香霖堂繁盛記
書いた人:U16
第19話 月の兎と手紙
幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
掲げられている看板には香霖堂の文字。
店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
●
霖之助が月から帰還して数日後、彼は月から持ち帰った石……、月のイルメナイトを以前と治療費として支払う為、永遠亭を目指して迷いの竹林を彷徨っていたのだが……。
「……迷った」
多分、妹紅か永遠亭の妖怪兎にでも会えるだろうと楽観視していたのが拙かった。
「まさか、今日に限って誰にも出くわさないとは……」
生い茂る竹の葉が邪魔して、太陽からおおよその方角を定める事も出来ず途方に暮れる霖之助。
「さて、どうしたものか……」
立ち止まり考え始めた霖之助だが、不意に彼の耳に風に乗って話し声が聞こえてきた。
「……ですか? 月……」
ここで立ち止まっていても埒があかないと判断した霖之助は、思い切って声の方へと歩みを進める事にしたのだが、近づくにつれ片方の声の主が知り合いのものであると分かり、緊張を解いて気楽な足取りでそちらへと向かう。
「この……を、そこに……ある人物に届けなさい」
「えぇっと……。えぇ!?」
竹藪の小さな空き地に居たのは、予想通りの人物、永遠亭の薬師、八意・永淋と初めて見る妖怪兎の二人だった。
妖怪兎は手に持った封書に書かれている宛名を見て目を見開くと、
「綿月様の所にですか? 無理ですよ! 私みたいな普通の兎が簡単に近づけません!」
叫んだ瞬間、永淋が妖怪兎を手で制し、彼女達の会話を盗み聞いていた賊に向けて矢を放った。
霖之助の頬を掠め、背後の竹に突き立つリボンの施された矢。
弓を取り出す仕草さえも見えなかった程の早業に驚嘆しつつも、外面は平静を装った霖之助は小さく手を挙げて、
「随分と物騒な挨拶だね、これは」
頬に浅く付けられた傷を意識しながら皮肉を込めて告げる。
対する永淋は相手が霖之助と知り、弓から矢を外して肩の力を抜き、
「また随分と珍しい所で会うわね」
呆れたように告げると、霖之助も肩を竦め、
「今日は先日の治療費を払いにね。……それよりも、さっきの話だけど――」
僅かに躊躇い、
「やっぱり、聞かなかった事にした方が良いのかな?」
問われた永淋は暫し考えるも、霖之助に知られた所で何の問題も無いと判断し、
「別にかわないわ。貴方の場合、自分から吹聴して回るようなタイプでもないし」
「それは助かるな。いや、聞いたと言っても断片的にしか聞いてなかったんだけど……」
視線を永淋から妖怪兎に移し、
「先程の話からすると、彼女はこれから綿月・豊姫さんに会うのかい?」
問うた瞬間、永淋の気配が変わった。
矢こそ向けはしないものの、彼女から発せられる気配は殺気と呼ぶのに遜色ないものだ。
現に傍らの妖怪兎は、その殺気に当てられて腰を抜かしている。
「……何故、貴方がその名前を知っているのかしら?」
彼女は豊姫の名を一度も出してはいないし、妖怪兎にしても綿月様としか言ってはいない。
霖之助は永淋から放たれる殺気を努めて受け流すように努力しつつ、懐から拳大の石を取り出し、
「ちょっと月面旅行した際に知り合ってね」
治療費と言って石を差し出す。
永淋は霖之助から石を受けとると、丹念にそれを検分し、
「……間違い無く月の石ね。どうやって月面旅行なんてしてきたのかしら?」
幻想郷の……文化レベルでは、河童の技術力を加えた所で絶対に不可能な筈であるし、外の世界の技術であろうとも、行こうと思って行けるものではない。
呆れながら告げる永淋だが、霖之助としてもどうやって行ったのか? 明確に答えを言える程確信してはいないので、返答のしようも無いのが現状だ。
「話を戻すが、君が綿月さんに会う事があるのなら、僕からも手紙を預かってもらいたいんだが、良いかな?」
妖怪兎に問うと、彼女は不安そうな表情で永淋に視線を投げ掛ける。
対する永淋は小さく頷き、「実害は無いから大丈夫よ」と諭すものの、内心では、
……私の読みが正しければ、面白い事になりそうだわ。
と、目の前で紙と筆ペンを取り出して文を書き始めた霖之助を見てほくそ笑む。
その後、霖之助から手紙を渡された妖怪兎は永淋に深々と一礼すると竹藪の更に深い方へと向けて駆け出して行った。
彼女の姿が完全に見えなくなるまで見送った永淋は霖之助に振り向き、
「さて、そろそろお昼だけど、ご一緒に如何かしら?
貴方が来たとなると姫も喜ぶだろうし」
「疑問系で尋ねていながら襟を持って強引に連れて行くのはどうか? と思うよ僕は」
「そうかしら? ……でも貴方、こうでもしないと色々と理由をつけて逃げようとするでしょう?」
思い当たる節があるのか? 反論出来ず、永淋に引き摺られて行く霖之助だが、その後、永淋経由でイルメナイトが輝夜に手渡された事により、また余計な騒動に巻き込まれる事になろうとはこの時は思いもしなかった。
●
その後、色々と問題はあったものの、豊姫に会う事が出来た妖怪兎……、否、月の兎は彼女に無事永淋からの手紙を手渡す事が出来た。
その結果、晴れて綿月姉妹のペットとなりレイセンの名前を与えられる事となる。
「それと、豊姫様に、と手紙を預かって来てます」
「……お姉様にだけ?」
不審げに小首を傾げる依姫に対し、手紙を受けとった豊姫はその宛名を見て一瞬目を見開き、
「ふふふ……」
書いてあるのは簡単な挨拶や道具の譲渡の確約などといった色気の無いものばかりだ。
だがそれでも豊姫は口元を手紙で隠し、笑みを浮かべて見せる。
「……なに? 姉さん。その嬉しそうな、勝ち誇ったような顔は?」
「んーん。何でもないのよー」
短い間しか霖之助と会話していないが、そういう素っ気ない所が彼らしいと思えるし、逆にどうやって彼を振り向かせてみせようか? とやる気も出てくる。
「ふふふ……」
笑みを絶やす事無く部屋から去って行く豊姫。
対する依姫は彼女を追うような真似をせず、お茶をすすって一息吐いてから残されたレイセンに視線を向け、
「それで? 手紙の主はどんな人だったのかしら?」
依姫から発せられる形容しがたい圧力に負け、レイセンは涙目で、
「え、えっと地上の男性でした。八意様と同じ銀の髪をして眼鏡を掛けた長身の男性で、肝が据わっておられるのか? 余程、高貴な方なのかは存じませんが、八意様とも懇意にしておられるようでした」
「八意様とも?」
だとすれば、ただ者ではないだろう。
……一度、会ってみたいわね。と言うか、どこで姉さんは知り合ったのかしら?
「取り敢えず、私にも紹介してもらわないとね」
依姫も席を立ち、豊姫の元へ向かい、レイセンも慌てて彼女の後を追った。
――そんな彼女が霖之助と会うのは、これから数ヶ月も後の出来事。
それまでに、月まで幻想郷のお騒がせ集団がやって来て一悶着あるのだが、それは東方儚月抄にて……。