香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第14話 冬眠中のお仕事
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 それは八雲・紫が冬眠に入る前に式神である八雲・藍へと下した一つの命令から始まった。
 
「良いこと藍。私が冬眠してる間に、霖之助さんに妙な虫が付かないように見張っておいてちょうだい」
 
 最近、彼の周囲の少女達が活発的に彼にモーションを仕掛けるのを受けて焦りを覚えた紫の苦肉の策だ。
 
 ……そんなに不安なら、さっさと告白すれば良いじゃないですか。
 
 内心ではそう思うものの、一応、主人の顔を立てて了承の返事を返す藍。
 
 紫としても、告白したいのは山々なのではあるが、内実は意外と乙女な所のある彼女。これまで何度か挑戦してはみたものの、緊張と霖之助の鈍感さ、更に多数の恋敵の出現によりこれまで一度たりとも告白として認知された事は無かった。
 
 その度に、幽々子や萃香などに愚痴りに行っては、ぐでんぐでんに酔っぱらった紫を藍が引き取りに行くというサイクルが繰り返されていたのだ。
 
 翌日、藍は紫が完全に寝入ったのを確認すると、
 
「さて、それじゃあ行ってくるか」
 
 ……そう言えば、あの店に入るのは初めてだな。
 
 店の前に供えてあった油揚げを頂いた事はあったが、店の中にまでは入った事がないし、紫が熱を上げる店主にも会った事が無い。
 
 ……ちょっと楽しみになってきたな。
 
 あの紫がこれほど気を使う男性とはどれ程の人物か? 藍も少し興味が湧いてきた。
 
 ……余程の好人物か? 紫様以上の大物か? ──ひょっとしたら、紫様の良人になる人物かも知れんから、挨拶くらいはキチンとしておいた方が良いか。
 
 そう結論し、香霖堂のある魔法の森へと向けて飛び立った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 魔法の森の入り口に建つ一件の古道具屋。
 
 外観はお世辞にも綺麗とはいえないような雑然とした雰囲気を醸し出す店、それが香霖堂だ。
 
 ハッキリ言って、この雰囲気は魔法の森にはそぐわないと思う。
 
 今日は油揚げは落ちていないのかな? と周囲を見回してから中に入る。
 
「いらっしゃい」
 
 出迎えてくれたのは銀髪に眼鏡を掛けた男性。
 
 青と黒の和と中華を組み合わせたような複雑な形式の衣装を身に纏っている。
 
「私は八雲・紫様の式神で、八雲・藍という。失礼だが、店主でかまわないかな?」
 
「えぇ、僕がこの店、香霖堂の店主、森近・霖之助です」
 
 ……ふむ、顔は美形と言っても良いか。──意外と面食いだな紫様。
 
 それに、この感じは半妖か? それほど強力な妖気は感じられないが、あの紫様が一目置くような人物だ。油断はしない方が良いだろうな。
 
「……何か?」
 
 まるで、値踏みするような眼差しで見つめてくる藍に、霖之助は訝しげな視線を返す。
 
「いや、失礼。紫様から、貴方の事を監視するようにと命令されているので」
 
「……監視?」
 
 眉を顰める霖之助。対する藍も紫から下された命令をありのまま伝えるような真似はせず、
 
「この店には、幻想郷のバランスを崩しかねない力を持った外の道具が偶に紛れ込むらしいので、紫様が冬眠中は代わって監視するように、と」
 
 そういうわけで、暫くは通わせてもらうよ、と言い切る藍に対して、霖之助は小さく溜息を吐き出すと、
 
「その道具を買い取ってくれるのなら、何も文句は言わないよ」
 
 聞くところによると、灯油との物々交換はまだ良いとして……、黙って持っていく事もあるという。
 
「そうだな……。物々交換……と言っても家の品は紫様の許可を無しに持ち出す事が出来ないので、代わりに労働力を提供するというのはどうだろう?」
 
 労働力……といえば聞こえは良いが、店員なら既に間に合っているし、客も滅多に来ない。
 
 それを聞いた藍は暫し思案すると、
 
「そうか……、なら家事一切を引き受けるというのはどうだろう? 紫様も冬眠に入ってしまって、正直暇を持て余しているくらいだからな」
 
 藍の提案に対し、霖之助は僅かに考え、
 
 ……誰かが代わりに家事をやってくれると、読書の時間も増えるか。
 
 という結論に達し、「まあ、そういう事なら構わないけどね」と、了承の返事を返した。
 
 ならば、早速、と藍は店の売り物の割烹着を手に取るとそれを身に着け奥の部屋の掃除を開始し始める。
 
 小一時間ほど経った辺りで藍が奥の部屋から顔を出し、
 
「あぁ、店主。そろそろ昼時だが、昼食のリクエストは何かあるか?」
 
「いや、特には……。ある物で作って貰えれば良いよ」
 
「……それは、腕の見せ所だな」
 
 唸り、勝手場に行って食材の確認。
 
「里芋とがんもどきがあるな……」
 
 メニューは里芋の煮っ転がしに決定。
 
 早速、調理を開始。
 
 丁寧に里芋の皮を剥きながら、藍は思案する。
 
 ……紫様は、あの男の何処に惹かれたのだろう?
 
