香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第11話 日傘の行方
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「バカ──ッ!!」
 
 負け惜しみの台詞を残して、太陽の畑から飛び立っていくのは何故かこんな所にまで紛れ込んできた氷精チルノ。
 
 半泣きで飛んでいく彼女を見送りながら、クスクスと笑みを浮かべる女性こそが、この向日葵畑に君臨する絶対君主、風見・幽香だ。
 
 彼女に苛めぬかれてズタボロだったチルノとは対照的に、幽香自身は無傷。
 
 笑みを絶やさない表情のまま、チルノによって凍らされて粉々に砕かれた花畑を一瞬で修復してみせる。
 
 向日葵の黄色一色だけでなく、色とりどりの花が咲き乱れるのを見て満足げに頷く。
 
 そして上機嫌で手にした日傘をクルリと回転させ、先程の弾幕ごっこで、傘の布地が大きく裂かれていた事に気付いた。
 
「あら?」
 
 この日傘は香霖堂の特注品で、陽光はおろか雨に弾幕までも防げる優れ物だ。
 
 その特注の布地を裂くとは、
 
「……意外と侮れないわね、あの娘」
 
 チルノに対する認識を修正し、さてどうしたものか? と思案するものの2秒で結論。
 
「仕方ないわね。新しい物を買いに行きましょうか」
 
 という解を導き出した幽香は、魔法の森に向けて飛び立った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「あら?」
 
 昼過ぎに目覚めた八雲・紫がかなり遅めの昼食を済ませ、さて散歩にでも出かけようと玄関を出て日傘を差した所で異変に気付いた。
 
 傘を構成する骨の内一本が歪に歪んでしまっているのだ。
 
 どうやら、長年愛用してきた結果、間接部の接合が脆くなってしまっていたらしい。
 
 恐らく、騙し騙し使おうとも、近い内に他の箇所も同様に壊れてしまうだろう。
 
 仕方ないと、溜息を吐き出しつつも内心では彼に会う為の口実が出来た事を喜び、紫は隙間を開く。──魔法の森に建つ、古道具屋に向かう為に。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 何時ものように客の居ない香霖堂。
 
 今日は珍しく、客以外の少女達の姿も見られない。
 
 なので店主である霖之助は、店番という名の読書に勤しむ。
 
 物音一つ無い店内で、至福の時を過ごしていると、扉の内側に仕掛けられたカウベルが鳴り、客の来店を知らせてくれた。
 
「いらっしゃい」
 
 一度、読みかけの本から視線を上げ、やって来た客を確認する。
 
 そこに居たのは、白いワイシャツとチェック柄のワンピースという恰好に満面の笑顔を浮かべた女性、四季のフラワーマスターこと風見・幽香だった。
 
「──今日は、どういったご用件で?」
 
 問い掛ける霖之助だが、彼女がこの店を訪れる理由など数えるくらいしかない事は熟知している。
 
 幽香は笑みを崩さないままで手にした日傘を広げて見せ、
 
「少し、破れてしまったの。──コレ、直せるかしら?」
 
 霖之助は席から立ち上がり、破れた場所を近くで観察すると、
 
「……こりゃ酷い。……まぁ、直らない事もありませんが、布の在庫を切らしてるので、少々時間が掛かりますよ?
 
 それに値段の方も新調するのと大差ありませんから、いっその事新しい物に買い換えるのはどうですか?
 
 今なら、在庫も1品ありますし」
 
 実際の所、修理にしておけば、それ程お金は掛からずに直せるのだが、霖之助も商売人の端くれ。チャンスとばかりに在庫を売りに掛かる。
 
 幽香と言えば、元々新調するつもりで訪れ、駄目元で聞いてみた程度なので、即決で新しい日傘の購入を決意。
 
 その返答をしようと口を開くより早く、新たな来訪者が現れた。
 
「なら丁度良かったわ。──その傘、私が頂こうかしら」
 
 突然の声と共に空間に亀裂が入り、そこから姿を現したのは紫色の豪奢なドレスを着た女性。
 
 隙間の大妖、八雲・紫だ。
 
 紫はいつの間にか在庫の傘を手に持っており、
 
「じゃあ、勘定の方をお願い出来るか──」
 
 しら? とは続けられなかった。
 
 日傘を握っていた紫の右手が、強力な力で背後へと引っ張られていたからだ。
 
 幽香の姿は今も変わらず紫の眼前にある。……では誰が?
 
