とある魔術の禁書目録・外典
 
書いた人:U16
 
第7話
 
 9月8日。先日のシェリー・クロムウェル襲来から1週間が過ぎた。
 
 そしてもうじきやって来るのが、学園都市全体で行われる大運動会、──大覇星祭。
 
 この大覇星祭。学園都市公認で能力の使用が全面解除な運動会となるので、本気でやらないと命の危険すら有り得るというデンジャラスな行事だ。
 
 そんな大覇星祭を11日後に控え、学園都市のそこかしこではその準備に追われていた。
 
「冷蔵庫の中身、何が残ってたっけ?」
 
 既に時刻は夕方。
 
 空腹の身体に鞭打って、帰路に着く上条と姫神。
 
「……確か。卵とレタスが残っていたと思う」
 
「じゃあ、レタスチャーハンだな。帰りにスーパーでハムと明日の弁当のおかずでも買ってくか」
 
 上条の言葉に無言で頷く姫神。
 
 ちなみに、吹寄と風斬は大覇星祭の実行委員の仕事でまだ校舎に残っている。
 
 そんな二人が校門の前にさしかかった所で、上条は見知った顔を見つけた。
 
 その少女は丈の短い袖無しのワイシャツに膝下のタイトスカートという服装で校門の前に立っているというのにも関わらず、誰一人として彼女の存在に気付いた様子がない。
 
 否、気付かないというよりは、彼女の存在そのものが周囲にとけ込んでいると言った方が適切だろうか? ショートカットに二重瞼の似合う少女。……天草十字凄教の魔術師、五和がそこに居た。
 
 彼女は上条の存在に気付くと小走りに駆け寄り、
 
「ご無沙汰しています」
 
 言って、頭を下げた。
 
「あぁ、久しぶり……、って、どうしたんだ? こんな所で」
 
 既に何かしらの面識がある二人に対し、初対面の姫神が控えめに上条の袖を引き、
 
「……誰?」
 
「えーと、昔、仕事で鉢合わせになった天草式十字凄教っていう所の五和。
 
 んで、こっちが姫神。……えーと、クラスメイト兼仕事仲間」
 
 上条が互いを紹介すると、五和が頭を下げ、
 
「は、初めまして……」
 
「…………」
 
 姫神も頭を下げて挨拶する。
 
「それで、一体どうしたんだ?」
 
 改めて問い掛ける上条に対し、五和は表情を真剣なものに改め、
 
「教皇代理からの依頼です。──ローマ正教のシスター、オルソラ・アクィナスを保護するのを手伝って欲しいと」
 
 事が魔術絡みである以上、この場で立ち話をするのも良くないと判断した上条は、五和と姫神を伴って近くにある喫茶店に入った。
 
 そこで彼女に聞いた話は、“法の書”とかいう魔導書の解読法を、そのオルソラが発見したという事。
 
 その解読によって誰でも強大な力を得られる事が出来るようになる事により、十字教内でのパワーバランスが崩れ自身の地位……、世界最大の宗教という地位を脅かされる事を恐れたローマ正教がオルソラを秘密裏に消す事を選択した。
 
 それを事前に察知したオルソラは天草十字凄教に助けを求め、彼女を保護したのは良いが、幾度かのローマ正教との衝突の末、オルソラが行方不明になってしまったらしい。
 
「……それで、そのオルソラを探すのを手伝ってくれって事か」
 
「は、はい。……教皇代理が言うには、相手は女性なので人間誘蛾灯(女性限定)が傍に居れば、トラブルを抱えた女性は自然に向こうの方から引き寄せられて来るとか」
 
 教皇代理……、建宮・斎字の言づてを聞いた上条の頬が僅かに引きつる。
 
「む、無茶苦茶、根拠の無い言いがかりですよ?」
 
 誰にとはなく言うが、隣の椅子に腰掛けている姫神からは冷めた視線しか感じない。
 
 どことなく居心地の悪いままではあるが、天草式十字凄教が力を貸してくれと言ってくるのであるならば、上条にとっても否はない。
 
 ……但し、それは自分個人にとっての話だ。
 
「じゃあ、俺はそのオルソラというシスターを捜してくるから、姫神は先に帰っていてくれ」
 
 上条の言葉が理解出来なかったのか? 姫神は小首を傾げ、
 
「私も行くつもりでいるのだけど?」
 
「いや、でも今回は相手がローマ正教だからな。……下手に目を付けられると厄介だし」
 
 ちなみに上条は既に目を付けられている。
 
 だが姫神は、決して納得する様子を見せず、
 
「それは私に対する侮辱。……君は。私にその覚悟が無いとでも?」
 
 そう告げる姫神の眼差しに迷いは無い。……恐らく彼女は何を言っても引かないだろう。
 
 それを踏まえた上で上条は思考する。
 
 ……まぁ、学校も一緒だし、住んでる所も一緒だから、俺が守ってやればいいか。
 
 それに、彼女とて無力というわけではないのだ。
 
 楽観視ではなく、相棒としての彼女を信頼した上で上条は頷く。
 
 ……学園都市に居る内はローマ正教も迂闊には手出しが出来ないだろうし。
 
「吹寄達は……、連絡しないでおこう。大覇星祭の準備で忙しいだろうし、邪魔はしたくないからな」
 
 本来ならば、人捜しなどの作業の場合、人数は多いに越したことは無いが、それでも皆に楽しんでもらおうと頑張っている吹寄達の事を思い、上条の言うことに姫神は同意した。
 
「それで、何か特徴とかあるのか? そのオルソラとかいうシスター。出来れば写真とかがあると良いんだけど」
 
 言われ、五和は持ち歩いていた大きな鞄から一枚の写真を取り出してテーブルの上に置く。
 
 その写真に写っているシスターは、おっとりとした表情に優しそうな笑みを浮かべていた。
 
「普通に優しそうな人だな」
 
「はい。世界三カ国の異教の地で、神の教えを広めたという功績があるほどの人です」
 
 確かに、修道服越しでも分かる程の巨乳は母性本能の塊とも言えなくもない。
 
 ……でも、吹寄って巨乳だけど母性本能とかって薄そうだよなぁ。
 
 などと益体も無い事を考えながらも勘定を済ませ、店の外に出て荷物を駅前のコインロッカーに預ける。
 
 その後、学園都市の外に出る予定ではあるが、勿論すぐに外に出る為の書類などを揃える事など出来るわけはなく、上条は何時ものように非合法な手段で外に出る為に警備の薄い箇所へと向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その頃、学園都市の外。
 
 薄明座と呼ばれていた廃劇場。そこに10万3000冊の魔導書を収めた動く魔導図書館ことインデックスとイギリス清教の魔術師、ステイル・マグヌスが居た。
 
 ステイルは片手に携帯電話を持ち、
 
「クソ、なんで繋がらないんだ!?」
 
 手にした携帯電話に向けて悪態を吐く。
 
 先程から5分毎にとある少年に電話を掛けているのだが、一向に繋がらない。
 
 電話から聞こえるガイダンスから察するに、電源を切っているようなのだが、わざとそうしているのではないのか? と疑りたくさえなってくる。
 
 やむなく電話を切ったステイルは、それを胸ポケットに放り込み、
 
「まったく、こっちが切羽詰まっている時に限って繋がらないなんて、狙っているとしか思えないね」
 
 不満を口にして溜息を吐き出す。
 
 個人的には会いたくも無い相手なので、会わずに済むのならばそれに越したこともないのだが、上の人間からのご指名なのだから仕方ない。
 
 ポケットから煙草を取り出して灯を着けて一吸い。
 
 空気共にニコチンとタールの混入した煙を肺にまで流し込んで堪能した後、口から吐き出してようやく一息を吐く。
 
 彼も子供の使いで来ているわけでは無い以上、「上条・当麻と連絡が取れませんでしたから、彼抜きで問題を解決しました」などと報告するわけにもいかない。
 
 そんなステイルを見ていたのは白い修道服姿の少女だ。
 
 上条を自然に巻き込む為に、一応、名目上は誘拐という形で連れてきた彼女は既にステイルから粗方の事情は聞き知っている。
 
 ソリューションに依頼という形で頼めば、……否、彼の性格からして普通に頼めば、手伝ってはくれるだろうが、事が魔術師絡みな以上、簡単に頼むわけにはいかない。
 
 下手をすると、科学サイドが魔術サイドの問題に踏む込んできたとして衝突が起こる可能性もあるからだ。
 
 だからこそ、彼の知り合いであるインデックスを囮にして、彼女を救出に来た最中に事件に巻き込まれたという体裁を取る必要がある。
 
 わざわざ上条を巻き込むという形に不満はあるものの、彼女もイギリス清教“必要悪の教会”に所属する者として、それ以上の追求は避けた。
 
 その代わりに、修道服の隠しポケットから携帯電話を取り出し、
 
「まだ学校に残ってるかもしれないから、こもえに連絡してみる」
 
 前回の一件以降、どうしても必要な知識という事で、渋るインデックスを説き伏せ、携帯電話の使い方を教え込んだ結果、彼女は普通に電話する事と充電程度は出来るようになり、普段のお出かけでも携帯電話を忘れずに持ち歩くようになった。
 
