とある魔術の禁書目録・外典
 
書いた人:U16
 
第3話
 
 芝生を敷き詰められた地面と砂地。そして所々にある遊具とベンチ。
 
 コンクリートとアスファルトで固められた街中に、オアシスのように作られた児童公園。
 
 本来ならば、夏休みの為時間が有り余っているはずの子供達の声が聞こえてきてもおかしくない筈の時間帯でありながら、その公園は不気味な静寂に包まれていた。
 
 その原因の中心となる人物は、Tシャツにジーパン。足下にはスニーカーという何の気負いも無い格好で芝生の上に立つ。
 
 そんな彼は、身体を半身に構え、手足を折り畳むような窮屈な格好で、まるで全方位からの攻撃に警戒しているようにも見える。
 
 否、実際に警戒しているのだ。
 
 僅かな気配も見逃すまいと、神経を尖らせる上条の耳に僅かに砂を擦るような音を聞こえた。
 
 ……そこかッ!?
 
 大地を蹴り、一気に間合いを詰めてその勢いと遠心力を利用した回し蹴りを放つ。
 
 ……捉えた!
 
 人影に当たると思われた瞬間、その人物はまるで幻か何かのように姿を消してしまった。
 
 ……ッ!? またかよ!
 
「こっちよ」
 
 声と共に放たれた掌底が上条の脇腹を抉るように狙ってくるが、その一撃は辛うじて左手でのガードに成功する。
 
「グッ!?」
 
 相手の一撃はガードの上からでも身体にダメージが残るような攻撃だ。
 
 僅かに踏鞴を踏む上条を、敵は見逃してはくれない。
 
 即座に足払いを仕掛けて彼を地面に転ばせると、間髪入れずにトドメとなる掌底を放ってくる。
 
 しかし、それこそが上条の狙いだ。
 
 ……気配が読めないんなら、相手の攻撃してくる場所を特定出来るように誘い込めばいい。
 
 上条は全身のバネを使って、ヘッドスプリングで勢い良く起きあがり様に掌底を躱わし、相手の腕に合わせるように身体を反転させながら蹴りを放つ。
 
 ……貰ったッ!
 
 回避不能のタイミングと思われた上条の攻撃だが、その蹴りですら相手の読みの内だったらしく、先程同様に虚しく空を切る。
 
「残念だったわね」
 
 背後から聞こえてくる声。
 
 身を固くする上条の背中に相手の肩が押し当てられ、……次の瞬間、上条の身体はまるで人身事故にでもあったかのように吹き飛ばされた。
 
 直後、巻き起こる大歓声。
 
 上条達の戦闘を見物していた観客達だ。
 
 その大半を占めるのは小学生達だが、子供達は好き勝手な事を言って上条達を囃し立てる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そんな喧騒に包まれた中、
 
「……最近、思うんだけど」
 
 吹き飛ばされ、木にぶつかってようやく停まった上条は、天地逆の姿勢のままで対戦相手であった少女に声を掛ける。
 
「吹寄、技のバリエーション増えてきたよな?」
 
「あら? 分かる?」
 
 どことなく声が弾んでいるのは気のせいではないだろう。
 
「……でも、吹寄が習ってたのって、太極拳じゃなかったけ?」
 
 重力に引かれるように、横倒しになる上条だが、そんな事を気にせずに彼は吹寄に向かって質問を投げ掛けた。
 
 対する吹寄は小さく頷くと、自信の籠もった眼差しで頷き、
 
「色々と研究してるもの」
 
「……漫画読んでか?」
 
 問い掛けた瞬間、蹴りがとんできたので慌てて回避する。
 
「ず、図星ですか!? というか、口封じに蹴ろうとするのは止めて下さい、お願いします!!」
 
 低頭平身で謝る上条に溜息を吐いて、吹寄は彼に手を差し出すと、そのまま助け起こしてやる。
 
 身体に付いた埃を払う上条に、それまで観戦していた姫神と風斬が近寄ってタオルとミネラルウォーターのペットボトルを手渡すのを横目で見ながら、
 
「大体貴様、全然本気でやってないでしょう?」
 
 上条の場合、例えそれが女であろうと、倒さなければならない敵であると認識すれば、何の躊躇いも無く殴る事が出来る。
 
 逆に、如何に稽古とはいえ知り合いの女の子に手をあげるような真似は出来なかった。
 
「……ホント、妙な所でフェミニストよね? 貴様」
 
「手ぇ抜いたつもりは無いんだけどな……」
 
 上条は頭を掻きながら、
 
「そんな事よりも、どうやったらあんなスピードで動けるのか? と上条さんは聞いてみたい」
 
 理不尽だ。と言わんばかりの上条の質問に対し、吹寄はキョトンとした表情で、
 
「そんなに速く動いてないわよ? ……実際、私より貴様の方が速いでしょ?」
 
「う、嘘でぇー!? だって、俺が蹴り入れたら残像だったりするじゃねぇか!?」
 
「目の錯覚を利用してるだけよ。大体人の反射神経より速い速度で動けるなんて……、風斬さんなら出来る?」
 
 いきなり話を振られた風斬は焦り、しかし少し考えると、
 
「は、はい。そうですね……、多分出来ると思います。けど……。速度を上げようとすると、身体を軽量化させる必要もありますから、その分強度も落ちますし、そのスピードで何かに当たったりすると、多分自分の身体の方が砕ける事になっちゃうと思います」
 
 それは余りにも危険過ぎる。
 
 苦笑を浮かべながら、絶対にやらないように、と釘を刺して話を上条に戻す。
 
「……それで? どこまで話したかしら?」
 
「彼が。本気で稽古してない。という所まで」
 
「そ、その言い方は、非常に誤解を招く恐れがありますよ!? 姫神さん!」
 
 焦る上条が恐る恐る吹寄の方に視線を向けると、彼女の全開にされた額に大きな井桁が張り付いていた。
 
「……確かに、あの時の貴方の戦闘力はこんなものではなかった、とミサカは思い出してみます」
 
 聞こえてきた声は振り向くと、そこには何時の間に居たのか? 頭の上にゴツイ軍用ゴーグルを装着した御坂妹が居た。
 
 上条が御坂妹に軽い挨拶を返し、彼女も気軽に首肯して返す。
 
 そんなミサカに対し、疑問を投げ掛けたのは姫神だ。
 
「……あの時と言うと?」
 
 問い掛けに対し、彼に近しい少女達が知らない情報を自分だけが知っているという優越感からか? ミサカはどこか勝ち誇った表情で、
 
「ミサカを助ける為に、学園都市最強の“一方通行”と戦ってくれた時の事です。と、ミサカは回想し、頬を綻ばせながら告げてみます」
 
 ……そう言えば、
 
「貴様が一方通行に勝ったとかいう噂が流れた時期があったけど、それは事実なの?」
 
 鉢合わせになると、喧嘩するような仲だ。
 
 無関係というわけではあるまい。
 
 問われた上条は思い出すように、
 
「あー……、アレなぁ。
 
 確か、高校に入学してすぐくらいだっけ?」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 まだ桜も散りきっていない季節。
 