 正面の幽香を警戒しつつ、背後に視線を向ける。
 
 そこに居たのは、もう一人の風見・幽香だった。
 
 幻を使った分身でも力を分ける分裂でもない。──彼女のそれは、もう一人の自分を作り出す増殖と言った方が正しいだろう。
 
 二人の風見・幽香が笑みを崩さないままで告げる。
 
「いけないわね紫。これは私が先に買った物よ」
 
「あら? 私の方が先に手に取ってましたわ」
 
 両者共に笑みを浮かべてはいるものの、そこに親愛の情は微塵も無い。
 
 殺意だけが膨れ上がり、一触即発の空気が満ちる中、霖之助は大仰に溜息を吐き出し、
 
「弾幕ごっこなら、外でやってきてくれ……」
 
 どちらでも売れれば良いという考えで、手元の本を開いて読書を再開する。
 
 緊張が満ちる店内において最初に動いたのは紫の方だ。
 
 彼女は日傘を掴んでいた手を離すと、
 
「貴女に譲るわ」
 
 言って、興味無さげに手をヒラヒラと振ってみせた。
 
 対する幽香は不審げに紫の態度を見ていたものの、やがて興醒めしたという風に肩を竦めて分け身を引っ込め、霖之助に代金を支払おうと懐から花柄の財布を取り出そうとするが、そこで再度動きを停める事になる。
 
「ねぇ、新しい日傘を作ってくださらない? 私専用の特注品を──。
 
 勿論、アレよりも良い品よ」
 
 妖艶な仕草で霖之助にしなだれ掛かりながら告げる紫。
 
 一瞬交差した紫の眼差しは、こう語っている。
 
 ……貴女はその安物で満足していなさい。
 
 その意志が明確に理解出来た幽香は歯噛みし、しかし次の瞬間には行動に移っていた。
 
 右手の日傘を紫に向けて、突き刺されとばかりに投擲する。
 
 これが霖之助が相手ならば、確実に頭が吹き飛んでいただろう。……が、相手はあの八雲・紫である。
 
 眼前に隙間を展開し、幽香の投げた日傘を取り込む。
 
 そして次の瞬間には、紫の手の内に何事も無かったかのように、日傘が握られていた。
 
 勿論、幽香としてもその程度は計算の内であり、驚くには値しない。
 
「やっぱりその傘は、貴女に譲るわ」
 
 告げ、紫の反対側から幽香が霖之助に擦り寄る。
 
「ねぇ、私の為に、私だけの日傘を作ってくれないかしら? 勿論、代金の他にも色々とサービスさせて貰うわよ」
 
 その豊満な胸を押し付けるように身体を密着させて囁く。
 
 小声で囁く程度の大きさであろうとも、霖之助に密着している紫の耳には当然その声は届いた。
 
 日傘はともかく、霖之助を取られる事は、彼に密かな想いを寄せる紫としては絶対に許容出来るものではない。
 
 とはいえ、ここで癇癪を起こして力ずくで奪いに出れば、幽香に自分が彼に惚れているという事を知らせるようなものだ。
 
 そうなったら、他人の嫌がる事が大好きなこの女の事、どんな手を使ってでも霖之助の籠絡に走るだろう。
 
 ……ならば、紫に取れる行動はそれほど多くはない。数少ない選択肢の中、彼女が選んだ方法はと言えば、
 
「ねぇ、少し暑くないかしら? ここ」
 
 胸元を緩めて風を送り込み涼を求める。
 
 勿論、チラチラと胸元が露わになってしまうのだが、むしろそれが狙いともいえる行為だ。
 
 意外と貞淑というか、乙女な所のある紫としては、実は死ぬほど恥ずかしい行為なのだが、相手が霖之助であるという事と、幽香への対抗心から大胆な行為をとってみせた。
 
 だが、対する幽香は紫の言葉に相づちを拍つと、
 
「ホント、ここは湿気が多いから蒸し暑くて困るわ……」
 
 言ってボタンを上から二つ、三つと外していく。
 
 当然胸元が露わになり、彼女の豊満なバストを支えるブラジャーが覗き見えてしまうのだが、それに構わず幽香は手で仰いで更に風を送り込もうとする。
 
 本人は冷静なつもりで居る紫だが、端から見ていると分かりやすいくらいに動揺しており、真っ赤な顔でうーうー唸りながら、次はどのような行動に出ようか? と模索している様子が幽香から見て、かなり面白い。
 