 上条だけならば、途中で飽きて教えるのを放棄していたであろうが、彼女が携帯電話を使えるようになったのは偏に、小萌先生の教育の賜物だろう。
 
 嬉々として教える小萌先生に若干恐怖しながらも、今はメールの仕方を勉強中だそうだ。
 
 ともあれ、インデックスが小萌先生に連絡を取ってみると上条は既に帰宅したとして、代わりに自宅の電話番号を教えてもらった。
 
 ちなみに、インデックスは持ち前の完全記憶能力のお陰で短縮機能を必要としていない。
 
 多少ぎこちない手つきで携帯電話のボタンを操作し、上条の部屋に掛けてみるも留守番電話になっているらしく、一向に出る気配は無い。
 
 その事をステイルに告げると、彼は煙草の煙と共に溜息を吐き出し、
 
「仕方ない。どちらにしろタイムオーバーみたいだ」
 
 同時、開けっぱなしになっていた大ホールの入り口に人影が現れた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 学園都市を抜け出した上条達は早速途方に暮れていた。
 
「……さて、取り敢えず学園都市の外に出ては来たものの、これからどうしようか?」
 
 何しろ、手掛かりが何一つとして無いのだ。
 
 ……どうしたもんかなー、と視線を彷徨わせ何気なく古びたバスの停留所で止めると、そこに真っ黒な修道服を着込んだシスターを発見した。
 
「……見つかるもんだな」
 
 まだシスターの存在に気付いていない二人に教えてやると、五和からは尊敬の眼差しを、姫神からは軽蔑の視線を頂いた。
 
「い、いや……、上条さん何もしてませんよ? 完全に偶然ですよ?」
 
「……別に。私は何も言っていないのだけど?」
 
 確かに何も言ってはいないが、目がこれでもか、と言っている。
 
 ……曰く、人間フラグ製造器め。と。
 
 そんな益体もない会話を交わしていると、向こうの方もこちらの存在に気付いたのか? 笑みのままで近づいて来た。
 
「あのー、恐れ入りますが、学園都市に向かうには、どのバスに乗ればよろしいのでございましょうか?」
 
 丁寧な日本語で問われ、僅かに考えた挙げ句、取り敢えずは彼女の質問に答える事にした。
 
「学園都市へはバスは出てないぞ」
 
「まあ、そうなのでございますか?」
 
 余り困ったようには見えないが、困っているのだろう。
 
「……学園都市に何か用でもあるのか? 大事な用なら力を貸すけど」
 
「いえいえ、確かに大切な用件ではございますが、わざわざお手数を煩わせるのも」
 
「んー……、だけど許可証が無いと学園都市には入れないぞ? 他にも方法はあるけどって、ちょっと待て!?」
 
 僅かに考える素振りを見せて、一瞬だけ上条が視線を外した間にシスターは到着していたバスに乗り込もうとしている所だった。
 
「はぁ、何でございましょう?」
 
 小首を傾げて問い掛けるシスターに対し、上条はやや疲れた表情で、
 
「だから、学園都市に行くんだったら、そのバスに乗っちゃ駄目だって行ってんだろ」
 
「まあ。──では、どうしたらよろしいのでしょうか?」
 
 だが、そこで上条は違和感を感じた。
 
 眼前の女性が依頼のあったローマ正教のシスター、オルソラ・アクィナスである事は間違いが無い。
 
 では何故、彼女は自分を保護してくれた天草式十字凄教と合流しようとせず、学園都市に向かおうとしているのか?
 
 理由は幾つか考えられる。
 
 学園都市が待ち合わせの場所になっている。
 
 学園都市に知り合いが居る。
 
 観光。
 
 どれも無いな。と思いつつ、最後に思いついたのが、
 
 ……天草式の連中を信用していない?
 
 天草式十字凄教は迫害されてきた歴史を持つ少数宗教だ。“法の書”の力を得る為にローマ正教から守った見返りとしてその解読法を要求してくると思われても仕方ないかもしれない。
 
 ……だからこそ、魔術側の介入出来ない学園都市に逃げ込もうとした?
 
 天草式の内情を多少なりとも理解している上条としては、それは有り得ないと断言出来るが、口で幾ら言った所で完全に信用出来るものではないだろう。
 
 ならば一番良い方法は、
 
 ……オルソラを学園都市に保護して、その“法の書”とかいうやつを破壊する事か。
 
 天草式十字凄教も、オルソラをローマ正教から守る事が目的であるので、彼女の身柄を保護するのが自分達以外であろうとも文句は無い筈だ。
 
 そう結論した上条は、オルソラに向き直り、
 
「じゃあ、学園都市に行くか」
 
 いきなりそんな事を言い始めた上条に五和は何かを言いかけるも、上条が自分を見つめているのを見て口を噤んだ。
 
 ……何か考えがあるという事ですか?
 
 そう考える事が出来る程度には、五和は上条の事を信用している。
 
 具体的にいうと、神と女教皇と同列くらいには……。
 
 そういうわけで、上条達はオルソラを連れて、来た道を引き返して行った。
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 テトラポットが堆く積み上げられた海岸。
 
 そこに遠路はるばる英国から騎士団のメンバーが泳いで到達していた。
 
 まあ、泳ぐといっても普通に鎧を着たまま力任せに泳いできたわけではなく、海流操作魔術によって泳いできたわけなので、それほど間抜けな絵面ではない。
 
 彼らが英国からわざわざ日本にまでやって来た理由は、ある勅命が下ったからだ。
 
 “法の書とオルソラ・アクィナスの救出戦の援護”それが今回、騎士団に下された命令なのだが、本来イギリス清教と騎士団では命令系統が違う上に、それほど仲がよろしくない。と言うかハッキリ言って悪い。
 