 クラスメイトの名前と顔も一致しないような頃の話だ。
 
「カっミやーん♪」
 
 知り合って間もないというのに、馴れ馴れしく上条の名前を呼ぶのは、彼の寮での隣人となった土御門・元春。
 
 金髪に染めた髪にサングラスという格好の彼は、授業も終わり帰宅の準備をする上条を呼び止めると、
 
「ナンパ行こうぜい♪」
 
「また、唐突だなオイ!?」
 
 普通、友達になるにしても、もう少し順序とかあるんじゃなかろうか?
 
 しかし、その考えは上条だけのものだったのか?
 
「えぇねーナンパ。ボクもご一緒させて貰おうかな?」
 
 そう言って笑みを浮かべながら近づいてきたのは、同じくクラスメイトで髪を青色に染め、耳にピアスを付けた身長180オーバーの長身の少年だ。──名前は、
 
 ……何だっけ?
 
 流石にまだ、クラスメイト全員の名前は覚えていないので、取り敢えず青髪ピアスとしておく。
 
「あのな……、お前等。普通友達関係とかっていうのは、順番にステップアップしていくもんなんじゃねぇのか? それがいきなり連るんでナンパっていうのも正直どうかと上条さん思うわけよ」
 
 訥々と常識を語る上条に対し、二人の怪しい奴等は小首を傾げながら、
 
「なんや? カミやん。女の子と仲よーなりたないの?」
 
「にゃー、それは男としてどうか? と思うぜい」
 
「誰がそんな事言いましたか!? つーか、揃いも揃って彼女居ないのかお前等!?」
 
「にゃ、にゃー!? 彼女の居ない奴にだけは言われたくないぜい!?」
 
「だからこそ! だからこそ! コレからナンパに行こうとしてるのが何故分からへんねん!」
 
 滂沱の涙を流しながら告げる青髪ピアスの妙な迫力に押される形で、結局付き合わされる事になった上条。
 
 ──彼が連れて来られた場所は、ゲームセンターやカラオケなどの娯楽施設が多く集う繁華街。
 
 半日授業の為、通りは学生で溢れかえっている。
 
 一度帰って着替えてきた者、学校から直接遊びにきている者、学校に行かず朝から遊び続けている者、昨夜からノンストップで遊び続けている者、と様々な種類の学生達が犇めく通りにおいて、缶ジュースを片手に自販機の傍らの壁に背を預けて通りすがる女の子を評価している土御門と青髪ピアス。残りの一人である上条は自販機を激しく叩きながら、「不幸だぁ──!」と叫きながら返却レバーをガチャガチャやっている。
 
