽衣を衣玖に差し出した。
 
「ありがとうございます」
 
 深々と一礼し、羽衣を身に纏う衣玖。
 
 ……さて、問題はここからだ。
 
「では、代金の方を頂きたいのですが」
 
 あくまでも失礼にならないよう、出来るだけ丁寧な口調で問いかける。
 
「代金ですか?」
 
 暫し考え、
 
「すみません。下界で使えるような貨幣は持ってきていないのですが……」
 
 修繕の対価になるような物も持っていない。
 
 ここまでは霖之助にとっても予想通りだ。
 
 元より彼女に代金の支払いなど望んではいない。
 
 彼が衣玖を助けた理由は、その羽衣にある。……とはいえ、羽衣そのものを欲したわけではなく、彼の狙いは羽衣伝説の方だ。
 
 羽衣伝説には様々な派生があるが、大まかに分けて説明すると、水浴びに来ていた天女の羽衣を隠して帰れなくする。
 
 その後、妻として迎えて子供を成し、後に羽衣を見つけた天女が子供共々天上に帰って行くというパターンと、娘として迎え入れ、天女が酒造りに長けていた為、裕福となる。というパターンの二種類に分かれるが、霖之助が狙っているのは後者の方だ。
 
 別段、衣玖を娘として迎え入れるつもりは無いが、後日で良いので酒を持ってきてもらおうとと企み、その事を口にしようとするのだが、それよりも早く衣玖の方が口を開いた。
 
「では、下界の羽衣伝説になぞらえ、私は貴方様の妻となりましょう」
 
 ……は?
 
 余りにも予想外の言葉に、流石の霖之助もこれには開いた口が塞がらなかった。
 
 衣玖としては、己の能力を生かし場の空気を読んだつもりで続ける。
 
「羽衣伝説では、羽衣を隠されてしまうわけですが、森近様は逆に貴重な材料を使って羽衣を修繕して下さいました。
 
 これは、羽衣を見つけたら天上へ帰るといった真似をせず、一生を添い遂げるのが礼儀だと私は解釈したわけです」
 
 対して霖之助は慌てた様子で、
 
「いや、たかが羽衣を修繕した程度でそこまでしてもらうわけには」
 
「たかが羽衣ではありません。この羽衣は竜宮の使いにとって、命の次に大切な代物。
 
 それを二束三文で直させたとあっては、龍神様の顔にも泥を塗る事になりかねません」
 
「そこまで大層な事にはならないと……」
 
「それとも森近様は、私には娶る価値も無いとお考えですか?」
 
「そういうわけじゃなくてだね……」
 
 店の常連の誰かに頼んで恋人の振りでもしてもらい、何とか説得して諦めてもらおうとも考えたが、それをすると余計に話がこじれるような気がするので、この案は即座に没にした。
 
「やはり、結婚というのは一生事となる以上、そう簡単に決めていいものでもないだろう。
 
 ここはやはり、店員と客という立場から初めてみてはどうかな? 結婚はお互いを良く知ってからでも遅くはないと思うんだが」
 
 結局、二時間程言い合った後、週一回のペースで衣玖が香霖堂の手伝いをするという事に落ち着いたのだが……。
 
 数日後、閻魔と司書、よもや二人のお手伝いと彼女が鉢合わせになる事があろうとは、神ならぬ霖之助には予測する事は出来なかった。
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