 そんな事情があり、騎士団が今回の命令について下した結論は、天草式十字凄教の皆殺し。
 
 騎士団にしてみれば、最大主教の指示に命を賭ける義理もなければ、天草式などが滅んだ所で痛くも痒くもないからだ。
 
 そんな彼らが到達した海岸線に立つのは一組の男女。
 
 もし、この場に騎士団長がいたならば、即座に撤退の指示を出していたであろう二人。
 
 伝説とまで言われた傭兵夫妻、上条・刀夜と詩菜。
 
 刀夜が無言のままで右手の中にある機械のスイッチを押し込むと、騎士団の足下にあったテトラポットが爆発したように弾けた。
 
 否、予め仕込んで置いた爆弾によって、本当に爆発したのだ。
 
 予期せぬ爆発に対処出来ず、宙を舞う騎士達。
 
 空中に居る彼らに向け、詩菜が手にした対物ライフルXM109ペイロードを構え、その胸部装甲のど真ん中に向けて狙撃。
 
 装填されていた試作型の25×59Bmm空中炸裂弾が的確に命中し、着弾と共に爆発。
 
 魔術で強化されている甲冑を貫通する事は出来ないが、その衝撃までは殺す事が出来ず、中の騎士は頭と言わず身体全体をシェイクされて強制的に意識を刈り取られる。
 
 後は放物線を描くように海へと投げ出されるのだが、他の騎士達にそれを見送っている余裕は無い。
 
 詩菜はマガジンに残っている弾丸を立て続けに連射。
 
 的確に空中に居る騎士達を狙い撃っていく。
 
 とはいえ、この対物ライフル。装弾数は僅か5発とそんなに多くはない。
 
 全弾撃ち尽くした所で、騎士団のメンバーはまだ16人も残っている。
 
 地面に着地する事さえ出来れば、たった二人の兵隊など瞬殺出来ると騎士達は思っていた。
 
 思ってはいたのだ。……次の瞬間に再び地面が爆発して、彼らの身体が再度空中に放り上げられるまでは。
 
「──ッ!?」
 
 自分達の現状を理解した時にはもう遅い。
 
 詩菜は既に新たな弾倉を装填し、銃を構えている。
 
 銃声が響き、また一人海へと吹き飛ばされる。……後はこれの繰り返しだ。
 
 都合四度の爆発で四回宙を舞い、最後に一人残った騎士は言うことを聞かない身体に鞭打って何とか立ち上がろうとする。
 
「き、貴様ら……、一体何者だ!? 貴様らが誰に牙を剥いたのかを知っているのか!?」
 
 随分と若い声色の騎士に向け、刀夜は臆する事もなく口を開く。
 
「勿論、分かっているとも。そしてイギリスに帰ったら騎士団長に伝えてほしい言葉がある」
 
 一息の後、人好きのする笑みを浮かべ、
 
「──良い酒が手に入ったので、今度そちらに向かわせてもらうよ。
 
 久しぶりの再開には、ウィリアムの奴も引っ張って行くから、そちらで肴を用意しておいてくれ。と」
 
「き、きさ──」
 
 そこまで聞いた騎士は顔を覆う鉄仮面の下で驚愕に目を見開く。
 
 それまで10m以上離れていた筈の刀夜が、胸元にまで侵入していたからだ。
 
「では、頼んだよ?」
 
 次の瞬間、若い騎士の身体は大きく吹き飛ばされ、海面を二度、三度と跳ねて海中に沈んだ。
 
「あらあら、素直に私に撃たれていた方がダメージ少なかったんじゃないかしら?」
 
「なに、声からして若い感じがしたからね。──すぐにでも回復するだろうさ」
 
 先程までの一方的な攻撃が嘘のように、平然とした笑みを浮かべて会話する上条夫妻の背後に人影が現れる。
 
「と、いう事だ。事後処理は私達がやっておくから、君は学園都市の方へ向かうと良い」
 
 そこに居たのは長身の女性だ。
 
 長い黒髪をポニーテールにして、腰に2m以上はあろうかという長刀を下げた女性。
 
 イギリス清教の誇る聖人、神裂・火織はその場で深々と頭を下げると、
 
「重ね重ねご迷惑をお掛けします」
 
 最初は神裂が騎士団を迎撃しようとしていたのだが、それではそれを切欠にイギリス国内における派閥間でゴタゴタが起こる引き金となる。
 
 何処から英国騎士団の上陸の情報を入手したのかは知らないが、神裂がこの場に来た時には既に上条夫妻がこの場に陣取っており、騎士団の上陸阻止をかって出てくれた。
 
 神裂の謝意に対し、上条夫妻は態度を崩す事無く、
 
「あらあら、前にも言った通り、面倒事は大人が何とかするから、貴女達子供は難しい事なんて考えなくても良いのよ?
 
 その場その場で出来る事を全力でおやりなさい。
 
 もし、駄目なら、その時こそ大人の出番なんだから」
 
 まるで我が娘でも愛でるような優しい手つきで神裂の頭を撫でる。
 
 懐かしい感触に目を細め気持ちよさそうにするも、神裂はすぐに感情を切り替え、
 
「ありがとうございます。──このご恩は必ずお返しします」
 
 そう言い残し、神裂は宵闇の中に姿を消した。
 
  
 
  
 
 
 
 
 
 
「それで? 学園都市に知り合いとか居るのか?」
 
「いえ。ところでバスには乗らないのでございましょうか?」
 
「話戻って無いか!?」
 
 慌てて傍らのオルソラに振り返ってみるも、彼女はニコニコと笑みを浮かべたままだ。
 
 姫神と五和は彼女への対応を上条に一任し、仲良さげに会話を楽しんでいる。
 
「だから、バスじゃ学園都市に入れないから、こうして歩いて向かってんの!?」
 
「いえ、知人とかは居ませんので、ホテルでも紹介していただければそちらで滞在しようと思っているのですが」
 
「また戻ってる!? いや、でも紹介状もIDも無いとなると、正直泊めてもらえるかどうかも怪しいと思うぞ?」
 
「まあ、どうしましょう?」
 
 一応、困っているように見えなくもない表情のオルソラに対し、若干疲れた感のある上条は、もはや溜息混じりに、
 
「取り敢えず家に来て下さい。色々と説明するのも面倒なので、そこであの二人に説明してもらおうと思います」
 
 突然話を振られた五和と姫神であるが、姫神は冷静に五和の肩を叩くと、
 
「よろしく……」
 
 一言で全てを五和にうっちゃった。
 
 重大任務を与えられ、慌てふためく五和を伴い、学園都市に侵入……、もとい帰還する。
 
 帰る途中で、駅前のコインロッカーに立ち寄って荷物を取り出し、スーパーに寄って夕食の買い出しをしていると、丁度学校帰りの吹寄と風斬に出くわした。
 
「……またか、貴様」
 
 五和とオルソラを伴っている上条を発見した吹寄の第一声がこれだ。
 
「いやいや、待ってください吹寄さん!? これには深い事情があるのです!? と上条さんは言い訳してみます!!」
 
 ミサカ口調で言ってみると、
 
「何故でしょう? ひどく小馬鹿にされたような気がします。とミサカは半眼で睨みながら言ってみます」
 
 上条の背後からそう告げるのは、スーパーのロゴが入ったエプロンを身に着けたバイト中の御坂妹だ。
 
 彼女は吹寄達の篭の中に入っている総菜に3割引のシールを貼り、
 
「また女性絡みの面倒事ですか? とミサカは問い掛けます」
 
「あの、何故上条さんだけ割り引きシール貼って貰ってないのでしょう?」
 
 という上条の呟きを無視し、早く話せと目で促す。
 
 上条は暫く考えると、
 
「あー……、色々と複雑な事柄なので、ここで話すのはちょっと、……な」
 
 正直な話、ローマ正教が関わってくるとなると、彼女達を巻き込みたくはない。
 
 時間を稼いで、その間に上手い嘘を考えようと企む上条。
 
「分かりました。では私に代わり、ミサカ1004号が事情を聞きたいと思いますがよろしいでしょうか?」
 
 割引シールをちらつかせ、頷いたなら貼ってやる。と、言外に告げるミサカ。
 
 対する上条は財布の中身と、次の仕送りまでの日数を即座に計算し、
 
「そっちの半額シールにしてくれると、上条さん跳んで喜びます」
 
 それを了承の返事とみて、ミサカは半額シールを貼ってくれた。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 スーパーの出口で待っていたミサカ1004号と合流し、上条の寮に向かう。
 
 同じ顔をした妹達の事を、世にも珍しい2万つ子だと初対面の五和とオルソラに適当な説明をして、互いに簡単な自己紹介を交わしている間に男子寮に到着した。
 
 時間も時間という事で、取り敢えず食事の準備を始める上条と姫神。
 
 五和とオルソラが手伝うと言ってくれたが、客にそんな事まではさせられないと、丁重に断り、如何にも手慣れた感じのコンビネーションで食事の準備を進めていく。
 
 そんな中、手持ちぶさたにテレビのチャンネルを変えていた吹寄だが、上条宅の留守番電話が着信のランプを点滅させている事に気付き、
 
「上条、留守電入ってるわよ!」
 
 キッチンの彼に向けて声を掛ける。
 
 対する上条は、炒め物をしていて手が離せないので、
 
「悪い吹寄、再生ボタン押してくれ」
 
「……プライベートな事だったら、知らないわよ」
 
「あぁ、多分大丈夫だと思う」
 
 そのようなものは、大概が携帯電話の方へ届く。
 
 上条の許可を得て、吹寄が留守番電話の再生ボタンをプッシュ。
 
 聞こえてきたのは、聞き覚えのある少女の声だ。
 
「……インデックス?」
 
『やっと通じた……。と思ったら、るすばんでんわってやつになってるかも!?
 
 ど、どうしよう? ……え、えっと、ともかく、一度、私のけいたいでんわの方に連絡して欲しいかも!!』
 
 それだけを言うと、留守番電話の記録は唐突に切れた。
 
 何やら切羽詰まった様子なので、フライパンを姫神に預け、上条はポケットから携帯電話を取り出して、そこで初めて電源が入っていない事に気付く。
 
「ありゃ? 電源入れてなかったっけ?」
 
 電源ボタンを押して携帯電話に命を吹き込むと、溜まりに溜まっていた着信履歴が一気に流れ込んできた。
 
 その全てがステイルからのものだ。
 
「……5分おきに着信って、ストーカーかアイツは」
 
 半ば呆れ声で呟きながらも、内心では余程急ぎの話でもあったんだろうか? と考え、悪い事したなぁ、と思いながら取り敢えずインデックスの方へ電話を掛けてみる。
 
 3コールの後にインデックスが出た。
 
『は、はい!? こちらインデックスです!』
 
 まだ携帯電話に慣れていないのか? 声が緊張で堅い。
 
「もしもし。一体どうしたんだ? インデックス。留守電聞いて電話掛けてみたけども、何か面倒事か?」
 
 さして広くない部屋だ。上条の声はリビングに座る少女達の元まで届く。
 
『確かに面倒事かも……』
 
 すると暫くして電話の相手が替わり、
 
『携帯電話の電源くらい、ちゃんと入れておけ』
 
「その声は、ステイルか?」
 
『あぁ、その通りだ。そして君に命令がある』
 
「命令?」
 
 その物言いに眉根を寄せる上条。
 
『あぁ、そうだ。少々事情があってね、正式に依頼という形で君に頼むわけにはいかないんだ』
 
 だから、
 
『彼女を人質にとった。返して欲しければ、こちらの言うとおりに行動しろ。──というわけさ』
 
 なるほど。と、納得はするも、上条としても都合というものがある。
 
「こっちも今立て込んでんだけどな……。まあ、いいや。片手間で出来る事かも知れないから、取り敢えず用件を言ってみてくれ」
 
『片手間で出来る事でもないし、遊び半分でやられても困るんだけどね』
 
「こっちにも都合ってもんがあるんだよ。いいから言えって」
 
 電話先のステイルは暫く考えていたようではあるが、時間も無いと判断したのか? 溜息一つで諦め、
 
『用件は人捜しの手伝いだ。捜索人はオルソラ・アクィナス。ローマ正教のシスターで、とある魔導書の解読法を発見した人物でもある。
 
 魔導書の名前なんかの細かい所は理解しようとしなくても良い。どうせ、君には理解出来ない分野の話だ。
 
 ──問題は、彼女の身柄とその魔導書を天草式十字凄教という魔法結社が誘拐したという事だ。
 
 勿論、彼女を保護していたローマ正教側も黙っていたわけじゃない。幾度かの小競り合いの結果、オルソラ・アクィナスの身柄は行方不明となったというわけさ。
 
 そこで君に頼みたいのは、彼女の捜索の手伝い。……というのが建前だ』
 
 煙草を吸いながら話しているのか? 大きく煙りを吐き出すような音が聞こえ、
 
『現状、ローマ正教のシスターが250人体勢で捜索しているので、正直、君一人が加わった所で余り影響は無いんだが、もし万が一にでも魔導書の解析方法が天草式に漏れた場合、非常に厄介な事になりかねない。
 