「ううう……、なんで上条さんの時に限ってお金が呑まれますか?」
 
「なんつーか、ついてないにゃーカミやん」
 
 土御門から形だけの同情を貰うが、当然嬉しくない。
 
「そう言えばカミやん。この街長いんだっけ?」
 
 という土御門の問い掛けに、上条はしつこく返却レバーを弄りながら、
 
「小学生の時からだから、9年は居るけど?」
 
 ふーん。と気のない返事を返しつつも、土御門はまるでタイミングを見計らうように口を開く。
 
「んじゃカミやん。“一方通行”って聞いた事あるかにゃー?」
 
「……一方通行?」
 
 普通に言葉通りの意味かと思ったら、どうやら違うらしい。
 
「何でも、学園都市bPの能力者だって話しだぜい。
 
 聞いた話だと、触れた物のベクトルを操るとか何とか」
 
 あらゆる攻撃を反射し、その手に触れられれば体内の血液を逆流させられ簡単に死亡する。
 
 そんな悪魔のような能力者。それが……、
 
「……“一方通行”ね」
 
「なんや、怖い人やねー。……ま、ボクらレベル0の無能力者には関係あらへんやろけども」
 
 気軽に告げてくれるのは傍らに居た青髪ピアスだ。
 
 上条もその発言に頷きながら、必死な形相で返却レバーを上下させ続ける。
 
「……えぇ加減諦めたらどうやのん? カミやん。120円くらい別にえぇやん」
 
 青髪ピアスはそう言ってくるが、上条としてはどうしても引けない理由があるのだ。
 
 彼は前髪で視線を隠した項垂れた表情で、
 
「……2千円だ」
 
「──は?」
 
「2千円突っ込んだ」
 
「……2千円って、何でそんな中途半端な金額……」
 
 そこまで言って思い出した。その昔に存在しながらもすぐに使用される事無く消えていった紙幣の存在を。
 
「……もしかして、2千円札!?」
 
「にゃー!? それってある意味物凄くレアだぜい!?」
 
 見てみたい! と意見を一致させ、上条に協力するように自販機を叩き始める青髪ピアスと土御門。
 
 まあ、当然そんな事をすれば自販機内部に組み込まれている防犯装置が作動して、けたたましい音を発てて警報が鳴り響き、近くの警備員の詰め所へ通報が送られる。
 
 何だ? 何だ? と周囲の視線が少年達に集まり始める中、上条は焦った声色で、
 
「ばッ!? 何やってくれてますか!」
 
 叫んだ時には既に土御門と青髪ピアスの姿は無い。
 
「バックレやがった!?」
 
 儚い友情を嘆きつつ、ダッシュでその場を離れようとする彼を呼び止めたのは風紀委員の腕章を付けた少女。
 
 ツインテールに纏めた髪型の少女は常盤台の制服のスカートを翻しつつ、上条に警告する。
 
「風紀委員です! こんな昼間から、しかもこんな大通りのど真ん中で自販機荒しとは、良い度胸ですわね? 殿方さん」
 
「待て待て待て! これは純粋な誤解でな!?」
 
 何とか誤解を解こうと説得廻る上条だが、彼らを取り囲む人混みの中なら現れたのは、風紀委員の少女と同じく常盤台の制服を着た少女だ。
 
 肩まである茶色い髪に整った顔立ちの少女は、やや焦った声色で、
 
「ちょっとちょっと、一体いきなりどうしたのよ? 黒子」
 
 そう声を掛けて現れた、新たな乱入者の動きが停まる。
 
 彼女は上条に視線を固定したまま……。
 
「……見つけたわよアンタ!」
 
 満面の笑みを浮かべて告げる。
 
 対する上条は露骨に嫌そうな顔で、
 
「ゲッ!? ビリビリ中学生!」
 
 言った瞬間、ビリビリ中学生こと、御坂・美琴から雷撃の槍が飛んだ。
 
 それを右手の幻想殺しで瞬時に打ち消す。
 
「クッ!? また効かない!」
 
「あ、危ねぇ!? 怪我したらどうすんだビリビリ!」
 
 上条が無事なのを確認した美琴は舌打ちし、
 
「してないじゃない!? 何でレベル5の私の攻撃が通じないのよ!? アンタ、レベル6か何かか!? 後、私には御坂・美琴って名前があんのよ!?」
 
 美琴が叫ぶが上条は聞いてはいない。
 
「不幸だぁ──!?」
 
 絶叫し、踵を返して逃走開始。
 
「逃げるなバカ!!」
 
 そんな上条に向け、追撃の雷撃が放たれるが、それらの悉くは上条の右手によって消滅させられる。
 
 その騒動に巻き込まれまいと、人混みが割れてくれたのはありがたい。
 
 上条にとっては逃げやすくなるし、美琴にしてみれば……。
 
「……まさか、人間相手にコイツを使う事になるとは思わなかったわ」
 
 座った目つきで制服のポケットからゲームセンターのメダルを取り出す。
 
「お、お姉様……、それは流石にやり過ぎなのでは!?」
 
 拙いと思った黒子が静止の声を掛けるが美琴の耳には届いていない。
 
「死ねぇ──ッ!!」
 
「殺人宣言しましたよ、このビリビリ!!」
 
 美琴の手から放たれるのは、音速の3倍の速度を持って射出されたメダル。
 
 摩擦熱の都合で、メダルが溶けきってしまい射程距離は50m程度しかないが、それでもこの距離ならば充分だ。
 
 オレンジ色の閃光を纏い上条に向けて直進する超電磁砲。
 
 その破壊力は鉄筋コンクリート製のビル数階分の床を容易くぶち抜く程の破壊力がある。
 
 人間相手に使えば、跡形も無く消し飛ぶはずの力だ。
 
 しかし、その圧倒的な破壊力の砲撃でさえも、上条には通用しない。
 
 走りながら背後に差し出された彼の右腕。
 
 そこに超電磁砲が直撃し、そのまま消え去った。
 
 後に残るのは、上条の右手の中の半周り以上小さくなったメダルと、一拍の後、超電磁砲の余波で薙ぎ倒される見物人達。
 
 上条はメダルをその場に落とすと、
 
「そこの風紀委員!」
 
 名を呼ばれた風紀委員の少女、白井・黒子は自らがお姉さまと慕う少女の切り札があっさりと停められた事によるショックから、上条の声で我に返る。
 
「まず取り締まるのは、そこのビリビリだと思うのですが、どうでしょう!?」
 
 言われ、傍らの美琴の顔を見て、走り去ろうとしている上条の背中を見て、再度美琴の顔を見て、黒子は肩を竦めて溜息を吐き出し、
 
「……まあ、未遂で済んでいる事ですし、自販機荒しの件は多目に見ておきますわ」
 
 自分の主張を華麗にスルーされた上条は走りながら絶叫を一つ。
 
「……身内贔屓だぁ──!!」
 
 ドップラー効果で遠ざかりながらも聞こえてくる上条の叫びを溜息一つで無視して周囲の野次馬達を追い払い始める、
 
「はいはい。見せ物じゃありませんのよ」
 
 黒子に促され、三々五々散っていく学生達。
 
 それを見送りながら、黒子は傍らの少女に視線を向ける。
 
 必殺の一撃を難なく停められた事に対し、美琴は特に憤るでもなく上条の去って行った方を見送り、溜息を一つ。
 
「……まったく、一体何者なのよ? アイツ」
 
 割と平然とした声でそう呟いた。
 
「ホントですわね……。お姉様の超電磁砲を軽く受け止めるだなんて、そんな能力聞いたこともありませんわ」
 
 既に彼女達の視界に上条の姿は無い。
 
 二人は揃って肩を竦め、
 
「まあ良いわ。買い物の続きでもしましょう」
 
「はい、お姉様♪」
 
 そう言って、彼女達も踵を返す。
 
 ……そんな何時もと変わりない無い日常。
 
 その裏で、始められようとしている実験。
 
 一人の少年を深い地獄へ堕とす為の……。
 
 2万人の少女を殺す為の……。
 
 残酷で救いのない実験。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 美琴の魔の手から逃れ、安堵の吐息を吐いていた上条。
 
 だが、自販機からの通報で駆けつけた警備員から再度追われる事になり、彼らから逃れる為、今度は路地裏に逃げ込んでいた。
 
「ふ、不幸だ……」
 
 何時もの台詞を吐きながら必死に逃げる。
 
 ゴミ箱を蹴飛ばし、野良犬に吠えられ、必死に逃げ回った先に彼が辿り着いたのは、既に人の居なくなった廃棄地区だった。
 
「だぁー……。何処だここ?」
 
 学園都市歴の長い上条でも見覚えの無い場所。まるでゴーストタウンのように人気を感じない。
 
「……気味の悪い場所だな?」
 
 戻ろうかと思ったが、引き返したりして警備員に見つかるのも厄介だ。
 
 仕方なく愚痴を零しながら歩き続ける上条。
 
 そして、彼が辿り着いたのは廃棄された列車の操車場だった。
 
 ……線路沿いに歩いて行けば、駅に行けるかな?
 