 漂ってくる雰囲気に少々胡散臭い物を感じるものの、それは紫様とて同じ……、というか胡散臭さでは紫様の方が圧倒的に上だし。気にするほどでもないか。
 
 見た目は、美青年と言っても良いだろうが、紫様がその程度の事で相手を決めるとは……、いや、紫様だしなぁ。
 
 しかし、店番と言っても客は来ないし、店主自身も何をするでもなく本を読んだまま……。分からん。紫様は、この男の何処に惹かれたというのだ?
 
 そんな事を考えながら料理をしていると、いつの間にか出来上がっていた。
 
 その後、二人でたわいもない会話をしながら食事を摂り、食後は霖之助は再び読書に戻っていく。
 
 藍も洗い物を済ませてしまうと暇になったので、霖之助に本を借りて読書を始めると、あっという間に時間が過ぎてしまった。
 
 ……こういうのんびりとした時間を過ごすのは随分と久しぶりだな。
 
 普段は紫の世話や、結界の修復作業などで忙しい毎日を送る藍だが、決して暇な時間が嫌いというわけではない。
 
 ……悪くはない、な。
 
 一人ごち、夕食の準備を始める藍。
 
 裏の畑から白菜を採ってきて、それを生姜焼きにする。
 
 丼に炊き立てのご飯をよそったら、その上に白菜の生姜焼きを乗せて出来上がり。
 
 ついでに余った白菜でみそ汁を作り、更に余った分は漬け物にしておく。
 
 ……明日、来る時はマヨイ家から食材を持ってくるか。
 
 そんな事を考えながら、藍は霖之助と共に夕食を摂った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 霊夢や魔理沙が来れば、適当に話相手をしてやり、偶に橙が遊びに来たりする日が数日ほど過ぎた頃、ようやく藍は霖之助の魅力というものに気付いた。
 
 ……なるほど。
 
 彼の傍らは、物凄く落ち着くのだ。
 
 何をするわけでもなく悠惰に一日を過ごし、寝て起きれば、また店番という名の読書を始める。
 
 晩酌にしても、霊夢達のようにむやみやたらと騒ぐのではなく、外の景色を肴にゆっくりと酒を嗜む。
 
 通常、寿命の長い妖怪達にしてみれば、退屈こそが天敵のようなものであるが、元来、温厚な性格の藍にしてみれば、この退屈は、
 
 ……心地良いな。
 
 始めの内は、毎晩マヨイ家に帰り、こまめに家の掃除などもしていたのだが、途中からはそれすら橙に任せ、藍は香霖堂に入り浸るようになっていた。
 
 そして、それは橙とて然り。
 
 紫は寝ている為、マヨイ家では誰も相手をしてくれないので、藍を頼って香霖堂を訪れる。
 
 元々好奇心の強い彼女にしてみれば、見たことのない道具が沢山ある香霖堂は宝の山だ。
 
 しかも真冬であろうとも、ストーブのお陰で店内はとても暖かい。
 
 なので、橙もいつの間にか香霖堂に入り浸るようになっていた。
 
 ことある事に店の商品を手に取り、霖之助にそれの説明をねだる橙。
 
 対する霖之助も、蘊蓄を語る事は嫌いではない……、否、むしろ大好きなので、喜んでそれに答えてやる。
 
 勿論、橙の知識では霖之助の説明は完全に理解出来ず、すぐに違う品物に興味を移すのだが、藍の教育が行き届いているのか? 商品を盗むような事はしないし、飽きた品はちゃんと元通り棚に戻すので、霖之助にしてみれば霊夢や魔理沙よりも扱いやすい相手だ。
 
 そんな平穏な日常が数ヶ月続き、香霖堂でもリリーホワイトが目撃され、季節も冬から春へと移り変わろうとしていた。
 
 八雲・紫が半泣きで香霖堂を訪れるまで、後2日。
 
 それまで、この平穏な生活は続く。
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