とある魔術の禁書目録・外典
 
書いた人:U16
 
第8話
 
 上条家にオルソラと五和が居候するようになって6日。
 
 遂に上条達は男子寮を追い出される事になった。
 
 健全な男子学生寮である筈の所に、3人も少女を連れ込んでいれば当然、寮監にもバレる。
 
 むしろ、今まで良く保ったと褒めてあげたいくらいだ。
 
 とはいえ、このまま野宿をするわけにもいかないので、姫神達にはそれぞれ吹寄、風斬、小萌先生の元に世話になってもらっている。
 
 そして上条自身は、青髪ピアスの所にでも泊めてもらおうと思い、彼の下宿先であるパン屋にやって来たのだが……、
 
「って、おい!? 何故、人の顔を見るなり問答無用で閉め出しやがりますか!?」
 
 抗議する上条に対し、青髪ピアスはさも当然のように、
 
「あんね、カミやん。……自分がバチカンで僕に何したか憶えてる?
 
 どーせ、僕が気を失っとる間に、あのお姉さんとフラグ立てとんのや! 間違い無い!!」
 
「か、勝手な事言ってんな!? そうそう簡単にフラグなんて立つわけありませんの事よ!?」
 
「いーや、立つね。それが上条属性ってヤツですもん」
 
 しかも、このパン屋には彼の他にも下宿している女の子が居るのだ。
 
 一泊でも泊めれば、確実にフラグが成立する。
 
 これ以上、自分の周りの少女達がこの旗男の毒に浸食されるのだけは、何としても阻止しなければならない。
 
「つーわけやカミやん。悪いけど、これ以上粘るつもりなら、実力で排除させてもらうで」
 
 指の関節を鳴らしながら近づいてくる彼の表情は真剣なものだ。
 
 その後、小一時間ほど殴り合った挙げ句、家主であるパン屋さんが警備員に通報し、結局上条は逃げ出す事になった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……今日は漫画喫茶で一晩明かすかな」
 
 駅前の噴水に腰掛け、深々と溜息を吐き出すと、何故かその溜息が唱和する。
 
 何だ? と思って振り向いてみると、相手の方も同じ事を考えていたのか? 上条と目が合った。
 
 ──そこに居たのは一人の女性だ。
 
 何だか、全身から疲れたような雰囲気を発している女性。
 
 美人なのだが、何処か陰がある。……その風体から、何というか、残念美人という言葉がしっくりくる。
 
「えっと……、どうしました?」
 
 思わず、問い掛けてしまう上条。対する女性は、曖昧な笑みを浮かべ、
 
「いや……、少し問題を抱えていてね」
 
 よく見てみれば、女性の足下には上条と同じく鞄が置かれている。
 
「……もしかして、行く所が無いとか?」
 
 自分と似たような溜息、自分と似たような状況、自分と似たような表情などから推測し、問い掛けてみると、どうやら図星だったらしく、相手の女性は少し驚いたような顔をした後、力無い笑みを浮かべ、
 
「そんなに、困ったような表情をしていたかな?」
 
 手を頬に添え、顔の筋肉を解すように告げる。対する上条は、女性に代わって力の無い笑みを浮かべると、
 
「いや、何か俺と良く似た顔してたもんで」
 
「と、言うことは君も宿無しか」
 
「えぇ、まぁ……」
 
 そこで、二人の会話は途切れたのだが、まるで、そのタイミングを見計らっていたかのように、上条の携帯電話が着信を知らせる。
 
 携帯電話のディスプレイには土御門・元春の文字。
 
 上条は通話ボタンを押すと、
 
『にゃー、カミやん元気にホームレス高校生してる?』
 
「ホームレス言うな」
 
『まあまあ、そんなホームレスなカミやんに朗報ですよ?』
 
「……何だよ? 新しい家くれるとかだったら、上条さんこの場で踊り狂いますよ?」
 
『まあ、踊り狂うのは、引っ越してからでも手遅れではないと思うぜい』
 
 一瞬、土御門が何を言っているのか分からなかった。
 
 ゆっくりと彼の言っている言葉の意味が上条の頭に浸透していき、やがてそれを理解すると、
 
「ちょッ!? マジですか土御門さん!」
 
 混乱の余り、敬称で呼んでいる事にも気付かず、携帯電話に食らい付く。
 
『マジもマジ大マジだぜい。ただ、まあ一つ条件があるんだけどにゃー』
 
「……何だよ?」
 
 少し、嫌な予感がする。
 
『提供されるのは、新型の学生寮。そこのモニターって事で入れるから家賃はタダだけど、月に一回レポートを提出しなきゃならん』
 
「全然、お安い御用ですよ!?」
 
『部屋数は12。それを全部埋めるのも条件の一つだ。まあ、こっちの方は最終的に揃ってれば問題は無いらしい。
 
 一応、言っておくが、コミニケーション優先型って事で、バス、トイレ、キッチンは共有になってるにゃー』
 
「12人か。……俺と、姫神とオルソラと五和。それにインデックスでまずは5人って所だな」
 
 自身の現状を微塵も理解出来ていない級友に対し、土御門は電話の向こうで苦笑を浮かべつつ、
 
『じゃあ、寮の場所はメールに添付して送っておくにゃー。
 
 俺も現地の方に行くから、そこで鍵を手渡すぜい』
 
「おう、サンキュな土御門」
 
 通話を切り、上条は暫く考えた後、
 
「あの、お姉さん?」
 
「何か?」
 
 ぼー、と空を見上げていた女性に上条は思い切って声を掛けてみる。
 
「行くところが無かったら、一緒に来ませんか? 住む所は決まったんだけど、人数制限があるらしくて、手伝ってもらえると助かるんですけど」
 
 対する女性は驚いた顔で上条を見つめると、
 
「……それは正直助かるが、今現在の私は無職でお金とかも持っていないのだが」
 
「いや、新型の寮のモニターって事で家賃はタダだそうです」
 
「ちなみに、前科1犯でもあるのだが」
 
「あー……、そういう事なら、俺もバレてないだけで、結構な損害をそこら中に与えてるかも」
 
 例え、眼前の女性が銃を携帯していたとしても、その程度でどうにかなるような少女達ではないし、上条自身、荷物の中に様々な銃器や爆薬などを持ち歩いている。
 
 上条としては、その程度の考えで言ったのだが、眼前の女性からしてみれば前科者でさえ恐れた様子の無い上条の底の深さに驚いたのか? 変わった者を見るような眼差しで彼を見つめた後、暫く考えていたようだが、やがて噴水から立ち上がると上条に向けて手を差し出し、
 