 そんな事を考えながら歩く上条。……そこで彼が目にしたのは、一方的に少女を屠殺しようとする白い少年だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ──時間は少し遡る。
 
 上条が美琴の手から放たれる雷撃の槍を必死に回避している頃。
 
 廃棄地区にある操車場で、一つの実験が開始されようとしていた。
 
 対峙するのは少年と少女。
 
 白い髪に色素の薄い肌。瞳は凶暴なほど紅い。灰色の服を着た彼はつまらなそうな表情で眼前の少女、常盤台の制服を着て頭部にゴツイ軍用ゴーグルを装着した御坂・美琴。……のクローンに向けて声を放つ。
 
「ハッ、しかし、お前も律儀だなぁオイ。わざわざ、殺される為に2万人も作られるなンてよう」
 
 実験開始までの僅かな時間。暇潰しに、とでも思ったのか? 少年……、一方通行からミサカに向けて話掛ける。
 
 対するミサカは無表情で、
 
「それがミサカの存在意義ですので。とミサカは何の感慨も無く言ってみます」
 
「はン。存在価値? 存在価値ねぇ。……ホント、つまンねぇわ、お前」
 
 この実験は一方通行が前人未踏のレベル6にシフトアップする為のもので、その内容は彼にあらゆるシチュエーションの元、2万人の御坂・美琴のクローンと戦って殺させるという残酷極まりない代物だ。
 
 しかし、当のミサカは自分の事を使い捨てのクローンという事を認識しており、その事に対して特に感慨はない。
 
 学園都市最強と言われ、しかしそれでも無敵と言われる力を欲する一方通行にしてみれば、この実験を行う意味は大きい。
 
 最強と無敵は違う。
 
 最強とは実際に戦いその強さが知れ渡ったものだ。対して無敵とは誰も彼に挑んでみようと思わない程の絶対的な強さを指す。
 
 何だかんだと憎まれ口を叩いてはいるが、彼の本心は不必要に人を傷つけたくないという優しさからきている。……もっとも、悪意を持って彼と敵対しようとするものに対しては微塵も容赦するつもりはないが。
 
 そんな彼にとって、このような狂った実験、苦痛以外の何物でもなかった。
 
 だから彼は言う。無意識的に、相手を怯えさせこの実験から降ろさせる為に。
 
「ハッ、ご苦労なこった。
 
 てめぇのオリジナルだろうと、俺には手も足も出ねぇだろうによぉ。劣化クローンのてめぇに、万に一つでも勝機があるとでも本気で思ってンのかぁ!?」
 
 口汚く罵り、相手の戦意喪失を狙う。
 
 しかし、ミサカにしてみれば死ぬことこそが己の存在意義と定義されているのだ。
 
 この実験で死ぬ事に否は無い。
 
 ……元々、ミサカの価値は18万円。ボタン一つで幾らでも換えの利く使い捨ての存在であるとミサカは確認します。
 
「……ではこれより第一次実験を開始します。被験者の一方通行は所定の位置に着いて待機してください。とミサカは告げます」
 
 何の感慨も無く宣言するミサカに対し、一方通行は面白くなさそうに舌打ちし、覚悟を決める。
 
「チッ。……じゃあ、お前死ンじまいな」
 
 それは自ら悪党になると決めた決意。
 
 この少女達は決して自ら実験を降りるような真似はしないだろう。……実験を停める事は絶対に出来ない。ならば、自分はこの少女達の犠牲の上、無敵の存在になってみせるという決意。
 