 そうなった場合──』
 
「俺がその魔導書を破壊すれば良いってわけか」
 
『話が早くて助かるね。理解したなら、そっちの都合なんて捨て置いて、とっととこっちの手伝いに来い、上条・当麻。
 
 正直、僕は君の事は気に入らないが、君の右手には少しは期待しているんだ』
 
 対する上条は一息を吸い、明確にこう言った。
 
「だが断る」
 
『……何だと?』
 
 ステイルの声色に剣呑なものが混じるが、上条はそれを無視して言葉を放つ。
 
「いいか? ステイル。──よく考えろ。“法の書”が解読されて、誰が一番困るのか。
 
 それを踏まえて行動しろ。いいな? 俺は野暮用があって、そっちに行く事が出来ない。──だから、お前がインデックスを守るんだ」
 
 僅かな間。そして返ってきた答えは、
 
『──君が役に立たない事は良く分かった。
 
 そして、一つ言っておこう。……誰に向かってものを言っている? この僕が彼女に毛ほどの傷でも与えさせると思っているのか?』
 
 言うだけ言うとステイルの方から電話が切れた。
 
 上条も携帯電話の電源を切り、部屋中から向けられている視線に対し、もう誤魔化しは利かないなぁ……、と頭を掻きながら、
 
「さてと……、ややこしい事になってるみたいだから、取り敢えず飯食いながら説明しようか」
 
 キッチンから皿に盛られた料理を運び、食事を開始する。
 
 ちなみに今日のメニューは、外国人であるオルソラの事を考慮して茄子とミートソースのパスタと鳥の胸肉の代わりに特売品の唐揚げを流用したシーザーサラダだ。
 
 談笑しながらの食事が始まり、ある程度、腹が膨れた頃合いを見計らい上条が話を切り出した。
 
「──事の始まりは、オルソラが“法の書”と呼ばれる魔導書の解析方法を発見した事が切欠なんだ」
 
 上条の言葉にオルソラは僅かに身体を強張らせ、事情を知らなかった少女達は揃って視線を彼女に向けた。
 
「詳しい事は知らないけど、その“法の書”とやらは十字教のパワーバランスを崩す“天使の術式”とやらを手に入れられるらしいんだが……、そこで問題です」
 
 一息を入れ、グラスに注がれた麦茶を一口、
 
「そんなヤバイ物が解読されて、一番厄介だと思うのは誰でしょう?」
 
 僅かな沈黙の後挙手したのは御坂妹だ。
 
「世界最大の十字教、ローマ正教でしょうか」
 
「あぁ、その通りだ。そんな物が余所の魔術結社に回ったら、自分達の地位が脅かされる事になるからな。
 
 ──なら、それを未然に防ぐにはどうしたら良いか?」
 
 簡単な事だ。解析方法を知る唯一の人物であるオルソラ・アクィナスを処分してしまえばいい。
 
 身の危険を感じたオルソラは、秘密裏にローマ正教を脱出する為に天草式十字凄教にコンタクトを取り、ローマ正教を脱出した。
 
「慌てたローマ正教は、追っ手を差し向けたわけだが、ローマ正教アニェーゼ部隊と天草式十字凄教との混戦に乗じてオルソラが姿を眩ました、……と。
 
 そこで、天草式の教皇代理、建宮・斎字がウチにオルソラの保護を依頼してきたわけだ」
 
 そこまで言った所で、オルソラが手を上げた。
 
「一つ、質問をしてもよろしいでしょうか?」
 
「ん? 何だ?」
 
 小首を傾げる上条に対し、オルソラは若干警戒した表情で、
 
「あなた方は一体、何者なのでございましょうか? 見た所、魔術師には見えないのでございますが」
 
 対する上条は気負いなく、
 
「フリーの解決屋って所かな? 学園都市に住んでるけど、後ろ盾は全くないから、そこら辺を期待されても困るけど」
 
 若干、苦笑を浮かべて告げると、オルソラは安堵の吐息を吐き出した。
 
 むしろ、オルソラにしてみれば、そちらの方がありがたい。
 
「ちなみに、五和がその天草式十字凄教の魔術師な」
 
 いきなり紹介された五和は、慌てた様子で会釈して皆に改めて挨拶すると、小さく咳払いして、
 
「教皇代理から、オルソラさんの身柄に関してはソリューションの方に一任する、と連絡がありました。
 
 現在は、学園都市の外周部で、ローマ正教の部隊を監視しているらしいです」
 
 学園都市に侵入する事自体は、それほど難しくはないが、後ほどの政治的なゴタゴタを考えると、250人もの大人数で学園都市に侵入するというのは避けたい所だろう。
 
 一歩間違うと、そのままローマ正教対学園都市の全面戦争になりかねない。
 
「政治的な絡みがある以上、暫くは安全だと思うけど……」
 
 決して完全というわけではない。
 
 僅かに悩んだ上条がだ、意を決して口を開いた。
 
「なあ、オルソラ」
 
「はい、何でございましょう?」
 
「お前、何で“法の書”なんて物騒な物を解読しようとしたんだ?」
 
 問われた質問に対し、オルソラは真剣な眼差しで上条を見つめ、小さく頷くと、
 
「そうでございますね……」
 
 一息。
 
「“法の書”級の魔導書の原典ともなりますと、人の魔力など無くとも地脈や竜脈などから僅かに漂う力を増幅して、半永久的に活動を続ける自己防衛魔法陣を形成してしまうのでございます」
 
 今の技術では、それを破壊する術は無く、封印して読めなくする程度が関の山だという。
 
 彼女が“法の書”を解読しようとしたのは、魔法陣の機能を逆手にとり、原典を自爆させる為である。
 
「魔導書の力なんて、誰も幸せに出来ないのでございますよ。それを巡って争いしか生まなかったのでございますしね。
 
 ですから私は、そういった魔導書を壊すために、その仕組みを調べてみたかったのでございます」
 
 そしてオルソラは視線を五和に向けて深々と頭を下げ、
 
「というわけなので、ここまで逃がしてもらって申し訳ありませんでございますが、報酬に“法の書”の解読方法を教える事は出来ないのでございます」
 
 慌てたのは五和だ。
 
 彼女は両手を突き出して左右に振り、
 
「ま、待ってください!? 私達はそんなものを求めていません」
 
 意味が分からないとばかりに、オルソラが小首を傾げる。
 
 なにしろ、現在の天草式十字凄教は、女教皇が不在で弱体化していると聞く。
 
 そんな組織が世界最大の十字教であるローマ正教を敵に回してまでも、たった一人のシスターを逃がそうとしている理由など、見返りとして“法の書”の解読方法を求めてくる以外は考えられなかったからだ。
 
「私達がシスター・オルソラを助けるのに理由なんて必要ありません」
 
 五和は真剣な表情で断言する。
 
「私達は、ずっと昔からそうやってきたんです。
 
 私達を導いてくださった女教皇様は、たった一人の幼い夢を守るために山をも呑み込む悪竜の前に立ち塞がり、死に逝く者の最後の願いを聞き届けるために小さな村を万の軍勢から守り抜く。
 
 ……私達は、そんな女教皇様の後ろ姿をずっと見てきたんです。時間こそほんの一時でしたが、ずっとです」
 
 そう語る五和の眼差しには誇りがある。
 
「だからこそ、私達は道を誤らず、力の使い方を間違えず、正しい方向へと自分を導き進めたんです。
 
 言葉にすると簡単な事を、実際に行動で示してくれた事で。人はここまで強くなれるものなのだと、ここまで優しくなれるものなのだと、それは手を伸ばせば届く所にあるんだと、その身をもって教えてくれたんですから」
 