「木山・春生。元は大脳生理学の研究者で、専攻はAIM拡散力場だった。
 
 ……まあ、今となっては、なんの関係も無い話だが。後、敬語はいい。どうも、君の敬語は使い慣れていないような感がある」
 
「まあ、そう言ってもらえると助かるかな?」
 
 その後、上条も自己紹介して木山と二人で土御門に教えてもらった住所に向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 上条の新たな家となる寮は、幸いな事に第7学区内にあり、上条の通う高校とさして離れていない距離に建っていた。
 
 ただ、近くにスーパーや商店街などは無く、必ずしも立地条件が良いとは言えないが、それでも買い物ならば学校帰りに済ませれば事足りる。
 
 上条達が件の寮に到着した時には、既に土御門は到着しており、彼は開口一番、満面の笑みでこうのたまった。
 
「死ね、貴様」
 
「いきなりそれか!? つーか、流石の上条さんもいきなり殺人予告される謂われはねぇですよ!?」
 
「やかましい!? 人が仏心出して新しい住処用意してやったと思ったら、いきなり新しい女連れ込むとは良い度胸だにゃー!!」
 
 問答無用で上条に飛びかかり、彼の首をヘッドロックで極める。
 
「……気を付けろカミやん。この寮を手配したのは、実質的にはアレイスターだ。
 
 何を仕掛けてるかは分からないが、用心していけ」
 
 顔が近づいた瞬間に、小声で囁く土御門に、無言のまま頷く上条。
 
 本来ならば、「そんな物件紹介すんな!」と言いたい所だが、土御門にも立場というものがあるし、住む所が無くて上条が困っていたのも事実だ。
 
 取り敢えず土御門は上条を手放すと彼の手に12枚のカードを押し付け、
 
「そんじゃ、土御門さんはこれで失礼するので、カミやんは地獄を味わいなされー♪」
 
 そう言い残し、踊るように帰って行った。
 
「……地獄ってのは、どういう意味だ?」
 
 小首を傾げる上条だったが、その理由は5分後に理解出来た。
 
 手に荷物を持った少女達が大挙して押し寄せて来たのだ。
 
 姫神、オルソラ、五和と言った旧上条家居候の面子は良いとして、吹寄、風斬のソリューションメンバー、インデックスと小萌先生に加え、更には御坂妹の姿まである。
 
 これに上条と木山を入れれば総員10名の大所帯の完成だ。
 
「……一気に殆どの部屋が埋まったなぁ」
 
 まだ上条が連絡を入れていないので、恐らく土御門が気を利かせてくれたのだろう。
 
 少女達は上条の傍らに見知らぬ女性を見つけると、憤怒の表情で彼に迫り、
 
「さて貴様、そこの女性が誰なのか? キリキリ吐いてもらいましょうか?」
 
 皆を代表し、吹寄が上条の胸ぐらを掴み上げる。
 
 対する上条は、何故皆がこんなに怒っているのか? 理解出来ず混乱の極みにあったが、辛うじて木山との出会いから、彼女を誘った理由までを説明し、深い溜息と共に漸く解放してもらった。
 