 決して誰にも負ける事は許さないという断固たる決意を持って一方通行は眼前の少女を殺す。
 
 それが自分の実験の為に生み出され殺されていくミサカ達に対するせめてもの敬意。
 
 今回、シリアルナンバー・ミサカ00001号に化されたシチュエーションは、もっともシンプルな、何の武器も持たず真正面から戦え、というものだ。
 
 レベルにして2か3程度の力しか持たないミサカがレベル5の一方通行に小細工無しで勝てる確率は0%。
 
 それを承知でミサカは一方通行に攻撃を放つ。
 
 オリジナルの物とは比べ物にならない程弱々しい雷撃の槍。
 
 見た目はそれほどでもないが、雷撃の電圧や電流に関しては1/200以下しかあるまい。
 
 そんな儚い抵抗も、当然一方通行には通用しない。
 
 彼の能力はあらゆる種類の向きを皮膚上の体表面に触れただけで自在に操るというものだ。
 
 放たれる力の大小に関係なく容易く反射する。
 
「グッ!?」
 
 自ら放った一撃が的確に反射され、ミサカの胸を貫く。
 
 如何にオリジナルの1/200以下の威力しかないとはいえ、それでも市販のスタンガンなどよりは遙かに強力な一撃がミサカの身体を穿つ。
 
「クッ……」
 
 幸い、というべきか? 電気使いである彼女は電撃に対する抵抗力は高い。
 
 意識を失うことなく、また行動不能になる事もなく戦闘は続行される。
 
 震える脚を何とか動かし、一方通行の周りを旋回しながら雷撃を放つ。
 
 ……移動しながらの攻撃なら、的確に反射する事は出来ないはず。とミサカは思考します。
 
 確かに相手が何も考えない木偶ならばそうだろう。但し、今彼女が相対しているのは学園都市最強の能力者、一方通行だ。
 
 彼の演算能力は、その程度の差違など即座に計算出来る。
 
 またも的確に反射してきた雷撃に吹き飛ばされるミサカ。
 
 しかし、それでも懸命に立とうする彼女に向け一方通行は足下の砂利を蹴飛ばす。
 
 特に強く蹴飛ばしたようには見えないが、ベクトル操作された砂利は高速で飛来し、ミサカの身体を再度痛めつける。
 
「グッ、……うぅ」
 
 まるで散弾銃の如き怒濤の攻撃を前に、身体の各所からは血が滲み、酷い箇所は骨まで折れているだろう。
 
 頭に装着していたはずの軍用ゴーグルは、既にゴムバンドが千切れて彼女の身体から離れて何処かに転がっており、服のそこかしこも焼け焦げ穴が空いているような状態だ。
 
 地面に横たわり何とか立ち上がろうとするも、全身に激痛が走り上手く身体を動かす事が出来ない。
 
「どうした? その程度かよ? あン?」
 
 一方通行の顔に浮かぶのは侮蔑の笑み。
 
 どうせ殺すのならば、無感情のまま死んでいかれるよりは、せめて恨まれた方が悪党として救いがある。
 
 殊更邪悪な笑みを浮かべて、一歩、また一歩とミサカに近づいていく。
 
 ……ここまでですか。とミサカは諦め、後の事は他のミサカシリーズに任せてミサカは己の任務を終了します。
 
 力を抜き、一方通行からのトドメを待つミサカ。
 
 しかし、そんな彼女の耳に第三者の声が届いた。
 
「……何してんだ? お前」
 
 怒りを押し殺したような声。
 
 ……誰ですか? とミサカは視線を向けてみます。
 
 そこに居るのは彼女とは何の面識もない少年だ。
 
 不思議な事に、その少年は見知らぬ者が怪我をして横たわっている事に憤っているように見えた。
 
「おいおい、こういう時、実験はどうすんだ?」
 
 誰にとはなく呆れたように一人ごちる一方通行。
 
 対する上条は、怒りを露わにしたまま一歩、また一歩と一方通行へと歩をするめながら、
 
「……何してんだ? お前」
 
 再度同じ事を問い掛ける。
 
「あぁ? 面倒臭ぇな。見逃してやっから、とっとと帰ンな」
 
 一方通行は上条の問いには答えず、自分の用件だけを告げて鬱陶しげに手を振って彼を追い払おうとするが、上条の歩みは停まらない。
 
 そんな彼を静止させようと声を振り絞ったのは、ミサカだ。
 
「……何をしているのですか? とミサカは問い掛けます」
 
 声を掛けられ、上条はそこに居るのが御坂・美琴であることを初めて認識する。
 
「──御坂!? お前、何でこんな所に……!?」
 
 確か先程まで自分に超電磁砲を放っていたはずだ。
 
 慌ててミサカに駆け寄る上条。
 
「……お姉様の知り合いの方ですか? とミサカは問い掛けます」
 
 上条に抱き起こされながら、ミサカが問い掛ける。
 
「……お姉様? お前、御坂の妹か何かか?」
 
「……極秘事項に触れますので、その事に関しては黙秘します。
 
 ──そんな事よりも、すぐにお逃げください。そして、今見たことは忘れくださいとミサカは言います」
 
「は? 何言ってんだ? ……下手したらお前、殺されるぞ?」
 
 正気を疑うように問う上条だが、ミサカは無表情のままで、
 
「それでいいのです。とミサカは言います。
 
 その為にミサカは作り出されたのですから」
 
 ……作り出された?
 
 いまいち状況が理解出来ないが、この少女が死ぬ事に関して何の感情も抱いていない事は理解出来た。
 
「…………」
 
 上条はゆっくりとミサカの身体を地面に降ろすと、無言のまま立ち上がる。
 
「ハッ、ようやく理解出来たかよ? とっとと帰って酒でも飲ンで忘れちまいな」
 
 告げる一方通行だが、次の瞬間上条のとった行動に言葉が停まる。
 
「……あン? 何のつもりだ? てめぇ」
 
 立ち上がった上条はミサカを守るように一方通行と対峙した。
 
「……ハッキリ言って、お前らがここで何してるのか? 何で御坂の妹が死のうとしてんのか? 全然理解出来てねぇ。
 
 ……でもな」
 
 右手の拳を固く握る。
 
「はいそうですか。って言ってそのまま帰れるか!?」
 
「ば、バカですか貴方は!? 相手は学園都市最強の一方通行です。貴方がどのような能力者かは知りませんが、彼に勝てる者など何処にも居ません。
 
 それに、ミサカはお姉様のクローンです。ボタン一つで幾らでも換えの利く単価18万円の乱造品。
 
 代わりの居ない貴方と違い、ミサカ一人が死んだとしても誰も悲しむことなどないのです! とミサカは訴えます」
 
 機密事項に抵触してしまったが、自分が換えの利くクローンだと知ればこの少年も帰ってくれるだろうと思い、彼の代わりとなって死ぬ為に、痛む身体を無理矢理起こそうとする。
 