 ……まさか、紫にこんな弱点があったなんてね。
 
 内心でほくそ笑みながら、次はどんな手で迫ってやろうか? と幽香は考えを巡らせる。
 
 一方の紫は、
 
 ……ど、どうしたら良いのかしら? 余り破廉恥な行為を取って霖之助さんにはしたない女だと思われるのは嫌だし。
 
 そもそも、この女、どうしてこんなに突っかかって来るのかしら? ……ハッ!? もしかしてコイツも霖之助さんに気があるんじゃ。
 
 だとしても負けられないのよ紫! 人間だった時に助けて貰ってから、ずっと追い求めてきた人なんだから、こんな事くらいで諦めちゃ駄目。──ファイト、私。
 
 と、気合いを入れ直して再度対峙する。
 
 ちなみに、当の本人である霖之助は、
 
 ……いっその事、二人とも新調してくれれば店の利益も上がるんだがなぁ。と二人の女性の痴態には目もくれず、手元の本を読みながらそんな事を考えていた。
 
 そんな緊迫しているんだか、弛んでいるんだか、分からないような空間に第三者が乱入する。……否、気付いた時には乱入していたと言った方が正しいだろう。
 
「へー……、なかなか良い日傘じゃない」
 
 慌てて声のした方に視線を向けて見れば、そこには傍らに侍女を連れた紅魔館の主人、レミリア・スカーレットがそれまで紫が持っていた筈の傘を手に立っていた。
 
 ……何時の間に? とは思わない。
 
 彼女の従者である、十六夜・咲夜の手に掛かればそれくらいの事造作も無いのだろうから。
 
 レミリアは日傘を開閉し、小さく頷くと、
 
「気に入ったわ。贈り物用に包んで頂戴」
 
 と霖之助の両脇に居る紫と幽香には一瞥もくれず、カウンターの上に日傘を置いた。
 
 レミリアの注文通り、贈答用の装飾を施して咲夜から代金と引き替えに日傘を手渡す。
 
 何だか置き去りにされた感じで取り残される紫と幽香。
 
 満足げな表情で踵を返したレミリアは店を出る前に一度振り返り、
 
「……これからフランがちょくちょく遊びに来ると思うけど、仲良くしてあげてね」
 
 恐らく、彼女が買った日傘は、妹に贈るのだろう。
 
 少しはフランドールの置かれた環境に進展があった事に、かつて短い間ではあったものの、彼女の話相手を務めた霖之助は小さく微笑み、
 
「あぁ、商品を壊さないのなら、何時でもおいで。と伝えておいてくれないか?」
 
 レミリアは口元に小さな笑みを浮かべて頷き、店を出ていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 レミリア達が去った後の香霖堂。
 
 事の元凶であった日傘を奪われ、言葉を無くしたかに見えた紫と幽香だったが、何を思ったのか? 突如、幽香が霖之助に向けて小さく呟いた。
 
「……ロリコン」
 
「……何故そうなる?」
 
 言いがかりだ、と眉根を寄せて不機嫌そうに告げる霖之助に対し、幽香はその大きな胸を強調するように両腕で寄せて、
 
「だってそうでしょ? 私達には見向きもしなかったくせに、あんな見た目の幼い吸血鬼に愛想を浮かべて。
 
 ──正直、女としてのプライドが傷つけられた気分だわ。
 
 ほら、違うと言うのなら、欲情してみせなさい」
 
 露骨に胸を押し当ててくる幽香に対し、霖之助は疲れたような溜息を吐き出し、
 
「君は少し落ち着いた方が良いな。……紫、君からも何か言ってやってく──」
 
 半ば助けを請うように、傍らの紫に視線を向けると、そこには先程までいた妖艶な雰囲気を持つ女性はおらず、代わりに紫の面影を残す幼い少女が居た。
 
「幼い女の子の方が良いなら、早く言ってくれれば幾らでも──」
 
「一言も言ってない!」
 
 何がどうなっている? と混乱する霖之助への助けか? それとも更なる混迷への布石かは分からないが勢い良くドアが開け放たれ、そこから白黒の魔法使いと紅白の巫女が雪崩れ込んで来た。
 
「遂に香霖が、私の魅力に目覚めたと聞いて飛んできたぜ!」
 
「目覚めてない!」
 
「大丈夫よ、霖之助さん。私は何時でも準備OK.だから!」
 
「何の準備だ!?」
 
 突然騒がしくなった香霖堂。
 
 そんな店を尻目に、飛び去ったレミリアは思う。
 
 ……あのお店なら、フランも退屈しないでしょ。
 
 そう思い、レミリアは笑顔のままで我が家へと向かった。
 
 ──そして後日、彼女の予想通り、更に店は客以外の者達で賑わう事になる。
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