 少女達は互いに無言であるが、それでも視線はこれでもか、と語っている。──すなわち、「またやりやがったか」と。
 
「いやいやいやいや、上条さん、良いことした筈なのに、どうしてそんな攻められるような眼差しで睨まれますか!?」
 
「誰も。攻めてはいない。……ただ。節操が無いと思っただけ」
 
 今度は姫神が皆を代表して、心境を吐露してくれた。
 
 ともかく、彼女達も多かれ少なかれ、上条に助けてもらった者達ばかりだ。新たに助けられた人が増えた所で、その人物を排斥しようとは思うような真似はしない。
 
 だが、当の本人である木山は訝しげな表情で御坂妹に見つめ、
 
「君は、御坂・美琴……の、クローンの方か」
 
「ご存じなのですか?」
 
「直接は関わっていないが、計画については色々とね。
 
 それに、君のオリジナルとも少々因縁があってね」
 
 “幻想御手”という、能力者のレベルを上げる装置を巡り、木山はかつて御坂・美琴と争った事がある。
 
「ふーん。
 
 ……どうでも良いから、先に引っ越しだけ済ませちまおうぜ。引っ越し蕎麦とかも作りたいし」
 
 例え、彼女達の間にどれだけの因縁があろうと、関係ないとばかりに上条は己の荷物を肩に担いで入り口に向かうが、玄関の前で立ち止まると木山の方へと振り向き、
 
「今更、そんな因縁があるから此処には住めないとかいう話は上条さん受付ませんから悪しからず」
 
 それだけ言って、玄関横のカードリーダに土御門から渡されたカードを通し開錠して、
 
「……部屋割は早い者勝ちですよ?」
 
 それだけ言って、真っ先に寮へと飛び込んだ。
 
 直後、少女達も我先にと争うように玄関に押し寄せる。彼女達の目標は、上条の隣の部屋だ。
 
 少しでも競争率を下げる為、上条には悪いが隅部屋だけは回避してもらわねばなるまい。
 
 僅か1分にも満たない時間で、玄関前に取り残されたのは、木山と小萌先生の二人だけになってしまった。
 
 呆然とする木山に対し、小萌先生は自らの生徒を誇るように、
 
「どうですかー? 皆、良い子達ばかりでしょう」
 
「えぇ、本当に良い子達のようだ」
 
 ──だからこそ、大人の勝手な都合で、彼らを巻き込みたくないと思う。
 
 ……守ろう。
 
 今度こそ、道を間違える事なく。居場所を与えてくれたこの子達を。
 
 決意すれば後は早い。
 
 まずやるべき事を考える。
 
「取り敢えずは、引っ越しか」
 
「えぇ、その後は引っ越し蕎麦で、お蕎麦パーティーですよー」
 
 嬉しそうに告げる小萌先生を見て頷き、
 
「所で、彼らとはどういう関係なのかな?」
 
 膝を折り、目線を小萌先生と合わせ年下の子供に問い掛けるようにして聞いてみる。
 
 その後、上条達の協力を得ても木山に小萌先生が上条達の担任教師である事を納得させるのに3時間もの時間を必要とした。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 上条達が暢気に蕎麦パーティーなどを開いている間にも、一つの事件が起こっていた。
 
 かつて衛生軌道上に浮いていた学園都市の頭脳とも言うべき世界最高のシミュレートマシン“樹形図の設計者”。
 
 それは夏休み開始直後に起こったとある事件のとばっちりを受けて破壊された。
 
 しかし、その残骸の中にあってなお莫大な情報を有したスーパーコンピューターの演算中枢を巡って、ここ学園都市で壮絶な争奪戦が行われていたのだ。
 
 紆余曲折の末、現在演算中枢を入れたキャリーケースは、一人の少女の手元にある。
 
 少女の名は結標・淡希。瞬間移動よりも遙かに汎用性の高い座標移動と呼ばれる能力を使いこなすレベル4の能力者だ。
 
 彼女が現在担っている任務は、このキャリーケースを学園都市の外にある組織まで運搬する事なのだが、運の悪いことに風紀委員の妨害にあってしまった。
 
 彼女と相対する風紀委員は茶色の髪をツインテールに纏めた少女、白井・黒子。
 
 折しも、結標と同じく瞬間移動能力者同士の対決となっていた。……のだが、
 
「がっ……!?」
 
 白井の肩にワインのコルク抜きが撃ち込まれる。
 
 否、正確には撃ち込まれたのではなく、そこに瞬間移動させられたのだ。
 
 初めて対決する同系統の能力者に対し、最初、何が起きたのかを理解出来ないで居た白井だが、すぐにそれが瞬間移動させられた物であると理解し気丈にも歯を食いしばって痛みに耐えながらも相手の顔を睨み付ける。
 
 そこに居たのは、霧ヶ丘女学院の冬服を羽織った少女だ。
 
 但し、そのブレザーの下は裸同然の格好で、胸を隠すように薄いピンクの布をさらしのように巻いているだけ、下は膝上のスカートで、小さな金属板を幾つも繋げたベルトを巻き、そこに警棒としても使える軍用ライトがぶら下げられている。
 
 キャリーケースに腰掛けたまま、結標は余裕の態度で白井を見下すように口を開く。
 
「私の力は“座標移動”と言った所かしら。不出来な貴女と違ってね、私の移動は、いちいち物体を手で触れる必要なんてないんだから。どう、素晴らしいでしょ?」
 
 しかし、彼女の余裕もそこまでだった。
 
 次の瞬間には、結標が腰を下ろしていたキャリーケースが何の前触れも無く吹っ飛んだ。
 
 結標が何かをしたわけではない。そして勿論、白井が何をしたわけでもない。
 
 宙を舞うキャリーケースの土手っ腹には大きく12.7mm弾の痕跡が見てとれた。
 
 そして間髪入れず、キャリーケースにフルオートで叩き込まれる弾丸。
 
 それも一カ所からだけではない。少なくとも10カ所以上、合計100発以上もの対戦車ライフルの徹甲弾を受け、キャリーケースの外装は砕け散り、中の対衝撃素材も引き千切られ、厳重に固定されていた筈の中身にも銃弾が撃ち込まれる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 それを成した人物の内の一人は、2q先に建つビルの上に居た。
 
 弾倉の中にあった全ての弾丸を撃ち終わった彼女は細く長い息を吐き出し、狙撃に使用したメタルイーターMXに取り付けられたスコープ越しに状況を観察しながら念のためにマガジンを交換する。
 
 その間に彼女の傍らに居た観測手の少女が双眼鏡越しに現場の確認をしながら、頭に装着されたインカムから伸びるフォンマイクに向け、
 
「こちらミサカ208号、キャリーケースの中身を確認。予測通り樹形図の設計者の演算中枢と確認しました。
 
 作戦の第二段階への進行を告げます。と宣言します」
 
 答えは僅かな間を置いて返ってくる。
 
『チッ、面倒臭ェ。……何で俺がこンな事を』
 
 不平タラタラであるが、彼女が覗くスコープには助っ人が即座に行動を開始した様子が見てとれた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 咄嗟に能力を使用する事も忘れ、結標は宙を舞う演算中枢に手を伸ばすが、彼女の手が演算中枢に届くより早く上空から飛来した何かによって、演算中枢は粉々に打ち砕かれてしまう。
 