 だが、少年は動かない。
 
「……だからどうした? 誰も悲しむ奴が居ないんだったら、俺が悲しんでやる。いや、俺だけじゃない、御坂だってお前の事知ったら絶対に悲しむぞ?」
 
 正面の一方通行を見据えたまま上条は告げる。
 
「クローンだから死んでもいい? クローンだから殺してもいい? ……そんな巫山戯た理屈(幻想)は、俺がぶっ殺してやる!」
 
 良い啖呵だ、と思う。
 
 眩しい者を見るように一方通行は目を細めて上条を見た。
 
 だが、それを行うには決意だけでは駄目だ。この最強を倒せる程の絶対的な実力が必要となってくる。
 
 手加減して態と負けてやった所で、監視している研究者達からしてみれば、すぐにバレてしまい意味はないだろう。
 
 ならば、自分は悪党として、この男の前に立ち塞がる絶対的な壁となり恨みの対象となる決意を決める。 
 
「面白ぇ。そこまで言ってのけたんだ。ちょっとは楽しませろよ」
 
 告げた瞬間、上条の姿が一方通行の視界から消えた。
 
 だが、一方通行に焦りは無い。
 
 例え上条の能力が瞬間移動能力であろうと、身体強化能力であろうと、それらが一方通行に届く事はないのだから。
 
 彼はただ立ったまま相手の自滅を待てば良い。
 
 そう思っていると、突如左頬に衝撃が走った。
 
 能力に目覚めてから久方ぶりに受けた衝撃に、一瞬何が起きたのかわけが分からず、そのまま吹っ飛ばされる一方通行。
 
 痛みよりも驚愕の方が大きいのか? 倒れたまま動かない一方通行に向け上条は宣言する。
 
「何呆けてやがる? ……お前がどれだけ強かろうと、俺の拳はお前に届くぞ」
 
 上条がどのような能力者かは知らない? だが、彼の攻撃は確かに一方通行に届いていた。
 
「は、……ハハハ。良いねぇ、最ッ高だわ、お前!!」
 
 突如乱入してきた少年。見ず知らずの他人の為に怒る事の出来るその少年に、僅かな光明を見た一方通行は全力で彼を倒しに行くことに決めた。
 
 彼が自分を倒し、この狂った実験を停めてくれると信じて……。
 
「ひゃっはぁ──ッ!!!」
 
 砂利を飛ばし、鉄骨を飛ばし、周囲に積まれたコンテナまでも飛ばす。
 
 周囲にあるありとあらゆるものが上条に向けて降り注ぐ中、彼は焦る事無く最小の動きで砂利を回避しつつ、鉄骨やコンテナの飛んでこない安全地帯へと身体を滑り込ませる。
 
 鉄骨が轟音を挙げて地面に突き立ち檻となって上条の逃げ場を奪い、コンテナが彼の身体を押し潰さんと落下した。
 
 巻き上がる砂塵によって視界が隠された中、何時の間にか一方通行の背後にまで移動していた上条が、再度彼の顔を殴り付ける。
 
「連射王・上条ナメんな!?」
 
 あらゆる弾幕STGをクリアしてきた彼にとって、あの程度の弾幕の安全地帯を探すことなど造作もない。
 
 鼻息を荒く吐き出し、
 
「隙間妖怪の弾幕はもっとエグイぞ!」
 
「わ、わけ分かンねぇこと、言ってンじゃねぇ!?」
 
 遠距離からの攻撃では当たらないと判断した一方通行は近接戦に切り替える。
 
 例えどれだけの達人といえど、一方通行はその皮膚上に触れさえすれば、そこから血液の流れを逆流させて相手を殺す事も出来るのだ。
 
 ベクトルを操作して爆発的な加速で一気に上条に接近する。
 
 後は触れさえすれば、勝利出来る。そう確信していた。……のだが、接近戦における上条の強さは一方通行の予想を遙かに上回っていた。
 
 何しろ攻撃が当たらない。
 
 手を突き出せばそれを躱わしてカウンターで一撃を入れる。
 
 僅かでも引けば追撃が飛んでくる。
 
 ガードに廻っても、防御の隙間を縫うように上条の拳は的確に一方通行に届く。
 
「クッ、あ……!! 何でだ!? 何で俺の攻撃は野郎に届かねぇ!?」
 
 その疑問に答えたのは上条だ。
 
「テメェとは喧嘩の経験値が違うんだよ!!」
 
 余りにも強すぎた一方通行が行ってきたのは、喧嘩や戦闘ではなく一方的な屠殺。
 
 それ故、近接戦におけるノウハウなどありはしなかった。
 
 ……あぁ、確かにテメェの言うとおりかも知れねぇ。喧嘩じゃテメェには勝てねぇだろうよ。……だがなぁ、
 
「殺し合いなら、負けてねぇンだよ!!」
 
 周囲に流れる風の動きを掌握する。
 
 突風の槍が上条の身体を吹き飛ばし、鎮座するコンテナへと叩き付ける。
 
「どうしたよ? ヒーロー。そンなこっちゃ、お姫様は救えねぇぞ?」
 
「グッ……」
 
 コンテナにめり込み、自由を封じられた上条に対し、一方通行は足下の砂利を蹴り上げ彼にぶつける。
 
「グッ、あぁ──ッ!?」
 
 全身に砂利の散弾を喰らい、悲鳴を挙げる上条。
 
「ハッ、──俺は優しいからな。すぐ楽にしてやるよ」
 
 身動きの取れない上条に向け、今度は同じ過ちは繰り返さないと一方通行はベクトル操作で鉄骨をぶつけにかかった。
 
「クッ!?」
 
 直撃寸前に地面を舐めるような低姿勢で辛うじて脱出。それまで上条が張り付けにされていた場所に、容赦無く鉄骨が突き刺さる。
 
「お、……おおおぉぉぉ!!」
 
 後ろを振り向く事無く上条は前進して一方通行との距離を縮めていく。対する一方通行も、上条が今の攻撃を躱わすと読んでいたのか? 既に迎撃の用意に入っていた。
 
「ナメんじゃねぇぞ三下ぁぁぁ!!」
 
 時間差の両手による攻撃。例え片方を躱わされたとしても、その隙にもう片方の手を突き出せば良い。
 
 僅かでも触れれば死に繋がる恐ろしい攻撃。
 
 だが、対する上条には微塵の恐怖も無い。
 
 強く踏み込み、身体を旋回させる。
 
「……衝撃の、──ファーストブリットォ!!」
 
 突き出された一方通行の左手に右の拳をぶつけて外に弾く。
 
 上条の一撃で左手の指が砕けた感触があったが一方通行は停まらない。
 
 拳を放ち終わった直後で体勢の崩れた上条へ向け右手を突き出す。
 
 対する上条が一方通行に触れる事が出来るのは右手1本。
 
 今から拳を引き戻し体勢を整えていたのでは到底一方通行の攻撃に対処出来ないはずだ。
 
 だから上条は拳を戻すのではなく、そのまま身体を回す事で体勢を戻し、
 
「撃滅の、──セカンドブリットォ!!」
 
 右拳と右の貫手が激突。
 
 能力が無ければ、身体能力は同年代の平均以下しかない一方通行が喧嘩で鍛えられた上条の拳に敵う筈もなく、左手に続いて指の骨が砕かれる。
 
 そして一方通行は見る。
 
 上条が再度旋回し、遠心力を十二分に載せた一撃を放つのを。
 
 ……これで良い。……これで、この実験は停められる。
 
 放たれる拳を、歓喜の笑みで受け止める一方通行。
 
「抹殺のぉ……、ラストッブリットォ──!!!」
 
 上条の拳が一方通行の顔面に突き刺さる。
 
「おおおぉぉぉぉ!!!」
 
 全力を持って振り抜いた拳は一方通行の意識を完全に断ち切った。
 
 二度、三度とバウンドして四度目でレールに頭から突っ込み、ようやく停止する。
 