 そんな女教皇から教えられた教義こそが、天草式十字凄教にとって唯一にして無二なもの。
 
「救われぬ者に救いの手を──。
 
 もし、シスター・オルソラを助けるのに理由が必要なのでしたら、それ以外に何か必要でしょうか?」
 
 それ以上の説明は不用だと言わんばかりに、五和は口を閉ざす。
 
 天草式の行動理念の理解したオルソラは、もはや一切の疑いの無い眼差しで五和を見つめると、彼女の手を取り、
 
「──では改めて、よろしくお願いしますでございます」
 
「はい!」
 
 依頼人と護衛すべき対象。
 
 双方共に不足無し。
 
 全会一致でそう判断した以上、トラブルバスター・ソリューションも本気で行動を開始する。
 
 上条は携帯電話を取り出すと、まずは土御門に連絡をとった。
 
『どうしたのかにゃー? カミやん』
 
「あぁ、ちょっと聞きたいんだけどな? 法の書ってやつは今何処にあるか分かるか?」
 
 対する土御門は大した気負いも無く、まるで予想通りの質問だったかのように、
 
『対外的に、天草式が強奪したとされる法の書なら、今俺の手の中にある。
 
 持ってたのは何故かローマ正教の連中だったけどにゃー。
 
 ……もっとも、コイツは予想通り、真っ赤な偽物だ。大方、本物はバチカン図書館の奥の奥って所だろうぜい』
 
 それだけ分かれば充分だ。
 
 上条は土御門に礼を述べると、続いて学園都市の統括理事会の一人、親船・最中へ電話を掛ける。
 
『おや? そちらから連絡があるとは珍しいですね?』
 
「ちょっと緊急の用事があって力を貸して貰いたいんだけどな」
 
『聞きましょう』
 
 初老の女性の声からは、上条に対する信頼が伝わってくる。
 
「イタリアまでの足を用意して貰いたいんだ。出来るだけ速いやつを」
 
『分かりました』
 
 返事は即答で返ってきた。
 
『第23学区に航空機を用意しておきます』
 
「悪い、助かる」
 
『いえ、貴方がたには何時も世話になってますから、これはそのお礼だと思ってください』
 
 電話を切って一息、周囲の者達の視線が上条に集まっていた。
 
「ちょっと、バチカン行って法の書をブッ壊して来るから、皆はここでオルソラの護衛を頼むな」
 
 いきなり、とんでもない事を言いだした上条に対し、少女達は即座に抗議の声を挙げる。
 
「む、無理ですよ!? バチカンの警備体制って魔術的に半端じゃないんですから!?」
 
 五和の言うとおり、ローマ正教の本拠地であるバチカンの魔術的警護は世界最高レベルのものだ。
 
 そこに張り巡らされている無数の結界が互いに干渉しあい、オーロラのように空が歪んで視え、その構成は世界最高峰の知識を持つ禁書目録をもってしても解析は不可能と言われ、主人であるローマ教皇ですらも完全には把握出来ていない程に。
 
 だが、だからこそ、上条にしてみれば侵入は容易とも言える。
 
 幻想殺しで結界を破壊し、その混乱に乗じてバチカン博物館内の図書館に侵入。
 
 法の書だけを破壊して、イタリアに脱出すれば良い。
 
 問題は、バチカン博物館の見取り図と脱出経路だが、その点に関しては詳しい者に心当たりがある。
 
「姫神」
 
「何?」
 
「三沢塾に行って、アウレオルスにバチカン博物館の見取り図を聞いてきてくれないか?
 
 簡単なものでいいから、図にして俺の携帯の方へ送信してほしい。出来れば1時間以内で」
 
「分かった」
 
 すぐさま立ち上がり、三沢塾に向かう姫神。
 
 そんな彼女に付き合うように立ち上がったのは御坂妹だ。
 
「ではミサカも侵入ポイントを特定し迎撃の為、人員を配置します。と、ミサカは答えます」
 
 五和は暫く思案するも、続くように立ち上がり、
 
「私も天草式の本隊と合流して、迎撃の準備に入ります」
 
 三人揃って部屋を出ていった。
 
「じゃあ、二人はオルソラの護衛を頼む」
 
「……ホントは付いて行きたい所なんだけど、今回ばかりは貴様一人の方が動きやすそうね」
 
「あぁ、奇襲と電撃戦は俺の得意分野だからな」
 
 戦闘力としては申し分ないものの、こうした作戦行動としてみた場合、どうしても素人の吹寄達では上条の足を引っ張ってしまう事がある。
 
 言いながら押入を開き、そこから各種装備を取り出して鞄に詰め込んでいく。
 
 プラスチック爆弾やスタングレネード、愛用の拳銃に予備のマガジンなど。
 
 その物騒な装備を前に顔を顰めるオルソラに気付いたのか? 上条は頭を掻きながら、
 
「まあ、念のためにな。流石に今回ばかりは、上条さんも丸腰では厳しいです」
 
「とか言って、どうせ全部ゴム弾なんでしょうが……。相変わらず、どうしようもないお人好しね貴様」
 
 呆れたように呟く吹寄に対し、上条は小さく肩を竦め、
 
「いやいや、高校生の身空で上条さん人殺しにはなりたくありませんよ?」
 
 殺すための技術はあるものの、それ故に殺さずを信条とする上条。
 
 望んでいないにも関わらず、その能力によって親しい者達を皆殺しにしてしまった姫神。
 
 自らの能力を理解するが故に、一線を越えぬよう、人間で有り続けようとする風斬。
 
 人を壊す術と人を癒す術を身に着けているからこそ、自分に出来る限りで彼らをフォローしようとする吹寄。
 
 ソリューションというチームは、互いの弱さを補い合う事でチームとして成立している。
 
 冷徹なプロの視線から見れば、幾らでも崩しようのあるチームだ。──だが、彼らの絆はそれ故に強い。
 
 言葉ではなく、放たれる雰囲気でそれを察したオルソラは小さく頷き、
 
「……では、お願いしますのでございますよ」
 
「あぁ、任せとけ」
 
 そう言って、上条も部屋を後にした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 時間は少し遡る。
 
 上条との電話を終えたステイルは、くわえていた煙草を右手で摘むと紫煙を吐き出しながら、携帯電話を折り畳んでインデックスに手渡す。
 
 その際、一枚のカードを携帯電話に挟んでおいたのだが、余りにもさり気なさ過ぎて誰にも気付かれてはいなかった。
 
「上条・当麻は別口の仕事が忙しいらしく来れないそうだ」
 
『聞こえているかい?』
 
「え?」
 
 目に見えて落ち込むインデックスだが、彼女の元に先程ステイルが携帯電話と共に渡したカードから、彼女の頭の中に直接ステイルの声が聞こえてきたが、10万3000冊の魔導書の知識を持つインデックスは即座にそれが通信用の護符によるものである事を理解し、平穏を装う。
 
「まったく、こちらとしても子供の遊びでやってるわけじゃないんだけどね」
 
『上条・当麻が言うには、僕達はローマ正教に騙されている。との事だ。──時間が無いから詳しい説明は省くけど、彼の言ってる事にも一理あったんでね。そこそこ信用してもよさそうだ。
 
 それに詳しい事は分からないが、彼もこの事件に別件で関わっている可能性が高い』
 
 溜息と共に紫煙を吐き出し、
 
「まあ、居ないなら居ないで仕方ない。こちらはこちらで動くとしよう」
 
「……また、知らない女の子絡みな気がするかも」
 
『それで? 私達はどう動くの?』
 
 演技ではなく、心労の溜息を吐き出すインデックス。
 
「あの男の事だ、その可能性は非常に高いと言わざるをえないだろうね」
 
『期を見て脱出するというのがベストだろうね。
 
 騙されてまで使われてやる謂われはないし、天草式とのゴタゴタに巻き込まれるのも御免だよ』
 
 ステイルが何よりも危惧するのは、インデックスの安全だ。
 
 わざわざ彼女を危険の中に置いておこうとは思わない。彼女の安全の為ならば、天草式とローマ正教がどれだけ潰しあってもらおうとも全然構わない。
 
 新しい煙草を取り出して口にくわえ、火を灯す。
 
 紫煙で肺を満たし、ニコチンとタールを摂取するとそれを吐き出して視線をローマ正教側の代表である少女、アニェーゼ・サンクティスに向ける。
 
「さてと……、聞いての通り、こちらの助っ人はアテにならなくなったわけだけど、どうしたものかな?
 