 突然やって来た乱入者の足下に散らばる演算中枢の残骸を前に呆然としていた結標だが、任務を妨害してくれた人物に対し、沸々と殺意が沸き上がってくるのを自覚した。
 
 ゆっくりと視線を上げ、件の人物の顔を拝み、その真ん中にコルク抜きをぶち込んでやろうとして、結標の時は停まる。
 
「あのクソガキ、結局あのクローン共にはダダ漏れじゃねェか!?」
 
 そこに居たのは白髪紅眼の線の細い少年。本名不明の学園都市最強、一方通行だ。
 
 彼は妹達から、件の一件(4話参照)を面白可笑しく脚色して学園都市中にバラ撒かれたくなかったら協力しろ。と脅迫同然のお誘いを受けてこうして借り出されのだ。正直、まったくもって面白くない。
 
 まあ実際の所、上条達には、その面白可笑しく脚色された方が事実として伝わっているので手遅れなのだが……。
 
 ともあれ、現在の状況は一方通行にとって、非常に面白く無い。
 
 せめて、八つ当たり出来る相手である事を願って、こうしてやって来たのだが、彼を待っていたのは、
 
「クソッ!? よりにもよって三下じゃねェか! 瞬殺で終わっちまうぞ!?」
 
 そこで初めて一方通行は結標を視界に入れる。
 
「ヒッ!?」
 
 視線が合っただけで、短い悲鳴を挙げ、思わず後ずさる結標。
 
 ……な、何でコイツが!? む、無理よ! こんな化け物とまともにやり合える筈なんて無いでしょ!? に、逃げないと──!!
 
「せめて、十秒は保たせろよ? 三下」
 
 つまらなそうに告げ、何気ない仕草で傍らに建つビルに手を伸ばす。
 
 それだけでビルという建築物は、凶器に成り代わり、結標に向けて牙を剥く。
 
 窓という窓が砕け散り、ガラスの雨となって降り注ぐ。
 
 自身さえもその攻撃範囲に入っているのだが、一方通行は構わない。
 
 かつて、実験によって得たトラウマにより、本来結標は自身の身体を転移させる事を極端に嫌うが、流石にこれはそんな事を言っていられる程余裕が無い。
 
 仕方なく転移を決意せざるを得ない結標、……彼女が転移する先はガラスの雨の向こう側だ。
 
 本来ならば一秒でも早くこの場を離れたかったのだが、咄嗟の事で、ここ位しか場所が思いつかなかった。
 
 しかし、次の瞬間、結標は同じ様に空中に転移していた白井と眼が合い背筋に冷や汗を流す。
 
「お返ししますわ。私、ワインを嗜む趣味はまだございませんの」
 
 挑戦的な笑みを浮かべて肩に突き刺さるコルク抜きに手を添える白井。
 
 刹那の後、そのコルク抜きは結標の肩……、それも白井の肩と寸分違わぬ箇所に突き刺さっていた。
 
「グッ、ぎぃ……!?」
 
 痛みで、一瞬頭が真っ白になる。
 
 計算式が立ち上げられず、もたついた一瞬の隙をついて、一方通行がガラスの雨の中を平然とかいくぐって結標の眼前にまで押し迫っていた。
 
「人体の跳躍世界記録が幾つか知ってるか?」
 
 眼を見開き、結標は一方通行の壮絶な笑みを見る。
 
「まあ、知らなくても関係ねェわな。……これからテメェが実際に、記録を更新するンだからよォ!!」
 
 一方通行の拳が結標の顔面に突き刺さり、彼女の身体は大きな放物線を描いて飛んで行った。
 
 それを見送る事すらせず、落下中の一方通行はつまらなそうに舌打ちし、
 
「クソ、暇潰しにもなりゃしねェ」
 
 そう毒づいた。
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 一方通行により、遙か彼方へと飛ばされた結標はというと……、いち早く落下予測地点に到達していた白井の手により、無事救助されていた。
 
 気を失って落下している結標の元へテレポートした白井は、彼女を抱えたまま近くのビルの屋上へと再度テレポートする。
 
 そして、結標をこんな所にまでぶっ飛ばした原因である一方通行の居る方角を見つめ、
 
「……同じレベル5でも、お姉様とは全く毛色が違うのですのね」
 
 敵ですら救おうとする美琴に対し、一方通行は、敵に対しては容赦しない。
 
 と、白井は思ったが、実際の所、コレでも殺さないよう、極力手加減をしているのだ。
 
 もし、彼が本気で結標を殺そうとしていた場合、最初の一撃で原型を留めない程に破壊する事さえ可能だった筈である。
 
 ……もっとも、その事を理解しているのは、ホンの一握りの人物だけであるし、一方通行自身、理解されようとも思っていないのだが。
 
 ともあれ、結標の無事を双眼鏡越しに確認したミサカはひとまずの安堵の吐息を吐き出すと、
 
「これにて、作戦の完了を宣言します。一方通行もお疲れさまでした。と、ミサカは一応表面上だけは労っておきます」
 
 対して、一方通行からの返事は無い。彼は既に撤収を決め込み帰り道にあるコンビニで缶コーヒーを調達した所だ。
 
「それにしても……、厄介な事をしようとしてくれたものです。とミサカは誰にとはなく愚痴ってみます」
 
「まったくです。と、ミサカも同意します」
 
 溜息混じりに告げるミサカに観測手を務めていたミサカが相づちを打つ。
 
 もし、演算中枢を復元され、新たな樹形図の設計者を完成させられていれば、そこで彼女達を使用した新たな計画でも立案されていたかもしれない。
 
 そうなれば彼女達の抱く野望……、公然と上条・当麻の子供を授かるという 計画が潰えてしまう所だった。
 
「それだけは、どんな手段を用いたとしても断固阻止します。と、ミサカは決意を新たにしてみます」
 
 口に出して宣言すると、19999人の妹達からミサカネットワークを通じて、一斉に肯定の返事が返ってきた。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 所変わって、上条ハーレム御殿(仮)。
 
 結局、インデックスが最新鋭の機器を使いこなせず、小萌先生の部屋に居候する事になった以外は特にトラブルも無く引っ越しは終了した。
 
 ちなみに、この寮は二階建ての建物で、各個人の部屋は主に二階に集中しており、一階には皆が集えるリビングにダイニングと一体化したキッチン、大浴場に物置などが配置されている。
 
