香霖堂繁盛記
 
書いた人:U16
 
第101話 月への切符
 
 幻想郷と呼ばれる閉鎖された世界がある。
 
 この世界とは見えない壁一枚を隔てた所にある異世界。
 
 そこでは、人間だけでなく妖精や幽霊、吸血鬼に妖怪、更には宇宙人や死神、閻魔様に神様までもが存在していた。
 
 その幻想郷の魔法の森と呼ばれる湿度の高い原生林の入り口に、ポツンと建てられた一件の道具屋。
 
 掲げられている看板には香霖堂の文字。
 
 店の中に入りきらないのか? 店の外にも様々な商品が乱雑に積み重ねられている。
 
 ここ香霖堂は、幻想郷で唯一、外の世界の道具も、妖怪の道具も、冥界の道具も、魔法の道具も扱っている店であるが、外の世界の道具に関しては誰にも使い方が分からないため余り売れていないらしい。
 
 というか、僅かに使用方法の分かった外の世界の道具は、全て店主である森近・霖之助が自分のコレクションに加えてしまうので、商売としては成り立っていない。
 
 まあ、そんな感じで、ここ香霖堂は今日ものんびりと適当に商売していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 夜も更けた時刻。
 
 そろそろ休もうかと読んでいた本に栞を挟み、戸締まりをする為立ち上がった霖之助がドアに近づくと、外から扉にもたれ掛かるような気配があった。
 
 ……客かな?
 
 そう思い扉を引き開けると、頭から兎の耳を生やした少女が店の中に倒れ込んできたので、慌てて抱き留める。
 
「……妖怪兎、……か?」
 
 妖怪兎にしては、彼女の恰好は永遠亭の兎達のようなワンピースではなく鈴仙が着ているようなブレザー姿だ。
 
 更に、彼女が持っている荷物。……風呂敷包みと羽衣。
 
 風呂敷包みはともかく、羽衣の方は、霖之助の能力では名称“月の羽衣”、用途は月と地球を往復する程度の道具と見えた。
 
 ……だとすると、彼女は月兎か。
 
「ふむ……、助けた見返りに、この羽衣を貰うというのも悪く無いな」
 
 そうすると、彼女は月に帰れなくなるが、
 
 ……まぁ、方法は他にも有るだろう。
 
 勿論、その方法について霖之助に心当たりは無い。
 
 そんな打算から、霖之助は月兎……、綿月姉妹のペットであるレイセンを家に運び入れた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……う、ん!?」
 
 レイセンが目覚めると、彼女の顔を覗き込むようにして見つめていた二色の瞳とバッチリ目が合った。
 
 驚き後退りしようとするも、背後は布団の為それ以上下がる事が出来ずにいるレイセンに対し、二色の瞳の主……、多々良・小傘は満面の笑みを浮かべて、
 
「驚いた? ねぇ、驚いた? ――うらめしやぁ♪」
 
 嬉々として喜んでいると、彼女の背後の襖が音も無く開き、そこから姿を現した青年が持っていた一人用の小さな土鍋を小傘の上に落とした。
 
 鈍い音を発てて撃沈する小傘。
 
 彼女の頭には大きなたんこぶが出来ている。
 
 それを為した青年は大仰に肩を竦め、
 
「僕は看病しろと言った覚えはあるが、驚かせろと言った覚えは無いよ?」
 
 そう言うが、既に意識が無いのか、小傘からの返事は無い。
 
 だが、青年は余り気にした様子も無く、レイセンの傍らに腰を下ろすと、
 
「食事を持って来たんだが、食欲はあるかい?」
 
「え、えぇ……、ありがと……う」
 
 霖之助とレイセン。実は二人の間には既に面識があるのだが、二人共その事は完全に記憶から抜け落ちていた。
 
 通りすがりに会っただけの関係なので、それも仕方のない事かもしれないが……。
 
 それでも記憶の片隅に引っ掛かるのか、霖之助の顔に見覚えがあるような気がして小首を捻るレイセン。
 
 戸惑いながらも土鍋を受け取り、蓋を開けると中にはおじやが入っていた。
 
「食べながらで良いので、幾つかの質問に答えてくれ」
 
 レンゲでおじやを掬い、息を吹き掛けて冷ましながら頷く。
 
 了承を得た霖之助は、一息を吐くと、
 
「まず、名前を聞こうか」
 
「レイセン――」
 
 主人である綿月姉妹から貰った名前を誇らしげに告げるレイセン。
 
 対する霖之助は、僅かに驚いた様子で、
 
「ほぅ……、レイセンか。奇遇だね、僕の知り合いにも同じ名前の月兎が居るよ」
 
「へぇ……、って月兎ッ!?」
 
 自分以外の玉兎が地上に居る事に驚いたレイセンだったが、綿月姉妹が自分に名を与えてくれた時に、言っていた言葉を思い出し何とか気を静める事に成功した。
 
 ……が、レイセンの反応で霖之助は彼女が月からの使者である事を確信する。
 
「それで? 今日は幻想郷にまでわざわざ何の用事で来たんだい?」
 
 月からの使者……、という事は目的は永遠亭だろうか?
 
 もし仮に、レイセンの目的が永遠亭の者達に危害を加える事ならば、先手を打って永遠亭に伝言でも言付けようと霖之助は考えていた。
 
 ……彼女達(主に永琳とてゐ)には、色々と世話になっているしね。……この辺で貸しを作っておくのも悪く無い。
 
 ――もっとも、レイセン一人で彼女達をどうこう出来るとは到底思えないが。
 
 そんな霖之助の心配を余所に、レイセンは思い出したように布団から飛び起き、
 
「そうでした!? 綿月様から八意様に言付かった、手紙とお礼の配達をしなければ!」
 
 叫び、周囲を見渡して荷物の入った風呂敷包みを探すレイセン。
 
 対する霖之助は立ち上がると、
 
「あぁ、君の荷物なら居間に置いてあるよ。取ってくるから、待っていてくれ」
 
「いえ、どれくらいの時間、気を失っていたかは分かりませんけども、すぐにでも八意様にお届けしないと!」
 
 言うなり、霖之助の後に付いて居間に赴き、ちゃぶ台の上に置いてあった風呂敷包みを手に取ると、霖之助に向けて浅く頭を下げ、
 
「どうも、お世話になりました」
 
 一言、礼を告げると、足早に永遠亭目指して駆けて行った。
 
 ……危害を加えるような素振りは無かったが、……彼女は永遠亭の場所を知っているんだろうか?
 
 そんな考えが脳裏を過ぎるが、レイセンの姿は見えなくなった後だ。
 
 霖之助は溜息を吐いて気持ちを改めると、ポーチから羽衣を取り出し、わざとらしくそれを落とす。
 
「おや? こんな所に羽衣が落ちているじゃないか」
 
 感情の籠もらない声色で、誰にとはなく告げると、それを拾い上げ、
 
「ふむ……、元は誰の物かは知らないが、こうして僕が拾った以上、これは晴れて僕の物になったわけだ」
 
 理論武装を完成させると満足気に頷き、店に戻ろうとするが、ふと思い出したように足を止める。
 
 そして周囲を見渡し、誰も居ない事を確認すると、羽衣を軽く己の身体に巻き付けた。
 
 そのまま視線をガラスに向け、そこに映る自分の姿を確認して、苦笑混じりに嘆息し、
 
「ふむ……、やはり似合わないな」
 
 納得して頷いた瞬間、彼の身体は高速で月に向かって打ち上げられた。
  
inserted by FC2 system