 本来なら、万が一にでもシスター・オルソラが学園都市に逃げ込んでいた場合、彼に学園都市の案内でもやらせようと思っていたんだが……」
 
「ウチらとしても、その時の事は余り考えたくは無いッスね。
 
 流石に250人の戦闘要員を学園都市が入れてくれるとは思いませんし」
 
 溜息混じりに告げるアニェーゼ。
 
 無理にでも侵入しようとすれば、学園都市対ローマ正教の……、否、魔術対科学の全面戦争の口火を切る事になりかねない。
 
 だから、何としてもオルソラの身柄が学園都市に入ってしまう前に確保する必要があるのだ。
 
 上条の口振りから、恐らく既にオルソラは学園都市に侵入し、上条達の保護下にあるのだろうな、と予測しつつも、ステイルはその事を一切表情には出さず、
 
「なら、僕と彼女で学園都市の方を探ろう。一応、他にも学園都市には協力者が居るから、そっちの方を当たってみるとするよ」
 
 インデックスに至っては、現在学園都市在住なので、侵入する際に、一々学園都市の方へ報告は要らない。
 
「じゃあ、頼んます」
 
 互いに連絡先を確認し、アニェーゼは部隊に指示を出すために向かい、ステイルとインデックスも学園都市へと向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 第23学区の飛行場に到着した上条を待っていたのは、青く染めた髪にピアスをした背の高いクラスメイトの少年だった。
 
 見慣れた人影は気軽に手を上げ、
 
「や、ツッチーからカミやんがまた面倒事に巻き込まれてる聞いて、手伝いに来たんやけど、助っ人居るやろか?」
 
 気負いの無い表情で告げる青髪ピアス。
 
 確かに、彼の能力と何処の組織にも所属していないという立場は、今回の作戦にはもって来いの人材といえるだろう。
 
 逆に土御門はイギリス清教と学園都市のスパイという立場があるため、今回の作戦には参加する事が出来ない。
 
 そして、それは一方通行も同じだ。学園都市最強という肩書きは、それだけで学園都市の看板を背負っているとも言える。
 
 そういう立場の者が今回の作戦に参加すると、ローマ正教と学園都市の戦争の口火となりかねない。
 
 上条の狙いは被害を最小限に留め、今回の一件を出来るだけ軟着陸させる事だ。戦争が始まってしまっては、元も子もない為、今回は助っ人を頼まず自分一人で乗り込む予定だったのだが……。
 
「かなり危険な内容だぞ?」
 
「かめへんよ。カミやんの厄介事の場合、ほぼ100%女の子絡みやからね。
 
 僕、女の子の味方やねんで?」
 
「知ってるよ」
 
 苦笑を浮かべながら告げる上条。
 
 何しろ彼は、並のレベル5を凌駕する程の能力が有りながらも、先生に美人が多い、生徒に可愛い娘が多いという理由で実力を隠しながら上条と同じ学校に通っているほどの猛者だ。
 
 上条は無言のままで歩を進め、一瞬だけ青髪ピアスと拳を重ねる。
 
 言葉は不要とばかりに青髪ピアスも踵を返し、上条と肩を並べて発進準備の整っている超音速旅客機に向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 時速7000qを越える速度の中、襲いかかる重圧をモノともせずに上条は姫神から送られてきた情報を元に青髪ピアスと作戦会議を開く。
 
「作戦自体はそんなに難しいもんじゃないからな」
 
「バチカンの上空からパラシュートで降下して、カミやんが結界を破壊。
 
 その後で、バチカン博物館の奥にある図書館の最奥部にある法の書とやらをカミやんが破壊して脱出やね?」
 
 青髪ピアスの言葉に頷き、携帯に表示されていた地図をもう一度見て、
 
「見取り図は覚えたな?」
 
「バッチリやで」
 
 そこで丁度ブザーが鳴り、目的地上空に近づいた事を知らせる。
 
 窓の外を覗くと、そこは時差の都合で、真っ昼間のバチカン市国だ。
 
 時差の事をスッパリ忘れていた上条は、小首を傾げ、
 
「……アレ?」
 
「……カミやん。まさか、時差の事を計算に入れて無かったんとちゃうやろな?」
 
 日本を出たのが8時過ぎだった為、人知れず侵入するのには丁度良いと思っていたのだが、今更作戦の変更は利かない。
 
「だ、大丈夫だって、まさかこの真っ昼間から奇襲掛けてくるなんて、向こうも思ってないから!?」
 
「…………」
 
 まるで自分に言い聞かせるように告げる上条に無言の半眼を向ける青髪ピアスだが、彼は溜息一つで全てを諦め、
 
「まあ、カミやんがバカなんは、今に始まった事とちゃうのは知っとったけど」
 
「お前と土御門にだけは、言われたくねぇぞ!?」
 
 互いに文句を言いながらも立ち上がる二人。
 
 そこには悲壮感などは無く、難易度の上がった作戦をクリアする為にやる気を漲らせる二人の戦士が居るだけだ。
 
 無駄口を叩き合いながら後部ハッチに向かうと、予め準備されていたパラシュートを手早く身に着けていく。
 
 手慣れた仕草で身に着けていく上条は、未だ装着途中の青髪ピアスに構う事無く、荷物搬入用のハッチを開放。
 
「う、うおおおお!? 鬼か! カミやん!!」
 
「とっとと装備しないと、コードレスバンジーだぞ!?」
 
 ……まあ、コイツなら落ちた所で死なねぇんだろうけど。
 
 頭の片隅で、そんな事を考えながら、ハッチに手を添えて眼下の景色を睨み付け、
 
「先に行ってるぞ」
 
 青髪ピアスの返事を待たず、空に身体を投げ出した。
 
 降下訓練は、幼い頃から詩菜のパワーパラグライダーに付き合わされる形で馴れている。……否、むしろパワーパラグライダーという名目で降下訓練をこなさせて来たのだろう。
 
 これだけ天気が良いので、本来ならばスカイダイビングを楽しみたい所だが、流石に今回はそんな余裕は無い。
 
 衛兵達に気付かれる前に着陸しなければならないので、展開高度までは速度を稼ぐ為にほぼ垂直に落下していく。その後もパラシュートによる滞空時間を最低限にする為、落下傘の展開をギリギリまで遅らせる必要があるのだ。
 
 ……旧ソ連の特殊部隊なら、普通にやってたって聞くけどな。
 
 流石に上条にそこまでの錬度は無い。
 
 落下傘の展開ポイント直前で姿勢を水平に変えて一気に減速を掛け、続いてパラシュートを展開し、二段目の減速を掛ける。
 
 パラシュートに引っ張られて上条の身体に強い衝撃が掛かり、身体が一気に浮き上がった。
 
 落下傘が風に流されそうになるのをトグルを操って、当初の目的地に着陸出来るよう調節していく。
 
「……こいつが、バチカンを守る結界ってヤツか」
 
 眼下に広がるのは、バチカン市国を覆うように展開されたオーロラのように揺らぐ結界。
 
 しかし、その幾重にも張り巡らされた結界も、上条の右手に触れた途端、まるでガラスが砕けるような音を発てて霧散した。
 
 それで完全に上条達の存在がバチカン中の者達に気付かれた。衛兵だけでなく、大司教や枢機卿のような重鎮、果ては一般市民にまでも、だ。
 
「……ここからは、スピード勝負だな」
 
 地上まではまだ若干、高度があるのにも関わらず、上条は舌舐めずりしてパラシュートを切り離す。
 
 落下ポイントは民家の屋根の上。
 
 着地は爪先から降り、膝、股関節、腰と順に曲げて最後に踵を着く事により、着地の衝撃を全て吸収して、まるで猫のように静かな着地を成功させてみせた。
 
 幸いにも衛兵達は一足先に着陸した上条には気付かず、パラシュートの方に気を取られているので、これ幸いと上条は移動を開始する。
 
 バックパックを捨て、身を低くして屋根の上から飛び降り路地裏に身を隠す。
 
 流石に吹寄達に、何の訓練もせずこの動きに付いて来いといっても無理だろう。
 
 青髪ピアスとの合流を待たず行動を開始する上条だが、そんな彼の前に上空から件の少年が落ちてきた。
 
 彼は石畳を砕きながら着地すると、涙目で上条を睨み、
 
「なんかいきなりパラシュートが外れたんやけど!?」
 
 予め、上条がそういう風に設定しておいたのだ。
 
 しかし、上空20m近くから落下しておいて、無傷な青髪ピアスを半ば感心したような眼差しで見つめつつも、彼の抗議を無視して先を急ぐ。
 
 公称では、バチカンには110人のスイス人衛兵が配属されている事になっているが、本当に厄介なのは、彼らではなく一見して無害そうに見えるシスターや神父達だ。
 
 幸いにも彼らの大半は、現在結界の復旧を優先させているらしく、擦れ違う上条達には注意を向けようともしない。というか、上条達の向かっているバチカン博物館周辺までは観光客が立ち入りを許されている為、それに紛れてしまえば目立つ事無く侵入する事が出来る。
 
 警備の隙をついて、バチカン博物館に侵入を果たした上条達は脇目も振らずに奥の図書館を目指して走るが、その足はすぐに停めざるを得なくなる。──その理由は彼らの前に立ち塞がる一人の女性だ。
 
 顔に無数のピアスを付け、目元を強調するようなキツイ化粧を施した黄色の修道服を着た女だ。中でも特徴的なのが、その舌に付けられた細い鎖から伸びる十字架をあしらったピアスか。
 
「面倒な事ね」
 
 荒んだ目つきで女は上条達を睨み付ける。
 
「バチカンを守る結界が破壊されたって言うから、恐らく敵の狙いは此処だと思って来てみれば……、ビンゴだったってわけね」
 
 ここ、バチカン博物館には、ローマ正教の所有する様々な霊装が管理保管されている。
 
 本来ならば、衛兵か魔術師が詰めているのだが、現在、優先すべきは失われてしまった結界の修復だ。
 
 今、余所の宗派から呪術狙撃を喰らえば、間違いなくバチカンは壊滅する。
 
 その為、避ける人員は全て結界の修復に回されたのだが、かと言って稀少な霊装を多数収めるバチカン博物館や、ローマ教皇の在所でもある聖ピエトロ大聖堂といった重要な場所を留守にするわけにもいかない。
 
