香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第17話 ヴァイオリンと鯨の髭
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その日、珍しい事に朝の一番から香霖堂に客がやって来た。
 
「いらっしゃい」
 
 それだけを告げて、いつもなら霖之助は再び読んでいた本へと視線を移すのだが、今日ばかりは勝手が違った。
 
 やって来たのは黒を基調とした服を身につけた金髪の少女。
 
 ……こう書くと、香霖堂の泥棒常習犯、霧雨・魔理沙と思われそうだが、彼女ではない。
 
 傍らにヴァイオリンを浮かべた騒霊、ルナサ・プリズムリバーだ。
 
 一瞥して分かるほど、今の彼女からは憂鬱な気配が漂ってくる。
 
 実はルナサ、コレクションであり、またライブでの演奏にも使用するヴァイオリンの弦のストックを切らしてしまったのだ。
 
 ライブでは、いつも使っているヴァイオリンの他に、複数の弦楽器を同時に操り演奏する。これらの楽器は、何の特殊能力も無い至って普通の楽器なので弦が切れてしまったり、楽器そのものが壊れてしまう事もある。
 
 というわけで、人里にまで赴いてヴァイオリンの弦を探してみたのだが、ヴァイオリンなど何処の店も扱っておらず、物は試しと三味線などの弦で試してもみたが代用にはならず、人里で一番大きな商家、霧雨店で香霖堂の事を薦められてやって来た。
 
「失礼……。こちらで、ヴァイオリンの弦は扱っていないでしょうか?」
 
 ハッキリ言って、関わり合いになりたくないような雰囲気を醸し出す彼女だが、問われた以上は、客商売として対応しなくてはならない。
 
「ヴァイオリンの弦かい?」
 
 僅かに考え、
 
「残念ながら、うちでは扱ってないな……」
 
「そう……、ですか……」
 
 まるでこの世の終わりのような表情で頷くルナサ。
 
「確か、ヴァイオリンの弦は羊の腸から作られているんだったね」
 
「……その通りですけど、……最近では金属製の物とかもあるらしいです」
 
 とはいえ、幻想郷の技術レベルでは金属製の糸などは作れない。
 
 霖之助は僅かに思案し、
 
「金属糸でも代用が利くという事は、それなりの張力が必要とされるという事か……」
 
 ルナサに少し待つように告げると、霖之助は席を立って奥の倉庫に向かった。
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 霖之助を待つ間、ルナサは適当な椅子に腰を掛けていたのだが、この店は妙に落ち着く。
 
 鬱の音を操り、性格に暗い所のある彼女にしてみれば、日光を避けて暮らす専門家とまで称される霖之助が暮らす香霖堂の雰囲気とは相性が良いのだろう。
 
 いつの間にやら憂鬱な雰囲気も若干は解消され、多少は落ち着いたのか? ルナサが何をするでもなく座っていると、奥の倉庫から霖之助が数本の糸のような物を持って戻ってきた。
 
「これで、代用は利かないかな?」
 
 受け取り、手渡された弦を撫でてみて、その手触りに驚く。
 
「……この弦は?」
 
 問われた霖之助は得意げな表情を浮かべると、
 
「鯨の髭だよ」
 
 最近の入荷は減ってきてはいるものの、一昔前は山ほど幻想郷に入ってきていたので、ストックはまだ大量にある。
 
「鯨の髭は適度な硬さと柔軟性。それに軽さも兼ね備えているからね。
 
 昔から釣り竿の先端部分やゼンマイ、文楽人形の操作索やコルセットやドレスの腰を膨らませる為の骨としても利用されていた程だ。
 
 勿論、そのままでは太く硬すぎて、とてもじゃないが弦としては利用出来ないが、元々が髭である以上、これは繊維質なんだ。
 
 裂こうと思えば、どれだけでも細く裂ける」
 
 現にルナサに渡した物はコルセットを作った際に余った代物だ。
 
「それに鯨という生き物は、歌でコミュニケーションを取ると言われている。
 
 楽器の部品として使用する事によって、この弦は君の紡ぐ音楽とは別に、歌を奏でてくれるはずだ」
 
 試した事も無い筈なのに、何故か自信満々な態度で告げる。
 
「試してみるといい」
 
 と霖之助に促され、早速ルナサはヴァイオリンの弦を交換し調律を開始。
 
 弦の交換から調律まで、わずか10分で仕上げてみせたのは、流石というべきか。
 
 若干の緊張を含んだ表情で、弦に弓を添えルナサが演奏を開始する。
 
 曲目は彼女のオリジナルの為か? 聞き覚えは無いものの、落ち着いた雰囲気が醸し出されている楽曲だ。
 
 今まで使っていた弦よりも、1/4音だけ音が低いが、
 
 ……この音、悪く無い。
 
 次第にルナサの表情も綻び、音楽に酔いしれていく。
 
 ――やがて、10分超に及ぶ短い演奏会が終わると、小さな拍手が香霖堂に響き渡った。
 
「門外漢なので、詳しい事は分からないが、良い音楽だね」
 
「あ、ありがとう……」
 
 面と向かって感想を言われたのが恥ずかしかったのか? 最後の方は尻すぼみになっていたが、何とか礼をいう事が出来た。
 
 ……たった一人の観客の為に演奏したのは、何時以来だろう?
 
 レイラがまだ生きていた時は、よく弾いて聴かせたものだが、彼女が死んでからは無かったような気がする。
 
 それに、異性に対して1対1で演奏したというのは初めての行為だ。
 
 そう思うと、どこか気恥ずかしさが出てくる。
 
「じゃあ、これ頂こうかしら」
 
「あぁ、毎度あり」
 
 代金の代わりに、とルナサがポケットから取り出したのは、今週開かれる予定のプリズムリバー楽団のライブチケット。……それが2枚。
 
 プリズムリバー楽団のライブチケットといえば、人里の方ではプラチナチケットだ。
 
 売ればそれなりの高値で売れるだろう。……が、新しい顧客を相手にそれは無粋というもの。
 
「じゃあ、確かに」
 
「最高のライブにしますから、絶対に来てくださいね」
 
 帰り際、そう告げて去って行くルナサ。
 
 人混みは苦手だが、彼女のあの音楽をまた聴けるというのならば、たまには良いだろうと思う霖之助だが、問題はライブのチケットが2枚あるという事だ。
 
 一枚は自分で行くとして、もう一枚は誰を誘ったものか?
 
 ……その後、少女達の間で、そのチケットを巡って凄まじい争いが繰り広げられる事になろうとは、今はまだ誰も知らない。
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