 引っ越しの後、行われたのは、引っ越し蕎麦パーティーという名目のフリーダム立ち食い蕎麦だ。
 
 これは立食パーティー風に、蕎麦を満たした丼の上に好きな具材を乗せて食べるという物で、腹ぺこシスターが蕎麦1本残さず全て平らげてくれた。
 
 食後は、オルソラが作ってくれたデザートに舌鼓を打ちつつ、各自リビングでくつろぎつつ今後の予定を話し合い、小萌先生が木山から教員資格を持っている事を聞き出して、上条の学校に教職の空きがないか? 聞いてくるという事で落ち着いた。
 
 他には何か仕事が無いか? と聞いてくるオルソラに対し、ミサカが近くの保育園で保母さんのアルバイトを募集している事を教えたり、魔術師という特性上、学園都市の学校に通う事の出来ない五和が、皆が居ない間の家事を買って出たり、朝夕の食事当番や風呂掃除、ゴミ出しなどの各当番を曜日毎に決めていったりして、その日は過ぎていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そして、翌日の放課後。
 
 長い黒髪に大きな花の髪飾り、それに常盤台などとは違い特に特徴の無い普通の中学校の制服……、白いブラウスに黒のスカートのセーラー服を着た少女、佐天・涙子は疲れたような溜息を吐きながら歩いていた。
 
 現在は、能力の補習を終えた帰り道。
 
 かつて幻想御手事件を経て、親友である初春から能力の有る無しに関係無く、自分は大事な親友であると言い聞かされて吹っ切れたものの、やはりこうも補習が続くと鬱になってくる。
 
「……はぁ、御坂さんはレベル1から努力でレベル5にまでなったって聞いたけど、こればっかりはホント努力でどうこう出来る問題じゃ無いような気がしてきた」
 
 落ち込み、疲れた足を引きずるように歩く佐天の前に、偶然通りがかったのは常盤台のレベル5、御坂・美琴だった。
 
「あれ? 佐天さんじゃない。……どうしたの? そんな疲れた顔で」
 
 佐天を気遣うように告げる美琴。対する佐天は疲れ切った顔にぎこちない笑みを浮かべると、
 
「み、御坂さーん……!!」
 
 彼女に甘えるように抱きついた。
 
「え? ちょ、ちょっと、佐天さん!?」
 
 いきなりの抱擁に戸惑う美琴。
 
 周囲からは女の子同士の抱擁という事で、奇異な視線を送られるのを感じながら、美琴は佐天を宥め落ち着かせて、近くの公園に連れて行き、そこでベンチに座らせてから事情を聞き出した。
 
「……なるほど。それで、自分に自信が無くなってきたと」
 
「はい……。初春に励まされて、吹っ切ったと思ったんですけど、数値にして駄目出し喰らうと、やっぱりへこんじゃって」
 
 力無い笑みを浮かべながら告白する佐天。
 
 対する美琴は、何とか励まそうとするが、自分の体験談を語った所で、どうしても上から目線にしかならない事を知っている。
 
 僅かに思い悩み、出した結論は、
 
「……そうね、やっぱりアイツしかないのかしら」
 
 正直、また余計なフラグを立てられるようで気乗りはしないが、このまま佐天を放っておくよりは、何もしなくても増えるフラグを追加する方が遙かに気が楽だと判断。
 
「あのね、佐天さん。一方通行って知ってる?」
 
 暫く考えた佐天は、小さく口を開き、
 
「えっと交通ルールの事ですか? それとも……」
 
 まるで、口にするのも憚れるという様子で、恐る恐る言葉にしてみる。
 
「学園都市最強の能力者の事ですか?」
 
 噂くらいは聞いた事がある。皮膚に触れた全てのベクトルを操作するという学園都市最強の能力者。
 
「うん。その学園都市最強の方」
 
 美琴があっさりと肯定した事で、彼女が何を言うつもりなのか? と息を呑む佐天。
 
「これは一応、機密事項になってるみたいなんだけどね? 何ヶ月か前に、一方通行がレベル0相手に負けたの。
 
 勿論、お遊びとかじゃなくて、お互い本気の殺し合いでね」
 
「……え?」
 
 一瞬、美琴が何を言っているのか? 分からなかった。だが、彼女の言っている事をゆっくりと脳が理解すると佐天は素っ頓狂な声を挙げ、
 
「う、嘘ですよ!? そんな事出来るわけ……」
 
 しかし、一時期そんな噂が流れていた事を思い出し、まさかと思い直す。
 
「本当よ。私が知ったのは、全てが終わってからだったけど……、そいつは何の武器も持たない、拳一つで一方通行を倒したらしいわ」
 
「…………」
 
 未だ信じられないという眼差しで美琴を見つめる佐天に対し、彼女は苦笑いを浮かべ、
 
「オマケにそいつは学園都市の2位から4位までも軽くあしらってる」
 
「2位から4位って……、まさか御坂さんも?」
 
「んー……、私の場合は、私が一方的に突っ掛かってるだけで、何時も適当にあしらわれてるって感じなんだけどね」
 
 言いながら、ムカついてきたのか? 眉根が寄ってくるが、必死にそれを抑制する美琴。
 
「レベルが低くてもレベル5の連中と張り合う事が出来るような奴も居る。別に能力の強さだけがその人の全てってわけじゃない。それ以外で勝負しても良い。
 
 別にレベル低いままでも良いじゃない。佐天さんは佐天さんのままで頑張れば」
 
 そんな美琴の励ましを受け、佐天は改めて考えさせられた。
 
 ……そうなんだ。
 
 学園都市に居ると忘れがちだが、別に、世の中能力だけが全てというわけではない。
 
 学園都市の外の世界の人達は能力など使えもしないし、例え能力が使えなくても普通に生活出来る。
 
 このまま必死になって能力を上げる事を心掛けるのも良いだろう。だが、もっと勉強して将来の選択の幅を広げるという生き方も有りなのだ。
 
 そう結論すると、佐天の心は不思議なほど気楽になった。
 
 美琴は言ってから、どうも上から目線かな? と思ったりしたが、どうも効果はあったらしく、佐天は自分の頬を自分で叩いて気合いを入れると勢いをつけてベンチから立ち上がり、
 