 そこで、普通の術式が使えないローマ正教最強の暗部とも言うべき“神の右席”が、それらの守護に出向く事になった。勿論、本来ならばローマ教皇よりの上の立場に居る彼らがそんな端役をやったりはしない。──それだけ今が非常事態というわけだ。
 
 ただ対峙しているだけで、相手が並の魔術師ではないという気配が伝わってくる。
 
 ……とはいえ、何時までもここで足止めを食っているわけにもいかない。
 
 そんな膠着状態を崩すべく、一歩前へ出るのは青髪ピアスだ。
 
「ここは僕が引き受けたさかい。カミやんは先に行きや」
 
「──やれるか?」
 
 相手がただ者ではない事は青髪ピアスにも分かっているのだろう。だが彼は不敵な笑みを見せ、
 
「僕を誰やと思っとるん?」
 
 その言葉に頷き、上条が黄色い修道服の女性……、神の右席が一人、前方のヴェントの傍らを走り抜けようと駆け出す。
 
 勿論、ヴェントも彼を素通しさせるつもりは無い。
 
 手にした有刺鉄線を幾重にも巻き付けた1m以上もの大ハンマーを上条に叩き付けようとする。……が、それは背後から掛けられた声によって無理矢理に中断させられた。
 
「お姉さんの相手は、この僕やで」
 
 聞こえてきたのは、彼女の真後ろ。息が掛かるような近くからだ。
 
 声の主が、軽くヴェントの背中に指を触れる。
 
 瞬間、ヴェントは上条へ攻撃するつもりだった一撃を急遽背後の声に向けて叩き付けた。
 
 風の塊を纏った一撃が振るわれるが、それは床の一部を破壊するに留まり、その隙にまんまと上条には逃げられてしまった。
 
 舌打ちし、ヴェントは青髪ピアスと改めて対峙する。
 
「まさか、今のを躱わされるとは思わなんだなぁ」
 
 先程、耳元で声を聞いた筈なのに、彼の姿はヴェントから10mほど離れた場所にあったのを見てヴェントは眉を顰め、
 
「……今のは、妙な小細工や魔術の類とは違うわね」
 
 僅かな交錯で青髪ピアスの能力を見切ったヴェントは忌々しそうに舌打ちする。
 
 先程の行為は青髪ピアスがヴェントの背後に回り込み、彼女の背を軽く叩いてブラジャーのホックを外そうとした所で大ハンマーの一撃受け、それを回避して元の場所に戻っただけだ。
 
 但し、その速度が常人離れしているのだが……。
 
 そして、ヴェントはそんな馬鹿げた事の出来る能力者に心当たりがある。
 
「アンタ、聖人ね」
 
 世界でも20人に満たないという希有な能力者。
 
 対する青髪ピアスは気負いの無い表情で、
 
「そんな呼び方する人等も居るみたいやね」
 
 ……しかし、妙な話だ。とヴェントは思う。
 
 如何に聖人といえど、彼女の天罰術式の前では問答無用で跪く筈だ。だというのに、この眼前の男からは彼女の天罰術式が効いている様子は微塵も感じられない。
 
 もっとも、青髪ピアスの事を良く知る者達からしてみれば、答えは呆気ない程簡単な事であり、その解答とは、ヴェントが女だからという事に尽きる。
 
 あらゆる属性の女性を萌えの対象として見る事の出来る青髪ピアスからしてみれば、敵意を呷るようなヴェントのメイクや口調なども、新しい萌えジャンルに過ぎないのだ。
 
「やさぐれお姉さんシスター萌ぇ♪」
 
 よって、彼にヴェントの天罰術式は通用しない。
 
 ちなみに、学園都市に身を置く青髪ピアスではあるが、聖人らしく一応は神を信仰している。
 
 もっとも、彼の信仰する神とは、美少女と書いて神とルビがふられているような存在であり、彼曰く、
 
「神様っちゅーんは、決まった姿とか無いわけやね。せやから、見る人によって姿形が変わるわけなんよ。
 
 つー事はやで、カミやん。外見が美少女な神様でもOK.って事やん!! そんな神様やったら、本気で信仰するに決まっとるやん!!」
 
 との事であり、彼の信仰とはすなわち萌えの一言に尽きる。 
 
 天敵とも言える存在を前に、背筋に悪寒を感じずにはいられないヴェント。
 
「ほな……、ドサクサ紛れにセクハラの一つでもさせて貰おかな?」
 
 その言葉の前に、ヴェントは神の右席となって以来、初めて本気にならざるを得なくなった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 姫神経由でアウレオルスから教えてもらった通り、バチカン博物館内部の図書館に辿り着いた上条は、隠し扉から魔導書を収めている地下室へと向かい、そこで頭を悩ませる事になった。
 
「……どれが法の書なんだ?」
 
 そこにあるだけでも軽く数万冊に及ぶ魔導書の数々だが、日本語以外で書かれている背表紙を見ても、どれが件の魔導書なのか分からない。
 
「ど、どうしよう……」
 
 だからといって何時までもここで考えているわけにもいかないのが現実だ。
 
「こんな所に客人とは、珍しいな……」
 
 本棚の影から姿を現したのは豪奢な衣装を纏った老人だ。
 
 だが、老人はラテン語で話しているので、上条には何と言っているのかサッパリ分からない。
 
 上条は老人がこの部屋の司書かと思って、駄目元で思い切って尋ねてみる事にした。
 
「法の書って言う魔導書を探してるだけど、爺さんどれか分かるかな?」
 
 もはや開き直って日本語で問うてみると、意外なことに日本語で返事が返ってきたではないか。
 
「知ってはいるが、何に使う?」
 
 そう問い掛けてくる老人の声色に、剣呑なものが宿るのを感じた上条は、妙な誤魔化しをするのではなく、思い切って真実を告げる事にした。
 
 何と言うか……、嘘を吐いても、すぐに見抜かれるような気がしたのだ。
 
「法の書の解読方法を発見しちまった人が居るんだ。その人はその所為で、ローマ正教に命を狙われる事になっちまった。
 
 だから、問題の元凶になってる法の書さえなくなれば、その人も命を狙われる事も無くなると思ってな」
 
 貴重な魔導書を破壊する。
 
 普通ならば、そんな事を言われて、「はい、どうぞ」と差し出すような馬鹿は居ないだろう。
 
 だから、老人は眉を顰め、
 
「そんな事を言われて、私がすんなりと法の書を差し出すと思うか?」
 
「……だよなぁ。……どうしよう?」
 
 その場でしゃがみ込み、本気で悩み始めた上条を見下ろしつつ、老人は再度彼に問い掛ける。
 
「しかし解せんな……。何故、君は一人の為だけにそこまで危険な橋を渡ろうとする?
 
 その解読者に、そこまでしてやる義理でもあるのか?」
 
「いや、義理とかじゃなくてな……、つーか、今日初めて会ったばかりの相手なんだけどさ。
 
 そいつが元々法の書を解読しようとした理由っていうのが、法の書を破壊する為の方法を探る為だって言うんだよ。魔導書なんてもんは争いの元になるだけで、どうやったって人を幸せには出来ないからって。
 
 そんな事を考えてるような良い奴が、理不尽な理由で命を狙われてる。──そんな事、黙って見てるだけなんて出来るわけ無いだろう」
 
 清々しいまでに断言してみせた上条の眼差しに嘘偽りは無い。
 
「く……、はっはっはっ、随分と面白い行動理念をしているな。
 
 まるで、私の知り合いのようだ」
 
「上条さん、何処にでも居る普通の高校生ですよ?」
 
 あくまでも自分の考えは普通だと言い張る上条。対する老人は本棚の中から一冊の本を取り出し、
 
「コレが君の探していた法の書だ。しかし、原典級の魔導書ともなると、普通の方法では破壊する事が出来んぞ」
 
 言いながら上条に一冊の本を手渡すと、上条はそのままその本を右手で受け取った。
 
 直後、一気に風化して灰になった法の書は、その場で小さな灰の小山作り出す。
 
 何らかの魔術を行使した様子も無く、いきなり原典を灰に変えた上条を驚きの眼差しで見つめる老人。
 
 上条と言えば、そんな老人の視線には気付かず、灰の山を広げて消え残りが無いかを確認し、
 
「良し、これで任務完了と──」
 
 立ち上がって老人の方に振り返り、
 
「ありがとな爺さん。後、今回の件で爺さんの立場的にヤバイ事になりそうだったら、俺の名前……、上条・当麻の名前を出して貰っていいから」
 
「……分かった。そうさせてもらおう」
 
 最後にもう一度礼を述べ、上条は地下室を後にした。
 
 そして、上条が部屋を去って完全に気配が離れたのを確認すると、本棚の影から一人の男が姿を現す。
 
 屈強な戦士のような体つきの男、神の右席の一人、後方のアックアだ。
 
「スマンであるな。世話を掛ける」
 
「いや、私としても久しぶりに楽しめた」
 
 そう言って老人……、ローマ教皇は楽しそうに口元を綻ばせる。
 
「出来れば味方に引き込みたい逸材だな。……敵にするには惜しすぎる」
 
「どうであるかな? 今回のような事件が続けば、アレは間違いなくローマ正教に牙を剥くであろう」
 
 とはいえ、上条が所属する学園都市が一概に正義とは言えないのも事実だ。
 
 しかし、アックアは密かにほくそ笑み、
 
「あれからどれ程成長したのか? 個人的には手合わせしてみたいとは思う」
 
 そう告げるアックアの表情は神の右席の一人ではなく、かつてフリーの傭兵であった頃のウィリアム・オルウェルのものだった。
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 上条がバチカン博物館を引き返してみると、丁度、青髪ピアスとヴェントの戦いが佳境に入った所だった。
 