 レールに後頭部からぶつかった瞬間、当たり所が悪かったらしく、一瞬ではあったが一方通行の脳の回路が完全に断たれた。
 
 これにより、一瞬ではあるが一方通行の能力がリセットされる事になり、……結果、彼は新たな力を手に入れる事となる。
 
「……ihbf殺wq」
 
 もはや人語ですら無い何かを口走りながら立ち上がる彼の背中に現れたのは、素材が何なのかも分からない噴出の黒翼。
 
 一方通行に背を向け、ミサカに歩み寄る上条は彼の復活に気付いていない。
 
「安心してんなよ? 言っとくが、これから説教タイムだぞ。二度と簡単に死のうなんて思わねえくらいみっちり説教してや──」
 
 瞬間、上条の右腕が千切れ飛んだ。
 
 痛みを感じる暇もありはしない。
 
 上条の右腕の切断面から血が溢れるよりも早く説明不能の不可視の何かによって彼は地面に叩き潰された。
 
「ごっ!? あッ……」
 
 全身の骨が砕かれ腱は断たれ内蔵は破裂し、筋肉は潰され皮膚は裂けて血が飛沫く。
 
 一瞬で上条の視界が紅に染まっていく中、ポツンと一点だけ黒の翼を持った人影が立っているのが見えた。
 
「keshiu魔syte」
 
 既に正気を失っているであろう一方通行から、意味不明な言葉が吐き出される。
 
 今の上条は辛うじて生きているというよりは、辛うじて死んでいないというような状態だ。
 
 次に一方通行が何らかのアクションを起こした瞬間、彼の命は絶たれるだろう。
 
 口を開くと血の塊が出た。
 
 どうやら声帯もやられているらしく、マトモに声すら出せない。
 
「ぅ……ぁ……」
 
「クッ!?」
 
 そんな上条を庇うように、ミサカが一方通行の前に立ち塞がる。
 
 彼女とて全身に決して軽くない傷を負っているも、上条のように指一本動かせないという程ではない。
 
 両手を広げ正気を失っている一方通行に向けてミサカは告げる。
 
「聞こえてはいないと思いますが、提案します。
 
 私を殺す事で今回の実験は終了。──それ以上の無意味な殺戮は控えていただきたいとミサカは懇願します」
 
 そしてミサカは上条の方へ振り返り、
 
「ありがとうございます。とミサカは言います。
 
 私が死ぬ事で貴方を悲しんでくれると言った時、正直かなり嬉しかったです。とミサカは言い残します」
 
 ……巫山戯るな。と上条は言いたかった。
 
 自分の命を犠牲にして誰かを助けるなど、救いでも何でもない。残された者に余計な負担を強いるだけだ。
 
 そんな事、絶対に認めるわけにはいかない!
 
「          ッ!!!」
 
 声にならない叫びを挙げ、引き千切られた上条の右腕から不可視の竜が出現する。
 
 宿主の血飛沫を纏い顕現した竜は、ミサカの傍らを抜け一直線に一方通行へと襲いかかる。
 
 ミサカが驚愕に目を見開く中、竜王と黒天使が激突した。
 
 一方通行から放たれる力を竜王の顎が全て喰っていく。だが、一方通行からも絶え間ない力が放出され続け、目に見えない力が拮抗し空間が悲鳴を挙げる。
 
「な、何が起こって……」
 
 常識外の事態を目の当たりにして、呆然とした声を挙げるミサカ。
 
 そんな彼女の背後で、指一本動かせない筈の上条が立ち上がろうとしていた。
 
「               ぉぉぉ!!」
 
 歯を食いしばり、気合いを入れて立ち上がる。
 
 動かないはずの体を動かした反動か? 僅かに動く度に血が噴き出してくるのを自覚しつつ上条は一方通行に向かって走り出す。
 
 否、それは走るとはとても言い難い。
 
 前のめりに倒れそうになる度に脚を前に出す事で辛うじて前に進んでいるにすぎない。
 
 一方通行までの僅か10mが恐ろしく遠く感じる。
 
 ……このチャンスを逃したら、もう後がねぇ!?
 
 ふらつきながらも辛うじて辿り着いた上条は、左拳を握ろうとして自らの左腕が人体の構造的に有り得ない方向に曲がっている事に気付く。
 
 ここまで走ってきた事で完全に限界を超えたのだろう。膝は笑い、踏ん張りが利かない。
 
 だが、それでも上条は諦めない。
 
 倒れ込むようにして自らの頭を一方通行の顔へと叩き込んだ。
 
 黒天使状態の一方通行にベクトル操作の能力が無い事が幸いした。
 
 竜王の顎を押し止めるのに必死で、上条の存在に気付く事の出来なかった一方通行は彼の渾身の一撃を喰らい、地面に投げ出されそのまま動かなくなる。
 
 一方、上条は犬歯を剥き出しにした獰猛な笑みを見せ、その場に踏み止まるも、次の瞬間には意識を失い、その場に頽れた。
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 次に上条が意識を取り戻した時、そこは清潔な病院のベットの上だった。
 
 ……えーと何が。
 
 意識を失う前の事を思い出そうとし、右手を額に当ててみる。
 
 ……確か、一方通行に右腕飛ばされて、
 
「って、右腕あるじゃん!?」
 
 握ったり開いたりしてみるが、違和感は無い。
 
「……どうなってんだ?」
 
 不思議に思い、上体を起こそうとして、自らの傍らで椅子に座ったままベットに突っ伏すようして眠っている身体中を包帯で巻かれた少女の存在に気付いた。
 
「……御坂? ……妹の方か?」
 
 揺すって起こし、状況の説明を求めようとしたが、それはドアの方から掛けられた声によって停められた。
 
「止してあげた方が良いとおもうよ?」
 
 掛けられた声に振り向いてみると、そこに居たのはカエルのような顔をした医者だった。
 
「君がここに運ばれてから三日間、彼女が寝ずに看病してたからね? その疲れが出たんだと思うよ?」
 
 告げ、上条がミサカを起こすのを止めて、ミサカに小さく礼を述べて彼女の頭を優しく撫でるのを見てカエル顔の医者は告げる。
 
「それで、何か聞きたい事があるなら、分かる範囲で答えるけど?」 
 
 その言葉に上条は甘える事にした。
 
「……俺の右腕、無くなってませんでした?」
 
「うん。引き千切られてたね? 切断面が鋭利ならまだ繋がったんだけど、あれだけ無茶な千切られかただと、通常の方法では無理だったね?」
 
「じゃあ、どうやって?」
 
「うん? クローン技術の応用だね?」
 
 医者が言うには、傷口を奇麗に切断し、寸詰まりになった部分を補うように部分クローニングしたとの事。
 
「幸い、クローン技術の専門家に知り合いが居てね。意外と簡単に事は進んだよ?」
 
 まだ身体中に痛みは残るが、普通に生活する分には問題なさそうだ。
 
 ……全身ボロボロだったと思うんだけどな。……学園都市の医療技術ってのはそんなに凄いのか。
 
 怪我の具合を確かめるように医者に聞いていたら、御坂妹が目を覚ました。
 
「……悪い、起こしちまったか?」
 
 低血圧なのか? 暫くボーとしていたミサカだったが、上条が起きている事を理解すると彼の右腕を取り動く事を確認。今度は抓ってみて上条が痛がったので感覚もあるのだと安堵の吐息を吐き出す。
 