「ありがとうございました! お陰で、何だか吹っ切れたような気がします」
 
 深々と頭を下げて礼を述べると、踵を返して駆け出して行く。
 
 それを見送った美琴は、佐天の姿が消えるのを見計らってから小さく溜息を吐き出し、
 
「……まさか、あのバカと鉢合わせたりしないわよね?」
 
 もし、彼女が何らかのトラブルに見舞われている時に、彼が助けに入ったりすれば、確実にフラグを成立させる。
 
 普通ならば、決して有り得ないような確率なのだが、その不可能を可能にするのが件の旗男であり、4桁単位のフラグの女神に愛されている彼は、そのフラグを無自覚の内に回収する運命を持っていた。 
 
     
 
 
 
 
 
 
 
 
 補習と美琴との会話のお陰ですっか遅くなってしまった佐天は、携帯電話で時間を確認すると、このままでは寮の門限に間に合わないと判断。
 
 近道する為に、普段は余り通らない路地裏へと足を踏み入れた。
 
 そして、5分も走らない内に自分が来ては行けない場所に来てしまった事を理解する。
 
 そこに居たのは、柄の悪そうな三人組の男達だ。
 
 佐天の存在に気付いた男達は下卑た笑みを浮かべながら、素早く彼女の逃げ道を塞ぐように取り囲む。
 
「あ、あの……、そこを通してもらいたいんですけど……」
 
 得体の知れない恐怖の為、声が尻窄みになっていく佐天。
 
 対する男達は笑みを崩す事無く、
 
「悪りぃな嬢ちゃん。此処を通りたけりゃ、通行両払って貰わねぇとなぁ」
 
 言いながら佐天との距離をジワジワと詰めてくる男達。
 
 何とか隙をみて逃げようとする佐天だが、彼女が一歩を踏み出すよりも早く、男の中の一人が放った火の玉が彼女の足下で爆発し、佐天は驚いて尻餅を着いてしまう。
 
 男達は唯のスキルアウトではなく、無能力者達をいたぶって楽しむ無能力者狩りだ。
 
 スキルアウトからも疎まれているような彼らだが、悔しいかな徒党を組む無能力者狩りは彼らの倍以上の人数で、余程上手く連携を取らないと相手にならない。
 
「あ……ッ」
 
 尻餅を着いたままの姿勢でゆっくりと後ずさる佐天だが、すぐ背後から迫る無能力者狩りによって捕まってしまう。
 
「自分からやって来るとはアレだな? こいつは誘ってるって事だな?」
 
「違ぇねぇや」
 
「つーかよ。もっと嫌がってくれた方がそそらね?」
 
 言って、佐天の背後に居た男が、強引に彼女の制服の上着を引き裂いた。
 
「い、いやぁ──!?」
 
 悲鳴を挙げ、持っていた鞄を捨てて、腕で胸元を隠そうとするが、その腕はすぐに背後に立っていた男によって掴まれてしまう。
 
 男はそのまま佐天のスカートをまさぐり、ポケットの中から携帯電話を見つけるとそれを地面に落として踏み砕く。
 
「これで、助けも呼べません。っと」
 
「へへへ……、じゃあまずは邪魔なもんから剥いてくか」
 
 男の一人がポケットからナイフを取り出し舌舐めずりする。
 
「いやいや、着たままの方がそそらね?」
 
「何処までドSなんだよ、お前」
 
 口々に勝手な事を言いながら笑い合う男達。
 
 その内、先程火球を飛ばした男が指先に新たな火球を作り出し、
 
「取り敢えず、逃げらんねぇように、足焼いとくか?」
 
 返事も待たずに佐天に向けて火球を飛ばした。
 
「ヒッ!?」
 
 恐怖に身体を強張らせ、強く眼を閉じる佐天。
 
 しかし、待ち構えていたような痛みや熱さも、何時まで待ってもやって来ない。
 
 代わりに自分の手を拘束していた男から力が抜けて、解放されるのを自覚し、そこでようやく瞼を開いた。
 
 そこに居たのは学校の制服を着た高校生らしい一人の少年だ。
 
 髪をツンツンに逆立たせた以外、特にこれといった特徴は無いが、少年は佐天を守るように立ち塞がり、彼の足の片方は彼女の頭上を伸びて背後から佐天を拘束していた男の顔に突き刺さっている。
 
 少年が足を戻すのと同時、既に意識を失っていた背後の男がゆっくりと倒れ伏す。
 
「ったく、こっちは補習で出来もしないコロンブスの卵やらされて頭痛いってーのに、何事だっつーの!?
 
 今の上条さんは物凄く機嫌が悪いですよ!」
 
 言うが早いか、引き戻した足が発火能力者の側頭部に的確にヒットし、意識を飛ばした。
 
「な、何者だ!? テメェ」
 
「通りすがりのレベル0だよ!」
 
 言いながら、男の放つ雷撃を右手であっさりと打ち消す。
 
 ……この威力なら、妹の方と同程度の能力者。レベル3って所か。
 
 そんな事を考えながら、少年は呆れの混じった溜息を吐き出す。
 
「全部潰したと思ってたのに、未だに無能力者狩りなんてダサい真似しやがって……。
 
 何も知らないんなら教えてやる!」
 
 獰猛な笑みを浮かべ、少年……、上条・当麻は告げる。
 
「テメェらはレベル0には何の力も無いと思ってるかも知れないだろうけどなぁ!
 