「うははははは! 武器は奪ったで! 後はその乳を揉みしだく!!」
 
 既に青髪ピアスの魔手により、フードは取り去られており、その下に収められていた意外と長い髪が全て露出してしまっているだけでなく、ヴェントの修道服の下にあるブラジャーのホックさえも外されてしまっている。
 
 獣のような形相で、一歩を詰める青髪ピアスと短い悲鳴を挙げて、一歩後ずさる前方のヴェント。
 
 天罰術式が効かず、武器まで取り上げられた彼女は、もはや打つ手も無く、弱々しい乙女のような表情で目尻に涙まで溜めていた。
 
「そのギャップも堪らんですたい!」
 
「上条メガトンキィ──ック!!」
 
 もはや、何処の方言なのかすら分からない程にテンションが上がりきっている青髪ピアスに向け、上条が背後から跳び蹴りを喰らわせて強制的に意識を奪い取る。
 
 完全に不意を突かれた形の青髪ピアスは、呆気ない完璧に意識を手放した。
 
 余程、怖いモノでも見たのか、未だに涙目で怯える女性に向けて上条は手を差し伸べ、
 
「もう大丈夫だ。変態は退治したから」
 
 差し伸べられる手を咄嗟に拒絶してしまうヴェント。
 
 トラウマにでもなったのか? 頑なに上条の差し伸べる手を拒絶しようとするヴェントに対し、上条は少々強引に彼女の手を取ると一気に立たせ、衣服の乱れや怪我が無いかを確認。
 
 どうやら、ギリギリで性犯罪者から彼女を守れたらしい。
 
 上条は知らない事ではあるが、ヴェントの本命魔術である天罰術式は、自分に敵意を向けた者を問答無用で打ち倒すという便利な魔術だ。だが、逆に言えば常に敵意を向けられるように仕向けなければならない。
 
 全世界の人間から恨まれる人生を選択した彼女にとって、何の打算も無く差し伸べられた善意というものに戸惑ってしまったのだ。
 
 慌ててそれを拒絶しようとしたのにも関わらず、上条は強引にヴェントの手を取り彼女を引き上げた。
 
 それは、弟の復讐の為、闇の世界に身を落とした彼女に差し出された一筋の光明のようにも思えてしまったのだ。
 
 そんなヴェントの心境など知らず、彼女に被害が無かった事に大して安堵の吐息を吐き出した上条は、気を失っている青髪ピアスの身体を肩に担ぐ。
 
「色々と迷惑を掛けて悪かったな」
 
 最後にそう言い残してヴェントの前から去って行く上条。
 
「あ……」
 
 遠ざかって行く上条の背中に向けて、ヴェントは名残惜しそうに手を差し伸べるも、その手は何も掴めないまま空を切る。
 
 ならばせめて、とばかりに、誰にも聞こえないような小さな声で一言だけを呟き、上条の後ろ姿を見送った。
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 場所は変わって学園都市。
 
 アニェーゼ部隊から離れたステイルとインデックスは、そのまま上条の寮を訪れていた。
 
「……そこまで馬鹿だったのか? あの男は」
 
 吹寄からおおよその展開を聞き、思わず呆れてしまう。
 
 インデックスに至っては、余りの馬鹿さ加減に言葉を失っている程だ。
 
 世界最大の宗派であるローマ正教の本拠地に直接乗り込み、その最奥に隠されている本物の法の書を破壊しようなどという突拍子も無い作戦を実行しようという馬鹿は初めて聞いた。
 
 バチカンの警護の堅牢さを知る彼らだからこそ分かる。
 
 この作戦は絶対に成功しない、と。出来る事ならば、彼がその愚かさに気付き作戦を中断してくれる事を願うのみだ。
 
 誰も、一言も発せられない重苦しい雰囲気の中、玄関のドアをノックする音だけが響く。
 
 ドアの上部に仕掛けられた隠しカメラからの映像に映るのは、一人の男と少女が二人。
 
 男の方は見たことのない顔だが、女の方は知っている。
 
「五和さんとミサカさん」
 
 姫神が立ち上がって、玄関まで来客を出迎えに行く。
 
「お邪魔するのよな」
 
 そう言って挨拶してきた男は、自らを天草式十字凄教の教皇代理、建宮・斎字と名乗った。
 
 建宮からもたらされた報告によると、
 
「ローマ正教の部隊が撤退した?」
 
「そうなのよな。撤退したと見せかけて、実は隠れていて隙を狙って攻撃を仕掛けてくる可能性も無くはないんだが、こちとら隠密行動に関しては一家言あるのよな」
 
 もし仮に本当に撤退していたとすれば、上条が法の書の破壊に成功した事になるのだが、その可能性は極めて低い。
 
「ところがどっこい、ホントに撤退したんだにゃー」
 
 そんな声と共にベランダから侵入してきたのは、金髪サングラスの男、上条の隣人、土御門・元春だ。
 
 彼は我が物顔で上条の部屋に押し入ると冷蔵庫から勝手に麦茶を取り出してコップに注ぎ、それを一気に呷ってから、
 
「ちょっと、薄いな」
 
「出涸らしだから……」
 
「……苦労してんだにゃー」
 
「そこは節約と言ってもらいたい」
 
「いいから先を話せ土御門」
 
 話が進まない事に業を煮やしたステイルが続きを促す。
 
「簡単に言うと、カミやんが法の書の破壊に成功したんで、これ以上ローマ正教がオルソラ・アクィナスを狙う必要が無くなったから撤退したんだにゃー」
 
 それを聞いた少女達が一斉に喜ぼうとしたが、建宮がそれを制し、
 
「その情報は確かなのよな?」
 
「信用してもらって良いぜい。ローマ正教の公式な発表だ」
 
 それによると、所属不明の賊によって貴重な魔導書である“法の書”が破壊された。
 
 どのような術式を使って破壊したのかは不明だが、犯人はアジア系の男性という事しか分からないとの事。
 
「……本当にやったのか? あの馬鹿は」
 
 ステイルは、正直、信じられないという思いが強い。
 
「まったく……、とんでもない男なのよな」
 
 建宮は感心を通り越して呆れの色が強いくらいだ。
 
「取り敢えず今は、オリアナ・トムソン所有の個人ジェットでこっちに向かってるそうだ」
 
「……誰? そのオリアナ・トムソンって」
 
 何だか非常に嫌な予感がする。
 
「元ローマ正教の、今はフリーランスの運び屋だぜい。
 
 何故かカミやんに熱を上げてる色っぽい女魔術師な」
 
 途端、少女達の身体から得体の知れないオーラのようなものが立ち上がるのを男性陣は感じ取った。
 
 それを確認して面白そうに一頻り笑ってから、土御門は表情を真剣なものに改めオルソラに問い掛ける。
 
「それで、アンタはこれからどうするつもりだ? オルソラ・アクィナス」     
 
 これ以上、命を狙われる心配は無いとはいえ、露骨に暗部をさらけ出してしまったローマ正教が彼女を受け入れてくれるとは思えない。
 
「君が望むのならば、イギリス清教は君を受け入れる準備はある。とだけ言っておこうか」
 
 そう言って、ステイルは懐から銀製の赤いラインが入った十字架のネックレスをテーブルの上に置いた。
 
「好きにすると良いのよな、別にウチに来るっていう選択肢もあるわけだし」
 
 共に来るのならば拒むつもりはなく、全てオルソラの意志に任せると建宮は言う。
 
「私は……」
 
 暫く考えていたオルソラであったが、やがて顔を上げると、
 
「もし、ご迷惑でなければ、ここに置いていただけないでしょうか?」
 
 恐らく今回の一件で、上条はローマ正教に狙われる事になるだろう。
 
 その元凶を作ってしまった存在として、少しでも彼の手助けをしていきたい。
 
 それがオルソラの選択だ。
 
 少女達は顔を見合わし、小さく頷く。
 
「良いんじゃない? あの馬鹿の場合、断るって選択肢は無いだろうし……」
 
「そういう事なら、天草式としても護衛を置いていくのよな」
 
 言って、五和の背中を叩き、
 
「相手が魔術師の場合なら、同じ魔術師の方が相手の手の内を読みやすいってもんなのよ」
 
「よ、よろしくお願いします!!」
 
 立ち上がり、深々と頭を下げる五和。
 
 こうして居候が二人ほど増える事になったのを、家主である上条はまだ知らない。
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