「……良かった。とミサカは安堵の吐息を吐き出します」
 
 言って、目尻に浮かんだ涙を拭う。
 
「あ、あぁ……。何か心配掛けちまったみたいで悪いな……」
 
 その仕草を前に言葉に詰まる上条だが、すぐに大事な事を思い出し、ミサカに問い掛ける。
 
「それで、実験はどうなった?」
 
 真剣な表情で問う上条に対し、ミサカは頷き返し、
 
「はい。今回の一件で一方通行の強さに疑念が出てレベル6シフト計画は中止」
 
 ……そういえば、今回の実験の主旨とかは上条は聞かされてないな。と思い、裏にそんな事情があったのか。と今更ながらに結果オーライという言葉の有り難さを知った。
 
「ミサカ達はそれぞれ個体調整を受け、ある程度の寿命を回復させた上で次の任務に就くこととなりました」
 
「……次の任務?」
 
 訝しげな表情で問い掛ける上条。
 
 ……もし、また人道を無視したような実験だった場合、その計画も徹底的に潰す覚悟を決める。
 
 だが、ミサカの口から出てきたのは、
 
「“樹形図の設計者”によってミサカ達に与えられる新しい任務は、一方通行を破ったレベル0上条・当麻の子を来るべくレベル6シフト計画の為、様々な環境下で産み育てる為の母胎となる事です。とミサカは照れ隠しに無表情のままで告げてみます」
 
 無表情のまま告げ、上条の横たわるベットに上がってくる。
 
「あ、あの……、ミサカさん? 何をしようとしているのでしょうか?」
 
「勿論、子作りです。とミサカは恥ずかしいのを我慢して言います。それとも何ですか? 貴方はそういう羞恥プレイを好むのですか? とミサカはこの変態野郎という侮蔑の視線を向けてみます」
 
「違うですのことよ!? いや、ほら、こういう事はやっぱり愛し合う者同士がですね!」
 
 助けを求めようとカエル顔の医者に視線を向けると、彼は空気を読んだのか? それとも関わり合いになる事を避けたのか? 既に姿を消していた。
 
「別に子供が出来たからといって責任を取れとは言いませんし、学園都市から援助も出るので養育費にはそれほど困る事はないとミサカは断言します」
 
「いやいやいや、そうじゃなくて……」
 
 何とかミサカを説得しようとあれこれ考えを巡らす上条だったが、いきなりドアをノックされて意識をそちらに向けざるをえなくなった。
 
「ちょっと待った!? 今、ちょっと取り込み中で!!」
 
 幾らなんでもこの体勢は拙い!?
 
 そう思い、取り敢えずミサカに椅子に戻ってもらうように説得しようとするよりも早くドアが開いた。
 
 そこから顔を出したのは上条の眼前に居るミサカと瓜二つの少女。
 
「待て御坂!? これは誤解であって、今ビリビリとか喰らったら上条さん死んじゃう!?」
 
 意味不明の絶叫を挙げる上条に対しドアから顔を覗かせた御坂・美琴は、
 
「何をわけの分からない事を言っているのですか? とミサカは問い掛けます。
 
 取り敢えず用件だけ言うと、後がつかえているので早めにお願いします。とミサカは進言します」
 
「ちょ、ちょっと待て。お前も御坂妹なのか?」
 
 ……クローンって一人だけじゃなかったの?
 
 今更ながらにそんな事を疑問に思う上条。
 
 上条の質問に答えてくれたのは彼に覆い被さるようにしたミサカだ。
 
「全員で2万と一人居ます。まあ、流石に20001号にまで手を出せとは言いませんが。
 
 ……では、早速頂きますとミサカは両手を合わせてみます」
 
「待てぇ──!?」
 
 直後、上条は布団ごとミサカを跳ね飛ばし、病室のガラスをぶち破って大空へ飛び立った。
 
 
 
  
  
 
 
 
 
   
「と、まあそんな事がありまして、ひょっとしてEDなのではないか? とミサカは心配しているわけです」
 
「誰がEDだ!?」
 
 大変不名誉な事を捏造してくれたミサカに対し断固抗議する上条。
 
「では証拠を見せてください。とミサカは実践で証明してもらおうと思います」
 
「何でここで脱ごうとする!? つーか、誰か停めてぇ!」
 
 助けを求めて振り返った先、そこではソリューションのメンバー達が額を付き合わせ、
 
「……それで、一緒に住んでる姫神さんの意見は?」
 
「彼は非常に紳士的。でも少し奥手すぎると思う」
 
「……やっぱり不能なのかしら?」
 
「それとも。私に魅力が無い?」
 
「あぁ、そんなに気落ちしないでください姫神さん!?」
 
「そうよ、ひょっとしたら、上条は幼女にしか欲情しない変態なのかも知れないし!?」
 
「そっちも無茶苦茶な事言ってんな!?」
 
 こっちにも抗議の叫びを挙げる上条だが、対する少女達からは憮然とした眼差しが返ってくるのみ。
 
「な、なんだか墓穴掘ったような気がする……」
 
 そんな上条の嘆きは無視して少女達はミサカを上条から引き離し自分達の輪に加えて溜息を一つ。
 
「……それにしても、妙な所でフラグ立ててたわけね?」
 
 深々と溜息を吐く少女達を見渡し、ミサカは彼女達から感じ取った感情を口にしてみる。
 
「見た所、貴女方も彼に好意を抱いているように見えますが?」
 
 単刀直入な質問に僅かに怯むも、吹寄が皆を代表して答えた。
 
「まあ、その通りね」
 
「では、一つよろしいでしょうか?」
 
 決意を秘めた眼差しでミサカは告げる。
 
「これよりミサカは、貴女方に宣戦布告します」
 
 それはクローンとして与えられた任務ではなく、一人の少女としての言葉。
 
 一連の話を聞いて、おおよその事情を理解した少女達は不敵な笑みで答える。
 
「望むところね」
 
「負けるつもりは毛頭無い」
 
「よろしくお願いします」
 
 手を取り合う少女達の向こう、偶然通りがかった御坂・美琴が上条に喧嘩を売っている所だった。
 
「ふっふっふっ、今日という今日は勝たせて貰うわよアンタ!?」
 
「げ!? 本家ビリビリ!」
 
「何度も言わせるな! 私には御坂・美琴って名前があるのよ!?」
 
 そして始まるいつもの喧嘩。
 
 時折聞こえてくる上条の「不幸だぁ──!!」という叫びを耳にしつつ、学園都市は今日も平和だ。と思う少女達だった。
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