 レベル0にも、テメェらを殴る拳も、蹴り飛ばす脚も、噛み付く為の歯も付いてんだ!
 
 ──何時までも一方的に狩りをする側だと思ってんじゃねぇ!!」
 
「ヒッ! ヒィ!?」
 
 一気に距離を詰めた上条の拳が、男の顔面に叩き込まれ、二度、三度と路地裏をバウンドし意識を手放した。
 
 男達の意識が完全に無い事を確認した上条は残心を解き、ズボンのポケットから携帯電話を取り出すと、近くの警備員の詰め所に連絡。
 
 それから、未だに腰を抜かしている佐天の元に歩み寄り、
 
「……と、大丈夫か? 怪我とかしてないか?」
 
 上半身を露出させたままの佐天に気付いて、自分のカッターシャツを脱いで、彼女の肩に羽織らせようとした所で、ようやく安堵したのか? 佐天が上条にしがみついてきた。
 
「う、うぁ……、わぁあああッ──!!」
 
 助かった事を自覚し、号泣する佐天。
 
 上条はそんな少女の頭を優しく撫で、
 
「良く頑張ったな。もう大丈夫だ」
 
 その一言で安堵したのか? 佐天も意識を手放してしまう。
 
 どうしたものか? と途方にくれた上条だが、このまま現場に居たら、佐天に余りよろしくない噂が立つ事を配慮し、そのまま自分の寮に連れて帰る事にした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 気を失い、半裸に上条のカッターシャツを着た佐天を彼がおぶって帰ってきた瞬間、少女達は呆れ顔で上条を見つめた後、
 
「大方、路地裏辺りで、乱暴されそうになっていたその娘を助けたのはいいけど、気を失われたんで何処に連れて行けば良いのか分からなくて、取り敢えず連れて帰ってきた。って所かしら?」
 
「まったくもって、その通りでございます」
 
 的確に状況を当ててみせた吹寄に、何故か上条は頭を下げつつ、佐天をリビングのソファーに横たえる。
 
「おや? この娘は確か……」
 
「お知り合いですか?」
 
 佐天に反応したのは、リビングで何やら難しい論文を読んでいた木山だ。
 
 木山は風斬の問い掛けに対し、小さく頷くと、
 
「以前、私が起こした事件の被害者の一人だ。……確か、名前は佐天・涙子」
 
 喫茶店で奢った覚えがある。……その後、濡れたストッキングを脱ごうとして何故か白井と一緒になって怒られたが。
 
 オルソラが持ってきた濡れタオルを絞って佐天の額に乗せる。
 
「それで? どうしてこの娘がここに?」
 
 問い掛ける木山に、上条が事情を説明していると、佐天が眼を覚ました。
 
「う……ん……。ここは?」
 
 うっすらと開いた視界に、柔らかい光を放つ間接照明が見える。
 
「ん? 気が付いたか?」
 
 声を掛けられて慌てて振り向き、そこで初めて上条の存在に気付いた佐天は、自分の身の上に何が起こったのかを理解し、再度恐怖に捕らわれそうになる。
 
「わ、私……」
 
「あぁ、怖かったな。……でも、もう大丈夫だ」
 
 そんな彼女を落ち着かせるように、上条はそっと頭を撫でてやる。
 
 普段ならば、照れが入って決してこのような行為はしないくせに、こんな時に限って、この男は羞恥心という言葉を忘れ、相手の安堵を優先させるような行為を平然とやってのけ、後から思い出して悶絶するのだ。
 
 しかも、質の悪い事に、その行為によって馴れ馴れしいとか、嫌われたと錯覚して、勝手に落ち込むのだ。実際はその真逆であるにも関わらず。
 
 まったくもって、救いようの無いこと、この上ない。
 
「まずは暖かい飲み物など如何でしょうか?」
 
 そんな二人に割り込むように、ホットミルクを携えて現れたのは、独自のマイペース空間を常時展開しているオルソラだ。
 
 そんな彼女の登場に、少女達は内心で称賛の拍手を送り、ここぞとばかりに会話に侵入する。
 
「怪我とかは大丈夫? 一応、科学的な治療(姫神)と中国5千年の神秘(吹寄)と怪しげなお呪い(五和)でかすり傷一つ残さないように治療出来るけど」
 
「あ、怪しげなお呪い……」
 
 吹寄の台詞に、地味に落ち込む五和。
 
「それは職業差別なんだよ!」
 
 猛然と抗議しようとするインデックスをオルソラが抑え付る。
 
「あ、あの……。ところで、ここは何処なんですか?」
 
 ようやく落ち着きを取り戻した佐天が口を開き、その質問に姫神が答えた。
 
「上条ハーレム御殿(仮)」
 
「待て待て待て待て!? 何だその怪しげな名前は!?」
 
 我が意を得たりと頷く少女達に対し、抗議の叫びを挙げるのは上条だ。
 
 まるで心外だとばかりに抗いの声を挙げるも、この寮に住んでいる住人の内、男性は彼一人。端から見れば上条の言い分は決して通らない。
 
「冗談はさておき、ここは新型の寮のモデルハウスだ。私達は、試験的にここに住まわせてもらっている」
 
 真面目な声色で答えたのは木山。
 
 そのまま彼女は佐天に向けて頭を下げ、
 
「君には……、いや君達には随分と迷惑を掛けた。本当にすまない」
 
 これに対し慌てたのは佐天だ。
 
 木山が幻想御手をバラ撒いた理由は、美琴を通して既に説明を受けている。
 
 その方法はどうあれ、彼女もまた学園都市の理不尽と戦おうとしていたのを知っている以上、一概に木山を非難する事が出来ない。
 
「あの……、頭を上げてください木山先生。あの事件は私、教訓だと思ってますから」
 
「…………」
 
 事件の当事者同士の問題とあっては、上条達が迂闊に口を出すわけにもいかず、推移を見守り続けるしかない。
 
「楽して能力のレベルを上げようなんて、そもそも考えちゃいけなかったんです。
 
 やるなら、正々堂々、自分の力で努力してこそ意味があるって教えられました」
 
 ……それに、と佐天は御坂妹の方を一瞬見て、
 
「例えレベル0でも、レベル5の人に抗う方法があるだって教えてもらいました。
 
 能力だけが人間の優劣を決めるものなんじゃないって……」
 
 彼女は恐らくミサカの事を美琴と勘違いしているのだろう。だが、彼女の口調から美琴が佐天を真摯に励ました事が理解出来る。
 
「それと……」
 
 今度は視線を上条に向けて頭を下げ、
 
「ありがとうございます。お陰で助かりました」
 
 上条こそが、美琴の言っていたあの一方通行に勝ったレベル0であると、薄々ではあるが感じとっていた。
 
「別に良いって。俺も偶々通り掛かっただけだし」
 
 美琴だけでは無い。彼にも色々と教えられた。
 
 ……そうなんだ。
 
 佐天は自分の華奢な手を見る。
 
 ……レベル0の私だって抗う為の手も足もある。本当にいけないのは、無能力者だからって、諦める事なんだ。
 
 勿論、自分に高位能力者相手に喧嘩が出来るとは思わない。だが、別の方法で世界の理不尽に立ち向かう方法がある筈だ。
 
 決意すれば、行動を起こすのは容易い。
 
 ……だが、その前に一つ確かめておかなければならない事がある。
 
「ところで、周りの人達は彼女さんなんですか?」
 
 緊張を悟られないよう、自然な感じで問い掛けてみる。
 
 対する上条は何故か落ち込み、その場にしゃがんで、
 
「ううう……、年齢=彼女居ない歴の男には辛い質問です」
 
 上条的には、少なくとも彼女達には慕われているとは思っているが、慕われ過ぎて男として見てもらえていないとも思っている。
 
 なので、大胆にアプローチしてみても、からかわれていると思われ、余り効果が無いのだ。
 
 大きな溜息を吐き出す少女達を見て、おおよその事情を察した佐天は、自分にもまだチャンスはあると判断し、密かに笑みを浮かべる。
 
 俄然やる気を取り戻した佐天は、ソファーから立ち上がり、自分の寮に帰ろうとするが、それを押し留めるように待ったを掛けたのは小萌先生だ。
 
「今日はもう遅いですし、泊まっていってはどうですかー? 寮の門限も、もう過ぎているでしょうし。
 
 部屋ならまだ3部屋も空いているので、なんの問題もありませんし」
 
 基本的な家具や布団などは、各部屋毎に最初から備え付けられている。
 
 僅かに考えた佐天だが、結局小萌先生の好意に甘えて、泊めてもらう事にした。
 
 ……したのだが、年若い少女が一晩帰って来なかった場合、どんな噂が立つ事になるか? 流石の小萌先生もそこまで見通す事は出来ずにいた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 明けて翌朝。
 
 登校すると同時、佐天は仲の良い少女達に取り囲まれてしまった。
 
「佐天さんッ!?」
 
 親友である初春・飾利が佐天の両肩を力一杯掴み、
 
「昨日は一体、何処に行ってたんですか!? 電話しても出ないし、何時まで待っても帰って来ないし、本当に心配したんですよ!!」
 
 よく見れば、初春の目の下には濃いクマがある。
 
 佐天は初春の気迫に押されるように、たじろぎながら、
 
「ご、ゴメン……。ちょっと、トラブルに巻き込まれて、携帯も壊されちゃってさ」
 
「トラブル?」
 
「うん」 
 
 掻い摘んで、昨日の放課後に起こった事を話す。
 
 能力の補習と美琴と話していて、帰りが遅くなった事。
 
 近道しようとして、妙な奴等に絡まれた事。
 
 危うく襲われそうになった時、一人の少年が助けてくれた事。
 
 安心して、気を失った自分を、少年が自分の寮に運んでくれた事。
 
 目が覚めた時には、既に門限が過ぎてきたので、そのまま寮に泊めてもらった事。
 
「と、泊めてもらったぁ!?」
 
 その言葉に反応し、他のクラスメイト達が一気に詰め寄る。
 
「最後まで行ったの? いや、当然行ったんでしょ!?」
 
「うわぁ!? ルイコに先越された──ッ!!」
 
「……私も彼氏欲しい」
 
 もはや、佐天を心配している者など一人も居ない。
 
 ここに居るのは耳年増な野次馬達だけだ。
 
「う、うわ……、ちょ、ちょっと……。初春助け……」
 
 暴走する級友達から助けて貰おうと、初春に視線を向け、後悔した。
 
 そこに居たのは、これまで見たことのないような満面の笑みを浮かべた初春・飾利だったからだ。
 
「あ、あの……、初春?」
 
 佐天が声を掛けるも、一向に答えず、ニヤニヤと笑みを浮かべたまま何処から取り出したのか? 取り調べセット(スチール机、電気スタンド、カツ丼)を用意し始め、
 
「じゃあ、尋問を開始しましょうか?」
 
「う、初春……?」
 
「別に、今までのセクハラの仕返しをしようなんて、微塵しか思っていないので安心してください」
 
「微塵って、どれくらいなの!? って言うか、何だがとっても不幸な感じがするんだけどッ!?」
 
 最近の研究結果によると、上条属性の副次作用として不幸が感染する事が確認されているらしい。
 
 ……ともあれ、不幸だ。と叫べるような余裕のある内は、まだまだこの街も平和という事なのだろう。
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